第9話 表参道にて

 以前に紀伊国屋があったあたりを通り過ぎ、もうすぐ表参道の交差点というところで、ばったり彼女に再会する。わたしがまず彼女に目をとめ、立ち止まり、そうして目が離せなくなっているわたしに気づいて彼女がこっちを見る。怪訝な顔つきをしていた彼女の顔に驚きと、狼狽と、それから何かを悲しむような表情が浮かぶ。何を悲しんだのか、わたしには瞬時にしてわかってしまう。20年の歳月を悲しんだのだ。わたしの身体に肌に顔つきに刻み込まれて彼女の身体には影響を及ぼさなかった20年の歳月を。


 わたしたちは20年ぶりにあった旧友がするように挨拶を交わし、20年前によく訪れたように大坊のコーヒ−を飲みに行くことにする。2階に上がり窓際の席に着き、20年前同様に香り立つコーヒーを飲む。何を聞けばいいのだろう。いまはどこに住んでいるの? 仕事は? ご家族は? 当時の仲間の消息を知っている? そんな当たり障りのない話をしようかと思うが、それはあまりに嘘臭い。聞くしかないだろう。どうしてあなたは年を取らないの、と。


 そう。彼女は全く年を取っていない。学生時代のまま、何も変わっていない。変わったのは時代に応じたメイクやヘアスタイルやファッションであって、いま目の前にいる彼女は当時のままの姿だ。いや。彼女がその頃に生んだ娘だといわれたら信じたかも知れない。お母さんにそっくりなのね、と言って。


 話を切り出しあぐねている私の様子を見かねたのか、彼女が言う。ねえ覚えてる? 卒業旅行のこと。もちろん忘れるわけがない。当時一番仲の良かった彼女と出かけた最後の旅行。国内を旅行するより海外旅行の方がやすいと言われ始めた時期だったけれど、わたしたちはあえて国内旅行を選んだ。二人ともまだ訪れたことがなかったという理由で、東北地方をじっくり回ることにしたのだ。


 あの丸いブロックのこと覚えている? と彼女が言う。それも覚えている。旅行の終盤、わたしたちは遺跡を訪ねて山に入っていった。その途中、奇妙な丸い石を見つけたのだ。それは妙に整った形で、いかにも人工物めいていた。やわらかい粘土でできた円盤状のブロックを真ん中のところでぐっと押して、なだらかな円錐形の器にしたような形。前衛芸術家が気の向くままに削り、磨き上げた石の彫刻のようにも見えた。


 彼女がそれを拾い上げ、わたしたちはその形の不思議さに盛り上がった。自然にできたのだろうか? 人工のものなのだろうか? そんなことを話し合いながら。そこから少し上がったところでわたしがカメラを取り落とした。それを追ってわたしたちは道から外れて斜面を下りていき、それを見つけたのだった。カメラが落ちていたすぐそばに明らかに人工的に積み上げたブロック塀のようなものがあったのだ。けれどそれは塀などではなかった。ひとつひとつのブロックはさっき彼女が拾ったあの丸い石でできていた。それが無数に積み上げられていたのだ。わたしたちは茫然とそれを眺め、やがて気がついた。これはまだ見つかっていない遺跡なのではなかろうかと。


 あのときあなたは届けなきゃいけないって言ったよね。と20代にしか見えない彼女が言う。そう。わたしは、届けなければならない、彼女もその石を持って帰るのはまずいだろう、と言った。でも彼女はその忠告を聞かなかった。うん、怒ったよね。そう、絶対にこれを持って帰るんだ!って怒った。旅行、めちゃくちゃにしちゃってごめんね。20年を経て、彼女が謝る。確かにその後わたしたちはギクシャクし、旅行の後は謝恩会で顔を合わせたきりもう二度と会うことはなかった。でも、20年前の旅行の終盤が台無しになったことをいまさら謝られてもどうしたらいいのかわからない。彼女が話したかったのはこのことなのだろうか。


 あれから年を取らないの。生理不順の話でもするように淡々と彼女が言う。たぶん、この石のせい。そう言って彼女はコーチのトートバッグからあの石を取り出す。久しぶりに見る石にわたしは動揺する。石のせい? どういうこと? 彼女は、よくわからないけど、と首を振り、でもたぶん、と言う。たぶん、何? 保存食よ。その石が? ううん違う。この石の中に彼らの食べものが、食べものみたいな何かがはいっているの。彼ら? それには答えず彼女は言う。缶詰みたいなものかな。そのこととあなたが年を取らないこととどう関係するの? わからない、わからないけど、たぶんここに封じこめられた何かがわたしの時間を止めてしまったの。そう言うと彼女は柔らかな微笑みを浮かべる。20代にしか見えない顔に、とても年を経た人のような微笑みを浮かべる。


(「缶詰」ordered by izumi-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)

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