第5話 君とぼくをつなぐチューブ
案内されて地下室に下りる。非常階段のような鉄製の階段でカンカンと靴音がやかましい。階段を降りきると所長はくるりと振り向き、誇らしげに背をそらし、目の前の通路を示した。そこにはがらんとあいた円形の開口部があって、奥に通路がずっと続いていた。通路はゆるやかにカーブして先の方は見えなくなっている。先に進むのかと思って一歩踏み出すと、腕をつかんで引き戻された。
「危険ですぞ」
「は?」
「不用意に中に入ってはいかん」
「中?」
「そう。これが話しておった発明じゃ」
「“じゃ”? “じゃ”と言いましたか?」
「発明なのだ」
「これが、あの発明」
「チューブだ」
「チューブ?」
「そう。チューブだ」
「中部?」
「違う。チューブだ」
「ち……」
「恥部でもなく」
「……」
「秩父でもなく」
「なんで秩父と言おうとしたことがわかるんですか」
「それがチューブの働きだ」
「えっ?」
「嘘だ」
「じゃあ何て名前なんです。いやだなあ。チューブなんてヘンな名前だと思ったんですよ」
「そこではなく! そこが嘘なのではなく! 名前はチューブだ。チューブという名前は嘘ではない。秩父とわかったのがチューブの働きというのが嘘だ」
「ではなぜぼくが秩父と言おうとしたのが……」
「チューブの説明をさせてくれんかね、そろそろ!」
所長は息を荒げ肩を揺らしながら吼えた。そんなに大声を出さなくてもぼくはすぐ目の前にいるのに。
「いいかね。これこそが世紀の発明。ザ・チューブだ」
「“ザ”がつくんですか?」
「ザ・チューブだ」さっきはただチューブって言ったくせに、反省の色も見せずに所長は続ける。「ここではないどこかへと続く道。異世界への回廊。時空を超える装置」
「北池袋とかに出るんですか?」
「そうではない。そういうアレではない」いらいらし始めたかと思うと不意にくだけた調子で所長が言う。「ねえ、ちょっとヘンな合いの手やめてくれる? 全然進まないじゃん。話、ちっとも進まないじゃん」
「じゃあ北軽井沢あたり?」
「だから! そういうんじゃないの! そういう、何て言うの? 電車で1時間あれば行けちゃうような、そういうあれじゃないの!」
「わかりました」全然わからなかったけど、所長の取り乱し方が怖かったのでわかったふりをした。「そういう、普通にいける場所ではないんですね?」
「そうだ」我が意を得たりと所長が頷く。「その通りだ」
クアラルンプールとかだろうか。そう考えていると所長がたたみかける。
「クアラルンプールとか、そういう、どこかよく知らない外国ってことでもないからな!」どうしてわかったんだろう。「これはつまり、貴君もご承知のように、かつて古文書『風誌』に記されたあの詩に歌われている装置なのじゃ」
「“キクン”? “なのじゃ”?」
ぼくの疑問文には構いもせず、所長は歌い始める。節を付けて朗々と。一文字一文字が全音符みたいなロングトーンで。
♪夢の中で、ぼくは走っていくよう。
長い長いトンネル。
滑らかな輝きの回廊。
出口はまだ見えず、
生きるものの気配もない。けれど
ああそれは
君とぼくをつなぐチューブ
世界を橋渡しする永遠のチューブ。
文字にすると短いと思うかもしれないが、こういうのを節を付けて朗々と目の前で歌われるほど身の置場のない話はない。とても居心地が悪い。
♪霧の中を、彼は走ってくるよう。
暗い暗いトンネル。
包み込む灼熱の回廊。
姿はまだ見せず、
荒い息も足音もない。けれど
ああそれは
彼とわたしをつなぐチューブ
いまだ見ず、聞きもせぬ世界にいたるチューブ。
気分良さそうに熱唱する所長をおいて、ぼくはぶらぶらとそのチューブの中へ入っていった。不意に歌声が途絶えたので、所長が怒ったのかと思って振り向く。そこにはもう出口はなかった。こうしてぼくはチューブの中をさまようことになったのだ。
(「チューブ」ordered by izumi-san/text by TAKASHINA, Tsunehiro a.k.a.hiro)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます