第5話『仕合 ~戦士よ武器を取れ~』前編
*
ロメール帝国はかつてはガーニッシュにおいて最も隆盛を誇った国家だった。
天を突くような鋼鉄でできた構造物が無数に立ち並び、中心にあるかつて皇帝が住んでいたという要塞も表面は薄汚れてもその形をとどめている。
その大半は遥か昔に建造されたものであり、魔王軍の攻撃を受けてなお健在だ。
「これがかの歴史ある帝国の末路かぁー! かー、ジョウシャヒッスイって奴だな!」
「ロメールの奴らも情けないよな。俺達を追い出しておいて、こうもあっけなく滅びるんだからよぉ!」
玉座の間には武装した男女があちらこちらでたむろって思い思いのことを言いあっていた。
荒れ果てた要塞内の玉座に座る者はなく、ボロボロの絨毯は凄まじい血が滲んで黒ずみ、泥で汚れていた。
そこにいる誰もに、似つかわしくないような野卑で下品な雰囲気が漂っている。
ここだけではない。主を失ったロメール帝国の首都ロメールは、各所から集まったならず者たちのたまり場になっていた。
ならず者の大半は、この大陸で魔王軍に敗れた国々の生き残りだった。
そこには一切の秩序はなく、ただの暴力だけが正義といえた。
支配者というモノはいないが、無数の力ある者達が並立して何とか共同体としての体を保っている。
「そういえば聞いたか? 今度の武道大会の景品、魔王軍が秘蔵していた伝説の武具なんだとか」
「魔王軍の武具……それは本当か?」
「それがあれば、あのエリーザに一泡吹かせることができるかも……」
「高値で売っぱらえるかもなあ!」
その中の一人が言った情報に、周囲の輩達は思い思いにものを言う。
武道大会はこのロメールの廃墟の一角にある闘技場で行われる。
ここにたむろった戦士の稼ぎ場の内の一つであり格好の娯楽の場だ。
大半が魔王軍との戦いでの敗残兵である彼らにとってその力を他人に示すことができる場所は、魔物を倒すこと以上の興奮を得ることができたのだった。
その時、ロメールの城下町に耳をつんざくような大きな声が、街中に設置された音声増幅装置を通じて響きわたる。
『戦士達よ! これよりロメール闘技場にて、
戦士達はその大音響を聞きつけると、一目散に闘技場目がけて駆けだしていった。
*
ポルトギーゼを発って20日程経った。
バレンティナとヴァーブルは馬に鞭打って東へと駆けた。
道中、バレンティナ達をここまで連れてきたルビーと似た、頑丈な鱗を持つ爬虫類や俊敏で巨大な虫の魔物達が無数に襲い掛かってきた。
二人は、アムルゲートの力を借りることなく、それらをその都度撃退していった。
「おらあ!」
ヴァーブルは巨大な戦斧を振り回して、周囲に群がる巨大なバッタの首を一薙ぎですべて落としきる。
ギャオオオ――!
振り切ったヴァーブルの背後。バッタの屍を踏みにじりながら、鋭い牙が無数に生えた前傾気味の二足歩行の巨大なトカゲが現れた。
そいつは丸吞みにできそうなくらいに大きく口を開いてこちらに迫っていた。
ヴァーブルは舌打ちしながら、戦斧をその怪力で強引に持ち上げ、トカゲの顔面目掛けて叩きつけた。
直後、何かが砕けるような音が鼓膜を揺さぶる。
「くそったれ!」
戦斧の刃が粉々に砕け散り、その欠片と別の生臭い固体がヴァーブルの頭上から降り注いだ。
「グオオオオオ……ヴッ!」
トカゲは自分の牙が砕けたことに動揺し、その場で叫び続けていたが、すぐにそれは途絶えた。
血の線がトカゲの首を横切ったかと思うと、首がぼとりと音を立てて地面に転がった。
その向こうで、バレンティナが剣の刀身についた体液を払い、ヴァーブルの武器が壊れたのを見ると近くまで駆け寄る。
「これは参ったね、もう5つ目だよ!?」
「やっぱり、銀の武装でないと、俺の力に武器が耐えられねえ……」
『悩ましいなヴァーブル・フォールティ』
「とは言ってもアタシの剣を渡すわけにはなあ。やっぱり壊れるだろうし」
ヴァーブルは柄だけになった戦斧だったものを弄びながら深くため息をつく。
そう、これで5つ目だった。道中ジェニーに貰った武器を含め、彼は武器を使っては破壊し続けていた。
その度に立ち寄った街の武器屋や偶々行き会った行商人から代わりの武器を購入して賄っていた。
ヴァーブルが銀の武装に執着を見せたのはこれが一因なのだろうとアムルゲートは推測するが、代替案を提示できないでいる。
「でも柄があるだけでも違うし、このままでいこうや。もうそろそろロメールだろ? 闇市くらいあるだろうよ」
ヴァーブルは離れたところでびくびくしている自身の乗馬を口笛で呼び寄せるとそれに跨る。
「闇市って……お金には限りがあるんだけど?」
バレンティナは懐の袋に入った金貨の感触を確かめながら眉間に皺を寄せる。
ジェニーに貰った通貨はまだだいぶ残っていたが、この調子で買った武器を壊され続けたらキリがない。
いっそのこと素手で戦ってもらうかな? とも考えたが、生憎この大陸に主にいる魔物は素手で触るには危険な爬虫類や昆虫類に類するものが多かった。故にヴァーブルにそれを強いることはできなかった。
バレンティナはヴァーブルの揺れる背中を見ながら自身も馬のジンジンに跨って、胸元に視線を落とす。
「アムルゲート、それにしても思うんだけどさ」
『なんだバレンティナ?』
「銀の武装がなくてもああやって元々強いヴァーブルと違ってアタシはアンタを纏うことで何とか魔武衆に対抗することができてて、なんかこれでいいのかなって思うよ。アンタはアタシを認めてくれてるけど、いつしかアタシみたいに何故かアンタを纏っても平気な人間がまた現れたりして……」
『そんなことを気にする前に、もっと鍛えるんだ。まだ、貴様は弱いということだよバレンティナ』
「そんなことはわかってるけどさ、どうにも不安になっちゃうんだ。アタシはただの田舎娘で、あのヴァーブルは『様』とか付けられて、なんか偉そうな感じだし」
『バレンティナ、いいことを教えてやる。この世界で唯一『真の勇者』と呼ばれるべき男は、特別な生まれでも、特別な能力もない普通の人間だった』
「それは一体、誰なの?」
歴史上で、魔王アムルゲートを倒して真の勇者と呼ばれた者は存在しない。
何故ならば、魔王アムルゲートが人間によって滅びた記録は残っていないからだ。だが、彼はそれが存在するという。
『それは……いや、忘れろ。これはまだ貴様が知るべきことではない』
「なによそれ!?」
発言を撤回し、ぶるぶると震える鎧。
それに対してふくれっ面のバレンティナの鼓膜を大音響が揺らす。
「見えた! 間違いない、ロメールだ! あの都市は確かにロメールだ!!」
目的地を見つけたという、ヴァーブルの大きな叫び声だった。
*
夕日に照らされるロメールの鉄でできた建物群は、その光を明るく反射させていた。
乱立するそれらが、周囲を明るく照らし、街並みは美しく輝いているように見えた。
それらを建築した技術は現存していないが、その幾何学的な機能美に一行は圧倒された。
しかし対照的に、そこを行きかう人々は薄汚く血生臭く下品な言葉が周囲を飛び交い、ヴァーブルはともかくバレンティナは不機嫌そうに顔をしかめながら喧騒を抜けていく。
「ジェニーさんに話は聞いていたけど、想像以上に荒れてるね」
「建物はさすがに太古の失われた技術で作られたものだからしっかりしてるが、それ以外は手入れするのもいないだろうからひでえものだな」
確かに、建物の構造物自体は小綺麗で崩れているようなところもなくそびえ立っているが、それぞれの窓や旗等はボロボロだったり汚れで黒ずんでおり、他の問題がはっきり見えない分そこがより酷く強調されてしまっていた。
『ロメールは南のアポリー大陸からガーニッシュ大陸に向かう際の玄関口だったからな。だからこのようなアポリー式の建造物があるし、ロメールの方針もあって今でもそれが現存してるのだ』
「アポリー……そうか、確かにこれはバリュージャを倒しに行った時に似たような廃墟を見たような気がするわ」
『アポリーには、我に関わる多くの史跡があってな。ライオネルスに関わる問題がひと段落したらバレンティナ、貴様と一緒に見て回りたかったのだが』
「そっかぁ、じゃあこの大陸でのあれこれが終わってブレイブ王国との問題もひと段落したらそっちに行ってみようか?」
そんな感じで駄弁りながら進む三人の目の前にやがて、より一層巨大な四角と円形の建造物――ロメールの要塞と闘技場――が現れた。
その建造物の前の広場には大勢の大柄な人間たちでごった返し、いたるところから叫び声や怒号が聞こえた。中には、血まみれで地面に倒れている者もいる。
「押さないでください! 殺さないでください! ちゃんと並んでください! 希望者は全員参加できる予定となってますから、エントリー前の強襲はおやめください!!」
広場の中心のテントでは、白い一枚布を身に纏った小柄な男が飛びあがりながら大声で周囲に呼び掛けていた。
彼は斜視のあべこべの方向を向いた視線を周辺に飛ばしながら喉も枯れんとばかりに叫んでいた。
「もう一度言います! 只今、
『な……』
「おいおい、今の聞いたかバレンティナ? ……ってバレンティナ!?」
ヴァーブルを置き去りにしてバレンティナは血まみれの男の傍に駆け寄るとその身体に治癒魔法をかける。
男は、フルフェイスの鉄仮面を頭に着けその表情は覗えなかったが、仮面の隙間から見える瞳は今まで遭遇した人間と比べたら幾分か良心がありそうだとバレンティナは感じた。
男の傷はふさがったが、全身はぶるぶると痙攣したままだ。
バレンティナは気づかないが、彼女の周囲をならず者たちが円状に囲もうとしている。
「どうしよう……このままじゃマズいんじゃない?」
『マズいのは我らもだぞバレンティナ』
アムルゲートの言葉にはっと周囲を見渡し、自身を取り囲むならず者たちの姿を視認する。
「え……なにこれ?」
「おい姉ちゃん! 折角競争相手を殺ったてえのにそういうのはやめな!」
「競争……ねえ、どういうことなの?」
「あそこの運営の人間も言ってたろ? 今回の武道大会の商品は格別なものなのよ」
「然り。
「魔武衆だって倒せる。そう、我が祖国を滅ぼしたグランギアのエリーザを滅ぼさなくてはいけないのですから……!」
口々に答える彼らに、バレンティナは怒りを込めて返す。
「かと言って、不意打ちをして人を殺すなんてないんじゃないか!? アンタ達、そんなんじゃ魔物共と何一つ変わらないよ!」
バレンティナは横たわる男をかばいながら、周囲の戦士達を威嚇する。
戦士達は、バレンティナを敵と見なしてそれぞれ武器を抜いて包囲の輪を詰めていく。
「あ、あのー! ちょっと待ってくださーい!」
妙に甲高い男の声でそれは静止される。
声の主はさっきから大声で呼びかけていた斜視の男だ。
男は包囲の間を縫ってバレンティナの方に歩み寄る。
「揉め事はもうやめてくださいな、他のエントリー希望者の邪魔になりますので。あと、今周りにいる方々は闘技場内の運営局の事務室まで来てください」
不気味な風貌の男はぎょろりとした眼で周囲を見渡しながら低い声を不気味に響かせた。
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