第4話『交錯 ~混迷の新大陸~』後編


   *


 時が止まったように動かない『Captain Jenni』のフロアの卓の狭間でバレンティナは突如襲い掛かってきた敵と交戦していた。


 酒客たちは酒を飲んで歓談した格好のまま固まっていた。表情はごくごく自然なもので、異変を察知した様子はなかった。


 その間から飛んできた光の一閃を避けたバレンティナの眼の端で、前髪の束が落ちていくのが見える。


「よく避けたね。しっかり首を狙ったんだけどねえ!」


 右の足を蹴り上げながら宙に浮く金髪の少年は口の端をあげてせせら笑う。


 彼の両足の踵の上には、曲がりくねって血錆びた刃が埋まっている。


 まともにそれを食らったら自分の首はすぐに地面に落ちるだろう、というひんやりとした感覚がバレンティナの全身を駆け巡る。


「らぁあああ!」


 バレンティナはその感覚を振り払うように、手に持った大剣を少年の目がけて振り下ろす。

 

 彼は左踵の刃でそれを受け流しながら、接触部を支点に更に高く上昇した。


「上に!? ……きゃっ!」


「彼の力を借りないと、こんなものなのかいお姉ちゃん!?」


 上昇するバレンティナの気勢を削ぐように、幾度も踵の刃が叩き込まれる。


 バレンティナは後方に跳躍してその連撃を回避しながら、剣を正眼に構え直す。


 着慣れないスカートの裾は、幾度も襲った少年の攻撃によってボロボロだ。


 少年は、空中で何度か回転をしながら床に降り立った。顔には余裕の表情がある。


「……アンタもしかして魔王軍の!?」


「あれれ? 魔王のまの字も出してないのに、もしかして図星?」


 少年は笑みをこぼしながら、バレンティナの方を指差す。


「そ、それは……」


「バレンティナ! 危ないところだったな!」


 バレンティナがその場限りの誤魔化しの言葉を何か呟く前にヴァーブルが二人の間に割り込む。


 少年は不機嫌そうに頬を膨らませながら指差す手を下ろしながらヴァーブルを睨む。


「……なんだお前? 男がボクの邪魔をしないでよ」


「そんなことより、テメエ一体何をしやがった?」


 ヴァーブルは全く動かない客を示しながら吠え、少年を睨み返す。


 少年は、やれやれとため息をついて左右に首を振る。


「見ての通り、彼らの時を止めたのさ。ボクはお姉ちゃんにしか用がなかったからね」


 まるでちょっとお使いに行って買い物してきましたというくらいに簡単にとんでもないことを吐く少年に、その場で動ける者たちは眼を見開いた。


「ねえお姉ちゃん、ボクのところに来てよ」


「は……はいっ!?」


 眼にもとまらぬ速さで少年はバレンティナの目と鼻の先まで近づいて、上目遣いでバレンティナを見上げる。


バレンティナはそれに驚いても、何故か指一本体を動かすことができない。それは、彼女だけでなくヴァーブル達も同様だ。


「な……体が? バレンティナ!」


「なんてこった……こりゃあ、エリーザよりも下手したら……」


『この力……まさか奴は……』



「色々聞いていたから直接見たくなってここまで来たけど、一目見たら気に入っちゃったよ! さあ、ボクと――」


 気づけば、いつの間にか肥大化した少年の手が、バレンティナの首を捉え、持ち上げていく。足が、地面から離れていく。


「が、がぁ……」


 窒息で段々と意識が遠のいていく。彼の提案に肯定する気もないが、否定することをする暇もない。


 いや、こちらの答えなんて聞いていない。彼の中でもう既に完結しているのだと、バレンティナは気づいた。


『このままではいかん……姿は見られるが、仕方ない!』


 ジェニーに姿を見られるのを忌避している場合ではない。バレンティナを失えば、彼の傍に彼の力を使える者はいなくなる。


 それは何としても避けなくてはならなかった。


『行くぞ、待ってろよバレンティナ――』


「ちょっと待ったーーーー!!」


 バレンティナ目掛けて飛び出していこうと丸い体をたわめたのと同じタイミングで、突如入口の扉が破砕音と共にものすごい力で吹き飛ばされる。


 破壊された木製の扉は一直線にバレンティナの首を締めあげる少年に向かって飛んでいき


「っ――!」


 側頭部に直撃。声にならない聞き苦しい絶叫をあげながらその場でたたらを踏む。


 バレンティナも、直撃の直後に拘束を解かれて投げ出され、カウンターそばの床に尻餅をついた。


「ゲホッ……ゲホッ……!!」


『バレンティナ、大丈夫か?』


「なん、とかね……念のため鎧に戻ってアタシの体を守って」


『応』


 銀色の不定形の物質が給仕服に合わせた形の鎧へと姿を変える。


 バレンティナは大股開きの足を閉じながら、月の光を背中にして立つ一つの人影を入り口に認める。


「ヒュー……ヒュー……」


 そいつは、ゆっくりと建物の中に入ってくる。


 それはバレンティナより少し背が高いくらいの戦いを生業にしてそうな女性だった。


 明度の低い金髪を頭の両側でツインの三つ編みにして、その上には細長い茶色い耳のようなものが生えている。


 薄手のタンクトップは豊かな両胸を強調し、下のショートパンツの太ももははちきれんほどだ。


 ごつごつと筋肉質な体の腕と足には鈍色の籠手と脛当てをつけ、ごきりごきりと全身の骨を鳴らしてその眼には殺気が満ち満ちていた。


 その眼前に飛んできた木の板――のように見えた先程飛んだ扉の残骸――は、一瞬で彼女の拳で砕かれる。


「お前……いきなり何しやがるんだ?」


 扉を投げ返した少年は、美しい金髪を真っ青な血で汚して、全身を震わせながら口内の牙を露わにする。


「何って、その子を連れていかせないためだけど? あなたがバレンティナとあーだこーだするのは今じゃない。まだ、そういう段階ではないの」


「だったら単なる無駄足ってことじゃないか!? それにお前がボクにこんなことをしていいと思ってるのか?」


 女性は、少年の言葉を聞き流しながら、床に腰を下ろしたままのバレンティナの横まで来ると腰を下ろしてその肩を抱き寄せる。


「な、何……?」


「この子とアレについては、もう少し私に任せなさいよ? あなたの力を借りるのは最終手段なのよ。だからせいぜいそこらへんで暇を持て余してなさい」


「……わかったよ、わかった! じゃあバレンティナお姉ちゃん、またどこかで会おうね?」


 少年は腹立たしそうに大きな舌打ちにすると、直後顔に貼り付けたような笑みをバレンティナに向けて猫撫で声をかけた。


 直後、少年の背に無数の羽根が生えたかと思うと、突風が吹き荒れその姿は完全に消え失せていた。


 すぐに、ざわざわと人々の歓談の声がフロア中に響く。


「何だったんだアイツらは?」


 ヴァーブルは首をひねりながら、カウンター裏の個室へと戻っていき


「なんだあれ? いつの間にか扉が壊れてるぞ!?」


「あー! 多分ちょっとしたつむじ風だねえ……ねえユミとアンタ、手伝ってくれないかい?」


「は、はいー!」


 バレンティナはジェニーとユミを手伝って今しがた破壊された扉の様子を見に行った。


 気づけば、彼女を救った女性も姿を消していた。


 バレンティナの肩には、まだ彼女の抱擁の感覚が残っていた。それは、何故か初めてではない不思議な感覚だった。


   *


「よし、これであんた達は晴れて放免だ! 今度はしっかり金を持ってきてくれよ?」


「それなら次はちゃんとした価格を提示するんだな?」


「いいのかいヴァーブル? 今からでもあんた達のこと通報したっていいんだよ?」


「それはやめて。本当にやめて……」


 ポルトギーゼの外、正門の近くでバレンティナとヴァーブルはジェニー・リーチの見送りを受けていた。 


 バレンティナは今まで乗っていた馬に、ヴァーブルは新しくジェニーが手配した馬に跨っている。


「そうだジェニーさん、お金と武器ありがとうございました。アタシもヴァーブルもお金に困っていたので」


「なぁに、気にすることはないさ。あんな乱暴者も追い払ってくれたんだ。これはボーナスと思っとくれ」


「追い払……いや、どうなんだろう……?」


 二人は、馬以外にも、膨大な金貨とポルトギーゼで手に入る最高級の鋼鉄製の武具と防具もジェニーに譲ってもらっていた。

 バレンティナはともかく、ライオネルスやウェッジとの戦いでほとんどの武具を駄目にしたり失ったヴァーブルにとってはそれは大変ありがたかった。


『過程はともかく、奴がいなくなったのは事実。それにしても時を止めるとは……ふむつまりは』


「……あとでその話は聞かせてよねアムルゲート」


 鎧へ心の中で話しかけると肯定の答えが返ってそのまま黙り込んだ。


「それで、ここからどういけばいいかな? とりあえず東?」


「それなんだが、ジェニーが集めてくれた情報があってよ。東の方にあるロメール帝国を目指そう」


 ヴァーブルの言葉にうなずきながらジェニーは口を開く。


「ロメール帝国自体は滅びたんだけどね、どうやらその都の跡地に勇者候補やらグランギアに敗れた国の敗残兵がたむろっているらしいんだ」


 ロメールはブレイブ王国とも肩を並べるほど古い帝国であり、様々な歴史的な史跡や資料が残っているという。


 しかし、数年前にグランギアを乗っ取った裁罰竜姫エリーザの配下の魔物達によって滅びた。


「そこで、グランギアとの戦いに行く気のある者たちを参集し、それらを率いながらグランギアにほど近い山中の砦を目指すんだ」


「仲間を集める必要はあるの? いざとなれば――」


 アタシ達だけで何とかなるんじゃ?

 バレンティナは他の人間が自分たちについてくることに僅かな不信感をあらわにする。それは、魔王アムルゲートとそれを使う自分がいれば、エリーザをはじめとする魔武衆を倒すなど容易だと思ったからだ。


「――違う。一人では行けないんだ。力を合わせなくては。もしかしたら、俺達の味方は思った以上に少ないかもしれないんだ」


 ヴァーブルは歯噛みして、ジェニーは目を伏せた。


「とにかく、俺達は東のグランギアを目指すということに変わりはない。行こう、バレンティナ」


「あ、ああ……わかったよ」


 じゃあ元気で、と二人はポルトギーゼの街から東へと馬で駆けていった。


 その姿が点となってはるか向こうの木々の間に消えていくのを確かめながら、ジェニーは懐にしまっていた紙の切れ端を取り出す。


 それは、バレンティナが来ていた給仕服のポケットに入れられた酒客からの情報が書かれた紙片だ。


 ジェニーがバレンティナに給仕をやらせたのは、ヴァーブルに今後の方針を示しながら、同時に自分や給仕のユミが普段やっていた情報収集を手早くやるためだったのだ。


 その一片にはこう書かれていた。


『ヴァーブル及びバレンティナをブレイブ王国は消そうとしている。不正云々は、その方便に過ぎない』、と。


   *


 深夜――

 ブレイブ王国の城下町の港には、巨大な黒い軍船が一隻停泊している。


 それを見上げるのは、黒の甲冑に虚ろな眼の戦士ウェッジと、白衣に眼鏡の怪しい男ゴレン。


「王より尋ね書きは出したものの、未だにヴァーブル・フォールティもバレンティナ・オクトーも帰国する気配はない、とのことだ」


「おやおや、それは大ごとですねえウェッジ殿! 今すぐそちらに飛んで強襲してもいいのでは!?」


「はぁ……」


「え? 溜息ですか? 何か問題がありましたかな?」


「出来る事ならば、そうしたい……俺の頭の中の声もそう言っている」


 わざとらしく騒ぐゴレンに、ウェッジは溜息をつきながら肩をすくめる。


「でもそうしないのは?」


ブレインを纏って巨人となったバレンティナ・オクトーは、今のままでは俺でも勝てない。他の魔武衆共から銀の武装アムルゲートを回収してもだ」


「まあ確かにそうですねえ。アレに勝つのは正攻法じゃあまあ無理でしょうね。逆にそうじゃなかったら不良品もいいところです」


 だが、それでもある種の欠点があるとウェッジもゴレンもわかっていた。


「ただ、どうやらブレインはこの銀の武装のことが人口に膾炙することを恐れているようだ。ついさっきの戦いでもそのために危うくバレンティナが死にかけている」


銀の武装アムルゲートの伝説をあまり広げたくないのは、私達も彼自身も同じってことなんでしょうね」


 ブレイブ王国では、銀の武装を集めることで、願いが叶うと伝わっている。

 アムルゲートの事情はまた別にあるのだが、そういった情報が出回るのはその収集に際してはあまり歓迎するべきことではないのだ。


「だからこそ、手勢が必要だ。そして、強力な兵器が必要だ。ゴレン、アレはもう使えるんだよな?」


「ええ、調査して調整すれば、もうあっと言う間です。今すぐでも使えますよ、素体がいればね」


「その素体なんだが、いい供給場所が見つかったんだ。行くとしようか、ポルトギーゼの『Captain Jenni』に!!」


 二人は口が裂けん位に大きく口を開いて大笑する。笑い声は港中にこだました。




 そのあくる朝、ボーという空気を揺らす大きな汽笛と共に、軍船『黒い死の影』は抜錨し、東のガーニッシュへと航路を定めた。

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