第4話『交錯 ~混迷の新大陸~』中編

   *


 ポルトギーゼの夜は長い。


 埠頭の灯台は絶えず海上を照らし、多くの人がこの街から旅立ち、そして帰ってくる。


 夜に港についた旅人の大半は宿屋街に行って船旅の疲れを癒すのだが、体力が有り余った者達は歓楽街へと飛び出していく。


 そこの灯りは消えることなく周囲を照らし、路上には物騒な容姿の客引きがカモを探してフラフラしている。


 その中で最も大きな賑わいを見せているのはポルトギーゼ一の居酒屋『Captain Jenni』


 口を悪ければ腕っぷしも強いジェニー・リーチなる女傑が店主を務めるこの店にはいつからか腕に覚えがある戦士たちが集まるようになり、魔物やそれに類する札付き達の様々な情報が集まる場になったという。


 最近となっては、どんな故か魔王軍や魔物達の活動が活発になっており、それに比例するようにここも活気を増していた。先のキラッチやエギルみたいな変な輩が紛れ込むこともあるが。


 この日も老若男女、肌の色も異なる歴戦の戦士達がガヤガヤ騒いでいる。その数は三桁にも達しそうなほどで卓と椅子の間にも隙間はほとんど見えない程だった。


 その喧騒を切り裂くようにカランカランと、来客を告げる鈴が鳴る。


 薄めの金髪に皮のサークレットを付けた小柄な少年が躍るような足取りで走り込んできた。


「い、いらっしゃーい!」


 フロアにいる給仕の一人が、ぎこちなく走り寄ると、空いている席へと彼を案内する。


 少年はくすりと笑いながら給仕の胸元をちらりと見ると葡萄酒を一つ注文した。


『なんだってアタシがこんなこと……』


 注文を小さな声で復唱しながら駆け足でカウンターへと向かうバレンティナは、少年の微笑とその意図に思い当たると耳まで真っ赤にして胸の前を揺れる白い布地をギュッと握った。


 ジェニー・リーチの依頼は単純だった。


 『この店が閉店する明け方までフロアで給仕として働く』、ただそれだけだった。


 でも……とバレンティナは周囲の視線を感じながら自身の体を見下ろす。 


 バレンティナは上に胸元がゆるゆるの白いシャツ、下には裾にフリルのついたポケットだらけのロングスカートと黒のタイツを纏っている。首元は普段のマフラーの代わりに太めの黒いチョーカーを巻いている。


 いずれもジェニーに仕事着として強制的に身につけられたものでアムルゲートが擬態した鎧は没収されてしまっていた。曰く、そんなものは接客には邪魔だし鎧自体は高価そうだから、とのこと。


 豊満というよりむしろ薄い胸板のバレンティナにとっては上のシャツは少しどころか大分大きすぎた。


 彼女がその身を動かすたびに肌着や白い素肌が衆人の眼に晒され、男どもの冷やかす声がその都度あちこちからあがった。


「ねえユミ? もっと小さい上のはないの?」


 カウンターの向こうにいる小太りの――バレンティナがこの店に来た時にフロアにいた給仕――は困ったように頬をかいて


「この店であなたほど小さな子を雇ったことはないから多分無いわねぇごめんなさい」


 とバレンティナの頭ほどある乳房を揺らしながら葡萄酒の入った透明な器を手渡した。


「――」


 バレンティナは目を剥きながら前の巨砲と自身の絶壁を見比べて歯ぎしりをする。


 その背中に突然声がかかる。


「ねぇ、それボクのだよね? 早く持ってきてよお姉ちゃん?」


「えっ!?」


 それは彼女のすぐそばから聞こえたような気がして、柔らかさの中に剣呑な雰囲気を帯びていた。

 バレンティナは驚きで飛び上がらんとばかりに身を震わせた。


 恐る恐る振り返ると、先の少年がこちらをじっと見ながら血色の悪い腕で手招きをしている。


 バレンティナは慌てて人々の間をすり抜けて少年のところまで行くと葡萄酒を差し出した。


「遅れてごめんなさいね? はい、注文の品です」


 少年がそれを受け取り、そのままぐびぐびと飲んでいくのを見ながらバレンティナは新たに呼ぶ声の方へと向かった。


 子供が酒を飲んでいることや、こんな夜の街をふらついているという違和感を微かに覚えながら。


   *


「そういえばお姉ちゃん、お尋ね者の女勇者候補に顔似てるよねー」


「え? そ、そうでしょうかおほほほほ……」


「もう少し近くに来てくれない? 俺の武勇伝を聞いて欲しいんだけどさァ!」


 酔っ払いの戦士達に手を引かれ、酒気を帯びた息に顔をしかめるバレンティナとその周囲に群がる飲み客たちの様子をカウンター裏の扉の向こうから垣間見た眼帯の女は扉を閉めると背後にいる人物の方に向き直った。


 後方からは、客たちの馬鹿騒ぎした笑い声が漏れ聞こえている。


「久しぶりだね、ヴァーブル・サマル・。もう、10年くらい経ったかな?」


「14年と150日くらいだな。俺が西の大陸に連れられて以来だ」


 ジェニーは優しい微笑を浮かべながら、ヴァーブルの両頬を自身の掌で包む。


 その掌の、荒れ果ててボロボロな肌の感触をヴァーブルは感じた。以前あった時には、今の自分より若い娘だったというのに、年月の経過を否が応でも感じる。それはジェニーも同じだった。


「たくましくなったものだね、髭も生えたし」


「子供を扱うような態度はやめてくれ。俺はもうガキじゃないんだ」


「そんなこと言わんどくれよヴァーブル。私にとってはいつまでもあんたはグランギアのヴァーブル王子なんだよ? そういえば、フォールティ卿と奥様は?」


 ヴァーブルが首を振って両手の拘束から逃れようとするのをぐっと抑えながら、彼の額に自身の額を押し当てる。


 一瞬の赤面。しかしすぐに目を伏せると、おざなりに答える。


「二人とも死んだ。4年ほど前にな」


「そうか、それは残念だったね……」


 しばらく沈黙が続く。


 至近距離でお互いの瞳の奥をじっと見つめあっている。


「バレンティナに……彼女に、ああいうことを頼んだのは」


 その沈黙をジェニーは自身の言葉で終わらせる。


「ヴァーブル、あんたと直接話がしたかったからなんだ」


 額を離すと、ジェニーは胸元から何枚もの羊皮紙を取り出す。


 そこには赤黒い何かで幾つもの人物の名が羅列されていた。


「これは……?」


「反グランギアを誓った戦士達の血盟書だ。あんたが出てくればそれに応える仲間がこれだけいる」


「店の奴らもそうなのか?」


 ヴァーブルが扉の方を指し示すと、ジェニーは大半がねと言いながらこくりと頷く。


「15年前からグランギアを支配している裁罰竜姫エリーザは、このガーニッシュにある国家を尽く滅ぼしていった。家族や仕えていた主君を失った者も多いんだ。そういった生き残りはヴァーブル、あんたと同じく世界中で魔物と戦って力を蓄えながら復讐の機会を窺っているんだよ」


「そう、か……グランギア以外は、滅びたのか」


「ああ、もうこの大陸に人間による国家は存在しない。あるのはエリーザが支配する恐怖の国グランギアのみさ」


 ヴァーブルは頭を掻きながら顔をしかめた。


 自分の知らないところで様々な情勢が大きく変化していることへの戸惑いがその顔には滲み出ていた。


「せめて……銀の武装アムルゲートを取られてなければ……」


「アム……なんだいそりゃ? 魔王がどうにかしたっていうのかい?」


『なっ――余計なことを話すなヴァーブル・フォールティ!』


 自分がいなくとも話が進むので鎧のままで黙っていたアムルゲートだが、自分に関することが人の口を突いて出たのならばさすがに黙ってはいるわけにはいかない。

 

 ヴァーブルもその声に気づいたのか、ハッとしたように言葉を切る。


「いや、別に何でもない……そういえばジェニー」


「なんだい?」


「なんか妙に店の方が妙に静かじゃないか」


 扉の向こうは、先程までの騒がしさが嘘のようにしん、と静まり返っていた。


 いくらなんでも、全員が一気に酔い潰れるなんてことはありえないと考え、二人は個室を飛び出していった。


「……ジェニーにヴァーブル! 大変だよ! あのままじゃバレンティナが!」


 カウンター内で腰を抜かしたユミが指差す先には、呆けたように脱力した客たちと


「答えて? アンタは一体何者なの?」


「フフフフ、駄目だよお姉ちゃん。それならお姉ちゃんの名前を教えてくれないと!」


 スカートの裾を大きく翻しながら誰かから拝借した広刃の剣を振るうバレンティナと、その攻撃を身軽に避けながら不敵に笑う金髪の少年の姿があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る