第3話 『激闘 ~獣魔将軍ライオネルス~』中編

 *


 かぁああああああーー!


 バレンティナとアムルゲートが変化した直後、ライオネルスの開かれた口から極低温の冷気が吐き出され、一帯を凍り付かせる。


 ヴァーブルは巨大な盾の裏に身を隠し、銀の巨体は両腕で自身の体をかばって、それぞれ氷点下の死を耐えきる。


「くっ……冷た」


 銀の巨人は火炎魔法で自身の表面の氷を溶かし、ヴァーブルは全身を震わせながら、盾を持ち上げるとライオネルスがいた天井の一点を見上げる。


 しかし、そこにはただ爪痕が残る岩の壁があるだけだ。


「吾輩は、ここだ!」


 背後からの声と、衝撃。


 たたらを踏みながら、後ろを見やると巨大な影が両腕を振るいながらこちらに向かって突進してきた。


 ヴァーブルは舌打ちをしながら、剣の刀身を伸ばして、その切っ先で気勢を削ごうとする。


「しゃらくさいわ!!」


 しかし、伸ばされた刀身の先はライオネルスの手甲の爪によって弾かれ、さらに接近を許す。


 その爪が、ヴァーブルと巨人を射程範囲に捉えようとした時――


「うわああああ!!」


 バレンティナは叫びながらライオネルスの爪へと向かっていく。


 耳を刺さるようなけたたましい金属音と共に、巨人の剣とライオネルスの銀の爪が交錯する。


 その場で両者は自身の刃を振るい、相手の体を傷つけていく。


『勇者よ、無謀だ! いくら我を纏った貴様が魔武衆に匹敵するといえど、このような防御も考えない攻撃は愚策にすぎる!』


「黙ってろ! アンタは指図するな! そんなこと言って、アタシを利用する気しかないんだろう!?」


『落ち着くんだ! 我と貴様の間の同調シンクロが乱れると……』


「いや、落ち着いてなんて……うっ!」


 バレンティナとアムルゲートの間の魔力の流れが乱れていく。


 その結果……


 戦いのさなか、巨人の剣がライオネルスの体の表面に薄いながらも傷をつけていくのと対照的に、銀の巨人の滑らかな体の表面には傷一つついてはいなかった。


「流石の脳といったところか……その知啓を守る殻は、確かに最も固くないと、いかんからのう!!」


 より強く爪を叩き込んでやろうとライオネルスは全身の痛みに耐えながら爪を装備した腕に力を込めて痛恨の一撃を叩き込もうとする。


 しかし、その直前に目の前の異変に気づいた。


「ん――どうしたというのだ?」


 銀の巨人の表面がひとりでに無数の亀裂が走ったかと思うと、そのまま巨人の体はガラスのように粉々に砕け去り、その姿はバレンティナ・オクトーへと戻ってしまう。


 そして欠片が合体すると、ライオネルスにとっては馴染み深い銀色に螺旋状の一対の角を持つアムルゲートの頭部となって、ライオネルスの足元に転がった。


「バレンティナにアムルゲート? どうしたっていうんだ!?」


 後方で加勢の機会をうかがっていたヴァーブルは、突然の異変に困惑しながらも、バレンティナを庇うようにライオネルスとバレンティナの間に盾を翳して立つ。


 ライオネルスは、二人には眼もくれずに足元の銀色の球体を掴み上げる。


『や、やめろライオネルス! その爪だけでさえ、人への怒りを制御できなくなっている貴様が、二つ目を身に付ければ、取り返しのつかないことになる!』


「まだ言っておるのかアムルゲート! 我は、我が眷属の獣達のために、新たな魔王軍の秩序とならないといかんのだ。貴様くらい呑噬出来ねば、ならんのだァ!!」


 球体を掴んだ腕が高々と掲げられると、まるで水風船のようにそれはライオネルスの手の中で握りつぶされた。


「な――」


 眼をむくバレンティナとヴァーブルの眼の前でライオネルスの姿が変わっていく。


 手の中の銀色の断片は、ライオネルスの毛深い腕を伝って、彼の無骨な甲冑まで達すると、その肩甲や胸甲に定着して、そのシルエットを鋭角に変じさせていき、色もくすんだ鉄から銀色となる。


 身体と爪牙はより巨大になり、瞳には赤い殺意が宿る。


 轟――と、低く重厚な鳴動が空気を震わせた。


「さぁ、次は貴様じゃヴァーブル。ドグマリスとバリュージャの無念、晴らさせてもらうぞ!」


「……とんでもねぇ、こっちこそテメエの銀の武装アムルゲートをいただくぜ! ……おい、馬ども! バレンティナの傍で肉壁にでもなってろよ!」


 ヴァーブルはいまだに立ち上がれないバレンティナに歯噛みしながら、後ろの二頭の馬に向かって吠えると、そのままより巨大に変貌したライオネルスに向き直ると、剣を構えて盾を引き摺りながらライオネルスに向かっていった。


「アタシの、せいだ……アタシが冷静じゃなかったから、魔王も……このままじゃヴァーブルも……」


 バレンティナは己の無力感をかみしめながら、その背中を見つめる事しかできなかった。


 ジンジンと、ヴァーブルが乗っていた馬がそのそばに立つが


「ヒギ……!?」


 直後、ヴァーブルが乗っていた馬の頭部が突然破裂した。


 脳漿や鮮血がバレンティナの全身にしこたま飛び散り、その髪や服を汚す。


「ライオネルス様が交戦を始められたぞ! つまり人間共がこのライオネルス魔城に来たということ!」


「殺せ! 殺せ! 出来るだけ苦痛を与えて殺せ!!」


「獣であろうと人に与すれば殺せ!!」


 巨大な玉座の間の扉の向こうから、無数の獣の魔物達がぞろぞろと、こちらに向かっていた。


 今のは、その中の誰かがやっただろうことに疑いはなかった。そして、嫌でも認識する。このままぼぅっとしていたらこいつらに嬲り殺しにされるだろうことを。


 バレンティナは、折れかけた心を奮い立たせながら立ち上がると腰の銅の剣を抜いて、魔物の一群を睨む。


 黒く美しい髪も、きめ細かな白い肌も、魔獣皮の服と首元のマフラーも、血と臓物で酷く汚れていたが、それでもなお黒い瞳は美しく、凛々しい美貌はより一層輝いて見えた。


 外から吹き込む死の風に、首元のマフラーがバサバサと揺れていた。


 その横にジンジンがぶるる、といななきながら並び立つ。バレンティナはその雌馬に跨ると、叫ぶ。


「行くよ、ジンジン!」

 

 バレンティナは右手で剣を持ち、左手で魔法を発しながら魔物へと向かっていく。


 一方ヴァーブルとライオネルスは、その戦いの場を玉座の間から空洞で繋がる屋外のバルコニーへと移していた。


 そこは棘の城壁の上にあり、ライオネルスはそこから始末した死体を壁の棘へ向かって遺棄していた。


「破ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


「クソッ! 元々強いのが手が付けられないくらいになってやがる!」


 ライオネルスは無数の手足を操って縦横無尽に駆け巡りながら、拳による打撃と爪による斬撃を目にもとまらぬ速さでヴァーブルに浴びせていく。その速さは先程とは比べ物にならない。


 それに対してヴァーブルは、巨大な盾で体の前面に固定しながら、攻撃のために接近していくライオネルスに対して反撃するのに精いっぱいだった。刀身を伸ばしても、簡単に避けられるし、懐ががら空きになるしで、いいことは何一つない。


 重大な傷は追わされないが、相手にも有効打を浴びせられず、徒に体力を消耗していく。


 ヴァーブルにとっては、このままこの戦い方を続けるのは分が悪く思えた。


「何か……何か有効な策は……」


 ライオネルスの背中を暗闇の中、何とか視覚と聴覚で追いながら、思考をフル回転させる。


 ――そうだ。このバルコニーの下の城壁には、ライオネルスに敵対した人間たちの死体を晒し者にしている、無数の金属の棘が取り付けられているのだ。


 バルコニーの端から下をのぞけばすぐにそれは眼の前に現れる。


 そのほぼ地面と垂直のその棘の壁は下からはまだしも上から落ちて途中に引っ掛かれば重力によって、どこかしらが刺さるようになっている。


「やって、みるかぁ?」


 ヴァーブルは幾度となく襲い来るライオネルスの攻撃をはじきながら、少しずつ……また少しずつバルコニーの端まで移動する。


 バルコニーの端の壁の高さはヴァーブルの肩くらいで、ある程度の勢いがあれば、自分の盾に乗せてライオネルス程の巨体もそこに落とせそうだった。


 ライオネルスが、壁際のヴァーブルに迫る。


「追い詰められたなヴァーブルめ! 覚悟してその命を絶やすがよいわ!!」


 怪鳥音と共にライオネルスの連続攻撃を伴う体当たりがヴァーブルを襲おうとしたその時、ヴァーブルは深く屈むと、その上に巨大な盾を地面に対して鋭角にして立て掛けた。

 

「な、なんと!?」


 ライオネルスはヴァーブルの狙いに気づいたが、急には止まれず、そのまま盾を踏み台にして棘々の城壁へと真っ逆さまに落ちていった。


「やったか!?」


 バルコニーの端の壁に身を預けながらヴァーブルは、立ち上がり、そのまま背中越しにライオネルスの死体を見ようとするが、そこには元々あった死体や肉片しか見えない。


「なっ――」


 次の瞬間、ヴァーブルの周囲が一段と暗くなり、次いで声が頭上から響いた。


「やってくれたなァ、勇者ァアアアア!!」


 見上げると、ライオネルスが憤怒の表情を浮かべながらヴァーブルめがけて急降下をしてくるところだった。


 その背中には二対の巨大な銀色の羽根が羽ばたいていた。



「ぐ、がぁああああ!」


 ヴァーブルは、ライオネルスの手に体を拘束されると、そのままじわじわと締め付けられていた。

 全身がきしみ、口の端からは血の赤い線が流れていた。


「残念だったのう、ヴァーブル。吾輩としてもヤバいと思ったがな、だが我ら獣達の明日のためには、決して死ねぬのでなァ! 飛びたいと思ってそのように変化してくれるとは、やはり銀の武装アムルゲート……その中でもブレインは素晴らしい!」


 吠えるライオネルスに対して、ヴァーブルは何もできずにいた。銀の武装アムルゲートは彼の手を離れて床に転がっており、ライオネルスの幾度とない攻撃は彼の体力そのものを明らかに奪っていたのだ。


銀の武装アムルゲートは貴様をしっかりと握りつぶしてから回収してやる! さすれば四個……四個だぞォ!!」


『ごめん、なさい……父上……母上…………リ――』


 耳障りなライオネルスの声がだんだんと遠ざかり、脳裏には、大切な人々の顔が浮かんで――


「待ちなよ」


 嗄れた声がライオネルスの背後からかかる。振り向けばバルコニーへの入り口に、皮の服を着た黒の短髪の女が立っていた。


 その呼吸は荒く、体中は傷だらけで瞳も虚ろだった。


「ン? なにかと思えばお主は……我にブレインをくれた小娘ではないか!」


「バレ、ンティ、ナ……」


 その女……バレンティナ・オクトーの後ろから、小柄な雌馬が続いてやってくる。彼女、ジンジンの体も傷だらけで、床の上にバランスを崩して倒れてしまう。


「その傷……どうしたのだ?」


「アンタとヴァーブルがやりあってた時にアンタの部下がたくさん来てね。目ぼしいのは倒したよ」


 バレンティナは淡々と答える。ライオネルスは驚愕に獅子の顔を歪める。


「おい、小娘? 何をふざけたことを言っている? 我が同志を、倒しただと……?」


「あとはお前だライオネルス!」


「小娘が……許さん! 絶対に許さんぞ!!」


 ライオネルスはヴァーブルを放り投げると、攻撃対象をバレンティナに固定する。


 ヴァーブルは長い滞空時間とともに床に叩きつけられると呻き声をあげながら痙攣し、そのまま気を失った。


 バレンティナは銅の剣を振り上げてライオネルスへ向かって駆けていき、ライオネルスも無数の足を動かして一気に距離を詰めようとする。


 しかし、ライオネルスは急に全身が鉛で固定されたような感覚に襲われ、その動きが鈍っていく。気づけば、鎧に張り付いた銀色の欠片が剥がれ落ちて彼の無数の手足に張り付き、徐々に重さを増していた。


『――勇者よ、我が動きを封じている間に、コイツを……』


「アムルゲート……おのれ小癪なァ!!」


「喰らえライオネルス!」


 バレンティナはアムルゲートの言葉に一瞬、ピクリと反応するが特に何も言わずに大きく跳躍すると、ライオネルスの膝を足場に更に高く飛び上がり、ライオネルスの眼前で剣を大きく振りかぶり相手の眉間めがけて刀身を叩けつけようとする。


「ウ……オオオオオオオオオオオオオ!!」


 ライオネルスは咆哮と共に拘束を引き剥がすと、剣を振りかぶり無防備なバレンティナの胸板めがけて銀の爪を思い切り突き刺した。


「が……は……」


 バレンティナの体に、勢いよく爪が突き刺さり、あっという間に背中まで貫通。鮮血が辺り一面に飛び散った。


 銅の剣は手を離れてそのまま床に落ちた。


 彼女はモズによって枝に刺された蛙のように、四肢をだらりとさせて力なく項垂れた。


 ライオネルスはニヤリと笑みを浮かべて自身の勝利を確信する。


『ゆ、勇者――――!!』


 アムルゲートの叫び声が玉座の間に響き渡るが、それは岩の壁をむなしく反響するだけだった。


「安心しろアムルゲート。吾輩の手で貴様は再び復活するのだから…………むっ?」


 バレンティナの体を掴んで爪から抜こうと手甲がある腕を、自身の胸の前に動かすと、それと同時に手甲と鎧についた銀色の欠片がまばゆい光を放つ。


 その光は、段々と眩さを増していき、手甲と銀色の欠片はその形を崩していく。


「な――この光は? 何が起こっている!?」


 光の中、手甲の爪はバレンティナの体を離れると、手甲は欠片と共に形を崩し液状になってバレンティナの全身を包んでいった。


   *


 人が、家屋が、森が、炎に包まれていた。


「……アタシは死んだの?」


 炎を背後にして、バレンティナは、目の前にいる単眼の銀の球体を見る。


『ライオネルスの爪で心臓を突かれたのだ……まあ、死んだだろうなあ』


 単眼が、ただ真っすぐとバレンティナを写していた。

 バレンティナは無性に腹立たしくなって球体を掴む。掴まれた部分がぐにゃりと歪んだ。


「というか、アンタがどうしてアタシの前にいるの? ここはどこなの!? それに……それに……」


 口ごもるバレンティナに、アムルゲートは淡々と返す。


『我にもよくわからんが、これが夢うつつではないことだけはわかる。貴様に掴まれてるところは確かに痛いからな。まったく……なんだろうなあこれは』


 よくわからない空間で、勇者未満のバレンティナと、魔王のブレイン、アムルゲートは向かい合っていた。

 

 しかし、そんなことはどうでもよかった。どこだろうと関係ない。


 バレンティナはただアムルゲートにぶつけたかった疑問を目の前の彼にぶつけようとした。


「ねぇ、さっきライオネルスが言ってたことは本当なの? 銀の武装アムルゲートがアンタの体そのもので、全てが集まれば――」


『とある一点を除いて、事実だ』


「一点? それは一体何なの?」


『装着者を吸収するのは、我を纏った人間だ。だがな、貴様は我を纏っても存在喪失しない数少ない人間なのだ。そして、我は魔武衆共やヴァーブルや他の何某ではなく、貴様によって復活し、滅ぼされなくてはならない」


「……どういうことなの? アタシじゃないといけないって」


 バレンティナの心の中に、戸惑いが生まれる。自分じゃないといけない。


 それを、何ら高貴な生まれでも特別な血を引いてるわけでもない自分が言われることに違和感を覚えたのだ。


 そんな体質になった理由にも全く心当たりはない。


 気づけば、アムルゲートを掴んでいた手を離していた。


『武器には、使用する者が必要だ。だが、魔物は我を奉じて人を滅ぼす以外に価値を見出さず、人は我を使うことすら能わない。我が求めるのは、人でありながら我を思うがままに使える人だ。そのような者ならば、人と魔物の幾千年にもわたる不幸なる戦いに終止符を打てるのだ。それで、貴様は魔王を滅ぼして、真の勇者となるのだ』


 人と魔物の戦いは、いつごろから続いていたのかバレンティナもよくは知らなかったが、ブレイブ王国は魔王軍に対抗した勢力が建国したとかいう噂を聞いたことがあった。


 数千年という歴史をこの目の前の球体は戦ってきたというのか。


 不意に、単眼が下を向く。否、彼は人が頭を下げるように、身を前に傾けていた。


『頼む、それを成し得るのは貴様なのだ勇者よ。どうか、我を纏って共に戦ってくれ!』


「――違う! そうじゃない!!」


『え……?』


 バレンティナは掴んだ手を離すと、人差し指を単眼の目の前に突き出す。

 

 アムルゲートは、飛びあがってそれを避けながらバレンティナの表情を窺う。


「アタシは勇者じゃない! バレンティナ・オクトーっていうれっきとした名前があるの! ……せっかく教えてるのに、全然呼んでくれないんだもの」


『それはだな、一応我らは勇者と魔――いや、確かにそうだな。今の我は魔王ではない、只のブレインであり貴様の鎧だ。故に、貴様に我が命運を託そうバレンティナ・オクトー! 我を纏うのだ!!』


「ええ、アンタを装備して、アタシは――」


 真の勇者になる。その言葉とともに、二人の体はまばゆい光に消えていって――

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