第2話 『出立 ~先輩勇者と銀の武装~』後編
*
約2時間後、ヴァーブルは暴れながら喚き続けても自身を解放してくれる者がここをこないだろうことを悟ると、無言で自身の拘束をその怪力で破壊した。
そう、抜けようと思ったらいつでも抜けることはできたのだ。
しかし、こういう時に自力で脱出するのは、相手の不信を買うので得策ではないのだが、そんなことは関係なかった。
ヴァーブルは脇目をふらさず、服も身に着けずに月の下の街へと飛び出した。
「剣…………盾…………」
その頭の中には昼間に失った二つの武器のことでいっぱいだった。
その性能の高さや美麗さ。そして、王と大臣に教えられたそれが持つ絶大な力。
「銀の武装……取り戻す。あれがないと、救え、ない……」
虚ろな眼で周囲を緩慢に見回す。
すると、民家のうち、一つの扉が半開きであるのに気づいた。
その入り口の横で小柄な馬が寝息を立てていた。
ヴァーブルは反射的にその家に入ると、寝室に僅かな明かりが灯っているのに気づく。
漏れ聞こえてくるのは人間の寝息。
息の聞こえる方に歩いていき扉を開けると、白い痩身が月明かりに照らされていた。
「すぅ……」
バレンティナは体にかかった毛布をその悪い寝相で払いのけて、その身体も上下逆転させていた。
枕を踵で抑えながら、大股開きで。それでいて寝息は静かだった。
薄い胸を覆ったベージュ色の肌着が寝息に合わせて上下し、下半身の下履きは激しく体が動いたためか、腰骨の下までずり落ちている。
黒曜石のような美しいつやがかった髪が顔の半分を覆って、開放的な魅力を強調していた。
「バレンティナ・オクトー……」
ヴァーブルは、群青色の瞳にバレンティナの半裸を映して息を呑みながらバレンティナに近づくと――
瞬く間に彼の四肢を無数の触手が覆いつくした。
『勇者の眠りを、我が、見張っていないと思ったか? ヴァーブル・フォールティ?』
地獄の奥から響いたような低い声が、背後から聞こえる。
「違う……俺はただ、
『ならば、弱っているとはいえ生身の我に挑もうとしたわけだ? それとも勇者に夜這おうとしたわけではあるまいなぁ!?』
単眼が薄暗い寝室の中でひときわ赤い光を放つ。ヴァーブルは身を震わせながら弁明する。
「それがないと俺は、俺の願いを果たせねぇ。力が足りないんだ。……、バレンティナ
『……何やら、事情があるようだが。それが勇者を強姦する理由にはならんぞ?』
「より強くなって、あの魔物を殺す。そう誓って俺は故郷から逃げ出した。銀の武装とその伝説は、俺に希望をくれたんだ。だから、どんな手段を使っても取り戻さないといけないんだ」
逆に冷静になったのか、理性のこもった瞳でアムルゲートを見るヴァーブルの獣のような容貌にじっとしばらく見つめると一つ瞬きする。
『仕方ないな……我が譲渡してやろう。貴様に今朝奪い返した
「え……いいのか?」
ヴァーブルは八重歯をのぞかせながら、満面の笑みで背後の単眼を見る。
その単眼は、ただヴァーブルをじっと見て答える。
『然り。元よりまだこの勇者は力不足だ。故に、貴様にはこの娘が一人前になるまで、その剣と盾になるのだ』
戦いとは、一人だけで成立するものではない。
時に、一人ではどうしようもないこともあるだろう。その時に誰かほかに戦える者がいればそれはプラスとなる。
「大分気が長い気がするが、それには感謝するぜアムルゲート……それじゃあ、この触手を放してくれないか?」
戒めが解かれると、アムルゲートの体が光り、二つの十字架型のピアスがヴァーブルの両耳に付けられる。
『ヴァーブル・フォールティ。今のことは見逃してやる。貴様も翌朝の出発のために英気を養うがいい』
「はいはいっと……そんじゃああとでなー」
ヴァーブルは両耳にかかる重みに心を弾ませながらスキップをしながら部屋を出ていった。
アムルゲートはその後ろ姿を見送ると、無数の触手でバレンティナの体を目を覚まさないように用心深く持ち上げると、その身体を正位置へと戻し、毛布を上に掛ける。
アムルゲート自身はそのままバレンティナの真上の天井に無言でぶら下がって周囲への警戒をまた強めた。
夜が、段々と更けていった。
静かな死んだ街を、月明りが静かに見守っていた。
*
霊峰ブリザルド内、ライオネルスの魔城。
「フフフフ……素晴らしい、素晴らしいぞ! この
岩山をそのまま削って体を為したような玉座の間で、ライオネルスは興奮に身を震わせながら目の前の血だまりと、ばらばらの老若男女の人間の肉片を見つめる。
その手には銀色の爪がついた手甲が付けられていた。
当初は、その由縁を知るがゆえに、それを身に付けるのを避けていたが、つい数日前にちょっとした好奇心からそれを身に着けて振るってみると、身体の奥底から力と憎悪がみなぎってくるように感じた。
いつからだろう。奴らが我らを虐げ始めたのは。
いつからだろう。奴らが我らを虐げるのを当然だと思うようになったのは。
いつからだろう。我らのための戦いが、その性質を歪めたのは。
他の魔物達と自分たち獣が肩を並べて戦った記憶と、鬱屈とした感情が爪を振るうたびに鮮やかによみがえり、その感覚が鋭敏になる。
「やる気満々じゃねぇかライオネルス」
半透明の人外――そいつは肌がボロボロで、手足や口元には、明度が暗い骨が見えていて全身には無数の布が包帯のように巻かれている――が、ライオネルスの横に浮かんでいる。
そいつは自身の体をこのブリザルドに投影して自身の根城から直接ライオネルスの様子を窺っていた。
「イーザか……そうだとも、やはり人間を殺すのは気分がいいわい。奴らは我ら獣を散々虐げたのだ。現状は心苦しいが、この
「まだグチグチ言ってるのかよライオネルス? もう決まったことだし、むしろあれは貴様のような古株魔武衆の意向を汲んでやったところなのに」
投影映像のイーザは、両手を広げながら不満げに首を傾げる。
「確かに、吾輩をはじめとした古参の魔王へ抱いていた不満を、貴様ら若造の行動が発散したのは確かだ。だがな、吾輩は人間のみを殺し、虐げたいのだ。決して、
牢獄左官ドグマリスと牛鬼騎兵バリュージャが討伐されたことを、魔武衆達は人間……ブレイブ王国による宣伝によって知らされた。
それぞれの魔武衆の下へ自身の間諜を遣わしてはいたが、ドグマリスとバリュージャの下へと遣わした間諜は一緒に殺されたらしく全く情報が伝わっていなかった。
「あいつらは俺達とやりあう土俵に立つ前に、おっ死んだ。それだけだよ。残りの俺達で新しい魔王軍の長を決めるだけさ。そのための
イーザは冷たく言い放つ。そして、何処からか細長い棒のようなものを取り出すと、頭上でぐるぐる回し始めた。そうするイーザのライオネルスへの視線は、好戦的な光を放っているように感じられた。
「悪いが、吾輩はここに近づいているという
「はいよっと」
イーザの青い影は掻き消える。
ライオネルスは、大きく上に伸びをすると、玉座の間の一角を見やる。
「んー! んー! んー!」
そこには、猿轡を付けられた無数の哀れな捕虜たちが無防備に天井からつるされていた。
彼らは唸りながら、何とかそこから逃れようと全身を動かしていたが、その足は大地を蹴ることができず、芋虫のようにうねるだけだった。
「光栄に思え、人間」
ライオネルスは、彼らの目と鼻の先に銀の爪を見せつけながら吠える。
「我が爪によって死ねることをなァ!!」
怪鳥音と共に、鈍い肉を断つような音が何度も何度も、玉座の間に響いた。
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