第2話 『出立 ~先輩勇者と銀の武装~』中編
*
「やはりここにいたか、バレンティナ・オクトー……そうか、やはり城下町であったあの娘っ子だったか」
鉄製のプレート鎧をまとった赤髪の戦士、ヴァーブル・フォールティは、邪悪な微笑を浮かべて口元の八重歯をさらしながらマールの街の入り口で仁王立ちをしていた赤いマフラーと豪華な銀色の鎧を着た黒髪の女を群青色の瞳に写した。
その両耳には、十字架を模したような銀色のピアスが付いていた。
「さあねぇ? でもこんなところまで来て、しかもアタシの名前も知ってるとはどういう風の吹き回しなのかな?」
「それは、テメエが一番よく知ってるんじゃねえか?」
片手を振りながら首を傾げる彼女を、戦士の射貫くような瞳が突き刺さる。
『やはり、この男……我のことを……そして、おそらく
アムルゲートの、狼狽しきった声がバレンティナの耳に響く。
バレンティナは苛立ったように吐き捨てる。
「知ってようが知ってまいが関係ないでしょ! 戦わないと!」
「全部、聞こえているぞ!? バレンティナ・オクトー、テメエの持つ
嗤いながら叫んだヴァーブルの両耳の十字架は、その形を銀色の巨大な刀身の剣と、身を覆いつくすほどに大きい盾へと変えた。
ヴァーブルはそれを右手と左手にそれぞれ掴む。
『なん、だと……』
アムルゲートの愕然とした呟きがバレンティナの耳に響く。
『どうして、
「推測とか仮説はいいから! アンタがやる気じゃないと負けるって!」
『そ、それもそうだな――――
バレンティナが叫ぶと、アムルゲートはハッと我に返り、戦うための宣言を口にする。
アムルゲートは、鎧から銀色の球体、そしてアメーバ状の物質へと姿を変えると、バレンティナを飲み込んで、その姿を腹部に単眼がある首のない両翼の女神へと変える。
「これが……アタシの……!?」
バレンティナは、その意識を保つことに成功し、両手を胸の前で振ってそれを見つめていた。
しかし、あるべき所に頭部はなく、何処から見ているのかは、自分自身わからなかった。
「これが、
ヴァーブルは凶悪な笑みを浮かべると雄たけびを上げながら、銀の巨人へ向かって駆けていった。
『来るぞ勇者!』
「わかってますって!」
巨人も、両手に力を込めて爪を立てながら、半身になってヴァーブルに向かって進んでいく。
一体どうしてこの男がアムルゲートのことを知っているのか、そしてなぜ襲ってくるのか。
それについての正答を今ここで導く出すには時間がなさ過ぎた。目の前の敵対者を何とかすることが最優先だとバレンティナもアムルゲートも考えていた。
巨大な盾を地面に引きずりながら、その男は剣を振り上げて接近してくる。その速さは、盾を引きずっているとは思えないほど速かった。人並ならぬ膂力を持っているのは疑いようがなかった。
「こんな程度!」
左手で剣を掴むと、右側から飛んでくる盾の側面を手で受け流す。
しかし、ヴァーブルはそのまま剣を支点にして宙に浮きあがると、並外れた怪力で盾を引き戻して振りかぶって、巨人の両肩の間に思い切り叩きつける。
バレンティナの全身を振動と痛みが走る。衝撃で左手の剣が拘束を逃れると、ヴァーブルはすかさず剣戟を巨人の体の前面に浴びせた。
「がぁあああああああ!」
再度の激痛。それによって銀の巨人はその動きを鈍らせて、何度もヴァーブルの攻撃を浴びて、また動きが緩慢になっていく。
「くっ……強い! アタシはまだ足りないのか!?」
魔武衆を複数倒しただけのことはある。
ヴァーブルはアムルゲートを纏ったバレンティナをその技量と怪力で完全に圧倒していた。
今のバレンティナの単純な能力自体は人間に到達しえない数値ではあるのだが、バレンティナは手も足も出ない状態に陥っていた。
断続的に彼女の五体に痛みが走り、それが体勢の立て直しを困難にしていた。
『勇者もまだ病み上がり……そしてまだ我等の
「そんな……このままじゃ」
負ける?
負けたらどうなる? 恐らくこの男は銀の武装であるアムルゲートを狙っていて恐らく狂気に落ちている。
そんな奴の前に生身を晒したら、おそらくアタシも死んでしまうだろう。
思案している間も、地面に膝をついた首なしの女神の上に剣戟と盾による打撃が降り注いでいた。
「この程度とは……所詮は勇者にすらなる前のドシロートって……わけかい!」
叫びと共により強く剣と盾が叩きつけられ、銀の体がしゃげる。
ヴァーブルは武器を振り下ろすたびに、気づけば狂った笑い声をあげ続けていた。戦いの興奮と、両手の武器がもたらす高揚感が、彼の神経を犯しているのがバレンティナとアムルゲートにはわかった。
「ヒャハハハハハ!! 潰れろ! 潰れちまえ!! …………そういえば脳はどんな武器になるんだろうなあ? やっぱり鎧? というかどうやったら剥がれるんだコイツ? この剣をバリュージャから奪ったみたいに、盾にくっつけて引っ張ってやる……かァ! ヒャハハハハハ!!」
激痛と振動で視界が乱れていく。
その中で狂気と紙一重の冷静な思考が見え隠れするヴァーブルの様子は、不気味としか言いようがなかった。
しかし、アムルゲートは何かに気づいたかのように唸る。視界が少しだけ
『……そうだ、奪えばいいのだ』
「奪う?」
体を突き刺す痛みに耐えながらバレンティナは反応する。
『然り。
「ちょ……ちょっと待って!? 自己完結しないでって!?」
バレンティナの困惑など知ったことかとアムルゲートが叫ぶと、銀の巨人の全身を魔力がほとばしる。
腹部の巨大な瞳が赤黒く光ると、暴風をまき散らしながら、巨人に向かって振り下ろされた二つの武器をものすごい力で引っ張っていく。
「な、何が? ……だがこれは俺のモノだ!! うおおおおおおおお!!」
ヴァーブルは手放すまいと気合を吐き出しながら、力いっぱい足を踏ん張って、柄を掌から血が溢れんばかりに握って自身の方に引っ張る。暴風で揺れる髪の下で群青の獣の瞳がギラリと輝く。
しかし、剣と盾を引く力はそれ以上に強かった。二つの銀の武装は、ヴァーブルの手を離れて巨大な単眼の中へと吸い込まれていき、けたたましい金属音と共に、尻餅をつく。
ヴァーブルも引っ張った勢いでもんどりうって後方へ倒れる。
『よし、成功だ! これで二つの武装を取り戻したぞ!!』
「でもこの虚脱感……何度も使えるもんじゃないね」
巨人は、ふらつきながらもすぐに立ち上がる。その全身はひび割れて、ツヤを失っていた。
体を構成する力を周囲の全てを吸収する力へと変換するために多くの魔力を消耗し、今すぐにでも結合が解れそうになっていた。
「あぁ……」
ヴァーブルは上体を起こすと、この世の終わりのような表情で、銀の巨人を見つめていた。
震える手を眼前の巨人に伸ばして
「あの力がなくては、俺の、願いは…………叶わな――」
そのままぷつんと糸の切れたようにあおむけで地面に倒れた。
その直後、銀の巨人もそのシルエットを二つに別った。
*
「たしかに、いきなり襲ったのは悪かった。でもな、こんなにぐるぐる巻きにすることはないだろう!?」
戦いから数時間後。
それが、意識を取り戻した戦士の第一声だった。
彼は縄と鎖でぐるぐる巻きにされたうえに、無数の重りが両足についた枷につながれていた。
まるで罪人のような姿であったが、朝方見せた人並外れた膂力を考えればこれでも足りないように見えた。
彼がいたのは、木造家屋の客間であり、部屋の中を蝋燭がたくさんついた燭台が照らしていた。
「気絶してる間に殺されなかっただけ感謝するんだね、ヴァーブル・フォールティさん?」
彼の横を歩いて来たのは、赤いマフラーを首に巻き、魔獣の皮でできた服を着た黒髪を肩のあたりでバッサリ切った女だった。
女……バレンティナは、その手に金の印字が刻まれた羊皮紙をひらひらと揺らしながら、男……ヴァーブルの前に机を挟んで座った。眼前でじっくりとその勝気な表情と、染み一つない白い肌の艶やかな美貌にヴァーブルの胸がずきりと痛んだ気がした。
「それは俺の勇者候補証明書! テメエ勝手におれの荷物を漁ったな!!」
そこには、彼の名前や身長体重などの個人情報や、彼の戦歴が全て載っていた。
彼女が彼のそれを手に持っているということは、彼の全てが知られたということだ。
ニヤニヤ笑うバレンティナに歯軋りするヴァーブルは、ふと自分の体がやたら開放的で、縄や鎖がやたら身体に食い込んでいるのを感じ――
「しかも服を剥ぎやがった! なんて悪い手癖だ……もうお婿にいけないぞこの野郎!!」
「あははは! ……でも、何か怪しい人だったら何か隠し持ってるんじゃないかって漁るのが人情かと思うけど?」
勝てば官軍負ければ賊軍ともいうが、バレンティナからすれば自身が負ければ鎧を取られたうえ、命があるかも怪しかったのだ。同時に、自分とアムルゲートのことを知り得た理由を探すのは合理的に思えた。
「だからねえ、教えてよ? アンタは誰にアタシのことを教えられたの? それにどうしてそれを狙ったの?」
ヴァーブルについては、もしかすれば彼が倒した魔武衆に教えられたのかもしれないが、それだけだとまだ勇者候補になったばかりのバレンティナを知っている理由にはなり得なかった。
ヴァーブルは、固く口を閉ざし、視線をあらぬ方向へと逸らした。何も答える気はないという態度だった。
『そうか、そうするならば。仕方ないよなぁ?』
だみ声が響いたかと思うと、バレンティナの右肩のあたりに銀色の球体……アムルゲートがその単眼を見開きながら現れ、ヴァーブルの眼前で静止する。
「あん? なんだって言うんだこの野郎?」
眉間にしわを寄せて単眼に睨み返すヴァーブルの首元に冷たい何かが当てられる。
それは、球体の一部が変形して現れた剣の刀身だった。
片刃の剣の切っ先が、ヴァーブルの首にわずかに刺さり、そこから血がたらりと流れた。
『この通りだ、ヴァーブル・フォールティ。もし吐かないなら貴様の首を即座に刎ねる』
淡々と、アムルゲートは答え、剣を更にヴァーブルに押し当てると、傷は広がり血の勢いは増していく。
「ぐあ、ああああ……!」
ヴァーブルは額に汗の玉を浮かべて痛みに掠れた悲鳴をあげる。血が彼の体を戒める縄や鎖にもこびりついていった。
『聞きたいのは、そんな聞き苦しい呻きではない。我が勇者の問いに答えよ!』
単眼の中の黒目が赤く光り、アムルゲートの二対の螺旋の角から唸りを上げる耳障りな旋風の音が二人の人間の鼓膜を揺らす。
「ぜ、全部話す……だから、その剣を当てるのは勘弁してくれぇ!!」
ヴァーブルは、涙を流して顔を恐怖で歪めながら叫び続けた。
『……いいだろう、許す』
アムルゲートは剣を引くと、不穏な旋風を収めて机の上にべちゃりと『着陸』してその丸い体をスライムのようにぐにゃりと歪めた。
同時に、ヴァーブルの首の激痛がだんだんと失せていくのを感じた。
「これは?」
「色々話してもらうのに、怪我したままじゃいやでしょ? だからお願いだから話して?」
「あ、ああ……」
バレンティナは、机に左手をついて、右手をヴァーブルに向かって翳していた。緑色の治癒の光がヴァーブルを包んでいる。
それは初歩的な治癒魔法ではあるが、彼の傷をいやすのには十分だった。
その掌とその向こうに見えるバレンティナの脇のしわにしばらく見入った後、傷がないのを確認するとヴァーブルは語り始めた。
その夜、王国の謁見の間で教えられたことを。しかし、ヴァーブルはある一点を除いて話さなかった。
それは、ゴレンという男の存在と彼が語っていたことの多くだった。本能的に、これを話してしまうと自分は命が危ないのではないかと感じてしまったのである。
「……『銀の武装を持つ者は、この世界において、一つの道の覇者となる。銀の武装は合わせて八個存在する。全てが揃ったとき、その使い手に力を与え、その願いを叶えるだろう』、か。王国にそんな記録が残っていたんだね」
それなら、銀の武装を装備していてその狂気に汚染されていたヴァーブルが、同じように脳を持っていると伝えられたバレンティナの存在を教えられれば、襲っても不自然ではないとバレンティナは考えた。
しかし、アムルゲートはそうではないようだった。
『妙だな。そうだとしても勇者が我を持っていたことを国王が知り得た事への証明にはならない。おいヴァーブル。本当にそれだけなのか!?』
単眼がヴァーブルを映すが、ヴァーブルは首を横に振るだけだった。
「確かに国王がそれを知っていたのは解せないけれど、それならアタシがライオネルス討伐を命じられたのもなんだか理由がわかってきた気がするよ」
簡単だ。アムルゲートを装備しているゆえに、ある程度の実力差などカバーできると思ったのだろう。
『……』
アムルゲートは、何度も瞬きをしながら、黙って机の上を転がり始めた。思考がショートしたらしく何を言っても反応がない。
バレンティナはそれを見ると
「そういえば今日は疲れたね……あとは明日に回して、寝ちゃおっか」
欠伸を一つしながら、蠢く銀の球体を抱えてその部屋から去っていく。
扉が強く閉められると、その部屋の中には、縛り付けられた
「え……ちょっと待って」
ヴァーブルは、自身の拘束された体を見下ろした後、呆然と閉められた扉を見つめていた。
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