第1話

 薄暗い森の中に小さな屋敷がポツンと建っていた。

その屋敷の地下室で女はフードを深めに被り、グツグツと沸たくる大鍋を笑みを浮かべながらかき回している。


「ふふっ……全て滅びよ……。滅ぶがいい……」

「おーい」


 ふと、外から青年の声が聞こえてくる。女はそれを無視し、鍋をかき回すことを止めなかった。


「慈悲などはいらぬ…慈愛などは存在せぬ……」

「おーいってばぁー!」

「滅びよ、滅びよ……」

「んだよ、もぅ…。まぁいいや。お邪魔しまーす」


 青年は屋敷の中に入ると廊下を歩き、地下へと続く階段を下りる。

 足元を照らす電球はチカチカと光り、今にも消えそうだ。

「あー、そろそろここの電球も変えないとな」と、呟きながら青年は徐に階段の先にある扉を開ける。


 ――ガチャ。


 青年は部屋に入ると、扉のすぐ近くにあるボタンで部屋の電気を付けた。

そして、コートを羽織ってブツブツと呟く女の背中を見つけると苦笑いを浮かべ「またそんな事してるのか?」と、言った。


「滅びればいい……何もかも、全員……ふ、ふふふ……」

「て、無視かよ。お~い、エメラルダァ~?」

「死ね……呪ってやる……」

「エメラルダちゃん、聞いてますか〜? おーいってば」

「う……」

「う?」

「う、る、さ、い、わ、ねっ!!」


 エメラルダは勢いよく振り向くと、目深に被っていたフードを剥ぎ取る。すると、フードに収まっていた漆黒の長い髪がふわりと腰まで流れ、菖蒲色の大きな瞳で青年を睨みつけた。


「毎回毎回なんなの貴方?!」

「いや、だから、俺はアランだって名乗って――あ、見た目のわりに、やっぱり中身はあれなのか?」

「知っとるわ! 名前を聞いたのではない! それに、なにさらりと失礼な事を言っている!!」

「あぁ、すまんすまん」


 あはははっと笑いながらエメラルダの頭に手を置く青年――アラン。

エメラルダはアランの手を払い除け、一歩後ずさりアランから距離を置いた。


「子供扱いもやめい!」

「つれねーなぁ」

「ふんっ!!……で、今日は何の用?」

「塗り薬を貰いに♪」


 その言葉にエメラルダは唖然となる。


「は? え? 塗り薬……??」

「うん、そう♪」

「いや……あの……それこの前渡しました、よね?」


口を開け唖然としながらもアランに尋ねるエメラルダにアランはキョトンとした顔をした。


「あれ、急に敬語? まぁ、敬語も可愛いから俺としてはどっちでもいいんだけどね♪」

「話を逸らさないで!」


 アランはエメラルダから目を逸らし何も無い天井を見上げ頬を掻く。すると、突然、素直にエメラルダに向かって頭を下げ始めた。


「はい、すみません」

「で、中身はもう無いの? 無いの?!」


 アランは黙ったまま頷く。エメラルダは額に手をやるとふらりと倒れそうになり、近くにあったテーブルに手をついた。


「あ、あり得ないわ……。そんな直ぐに無くなるなんて……」

「ほら、俺ってこの森でも生き倒れるぐらいだから♪」


 黒鳶色くろとびいろの髪を無造作に掻き、アランは瑠璃色の瞳を細めてニコッと笑う。それを見たエメラルダは、またアランから顔を背けた。


「ふんっ! そもそも、どうしてそんなに傷が出来るか私には理解不能だわ!」

「ん? ん~……まぁ、ねぇ? あははは」


 曖昧な返事を返し、アランはまた笑う。エメラルダにはそれが何となく、気持ちにモヤが出来るみたいで不愉快だった。


「………ふん。まぁ、いいわ。そこで待っておれ」


 棚に陳列されている中から空の瓶を手に取ると、先程大鍋で煮込んでいた物を木で出来たお玉で掬(すく)い瓶の中に入れる。すると、最初は茶色かったドロリとした物が瓶の中に入った瞬間、それは瞬く間に真っ白な物へと変化した。


「いつ見ても不思議だな」

「当たり前じゃ。この私が作ったのよ」

「まぁ、それもそうなんだけどさ」

「ほれ、持って帰れ」


ズイッとアランに瓶を渡すエメラルダ。

アランはそれを受け取るとエメラルダに礼を言った。


「いつも有難うな。……あ、そうだ。これからさ、デートしない?」

「はぁ?!?!」


 唐突に言うアランにエメラルダは驚き、思わず手に持っていたお玉を落としそうになる。


「な、何よ急に――?!」

「何となく♪」


 相変わらずの微笑み仮面がエメラルダには無性に腹が立った。

エメラルダはお玉から手を離すと腕を組み、プイっとアランから顔を逸らし「こ、と、わる!」と言った。


「えー……」

「えー、じゃない! 私は、もう人間と関わりたくないの! わかる?! 魔女の中で私だけ……この私だけが宴に参加されなかったり……ちょ~っと羨ましいから悪戯してやったら、指名手配にされて狩人達に追い回されたり!」

「まぁ、それは……うん……」


(自業自得だよなぁ)


 アランはそう心の中で思ったが、そこは敢えて口には出さなかった。

 口に出すと手がつけられなくなりそうだからだ。

 アランは怒っているエメラルダを元気付ける為にフォローを入れるようにまたデートに誘う。


「でもさ、あれからもう何千年も経ってるんだから大丈夫だって! な? 行こうぜ」

「い、や!! 絶対に嫌!! 人間なんて信用出来ない!……そう、あの時もそうだった。姫を少〜し眠らせただけで怒り狂った国王や狩人達から逃れて数十年後のあの時――。森の中で生き倒れていた子供を趣味で作っていたお菓子の家に招いて、お腹を空かせていたようだったから色々食べさせてあげたら……食べさせてあげたのにぃ!!」

「釜戸の中に入れられたんだろ?」

「そうなの!! あの時は驚いたっていうものじゃないわよ!! 死ぬかと思ったわ! 少し脅かしてあげようかと思っただけなのに……っ……」


 エメラルダは拳を強く握り唇をガリッと噛む。目には薄らと涙が浮かんでいた。


「酷いわっ! あれが、お菓子専用の炎じゃなかったら死んでたのよ?! 最近の子は冗談も通じないの?!」


 アランは溜め息を吐きながら近くにあった椅子に腰掛ける。それからもエメラルダはグチグチ長々と昔の思い出をふり返っては、悔しそうな顔をして自分の世界へとトリップしていた。

 アランは椅子の肘置きに腕を起き、語り続けるエメラルダを見て再び溜め息を吐く。


(こうなったエメラルダは長いんだよなぁ……)



 ――その数時間後。


 アランは、ふぁ~と大きな欠伸をし伸びをする。

そんなアランを見てエメラルダは腰に手を当て、ぷくっと頬を膨らませた。


「ちょっと、人の話ちゃんと聞いてるの?!」

「はぇ?……あぁ。聞いてる聞いてる」

「もうっ!」


(歴史的有名な悪魔のような魔女が、実は可愛い女性で子供みたいに拗ねるって事実を知ったら、全員笑うだろうな〜)


「あははは」

「何が可笑しいのよ……」

「別になんでもないよ。さて、と」


 アランは膝に手を当て椅子から立ち上がると、エメラルダをジッと見つめる。エメラルダはきょとんとした表情でアランを見つめ返すと、アランは「ふぅ」と息を吐きエメラルダに向かってニコッと微笑んだ。


「エメラルダ。俺、そろそろ帰るわ」

「え……?」


 その言葉に、エメラルダの目が点になる。


(な、なによ! ついさっきは、デートに誘ってきたくせに!!)


 無意識の内に自分のスカートの裾をぎゅっと握るエメラルダ。

エメラルダはアランから目を逸らし、ボソリと呟いた。


「……やっぱり、人間なんて信用出来ないわ」

「ん? 何か言ったか?」

「別に……」


 顔を見たくないので、エメラルダはアランに背を向ける。

その方向が丁度窓の方で、エメラルダは外の景色を見て唖然となった。


「え、嘘……もう、こんなに暗いの?」


 慌てて柱に掛けてある時計を見ると時間はもう18時半を指していた。


「気づかなかったのか? って、まぁ、いつものことだから仕方ないか」

「…………」


 腰に手を当て苦笑いを浮かべるアラン。


「デートはまた今度だな。じゃぁな、エメラルダ。また来る。だからそんな残念そうな顔をするなよ」

「なっ?! も、もう来なくていいわよっ!」


 アランは手を軽く振ると扉を開け、そのまま地下室を出て行ったのだった。

 扉が閉まるその瞬間までアランの背中を見つめるエメラルダは何も無い床をコツンと蹴る。

 アランが居なくなって地下室は普段通りに戻っただけのに、心なしか部屋が広く感じた。

 エメラルダは、また頬を少しだけ膨らませ拗ねるように「なんなのよ、もう……」呟いた。

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