十一話目 仁

「あつつつ...何も叩くことないじゃん」


 頭をさすりながら三七に抗議する.

 余計なジョークの代償は高くついたようだ.まるで金だらいが落ちてきた後の様なコブが出来ていた.


「あぁぁ!3年生も無遅刻無欠席,完全無欠の皆勤かいきん賞狙ってたのに....っはああぁ」

「幸せが逃げるよ.っていうか今日準備登校だよ?出席日数に入んの?」

「入るよ!」


 三七の視線はいつもより下を向いていて,隣からいかにも『絶賛ヘコんでます.話しかけないでください』というオーラをビシバシと感じる.

 鈍感な陸奥ですらそれを感じるんだから普通の人ならもっとだろう.現に道を歩いている赤の他人が思わず振り返ってしまうくらいだ.


「べ,別に逃したところで何も貰えないんだから.そろそろ元気出して!こんなに天気良いし!」


 天気も今の三七の気持ちを表しているのだろうか.さっきまで雲量0の晴天だったにもかかわらず,何故か曇り始めてきていた.

 三七も無駄話に付き合っていたことは事実だが,相談を持ち掛けたのは陸奥からだ.三七が皆勤賞をとれなくなった原因の一端を担いでいると言えなくもない.そのことから押し寄せる罪悪感に居たたまれなくなる.


「ほ,ほら!駅前のパン屋で餡パン買ってあげるからさ!」


 そう言うと三七の目に精気が少し戻る.


「やっぱ今日人多いね」


 陸奥は話を変えるために先ほどから気がついていたことに話題を振る.

 今日は明らかに人が多い.


「そうね.やっぱりあの祭りがあるからね.あのバカな祭りが」


 近所の築地にある三船工業大学で毎年この時期になると催される『春の酒祭り』.

 高校一年の時にこっちにきて初めて見に行ったが,とても一つの大学でやる祭りとは思えない程の規模と熱気だった.市や県が主体で行なっていても驚いた事だろう.

 名前を最初に聞いた時は何て酷い名前なんだと素直にそう感じた.SNSやネットを騒がせているチャラチャラしたロクでもない大学生が跳梁跋扈ちょうりょうばっこし,ただ騒ぐだけだろうと思った.


 高一の時に知り合ったばかりの陸奥に誘われた時は正直行きたくなかった.しかし何度断っても誘ってきた陸奥に負けて,また私の予想が正しい事を確かめるために付いて行って祭りを見回った.


 そこで私の予想は覆されたのだ.

 確かに髪が長くて売れないホストみたいな格好の人達もいたが,それ以上に優しそうに作った料理を配るお姉さんや溌剌はつらつとして呼び込みをしている男の人達が多かった.


 三七の地元の周りには大学というものがなかったのでテレビで問題になっているような輩が多いんだろうと,あまり良いイメージを大学生に対して持っていなかった.しかしこの祭りで初めて大学生を直に見てみて苦難を取り超えて得た知性と高校生にはない大人らしさを感じ,それらを兼ね備えた大学生に対して憧れを抱いた.それ故にこの祭りは三七にとって思い入れがある行事だった.


「酒祭り,今年で50周年らしいよ」

「半世紀もよく止められずに続けてこれたよね」

「後で行こっか.私は早くたこ焼きとお好み焼きが食べたい!」

「そうね.詩織とソフィも誘ってね」

「...ちょっと下見で行ってくる?」

「だめに決まってるでしょ!それにちょっと掃除して終わりなんだから」


 いつもより早足だったため,学校にはいつもより早く着いた.


「こ,怖いから三七が先入ってよ」


 昇降口で靴を履き替え,階段を駆け上がり2-8組の教室の前まで来て陸奥が怖じ気づく.まだ新しい先生も発表されていないし何組だかも発表されていないので今日は2年だった時の教室に集合することになっていた.


「ま,まあそんなに怒られないでしょ」

「そうだよね!春休み開けたばっかだし!」


 三七も少し強がっていたが遅刻するなど生まれて初めての出来事だったので少し緊張している.

 なかなか教室のドアを開けるのに覚悟がいる.しかしやるしかない!

 意を決してガラララとドアを開けると中にいる全員の目が三七に向く.


「一文字,お前が遅刻なんて珍しいな」

「すいません,先生!」

「新学期早々遅刻は困るぞ.っまあ一文字は真面目だからな」

「はい,以後気をつけます」

「Hey先生!それじゃあ儂らが常識の伴っていない,社会不適合者の様な印象を受けますぞ」

「そう言ったつもりだ.っていうか英語圏っぽい呼び方と話し方が合ってないんだよ.どっちかに統一しろ」

「これは失敬.初登場なもんで少し緊張してしまったYo!勘弁してくれYo!」

「っせーバカ」


 2年の時の担任だった伊原が荒い言葉で生徒を叱責する.


「いいかー,『常識人』なんてもんはお前らには過ぎた称号だ.常識人と思われたいならもう少し落ち着いた行動を心がけろーよし三七,席に行け」


 予想より怒られなかったことに対して三七がホッとしながら席に向かう.すると後ろからもう一人の遅刻者が入ってきた.


「壇ノ浦!またお前は遅刻しおってからに!毎度毎度注意するこっちの身にもなれ!」

「先生!三七と全然対応が違うじゃないですか!贔屓だ,横暴だ,差別だ!」

「差別じゃない.これはエコだ.エコロジーなんだよ」

「私は一体何なんだ!」

「それはなあ.お前を教えてしばらく経つが,俺にもよく分からん.なんか腕と足っぽいのが2本ずつあってそれから頭部がある事最近分かってきた.それから骨盤の大きさから恐らくメスだろう.ここまでくると...そうだなあ哺乳類.ゴリラ,チンパンジー,猿.まあほかにも大穴の人間枠があるんだが.まあ大方この4つの内どれか何だろうというところまで漕ぎ着けている今日この頃だ」

「そんな近況報告はどうでもいいんですよ!もうちょっと言っておくと私は人間だ!」

「まあ聞け.分別される事でゴミはただのゴミからリサイクルされ,また使い物になる.ペットボトルしかり紙しかりな」

「なるほど!バカな私にもまだ希望が!」

「結局その後またゴミになるんだけどな」

「じゃあ私はどうすればいいんですか!エンドレスゴミ,ネバーエンディングストーリーじゃないですか!?」

「はあ!?ネバーエンディングストーリー舐めんなよ.今でこそほとんど読んでる奴なんかいねーけど,本めっちゃ太っっっといんだぞ!すげー面白いんだぞ!」


『果てしない物語』.私も何がキッカケで読み始めたか,とんと忘れちゃったけど読んだことがある.確かに相当分厚かった.


「もうあれだな.お前の心を正すためにはちょっとやそっとじゃ治らんだろ.みんな〜なんかいいアイディアはあるかー?」


 三七が黒板を見ると体育館や中庭1などの場所の名前と班の番号などが記されていた.恐らく掃除の分担をしていた様だ.


「センセー」

「なんだ吉祥寺」

「吉祥寺じゃないですよ!蓮馨寺ですよ!もう何回言ったら分かるんですか!」

「まあどっちも一緒だ.寺はしょせん寺だからな.で?なんだ?」

「もう陸奥の野郎の性根はちょっとやそっとのテコ入れじゃあ治らんでしょう.今までの行動がそれを物語っている」

「まあ確かにな.んでどうすんだ?それじゃあただの問題提起だろ」

「なので我輩はいっそ骨格から組み直す必要があると考えてます」

「私に人造人間になれってか!?」

「じゃあそのプランでいこう」

「行っちゃうんですか!?」

「まあ遊びはこのくらいにしておくか.授業の時間が勿体無い.まあこれに懲りたらお前ももう遅刻すんなよ」


 しかしこんなもんで懲りたらこんなに怒られないのである.


「ふっ.明日はこんなもんだと思うなよ!」

「いい加減にしないとDr.ゲロ呼んで来んぞ」

「嘘です嘘です!可愛い生徒の小粋なジョークじゃないですかー,もう」


 変な汗を額に浮かべて,必死にウインクする.


「っはあ.もういい早くお前も席に行け」

「おー!先生太っ腹!大好きだから!」

「まあ大好きでも,ダイオオイカでも唐十郎でもなんでもいいんだけどよ.次遅刻したら…まあいいや」

「何その思わせぶりな次回予告みたいな終わり方!」


 ツッコミを無視して伊原はシッシッとジェスチャーをしている.


「それでー話を戻すが.この前返し忘れた小テストはさっき返却した通りだ,後で遅刻してきた2人は受け取りに来―い」

「平均点は7点だったから,まあまあ良い結果だな」


 そういえば春休み前にテストしたなあ.


「特に微分というのは顕微鏡の役割があって,それをすると関数がどんな概形になるのかとかが分かる.この範囲のポイントは微分とは何なのか,どういう意味があって,何が分かるのかをきっちり押さえると随分楽になる.考えてどーしても分からなかったらできる奴に聞くなり俺に持ってくるなりしてくれ」


 本当に不思議でしょうがないのだが授業自体は結構真面目にする先生なのだ.


「しかしなお前ら,この『担当の数学教師の苗字を漢字で書け』の問題なんかはみんな解けると思ったんだがなあ.予想外の正答率の低さだったぞ.伊原だぞ,いはら.伊勢海老の『伊』に戦場ヶ原の『原』だぞー.大学入試でも狙い目だから覚えておくよーに」


 生徒の方からぶーぶー文句を言われるが,そんなのどこ吹く風という感じで自分勝手に話を進める.


「なんだ,犬屋敷」

「『犬』じゃ無いって!『猫』だって!」

「分かった分かった.で,なんだ?」

「宿題は回収しないんですか?」

「あ,そーいや忘れてた.おっしじゃあ後ろから回してこい」


 確信犯


「おいおい合戦!そりゃあねーだろ!お前はまたいらん事を!やってないこっちの身にもなれ!」

「うるさい神鉄!新入りのくせに!」


 もうすっかり染まってしまった3ヶ月半まえに転向してきた神 鉄舟.ついたあだ名は神鉄てっしゅう.いや,染まったというより元々こんな感じだったっけ?


「あーあー出た出た.合戦のKYっぷりは相変わらず飛ぶ鳥をぶち落とす勢いだな」

「忘れたやつはゴリラアタックの刑な」

「な,なに!?ゴリラアタックだとおぉ!?」

「あんなのやられたら命いくつあっても足りねえぞ」

「ああ,正気の沙汰じゃねえぜ!」


 みな伊原の一言に戦々恐々し始めた.宿題を忘れたのは陸奥だけではなさそうだ.


 ゴリラアタックとは一体何か.


 まず生徒を床に仰向けにさせて手を伸ばさせる.そして先生がその上に脛でその腕を押さえつけて座り,開いた胸にひたすら突きをし続けるというものだ.

 出るところに出れば体罰だ何だと糾弾される事間違いなしの技だ.もちろん男子限定の技だけど

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