十話目 肴
約1時間ほど走ったところで寮に帰宅.クールダウンをして部屋に戻る.そして素早くシャワーを浴びて制服を着る.ここで大体6時40分くらい.学校までは徒歩10分くらいで,ホームルームは7時半からだから順調だ.
「ほら,もう着替えないと遅刻するよー」
ほっぺをプニプニ引っ張ったり,ツンツン突っついたりして目覚めを促すのだが起きる気配がない.
「うーん,もう食べられないってぇ,言ってんだろぉ!!」
まだその夢見てたの!?
「痛い痛い痛い!離して!いだだだだ!離しなさい!」
無理やり陸奥を引き剥がし,壁に叩きつける.
「っはあ,っはあ.寝相が悪いにも程があるでしょ!」
「ん.もうなに〜朝から.車に引かれたかと思ったじゃんか」
「あんたが噛み付いて来たからでしょ!」
「噛み付く?何でそんな事しなきゃいけないのさ?美味しくなさそうだし」
「知らないわよ.それに『美味しくなさそう』は余計だから」
陸奥はボサボサの頭で布団を畳むことなく洗面所に向かう.
「また走ってたの?本当好きだねぇ」
「陸奥も一緒に走ろうよ.気持ちいよ?」
「ふぁ〜あ.なーんで5時に起きないといけないのさ.もう健康通り越して不健康だよ.『過ぎたるは及ばざるが如し』って言うでしょ?三七はやりすぎなんだよ」
陸奥にフラれてしまった.何回か誘ってるけど未だに首を縦に振ってくれない.
「そーいえばさっきガッコから連絡あって,校舎が爆発して吹き飛んだから今日は臨時休校だってさー」
「またしょーもない嘘を.昨日は校長先生が殉職しただの,一昨日は校長先生のカツラが飛んで豊洲全域に厳戒令が敷かれたとか言って.何か校長先生に恨みでもあるの?」
「いやあ,今日はマジだって.そんな気がするんだよー.ねえー,今日くらいガッコ休もうよー,ねぇー三七ぉー」
「『気がする』の時点でマジじゃないでしょ.ほら,朝ごはんの用意するから今のうちに着替えちゃって」
「へいへい,分かりやしたよ.ふあ〜」
白い,『肉は飲み物』と印字されたTシャツの上からお腹をぽりぽり掻きながら洗面所から出てきた.女を忘れた女のなれの果てだ.
「ジャムは?イチゴ?ピーナッツ?ママレード?それともシンプルにバター?」
「ん〜?いちご」
「マーガリンは?」
「つけて」
「食パン何枚?」
「1枚」
「飲み物は?」
「何があるの?」
「常温の水,牛乳,オレンジジュース,アップルジュース,冷たいお茶,レモンティー」
「三七君,高級アッサムティーはないのかね?」
「そんなのあるわけないでしょー.で,どれ?」
「今日は爽やかな気分だからレモンティーでよろしく」
「ん,了解」
人の手を噛んで置いて何が爽やかなのか.言ってる事がよく分からなかったが特に突っ込むことはしなかった.三七が朝食の準備をしている傍,陸奥は中古の18インチテレビの電源を付けてニュースを見始めた.
居間は20平方メートルくらい,でロフトなし.床は所々捲り上がった畳.隅っこにはボロっちいブラウン管テレビと何の飾りもないクローゼット,二人暮らしには少しい大きい冷蔵庫が一個ずつ.もうこれだけあれば窮屈に感じるようなスペースで私達は生活している.
別に文句があるわけじゃない.私も陸奥もこのスペースで十分だし,そもそもインテリアにこだわりもない.壁にはめくる事を忘れられた11月のページの日めくりカレンダー.
「つったん,つつたん,つつたたつつたん.つったん,つつたん,つつたたつつたん…」
陸奥は椅子に掛けてあった制服を着ながら歌を歌い始めた.
出た.陸奥の訳の分からないリズム.
「前から聞こうと思ってたんだけどそれって誰の曲?」
「うーん.わかんない.パパのが写ったんだよ」
部屋を装飾したりしようという様な女の子らしい一面もない.
昔から男子と遊ぶことが多かった.例えば鬼ごっこにドロケイ,ベーゴマにメンコかくれんぼに木登り魚釣りセミ捕りカブトムシ取り川で水遊び野球サッカーバドミントン.数えればキリがない.自転車で帰り道にレース,近所から食べ物強奪してきたり,ちょっと危ない事もしたけれど.
女の子達とも遊ぶ事はあったけど,部屋でジッとしているのが耐えられなかったから,結局みんな外に連れ出して遊んでた.その影響かどうか分からないけど中学校の体力テストは県で一位だった.
『落ち着きがない!』とか『お淑やかになりなさい!』とか注意されたのは良い思い出だ.
女子力磨かないとなあ,とは思うのだけれど.
自転車でも車でも飛行機でも,一歩目に一番大きな力を使う.体力には自信があるけれど,なかなか一歩目が踏み出せない.しかしそこさえクリア出来れば後はマニュアル車と同じ.クラッチを切っても惰性で走れるだろう.
冷蔵庫の横のちょっとした物置台から8枚切りの食パンから2枚取り出す.そして隣の食器棚から小皿を一枚取り出して陸奥の分を置いてあげる.
それから冷蔵庫からジャムをマーガリンを取り出してパンに塗って私は食べ始めた.少し行儀は悪いがそのままお茶とレモンティーを取り出してそれぞれのコップに注ぐ.
この57号室の住人「つまり私と陸奥の事だけど」は朝はご飯よりパン派の人間だった.
「そろそろ自分の周りかたずけたら?また散らかってきたよ」
部屋はドアを開いて,通路がありその右手に風呂場とトイレがあり,左側がキッチン.その奥がリビングで右手にテレビ,冷蔵庫,本棚,タンスがあり,左手には手前半分が陸奥の陣地,奥が私の陣地で一番奥に窓があるという構成だ.
「いーんだよ.こんな感じで,散らかってるように見えて実はちゃんと整理されてるの.そんじゃあ頂きますよー」
「どうぞ.っていうかそもそも散らかってるように見えてる時点で散らかってるんじゃない?」
「そんな細かいことは気にしてたら小ジワが増えるよ」
「食っちゃ寝してる陸奥に言われたくないよ」
陸奥はもぐもぐとパンを食べながらサラリと失礼なことを言う.
「ねえ,どうやったらガッコ休めると思う?」
「今日はヤケに休みたがるね?さては宿題してないな?」
「あったりー」
大体ここまで休みたいという時には宿題をやってないか,嫌いな科目とかテストがあるとか,大体そんな理由だ.
「醤油でも飲もうかな」
「それはやめてよ!徴兵されてんじゃないんだから」
「なに心配してくれてんの?」
ニヤけながら聞いてくる.
「そ,それはそうよ.陸奥がここで死んじゃったら色々警察とかに経緯を説明しなきゃいけなくなるでしょ」
「あれ?心配ってそういう心配?私のことじゃなくて?っていうか三七って優等生ぶってるけど何気に酷いところあるよね?」
「優等生ぶってません.これがデフォルトです」
「あー嫌だ嫌だ,これだから優等生ちゃんは.私は一度も休んだことありませんってか」
やれやれというジェスチャーを大げさにするもんだから少しイラっとする.
「そうね.学校を休むっていうことは…つまり学校に行かなきゃいいんじゃないの?」
よし来た!と内心,陸奥は叫んでいた.
三七と暮らして一年半,もう扱い方は慣れて来たもんだ.ちょっと優等生だからって調子に乗っちゃって!でも逆に,そこをくすぐってあげれば悪い子ちゃんになってくれるんだよねー.うししし!
「・・・ねえ,聞いてるの?」
「き,聞いてるよ!聞いてる聞いてるー」
いけない,いけない.ここは冷静にならなければ!
「でもそんな事は知ってるよ」
「確認しただけよ.で,その為の休む大義名分が必要なのね?」
「そうふいうほほ」
食パンを加えながら喋るもんだから声がこもって聞こえる.
「となると定番なのは風邪とか腹痛とかになるよね?」
「うむ,定番であるな.目玉焼きにベーコン,焼きそばにソース,豆腐に醤油,焼肉にタレくらいベタだな」
「普通,焼きそばは醤油でしょ?」
「そーいう話をしてんじゃないんだよ!それに焼きそばに醤油なんてかけるのは浅草とか貧乏な下町の人しかやんないんだよ!時代遅れなんだよ」
「あ,いま日本の下町に住んでる人を敵に回したわね」
「下町がなんぼのもんじゃい!こっちは何てったってシティ派だからね!」
聞いたところによると陸奥は豊洲出身らしいから確かに都会育ちだ.
「まあさっきの話に戻すと,休む理由の定番『風邪』や『腹痛』それから『熱が出た』などは危険がある」
「使う人によっては」
「先生に信じて」
「貰えない」
「可能性が」
「あるって事ね」
「そーいう事!ワトソン君やるではないか」
「ありがとうございます,ホームズさん」
たまーに変なところでこんな風にシンクロしてしまうのだ.
「というように使う人の人望の厚さがネックになってくるねえ.例えば私が急に『先生,風邪で今日休むね』と言っても信じてもらう事は恐らく出来ないでしょ」
「それは自分の人望の薄さに気がついてるってことね」
「う,うるさい!とにかく!そうなった場合,高校までは近い為,わざわざ確認に来たり症状を細かく質問してくると言った行為をしてくる可能性が極めて高い!もしそうなった場合いずれボロが出るのは確実」
なかなか名案が出てこない.
「そーいえば昔笑いすぎて早退した事あったなあ」
「それって信じて貰えたの…?」
「信じるも何も本当にヤバかったんだって!友達が『エアコンから婆ちゃん出てきた』とか言ってきて,大笑いしてたら肺が痛くなって呼吸出来なくなっちゃったんだけどさ?それで病院行ったら医者に『肺の半分が動いてませんねえ』とか言われたんだよ!いやあ,あれはヤバかった」
「それからどうしたの?入院?」
「いんや.しっぷ貼って首におしりにネギ入れてツバつけて一日寝たら治っちゃった」
「いったい何が効果あったのか分からないわね.それから汚いから止めなさい」
逆に変な病気になりそうだ.
「ちなみにそのネギは後でスタッフが美味しくいただきましたとさ」
「何そのスタッフって...」
「8時のー,モーニングマンデー!おはようございます...」
と,テレビから聞き捨てならないワードが不意に飛び出した.
「あれ?もう…8時ね」
「...8時だぁよ,全員集合ってね」
30秒後,部屋から飛び出していく女子2人の姿があった.
片方の頭には薄っすらとコブができていた.
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