8話目 Kindness

 俺たちは店員さんから出来上がったコーヒーをそれぞれ受け取る.

 そういえばアイスかホットか聞かれなかったが,出されたものはアイスだった.まあ元々アイスを頼むつもりだったから別に構わないけど.

 コーヒーは見た目が全然違ったのでどっちが自分のものかは一目で分かった.


 先輩とどこで飲もうかと話していた時,運よく店の外にいくつか出してあったテーブル席の一つが空いてくれた.


 席に座る前までは人にジロジロ見られそうで嫌だったが,座ってみるとそんなことは一切気にならなかった.みな自分の用事があり,キョロキョロ物色する暇もないのだろうか.

 椅子は腰を掛けるところがかなり高く,俺でも足のつま先が付く程度だった.こんなところも外人サイズなのか.


「椅子高くないですか?」

「確かにそうね.まったく日本に合わせる気がないのね.そこが面白いけど」


 俺より先輩の方が5cmくらい背が高いので気にならなかったのだろう.


 何気なく人ごみの観察をする.


 やはり築地だけあって人がかなり多い.いや,いつもよりかなり多い.酒祭りの影響だろう.

 駅前には普段は無いが移動式の屋台が何件も出ていた.

 人の流れ的に駅に入っていく人間よりも出ていく人間の方が圧倒的に多い.よく,先輩は俺のこと見つけられたな.


 中には既に顔が赤い奴もいる.あと4日あるんだぞ...そんなんで大丈夫か?

 服装は男女関わらず基本的に動きやすく,ルーズな奴が多い.季節の変わり目のせいか短パンとズボンをはいている者,両方が半々くらいだ.女子はスカートとズボン派に分かれている.上はTシャツかシャツを身に着けている奴が多い.これも長袖と半袖に分かれるが,今日は暖かいので長袖を着ている奴は少し腕まくりをしている.

 しかし中にはいかにも『おしゃれ!』って感じの服装をしているやつもちらほら見受けられる.服の種類とかはよく分からないので細かく説明できないが,こう...原宿とか渋谷にいそうな感じだ.だいたいこう言っときゃなんとかなる.

 明らかに酒祭りを知らない者で,うちの大学生ではなくどこかよそから来た勢だろう.きっと祭りの最中に熱くなって邪魔になる事間違いない.

 若者だけでなく,ご年配の集団も割といる.冥途の土産にうちの斎姫桜でも見に来たのだろうか.この人ごみをかき分けるだけでも力尽きそうなもんだが.


 うわー,この人数の前に出ていくのかよ.


 気を紛らわせるために,さっさとストローに口を付けてブラックコーヒーを頂く.


 ストローといえば世界的に廃止する運動が高まってきており,かの有名なスターなんちゃら社も確か2020数年には使わなくすると宣言していた気がする.他にもコカなんとか社,マクなんとか社とかも野心的な目標を掲げている.探さないとこういう情報は出てこないのだが,探してみると意外に多くの企業が何かしらの行動をとっている.また国レベルでも話が進んでおり,2015年「国連持続可能な開発サミット」で各国はそれぞれ目標を宣言した.国によってはプラスチックの袋を有料にしたり,そもそも製造を禁止している国なんてのもある.

 プラスチックは作る事,加工することは簡単,なんといっても安価だ.プラスチックが使われているのはストローだけではない.弁当の容器,今日何気なくもらったコンビニのレジ袋,カトラリーした包装.そういった何気ない所にも使われている.


 しかし便利な一方,課題もある.プラスチックは廃棄する処理がとても面倒なのだ.自然には分解できない.

 そのまま捨ててしまえばウミガメや海鳥,ほかの野生動物が餌と間違えて飲み込んでしまったり,沿岸に押し寄せて景観を損なってしまったりとかなり問題が山積している.


 やはり便利なものの裏にはデメリットも隠れているもんだ.そんなことはみんな知っているけど,メリットの方にしか目がいかず,そっちだけに飛びついてデメリットを蔑ないがしろにしてしまう.自覚は無くともきっと俺もその一人にすぎない.

 しかし,人の意識は徐々に変えることが出来る.些細なことから始めることでやがて大きなものを生み出すことが出来る.


 と,環境なんとか概論の授業を受けた時に先生が仰っていた.『なるほど.そうだよなあ』とは思う.しかし未だに成績をCにされたことが気に入らないのだが.


 ところで大学の成績は基本的に5段階評価である.S(90-100点),A(80-89点),B(70-79点),C(60-69点),D(60点未満)となっている.大体どこの大学でもこうだと思う.海外は知らないが.

 Dが付けば単位が取れていないことを意味するので,その授業が『必修科目』ならもう一度最初から授業を受けなおさなければならなくなる.


 大学は高校と違い,前・後期の2学期制で一つの授業は基本的に半期だけで行われる.例外で実験系,それから製図・模型作り系の授業は通年で行われることが多い.

 授業数は半期15回の90分授業である.ごく少数として東大やその他数校では半期14回,100分授業という形式をとっている大学もある.宮崎の大学では後者に属している.


「おっ.なかなか」

「そうね!結構美味しいわね.やるじゃない,でももうちょっと甘くてもいいかな」

「そのうち糖尿病になりますよ...ブラック飲んでみます?緩和されるかも」

「苦いのイヤ」


 夏はひっきりなしに甘いものを食べている.今日は手ぶらだが,バッグにはお菓子がいくつか常備されている.

 普段の行動を考えればそれでやっとカロリーのつり合いが取れるのではなかろうか.


「夏先輩は今日は手ぶらですよね.女子はいつも弁当箱みたいに小さいバッグ持ってるイメージなんですけど」

「今日は無い方が絶対楽でしょ.財布とタバコだけあれば十分.化粧もしてないし」

「全女子を敵に回しますよ」

「別にいつもしないわけじゃないから大丈夫よ.実際はどういうカッコで行くか悩んでたら時間無くなっちゃっただけなの.だいたい海外に行ってみなさいよ,勘ちゃんねえ.どこで化粧品なんか調達するっていうのよ.アマ〇ンだって来てくれないし.そんな状況で『お化粧してないから出歩けないわ』なんてバカなこと言ってらんないでしょ?」

「それは先輩行ってるところが特殊すぎるんですよ!」


 先輩は独特の実体験を交えながら化粧の要らなさを俺に説く.


「ってか,そんなにお金ないのに京都からここまでの交通費とかどうしたんですか?数日で稼げる金額じゃ来れないですよね?もしかして交通費で全部飛んで行っちゃったとか?」

「そーなのよ!私もてっきり一週間くらいバイトした後じゃないと行けないなぁーって思ってたのよね.で玄関から出ようとしたらお父さんがこっそり『これから東京に行くんだろう?』って言って,自分のおこずかいの貯金を切り崩したのをくれたのよ.あー今頃お母さんにバレて物凄い怒られてんだろうなあ〜」

「どんだけ親父さん優しいんですか.っていうか勘が鋭いですね」

「いやもう本っ当に頭が上がらないわ.感動しちゃった.『お父さん大好き!!』って言っていい歳して抱きついちゃったくらいよ.鉄君,神の子不思議な子ってなもんよね」


 夏先輩の親父さんは一番合戦 鉄也 という名前らしい.先輩はいつも『鉄くん』と呼んでいる.


「こんなプー太郎にそんな目をかけてくれるなんてね」

「そうそう…って誰がプー太郎よ!」


 先輩がバシバシ机をたたきながら抗議する.容器に入ったコーヒーが揺れる.


「お父さん,お坊さんみたいだし冴えない顔してるけど,そういう鋭い所があったからお母さんみたいな美人と結婚出来たんだろうね」

「男は顔じゃないと?」

「まあ関係無いとは言わないけど.最低限清潔にしていてくれてれば.だって顔なんてモンはどーしようもないでしょ?ならその人の性格とか漢気の持ち様って言うのかな?そっちを引っさげてた方がよっぽどカッコいいと思うよ」

「先輩変わってますね.女子だったら出来ればイケメンと付き合いたいって感じてると思うんですけど」

「んまあこれは私の意見だから.色んな考えがあって良いんだよ.この世に正解なんて無いからね.信じたいものを信じりゃあいいのよ」

「俺から言わせてもらうとその辺の男より先輩の方がしっかりしてると思いますよ...」

「ほんと?ししっ,ありがと」


 やはり先輩はこのご時世の一般的女子の基準からはかけ離れた価値観の持ち主だ.

 堂々としすぎて男より男らしい.


「にしても今年はどうするんですか?もうそろそろ進級しないと不味いですよね?俺と同学年になっちゃいますよ」

「私を現実に引き戻さないで!!この暖かい日差し,抜けるような深い青空に透明な海,人は優しいし食べ物も美味い.後輩や友達もいる築地にいるうちはリラックスしていいじゃない!」

「ま,まあ先輩がいいなら良いですけど」

「今私は満たされている...」


 大げさに両手を広げて日の光を浴びる.


「それと携帯買った方がいいですよ.使い方教えますから」

「私に携帯は必要ない.会いたいというその心が私達を繋いでいるんだから」

「何気持ち悪い事言ってんですか.全然カッコよくないですよ」

「失礼な.本当のことを言うと使い方もよく分かんないし,そう言うのに時間取られたくないんだよね.画面見てるくらいならもっと別のことに時間使いたい.それに電話したかったら相手のことを想像しながら番号押してたら何回目かにはかかるしね」

「ホント,未だに信じられませんよ,その特技.」


 これがまあ嘘のようなホントの話なのだ.しかし夏先輩に電話したくてもできないのでこちらとすれば迷惑な話なのだが.


「夏さん?夏さんじゃないですか!?」

「本当だ!夏さんだ!」


 俺の後ろから二人の女子の声が聞こえた.察するに夏先輩の友人だろう.


「くる実と千紗じゃない!久しぶりね.元気してた?」

「『そりゃもちろん!』」

「あ,勘ちゃんは初めてかな?こっちがくる実でそっちが千紗ね」


 唐突に紹介された二人の女子は学校でも何回か見かけたことがある顔だった.かと言って名前までは知らなかったが.


「ども.工学部機械学科3年の宮崎です」

「3年生かぁ.じゃあ一個上の先輩ですね.初めまして工学部電子学科2年の三浦くる実です」

「同じく2年の佐藤千紗です.よろしくお願いします」


 本当に夏先輩は顔が広い.他大学の知り合い数はハッキリ言って異常だ.しかも一人一人名前と顔,所属している学校やサークルまで覚えている.やっぱり頭がいいんだなと改めて感じる.


 二人が二年だという事は予想がついていた.

 大学に2年間もいると外見だけで何年生か判断できるようになってくる.基本的に高校生感がまだ抜けきっていないのが1年,高校生感が抜けきってきたのと大人っぽくなってきた中間が2年,青年感が強くなってきたのが3年,さらにそれから大人っぽさが出てきたのが4年という判断基準だ.見るからに大人っ!って感じは大体院生である.


「宮崎さんは夏先輩とどこで知り合ったんですか?」

「あー,それはだな.学生機関っていうサークル?部活?まあどっちでもいいけど.そこに所属してるんだけど,そこに遊びに来てたからかな.二人は?」

「えっ!?あの学生機関ですか?」

「『あの』ってなんだ!『あの』って.」

「す,すいません!学生機関に関しては信じられない話ばかり聞くもので...」

「信じられない話?」

「はい,例えば...ああそうだ!線形代数の杉本先生の愛車を分解して海に捨てたり,授業中にもかかわらず携帯で競馬中継を隠れて確認,電車の中でカップラーメンを食べたり,食堂の冷蔵庫から牛乳を盗んで『見てろ!これを発酵させて世界一美味しいモッツァレラチーズを作ってやる!』と言ってロッカーに夏期休暇中に放置し悪臭を漂わせたり,化学の実験中にバーナーの火力を調整し、フランベを行った挙句偶然飛んできた鳥に引火して実験室を爆破すること5回,それから下駄で登校,資料室を占拠する,腹いせに人の尻を燃やしたり,何を血迷ったか校舎の屋上から『無限の彼方へさあ行くぞ!』と言い飛び降りたりとか,人の林の木を切り倒して学校への近道を切り開いたりとかですかね.他には...」

「だー!も,もういい!」

「すいませんべらべらと.でもこれってホントなんですか?正直同じ大学生として恥ずかしいと思うんですが」


 う~む.心当たりがありすぎる.

 宮崎の額に嫌な汗がにじむ.

 それを見て目の前の夏先輩がニヤニヤしている.


 何に笑ってんだ,あんた!少なくとも実験室爆破したのはあんたのせいだろうが!

 夏先輩が料理が出来ないことをバカにされて,いきなりフランベをやりだしたところに鳥が偶然...てな流れだった気がする.


「そ,そんなわけないだろう!...あ!似た部活で学生機関改っていうのがあったから,おそらくそいつらの仕業だな.うん.そうに違いない.そんな奴が本当にいたら俺は国会議事堂の前で素っ裸でフラメンコを踊ってやる所だ!」

「そ,そうですか...」


 こ,ここまで言っておけば誤魔化せるだろう.


「な,夏先輩,今何時ですか?」

「今?9時45分だよ」

「僕もそろそろ行かなきゃならないんで」

「そう?じゃあまた後で会いましょ」


 携帯も持ってないのにこの人ごみの中特定の人間と遭遇する確率なんて宝くじに当たるくらいなもんだと思うのだが,夏先輩に言われると『まあ,大丈夫か』と自然に受け入れられてしまう.


 っふう.そろそろ腹を決めますか.


 夏先輩にはあえて先鋒のことは言わなかった.後で驚かせてやろうと思ったからだ.

 宮崎は大学へと向かうのであった.

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