第35話 唯からの相談料として受け取ってね

 その日の夜の事・・・


“トントン”


 俺はシャワーをした後、ベッドで横になってマンガ本を読んでたが部屋の扉を誰かがノックした。

「はーい」

「唯だけど、入ってもいい?」

「別に構わないけど・・・」


“ガチャリ”


 唯が右手で扉を開けて入ってきたけど、部屋の中にシャンプーのいい香りが漂ってきた。という事は風呂かシャワーを既に済ませているという事だ。

 その唯だけど唯スマイルのままベッドに「よいしょ」と座ったかと思ったら、急に真面目な顔になって俺の方を向いたから逆ににビビッてしまったくらいだ。

「・・・さっき、お義母さんから聞いたけど、お義父さん、明日帰ってくるって」

「父さんが?」

「うん・・・あっちでの仕事が片付いたから明日の午前にバンコクを出てセントレアに向かうみたいだけど、その足で亮太お爺ちゃんのところへ行くって言ってたから、うちに帰ってくるのは早くても夜、下手をしたら深夜だよ」

「そうか・・・思ったより早く終わったんだね」

「それでー・・・」

 そこまで言うと唯は「はーー」とため息をついたので、俺は一瞬「何で唯がため息をついたんだ?」と思った。唯はベッドに座ってから全然唯スマイルを見せようともしない。

「・・・お義母さんからある程度の話は聞いたけど、お父さんとお母さんから慰謝料の形で唯に相続される分、宝くじが当たったくらいに半端ない額なんだよ」

「マジ!?」

「唯も聞いた瞬間、腰を抜かしそうになっちゃってさあ、これをどうすればいいのか全然分からないんだよー」

「・・・・・」

「実際に唯の手元に入るのは唯が二十歳はたちになってからなんだけどー、こんなにお金があると逆に怖くてどう使っていいのか、どう管理すべきなのか、考えただけで頭がパニックを起こしそうで正直怖いんだよ」

 そう言うと唯は再び「はーー」とため息をついたけど、俺も唯の気持ちが分からない訳ではない。

 唯の実父の父親、つまり亮太お爺ちゃんは浜砂のJAの元会長で、通称『玉ねぎ御殿』に住んでる地元では結構有名な人物であり、浜砂の農産物やその加工品を扱う会社を経営している。その息子である唯の実父は経営陣の一員であり昨年の春からはバンコクの子会社の社長をしている。実母の実家は浜砂市とその近郊で高級うなぎ料理店を経営している。政財界の大物や有名芸能人なども多数訪れる事で有名な店で、実母はその役員の一人だ。

 一般市民から見たら唯の家はセレブなのだが、唯の両親は二人共セレブとは思えない質素・倹約ぶりで知られていたから、当然だけど唯自身もセレブのお嬢様という実感がない。まあ、普通の市民よりは羽振りが良かったのは認めるけど、俺の家と遜色ないレベルなのだからセレブというには語弊があったのは事実だ。でも、その裏で自分たちの資産の大半を隠し、なおかつで離婚したのだ。結論だけを見れば最後まで互いに唯を引き取るのを拒否したのだから『置き去りにした』と言っても過言ではないはずだ。

 誰しもが個人の財産がどの程度あるのかでさえ分かってないのに、相手の財産がどの程度あるのかを知っている人は殆どいない筈だ。その盲点を突く形で唯の実父も実母も個人財産の多くを隠していた。本人たちの計画が上手くいけば自分の手元には億単位の隠し財産が残る上、離婚の財産分与で相手の財産を訳だから、見方によっては相当美味しい話だ。こんなのはお金に疎い俺にも分かる話だ。母さんの話が多少誇張されていたとしても、離婚が成立して財産分与をしたところで、相手と唯に入る金は宝くじの1等賞金には程遠い額だ。でも、短期間でここまでやるのは不可能だから数年前から計画を練ってコッソリ準備していたとしか思えない。それに母さんは宿にらんでいるくらいだ。そう思うだけのもある。それは・・・

 まあ、本人たちが希望した離婚調停の相手は爺ちゃんだったけど、亮太お爺ちゃんの『鶴の一声』で父さんが乗り出したことが二人の運の尽きなんだろうけど、結果的に自分たちの取り分が半分以下になった挙句、唯の取り分が唯の実父や実母が考えていた額の十数倍、いや、それ以上になってしまったのだから唯が混乱するのも無理ない。

「・・・一つ、聞いてもいいかなあ」

 俺は少し考えた後、唯の顔を覗き込むようにして話し始めたけど、唯は黙って俺の顔を見ている。

「・・・唯はお金の使い道で困っているのか、それともお金そのものが怖くて困っているのか、どっちだ?」

「・・・正直に言えば前者だけど、あれやこれや考えてるとお金そのものが嫌になりそうな気がする」

「そうか・・・」

 俺は唯の気持ちが分からない訳ではない。実際、宝くじで億単位のお金が転がり込んだ結果、逆に不幸になった人もいるし、うちの弁護士事務所でそういう人たちの尻拭いをした例も俺は知っている。

 いかにして唯を安心させるか・・・一般論を言うべきか、それとも・・・

 いや、この場は唯の彼氏としてではなく、義理とはいえ唯の兄貴として答えるべきだ・・・それなら答えは簡単だ。俺はニコッと唯に微笑んだ。

「・・・お金は使う為にあるのかもしれないけど、雨のように空から降ってくる訳でもないし、入ってくるお金より出ていくお金の方が多ければ、結果的に目減りして底をつくかもしれない。自分では気付かないうちに詐欺紛いの商法でお金を持っていかれるかもしれない。自分で全部やろうとしても無理な物は無理だ。本当に困っているならファイナンシャルプランナーに相談する手もあるし、投資信託のような方法もある。全部自分で抱え込む必要はないから心配する必要はないさ」

「・・・そんな事でいいのかなあ」

「そんな事でいいんだよ」

「でもさあ」

「大丈夫だよ。うちには神様がいるだろ?」

「神様?」

 最初、唯は頭の上に『?』が3つも4つもあるような顔をしていたけど、俺の言っていた言葉の意味が分かったようで『ハッ!』とした表情になった。

「そうか・・・洋子お婆ちゃんか・・・」

「そういう事だ。『ファイナンシャルプランナー』という言葉が世間に知られるようになる遥か前、バブルの頃から常に「リスクは分散させないといけない」「目先の情報に惑わされない」「好景気などという言葉は眉唾物」「甘い言葉には裏がある」と言い続け、証券会社から『伝説の投資家』などとも呼ばれている人物がうちにはいるだろ?」

「じゃあ、お婆ちゃんに頼めば・・・」

「それはダメ」

「えー!そんなあ」

「だってー、お婆ちゃんは自分の責任の及ぶ範囲でしかやらない事を明言してるから、他人に『〇〇は儲かるよ』とか『××から手を引いた方がいいよ』とかは絶対に言わない。お婆ちゃんは二言目には『バブルの頃に調子に乗っていた連中は全員バブルが崩壊したら転落した。そういう人の二の舞だけは絶対に避けねばならない』と言ってるから、あくまで趣味の一環としか捉えてない。つまり、貯金の利息を得る為にやっているような人だから、金儲けをしたい人にとっては面白くないのさ」

「たしかに・・・」

「他人にノウハウを教える事はあっても、他人のお金に手を付ける事は絶対にしないだろ?ハイリスク・ハイリターンはお婆ちゃんの主義ではないし、コツコツと溜め込むようにして資産を増やしていくのがお婆ちゃんのモットーだ。お婆ちゃんは情報分析力と読みの正確さでリスクを最小限に抑え、超低金利の時代でも確実に資産を増やしている。正確な情報を手に入れ、それに基づいて正しく判断して先を読むのは弁護士としてのスキルなんだろうけど、それを趣味の世界にまで持って行ったのが婆ちゃんだ。もっとも、超低金利政策もあって以前ほどでは無くなったけど、普段の生活からは想像も出来ないような資産家なのはだろ?」

「・・・つまり、たっくんは『お金を消費する事を考える』のではなく、『お金を活かす使い方を考えろ』と唯に言いたいのね?」

「そういう事だ。典弘おじさんや悦子おばさんに対して失礼な言い方になるかもしれないけど、初期投資のお金を唯に与えてくれたと考えれば怖くないだろ?」

「うん、そうだね」

「そのお金をどう使うかは唯次第だけど、詐欺紛い、あるいは金そのものを目当てに近寄ってくる人を判断できるかどうかは、まだ唯には無理だろうから、そこは婆ちゃんか爺ちゃんが後ろからアドバイスするしかないだろうね」

「そっか・・・」

 唯はそれだけ言うとニコッとして、さっきまでのため息交じりの顔とは全然違う、活き活きとした笑顔を俺に見せてくれた。

「たっくん、何か今まで悩んでたのが馬鹿馬鹿しくなってきちゃったよ」

「唯にはその顔が似合ってるよ。さっきの顔は唯には似合わないよ」

「たしかにね」

 それだけ言うと唯はいきなり俺に顔を近づけた。


「!!!!!」


 それは突然の出来事だったから、俺は一瞬、固まってしまったけど、そんな俺を見て唯は笑ってる。

「たっくーん、別に驚く事はないでしょ?」

「い、いや、そういう訳じゃあなくて・・・」

「全然想像してなかった?」

「う、うん・・・」

「まあ、これはという事で受け取っておいてね」

 そう言うと唯は立ち上がった。

 そのまま唯は俺に右手を軽く上げて部屋を出ていったけど、俺は右の頬を軽く右手で触りながらニヤニヤしている事しか出来なかった・・・

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