第7話
タイラントドラゴンの巨体はぴくぴくと小さな痙攣を繰り返している。今受けた雷魔法の影響で体の自由が効かなくなっているようだが、それでも今にも起き上がろうとしていた。
人の上半身ほどの大きさもある双眸は怒りの色を浮かべて、空の王たる自分を地面に這いつくばらせた小さな魔術師を睨んでいる。かっと口を開けるとその魔術師目掛けブレスを吹いた。
ソフィは自身が現在打てる最大の魔法を打った影響で動けないでいた。魔力枯渇に至ってはいないが、ほぼ全ての魔力を注ぎ込んだせいで軽い頭痛と倦怠感が身体を襲っている。
そもそも魔力枯渇と言うのはそう簡単に起こせるようなものではなく、無意識のリミッターが生じて普通は使い果たしたつもりでも幾ばくか残るのだ。
ソフィも生半可な攻撃では意味をなさないのを悟り、魔力を使い果たすつもりで今回の魔法を放ったのだが、僅かに魔力を残す結果となった。
それが幸いした。苦しいながらもブレスを少しでも避けようと身を引いた瞬間、もし魔力枯渇を引き起こしていたとしたら得られなかったであろう、ブレスが到達するまでの時間がほんの一瞬伸びたその間に、サラはソフィを引き寄せるとその間に立ち剣をブレスに対し垂直に構えた。
一瞬の出来事に周りの冒険者も息を飲んだ。次の瞬間それは驚愕に変わった。ブレスが2つに別れたのだ。
剣でドラゴンのブレスを切る。ありえない事をやってのけた黒髪の少女はそのままタイラントドラゴンに向かって走り、跳躍すると、背に生えた両翼を根元から切り落とした。
先程とは異なる叫びに似た咆哮を上げ、怒り狂ったかのように腕や頭を振り回しながら体を起こす。既にサラはその場を離脱していた。
1度では致命傷を与えるには難しく、その場に長くいるのは危険と判断したのだ。
竜の肉体は強靭で更に1枚1枚が抜群の強度を持つ鱗が何層にも重なりそれを守っているのだ。
それは亜竜とは一線を画し、事実、先程の魔法を受けた亜竜達は体の一部を消し炭と変え息絶えていた。そのためサラは真っ先に翼を狙った。
亜竜と竜の違いは諸説あるが、その中でどの説でも共通しているものの一つにその飛び方がある。
地龍のようにそもそも空を飛ばない竜もいる訳だが、亜竜は自身が持つ翼の浮力で飛び、竜は自身の魔力で飛ぶ。
そのため翼がなくても実際は空を飛ぶことは可能な訳だが、翼竜の場合、少なからず翼が飛翔に重要な役割を果たし、元々翼を持たずに飛ぶ龍とは異なり、翼を失いすぐに空を飛ぶことは実際無理な話だった。
他の冒険者もそのことをよく知っているから、今が勝機と一斉に攻撃対象をタイラントドラゴンに移した。大小様々な攻撃がタイラントドラゴンを襲う。
流石討伐に参加している高ランクの冒険者には、着実にダメージを与えることの出来る技や魔法があった。徐々にタイラントドラゴンを追いつめる。
ソフィは腰につけたポーチから紫色の液体の入った瓶を取り出すと、蓋を開け一気に飲み干す。脳天を突き刺すような臭みとなんとも言えない苦味が口の中に広がる。
しかし、先程魔法を放った時の頭痛と倦怠感は嘘のように消えた。
魔力回復のポーション。希少性が高くその価格も低ランク冒険者など手をさせないほど高いが、今回は念の為を思い出発前に買っておいたものだ。
「もう大丈夫。ありがとう。サラ。あなたも行ってきて」
サラは小さくうなづくとタイラントドラゴンに向けて攻撃を始める。先程の一撃の後無防備なソフィを守るためソフィの元へ戻っていたのだ。
ソフィは再び魔法を襲いかかってくるワイバーンに放つ。自身の身を守りながらの大魔法は放てないが、亜竜相手であれば彼女も高ランクの冒険者だ。鋭い攻撃にあわせ一匹ずつ着実に倒して行った。
サラがタイラントドラゴンの元にたどり着いた時には勝敗はほぼ決していたように見えた。それでもタイラントドラゴンは自身の運命に抗うように腕を振るい、ブレスを吐いていた。
冒険者達も趨勢は揺るがないものの、決定打を与えられずにいた。もっとも、このまま攻撃の手を休めなければいずれ向こうが倒れるのは火を見るより明らかだった。
男が大剣を振るう。衝撃波のような斬撃が発生し相手の鱗を切り裂く。そこに複数の魔法が打ち込まれ傷口を広げる。
両刃の斧を持つ屈強な戦士は至近距離で迫り来る竜の爪を受け止めると、その刃を丸太のような足目がけてうち下ろす。何度となく繰り返された攻撃に傷口は骨まで達しているようだ。
背には何本もの矢が突き刺さり、自慢の尾はすでに途中からを失っていた。
タイラントドラゴンは怒り狂っていた。#もともとあちらが先に始めた戦争だった__・__#。その怒りは我を忘れるほどであり、今まで感じたことのない黒い感情が込み上げてきた。
この感情に支配されてはならない。本能がそう告げたが、時すでに遅くタイラントドラゴンは込み上げる『憤怒』の感情に身を委ねた。
突如禍々しいほどの魔力が発生する。タイラントドラゴンは足元にまとわりつく邪魔な虫けらを一瞥すると、次の瞬間骨がむき出しになり中ほどまで切れていた足を持ち上げ踏みつぶした。
その速度は凄まじく、斧を持った戦士は避けることも受けることもできずに地面と一体化した。足元から戦士の血が滲み地面を赤く染めていく。
戦士の仲間だろうか、いきり立ち矢を射る弓使いに向かってタイラントドラゴンはブレスを吐き出した。先ほどの赤かったブレスとは異なり漆黒のブレスが弓使いを襲う。
魔法によるレジストを受けていたはずの弓使いは、ブレスに飲み込まれ身体を真っ黒に染めてその場に崩れ落ちた。
見ると赤黒かった体は真っ黒に染め上げられ、傷口や失った翼、尾を模すように黒い靄のようなものが漂っている。タイラントドラゴンは天に向かって咆哮すると周囲を飛んでいた亜竜達も次々とその体の色を黒く染めた。
「何が起きているの...?」
少なくとも非常事態なのは疑いようがなかった。元々強化され普段より強くなっていた亜竜達はさらにその能力を上げているようだ。
タイラントドラゴンの黒い靄も気にかかる。あれにより失った機能を補えるならば、空に飛び立つかもしれない。
そうなればもう勝機はないように思えた。サラは覚悟を決してタイラントドラゴンに向かって走り出す。
途中ワイバーンの攻撃を受けたが最小限の動きでそれを躱し、タイラントドラゴンの足元で跳躍する。
タイラントドラゴンは迫りくる黒髪の少女に向かい腕を振るう。漆黒の爪が少女を襲ったが、少女は体をくねらせすんでのところで避ける。爪は少女の装備する皮鎧を引き裂くが、それが包む肉体までは達せられなかったようだ。
次の瞬間タイラントドラゴンは最後となる悲鳴を上げた。少女の長剣が心臓に深々と突き刺さったのだ。タイラントドラゴンはその巨体を地面に打ち付け、動かなくなった。
同時に強化が解かれたのか、亜竜達の色は普段と同じに戻り、その能力も減衰していた。そうなればもう敵ではなく、瞬く間に殲滅され、自身の未来を理解したいくつかの亜竜達はどこへともなく逃げていった。
「やったぞー! 討伐成功だ!」
冒険者達は勝鬨を上げた。こちらも被害ゼロとはいかなかったが、無事に討伐を成功させた達成感と「タイラントドラゴンの心臓」を入手できる喜びでみな高揚していた。
しかし、突然起きたタイラントドラゴンの変化は何だったのだろうか。サラは何か良くないものの前触れではないかと一抹の不安を感じ、素直に喜べずにいた。
「やぁやぁ。ご苦労様でした。無事に事が済んで何よりです」
突然空から声が聞こえた。一同はびっくりしながらも声のした上空に視線を向ける。
見ると真っ黒なフード付きのローブを来た人影が上空に浮かんでいる。フードを被っているせいで顔も性別も不明だが、声や身長から見ると少年だろうか。
「なんだてめぇは!」
大剣を持つ男が少年に向かって声を上げる。この状況で現れて味方ということはないだろう。
タイラントドラゴンの心臓を横取りしようとしている可能性が高かった。
「名乗るほどの者ではありません。が、目標を完遂出来て私は今非常に機嫌がいい。特別に呼び名をあげましょう。私のことはジェスターと呼んでください。以後お見知りおきを」
そういうと少年は道化師がやるような仕草で大仰に腰を折る。
「さて、色々お聞きしたいこともあるでしょうが、私忙しい身でして。要件を済ましたのでこれで帰らせて頂きます。ごきげんよう」
見ると何をしたのか、いつしたのか分からないが、右手には岩ほどある真っ黒な心臓が乗っていた。とっさにタイラントドラゴンを見るとその左胸は陥没しすっぽりと穴が開いていた。
「てめぇ! そのまま逃がすと思うか!」
男の掛け声に冒険者達は一斉に少年に向かって攻撃を繰り出す。しかし、その攻撃が届くよりも先に少年の辺りの景色が歪み、少年の姿は霞のように消え失せていた。
放たれた攻撃は何もない中空を通り過ぎるだけだった。
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