瞑想しましょう
問題。現代では健康の向上や心理的治療、自己成長、自己向上などの世俗的な目的をもっている、目を閉じて深く静かに思いをめぐらせて神に祈ったり何かに集中させたりすることはなんでしょうか。
答えは、「瞑想」です。
過去にはスピリチュアル的なものとして見られていた時代もありますが、技術が発達して脳画像研究など多くの研究が行われ、脳のパフォーマンス向上やストレス解消や集中力を高めるなど、「瞑想は科学的に効果がある」と証明されています。
瞑想は、心を無にすることではありません。また、宗教に入信する必要もなければ、時間や空間、お香や道具が必要でもなく、長年の修行もいらず、持続しないものでもありません。
瞑想には、「サマタ」と「ヴィパッサナー」の二種類があります。
パーリ語のサマタは「止・禅定」。
心の散乱を止め、煩悩を浄化して静め、一つの処に心を落ち着かせます。
座禅を組んで心を落ち着けるサマタは、上座部仏教では業処と呼ばれる瞑想対象が40種類あります。
パーリ語のヴィパッサナーは、「観」。
心静かな境地で、対象をありのままに正しく観察します。
ヴィパッサナーの実践法は、とてもシンプルです。
現在の瞬間を捉え続けることによって妄想を捨てていく技法。
ただ、今の自分を自身で実況説明していくのです。
生きるとは、意識にぶつかってくる対象を自分好みに誤認しながら、妄想で心を散乱状態にすることです。
生きている人はだれも皆、愛を受けてきました。
もし愛してくれる人が本当にいなかったら、子供も赤ちゃんも一日たりとも生きられません。
愛情というご飯を食べさせてもらったから大人になれたのに、愛してもらえなかったと不満をこぼす人のなんと多いことか。
おしゃべりすれば、飛び交う雑多な想念とイメージで心はもみくちゃにされます。
一人になれば、つけっぱなしのテレビから垂れ流される情報が心に乱射乱入してきます。
テレビを消した瞬間、とりとめのない考えごとが心の中で始まります。
布団に入り眠れば、夢という名の妄想が膨らんでいきます。
その夢を見たことすら覚えず、同じ一日を繰り返しながら年を取っていくのが私達です。
どんなに欲しい物が手に入ったところで、どうせ飽きます。
恋い焦がれて妄想している間だけ、ワクワクするのです。
誰もが甘美な陶酔感を味わうことを生きがいにしていますが、脳内にエンドルフィンやドーパミンなどの快感ホルモンが分泌されているただの状態に過ぎないのです。
事実が快感ホルモンを分泌させるのではありません。
事実を脳内編集し、情動の脳が働き出すと分泌されるのです。
甘美な妄想を描き続けられたなら、飽きないかもしれません。
飽きなくても、物や人は変化して必ず壊れてしまうので、苦は避けられません。
この世は伝言ゲームの世界です。
噂や評判を信じるのは愚かです。
自分の目で見、自分の手で触れたものであっても錯覚と誤認だらけなのに、どうして伝聞が当てになるでしょう。
一切の先入観を排除して、直接知覚したものの確認がヴィパッサナー瞑想です。
ヴィパッサナーの洞察の眼が開かれるために必要不可欠なものが3つあります。
清潔と簡素と静けさでです。
自分の居場所と頭の中は対応しているので、環境を整えると心の中も片付いて知恵が出る可能性があります。
自分の心がきれいになると、身近な家族がどれだけ救われることでしょう。友達や仲間も嬉しくなります。
幸福な優しさが増えると世の中が良くなるのです。
ヴィパッサナーは心を綺麗にする瞑想です。
両者を合わせて、サマタ・ヴィパッサナー、「止観」。
一切の妄想を静めて停止し、浄化し、それによって正しい智慧を起こし、対象を観察します。
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