21.その手は赤色で染まっていた

 部屋に入ると、私と同じく黒い服に仮面をつけた人が立っていた。おそらくあいつがこれから私と殺し合いをする相手。身長は私と同じぐらい、凄く気が緩んでいるように見えるけど全く隙が無い。これは凄い強敵だと、私の直感が警告を鳴らしていた。

 もしかしたら苦戦するかもしれない。でも、今までの訓練を思い出して、私は自分が勝てると自分の心を信じ込ませた。


 相手も私が来たことに気が付く。可愛らしく首を傾げたが、仮面と黒い服のせいで、逆に不気味に感じてしまう。

 互いににらみ合い、ひと呼吸し、そして足りだした。

 武器をうまく死角に隠し迫ってくる相手に、私も同じようなスタイルで立ち向かう。敵がすぐ近くまで来た時に、腕と刃物が一点になるように構えて突き刺してきた。私は、相手の行動をよく見て、ナイフを滑らせるようにして軌道を変えてさせて受け流す。逸らされた力を回転力に変えられて、再びナイフが振り下ろされた。そのナイフを、真正面から立ち向かう。ナイフとナイフが大きな音を立ててぶつかり、そして力が拮抗したかのように動かなくなる。互いに押し合いつつも、力は互角。このままじゃ何も進展がないと、後ろに退避した。同じタイミングで後ろに下がる敵。戦い方も考え方も、まるで同じだった。

 強い相手のことを称賛してやりたかったが、自分の正体をばらすような行動は、暗殺者として最悪の行動だ。

 一度深呼吸をして、息を整え、再度相手を睨みつけた。そして再び私達はぶつかった。




 闘い初めてどれぐらい時間が経ったのだろうか。とても長い間戦っていたような気がする。極限の集中力と命のやり取りという場がそう感じさせるのだろうか。

 私たちの戦いは、何一つ進展しなかった。ぶつかりあっても力は互角。何度やっても防ぎ防がれの攻防が続いた。

 本当に強い、これが、最終試験っ。絶対に勝ってやると意気込んでいたのに、全然勝てる気配がなくて、だんだん焦りという感情が、私の中に芽生えて来た。

 このままじゃ、勝てない。私は、幸せになれない。真正面から戦うことがこんなにも難しいことだなんて、知らなかった。


 そう言えば、タニャーシャと一緒に戦った時は格下が相手だった。思えば、同列か格上の敵と戦ったことがない。

 命のやり取りという極限の集中を強いられる中で、この状況を打破しようと試行を巡らせられるほど、私は強くなかった。

 焦りから無駄にせめてしまい、次第に息が上がっていく。

 そのせいで、私はミスを犯した。


「あっ」


 相手から距離をとるために、後ろに下がったが、足をもつれさせて、転びそうになってしまった。この隙を相手が見逃すわけがなく、私に一撃を入れようと突っ込んでくる。


 何とかその攻撃を受け止めながらも、そのまま押し倒され、馬乗りされてしまった。

 何とか攻撃は防げたもの、危機的状況には変わらない。必死に抵抗して逃れようとするが、相手がそれを許してくれなかった。


 相手のナイフが仮面にぶつかった。死んだかと思った。でも、仮面が私を守ってくれたので、何とか生きている。

 でも、壊れてしまった。たった一回ぶつかっただけで。綺麗に割れた仮面が地面に落ちて、私の顔があらわになる。

 最悪だ。私たちは主に裏の仕事に入ることになっている。実際に仕事をしたとき、いかに顔を見られず、情報を手に入れられるかがキーとなる。私の顔だって一種の情報だ。


「な、なんでっ」


 相手は私の顔を見て、驚きの声を上げた。咄嗟に私から離れて距離をとる。聞いたことある声だった気がした。仮面のせいで声がこもったような感じだったが、確かに聞いたことあるような声だった。

 でも惑わされちゃだめだ。そう思って、私は反撃に出る。聞いたことのある声、突然私から離れた相手の不可解な行動、不明点はたくさんあるけど、考えれば考えるだけ、泥沼にはまるような気がした。

 心を無にして、相手に切りかかる。先ほどまでとは違い、相手の攻撃に切れがなくなった。攻撃に躊躇し始めている。

 教官の教えに従うなら、私は相手を確実に殺さなければならない。相手に情報がばれると、それ以降の活動に支障が出るからだ。今の状態はまさしくそれ。確実に相手を倒さないと……。そういった焦りの心もあったのかもしれない。


 少し、動きが単調になっていた。でも、それは相手も同じだった。相手に有利なはずなのに、どうして攻撃に切れがなくなったのか、分からなかった。でもこれはチャンスだ。そう思った私はさらに責める。

 相手も必死に抵抗するが、なぜか私を攻撃しないように戦っていた。無理に攻めたせいで攻撃を何度か受けそうになったが、相手は私に当たらないようわざと逸らした。


 激しい攻防が続く。だけど次第に私が優勢になっていた。押されていた状況が、仮面が割れてからは相手の調子がとことん悪い。

 そしてとうとう、相手がバランスを崩した。そのチャンスを私は逃さずナイフを振るった。

 防御しようと相手も私の攻撃を受け止めようとする。それを無理にかわして、相手の喉元に私のナイフを届かせた。


 赤く飛び散る赤い血と、崩れ落ちる相手の姿、それを見て、私はいったん止まり、一息ついた。


 勝った、私は勝ったんだ。


 崩れ落ちてから、相手が再び立ち上がる気配はない。苦しそうな呼吸の音が聞こえる。もう、その命は長くないだろう。

 相手ももう動けそうにないが、一応警戒しながら近づく。そしてそっと仮面に手をかけた。


「や、やめ……」


 相手は嫌がるそぶりを見せた。だけど私は気になっていた。私の顔を見てから急に動きが鈍くなった、聞いたことのある声をする相手がいったい誰なのか、知りたかった。

 そして、相手の顔を見て、私は絶望した。


「な…………なんでっ」


 苦しそうな呼吸が妙に耳に響く。胸が苦しくなり、その場に立っていられなくなった。


「どうして、どうしてよっ」


 思わず出た言葉。もう何も考えられない。今見ている現状を、誰か夢だと言ってほしい。

 相手は私を落ち着かせるためか、よわよわしく私の手を触り、ニコリと笑う。その笑いには、痛みに耐えているような苦しそうな表情が混じっていた。

 触れられた手を見て、赤く染まったそれを見て、ただ、どうしようもない感情が心の中に渦巻き始める。


「なんでムクが相手なのよっ」


 目を背けたい気持ちが強くなり、顔を手で覆う。ぬめりとした触感を感じ、思わず手を見た。その手は真っ赤に染まっていて、私がやらかしたことを強く、強く実感した。

 相手がムクだって知らなかった。知らなくて、手にかけた。流れ出る赤い血が止まらない。ムクは今にも死にそうな呼吸をしている。なのに、私がやったのに、ムクは私を見て笑っていた。


「だい……じょう、ぶ」


「だめ、喋っちゃ、きっと……助ける方法がっ」


 まだ生きている。そしてここは帝国一の技術を持つグランツ研究所。もしかしたらムクが助けられる方法があるかもしれない。私は急いでドクターや教官のもとに向かおうとした。でも止められた。


「助からないのは、分かってる」


 苦しそうに言った言葉に、私は何をすることも出来なくて、それがすごく悔しいと思った。幸せになりたい。大切な人と一緒にいたい。なのに、また失うのか。そう思うと、心が締め付けられるような、そんな感じがした。

 ムクは、私の悲しそうな顔を見てか「笑って?」と言った。


「大丈夫、大丈夫だから、ねえ、ムク、そんな……」


「ハクレイは、幸せに、なれる、だから」


「待って、喋っちゃダメ、死んじゃう、ムクが」


「私の分まで、頑張って」


「ああ、ああああああああ、あああああああああああ」


 力なくぐったりとしたムクの姿。死んだ、死んでしまった。また大切なものが零れ落ちてなくなった。私は、内に渦巻く苦痛の感情に、心が押しつぶされそうになった。

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