19.愚かな実験体

 捕獲した男は、私とムクでいつものトレーニングルームに連れてきて縛り上げた。

 教官から待機命令を受けたので、男を転がして、トレーニングルームで遊び始めた。ちなみに、男は身動きすら取れないようにしているので安心安全。手を釘で打って磔にするって、ちょっと痛々しい感じがするけど、まあ自業自得かなという感じもするので無視することにした。下手に庇ってこちらに火が飛んで来たら怖いからね。


「ハクレイ、ボールで遊ぼう」


「ここにボールなんてあったっけ?」


「人骨ならあるけど……どうしよう。アレで遊ぶ?」


「それした瞬間、人として何かが終わる気がするから嫌だ」


「そりゃそうだよね」


 なんてたわいない話をしながらムクと時間をつぶしていると、教官とドクターがやってきた。急いで近寄ったが、教官が「まだ遊んでいていい」と言うので、とりあえずそれに従った。教官たちが来てからしばらくして……。


「ぎゃあああああああああああああああ」


「ふむ、異常な再生速度だな。トロールとの適合しただけのことはある」


「トロールって言うとあれか。どんな環境でも長く生き延びて適応していく人型の危険種か」


「そうだ、再生力と環境対応でどこにでも生息し、人々の暮らしを脅かす奴だ。力なら屈強の戦士に匹敵するが、再生力のせいでゾンビのように何度でも立ち上がる非常に危険な奴だ」


 ちらりと聞こえたが、あの男はトロールの適合者だったんだ。トロールという危険種は聞いたことある。トロールとは伝承というか、物語の中に登場する化け物の名称なんだけど、それに近い生物が発見されたことでそんな名前になったとかならなかったとか。

 気持ち悪い姿をしているから、てっきりオークかと思ってた。外れたことにちょっと残念だと思うと同時に、叫び声を聞いても何も感じなくなったことに気が付いて驚いた。

 今でも叫び声を聞くと辛いと感じることがある。人の苦しい声を聞くと、心がえぐられるような気持になったこともある。タニャーシャの最後を見届ける時なんかまさにそうだ。

 そんな、私にも人間らしい感情が残っていたはずなのに、あの男の叫び声を聞いても、苦しそうに「許してくれ」と懇願する声を聞いても、何も感じない。


「どうしたのハクレイ、難しい顔をして。ブサイクだよ、ブッサブッサ」


「ブサイクは一言余計よ」


 この子はいつも私をからかう。そして「ふふ」と楽しそうに笑うのだ。この顔を見ていると、こっちまで楽しいように思える。もし、ムクがつらい目に遭ったら、お母さんが死んだ時と同じような苦しみを味わうことだろう。

 ……そっか。そういうことか。


 なんだか、自分の気持ちに納得ができた。タニャーシャも、ムクも、私の敵じゃない。他人でもない。タニャーシャはターゲットだったし、短い時間しか関わり合うことしかできなかったけど、それなりの信頼関係は築いていたと思う。ムクだってそうだ。一緒に暮らして、一緒に成長している、私の大切なパートナーだと思っている。


 じゃああの男はどうだろうか。私にとって大切か、そうじゃないか。ちょっと考えただけでもすぐにわかる。あいつはムクを傷つけた敵だから、私にとってどうでもいい存在。だからいくら傷つけられたってなんとも思わない。というか、私達、ここで遊んでいていいのかな?


「すごい叫び声だね。それに痛そう。ハクレイはそう思わないかな?」


「別になんとも。ムクにひどいことしたやつだもん。それに命令無視したし、暴れたし、自業自得。悪いことしたら死ななきゃいけないのは当たり前のことなのに」


「え、悪いことしたら死ぬのっ。どうしよう、厨房に置いてあったおいしそうなクッキー、つまみ食いしちゃった、ぺっぺ」


 いやいや、今更吐き出そうとしても遅いよ。というか、そんなことしてたのっ!


「大丈夫、悪さの度合いが違うから。ムクのは悪戯レベル。お尻ぺんぺんで許してくれるよ」


「…………次は布団たたきでやるって言われてるんだった。どうしようっ」


「あんたいったいどんだけつまみ食いしているのっ!」


 私たちがギャーギャー言っていると、ドクターと教官がこっちに来た。何か進展でもあったのかな。


「ハクレイ、ムク、少し手伝ってほしい」


「何を手伝えばいいんですか?」


「ムクはこいつを打撃系の武器で痛めつけてどのような再生をするのかという実験を手伝え。ハクレイはこいつに痛みと苦痛を与えて再生力にどのような変化があるのか調べる実験を手伝ってもらう。それに使う武器がないから倉庫から適当に武器を持ってきてくれ。あの倉庫なら、痛そうな槍があるはずだ」


「了解です」


 私は走って倉庫に向かう。倉庫の中には、訓練で使うモノ以外にも、実験途中で作られた不良品の武器なども置かれている。

 例えば、一度刺すと抜けなくなるぎざぎざの付いた槍とか、刺すと矢じりが取れて確実に体内に残るように作られたなぞの弓矢とか、不思議なものがいっぱいだ。

 教官に痛そうな槍があるといわれただけで別にこれを持ってこいと言われたわけじゃない。武器の種類が多すぎてどれをもってけばいいのか迷いそうになる。

 教官が言っていたのは多分これだと思い、一度刺すと体をズタボロに裂かないと抜けなさそうな危ない槍を選択して持って行った。

 私が戻ると、ムクがお帰りと言って、攻撃の手を止めた。トロールの男はいたそうに呻きながらも、体から湯気っぽい何かが出ていて、怪我がみるみる治っていった。


「俺が言ったのはこれじゃないんだが、また随分とえげつないものを持ってきたな」


「いいではないですか。より痛みを与えたほうが実験になります」


「そういうものか。とりあえずやるぞ」


 そう言って教官は私から槍を受け取り、男の腹を指し、内臓をかき回す。苦痛のうめきと救いを求める声がトレーニングルームに響き渡った。


「ごめんなさいゆるしてくださいもう、殺してください」


 呻きながら呪詛のように謝り続ける男。そうなるなら従順にしとけばよかったのに。

 命令を無視して、暴れた愚かな実験体の末路、それがこれなんだということがよく分かった。私は絶対に幸せになりたいと思っている。私が望んでいる未来はこんな未来じゃない。こんな、苦痛しか与えられないような、そんな未来じゃ、決してない。

 みんなと一緒にいて、笑い合える、私の帰る場所がある、そんな幸せが欲しいと思っている。タニャーシャと一緒にいた、あの時間みたいな、そんな場所が。


 これから、私もあの男のように、危険種との適合を果たすのだろう。私も、この男のように力に溺れてしまうのだろうか、正直言ってそこが怖い。


 適合して、認めてもらえば、幸せな未来へ一歩近づけると思っているのに、その力に飲み込まれてしまえば、待っているのは目の前のような破滅のみ。それだけは絶対に嫌だった。


「どうしたの、ハクレイ?」


「ちょっと、ね。あれを見ていると」


「おいしそう?」


「なんでそうなるのよ。そうじゃなくて」


「大丈夫、分かってるって」


 そう言って笑うムク。本当にわかっているんだろうか。きっと何も考えていないであろうその笑顔に、ちょっとだけ救われた気がした。

 教官とドクターの実験がひと段落したところで私たちは呼ばれた。


「ハクレイ、ムク、お前たちには最終試験を受けてもらう」


「「はいっ! …………はい?」」


「よく分かってない顔をしているな。まあそうだな、危険種との適合に関する実験が大方終わったそうだ。そこでお前たちには最終試験を受けてもらった後、その実験を行うことにした。試験内容は後で伝える、わかったか」


「「わかりましたっ!」」


 唐突に言われた最終試験。一体何をするのだろうか。まあそんなことはどうでもいい。ここが最初の試練。私がこの後の人生を幸せに生きれるか、それとも死ぬかの分かれ道。

 絶対に生き残ってやる。

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