9.慣れ
あれから何日が経っただろうか。私は毎日のように人を殺した。ある時は技の練習台として、ある時は凶悪な死刑囚をじわりじわりと殺していった。
最初はとてもつらかった。手が震えて、瞳に涙が溜まり、吐き気を感じながら人の喉を引き裂く毎日。血を浴びて、べとべとになった体を水で洗う時、流れる赤い水が恐ろしくてたまらない。ムクも、私の隣で泣き叫んでいた。あの休日の一週間が嘘のようだ。あんなに言葉を交わしていたのに、今では一言も話さない。ただ、同じ恐怖は感じているので、私たちは互いに肩を寄せ合って震えながら日々を過ごした。
でもいつからだろう。気が付けば、人を殺すのが日常になっていた。
人を殺すのは、料理と同じだ。魚を食べる時、魚に包丁を入れて殺し、内臓を取り出して三枚におろすように、人を解体して内臓を取り、バラバラにして片付ける。
私が今していることは、必要な肉の加工をしているだけだ。そう思うと、殺すこと自体が普通のことに思えてくる。
今日も、私は人を殺した。教官が武術を教えてくれた。人を殴る技術を学ぶには、実際に人で試すのがいいと教えてくれた。私はその言葉にうなずいて、人を殴る。教官みたいにうまくできなくて、中途半端に傷ついた人のようなものがうめき声をあげる。
「教官、上手くできない」
「はっはっは、今ハクレイに教えたばかりじゃないか。最初はそんなものだ。頑張れよ。それに引き換え…………」
教官はムクに向き直る。いまだに震えながら人のような何かを殴っていた。顔はいつものように泣いていて、殴った相手が血反吐をはいて苦しんでいる姿を見て胃の中をぶちまけた。いつまでたっても成長しないムクに対して、教官は苛立つ。そして今日、とうとう教官がキレた。
「いい加減になれないか、この愚図がっ」
「ぐえぇぁああああ」
胃の物を吐き出して蹲っているムクを蹴り上げた。おなかを抑えて地面を転げまわる。教官は苛立った表情でムクの髪を掴み上げた。
怯えるムクに教官は怒りをぶちまける。私はそれをできるだけ見ないようにした。
ムクが嫌いという訳ではない。ただ巻き込まれたくないだけ。あんなふうに殴られてボロボロに言われるのは、嫌だ。だから何も言わないし、何も言えない。
ある程度教官が当たり散らした後、教官は「少し休憩の時間にする。死体はいつものように処理しておけ」と言ってどこかに行ってしまった。
私は豚の肉をバラバラにするのと同じ要領で、私と同じ形をした肉を解体していく。ただ黙々と、唇を噛み締めて、素早く血を抜いていく。
突然、ムクが後ろから抱き着いて来た。どうしたのだろうと思い、振り返ると、凄くつらそうなムクと目が合った。
「ねぇハクレイ。最近お話してないよね?」
「うん、そうだね」
「最後にちゃんと話したのっていつぐらいだったっけ。最近色々あり過ぎて忘れちゃった」
「多分、ムクが料理を盗んできたあの日だと思う」
「いろいろあったね」
「うん、いろいろあった」
あれだけ楽しかった日々が今では嘘のように思える。あの時が一番楽しかった。今は血だらけで、笑おうにも笑えない。ただ人を解体していくだけの日々。一体何を楽しめというのだろうか。
「ハクレイ?」
「どうしたの? 早くしないとまた教官に怒られるよ」
ムクに抱き着かれながら黙々と解体作業を進め、私の分はやり終えた。あとはムクが訓練に使っていた死体を処理するだけだ。ムクは私の耳元で「つらくないの?」とささやいた。そんなの、辛いに決まっている。もう、私自身何が何なのかわからない。一体どうすればいいんだろう。
私はお母さんの分まで、幸せになろうと思った。ここでなら、幸せになれるんだと、そう信じていた。でも、私の手は、真っ赤な血で汚れて、あのころには、もう戻れない。
勢いに任せて、私はムクを振り払った。
「言われなくてもつらいに決まっているわよ。だから何?」
自分の不満をぶつけるように、私はムクに当たった。これが理不尽なことは自分でも分かっている。でも、言わずにはいられなかった。
「ムクはいつも泣いて、何もできないで、それでこっちまで怒られたらどうするの。いい加減慣れてよっ。私だって、こんなことしたくてしてるわけじゃないんだから」
一度開いた口は、まるでダムから流れる水のように言葉を吐き出した。汚い言葉もたくさんあった。でも、ムクは何も言わず、ただ聞いてくれた。私が全てを言い終えると、ムクは私に近づいて、そっと抱きしめて来た。
押しのけようとしても、ムクがそれを許してくれない。さっきは簡単に振りほどけたのに……。
「大丈夫、大丈夫だよ。一人で抱え込まなくていいんだよ。すべて、私にぶつければいい。私はどんくさいし、何もできないけど、受け止めることは出来るよ。そんなにつらいのに、自分の中でためて言ったら、いつかハクレイが壊れちゃう。だからね、我慢しなくて、いいんだよ」
必死に我慢しようとしていた。全部、全部、見ないようにしようとしていた。
慣れて来たなんて嘘だ。何度ナイフで首を引き裂いても感じる嫌な雰囲気。まとわりつくように絡む血の赤色。耳をふさいでも聞こえてくる怨嗟。つらくて苦しい、今にも崩れ落ちそうな未来という道を目の前にして、私は目を瞑った。
何も見ていなければ、いくらボロボロの場所を進んでいようが分からない。なにも見なければ私は笑顔で耐えられる。だって知らないし、分からないから。
そんな心境を知ってか知らずか、ずかずかと私の目の前に現れて、無理やり目をこじ開けられた気分になった。
見たくない現実を見せつけられた。つらい、苦しい、自分の望む未来なんてありえないと感じさせる現実。
でも一つだけ、違うところがあった。
私にはムクがいるということに気が付いたということだ。
初めて人を殺してから、ずっと一人で苦しんでいた。一人で全て抱え込んで、一人でずっと悩んで、苦しんで、逃げた。
今まで私には友達と呼べる人なんていなかったから助けてもらおうという考えが全く思い浮かばなかった。
言われて初めて気が付いた。こんなにも近くに、私の欲しいものはあったんだ。
気を緩めると、手足が震え、その場で立っていられなくなった。一人じゃないという安心感と、今まで気張っていたせいで疲れがどっと私を襲う。そんな私を、ムクは優しく包んでくれた。
なんの問題の解決にはなっていないかもしれないけど、ムクが一緒なら、私はなんでもできるような、そんな気がしてきた。
ムクに慰められて落ち着いた私は、スッと立ち上がり、ムクが残していた人間の処理をした。
「ハクレイ、その、大丈夫なの?」
「うん、もう大丈夫」
怖いという気持ちがなくなったかと思えば嘘になる。でも私にはムクという大切な仲間がいる。ただ私は選択をしただけだ。赤の他人と、大切な仲間、どちらを選べばいいのかを。
「ねえムク、ここでしっかり訓練して認められたら、外に出られるんだよね」
「うん、確か、国に使える兵士に、なるんだっけ?」
「もし、もしもだよ」
「う、うん」
「もし一緒に外に出れたら、一緒に暮らそう。二人で楽しく、幸せに」
「……っ! うん、私もハクレイと一緒にいたいっ」
一緒にいれば乗り越えられる。一緒にいれば、耐えられる。一緒にいれば、きっと幸せにだってなれる。
ムクのおかげで思い出せたような気がした。 まあとにかく、ムクと一緒にいる幸せな未来のために、どんなにつらくても頑張ろうと、そう思った。
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