8.初めての***2

 教官が私たちと同じぐらいの少女を引きずって私たちも前に戻ってきた。少女の首は鎖で繋がれており、それを教官が握っている。

 少女は、年齢こそ私達と一緒だが、髪の色や瞳の色が若干違った。今まで見たことのないような色をしている。


「こいつはこの国を脅かす蛮族の国の娘で人体実験用の動物だ」


 教官は楽しそうに語りだす。手で握っている鎖をグイッと上げると、それに繋がれている少女が苦しそうな声を漏らす。そんな少女を気にすることなく教官はこちらに問いかけて来た。


「お前らは今何を持っている?」


 手に持っているものを見た。先ほど教官が渡してくれたナイフ。鋭くよく切れそう。


「渡されたナイフを持っています」


「そうだ、お前らはナイフを持っている。そしてここに蛮族の子供がいる。まずはハクレイ、ナイフを持って近くにこい」


 呼ばれた私は、教官の言う通り、ナイフを持って近づいた。教官は笑顔を浮かべながら私の身長にあわせてしゃがみ、肩を組んできた。


「ハクレイ、今からこの蛮族の子の指を一本ずつ落としてもらう」


 耳元で言われた教官の言葉に体が震えた。自分の指に妙な痛みを感じた。もし、自分がそんな目に遭ったら、とつい頭の中で想像してしまったのだ。どうしたらいいのか分からず、蛮族の少女に視線を向けると、目が合った。ずっと泣き続けていたのだろう、目が赤く腫れていた。顔は恐怖の色に染まっていて、やめてというかのように首を横に振っている。「お願い、やめて、助けて……」という言葉が聞こえた。言葉が違えば聞こえなかったはずなのに、彼女の言葉が耳に残る。

 胸の鼓動が速くなる。息が苦しい。手が震えて今すぐナイフを落としてしまいそうだ。


「どうした、出来ないのか?」


「……私には、出来ません」


「それはなぜだ。刺すことなんて簡単だろう。ナイフを持てば誰でもできる。抵抗されて暴れられるという恐怖があるのなら俺が抑えよう。だったら刺すことなんて簡単だろ?」


「それでも…………できません」


 怖かった。このナイフを刺したらどれだけいたいんだろう。きっと彼女は泣き叫ぶ。まるで自分が刺されてしまったような錯覚をして、おなかに違和感を感じた。

 突然、教官がナイフを持った私の手を、ナイフごと握ってきた。


「もう一度言おう。お前は、なぜ、これを刺せない。ナイフを持っているだろう。手で握って、持ち上げる力がある。なのに何故」


「人を刺し殺すなんて、私には……できません」


 嫌だといっている私を、教官はにやりと笑いながら見つめた。まるで楽しいおもちゃでも見つけたかのような、そんな表情を浮かべていた。背筋がぞっとする。こんなことをするためにここにいるんじゃない。そう思っても、誰も助けてはくれない。


「それじゃダメなんだ。戦う仕事とは、人を殺せて初めてできるんだ。物語には騎士は国を守るためにと文面がある。あの言葉の真意は、国を守るために他国の人間を殺せますといいたいんだ。つまりお前は他国の人間であるこいつを殺せるようにならなければいけない。人を殺すための心を作る、そのために俺がいる。大丈夫、最初は一緒にやってやろう」


「いや、ヤダ、やだやだぁ……」


 抵抗しようにも教官の力が強すぎてどうにもできない。私の手で持っているナイフが少女のおなかにあたる。少しずつ沈んでいくナイフ。そのナイフに抗うかのように、肌がナイフを押し返す。でも、鋭くとがったナイフは簡単に皮膚を突き破り、ゆっくり、少しずつ、沈んでいく。


「んぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」


 痛みに耐えかねた少女がが暴れだす。足をばたつかせ、涙を流しながら、喚き、叫ぶ。耳をふさいで目を瞑りたい。でも、私にはそれも出来ないし、目を瞑ると、教官が無理やり少女を刺す感触をより感じられてしまった。

 少女の苦痛の叫びを楽しむように、ぐりぐりと刺さったナイフを動かし回す。だけど教官は少女を殺さないように細心の注意を払っていた。出なければ……こんなに苦しんで言い訳がない。


「わかったか、こうやっても人は意外と死なないんだよ。今はまだためらいの心があるかもしれない。でも、そのためらいが戦場では隙になる。人を殺しても平気な顔をしていられる精神力を身に付けろ。もう下がっていいぞ」


 少女からゆっくりとナイフを引き抜いた。思ったほど血は出ていなかった。それでも痛みはしっかりと残っていて、少女から恨みや憎しみといった感情が読み取れた。

 違う、私じゃない。私はこんなことをしたいと思っていたんじゃない。ただ、幸せになりたいと、思っただけなのに。

 腰を抜かして、私はその場に座り込んでしまう。教官は、仕方ない子だとあきれ顔をした後、ムクを呼んだ。


 ムクは嫌だと首を振り、近づくことすら拒絶する。きっとわたしと同じことを思っているに違いない。昨日まで、私たちは夢を見ていた。ここはまっとうな施設で、きっとここで成長すれば幸せな未来が待っていると、そう思っていた。でも、違った。全然違った。


 傷ついた少女を椅子の上に座らせる。ひざ掛けの部分に少女の腕を縛り付けた。

 そして教官はムクに近づいていき、無理やり引っ張った。


「いやだ、いやだよ」


「そうやって嫌がっていたら敵に殺されるぞ。大丈夫、心が痛いのは最初だけだから」


 そう言って教官はナイフごとムクの手を掴み、ナイフを少女の指に当てた。ムクは必死に抵抗をしている。あまりの怖さに涙を流していた。少女は必死に懇願する。私達の耳に響くように「やめて」と言い続けた。言葉なんてわかりたくなかった。知っている言葉を話すから、少女の言葉が余計に響く。


 教官は、楽しそうにナイフに体重をかけた。


「あぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」


 ナイフが一気に沈み、鈍い音が鳴る。血が飛び散りながらもナイフを前後に引いて押した。まるでのこぎりでも使うかのように……。

 ボトリと指が落ちると同時に少女は痛みに耐えかねて失神する。


「人を傷つけられる精神を作る。これが俺がメインに教えることだ。人を殺すことを恐れるな。何のために殺すかを考えろ。お前らが躊躇するだけ、親しい友達や仲間、家族が死んでいく。俺もそうだった。ボロボロで満身創痍の敵に手を差し伸べた結果、娘がその男に強姦され、無残な死を遂げた。敵国の人間であるあいつを助けたばかりに俺の大切な家族が汚されたんだっ」


 昔の怒りを思い出したのか、失神している少女の髪を乱暴に掴む。そして少女のボロボロの顔が私たちに見えるように持ち上げた。


「この醜い顔をよく見ろ。さっき、この少女は助けてといった。そして助けてどうなる? 最終的にお前たちの大事な人が殺されるだけだ。こいつらは同じ形をした獣だ。危険種と同じ、化け物なんだよ。でも、同じ形をしているから、躊躇する」


 教官は私のナイフを取り上げ、少女の頬に刃を当てた。そして容赦なく傷つける。痛がっても特に気にする様子はない。その様子はまるで自分とは異なる生物を虐げているような、そんな風に見えた。

 教官は必要以上に少女を痛めつけ、そして殺した。血まみれになった教官は私たちを見下ろす。鋭い眼光。恐怖で足が竦む。


「まず、生きるためにどうすればいいのか考えろ。お前らはよく知っているはずだ」


 私は知っている。食べ物を盗んで生活をしていた時、捕まって暴力を振るわれ、血反吐をはきながら許しを乞う奴らを何度も見たことがある。


 やらなきゃ殺される。


 グランツ研究所という別の場所に移ったけど、結局あの場所での生活と変わらないということを強く実感した。

 そう、何も変わっていない。ここから先はきっと、地獄の入り口だ。

 ここでやっと、私は悪魔に惑わされて逃げ場のない牢獄に入れられたのだと悟った。

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