7.初めての***1

 楽しい時間はあっという間に過ぎていき、気が付けば朝がやってきた。布団から這い出て体を伸ばす。まだだらしなく寝ているムクのほっぺをつついて楽しんだ後、洗面所で顔を洗った。


 今日から訓練が始まる。私は白獣というのに適合する確率が高いので、将来的には兵士などになる可能性が高い。そのための訓練を行うのだという。兵士の訓練と聞いても、イメージが付かない。剣でも振るのだろうか?


 さっぱりしたところで再び部屋に戻ると、ムクが眠たそうにしながら体を起こしていた。


「おはよ、ムク」


「っむ~、おはよ~」


「眠そうだけど大丈夫? 今日から訓練だよ?」


「うわぁ、眠い…………………っは! 今日から訓練じゃん。急いで準備しないと、遅刻遅刻」


「少し落ち着きなさい」


 起きてそうそう慌てふためくムクにチョップをくらわせた後、昨日ドクターからもらった袋を開いた。中にはナイフなどの小道具と、動きやすそうな着替えが入っている。私はとりあえず、それに着替えることにした。

 うわぁ凄い。伸縮性があって、着心地がいい。体がすごく楽に感じる。一体いくらするんだろうか。値段を考えると、着るのが怖くなる。


「うわぁ、すっご~い、伸びる~」


 お気楽そうに服で遊んでいるムクが羨ましい。私は緊張でこんなにもドキドキしているのに。


「どうしたの、ぼーっとして。寝てた?」


「いや、ムクじゃないから。私はもう準備ができてるの。ムクも早くしてよね」


「ちょ、それひどくない。私の扱いひどくないっ。そこんとこちょっと話し合おうかっ」


「もう時間がないんだから。早く行くよ」


「ちょ、待ってよ。待ってってばっ」


 いったいどんなことをするんだろという漠然とした不安を感じる。けど、きっと大丈夫だろうと思うようにした。だって、ムクを見ていると、悩むのがあほらしく思えてくるんだもの。どんな特訓でも、私はきっと頑張れる。これが幸せになる道だってちゃんとわかっているから。

 一度ムクに視線を向ける。あの子はまだ慌てふためいて、服がこんがらがって床に転がっていた。全く、何をしているのだか。

 とりあえず、私はムクを無視して先に行くことにした。


「ちょ、本当に置いてくの、ねぇ!」


「先に言って様子を見てくるから。ムクも早く来なさいよね」


「こ、この薄情者っ!」


 ムクの声が虚しく響き渡った。




 ◇◆◇◆◇◆




 ムクを置いて、私は先にトレーニングルームに来ていた。けど、誰も人がいなかった。トレーニングルームというのだから、既に誰かが訓練を始めているものだと思っていた。でもよくよく考えてみれば、まだ起きてすぐの時間。そこそこ早い時間帯だ。


 静かなトレーニングルームを適当にほっつき歩く。別にダメだとは言われていないし、訓練するにあたって先に部屋の中を確認しても問題ないだろう。多分、怒られない。

 一通り見ながらトレーニングルームを見ているところで、慌ただしく扉が開いた。


「ごめんなさいっ! 遅刻しましたっ」


 聞こえて来たのはムクの声だった。知っている声を聴いて「ふう」と胸を落ち着かせる。ムクは、「アレ、アレレ?」と首を傾げ、さらに慌てふためき始める。多分、見捨てられたかもとでも思っているのかもしれない。「どうしよう、どうしよう」と本当に困っているような声を出す。というか、私が同じ部屋にいるのだから、そこまで慌てる必要はないのに、と思いながらも声をかけなかった。あの子が慌てふためいている姿を見ると、ちょっとかわいいと思ってしまう。本人には言えないけど。


 ムクのかわいい姿を堪能した後、私は声をかけようとした。


「お前ら、何をしている」


 でも、私の声は後からやってきた巨漢の男にさえぎられてしまう。黒光りする肌。露出する筋肉がひくひくと動いている。髪の毛が一本もない頭の割にかなり厳つい顔をしている、睨まれたら足が竦んでしまいそうなほどの貫禄があった。

 声をかけられたムクは「ひゃい」と言いながら、ゆっくりと後ろを向き、その存在に気が付いた。足を震わせながら、瞳に涙を浮かべているのが見えた。慌てている時にあんなのに声をかけられたのだ、きっと怖くて声も出せないに違いない。

 私はとっさにムクに近づいた。


「おはようございます。今日からよろしくお願いします」


「おおお、お願いします」


 私が厳つい男に頭を下げる。ムクはそれに続くようにして頭を下げた。この厳つい男はきっと私達の教官に違いない。ドクターがくれた袋の中に一枚のメモ用紙が入っていた。そこには、教官にあったらしっかりと挨拶をして礼をすること、と書かれていた。

 その通りにやったのだから、きっと怒られない……はず。


「ふん、今回はマシなのが入ってきたじゃないか。俺は今日からお前たちを指導するものだ。俺のことは教官というように」


「「はいっ」」


「さて、俺はお前らの名前すら知らん。まずは貴様から、名乗れ」


 そう言って、教官は私のことを指差した。一息ついて、心を落ち着かせた後、私はまっすぐ教官を見た。


「はい、私の仮名は89番です。よろしくお願いします」


 そして私の後にムクが続く。


「私の仮名は69番です。よろしくお願いします」


「……ふむ、89番に69番か……なるほど。ところでお前たち、互いのことをなんと呼び合っている?」


 突然問われた言葉の意味が理解できなかった。名前を名乗れと言った後に互いになんと呼び合っているのか訊く理由は何だろうとつい考えてしまう。


「嫌なに、その番号は研究所で与えられた仮の名前だろう?」


「それは、そうですけど……」


 私の言葉を肯定するように、ムクは顔を縦に振る。


「番号以外の名があるのなら聞いておこう。俺としては番号以外の名を使いたい」


 私は一度ムクと顔を合わせ、そして正直に話すことにした。別に規則を破っているわけじゃないし、問題ないだろう。

 だけど、次の教官の言葉を聞いて、名乗って正解だったと強く感じた。


「名があってよかったな。俺の悪い癖で、番号で呼ばれている人間はどうも道具とか材料にしか見えなくてな。間違って殺してしまうかもしれなかった。何せ君たちは研究員からいい素体であるから大事に育てろと言われてしまってな、はっはっは」


 笑いごとじゃない。こんなところで死にたくない。そう思うと同時に、私はとんでもないとこに来てしまったのでは、と今更思った。

 でも、ドクターの言葉を信じていれば、きっと幸せになれる。でも、本当にそうなのだろうか。自分の中で生まれてしまった疑問。それを頭から追い出そうと頭を振った。


「さて、これからお前らを鍛え上げる。まあその前に、軽い準備運動をしよう」


「「はいっ」」


「じゃあとりあえず、これを持て」


 そう言って、教官は私達の目の前に、でかいナイフを投げた。鋭い刃に私の顔が映る。

 ムクに目線を向けるが、こっちには気が付いてくれない。私はそっとその大夫を持った。


「お前らを将来的に国で活躍する兵士に育て上げるのが俺の仕事だ。兵士になるためには、体と心を鍛えなければならない。ムク、お前はなんでかわかるか」


「えっと、体は戦うために強くなければいけないから。心は……敵を前にして戦うことをあきらめない、折れない心を作るため? です」


「ふむ、ハクレイはどう思った」


「私も大体同じです。戦うための体、くじけないための心を作るために鍛えます」


「ふむ、なるほどな。じゃあ答え合わせをしよう。二人とも、半分正解、半分間違えだ」


 え、間違い? 心と体を鍛える理由なんてそれ以外にないと思うんだけど。


「じゃあ答え合わせをしよう。答えは戦う為の体づくりと人を殺すための心を作ることだ」


「あ、あの、教官」


 ムクが突然手を上げた。


「なぜ、人を殺す心を鍛える必要があるのですか。国を守るための兵士ですよね?」


 ムクの質問を共感は鼻で笑う。そして教官はいったん別室に向かい、すぐに戻ってきた。手には鎖を、そして私たちと同じぐらいの少女を引きずって……。

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