5.同室の少女

 笑顔を浮かべる目の前の女の子を見て、私は狼狽えながらも「こんにちわ」と返事をした。


「私の仮名は69番、君は?」


「あ、えっと……」


 君は? と聞かれて答えられるものがなかった。そもそも私に名前はない。どうしようと思い、近くにいたドクターの白衣をぎゅっと握りしめながら助けを求める。

 ドクターは何かを思い出したように「あ」と一声言った後、その場でしゃがみ、私と視線を合わせた。


「すまない、君には名前がなかったね」


「う、うん」


「この施設で教育される子供たちには、仮の名前という形で番号が割り振られる。現在君には89番が割り付けられている。ここの教育カリキュラムを終えて、国のために働けると認めてもらえた時、所長から役割と名が与えられる」


「うん、わかった」


 そう、ドクターに返事をした後、私は部屋の中にいた少女に向き直り、自己紹介をした。


「私の仮名は89番、今日ここで暮します。よろしく」


「こちらこそよろしく。ずっと一人だったか嬉しいなぁ」


 69番と名乗る少女は、私の手を握りしめて上下に大きく振った。勢いに困惑するも、69番の笑顔を見たら、私も楽しく感じてしまい、笑った。

 多分、私達がすぐに打ち解けられたと思ったのだろう、ドクターは、「ルールなどは69番に訊きなさい。私はまだやることがあるから」と言って去ってしまった。


 ドクターの後ろ姿を見ていたら、急に腕を引っ張られ、部屋の中に連れていかれる。


「改めて、ようこそ、わが家へっ」


 実際は研究所内の施設なのだが、もうすでに我が家だといわんばかりに腕を大きく広げていた。


「えっと、よろしくお願いします」


「もう、そんな遠慮しないの。とにかく中に入ってっ、お話しましょう、いたぁ!」


 私が来たのがそんなにうれしかったのか、手招きしながら後ろ向きで歩き、頭をぶつけていた。本当に痛かったらしく、頭を押さえてその場にしゃがみ込む。心配になった私がそばによると、彼女は「えへへ、どじっちゃった」と恥ずかしそうに笑った。

 また私の手を掴み、部屋の奥に連れていかれる。部屋の奥は、少し広い普通の部屋だった。元々二人部屋だったのだろう、ベッドが二つ置かれている。


「とりあえず、ここに座って、いまお茶出すから」


「えっと、うん」


 私は言われたまま椅子に座る。69番と名乗る少女がお茶を持って隣に座った。


「へへ、ずっと一人だったからうれしいな」


「そ、そう?」


 こういう時、どんな反応をすればいいのだろう。私にはお母さんしかいなかった。周りの人間からは好意よりも敵意を向けられていた。いつも独りぼっちで、誰も助けてくれない、生きるためにどんなに危険なことをやっても心配されず、喜ばれず。だから、こうやって好意を向けられると戸惑ってしまう。


 なんて返事を返そうかと頭の中で考えていると、「ねぇ」と声をかけられた。


「名前、番号だと寂しいじゃん。だからさ、私達で付け合おうよ」


「名前を付け合う?」


「うん、だって番号だよ? ここで生活していけば最終的につけてもらえるだろうけど、でも味気ないじゃん? だからさ、私達で付け合うの。なんだか友達みたいでしょう」


 友達とはそういうものなのだろうか。よく分からなかったけど、彼女の笑顔を見ているとなんだか楽しい気分になってくる。だから私は「うん」と返事をした。


「よし、じゃあ私があなたに名前を付けてあげよう。えっと、何番だっけ?」


「ドクターに89番ってつけられたけど……」


「よし、じゃあハク……だと味気ないし、うーん」


 顎に手をやって、唸り声をあげる。ふと、彼女は私の方を見て、何かに気が付いたように「あ」っと声を上げた。


「あ、これ、これよ、これっ!」


 突然立ち上がったと思ったら、私の後ろ側にあった本棚に向かい、一冊の本を手に取った。その本のタイトルは『太陽を奪った白獣と金色こんじきの勇者』、この部屋に来る前にドクターが話していた物語の絵本だった。

 69番が、ぱらぱらとページをめくり、とあるページを私に見せて来た。

 そこには、民を照らす皇帝の姿が描かれていた。


「この皇帝様の名前がね、ハクレイっていうらしいわ。89番だからハク、あとこの物語にちなんで、あなたの名前はハクレイっ!」


「…………ハクレイ」


 呟くと、とてもしっくりくる感じがした。先ほどつけてもらった番号よりも名前らしい。もらった名前に浸っていると、にまにましながら彼女が見つめていることに気が付いた。


「あ、う」


「ふっふ~ん、そんなにうれしいんだ。へ~」


「えっと、今まで名前なんてなかったから」


「そっかそっか、私と同じだね。ねえ、早く私にもつけてよ、名前」


 突然せかされて、戸惑ってしまう。いきなり名前をつけろと言われても、なんてつければいいか思い浮かばない。

 えっと、彼女は69番と呼ばれていたっけ。


「あの、ムク、とかどうかな?」


「え~69番だから?」


 こくりと頷くと、彼女は顎に人差し指を乗せて考え始める。そして、にこりと笑いかけて来た。


「ま、いっか。ハクレイが付けてくれた名前だし。これからよろしくね」


「こっちこそよろしく、ムクっ」


 私たちは手を差し出して、握手を交わす。今日、初めての友達が出来た。

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