第39話「 転 ゲームスタート 」
学校の昼休みはいつも通りうるさいので今日は避難してきた石田君も含めて三人で昼食をとっていた。
「本当なんであんなに騒げるんだ?何とかしてくれよ石衛門。」
「ど、どうしよもないな。」
「電車で轢いてくれ、きっとそうすれば世界は平和になるから。」
「そしたら電車が可哀そうだろ。」
「そっかごめん。」
中身のない話が延々と続く昼休み、そんな平穏が一通のメールで覆されるとは思ってもみなかった。携帯が振動し、画面を開けてみると鶴田さんからのメールが入っていた。
『こんな時間にごめんね。本当にできたらでいいんだけど、今日咲ちゃんに会いに来てくれないかな?ちょっと調子が悪くて、千明君をうわごとで呼んでいるんだ。学校があるから来れなくても仕方ないけど、もし抜けれるなら連絡ください。』
調子が悪い?今まで彼女の体調がよかったので失念していた。慢性白血病、慢性期と呼ばれる期間は軽い発熱など風邪にも似た症状があるがその症状は軽い、それが悪化したというのなら慢性期から移行期に入ったとも考えられる。移行期になると急激に状態が悪化する。にわか知識ではあるが、移行期に入ったということは咲が危険な状況に陥ったということだ、それこそ命に係わるかもしれない。
「どうかしたか?」
大林君がこちらの表情でも読み取ったのか心配げに聞いてくる。俺は平静を装っていった。
「ちょっと知り合いが病気でさ、体調が悪いから来てほしいって言われた。…今日は早退するから授業の時訊かれたら言っておいて。」
「…わかった。」
「サンキュ。じゃ、またな二人とも。」
荷物をすぐにまとめて職員室に向かい担任に事情を伝えた。本当は数か月入院していたこともありこうした早退はいいことではないだろうが、授業と咲どっちをとるかと言われれば言うまでもない。そして急いで病院に向かうのだった。
病院の隣には必ず死がある。だが不思議なもので病院に訪れる人々の多くはその死に香りに気づかない。つんざく消毒液の匂いのせいか、白く潔白な建物のせいだろうか、それとも自分には関係ないとでも思っているからか。だがひとたび病室の扉を開ければやはり死の香りがする。どんなに拭っても消えない、絶望的に絶対的なその概念が。
「…こんにちは。」
咲の病室に入ると鶴田さんが咲を看ていた。もしかしたら仕事をさぼってここにいたのかもしれない。どうも彼女は咲に病人以上の感情を持っているようだから、そばにいたいのかもしれない。咲の病室に足を踏み入れるものは少ない。俺と工藤先生と桑田先生、うちの母もたまに来るという。彼女の両親は来るわけないので、あとは鶴田さんぐらいだろう。一人にはさせたくないほど、咲の状況は悪いのかもしれない。
「こんにちは千明君。咲ちゃん。千明君が来たよ。」
「よう咲。」
そっと咲の手を握る。ベッドに横たわる彼女の手は少し暑い。だというのに血色は悪く、いかにも病人という印象を持った。最後にあった日からまだ数日しかたっていないのにここまで違うのか。
「千明?…今日は休日じゃないけど…。」
「咲が体調悪いっていうから色々サボって特別に来たんだよ。」
「ん…そう…。」
ぎゅっと手を握り返してくる。弱々しいのでそっと両手で包んだ。
「千明君、少しの間、咲ちゃんを見ていてもらっていいかな?」
「いいですよ。今日はいれるだけいるつもりですから。」
鶴田さんは病室から出ていった。いつものような明るさはなく、とりつくろったような笑顔を向けて…余計に心が不安になる。
「千明…。」
「ん?」
「暑い。」
「まだ九月だしな。まあ腹だけは布団掛けとけ。」
左手で布団を折り胸と足を出す。このくらいで結構涼しくなるものだ。首筋にはうっすらと汗をかいている。タオルか何かで拭いてやろうかとも思ったが、いつの間にか右手が咲の両手でしっかりと握られていて動けない。
「ありがと。」
「おう。」
咲は俺の手を自らの顔に近づけ頬にあてた。俺はされるがまま、彼女の横顔を眺めていた。
「千明。」
「ん?」
「これから、強い薬を使うんだって。」
「そうか。」
「それで、副作用で、むくんだり吐いたり、髪が抜けたりするんだって。」
「ああ。」
「きっと醜くなる…それでも来てくれる?」
醜い、十四歳の少女が使う言葉ではないだろう。咲はぼーっとこちらを見つめている。馬鹿な奴だ。俺の答えなど最初から決まっているというのに。
「当然だ。来るに決まってるだろう。」
咲の手を握りしめる。少なくとも俺にこの手を振り払う理由はない。
「咲、お前は自分が周りに比べて飛び切り美少女であることを自覚しろ。」
俺は薄情な人間だ。分不相応にも美しいものが好きだし、魅力的な人間にしか興味はない。咲がそうでなければ、俺はこうしていることなどなかっただろう。
「ブスはどんなに着飾ってもブスだが、綺麗なものはどんな傷ついても穢れてなきゃ綺麗なもんだよ。…だから心配するな。」
本当にどうしていつもこんな長ったらしい言葉になってしまうのだろう。自分のことながら面倒くさい。すると咲はうっすらと笑った。
「長い。」
案の定そういわれた。
「そりゃ悪かったな。」
「でも、よかった。」
咲は目をつぶっていう。少々起きていることにも疲れたのだろう。
「なら、また小説持ってきて。」
「はっ、ずうずうしい奴め、わかったよ。ちなみにだが、最近声優が朗読してくれる小説っていうのがあってな…。」
彼女が眠りにつくまでもう少し話した。
外も暗くなり始め、もうそろそろ母が迎えに来てくれる時間になるというところで咲の病室を出た。寝ているにもかかわらず握りしめてくる手をほどくのは少し罪悪感があったが仕方がないことだ。階段を降りようとするところで鶴田さんとかち合った。
「あ、千明君帰るの?」
「ええ。結局少しじゃなかったですね。」
「ごめんごめん。仕事がちょっとたまっちゃってて。」
「まあ別にいいですけどね。」
看護師は仕事が多い。私情で一人の患者につきっきりというのは無理な話だろう。
「今日はありがとね千明君。私のわがままに付き合ってくれて。」
「構いませんよ。授業休んだくらい大したことないですから。さすがに毎日はできませんけどね。」
「そうだね。…私ね、咲ちゃんの病気が治ったら咲ちゃんと千明君とみんなで遊びに出かけたいなあ。千明君はどこ行きたい?」
「そうですね、北海道でウニ丼と海鮮丼をたべて、九州で馬刺しとサバの刺身を食べに行きたいです。あと香川でうどん、三重県で和牛、東京で柳川鍋とかですかね。」
「全部食べモノなんだ!?」
「もちろん。咲の病気が治って、俺の大学受験も終わったら、全国の美味しいものを巡りましょうよ。もちろん鶴田さんもちで。」
「もーしょうがないなあ。なら約束だよ!?いつかみんなで美味しいもの巡りをしよう!」
「ええ、ですから、ちゃんと咲を治してくださいね。」
「…うん。」
約束というものは一種の未来予知であり未来決定である。先が見えない俺たち人間は約束をすることで未来を定め不安定な足取りを安定させる。道のない道を歩くことは難しい。だがら約束でもして偽りでも道を照らさなきゃやってられないのだ。そう、それがどんなに不完全で果たしようのない約束だとしても。
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