第4話 赤い蕾――祈りの名前
私ことユメの幸せは約束されていると信じていた。
いいえ、不幸の存在そのものを知らなかった。
例えるなら温室で育てられた赤い薔薇。
それも永久に咲き誇る夢のような存在。
幻想の類ではあっても、私たちは産まれながらにそういう存在なのだから何の違和感も覚えたりしない。
地下深く、人口の光を浴びて優しげな風に揺れる赤い花。
勿論、何の不自由もない訳ではないでしょう。世界を巻き込む騒動は私の耳に入っていたし、地下の都市の中でもノーブルだけが入ることを許されたエリアから出たことはない。
言ってしまえば私たちは、同胞と争っている。スレイヴと称される者たちの反抗は激化の一途を辿り、ブルーブラッド(貴族血統)を継ぐ私たち貴族階級は厳重なまでの保護エリアで確保されているのだから。
人間である事を捨てて、飢えることも病めることもなくなった筈だったのに、結局は共食いのように争いは続いている。
いえ、それは魂にこそ秘められた罪なのかもしれませんね。肉体は移ろい、けれど魂に引き継がれたものばかりは変わらない。
美しいものを愛おしむ心のように、欲望もまた愛憎の絆を結んでいる。
こればかりは心持つものの宿命なのかもしれません。
そう、私たちはもう人間ではない。
人間を捕食する不死の存在。昔は夢物語と言われた吸血鬼という幻想譚は、突然変異のウィルスによって現実のものとなる。
だというのにどういうことでしょう。私はゆるゆると微笑みを浮かべて、一輪の薔薇へと透けるように白い指を伸ばす。一度も太陽の光を浴びたことのない、本物のを宿したものを。
「悲しいですね」
が、それは受肉して現実のものとなったのだ。
棘が刺さり、ぷつりと血の雫が指の先端で膨らむ。傷自体は即座に再生しても、流れた血は戻らない。そして、吸血鬼になったものも人には戻れない。ウィルスは科学によって駆逐され、管理されたが、肉体の変質を戻すのは時を戻すようなもの。
ただ、当時はそれが福音だったのでしょう。傷は癒え、病にはかからず、長い寿命を約束された存在への変化は魅力的だ。永遠に咲き誇る薔薇があればそれを願うものがいるように、そういうものになりたいと多くのものが吸血鬼へと変じていく。
人間であることを守り続けたのは少数です。そして、それはどんどんと寿命で減っていく。私たち、赤い薔薇の栄養として蔦に絡まれて枯れていく。人の血を吸う鬼だから、吸血鬼。何のことはなく、今起きているのはそういうこと。
血液を提供できる人間の数が足りないと気づいた時にはもう既に遅かった。今や八割が吸血鬼であり、残り二割の人間が提供する血液では世界全体には行き渡らない。
六割の時点で手を打てば、或いは違ったのでしょう。
けれど、そんな過去は過去の話。どんなに人間へと優遇政策を取っても供給量は足らず、身体能力や異能に目覚めた私たちが弾圧をしたのもやはり事実で歴史。
問題なのはやはり、そこで足りなくなった血をどう分配するのか。つまり、支配体制の問題なのです。貴族階級は飢えることなく乾きを癒す。けれど、スレイヴと烙印を打たれたものたちはそうではない。だからこその反乱。だからこその現状。
そんな世界を、私は知らずに育っていた。温室育ちの、まだ蕾の花として。
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