pierrot~ピエロ~

秋瀬ともす

pierrot~ピエロ~


 あるところに、ふたりの兄妹がいました。両親とともに幸せな日々を送っていました。兄は手先が器用で、手品が上手でした。たまにそれを妹に見せては彼女を笑顔にしていました。


 しかし、彼らの住む国で大きな飢饉が起きました。多くの人が飢餓に苦しみました。盗賊が増えました。娯楽の時間が減りました。


 ある日、兄妹の住む町に盗賊団がやってきました。悲劇でした。町中で火が上がり、人々の悲鳴が聞こえました。兄妹の家族は必死に逃げました。


 兄妹は生き残りました。両親はふたりをかばって死にました。

 その街で生き残った人々は、隣町の人々に救助されました。食料や住む場所も少しずつ助けてくれました。


 しかし、兄妹の顔に笑顔はありませんでした。特に、妹は毎日、茫然としていました。夜になると、毎晩すすり泣いていました。


 兄は、そんな妹の姿を見ることに耐えられませんでした。だから考えました。必死に考えました。妹を笑顔にできる方法を。

 その方法は手品でした。普通にやるのではありません。顔に奇怪な模様をつけ、奇妙な服を着て、とびっきりの笑顔で手品を魅せるのです。時にはおどけた動きも見せます。これは、町に来ていたサーカス団を参考にしました。不景気な世の中でしたが、だからこそ娯楽が人々には必要だったのです。


 兄は見事、妹を笑顔にすることができました。

 妹は、兄の顔を見て、とても嬉しそうにしていました。

 だから兄は、この先ずっと笑顔でいようと決めました。


 兄の手品はどんどん上達し、彼はピエロとしてお金を稼げるようになっていました。兄妹ふたりで旅のピエロとして、いろいろなところに行きました。行く先々の笑えない子供たちを笑顔にしていきました。ふたりに、幸せな日々が戻ってきました。

 ふたりの顔には、いつも笑顔がありました。


 ある街で、妹は一人の男の人と恋に落ちました。その男の人は、町で一番のお金持ちで、兄は安心してその人に妹を託しました。結婚式ではとびっきりの手品で盛り上げました。

 その後も兄は、ひとりでピエロとしての旅をつづけました。もっとたくさんの人を笑顔にしたかったからです。


 数年後、兄のもとに一通の手紙が届きました。

 

 妹が、おもいびょうきにかかったと、書いてありました。しんでしまうかのうせいがたかいと……。


 兄は、妹のいる街に戻りました。

 兄が戻ると、妹の命はもう長くない様子でした。

 死ぬ前に、もう一度、兄の手品が見たいと言う妹に、兄はまた面白おかしい手品を披露しました。妹は笑顔で死んでいきました。


 次の日に、葬式が行われました。妹はその町中の人々に愛されていました。人々は涙を流していました。妹の旦那さんのもと、葬式は厳粛に進められました。


 葬式が終わり、人々が帰ったあと、兄は妹の旦那さんに呼ばれました。兄が旦那さんの前に行くと、彼を強い衝撃が襲いました。

 殴られたのです。なぜ殴られたのか、わかりませんでした。

 そんな彼に、旦那さんは泣きながら聞きました。


――なぜずっと笑顔なのかと。

――なぜ、泣かずにいられるのか、笑い続けているのかと。

 

 その間もずっと、兄の顔には笑顔がありました。


 兄は、それからもずっとピエロとして旅を続けました。たくさんの人を笑顔にするためです。彼は多くの笑顔を振りまきました。笑顔でいられる人を増やしました。彼はずっと、笑顔でした。


 初めてピエロになったあの日から、彼はずっと、笑顔でした。

 

 何がそんなに嬉しいの、と一人の少年から尋ねられました。答えられませんでした。

 手品が好きなのかと、一人の老婆から聞かれました。答えられませんでした。

 

 彼の周りには笑顔が溢れました。彼は国で有名なピエロとなりました。国一番のサーカス団の一員になりました。


 ある日、妹が死んだ町で、公演がありました。

 公演の帰りに、妹の旦那さんの家を訪れました。旦那さんたちは嫌そうにしていましたが、今や彼は国のスター。追い返すわけにもいきません。

 妹の部屋はそのままの状態で保存されていました。妹の家族はそれほどまでに妹を愛していたのです。兄は嬉しくなりました。


 兄が何気なく引き出しを開くと、そこから一通の手紙が出てきました。兄に向けた手紙です。そこにはこんなことが書かれていました。


――お兄ちゃんには、感謝しています。

――お父さんとお母さんが死んで、苦しくて、つらくて、笑うことのできなかった私が、また笑顔になれたのはお兄ちゃんのおかげです。

――お兄ちゃんの手品はすごいです。みんなを笑顔にします。


――でもね、あのとき、私が一番うれしかったのは、お兄ちゃんが笑ってくれたことです。

――お父さんたちが死んでからずっと、私と同じように、苦しそうな顔をしていたお兄ちゃんが笑ってくれたことです。

――それを見て、すごく安心しました。とても心配していたんです。


 兄は驚きました。自分がそんな顔をしていたなんて全く気付いていなかったのです。妹にそんな心配をかけていたなんて……。


――それからの、旅も楽しかったなあ。いろいろなものを見て、いろいろな人に出会ったよね。

――それも、お兄ちゃんのおかげです。

――いま、私が好きな人と一緒にいられるのも、お兄ちゃんのおかげです。


 兄は、うれしくなりました。


――だからね、お兄ちゃん。

――私は、もう、十分幸せだよ。

――お兄ちゃんのおかげで幸せになった人も、たくさんいるよ。

――だからね

――もう、

――無理して笑わなくていいんだよ。

――悲しいときは、泣いていいんだよ。


 兄は、ハッとして、顔を上げました。そこには鏡がありました。

 そこに映っていたのは、とびっきりの(気持ちの悪い)笑顔をその顔に張り付けた、陳腐なピエロの姿でした。

 

 兄は、部屋にあるものを触り始めました。

 妹の服。妹の髪飾り。妹の使っていた羽ペン。妹の寝ていたベッド。妹のつけていた時計。いもうとのにっき。いもうとのすきなほん。いもうとの……。

 

 彼はそのとき、気づきました。

 妹はもう、いないのだと。

 

 彼が、最も笑顔にしたいと願った、愛する妹は、もう、いないのだと。

 

 ピエロの笑顔は崩れ始めました。その笑顔は、粘土細工が壊れていくように溶けていきました。

 その瞳には、涙が溢れはじめました。いつもの目の下の雫のマークとは違う、本物の涙が流れました。

 妹に笑顔を取り戻したあの時から、一度として流したことのない、涙。

 嗚咽が漏れました。

 膝をつきました。

 手で顔を覆い隠しました。

 心のままに、泣き叫びました。


 

 彼は、それからもピエロとして、人々を笑顔にし続けました。 

 彼はさらに有名になり、ほかの国でも、こんなうわさが流れていました。


――涙を流しながら笑う、ピエロがいるらしいと。



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