第17話 散りゆくは必定
茉莉の家に帰ろうとしたところで突然茉莉から電話がかかってきた。それはいわゆる飲みの誘いだった。
場所は大友町の駅近くにある居酒屋だった。そこにはすでに茉莉の姿があった。迷いが吹っ切れたようなそんな顔をしていた。
個室へ通されるとすぐにビールを注文する茉莉。そして……
「ぷひゃ~。久しぶりのお酒はしみるねぇ~」
最初の一杯を一気してグジョッキをダンとテーブルに叩きつける。1杯目を空にすると早くも2杯目を注文した。
わたしは何も訊かなかった。気にならないと言えば嘘になるけど、これは来米家の問題で、他人のわたしがでしゃばっていい問題ではない。
「ってかさー、楡金ちゃんは飲まんの?」
まったく飲めないわけじゃないけど3人とも酔っ払ったら後々面倒くさいことになるのでわたしはノンアルで付き合っていた。ちなみに明里は無言でちびちびとお酒を飲んでいる。
「それにしてもあんがとね~。ぶっちゃけ脅迫状の送り主が判明するとか思ってなかったし」
なにげに酷いことをサラリと言ってのける。
「しかも……それ以外にもいろいろ世話んなっちゃったしね~」
そう言いながら茉莉が抱きついてきた。
「んぎゃ! ちょっと、こぼれるから!」
わたしは手にしていたグラスを慌ててテーブルに置く。
「んふふ~。楡金ちゅわ~ん」
甘ったるい声を出しながら頬ずりしてくる茉莉。アルコール臭かった。最初のイッキが効いてきたのかすでに言動が怪しくなっていた。
「ちょっと。離れてってば!」
「いやだよ~。――ってか楡金ちゃん。あたしと結婚しよう!!」
「ひゃう――っ!?」
茉莉はバカなことを言いながらほっぺに吸い付いてきた。ちゅーとかそういうレベルじゃなくて、ほんとの吸い付き。茉莉の吸引力によってわたしのほっぺがどんどん口の中に吸い込まれていく。
「ちょ、ひゃめて……ひゃめろぉ――」
チュポンと言う小気味いい音を立てて唇が離れた。
「もぅ、汚いでしょうが」
わたしがおしぼりでほっぺを拭くと、
「きたなくないでしょ! 結婚したら毎日ちゅ~するぞいっ!」
「結婚って……誰と」
「楡金ちゃんに決まっとるでしょ~」
「無理に決まってんでしょ!」
「ダイジョブダイジョブ~。橋口さんなんてほっときゃいいのよ~」
「いや、そうじゃなくて。同性同士で結婚とか無理でしょ」
「いや! する! できる! むりなら整形して男になる!」
「は、はぁ? それっていろいろ問題でしょ」
「そんなの知らん! ――そうだよ! 男になれば~村長になれるじゃんないよ!?」
またわけのわからないことを言いながらわたしに抱きついてくる。
「ちょ――明里ぃ、助けて」
わたしが助けを求めても、明里は「男になるという方法もあるんですね」と呟きながらマイペースにやっていた。
明里も酔っ払ってるのか……
その後はもうてんやわんやだった。
茉莉がいきなり服を脱ごうとしてそれを止めたら今度はわたしの服を脱がそうとしてきたり……
とにかく止めたり防いだりで必死だった。そんなわたしの苦労をよそに明里はずっと無のままお酒を飲み続けていた。
だけど、不思議と嫌な感じはなかった。むしろ楽しかった。明里は普段からずっと落ち着いていてバカ騒ぎをするようなタイプではない。
思えば高校を卒業して以来気心の知れた相手こうやって騒ぐのは初めてのことだ。
たまにはこういうのもいいかもしれない――そう思った。
「楡金ちゃん!! 隙ありぃ~」
いきなり茉莉がわたしの胸に顔をうずめてきた。そして、両手で胸を挟み込むようにポンポンと軽く叩く。
「やわやわ~。ほかのおとこに~渡したくないぃ!!」
――前言撤回。
「離れろ変態っ!!」
わたしは無理やり茉莉を引き剥がした。
もう茉莉とは一緒にお酒の席にいかないと誓った瞬間である。
…………
騒がしかった宴が終りを迎える。酔いつぶれてテーブルに突っ伏す茉莉。畳に寝転ぶ明里はテーブルの足にしがみついている。唯一のシラフであるわたしはこの後どうやって帰ろうかと考え辟易となる。
すると突然部屋に携帯の着信音が響く。茉莉の携帯だ。
「ほら、茉莉。電話鳴ってるよ」
わたしは茉莉を揺り起こす。
茉莉は寝ぼけながら、あるいは酔っ払いながらもカバンから携帯を取り出して通話を開始した。
「ぅん。どうしたの? ママなんか泣いてない?」へべれけな感じで受け答えする茉莉。しかし唐突に「……え?」とシャキっと背筋を伸ばして表情を凍らせる。
不穏なものを感じ取ったわたしは何があったのか茉莉に訊ねる。
「父さんが……」
茉莉は最後まで言わずに、慌てて身支度して個室を飛び出していく。
「茉莉!?」
わたしは後を追いかけようとして、明里のことを思い出す。
ちゃんと明里を起こして、お会計を済ませて、それから茉莉を追いかけた。店を出た時には茉莉の姿はなかったけど「父さんが……」という言葉からその行き先はわかっていた。わたしは急いでタクシーを拾って、まだ酔が覚めない状態でフラつく明里を押し込んでからわたし自身も乗り込む。そして、来米家まで急いでほしいと頼んだ。
…………
来米家に到着すると、門前に救急車が止まっていた。それを目の当たりにしたことで明里も酔が覚めたようだった。
タクシーを降りて屋敷の門をくぐると担架に乗せられた蓮司さんと付き添うようにして歩く晶子さんとすれ違う。
「八重様。これは――」
わたしは何も言わずに石橋の方に向かって走った。そこには橋の上に座り込む茉莉と立ち尽くすトミさんの姿があった。
「何かあったんですか?」
わたしはトミさんに訊いた。
「旦那様が……池で溺れていたんです」
「!?」
それを聞いた瞬間にわたしは池の方に視線を向けた。
溺れた……?
まずあり得ないと思った。なぜならわたし自身この池で溺れかけたことがあるからだ。この池は大して深くなく、水位は膝のあたりまでしかない。わたしは確認するように橋の際へと移動する。足元でジャリっという感触があった。
「うん?」
そこには袋に入ったなにかがあった。拾い上げてみると、それは鯉の餌だった。
「トミさんさっき溺れたって言ってましたけど。蓮司さんはここで何をしてたんですか?」
わたしが尋ねると、トミさんは蓮司さんは毎夜鯉に餌をやるのが日課になっていたと教えてくれた。そういえば初めて会ったときも鯉に餌を上げていたのを思い出す。
「足を踏み外して溺れたのかも……」
先程から一言も喋らなかった茉莉が力なく言った。
橋はあのときわたしが落ちたときのままになっている。新しく欠けたりとかはしていない。
「仮に踏み外したとしても溺れるような深さじゃないよ。茉莉が教えてくれたんだよ」
「池に落ちたショックで心臓が止まったとかだったら?」
「それは……」
たしかになくはない。冬の池の水は冷たい。わたしはそれを身を持って実感している。蓮司さんくらいの歳の人ならその可能性も否定できない。そもそも鹿谷さんはそれを狙って橋に細工を施していたんだから。
「だけどやっぱり違う」わたしは自分が手にしていた餌袋にもう一度視線を移した。「もし足を踏み外したなら鯉の餌の袋が橋の上にあるのはおかしいよ」
餌をやるとき袋を地面においていちいち屈みながら餌をやるよりも、片手に袋を持ってもう片方の手を使って餌を撒くのが普通だ。蓮司さんのように年配の人なら腰への負担を考え、よりそうするだろう。
「だったらどうして?」
「どうしてって……」
そんなの決まってる。自分で落ちたんじゃないのなら――
「……ん?」
わたしはあることに気づいて周囲を見渡した。
「どうかしたんですか?」
トミさんが怪訝な表情を浮かべる。
「いや、えっと、鹿谷さんの姿が見えないなと思って」
わたしが言った瞬間茉莉は立ち上がって、わたしと同じように周囲を確認する。明里もそしてトミさんもそれに倣うように同じことをする。
「ちなみに鹿谷さんはずっと家にいたんだよね?」
わたしが茉莉に訊ねる。
「うん、そのはず。だよね?」
茉莉がトミさんに確認する。
「はい。夕飯が終わってから心愛ちゃんが自分の部屋に入って行くのを見ましたから」
それからわたしたちは鹿谷さんを捜すべく敷地内を見て回った。そして彼女は屋敷の蔵の中で見つかった。首を吊った状態で……
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