第16話 懐裡

 病院でわたしの考えを茉莉に話したあと島津さんと別れ2人で茉莉の家に帰った。茉莉の荷物を部屋まで運ぶのを手伝うと、彼女がこんなこと言った。


「ねぇ、ところで卯佐美ちゃんはどうしたの?」


「……あ!」


 そう、わたしは明里のことをすっかり忘れていたのだった。


 …………


 明里は律儀にも村役場の外でずっとわたしが来るのを待っていた。役場内の食堂は一般にも開放されているのだからそこで待っていればよかったのに、それをせずずっと外で寒い中ひとりで待っていたのだ。


 だいたい何でもそつなくこなす明里だけどちょっと抜けてるところがある。でもそういうところが可愛いかったりするんだけど。


「八重様。寒かったです」


「ごめん、ごめん!」


 わたしは明里と合流してすぐに役場の食堂内へ移動し温かい飲み物を注文した。


 明里がブラックのコーヒーを一口飲んで、電話で話していたことなのですがと話した。


「あ、えっと、それなんだけど……事件は一応解決しちゃったんだよね……」


 わたしの推理はすでに茉莉に話した後だ。もちろんその話を受けて茉莉がどういう行動を取るかは本人次第だけど、少なくともわたしの役目は終わっている。


「そうなんですか? でも、私の話したかったことはそれとは別のことなんです」


「別のこと?」


「はい。実は、橋口さんのことを監視している途中で松永さんを見かけたんです」


「松永さん……て、あの松永さん?」


「はい。誰かと電話で連絡を取りながら、私と同じように橋口さんの動向を窺ってたみたいなんです」


 今日の橋口さんの行動は、車でどこかへ移動するまでは商店街内で村の人たちと話をして回っていたらしい。おそらくこれが島津さんの言っていた根回しなんだろうけど、それを松永さんも同じように監視していたってわけだ。


 ……非常に気になるところだけど、それだけの情報ではなんとも言えない。


「こっちのことは相手に気づかれてないよね」


「たぶん大丈夫です」


 それを聞いて一安心。相手が何をしていたかはわからないけれど無用なトラブルに巻き込まれるようなことだけは避けたいからだ。


「気になったことはそれだけ?」


「はい。ほかは特にこれと言って。それで、この後はどうするんですか?」


「ん? うん。実は脅迫状の件でちょっと気になることがあって、蓮司さんに聞いておきたいことがあるんだよ」


「そうなんですね。では、このままここで待つんですね」


「うん」


 …………


 わたしと明里は蓮司さんが来るのを役場前で待ち構えていた。すると彼が姿を表した。専用車両と思われる黒の高級車から降りてきた蓮司さんはどこか疲れたように顔色が優れない様子だった。


 蓮司さんがわたしたちの姿を見るなり露骨に表情を曇らせる。


「君か……。探偵だそうだな。まったく。余計なことをしてくれる」


 どうやら茉莉はわたしの正体を話したようだ。


 たしかに蓮司さんからすればわたしのしたことは余計なことだ。でもそれはあくまで彼の立場からの意見で、わたしは茉莉のためにやったことだ。後悔はしてない。


「で? 私に何かようかね」


「ひとつだけ気になることがあるんです。気になったことは調べないといられないタチでして……」


「ふん。損な性分だな」


「自分でもそう思います」


「話してみたまえ」


「脅迫状の送り主の話は茉莉から聞いてると思いますが。――?」


 蓮司さんは明らかに表情を変えた。どうやら隠す気はないらしい。


「その根拠は?」


「警察が半年で捜査を打ち切った点です」


 蓮司さんが命を狙われているかもしれないということで定期的に見回りが入ることになった。それを担当していたのは村の駐在所に勤める警官で、その人は半年の間見回りを続けた。だけど、脅迫状がただのイタズラである確証がない限りは蓮司さんは常に命を狙われているという状態だったにもかかわらず見回りは半年で打ち切られた。


 話によれば駐在所勤務の警官が不定期に村長宅を見回りに来ていたのはボランティアだということだ。だったらずっと続けていたっていいはずなのに、それすら打ち切られたのだ。


 考えられる可能性は2つ――警察が脅迫状がイタズラであるという確証を得たか、犯人が特定できたかのどちらか。


 そこでわたしは後者であると考えた。


「ここからは完全にわたしの想像ですが聞いてください――


 警察だって無能じゃないから、わたしにできたことを警察ができなかったわけがないんです。おそらく蓮司さんは警察から脅迫状の送り主が鹿谷さんだと聞かされていた。

 だけど彼女が犯人であることを家の人間に知らせれば彼女は家を出ていかざるを得なくなる。たとえ家の人間が鹿谷さんを許しても必ずしがらみのようなものは残る。そうなれば鹿谷さんが自分の意志で家を出ていってしまうこともあったでしょう。


 だからそれを防ぐために蓮司さんは真実を自分の内にしまうことにした。


 失礼を承知で言いますが、この村では代々商売をしている家は別ですが、女性がひとりで生きていくにはかなり過酷な環境にあります。だから仕事先はもっぱら大友町になる。

 茉莉が教えてくれたんですが、茉莉の本当のお父さんは事故でなくなったそうですね。その時残された晶子さんには子どもの茉莉がいた。シングルマザーで隣の大友町に通いながらの生活をするとなるとかなり厳しいものがあると考えた蓮司さんは晶子さんを自分の身内として招き入れた。

 でも、どんなに金銭的に余裕があったとて普通の人はそこまでしないと思うんです。でもあなたはそれをやった。


 そんな蓮司さんだからこそ鹿谷さんを庇う理由は十分にあるんです」


「ふっはっはっ――」蓮司さんが見たことのない豪快な笑いを見せる「さすがは探偵……と言ったところか。それだけが理由ではないが、概ね正解だな」


 そう言って、蓮司さんは話は終わりだと言わんばかりにわたしの脇を通り過ぎる。わたしは振り返って彼の背中に向けてもうひとつ疑問を投げかけた。


「なぜ野放しにしておいたんですか?」


 蓮司さんはピタリと動きを止めた。振り返りはしないが話を聞くきはあるという意思表示と受け取った。


「犯人が心愛ちゃんであることを公表すればどう転んでも今の関係が終わってしまうというのはわかります。ですが、?」


 実際は心愛ちゃんの意志ではなく、裏で橋口さんが指示を出していたというわたしの推理はすでに茉莉から聞いているだろう。だけどそれを知る前はずっと心愛ちゃんの意志だと思っていたはずで、蓮司さん本人には心愛ちゃんが本気かどうかの判断はつかなかったはずだ。


 すると考えられるのは蓮司さんは心愛ちゃんから脅迫状を送られる理由に思い当たるフシがあったということだ。そして、それを野放しにしていたということは、


「まさか、変なこと考えていたりしませんよね?」


 すると蓮司さんがこちらに振り返った。そこに厳しい表情はなくほんの少しだが穏やかさを湛えていた。


「君の仕事はもう終わりだろう。さっさと家に帰りたまえ」


 質問に答える気はないようだ。残念ながら蓮司さんの表情をどう解釈すればいいかの判断はつかない。


 蓮司さんは再び前を向いて歩き出した。わたしはただその背中を見送ることしかできなかった。

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