第10話 脅迫状の送り主

 わたしは自分の考えが正しいかどうかを確かめるため敷地内を散策することにした。明里は何も言わずにわたしに付いてきてくれた。


 まずは安西さんが事故に遭った蔵へ向かった。すると、蔵の近くに2人の人物の姿をがあるのを見つけて慌てて影に隠れた。

 別に隠れる必要なんてなかったのかもしれないけど、自然と身体そういう行動をとった。たぶんそれは2人の人物が橋口さんと鹿谷さんだったからだ。


 ここからだと何かを話している声が音として認識できる程度でその内容まではわからない。 


 そもそも橋口さんが家に来るなんて話は聞かされていない。十中八九屋敷の裏口から黙って入って来たのだろう。だとすると怪しさも倍増だ。


 一方は村長の娘の婚約者。一方は村長の家のお手伝いさん。その2人が影でコソコソ話をする関係性にあるとは思えない。


 鹿谷さんが不安げな表情で橋口さんに詰め寄っていた。


 橋口さんに何かしら抗議してるってところか……


 そして、その言葉を遮るようにして橋口さんが詰め寄る鹿谷さんを無理やり抱き寄せ唇を奪った。


「ふぇ――ぅごぉ!?」


 ――なんですとぉっ!?


 思わず声が出そうになったわたしの口を後ろにいた明里がとっさに手で覆う。


 それからの明里の行動は素早かった。スマホを取り出しカメラを起動し2人の様子を撮影する。


「もが……もごもご……」


 わたしの口はまだ塞がれたままだ。


「橋口さんは最低野郎だと来米さんに報告しないといけません。これは証拠です」


 ひどく冷静に淡々と言ってのける。それはそれでいつもの明里だが、その明里の口から最低野郎という言葉が出てきたことのちょっと以外だった。


 2人は体を離し、二、三言葉を交わすと、橋口さんは裏門の方へ、鹿谷さんはこちらに向かって歩いてくる。このままでは鉢合わせしてしまうのでわたしたちは急いでその場を後にすることにした。


 その時一瞬だけ見た鹿谷さんの顔はとても嬉しそうで頬が緩みきっていた。ここに来て初めて見る彼女の笑顔だった。


 …………


 とんでもないものを見てしまった……


 役所での一件と大友町での一件に続き三度目だ。


 今回は証拠を抑えた。これでもう彼は言い逃れできないだろう。ただしこのことを茉莉に話すかどうかは躊躇われた。

 なにせ今回の相手は屋敷のお手伝いさん。茉莉にとっても親しい人で、これを知ればショックは相当なものだろう。


『よくわかんないけどあの娘に嫌われてるんだよね』という茉莉の言葉が思い出される。


 鹿谷さんが茉莉を嫌ってる理由はこういうことだったのだ。


「のわっ!? ――とっと……」


 わたしは足を何かに引っかかって転びそうになった。昨晩からこんなのばっかりだ。今に限っては考え事をしながら歩いていた自分にも非があるけど。


「大丈夫ですか?」


「うん。なんとかね」


 にしても、わたしは一体何つまずいたのか。


 地面には年季の入った赤い絨毯が敷いてあり、見える範囲には足を引っ掛けるようなものは見当たらない。


「野点用のスペースか……でも絨毯を敷きっぱなしにしておくってどうなんだろ」


 現に赤い絨毯の毛はすべてヘタってしまっていて、ごわごわになっている。座り心地もさぞ悪かろう。


「八重様。違いますよ」


「え? なにが?」


「野点のときに使う敷物は毛氈と呼ばれるもので絨毯とは別です。おそらく、野点用のスペースに余計な芝が生えないように、使い古した絨毯で地面を覆っているんじゃないかと……」


「なるほど」


 野点の際は今敷かれている絨毯の上に毛氈とやらを敷くのだろう。


「ねえ明里。ちょっと手伝ってくれる?」


「ええ。構いませんよ」


 内容を伝えていないのに、明里は快く了承してくれる。


「じゃあまず。あの椅子をどけよう」


「椅子じゃなくて。床几台ですね」


 床几台とやらを2人で持って絨毯の上からどかす。2人で持ち上げたためか予想よりも軽かった。次に傘(野点傘)を傘立てごと動かして絨毯の外へ。これで絨毯の上に置かれていたものはなくなった。


 物をどかした理由は、わたしは一体何につまずいたのかを知るために絨毯をめくってみたいと思ったからだ。

 わたしと明里はそれぞれ絨毯の角に移動して、せーのでそれをめくり上げた。


 絨毯の下には芝が生えておらず、土が剥き出しになっている状態だった。そして、中心からすこし端の方に不自然な石を見つけた。


「これか……」


 拳1つ分くらいの石。結構な大きさだ。その石をつかんで取ろうとすると、それはどうやら地面に埋まっているようだった。


 掘り出そうと思っても、周囲の土は結構な圧で踏み固められているらしく、少なくとも素手では無理そうだ。


 すると、明里が変わってくださいと言って、石を両手でつかんだ。グリグリと動かして、それを繰り返すうちにだんだんと石を大きく動かせるようになり、スポンっと芋掘りみたいに抜けた。取り出した石は拳3つ分くらい。そのうち2つ分が地面に埋まっていたことになる。


 明里はそれを引っこ抜いたのだ。明里がすごいのは十分理解しているつもりだったけど、まさかこれほどまでとは。


「穴が空いてしまいましたけどどうしましょう?」


 たしかに、穴をこのままにして絨毯を戻すのは危険だ。石につまずく危険性はなくなったけど、穴に足引っ掛けては元も子もない。


「とりあえずこうしよう」


 わたしは明里が手にしていた石をもらって、それを使って地面に空いた穴を大きくした。それから手にしていた石を穴に入れて、掘った土を上からかぶせた。石が突き出していた分だけ土が余るわけだけど、薄っすらと均しておけばそう目立つものではない。それからめくった絨毯をもとに戻して、床几台や野点傘を元の位置に配置した。


「これでよし!」


 パンパンと手を払って……


「さて、と……」


 考えなくちゃいけないのは、わざとらしく頭を出していたあの石は何だったのかってことだ。


 この絨毯がいつ頃からこのままの状態だったのかはしらないけど、流石に絨毯を敷く段階で気づくだろう。


 わざと……って考えるのが普通か? だとしたら……


 …………


 次にやってきたのは屋敷の正門。ここに来た理由は郵便受けを調べるためだ。


 早朝、郵便物を持った鹿谷さんと玄関で出くわしたときに、郵便物の確認は彼女の役目だと言っていた。


 脅迫状には切手がはられていないことを考えれば、それは直接郵便受けに投函されていると考えるのが普通だ。そして、郵便受けに近づいても怪しまれない人物ならそれが容易にできる。ということは……


 来米邸の郵便受けは門の直ぐ側の外壁にガッチリと固定されていた。外から物を入れたら屋敷の内側からしか取り出せない仕組みになっている。そしてもうひとつ特徴的な箇所があった。


「鍵がついていますね」


 明里が郵便受けの取り出し口に付けられている南京錠に触れながら、珍しいものを見るような感じでつぶやいた。


 かく言うわたしもちょっとだけ驚いた。


 家のポストに鍵をかけるという概念を持ち合わせていなかったからだ。もちろんアパートやマンションのように投函口と取り出し口が同じ方向に付いているタイプの郵便受けなら鍵をかけるのはわかる。


 だけどこの郵便受けは屋敷の中からしか取り出せないのだ。中に入っているものを盗もうと思った場合は敷地内に侵入しなければならないので、戸締まりさえしっかりしていれば盗まれる心配はほぼないと言っていい。


「かなり厳重だね」


「村長の家ですから用心するに越したことはないということでしょうか」


 たしかにそれはあるかも知れない。村長ともなればなにか重要なものが家に届くこともあるだろう。


 兎にも角にも、この南京錠のおかげでわたしの考えはほぼ固まりつつあった。


 …………


 敷地内をぐるっと回るようにしてわたしたちは蔵のある場所に戻ってきた。さっきみたいに誰かがいるようなことはなかった。蔵の扉はしまっていて、和錠タイプの錠前が掛けてあった。正面にある鍵穴に鍵を入れて回すと上部のシリンダーが横にスライドして開くタイプの鍵だ。

 しかしその鍵は壊れていて今はただ申し訳程度に扉の穴にシリンダーが引っ掛けてある程度だった。


「安西さんはこれを壊したんですよね? どうやって壊したんでしょうか?」


 明里の言うことはもっともだ。そもそも鍵っていうのは簡単に壊せないから鍵なのだ。


「病院へ行ったとき安西さんに聞いとけばよかったかな」と反省しつつ、今はそのおかげで難なく蔵へと侵入できることに感謝する。


 そして、蔵の中に入るなりわたしは“それ”を見てしまった。


「まさか……」


 蔵の奥にある棚の上。安西さんに怪我を負わせた桐箱が追いてあった場所にあのときとは違う箱が置かれていた。


「明里、あの箱取れる?」


「はい」


 わたしがせり出していた箱を指差すと明里は少し背伸びして箱を取った。


「これ、結構な重さすね」


「ほんと?」


 箱を受け取ると確かにずっしりとした重みを感じる。その箱は安西さんの頭に落ちたものとは別物だけどサイズや作りはほぼ同じ印籠箱だった。


 中身が気になったわたしは箱を床に置いて蓋を縛っている紐を解いた。そして蓋を開けてみると中に入っていたのは……


「これは……」


「漬物石ですね」


 円柱形の漬物石には重さが5キロであることを示す文字が浮き彫りになっていた。


 箱の大きさがだいたい同じことから、おそらく安西さんの事件のときも箱の中にはこれが入っていたのだろう。

 そして、あの事故があった後で誰かが新しい箱を用意して石を入れ直して棚の上に置いたということだ。しかもただ置いたわけじゃない。箱が前にせり出した状態で。

 これだけの重さのものが頭上に落ちたのだ。安西さんがあの程度の怪我で済んだの運が良かっただけで、一歩間違えれば死んでいた可能性だってあるだろう。


 これは明らかな殺意の現れだ。だが一方で確実な方法ではないことも事実。ずっと前から木箱をせり出した状態で設置しておいたとしてもそのトラップがいつ発動するかを完全に掌握することはできない。


 つまりこれは偶然を装って対象を殺害するタイプの殺人だ。


 …………


「あ……」


「おや?」


 家に戻ると、玄関にはトミさんがいた。彼女はわたしが壊してしまった蓮司さんのつっかけを手にしていた。


 わたしの視線がつっかけに向けられていることに気がついたトミさんが、「これはほんの30分くらい前に茉莉お嬢さんに捨てておいてと頼まれたんですよ。頼まれたときは食事の後片付けをしていたものですから後回しにしていたんです」と説明する。


「えっと、それ……わたしが壊しちゃったんですよね……」


 申し訳なさそうに言うと、トミさんはたいへん驚いた表情を見せる。


「おやまあ! そうだったんですか? でも、いくら安物でも靴が簡単に壊れることはないですよ。きっとガタが来ていたんでしょうね」


 言われてみればそうだ。


 しかも壊れたのはつっかけの甲の部分。そこはいちばん重要な部分でよほどのことがない限り丈夫に作るはずだ。


「この家の掃除などはトミさんが請け負ってるんですよね?」


「以前はそうでしたよ。ですが、心愛ちゃんがこの家に来てから事情が変わったんですよ」


「事情が変わった?」


「ええ。心愛ちゃんがここで働き始めてから2ヶ月ほど経った頃に、屋敷内の掃除は全部自分がやると言ってくれたんです。それで、私もいい歳ですから、それはありがたいと思い、今では炊事と洗濯しかやっていないんです」


「つまり、鹿谷さんが見落としていた……」


「ええ、そうなりますが、掃除のたびに靴を全部チェックするかと言うとそうでもないでしょう」


 トミさんの意見ももっともだ。


 一旦靴のことは置いておいて、重要なのは屋敷内の清掃は鹿谷さんがひとりでやっているという点だ。その中には当然、蔵も石橋も野点用のスペースもすべて含まれるはずだ。


 蔵の中の不自然に突き出した棚の上の箱。人為的に切断された形跡のあった石橋。絨毯の下に妙な形で埋められていた石――それらをすべて見落としていたということになる。


 仕事を適当にこなしていたというのはないだろう。鹿谷さんがそういう人ならわざわざ自分から掃除をすべてやるなどとは言わないはずだ。


「あの、もうひとつ聞いてもいいですか?」


「ええ。何でしょう?」


「今朝、新聞を取りに行っている鹿谷さんと鉢合わせしたんですけど、鹿谷さんは毎朝新聞を取りに行ってるんですか?」


「ええ。そうですよ。それも掃除と同じで私がやりますって言ってくれて、とにかく本当に助かってますよ」


 目尻にシワを寄せて笑顔で語るトミさん。鹿谷さんをとても良く思っていることが伝わってくるほどに。


 しかし、きっと現実はそうじゃない。おそらくそれは自分の行動を円滑に進めるための方便だ。


「ちなみになんですけど、さっき見て驚いたんですけど、この家の郵便受けには鍵がついてますよね? その鍵は心愛ちゃんが持ってるんですか?」


「ええそうですよ。あと旦那様も持っていますねぇ」


 なん疑いもなく素直に答えてくれるトミさん。なんだかお年寄りを騙しているような錯覚を覚え少しだけ心が痛んだ。


 だけどこれで確信を持って断言できる。


 脅迫状の送り主――それは鹿谷さんで間違いない。


「それにしてもトミさんはすごいですね」


 それまでずっと黙っていた明里が突然トミさんを褒めた。


「いきなりどうしたの、明里」


「八重様。考えてみてください。鹿谷さんがこの家に来る前はトミさんがすべての仕事を請け負っていたということですよ」


「ああ、たしかに」


 言われてみればそうだ。わたしがやれと言われたらきっとすぐに音を上げてしまいそうなことをトミさんのその年で文句ひとつ言わずにすべてこなしていたのだ。


 するとトミさんはふふふと笑った。


「たしかに一時期はひとりでこなしていたこともありましたけど、以前別の方がここにいて、その人と一緒に仕事をしていたんですよ」


「そうなんですか」


 さすがに全部ひとりでってのは現実的じゃなかったみたいだ。


「その人は旦那様の前の奥さんと仲が良くなくてですね、辛く当たられていたんですよ。私も何度か止めに入ったこともあるんですがそれでも奥様はの態度は変わらず、結局仕事を辞めて出ていってしまったんです。すると今度は旦那様が『お前が辞めさせたのか!』とお怒りになって、奥様は奥様で『私よりあの見窄らしい女がいいのか』と喚き散らして、そりゃぁもう酷いものでしたよ。喧嘩の後始末はいつも私がやらされて本当に困ったものでしたよ。ええ。……でもそれも5日と続かず、最終的には奥様も家を出ていってしまったんです」


 トミさんは長々と昔話を語ってくれた。最後はちょっと愚痴っぽくなっていたけど、それに対してわたしは「は、はあ……」と適当な相槌を打つことしかできなかった。

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