第8話 目撃
朝一で役所へ行くという予定は今朝の事故の影響で遅れ昼から出発することになった。
しかも……
「えぇー、手伝いー?」
茉莉が晶子さんから式の手伝いを頼まれることになった。本人はこっちについてくる気満々だったけど、相手が晶子さんなのもあってか茉莉は渋々ながら手伝いを了承した。結局また延期かと思われたが、茉莉はわたしと明里の2人で行ってきてと言った。役場に行くだけなら特に案内役の人間がいなくても大丈夫のはずだからと。
そんなわけで、わたしたちは2人だけで役所へ向かうことになった。
道は教えてもらうまでもない。来米邸近くのバス停からバスに乗ってそのまま役場前で降りるだけだ。
バスに揺られ20分ほどで来米村の役場に到着。建物は3階建てで外観はコンクリートのグレー。結構な年数が経っているようで、雨だれによる影響かところどころ黒く変色している。
とりあえず中に入ってみる。
エントランス部分に当たる場所には受付がありそこには年配の女性が座っていた。
特に役場自体に用事があるわけでもないので受付はスルー、適当に中を見学することにした。
「八重様。脅迫状の件は忘れていませんよね?」
もちろん覚えている。
ここにはその手がかりを見つけるために来たんだから。
「だけどこんなとこに手がかりなんてあるのかな?」
そもそもここへ行こうということになった理由は蓮司さんの交友関係を探るためだ。それを知るためにはどう考えたって茉莉の協力が必要じゃないか。
茉莉の提案に乗って勢いでここまで来たけど、改めて考えてみればわたしはここに何しに来たんだって感じだ。
そもそも蓮司さんの交友関係を調べたところで脅迫状の送り主が特定できるのかも問題だ。
手がかりになるのは家に送られてくる脅迫状のみで、そこから犯人を割り出すってのはかなり厳しいものがある。
警察――正確には村の駐在所勤務の警官――が半年の間来米邸の周辺をボランティアで警備していたって話だけど、当然犯人の捜索だってやっていたはずだ。にもかかわらず犯人を特定することはできなかった……
「うぅん……あれ?」
考え事をしながら歩いていたら、いつの間にか明里とはぐれてしまっていた。辺りを見回してみても近くにいる様子はない。そもそも人の気配がない。すぐ近くに階段があったので、試しに上ってみるも、明里は見つからない。
「呼び出しとかってできるのかな」
それが一番確実な方法だ。
1階に下りて受付に行こうとしたところで、どこからか女の人の声が聞こえてきた。
――もしかして明里がわたしを捜してる?
そう思い声のする方へと進んでみると、廊下の先に扉が半開きになっている部屋があった。流石に部外者が堂々と中に入っていくのは躊躇われたので、こっそりと中を覗いてみることにした。
――これで中にいるのが明里だったら、明里は勝手に中に入ったってことになるけど……
外から覗いて見る限りでは、その部屋はどうやら物置のようだ。そこに男女の姿が見えた。2人はなにか話をしているみたいだが、その内容はわからない。
――って、何やってんだわたし……
女性の方は明らかに明里ではない。だったら、いつまでも覗いていたって意味はない。その場を後にしようとしたところで、ふと、あることに気づく。
男性の方には見覚えがあった。眼鏡をかけたその男性は、昨日商店街で会った茉莉の婚約者だ。彼は時期村長って話だからここの職員で間違いないんだろうけど、コソコソしている感じは何かあるように思えた。
――うぅん? ……はっ!?
「はぅわっ――!!」
それを見て思わず声を上げてしまった。
「――誰だ!?」
両手で口を抑え脱兎のごとく逃げ出した。
――な!? なななななんで!?
見てしまった。間違いじゃない。2人はキスしてた。
どういうこと? あの人って茉莉の婚約者じゃなかったの? もしかして浮気ってやつ?
「――て、うわっ!?」
混乱してわけもわからずに走っていたら、通路の角から出てきた人にぶつかった。
「す、すいません!!」
慌てて謝罪すると、
「八重様。こんなところにいたんですね」
知ったセリフが聞こえてくる。
「明里!? どこ行ってたの!?」
「八重様こそ急にいなくなってどうしたんですか?」
「はっ!? そ、そうだった! キ、キスが……」
「キスですか? 天ぷらの話でしょうか?」
「へ?」
明里の中ではキスって言ったら魚なのか……
その時明里のお腹からぐるるぅと不思議な音が聞こえてくる。
「……天ぷらですね」
そういえば今日は朝から何も食べていないことに気づいた。きっと明里の頭の中はお昼ごはんのことでいっぱいだったのだろう……
当初の目的だった蓮司さんの交友関係を調べるという目的は果たせていないが、さっきの出来事のせいでしばらくは調査に集中できそうになかったので、わたしたちは役所を後にすることにしたのだった。
…………
その日の夜は茉莉の家で夕食をごちそうになった。
普段は晶子さんが夕飯を作るらしいけど、今日は出かけていたたため、トミさんが作ったものをごちそうになった。トミの作る料理は家庭的でとても美味だ。
料理に舌鼓を打ちつつも、どうしても気になってしまうのは今日の昼の出来事。
わたしの目は自然と茉莉の姿を追ってしまう。
「うん? どしたの楡金ちゃん。アタシの顔になんか付いてる?」
「う、ううん別に――」
家に帰ってきてからいくらでも言う機会はあった。だけど言えなかった。橋口さんが知らない女の人とキスしてたなんて――
本当なら、ちゃんと言うべきことなのかもしれない。だけどわたしがそれを伝えたせいで、この家の問題が、果てはこの村の問題がややこしくなったらと考えると、言うべきかどうか迷ってしまったのだ。
結局、わたしはタイミングを逸し、このことを心の奥深くにしまっておくことにした。
…………
翌日朝一で松長さんから安西さんが意識を取り戻したという連絡があった。しかしそのまま退院できるわけではなくしばらく入院することになるとのことだった。
「というわけなのよ。茉莉ちゃん荷物持っていってくれないかしら……」
「えー、アタシが? ……はぁ、わかったよ」
茉莉は嫌な態度を取りつつも、晶子さんの言うことはちゃんと聞くみたいだ。
わたしと明里はそれについていくことにした。理由は安西さんが意識を失う前に口にしたという、『妙齢の女性』という言葉の真意が知りたかったからだ。もしかして脅迫状の件と無関係ではないかもしれないし、気になる情報は常に入れておくべきだ。
――――
安西さんの入院している病院へ向かうバスは来米村の隣の大友市へ向けて走る。外の景色は田園風景が続きやがてトンネルの中へ。そして、トンネルを抜けると窓の外の様子が一変した。こんなにもガラリと変わるのかと思うくらいに人工物に埋め尽くされた街に出る。
ここに来たときとは逆の順路を辿ったわけだけど、トンネルひとつ越えただけでこれとは相変わらずそのギャップがすごい。
「凄いでしょ。ギャップが」
窓の外の景色を眺めていたわたしに茉莉が言った。
「うん」
素直にそう思った。
「車で30分ちょっとでこれだけ発展した都会に来れるんだもん。若い子は誰も好き好んであの村に住み続けたいなんて思わないよ。父さんのことがなかったらアタシだってソッコーで村出てたと思う」
茉莉の気持ちは理解できた。わたしも来米村に住んでいたらならそうしていただろう。もちろん田舎には田舎のいいところがあるのは理解できるけど、利便性を考慮するとどうしても都会に分がある。
一度駅前でバスを降りて、そこから病院へと向かうバスに乗り換える。そこからさらに20分ほどで大友町の総合病院に到着した。
病院に入って受付で事情を説明して、安西さんのいる病室を教えてもらい病室へ。ノックして部屋に入ると安西さんはベッドの上で上体起こして座っていた。その頭には包帯が巻かれている。松長さんの姿はない。
「いやぁ、茉莉ちゃんにお二人さん。わざわざ来てもらって申し訳ないね」
そう言う安西さんに悪びれた様子はない。
茉莉が盛大なため息を付いた。
「まったく。安西さんが勝手なことするから余計な仕事頼まれちゃったじゃないですか」
茉莉が持っていた荷物をベッドの脇のサイドテーブルに置きながら悪態つく。
「面目ない」
安西さんは苦笑して、包帯の上から額を指で掻く。
「あの、ちょっと聞いてもいいですか?」
わたしは早速気になっていたことを尋ねてみることにした。
「工場の鍵を拝借するために蔵に入ったって聞いたんですけど、どうして蔵に鍵があるって知ってたんですか?」
「なんだ? 誰がそんなことを?」
「松長さんですけど」
「あいつめ、話したのか」
「アタシの父さんが聞き出したんだよ。――ってか当たり前でしょ? 家に入れた覚えがないおじさんが屋敷の蔵で倒れてたら普通不審がるって。不法侵入で警察に突き出されなかっただけましでしょ」
「そ、そうだね……」
どうやら、自分がしでかしたことの重大さに今さらながら気がついたようだ。中身が子どものままで大人としての自覚が足りないように思えた。
安西さんは、わたしの質問も忘れて項垂れたままだんまりになった。
「えっと、それで――」
「ん? ああ、っとそうだった。鍵の話だったね」
安西さんが顔を上げる。
「おれがガキの頃、晶子や鉄矢を誘って廃工場に忍び込んで遊んでたんだ――」
鉄矢はアタシの本当の父さんねと茉莉が耳打ちしてくれる。
「もっぱらごっこ遊びさ。悪の秘密基地に侵入して悪者を退治するんだ! いつもおれがレッドで鉄矢が敵の
安西さんは昔を懐かしむように語る。話が進むに連れて徐々に語りに熱がこもっていく。
実際の工場跡地を敵の基地に見立てての戦隊ごっこ。さぞリアルな遊びが堪能できたことだろう。
「だがある時廃工場を遊び場にするのは危険だってんで当時の村長が入り口を施錠しちまったのさ。そのことを覚えてたから来米の家に鍵があると思ったわけだ」
「えっと、それじゃあ鍵がどこにあるかは知らなかったと?」
「ああ。適当に探せば見つかると思って最初に蔵に目をつけたんだが……とんだバチが当たっちまったよ」
だははと安西さんが自嘲する。
「あ、そうだ――!」
茉莉が思い出したように声を上げる。
「――松長さんが言ってたんだけど、『妙齢の女』ってなんだったの?」
それはわたしが次に聞こうと思っていた内容だった。
「妙齢の女ぁ?」安西さんは何だそれはみたいな顔をして腕を組んで首をひねる。「妙齢の女ねぇ……確かに誰かとすれ違った記憶はあるな。……誰だっけか?」
「質問してるのはこっちだよ。もう……しっかりしてよ」と呆れ気味の茉莉。
「もしかして鹿谷さんを見かけたんじゃないですか?」
「鹿谷……? ああ、最近雇ったお手伝いさんのことか。――いや、彼女じゃないな」
「鹿谷さんに会ったことあるんですか?」
「うん? ああ。直接会ったことはないが、晶子から教えてもらっていたし、その時写真も送ってきてね、だから知ってる。でもあっちはおれのこと知らないだろうね」
どうやらそういうことらしい。
結局『妙齢の女』に関して確かな情報を得られなかったが、わたしは何か思い出したら教えてくださいと安西さんにお願いしておいた。
…………
安西さんに荷物を届け終えて、聞きたいことを聞き終え病室を後にするわたしたち。
時刻はお昼前。
せっかくだからこっちで美味しいものでも食べて帰ろうと茉莉が提案する。わたしや明里に断る理由なんてないのでそれを了承した。茉莉が、駅に美味しい店があるんだと言って早速そこに向かうことになった。
昼時の駅前は多くの人でごった返していた。来米村と比較するのもあれだけど、賑わい具合は雲泥の差だ。
人の合間を縫ってズンズンと歩く茉莉。その後についてわたしたちも歩く。
すると突然茉莉が立ち止まった。
「わっぷ!?」
ほんとに急だったからわたしは茉莉の背中にぶつかってしまった。
一体どうしたのかと背後から茉莉の顔を覗き込もうとする瞬間に、突然茉莉に手を引かれ明里も一緒に物陰に連れて行かれた。
「ちょっと、どう――っもが!?」
茉莉に片手で口をふさがれ、「シー!」と唇の目で人差し指を立てる。
その意味を理解し、わたしは何も言わずに頷いた。明里の方は注意を受けるまでもなくずっと静かだ。
茉莉は物陰からそっと顔を覗かせ、先程までわたしたちが歩いていた歩道に視線を向けた。
一体何が起きたのか……? その答えはすぐに明らかになった。
そこには橋口さんが女性と2人で歩いている姿があった。白昼堂々、女性は橋口さんに腕を絡めていた。
「あっ……」
わたしは自然と小さく声を漏らしていた。理由はその女性に見覚えがあったからだ。歳は20代後半くらいで背が高いその女性。彼女は間違いなく来米村の役場で橋口さんとキスしていたあの女性だった。つまりこれはデートというやつだ。
もしあのまま隠れていなかったら2人と鉢合わせしていたことだろう。茉莉はそれを嫌って隠れたってことだ。
楽しそうに談笑しながら歩いていく2人。
2人を見送る形でわたしたちは物陰から歩道へと出る。遠ざかる2人の背中を見る茉莉は下唇をきつく噛んで拳を握る。
「みやこ……」
茉莉が聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声でそうつぶやいた。
……みやこ? 何のこと?
「帰ろう……」
帰り道は橋口さんたちと同じ方向のはずで、茉莉の行く先は逆方向だ。けど、それを言い出せるような雰囲気ではなかった。わたしはただおとなしく後ろついていくしかなかった。
その後、わたしたち3人は適当なところで時間を潰した。理由は言わずもがな、橋口さんたちとの接触を回避するためだ。その結果、来米村行のバスに乗るころにはすっかり夕方になっていた。
「あれは浮気……なんでしょうか?」
帰りのバスで、重たい空気が漂う中明里がポツリと呟く。
唐突すぎる明里の発言にどう答えていいものかと窮していると。
「どういう意味? それ以外ないでしょ?」
茉莉が険のある言葉で食って掛かる。
「ですが、あの2人は一緒に歩いていただけですし。そもそも浮気というのはお付き合いしている人がいるにも関わらず別の人に手を出すことですよね? 来米さんと橋口さんはお付き合いしているんですか?」
「そ、それは……」
茉莉は言い返せないでいた。
たしかに明里の意見にも一理あるけど、ひとつ言えることはあの2人は間違いなく付き合っている。なぜならわたしはこの目であの2人がキスしているところを見たのだから。
「でもまぁ、これから結婚を控えているのにほかの女の人にちょっかい出すのはダメだと思うよ」
浮気のことには触れず、取り敢えず茉莉をフォローしておく。
「そう! そう思うでしょ! 楡金ちゃん!!」
「うわぁっ!!」
茉莉が抱きついてきた。
「やっぱりアタシやだよ……あんな人と結婚するの! どうせするならもっと誠実な人がいい!!」
茉莉はわたしの胸に顔をうずめスンスンと泣き出した。
「もしかして橋口さんの不貞を知ってたの?」
茉莉はわたしの胸の中でうんと首を縦に動かした。
「橋口さんが……彼が何考えてるか、ぜんっぜん、わかんない! 結婚してから浮気されるとか愛人作ったりとか絶対やだもん!」
「お父さんには言ったの? 言ったら婚約解消してくれるかもしれないよ」
「無理だよ。証拠がないんだから。アタシが結婚したくないから嘘付いてるって思われるに決まってるもん!」
証拠か……
仮にさっきの現場を写真に収めていたとしても、ただ腕を組んで歩いているだけでは浮気の証拠としては弱い。蓮司さんがよほど潔癖な人なら話は別だが。昔の風習に傾倒している人なら、それこそ、愛人の1人や2人がどうした――と言い出しかねない。
「はぁ……やわい……」
「うん……?」
茉莉がやたらと胸に顔を押しつけてくる。
不穏なものを感じ取ったわたしは茉莉を引き剥がした。
「あぁん。もう! もうちょっと楽しんでたかったのに!」
茉莉は全然泣いてなくて、唇を尖らせ文句を言う。
ウソ泣きか……しかも、大してヘコタレてない?
少しでも茉莉に親身なろうとしたわたしがバカみたいだ。
それとも、自分の弱い部分を見せまいと気丈に振る舞おうとしているだけなのだろうか……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます