第7話 事件発生
早朝。
……なんか苦しい……
目覚めて思い出したのは明里の寝相のことだった。例のごとくわたしは明里にガッチリとホールドされていた。
そこまではいい。
「なんで茉莉まで……」
なぜかわたしは茉莉にも抱きつかれていた。
仰向けのわたしに左右から茉莉と明里がしがみつくような状態。
「2人とも起きろぉ!!」
冬だというのに、暖房がつけっぱなしだったこともあってものすごく暑苦しい。
声を上げると、2人はもぞもぞと起き出した。
茉莉は目を覚ました後身支度があると言って自分の部屋に行った。明里もトイレに行くと言って眼鏡を掛けながら部屋を出て行った。
部屋にひとり残されたわたしは布団を畳んでおくことにする。
「よしっと。こんなもんかな」
ひと仕事終えた……みたいな感じでパンパンと手をはらうと、「ひょああああああああああああああ――っ!!」と空気を裂くような奇妙な叫び声が聞こえてきた。
「な、なにごとっ!?」
わたしは反射的に辺りを見回した。けど、この部屋にはわたしひとりしかいないし、叫び声は明らかに外からのものだ。
取り敢えず部屋を出て玄関で靴を履いて外に飛び出す。叫び声が聞こえてきた裏手の方へ走る。すると、家から少し離れた場所に蔵があった。
その蔵の前でよくわからない奇っ怪なステップで右往左往する男の人の姿があった。
あの人……昨日、安西さんに殴られてた……
松永さんだった。彼がこちらの存在に気づくと、奇妙な動きが速度を増した。
「あ、あの、あのあのあの!!」
こっちに向かって何かを伝えようとするのでわたしは彼に近づいていった。
――あれ? そういえばなんでこの人がここにいるんだろ?
その事を確かめる前に彼の口から衝撃の言葉が飛び出した。
「か、かかか。監督が! 死んで――死んだッ! 殺され――」
「え……? っえ!? ええっ!?」
いきなりの発言にちょっと動揺してしまった。
死……殺され――って、まさか!?
松永さんが蔵の中を指差しているのを見て中に入った。
するとそこには――
「うそ、でしょ……」
こちらに頭を向て仰向けの状態で倒れてい安西さんがいた。
「安西さん!」
傍に駆け寄り、声をかけながら脈を取る。
大丈夫――まだ生きてる。ただし、安西さんは頭に怪我を負っていて出血している。量は多くはないがこのままの状態だと危険だ。
救急車を呼ぶため携帯を取り出そうとズボンのポケットに手を入れる。
「あ……」
慌ててたせいで携帯を部屋に置いてきてしまっていた。
「すいません! 救急車を呼んでください!」
蔵の外でこちらの様子を伺っていた松永さんに向かって叫ぶと、彼は何度も首を縦に振って。「救急車っ!! 救急車ぁっ!!」と、口元に手を当て右に左に叫び始めた。
何やってんのこの人……
――まさか、呼んでるの? 救急車を? 笑えないんですけど……
「ちょっとふざけてないで――」
「八重様!」
するとそこに明里がやってくる。
「あ、ちょうどよかった。携帯持ってる?」
「はい」
「救急車呼んで。あと警察も」
「住所はどうしましょう?」
「たぶん来米村の村長の家で通じると思う」
明里はしっかりと頷いて、ポケットからスマホを取り出し電話をかけながら蔵の外へ出ていく。
その姿を見た松永さんが明里を小さく指差しながら「あ、電話……呼ぶ。電話で、そうか……」とぶつぶつ言っていた。
……まさか本当に勘違いしてたってこと? いくらなんでもテンパりすぎでしょ。
「八重様。すぐに来るそうです」
明里が蔵の中に戻ってきた。今のわたしたちにできることはない。ただし、警察が来る前にやっておきたいことがある。
わたしは立ち上がり周囲を見渡す。蔵の中の足の踏み場は6畳ほどで周囲には雑多に物が置かれている。物をどかせば本来はそれなりに広い蔵のはずだ。
そして安西さんの足の方には高さ2メートルほどの木棚があって、そこにもいろいろとものが置いてある。その棚の下辺り――つまり仰向けの安西さんの足付近に血のついたハンチング帽が落ちていた。それとは別に桐箱も転がっていてそちらにも血が付着していた。箱は高さが大体15センチ、面がA4サイズほどの紐で縛られている印籠箱だ。
見たままの状況から言えば桐箱が安西さんの頭にあたってその衝撃で帽子が脱げ、気を失った彼は仰向けに倒れたというのが妥当なとこだろう。ただ、血が付着した桐箱は大きい箱だけど箱自体の重さはそうでもないはずだ。それが頭にあたったとて気絶するまでのことになるだろうか?
可能性があるとしたらよほど高いところから落ちてきたか、中に入っている物が重いかだ。そして、この蔵の中の高い場所といえば奥にある棚。それでもせいぜい2メートルほどで、その高さでは流石に気絶しないだろう。
だとするなら箱の中に人を気絶させるだけの重さの物が入っているということになる。指紋をつけるわけにはいかないので確認はできないけど。
わたしは木棚の上方に視線を向けた。
格子状の窓から明かりが差し込んでいて、塵が舞っているのが見える。そして、棚の上に一箇所だけスペースが空いているのが見えた。それこそ、下に落ちている桐箱がちょうど置けるくらいのスペース。ただ、残念ながらわたしの身長では直接棚の上を見ることはできない。
「ねぇ、明里。肩車できる?」
「はい。できますよ」
「んじゃお願い」
明里はわたしの股の間に頭をくぐらせて、いとも簡単に体を持ち上げる。
さすが明里……と心のなかで感心する。
肩車してもらったことで棚の上が見えるようになる。ちょうど光が差しているのでどういう状態かがよくわかる。
棚上の状態を見てわたしはちょっとした違和感を覚えた。
薄っすらと堆積した埃で白くなっているが一箇所だけ埃の積もっていない場所があった。そこに何かが置かれていたのは明らかだが……
わたしは下に転がっている桐箱を確認してからもう一度棚の上を見る。
明らかにサイズが合ってない――
くっきりと残る箱の置いてあった形跡の面積が狭すぎるのだ。目算だとギリギリ箱のサイズの半分。埃の堆積具合から、時間を掛けて徐々に前にずれていったとは考えにくい。そう考えると、桐箱は棚の手前に半分だけ迫り出した状態で置かれていたことになる。
「ちょっと! なにやってるのよ、あなたたち!」
突然背後から声がする。
その声に反応した明里が振り返る。
「うわっとと!?」
すると当然肩車されてるわたしも強制的にそっちを向くことになって思わずバランスを崩しそうになる。
蔵の入口には相変わらず狼狽えている松永さんと怪訝な表情を向ける鹿谷さんがいた。
…………
通報後先に到着したのは救急車で、安西さんはすぐに病院へと運ばれることになった。それから少し遅れて警察が到着して蔵は一時的に封鎖されることになった。
蔵には騒ぎを聞きつけた来米夫妻と茉莉、トミさんも駆けつけていた。
警察の指示で、全員が蔵から少し離れた場所での待機を命じられた。
わたしたちを監視するように2人の警官が目を光らせている。
「はぁ……いつまでここにいなきゃなんないのよ……」
茉莉が退屈そうに盛大なためき息をつく。
「ところで、松長君。聞かせてもらいたいのだが……君と英太はなぜ私の家の蔵にいたのかね?」
ただでさえ厳つい顔の蓮司さんがさらに顔を顰めて松永さんを詰問する。ちなみにわたしも気になっていた。
「い、いや、それは! ……その……えー」
松長さんはハンカチで額の汗を拭う。尋常じゃない汗の量。季節からいって暑いからって理由ではない。冷や汗だ。
「君の態度を見ればやましいことがあるのは丸わかりだよ。正直に話したまえ」
「じつはその――、か、監督が鍵を……」
「鍵……だと?」
蓮司さんが眉を吊り上げ、その言葉ですべてを理解したらしく「なるほど」と呟いた。
……鍵……?
それがなんなのか非常に気になるところだけど、ここでわたしがそれを追求するのもおかしな話だ。今のわたしはあくまで茉莉の友だちとしてここにいるわけだから――と思っていたところで、まるで示し合わせたみたいに茉莉が「ねぇ、父さん。鍵って何?」と尋ねていた。
「廃工場の鍵のことだ。昨日いきなり役場までお仕掛けてきた英太に撮影に使いたいとせがまれたんだが断った。大方勝手に持ち出そうと考えたんだろう」
そうだとしても、勝手に家に侵入するのってどうなんだろう。それに加え安西さんが工場の鍵が蔵にあることを知っていたのも謎だ。
「あ、出てきましたねぇ」
トミさんの声で全員の視線が蔵に集中する。
「捜査の方は終わりましたよ」
蔵から出てきた刑事さんがこちらに歩いてきて開口一番そう言った。
「終わったの? 捜査ってそんなに早く終わるものなの?」
疑問を口にしたのは鹿谷さんだった。
「ええ。結論から言いますと、これは単なる事故ですね」
「事故……?」
誰かの呟いた声が聞こえる。
ほんの少しだけだったけど警察が来る前にわたしも蔵の中を調べた。その結果わたしも同じ結論に達していた。
ただし気になる点もあったんだけど、警察はそれをどう思ったのだろうか。
「ところで最初に警察に連絡にた方はどなたですか?」
「私です」
明里が小さく手を上げた。
「なぜ警察に連絡を?」
「八重様にそうしろと言われたので」
言いながらわたしに視線を向ける。刑事さんは「様?」と訝しみながらこっちを見た。
「わたしは、松長さんが『監督が殺された』って言ったから事件が起きたんだと思ったんですよ」
わたしは松長さんの方に視線を向けると、釣られるように刑事さんの矛先が彼に向かう。
「松長さん。あなたはなぜ殺されたと思ったんですか?」
「え、あ……いや――」
明らかに挙動不審になる。何かを隠している可能性もあるけれどこの人は元々挙動がおかしな人なので判断がつかない。
「く、蔵に行く前に……電話が……か、かか、かかってきまして。監督と離れたんです。そして、も、戻ってきたら、監督が倒れていて……駆け寄って……声を、か、かけたら――『妙齢の女が』と言って気を失ったんです……それで、それが、ダイイングメッセージかと思いまして」
ハンカチで額の汗を拭いながら説明する。
ちなみに安西さんは病院に搬送中で死亡したという連絡は受けていなのでダイイングメッセージではない。
「妙齢の女……」
呟いた刑事さんの視線が晶子さんとトミさんへ向かった。
「私たちを疑ってるんですか?」
視線を向けられた晶子さんが不安を漏らす。
これが仮に事故ではなく事件だったとしても、その2人が犯人である可能性は極めて低い。なぜなら、安西さんが犯人の姿を見たのだとしたらわざわざ妙齢の女などという曖昧な表現を使わずに名前を告げればいいからだ。
安西さんの妹である晶子さんのことはもちろん、茉莉が子どもの頃からこの家で働いているトミさんとだって顔見知りのはずだ。
ただし――
被害にあったのが安西さんとなると別の可能性が浮上する。
それは、安西さんが妙齢という言葉を本来の意味で使用していた場合だ。
刑事さんのように妙齢という言葉を年配の人を指す言葉だと勘違いしている人も多いが、この言葉は本来若い女性を差すときに使われる言葉だ。
そして昨日、安西さんのジュースに関するやり取りを見ているだけに、彼が本来の意味でこの言葉を使用した可能性が極めて高い。
今ここにいる本来の意味での妙齢な女性は明里と鹿谷さん。ギリギリでわたしや茉莉も入るだろう。
だけど、わたしは犯人じゃないし、明里には安西さんに危害を加える動機がない。茉莉に関しても晶子さんと同様の理由で名前を告げるはず。となると残るは鹿谷さんだけ。
茉莉が昨日安西さんとのやり取りで5年ぶりだという言葉を口にしていた。一方で茉莉は鹿谷さんがここで働くようになったのは2年前だと言っていた。
するとどうだろう……
安西さんは鹿谷さんの事を知らないって可能性が出てくる。
そんなことを考えていると、わたしの視線は自然と鹿谷さんを捉えていた。そして彼女と目が合う。その瞬間彼女は焦ったように視線をそらした。
――今の反応……なに?
「結局事故だったのだろう? だったら我々を疑うことに意味はないのではないかね」
「ええ、そうでしたね。疑うようなことを言ってすいませんでした」
蓮司さんがやや高圧的な態度で言うと、刑事さんは晶子さんに申し訳無さそうに謝罪する。そして、「それでは――」と刑事さんが踵を返したタイミングで、
「蔵ってたしか鍵かかってなかったっけ?」
と、茉莉が誰に言うでもなく疑問を口にした。
それにいち早く反応を見せたのは鹿谷さんだった。
「昨晩私が確認した時はちゃんと鍵はかかってましたよ!」
鹿谷さんはややムキになっていた。彼女は相変わらず茉莉に対しての当たりが強い。
「そう言えば伝え忘れてましたが、蔵の直ぐ傍に壊された錠前が落ちてましたね」
わたしたちの元を去ろうとしていた刑事さんが振り返ってそう言った。
「つまり英太が廃工場の鍵を探すために屋敷内に勝手に侵入し、蔵の鍵を破壊して中に入って事故に遭ったということか」
「おそらくは」
刑事さんが首肯する。
「兄さん……」
晶子さんが今にも泣き出しそうな表情になる。自分お兄さんが住居侵入に器物破損を犯したとあればそりゃ泣きたくもなる。
「それでは私はこれで」
今度こそ刑事さんがわたしたちの元を去っていく。
結局、蔵を捜査していた警察の人たちは撤収し、慌ただしかった屋敷内は落ち着きを取り戻していた。また、病院に運ばれた安西さんは命に別状はないが未だ意識を取り戻していない状態だとの知らせがあった。その知らせを受け松長さんは監督の運ばれた病院に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます