第6話 複雑な家族関係
茉莉の家に帰ってくる頃にはすっかり夕方になっていた。屋敷の門前で掃き掃除をしている若い女性がいた。
「げっ……」
20代前半くらいのその女性は茉莉を見て露骨に嫌な顔をした。茉莉はその態度に特に反応することはなかった。
「あ、紹介するよ。この
と、わたしと明里に紹介する。
「で、こっちが楡金ちゃんでこっちが卯佐美ちゃん」
次に茉莉がわたしと明里を鹿谷さんに紹介すると、彼女はさっと頭を下げてから逃げるように屋敷の中へ入っていってしまった。
「かわった子だね……」
わたしはそう言わずにいられなかった。
「心愛ちゃんは2年くらい前からうちで働き始めたんだけど、最初からあんな感じなんだよね」
鹿谷さんの立場的には茉莉は雇い主の娘に当たる存在だ。あんなに露骨に嫌な態度をするってのはちょっと信じがたいものがあった。
「原因はよくわかんないんだけど、アタシにだけああいう感じなんだよね」
茉莉は特に嫌われていることを気にしている様子はなかった。
――――
家の門戸をくぐると、石橋の上から池を眺めている着流し姿の人がいた。
「父さん……帰ってたんだ……」
あれが茉莉のお父さん。つまり、脅迫状にあった蓮司さんということになる。
「ただいま。父さん」
茉莉の声で蓮司さんがこちらに顔を向けた。
「茉莉か……」
見た目は60代後半くらいに見える。厳つい顔つきの立派な髭を蓄えた戦国武将のような男性だった。その手には鯉の餌が握られていた。
「またほっつき歩いてたのか。式が目前だと言うのに随分と悠長だな。少しは母さんの手伝いでもしたらどうだ?」
蓮司さんのお小言が始まったかと思うと、その視線が茉莉の後ろにいたわたしと明里に向けられる。
「その2人がこの前言っていた友人とやらか……まったく、気楽なもんだな。――まさか今更約束を反故にするつもりじゃないだろうな?」
「大丈夫だよ、ちゃんとわかってるから! それより約束でしょ? 結婚するまでは自由にしていいって」
「減らず口を。まったく……」
その言葉を最後に蓮司さんは池に向き直る。これ以上話をするつもりはないという拒絶の意だった。
やっぱり父娘の関係は良好とは言い難いものだった。
…………
家に入ると出迎えてくれたのは茉莉のお母さんの晶子さんだった。和服姿の笑顔が素敵な女性だった。
彼女を見てわたしが感じたことは蓮司さんと随分年が離れているんだなと言うことだった。直接年齢を聞くわけにはいかないのであくまで予想だ20歳以上は離れているとみていい。
「あらあら? まあまあ。その2人が茉莉ちゃんのお友だち?」
温厚でおっとりとした喋り方。先程の蓮司さんとは偉い違いだ。
「紹介するね。楡金ちゃんと卯佐美ちゃん」
「まぁ!? ウサギちゃんだなんて可愛らしいお名前ね」
晶子さんは両手を胸の間で合わせて驚きを表現する。
「いえ。私はウサギではなく卯佐美です」
冷静に返す明里。
「あらやだ。そうなの? お母さん間違えちゃったわね」
晶子さんはふふふと口元に手を当てて笑った。
「おちゃめな感じ出すのやめてよ。そういうの恥ずかしいんだから」
言葉とは逆に茉莉に嫌がっている感じはない。
茉莉と晶子さんの関係は蓮司さんとは真逆で良好のようだ。
その後、立ち話も何だからと言って夕食を勧められたが、わたしも明里もさっきお昼を食べたばかりなので丁重に断った。茉莉も同じ。
それからわたしたち3人は客間で明日の予定を話し合い、今日行けなかった役場へ行こうという形でまとまった。
…………
就寝前にお風呂を済ませた。茉莉が「一緒に入る?」なんて言ってきたけど拒否した。わたしがそういうのが苦手なのを知っているくせにからかってくるんだから。
髪が乾くのを待ちながらテレビを見ながら買ってきたお菓子を摘む。
「楡金ちゃーん。戸ぉ開けてー」
外から茉莉の声が聞こえてきて、わたしが障子を開けると、そこには布団を一式抱えた茉莉がいた。
「あれ?」
部屋の押し入れには布団が2人分仕舞ってあるのは確認済みだ。だからもう布団は必要ないはずで……
「今日はここで一緒に寝ようと思って」
「そなの?」
「せっかくだからいいじゃん」
そう言って茉莉はテキパキと布団を敷き始める。ついでだからと全員分の布団を敷く事になった。
布団を敷き終わると早速横になる茉莉。
「さあ! 楡金ちゃん!」
掛け布団をめくって、バンバンと敷布団に手を叩きつける。
入れという合図。
「いや。ないから、ぜったい」
「あー、相変わらずだねぇ」
茉莉が唇を尖らせる。
ホント、相変わらずだよ。人をからかって楽しむその性格。
――――
就寝時間。
「いやぁ、楡金ちゃんと一緒に寝るなんて。高校時代を思い出すねぇ」
3人で川の字になって布団に入るわたしたち。真ん中がわたしで、両サイドに明里と茉莉。
「一緒に寝ていたんですか?」
「そうだよ。一緒のベッドで2人仲良くね」
茉莉と明里がわたしを挟んで会話する。
「違うから。寮のベッドは2段ベッドだったから。茉莉がたまにわたしのベッドに侵入しようとしてきたことはあったけど」
当時の話にちょっとだけ花を咲かせ、徐々に会話が少なくなっていく。いつしか明里の静かな寝息が聞こえ始める。
「ねぇ茉莉。起きてる?」
「うぅん? うん」
「ちょっと聞いてもいい?」
「うん」
脅迫状の件。何が犯人を知る切っ掛けになるかはわからないので、知っておきたいことは今のうちに確認しておくことにした。
「お父さんとあんまり仲良くなかったりする?」
「あー……うん。まぁ、やっぱりわかっちゃうか……」
茉莉がわたしの事務所を訪ねてきて脅迫状の説明をしているとき、茉莉が『お父さんのことは別に心配じゃない』と発言したのを聞いてもしかしてと思った。それから父親を父さんと呼び母親をママと呼んでいたことにも若干の違和感を覚えた。そしてそれらは夕方の庭での一件で確信に変わった。
しばしの沈黙。電気が消された暗い部屋で茉莉がどんな顔をしているのかはわからないが、彼女は今話すか話さないかの葛藤に揺れているのだろう。
「えっと嫌なら別に――」
「ううん。嫌じゃない」
わたしの言葉を遮るように言って、一拍置いてから茉莉は家族の話をしてくれた。
――
茉莉の家の事情は少しだけ複雑だった。
まず、蓮司さんは茉莉の本当の父親ではない。実の父を早くに亡くして晶子さんが再婚した相手が蓮司さんということらしい。
茉莉の実の父親は蓮司さんの運転手をやっていたのだが、ある時、重要な会議に遅れる事を理由に連司さんは茉莉のお父さんにスピードを出すことを強要した。その結果車は事故に会い茉莉のお父さんは命を落としたのだという。
蓮司さんはそのことをかなり悔やみ、残された晶子さんと茉莉を引き取ることにしたのだそうだ。
正直な話、自分の父親を間接的に殺したような相手と結婚するってのは並大抵の覚悟ではなかったと思う。だけどこの村ではシングルマザーで生活できるほど社会保障が手厚くない。だからこその一大決心。村長の庇護下に入れば生活は安泰するという結論に至ったのだろう――と茉莉は語った。
茉莉の考えには概ね賛同できた。ただし、晶子さんは未だに蓮司さんに対し負の感情を抱いているかもしれないという見方もできる。そしてそれは“茉莉にも同じことが言えてしまう”。
友だちの事を疑うようなことはしたくないけどあらゆる可能性は視野に入れておくべきだ。
「今の父さんも昔は結婚してたみたいなんだけど、夫婦間の仲はよくなかったみたいで、跡取りのこととか考える以前の問題だったんだと思う。で、父さんも歳だからね、だから焦ってるんだと思う。それで、早くアタシと橋口さんを結婚させて彼に村長の座を譲ろうって魂胆なんだよ。まったく……やんなっちゃうよね」
それから暫く茉莉の愚痴に付き合ってあげた。わたしはうんうんと相づちを打っている間に眠ってしまっていた。
夢の中へといざなわれる間際に「嫌だな……結婚するの」そんな茉莉の声が聞こえた気がした。
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