第5話 午後の一幕 後編

 食事を終えて3人でレストラン……もとい食堂を出た。時刻は昼の3時。中途半端な時間の食事になってしまった。


 これだと夕食は食べられないかもね、なんて思っていると、


「おやぁん? 茉莉ちゃんじゃないかぁ!」


 ちょうど外にいた男の人が声をかけてきた。相変わらず村長の娘なだけあって有名人なんだと思わされる。


「あっ、安西のおじさん!」


 ――と思ったら、どうやら普通に知り合いの人のようだ。


 茉莉が安西のおじさんと呼んだその人は、ハンチング帽をかぶった小太りのおじさんだった。


「いやぁ、大体5年ぶりくらいかな? まぁた一段と美人になったんじゃないかい?」


「またまた、調子のいいこと言って」


 そう言う茉莉は満更ではない様子。


「で、そこの2人はお友だちかい?」


「え? あ、うん。こっちが楡金ちゃんでこっちが卯佐美ちゃん」


 わたしはどうもと頭を下げ、明里は無言で頭を下げた。


「んで、この人は安西さん。ママのお兄さんね」


 お母さんのお兄さん。つまり伯父さんだ。


「ムムムッ!?」


 すると、安西さんが両手の親指と人差し指で四角を作って、それを覗き込むようにして明里を見る。


「いい!! 実にいい!! 眼鏡の似合う聡明さを漂わせる美人。になるぞ!!」


 などとよくわからないけどそんなことを言いだした。


 ――まぁ、明里が美人なのは認めるけどさ。


「ああ、ゴメンゴメン。安西のおじさんはこの村が誇る名監督なんだよね」


「監督……」


「映画ですか……?」


 安西さんは指をパチンとならし、「そうっ!」と声を張り上げた。


「『天知る地知る我知る人知る。誰にも知られぬ悪事はない!! 正義の裁きを受けるが良い!!』で同じみの安西英二とはおれのことだ!」


 安西さんがよくわからない身振りを交えながらよくわからないセリフを吐いて、おそらく本人がカッコいいと思っているポーズを決めてドヤ顔する安西さん。


 わたしも明里も何も反応できずにただ黙っていた。


「あ……あれ? 知らない? 『解決侍かいけつざむらい』っていう映画なんだけど……」


 わたしと明里が無言で首を左右に振った。


「そ、そう……おれもまだまだってことか……」


 安西さんはがっくしと項垂れた。


「ところで、おじさんなんでこんなとこにいるの?」


 落ち込んでいる安西さんに気を使ったのか茉莉が話題を変えた。


「ん? ああ、実はね。茉莉ちゃんのお父さんに例の場所を撮影に使えないかと交渉しに行ってたのさ。今はその帰りで、ここで人を待ってるんだ」


「例の場所ってあの紡績工場のことだよね? ――あれ? でも、おじさんて今別の映画撮ってるんじゃなかったっけ?」


「ああ……あれか……。あの企画はボツになたった」


「え? そうなの?」


「ああ。解決侍の特別編だったんだけど、そこで顔を隠した謎のお助けキャラを出して、最後に共闘して悪を退治するという話だったんだが、そのゲストキャラ役の俳優に不幸が起きてね。――茉莉ちゃんも知ってるだろ? 伊集院アキラって」


「え!? マジ!? 伊集院アキラが出る予定だったの?」


 伊集院アキラ……? どっかで聞いたことあるような……


「ああ。最後の最後で仮面を脱ぎ捨て、実は伊集院アキラでしたっていう演出にする予定だったんだよ。芸能界復帰のサプライズを用意してたってわけさ」


「八重様……」


 明里が2人に見えないようにわたしの袖を引っ張っり、小声で話しかけてきた。


「ん?」


「伊集院さんというのはもしかしてディバインキャッスルの……」


「あ……」


 思い出した。


 以前わたしと明里が行った旅行先で出会った人だ。


 まさかここでその名前を聞くことになるとは……意外な面識に内心驚きつつも、その話をするとややこしくなりそうなので、わざわざ2人に話すようなことはしなかった。


 それから、安西さんの軽く自慢の入った自分の特撮映画の話を聞かされることになった。


 そろそろ止めに入らないと延々と話が続きそうだなと思っていたところに、「監督ぅ!!」と叫びながら近づいてくる人がいた。


 ヒョロっとした高身長の男性で、言っちゃ悪いけどちょっと変な走り方だった。おそらくこの人が安西さんの待っていた人だろう。


「おいっ! 遅いぞっ! 松永!!」


 安西さんは、わたしたちの傍まで走ってきて肩で息をする松永さんと呼んだ男性にに対し厳しい言葉を投げかける。


「か、監督……頼まれてたやつ、か、買ってきました」


 額の汗を拭いながら持っていたそれを安西さんに差し出す。


「おいっ! 何だこれはっ!? おれはジュースを買ってこいと言ったんだ!」


 それを受け取った安西さんは怒りを露わにした。


「大体どこまでジュースを買いに行ってたんだ!? 遅すぎるだろ! バカヤロウ!」


「あいでっ!」


 安西さんは手にしたペットボトルで松永さんの頭を叩いた。


 よほど勢いが強かったのか、ペットボトルが安西さんの手からすっぽ抜けて地面に落ち、コロコロと明里の足元まで転がってきた。


 明里がそれを拾い上げる。


「はぁ、もういい! ――っとと。これはこれは見苦しいところを見せてしまったねぇ。えっとこいつは松永と言ってな、おれと同じ映画製作会社に所属するADのひとりなんだが……本当はここにはおれひとりで来る予定だったんだが、こいつがどうしても付いて来るって聞かなくてな。……ま、これもおれの人徳ってやつかな」


 そう言って安西さんはだははと笑う。


 先程のやり取りを見ている限りでは、お世辞にも安西さんに人徳があるようには思えなかった。


「松永も帰ってきたことだし、おれたちは行くとするよ。――あ、その手に持ってるのは捨てちゃっていいから。じゃ――」


 安西さんは陽気な態度で手を上げてわたしたちに背を向けて歩いていった。その後ろを松永さんがトボトボとついていく。


「結構過激な人なんだね」


「うん。まぁ、悪い人じゃないんだけどね」


 明里の方を見ると、手にしていたペットボトルをじっと見つめていた。


「どうしたの?」


「いえ。これなんですけど。私にはどこをどう見てもジュースにしか見えないんですが。監督さんは何に対して怒っていたのでしょう?」


 わたしは明里からペットボトルを受け取る。


 よくあるタイプの500ミリペットボトルだ。中身の液体はオレンジ色。ラベルには頭がみかんになっている可愛らしいキャラクターがプリントされている。


 一見すればただのオレンジジュースだ。


 ただ……


「なるほど」


 それを見てわたしはその意味を理解した。


「何がなるほどなの?」


「えっとね――」


 わたしは2人に説明する。


 本来はジュースというのは果汁や野菜汁が100パーセントの飲み物を指す言葉だ。一般的には甘い飲み物なら便宜上ジュースと呼称する慣例のようなものがあるが、この国では果汁が100パーセント未満のものにジュースという名前をつけて販売してはいけないという法律がある。つまり、果汁が100パーセント未満のものをジュースと呼称するのは間違いなのだ。ちなみに100パーセント未満のものは清涼飲料水と呼ぶ。


 そしてさっきの男性が買ってきたものは果汁が100パーセント未満。たぶん安西さんはそのことに腹を立てたのだろう。


「そうだったんですね」


「楡金ちゃんは物知りだね。いいこいいこ」


 わたしはなぜか茉莉に頭を撫でられた。


 安西さんは映画監督って言ってたし、言葉の意味に対する知識ってのがそれなりにあるんだろう。


 ただ、自分がどんなにその言葉の正しい意味を知っていてもそれが相手に伝わらなければ何の意味もない。相手が間違って覚えていたのなら臨機応変に対応するのが大人の対応というものじゃないだろうかとわたしは思う。


「あれ、もうこんな時間か……」


 茉莉が腕時計を見て呟いた。


「ゴメンね。今から役場に向かっても着くころには閉まっちゃってるかも」


「そうなの?」


「うん。ほかの役場がどうかは知らないけどここは来米村だからね。やることないから早く閉まる」


「ああ……」


 さすがに、やることがないっていうのは言いすぎだろうけど、茉莉の言葉をすんなりと受け入れることができている自分がいた。


「帰ろっか? 役場に行くのは明日でもいいしね」


 そう言うと、茉莉は商店街の出口に向かって歩き出した。


 …………


 帰る途中で、夜に軽くつまめるお菓子を買っておこうと茉莉が提案する。中途半端な時間にお昼を食べたからきっと変な時間にお腹が空くだろうからと。すると、その途中で茉莉が不意に立ち止まった。


 その視線の先にはこちらに向かって歩いてくる一人の男性の姿あった。スーツ姿で眼鏡を掛けている。


 こちらとの距離が短くなるに連れ、鼻筋の通った精悍な顔立ちの男性だとわかる。相手の男性がこちらに気づき、ふっと笑みをこぼす。


「おや? 茉莉さん」


「う、うん」


 優しく話しかける男性に対して茉莉の返答はひどく素っ気ないものだった。


「さっきまで商店街の人たちの会合に参加していたんですよ。こっちは仕事中だと言うのにお酒を勧めてくる方がいて、断るのに苦労しましたよ」


「へぇ、そうなんだ」


「ところで、そちらのお二人は?」


「ああ、えっと――」


 茉莉が男の人にわたしと明里を紹介する。


 そして――


「えっと、紹介するね。この人、橋口雅治はしぐちまさはるさん。アタシの結婚相手」


 紹介された橋口さんが「どうぞよろしく」と頭を下げた。


 それから、茉莉と橋口さんが少しだけ世間話をして、「まだ仕事が残っているので」とわたしたちのもとを去っていった。


「彼、いい人そうですね」


 去っていく橋口さんを見ながら明里が言った。


「そうだね。いい人だね」


 同じくその姿を見る茉莉が言う……ただし“そう”の部分をひどく強調して。


 最初は、茉莉が橋口さんに対してやや素っ気ない返答をするのは、わたしや明里がいる前で婚約者と話をするのが恥ずかしいからだろうと思っていた。


 だけど本当は……

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