第1話 来訪者 前編

 年が明けてからひと月ほど経ち、暦は2月の中程。


 毎年この時期が最も寒くなる時期で、今年も例年通りの寒さとなった。幸いしたのはほとんど雪が降らなかったこと。例年なら結構雪が積もっていてもおかしくないはずなのに今年は地面に薄っすらと雪が積もる程度だった。


 そんな中、わたしと明里は事務所の近くのレンタルショップ兼本屋さんに出かけていた。平日の昼過ぎということもあってかお客さんの数はそれほど多くはない。


 ここに来た目的は明里が映画のDVDを借りるためで、わたしは特にやることがなかったからついて来ただけ。

 明里の用事が済むまでブックコーナーで時間を潰していたら、突然店内に甲高いブザー音が鳴り響いた。


「ん?」


 顔を上げると、斜め前にはちょうど店の入口がある。そこから走って店を出て行く少年とそれを追いかける店員さんの姿が見えた。どうやら音の正体は防犯ゲートのようだ。


 万引き犯が走って店を出ていく際に押し倒されたのだろうか、ゲート付近でリュックを背負った高校生くらいの男の子が尻餅をついている。


「大丈夫ですか?」


 女性の店員さんがその人に手を差し伸べながら声を掛けていた。


「え、ええ……大丈夫です」


 その少年は店員さんの手を取らずに自分で立ち上がると、服をはらって身なりを正す。その動きはなぜかぎこちない。人と話すのが苦手で緊張しているとかそういう感じではない。


「ふむ……」


 その挙動になんとなく違和感を覚えた。


 ……もしかして?


 少年が店を出ていこうとするところで「あの、ちょっといいですか?」と、わたしは彼に声をかけた。


 すると、男の子はオーバーすぎるほどのリアクションで体をビクつかせた。


「その背中のリュックの中身って見せてもらうことできます?」


「えっ!?」


 声を出したのは女性の店員さん。対して、少年の方はこっちに背を向けたまま無言。振り返ろうともしない。


「えっと、ダメですか? もし無理ならもう一度このゲートを通ってもら――」


 わたしが言い終わる前に、少年が突然走り出した。


「きゃっ!!」「おわっ!」


 しかし、何も考えずに走り出した彼は、ちょうど店に入ってきた女性客にぶつかり2人は尻餅をついた。


「ちょっと!! どこに目ぇ付けてんのよ!!」


 女性客が怒りを露わにするも、少年の方はそれを無視して慌てた様子で立ち上がり、尻餅をついたままの女性の脇を抜けていこうとする。


「ちょっ!? 逃げんなっ!!」


 尻餅をついた女性はそのままの体制から華麗なる足さばきで少年に足を引っ掛ける。すると彼は顔面から地面に突っ込んだ。


 不幸なことに、そこは店の外……舗装されたアスファルトの上だった。


 いつの間にやら店の入り口を遠巻きに見守る人の集団が出来上がっていた。どうやら一連の騒動を嗅ぎつけ野次馬が集まってしまったようだ。


「ホント最悪……」


 女性が悪態つきながら立ち上がり、お尻をはらう。グレージュのセミロングで顔からはみ出るくらいの大きな丸いサングラスを掛けている。上は白のニットに、下は黒のロングスカートでグレーのコートを羽織っている。肩にかけているバッグはブランド物で……派手な女性という印象を受けた。


「ちょっと、何見てんのよ」


 高圧的な物言い。


「いえいえ。別に」


 わたしは笑ってごまかしておいた。


 そこにレンタルコーナーにいた明里が駆け足で寄ってくる。


「何かあったんですか、八重様?」


「八重? もしかして……、――って、さまぁ?」


 先程尻餅をついていた女性が訝しげな声を上げた。


 その反応は取り敢えず無視する。


「いやぁ、さっき万引き犯が出たんだけどね――」


「そういえば、ブザーみたいなものが鳴ってましたね」


「それで、店員さんが犯人を追いかけていったんだけど、もしかして犯人て“この子”なんじゃないかなって思ってさ」


 わたしは地面にうつ伏せに倒れて動かなくなった少年を指差した。


「そ、そうなんですか!?」


 ずっと傍にいてことの成り行きを見守っていた女性の店員さんが両手で口元を覆いながら驚いていた。


「ふぅん。それで逃げようとしてアタシにぶつかったってわけね」


 サングラスの女性は何を考えているのか、気絶している少年のリュックを勝手に開けようとしていた。


「え? 流石にそれはマズいんじゃ――」


 わたしが止めに入ろうとすると、


「いいでしょ別に、こいつにタックルされたせいで服汚れたんだし。当然の権利よ!」


 滅茶苦茶な理屈だった。


「いやでも、こういうのは警察に……」


「いいの! は黙ってなさい!」


「は、はい……!」


 ……ん? 楡金ちゃん?


 わたしは彼女に自分の名を名乗った覚えはない。しかもなんだろう……なんとなく懐かしい響きがした。


 サングラスの女性がリュックを開けると、中からは数枚のレンタル用のDVDが出てきた。


「これって!? レジ通してませんよ!?」


 カバンから出てきたものを見た店員さんが声を上げる。


「ってことはやっぱりこっちが犯人だったってことだね」


 すると突然野次馬のひとりが拍手を始めた。それが全体に広がっていって、女性の店員さんまでもがパチパチとやりだして、「流石ですね八重様」と明里まで拍手する。


「え? ええっ?」


 わたしは照れくさくなって後ろ頭をかいた。


「『魅惑の団地妻』、『JK罵られ120分』、『アニメ、お兄ちゃんだ~いすき!』、『熟女の塾長』」


 拍手に紛れてサングラスの女性が謎の言葉を発していた。どうやらDVDのタイトルを読み上げているようだった。そのタイトルを聞いて、少年が万引にいたった理由に察しが付いた。


「って、守備範囲広すぎだろっ!」


 サングラスの女性はレンタルDVDで気を失っている少年の頭をはたいた。


「それにしても、どうしてそこの彼が犯人だと思ったんですか!?」


 女性の店員さんが興味津々に聞いてくる。


「えっと――」


 割と単純な話。まず、明らかに挙動不審だったことが一点。もう一点は、先程逃げて行った少年はなぜ気を失っている彼にぶつかったのかってことだ。


 この店の入口は人が3人くらい並んで歩いても十分に通れる広さがある。逃げた少年が店を出ていくときに出入り口にいたのは、今気を失っている少年ただひとり。なのにわざわざ彼にぶつかっていく必要なんてない。ぶつかったらそれだけ逃げるスピードが遅くなってしまう。


 だから、ぶつかったのには理由があると思った。これは人間の心理をうまく利用した犯行なのでは、と。


 それでピンときた。もしかして逃げた男の人と死餅をついた男の子はグルなんじゃないかって。


 防犯ブザーが鳴った瞬間に、外に走って逃げて行く人を見れば大抵の人はそっちが犯人だと思って反射的に追いかけてしまう。そうしている間に尻餅をついていた本当の犯人は堂々と外に出ていく。当然逃げた方は何も盗ってなくて、万が一捕まっても何も盗っていないのだから問題ない。むしろ犯人扱いされた事を盾にして慰謝料的なものを請求することまで考えている可能性だってある。そして、店員さんが店に戻ってきたときには本当の犯人はいなくなっている。


 こういう筋書きなんじゃないかと考えたわけだ。


 逃げた男の人を追いかけた店員さんが戻ってくるなり、「ダメだったよ。逃げられた……」と意気消沈する。そんな店員さんに、女性の店員さんが事情を説明すると、わたしはお礼を言われた。


 その後、頭を打って気を失っている少年をどうするかについてはお店の人に任せて、わたしと明里は事務所に帰ることにした。


 …………


「結局何も借りなくてよかったの?」


 レンタルコーナーに行っていた明里は何も手にしていなかった。


「はい。見たかった映画も貸出中だったので」


「そっか。それってまた怖いやつ?」


「そうです」


 明里はよくDVDを借りて映画を見る。ジャンルを問わず何でも見るけど、中でも怖い映画が好きなようだ。


「ちょっとまってよ~!」


「うん?」


 背後からこちらに向かって叫ぶ声が聞こえてくる。振り返ると、さっきの派手の女性がこっちに向かって走ってくるところだった。


「お知り合いですか?」


「ううん。さっき店であったばっかりの人だよ」


 派手女性はわたしの目の前に来る寸前で――


「んぎゃあ!?」


 盛大にすっ転んだ。


「ちょっと何やってるんですか?」


 わたしは近づいていって彼女に手を差し伸べる。


 この人の履いている靴は雪の上を歩くようにはできていない。ほとんど積もっていないとは言えそんな靴で雪上を走ったら転ぶのは当たり前だ。


「見た目より機能美のほうが大事ですよ」


「あたた……。だって雪積もってるなんて知らなかったし」


 女性はわたしの手を取って、ゆっくりと立ち上がる。


 ――知らなかった?


 ここに住んでいる人間なら毎年この季節は雪が降るのを知っているはずで、知らないなんてあり得ない。


「もしかかして県外の人?」


「うん、そう。――ってか、アタシ楡金ちゃんに用があるんだってば」


 まただ……


 さっきもこの人はわたしのことを楡金ちゃんと呼んだ。


「えっと、どちら様?」


「ええっ!? わかんないの!? アタシだよアタシ」


 そう言って彼女はかけていたサングラスを外した。


「ねっ! あ・た・し!」


 二ヒッと笑う。


 だけど……


「えっと……だれ?」


 その顔に見覚えはなかった。

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