第0話 予兆……
ひとりでこの事務所に住むようになって以降、わたしは毎年この場所で新年を迎えるようになった。実家に帰ることもせず、かと言ってここで何をするわけでもなく、おめでたい雰囲気など一切存在せず……
だからその日はほかと変わらない日常の中のただの一日になっていた。
わたしは自分がまだ小学生だった頃この地に引っ越してきた。転校生でありながらわたしは周りにそれなりにうまく溶け込めていたと思う。ただ深く付き合うような親友ができたかといえばそれは否だ。中学に入ってからもそれは変わらなかった。
高校は遠く離れた土地にある全寮制の学校に通っていたのでその頃の友人も今はどこで何をしているのか知らない。だから実家に帰ったところで新年を祝うような仲のよい友人がいるわけじゃないし、お母さんもひとりで楽しくやっているようで、実家に帰ってこいという催促を受けたこととは一度もない。
だから、わたしには実家に帰る理由がなかった。
寂しい……という感覚はない。むしろ家に帰ればお母さんに結婚しろだの彼氏はできたのかといろいろお小言をいわれるので逆にひとりの方が気が楽だった。
ただ、明里と一緒に住むようになってから少しだけ変化があった。
年末は夜遅くまで2人で団欒するようになった。
明里のために蕎麦を用意して――わたしは蕎麦が苦手なので食べない――テレビや映画を見て過ごした。
新年を迎えれば明里にお年玉をあげたりして。それから一緒に神社に初詣。こういった充実した年末年始を迎えられるようになったのは間違いなく明里のおかげだ。
そして今年もまた同じように――
…………
「どしたの明里!?」
1月1日。元日。早朝、明里はひとりでどこかへ出かけていった。
「私が帰って来るまで家で待っていてください」とだけ伝えられ、その通りにしていたら、明里は晴れ着姿で事務所に帰ってきた。
薄紫色の振り袖で、普段腰まである黒く艷やかな髪はかんざしを使って綺麗に纏まっている。
「どうですか? 八重様?」
いつも以上に美人になっていた。
「明里こそどうしたの急に。ってか大丈夫なの?」
「大丈夫……とは?」
「いや、その……お金……的なやつ……?」
正月早々お金の話をするのも気が引けてついつい言いよどむ。
着付けとか着物のレンタルとかっていくらくらいするのかわからないけど結構高いはず。
ここで働いてもらっている以上ちゃんと給料は支払っているけど、はっきり言ってそんなに多くない。
「大丈夫です」
「そう?」
気を使わせまいとそう答えているふうにも見える。
そもそも雇い主であるわたしにお金のことを訊かれたらそう答えるえるしかないのか……
明里の性格上「結構したから来月から給料上げて」なんて言わないだろうし。
「それよりもこれから初詣に行くんですが……」
「あ、そっか――」
明里がどうしてこんな格好をしてるのかの理由って言ったらひとつしかない。
――でも、去年は着物なんか着てなかった気が……
「まさか!?」――この姿を見せたい人ができたとか!?
「いやでも、明里も年頃だし……そういう人の1人や2人くらいは……」
――って2人いるのは変だ。浮気になってしまう。
娘の身を案じる親ってこんな気持ちなんだろうか?
「あの? そういう人というのは?」
「――んにゃ!? な、なんでもないよこっちの話!」
どうやら口に出して喋っていたらしく、慌てて取り繕った。
「では、八重様も出かける準備をしてください」
「ん? うぅん?」
まさか自分が誘われるなんて思ってなくて変な反応をしてしまった。
それからわたしは出かける準備をして明里と一緒に近くの神社へ足を運んだ。
…………
わたしの事務所があるこの街は地理的には雪国に該当する。
だけど今年の冬は例年よりも気温が高いらしく正月は雪は降らなかった。……とは言っても、吹風は冬独特の冷気をはらんでいて、厚着をして出てきたつもりだけど、乾いた風が吹くたびに身にしみる。特に耳と鼻の頭はすごく冷たい。
神社に近づくに連れて初詣に来た参拝客が目立ってくる。結構な人の数だ。
それからもうひとつ……
「うぅぅ……」
わたしは唸り声をあげた。
「どうかしたんですか?」
明里がいつもの無表情で心配そうな声で聞いてくる。
その唸りの原因は明里にある。
視線、視線、視線――
老若男女関係なく、すれ違う人の大半が明里を見てる。しかも決まってわたしと交互に視線を移す『あんたたちどういう関係?』みたいな視線で見られる度に恥ずかしくなる。
釣り合いが取れていない……そういうことだ。
「はぁ……」
ため息をつくと、白い塊が霧散する。
普段であっても一緒に歩いていると視線を向けられることはある。でも今回は明里の格好が格好だけにより際立っていた。明里は慣れているのか、別段気にしている様子はなかった。
…………
神社に着くと早速参拝客の列に並んだ。しばらくしてわたしたちの順番が来た。
わたしと明里はそれぞれ賽銭を入れ手を合わせた。こういうとき、特別何かを願ったりはしない。ただ、平穏な毎日が続くことを願う。
顔を上げて隣を見ると、明里はまだ何かをお願いしているようだった。
わたしの視線に気づいたのか、ちらりとこちらに視線を向ける。
「お待たせしてすみません」
「うんん。気にしてないよ」
そんなやり取りがあって、わたしと明里は拝殿を後にした。参道の人混みから少し離れた場所でうんと伸びをする。
人が多いところは、なんかこう疲れる……
「八重様、おみくじを引いてみませんか?」
「え?」
神社に来ておみくじを引くことは別段不思議ではない。
だけど、これまで過去に3回ほど明里とこうして初詣に来たことがあるけど、おみくじを引きたいと言い出したのは今回が初めてだった。よくよく考えてみると、明里が晴れ着を着て出かけるのも初めてのことだ。
――なんの心境の変化……? やっぱりそういうことなの……? 運命の出会い的なものを求めているとか?
「あの、八重様?」
「ああ、ごめんごめん。おみくじを引きたいなんて、急にどうしたのかなって思って」
「いえ、特に理由は……ただなんとなくそういう気分になったと言いますか……」
口には出さないけど、わたしは占いの類はあまり好きではない。
その理由は、何かの占いを見たり聞いたりすることで、自分のその後の行動がその内容に引っ張られる気がするからだ。
例えば、誰かに〇〇したほうがいいって言われてそれをすることを心がけた場合、指摘されたその人に行動を制限されているように感じてしまうのだ。極端な表現を使えば支配されてるってことだ。
でも――
「まぁ、たまにはありかもね」
そう言って、おみくじ売り場に足を運ぶ。
普段の生活の中で明里がわたしに何かをお願いしてくることはあんまりない。そんな彼女の願いだからこそついつい叶えてあげたくなってしまう。
おみくじ売り場に着くとわたしが2人分のお金を払う。すると、巫女服の女性が六角形の筒を差し出してきた。最初にその筒を振ったのは明里。次にわたし。
ガラガラと音を鳴らし、穴から出てきた番号は、
――44。
「死が2つ並んでる……」
普通こういうのって『4』とか『9』の数字って省いておくものなんじゃ……
「はい。44番ですね」
巫女さんが後ろにある引き出しの44番を開けて中に入っていたおみくじを取り出した。
それを受け取る。
ちなみにこの神社が採用している吉凶は七段階で一番いいものから順に――大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶・大凶の順だ。
わたしは手にしたおみくじを開いて中を見た。その瞬間、固まってしまった。
「…………」
「どうしたんですか?」
明里がわたしの手にしたおみくじを覗き込んでくる。
「あ……」
小さく声を漏らし、何も言わなくなった。多分何も言えないんだろう。
なんせわたしのおみくじは"大凶"だったんだから。
「吉凶も大切ですけど、大事なのは何が書かれているかですよ」
2人揃って沈黙していたことで察したのか、巫女さんが笑顔で声を掛けてくれる。
言われた通りわたしはその内容に目を向ける。
争い事・抱え人・障りあり・縁談の4つの項目がありそれぞれに対しての解説が書かれている。
まとめると近々争いごとに巻き込まれて壁にぶち当たることになるらしく、雇い主としての考え方を改めなさいということと将来をともにする異性と劇的な出会いがあるそうだ。
「なんか取り立てていいことが起こりそうにないんだけど」
トラブルに関しては探偵業を営んでいる都合上仕方がない。雇い主としての考え方――これは明里に対してもっと優しくしろってことでいいとする。問題は最後の『縁談』だ。
――わたしが結婚するのか?
自分のことながら劇的な出会いってのがまったく想像がつかない。
「ちなみに明里はどんなだったの?」
自分の事はもう考えたくないので矛先を明里に向けた。
明里のおみくじを見せてもらう。
「え!? 大吉じゃん!!」
他人のおみくじでも大吉の字面を見るだけでなぜだか得した気分になる。
「ええ、まぁ」
ただ、本人はあまり喜んでいないようだった。
わたしはおみくじの内容に目を向ける。
縁談・旅行・探し物の3つの項目だけが記載されている。
縁談に関してはわたしとほとんど同じ内容。旅に出ると見聞が広がりその後の人生に大きく響き、これが縁談に関わって来るらしい。探し物はそのままの意味で、ずっと探していた物が見つかるということだ。
「いいことしか書いてない」
わたしが言うと、「だからといって油断してはいけませんよ」と巫女さんが指を立てて注意を促す。
わたしと明里は引いたおみくじを所定の場所に結んで帰ることにした。
その帰り道で明里が、「私と八重様がずっと一緒にいれば運勢は小吉ですね」とフォローしてくれた。
明里のことだから、自分がおみくじを引きたいと言い出したせいでわたしが大凶を引いてしまったと思っているのかもしれない。
何にせよ嬉しかった。
「うん。そうだね」
笑顔で答え、隣を歩く明里の手を取る。明里の手はとても冷たかった。
自分の熱を分け与えるようにしてギュッと握り、自分のコートのポケットに握ったままの手をねじ込んだ。
「八重……さま?」
かなり面食らってたけど――あんまり表情は変わってないけど――拒絶はない。
この状態で歩くのはあまり褒められた行為ではないけど、事務所に着くまでずっとポケットの中の握った手を離さなかった……
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