第2話 悪魔との触れ合い(サツバツ)
そこには赤眼の少女がいた。
路地裏の突き当たり、光のほとんど当たらないような場所でも、存在感を示す綺麗な赤い色。
気を抜いたら吸い込まれてしまいそうなその色に、俺は目を奪われていた。
「こんにちは」
「しゃ、しゃべった!?」
「当たり前でしょ?生きてるもの」
それもそうかと、混乱する頭を一度落ち着かせる。
彼女は、路地裏に座って、壁にもたれかかったまま、目線だけこちらに向ける。
彼女の片方の目は眼帯で隠されているが、もう片方の目からだけでも、後退りをしてしまいそうな圧を感じる。
「ねえ、どうしてここに来たの?」
少女は俺にそう聞く。
その声はまるで、俺の頭の中に直接語りかけてくるような、不思議な声だった。
「声が聞こえたからだ。それを追いかけたらここにたどり着いた」
その答えを聞くと、表情が読み取りにくいが、少女が満足そうに微笑んだように見えた。
「あなたには聞こえるのね、彼女の声が」
「彼女の……?」
よく考えてみると、先程の泣いているかのような声は、明らかにこの少女のものとは違う。
それに、そもそも少女は泣いていないし、俺がここに来た時にも声は聞こえていた。
なのに、少女は口を開いてはいなかった。
ということは、この少女の言う『彼女』とは、一体誰なのか。
「何を言ってるのかは分からないけど、とにかく、ここから出よう」
そう言って、少女の手を引こうとした瞬間、
「……っ!?いってぇ…」
彼女と俺との間に、閃光が走ったかと思うと、俺の指先に激痛が走った。
閃光が走って、激痛も走って……。
runとrunでランラン♪
なんて言ってる場合ではないほどの痛みだった。
反射的に手を自分の方に引いて、指先を確認する。
特に異常はないみたいだが、まだ手が痺れている。
「ごめんね、こうするのか早かったから」
少女の方を見ると、少女は自力で立ち上がっていた。
「何を言ってるんだ?」
俺には彼女が何を言っているのかが全くわからなかった。さっきの閃光は、彼女が発生させたのだろうか。
「あれ、まだ分からない?」
少女は不敵に笑い、俺に向けて手を伸ばす。
「私と、契約して」
「……は?」
契約って、どういうことだ?新聞の契約なら間に合ってるから断りたいんだけどな。でも、断れる雰囲気じゃないしなぁ。
というか、こんな少女に契約を取りに行かせるなんて、なんと酷い新聞屋だろうか。
「契約の意味がわからない?」
「いや、契約は分かるけど……何の?」
「ここまで見せてもわからないのね。昔の人々は、少し驚かせたら、祟りだと疫病神だの、慌てふためいてくれたというのに。最近の若いのは肝が据わってるのね」
いや、驚きすぎて逆に冷静になってるだけなんですけど。状況が分からなさすぎて混乱しているだけなんですが。
というか、少女に『若いの』と言われるのは、なんとも変な気分だ。
「悪魔よ、悪魔の契約」
少女はそう言うと、どこからとなく1枚の紙を取り出した。
「えっと?悪魔の契約を結んだものは、代償と引き換えに、願いを何でもひとつ、叶えてもらえる、だそうよ」
だそうよって、なんとも
だが、先程見せられた閃光と痛みは本物だった。
ならば、彼女は本当に悪魔だと言うのだろうか。
だが、そうだとしても、今の俺に、悪魔と契約する理由はない。特に不自由もなく暮らせているのだから、これ以上を望むのは、罰当たりというものじゃないだろうか。
「確かに魅力的な話だけど、断る」
「どうして?」
「どうしてって、悪魔との契約の代償って、魂とか、体の一部だろ?いくらなんでも、そこまでして叶えたい夢なんてないしな」
「確かにそうね、あなたの言う通りだわ」
そう言うと少女は、また別の紙を取り出して、俺に見せるように広げた。
「これならどう?」
『今だけ!悪魔と契約キャンペーン中!今契約すると、非売品の悪魔ちゃん人形をプレゼント!』
「って、こんなもので釣られるわけないだろ!」
この少女、一体俺を何歳だと思ってるんだ。もしかすると、精神年齢4歳だと思われているのではないだろうか。
「とにかく、契約はしない!ていうか、悪魔ちゃん人形ってなんだよ!いらねぇよ!」
「せっかく声の聞ける逸材に出会えたと思ったのだけど……」
少女はあからさまに肩を落とし、落ち込む。
悪魔だというのに、これくらいで落ち込むとは。悪魔というのは、思っていたより脆いらしい。
だが、それでも俺の気持ちは変わらない。
「なら仕方ない」
少女は立ち上がると、俺に近づいて、そして、おれの胸に手のひらを押し付ける。
「な、なんだ?」
「今から、あなたの心に介入して、契約を結ぶまでは離れない」
彼女画像告げると同時に、少女は光の粒となって、俺の胸の辺りに吸い込まれるように消えていった。
「え、ちょ!介入ってなんだよ!出て来いって!」
『……』
「な、なんとか言えよ……」
悪魔からの返事は一切なかった。
「どうなってるんだよ……」
気がつくと、俺は路地裏に入る前の場所に立っていた。
「ど、どうなって……え?」
振り返ってみると、さっきまで路地裏があったはずの場所が、ただのコンクリートの壁に変わっている。
「夢、だったのか?」
アニメとかを見て、主人公がよく「夢だったのか?」というシーンがあるだろう。
俺はあれを見て、こう言ったことがある。
「いや、夢なわけないやん!目の前で起きたことやん!」と。
あの時の自分の頬をビンタしてやりたい。
あ、でもさっきビンタされたのがまだ痛いから、右頬にしておこう。
ともかく、俺は今、夢だと思いたい現実に向き合わされているらしい。
「契約なんてもの、できるかよ」
またアニメの話だが、悪魔と契約したキャラって、大体が最後に破滅するだろ?ほら、デ〇ノートの夜〇月とか、ああはなりたくないからな。
俺の魂は俺のもんだ。誰にも渡したりしない。
渡すとしたら、佐〇木希だけだ!
希への愛を胸に、俺は悪魔の誘惑を断ち切る。
「よし!帰るか!」
家に到着すると、俺はすぐにベッドに飛び込んだ。
夜ご飯を何とかしないといけないが、眠気がすごい。
やはり、悪魔に介入されていることで、体になにか支障が出ているのだろうか。
制服のままなんだ、このまま寝たらシワがついてしまう……。
そんな、少しお母さんっ気のあることを思いながら、俺は眠りに落ちた。
「太郎くん、太郎くん、聞いて」
ん?なんだろう、聞き覚えがある声が聞こえる。
「太郎、これは夢よ。あなたの心に介入していることで、私は今、あなたの夢を操れるようになってるの」
なんだよそれ、強過ぎないか?
「そうね、今なら私はあなたに、地獄絵図も見せてあげられるし、幼馴染の楓との初夜だって見せることが出来るのよ」
まじか!地獄絵図は絶対拒否だが、楓との初夜は……うへへ……。
「さすがにキモイわね。3000メートル級の山からスケボーで飛び降りて、両手両足を骨折しながら転げ落ちる夢でも見せてあげようかしら」
鬼畜かよ!楓のも見せなくていいから、それは勘弁してくれ!
「ふふふ、私は面白い反応が見れて満足よ。だから今回は勘弁してあげる」
いたずらに笑う彼女の目は、路地裏で見た時と同じ、真っ赤な目を向けていた。
それが、時折、怪しく光ったりしているような気がして、一瞬ドキリとしてしまう。
ところで、なんで夢にまで出てきたんだよ。からかうためだけじゃないんだろ?
頭の中で考えただけで、少女には伝わるらしい。彼女は、うんうんとうなづいて、小さく笑う。
「それはもちろん、契約の催促をするためよ?契約してもらわないと、私だって困るもの」
催促って、だから俺は契約しないって言っただろ?
そう伝えると、少女は顎に手を当てて、考える素振りを見せた。
「太郎くんは人間が悪魔と契約するのは、どうしてだと思う?」
どうしてって、それは力が欲しいとか、世界征服したいとかじゃないのか?
「確かに、そういう人が多いのは事実。でも、そういう人ばかりじゃないんだよ」
どういうことだ?
俺が心の中で困惑すると、それを感じとった彼女は、クスクスと笑う。
「悪魔と契約する人の中にはね、契約を強要される人もいるのよ」
強要って、どういうことだ?
「した方がいい状況になる、もしくはしなければならない状況になる、ってこと」
しなければならない状況?それってどういう状況だよ!
俺がそう叫ぶと同時に、辺りが明るくなっていく。
「あ、もう起きる時間みたいよ」
いや、ちゃんと質問に答えろよ!
「大丈夫、もうすぐわかる事だから」
どういうことだよ!訳わかんねぇよ!
「答えろって!」
俺の声が部屋に響いた。
俺は結局、制服のまま眠ってしまったらしい。
変な時間に寝たせいか、頭が痛い。
そう言えば、少女が最後に何か言っていた気がする。大事なことだったらどうしよう。
でも、考えていても思い出せないものは仕方ない。
俺はふと、壁にかかっている時計を見上げた。
「あ……」
時計は既に、9時半を過ぎていた。
インターホンの記録には、楓の顔が8枚も残っていて、4枚目辺りから不満そうな顔になっている。
これは学校でこっぴどく言われるだろう。
仕方ない、アイスでも奢って機嫌直してもらおう。
なんのアイスを奢ってやろうか、やっぱりハー〇ンダッツだろうか。でも、あれはお高いからなぁ。無駄遣いすると、あとの家計が痛いし……。
そんなことを考えている時だった。
「タロー!」
俺は聞き覚えのある声で呼ばれ、足を止める。
「お前も寝坊か?全く、最近の若いのはだらしがないなぁ」
振り返ると、思った通り楓が立っていた。
「ね、寝坊じゃないよ!それに若いのって、タローは私と同い年でしょ!」
可愛らしくほっぺを膨らませる楓に、少し頬が緩む。
「寝坊じゃないなら、どうしたんだ?」
「あ、いや、ちょっと病院にね」
病院、ということは、どこか悪いのだろうか。
「風邪とかか?」
「……うん!でも、今は元気だから大丈夫!」
「そうか、ならよかった」
そう言って俺は、楓の頭を撫でてやった。
「もお……子供扱いしないでよ」
不満の声を漏らしながらも、満更でもないという顔をする楓。
さっきの微妙な間は、なんだったんだろう。
そんな違和感を抱えたまま、俺は楓と一緒に登校した。
病院に行っていた楓はもちろん心配され、寝坊で遅刻した俺は、もちろん怒られた。
俺も病院だったことにすれば良かったか。
一瞬そう思ったが、本当に病院に行っている人になんだか申し訳ないので、やめておいた。
「ねーねー、タロー?」
昼休み、屋上でご飯を食べようという楓の提案に乗って、2人で屋上に向かった。
俺と楓はいつも、一緒にお弁当を食べている。
だが、決して、リア充という訳では無い。
幼馴染という関係上、これが許されているのだ。
「タローに聞きたいことがあるんだけど」
「どうした?」
「タローはさ、私が危ない目に会ったら、助けてくれる?」
いきなりどうしたのだろう。いつもはこんな話しないはずなのに。
「もちろん、助けるに決まってるだろ?」
「じゃあ、助けるためなら悪魔と契約しないといけないってなったら、契約する?」
あれ、なんか聞いたことがあるような話だな。
昨日、同じようなことを聞いたような……。
「楓、お前まさか……」
「あら、バレちゃったか」
楓の口から、楓のものではない声が聞こえたと思った後、彼女の背中から悪魔の少女が顔を出した。
どうやら、悪魔が介入している時の楓には、意識がないみたいだ。
「幼馴染が言うことなら聞いてくれると思ったんだけど、考えが甘かったみたいね」
「いや、普通の女子高生がいきなり悪魔契約の話なんて、普通しないからな?」
「そうかしら?前に契約した人、すぐにそういう話する人だったから、人間はみんなそうなのかとおもってたわ」
そいつ、絶対危ないやつだ……。
「というか、楓から離れてやれよ」
俺がそう言うと、悪魔は楓の背中からずっと抜け出して、俺の中に入って行った。
「いや、俺なら入っていいわけじゃないからな?」
『いいじゃない、ここ、居心地がいいのよ』
ここ、と言われても、全くイメージできないのだが、ここで何を言っても彼女は言うことを聞かないだろう。今はそっとしておくことにする。
「あれ?タロー、私なんでここに?」
どうやら、憑依されている間の記憶は残らないらしい。屋上という提案も、実は少女の提案だったのだろうか。
「お弁当食べるんだろ?早く食べようぜ」
「う、うん!」
きっと、悪魔の話をしても楓は信じてくれないだろうし、むしろ、信じてもらいたくない。
悪魔の話を信じるって、相当頭お花畑な人か、オレオレ詐欺に騙される確率100%の人かだろうし。
でも、楓がお弁当を美味しそうに食べる姿を見ていると、安心する。
俺も、自分で作った弁当の中のウィンナーを口に運んで、その味に頷いた。
「うん、うまい!」
放課後、俺は楓と一緒に下校していた。
「そう言えば、お前、朝にインターホン鳴らしてたよな?病院に行くのに鳴らす必要あったのか?」
俺は、今更ながらに楓にそんな質問をする。
「タローに病院に行くって伝えとこうと思ってね。じゃないと、私の事待つかもしれないし」
楓は、その必要はなかったけどねと続ける。
楓が病院に行っていたおかげで、俺はハー〇ンダッツを奢らなくて良くなった訳だ。
財布の安全が守られたと、胸をなでおろした時。
「……っ!?痛っ……」
屈強な男が、楓の右肩にぶつかりながら走り抜けて行った。
「大丈夫か?」
楓の顔を見ると、真っ青になっていた。
「ど、どうした……え?」
さっきまで楓が持っていたはずの鞄がなくなっている。
「まさか……」
「と、盗られた…」
楓は突然の出来事に、混乱しているらしい。
ここは俺が何とかしてやるしかないようだ。
「落ち着け、追いかけるぞ」
俺は彼女の手を引いて、男を追いかけた。
「確かここに逃げ込んだはずなんだが」
そこは、廃れた工場のような場所だった。
隠れるにはいい場所だが、探すには手を焼くだろう。
なにより、相手は屈強な男。まともに争って勝てる相手ではない。
でも、楓の鞄は何がなんでも取り返さなければいけない。でないと、彼女が危険にさらされるだろう。今の時代、個人情報なんてその人のスマホ一台あれば、丸わかりになってしまうわけだし。
ここはバレないように近づいて、鞄を奪って逃げよう。楓に危険が及ばないようにするためにも、楓には外で待ってもらっている。
慎重に探さないと……。
「……っ!?」
カラン……。
うっかり足先が当たってしまった鉄パイプが、建物内に嫌な音を響かせてしまう。
まずい、居場所がバレたかもしれない。
「そこか!」
男の野太い声が響く。
「やっべ……逃げないと……」
俺は男が走ってくるのを確認すると、それとは反対の方向にダッシュする。
ゴツイ体の割にはスピードがある男は、俺を捕まえようと、必死に腕を伸ばしてくる。
「待て……待ちやがれぇ!!」
悪いことをしたのはこの男のはずなのに、なんで俺が逃げることになってるんだよ!
心の中ではそう言いながらも、逃げる足は止められない。捕まれば、俺は家に帰れなくなるかもしれない。だから、俺は走る!
もう一度、カツ丼を食うために!
「待てと言われて待つやつが、どこにいるってんだぁぁぁ!」
その時、俺は見た。
楓の鞄が、無造作に瓦礫の上に捨てられているのを。きっと、まだ中身は取られていないはずだ。
俺は瓦礫の上を駆け抜けて、鞄を拾う。
「返しやがれ!」
「返してもらうのはこっちだっての!」
「お前……殺してやろうか……」
男はそう言うと、ポケットに手を突っ込んで、何かを取り出した。
折りたたみ式のナイフだ……。
「ま、まじかよ」
逃げるだけならなんとかなると思ったが、凶器を持たれると、どうしようもない。
「あの女の魂が美味そうだと思って釣ったが、ついでだ。お前の魂もいただくとしようか」
魂。男は確かにそう言った。
魂をいただくなんて、そんな言葉を発する者は、そうだとしか考えられない。
「お前、悪魔かよ」
「お?悪魔の存在を知ってるとは。これは上質な魂と見た。いただくのが楽しみだ、ククク……」
男が言い終わると同時に、男の背中から、真っ黒な触手のようなものが伸びてきた。
その先端は鋭く光っていて、刺されたら一溜りもないだろう。
「いや、ナイフの存在意義!触手あるなら初めから使えよ!」
ついツッコんでしまった。これだからツッコミ大臣は嫌になる。
「ナイフは脅しの要素でしかないからな。人の魂を食うには、悪魔として殺さなければ意味が無い」
男は狂った目で俺を見つめる。
「でも、ナイフで足の筋でも切れば、ゆっくりいただく時間くらいは、できるだろ?」
男はもう我慢できないとばかりに、触手をうねらせる。
「苦しむ人間の魂が、一番うまいんだからな?ゆっくりゆっくり、痛みと苦しみを染み込ませていく……それが悪魔の美食ってもんだぜ」
どう見ても、話の通じる相手ではないらしい。
『契約すれば、そいつに勝てるくらいの力は与えてあげるわよ?』
心の中から、悪魔の少女が語りかけてくる。
契約はしない、そう決めただろ。俺は俺の力でこいつに勝つ。
『それは無理よ。人間が悪魔に勝てるわけない』
お前、長く生きてるくせに、人間の有名な言葉を知らないみたいだな。
『有名な言葉?』
ああ、今からそいつを教えてやる。
少女が黙ったのを確認して、俺はまた、男に向き直る。
「そいつは面白いな。俺もいつか味わってみたいぜ、人様の魂を食い荒らしてきた悪魔共の苦しむ
俺はそう言うと、足元に落ちている鉄パイプと白い粉の入った袋を手に取る。
「ただの人間が、俺と戦えるとでも?」
「ふっ、人間様を舐めるなよ?」
俺は鉄パイプを振りかぶり、同時に白い粉の袋を上に投げる。
「
そして、落ちてきた袋を力いっぱい鉄パイプで殴る。
「な、なんだ!?」
白い粉が辺りに舞い、視界が悪くなる。
でも、俺はちゃんと、出口の方向は確認しておいた。きっと、この視界の悪さなら、男もすぐには追ってこれないはずだ。
俺は、男にバレないように廃工場を出た。
「た、タロー?大丈夫だった?」
楓はどうやら、怖かったらしく、廃工場の外に置いてあるロッカーの中に隠れていたらしい。
さっきの白粉爆蓮陣!!!の音を聞いて、飛び出してきんだとか。
「ああ、なんとか取り返してきた。今のうちに逃げるぞ!」
「う、うん!」
俺達は、男の「どこだぁぁぁ!」という声を背中に、家まで走った。
楓は俺の家の前まで来ると、さっきの男が余程怖かったらしく、ひとりになりたくないと言い始めた。
楓の両親も俺のと同様に、共働きで海外赴任中。
だから、今は一人暮らしだ。
つまり、俺の家に泊まっても、怒られる心配はなくて……。
「仕方ない、幼馴染が怖がってるのに、ひとりにさせるわけにはいかないからな」
俺は楓を泊めてやることにした。
決して、淫らな行為を期待している訳では無い。とも言いきれないが、7割型はそれを期待していたかもしれないが、彼女の心の安心に繋がったのは事実だ。
別に、楓と繋る(意味深)ことが目的ではないから安心してくれ。
俺からなにかしない限り、彼女の貞操的安全も、生活的安全も守られるのだ。
これ以上に彼女にとっていい場所はないと思う。
「ありがと!」
安堵に充ちた彼女の笑顔が、俺の淫らな感情をかき消してくれたのが、よく分かった。
彼女の笑顔が消えてしまうようなことはできないと、俺にもまだ良心というものがあったのだと、学んだ日だった。
「というか、戦うつもりがなかったのね」
夜、楓が作ってくれたご飯を食べて、彼女がお風呂に入っている間、俺が自分の部屋に戻ると、悪魔の少女が出てきた。
「ああ、『逃げるが勝ち』って、いい言葉だろ?」
「……まあ、そうね。自分の力量に見合った勝負にしか手を出さないという判断は、素晴らしいものだと思うわ」
俺がだろ?と言うと、調子に乗るなと怒られた。
「というか、悪魔の少女って言うの、やめてくれるかしら。私、これでも3000歳は余裕で超えてるわよ?」
「じゃあ、悪魔のおばさん?」
「殺すわよ?」
「す、すみません……」
明確な殺意を向けられて、俺は完全に謝罪体勢。さっきの男の悪魔とは明らかにレベルが違うのがわかる。
「まあ、殺しちゃったら契約出来ないから、殺さないけど」
少女はそう言うと、何かを思い出したような素振りを見せた。
「そうよ、リリル=エン=ガーリリゼス、私の名前よ。だから、リリルと呼んで」
「悪魔にも名前はあるんだな」
「まあ、ほとんど使わないわ。単なる識別の方法程度にしか思ってないけどね」
リリルはそう言うと、俺のベッドに寝転んだ。
「いや、普通に寝転ぶなよ!女が男のベッドに寝転ぶとか、常識的にありえないだろ」
「悪魔にそんな常識、通用すると思ってる?」
「いや、まあ、悪魔と言ってもその見た目だろ?それで俺のベッドの上にいられると、複雑な気持ちというか……」
「発情するの?」
「は、はっきり言うなよ!」
この悪魔、常識も節操もないらしいな。
「女を助けた時は、少し男らしいと思ったけど、やっぱりただのヘタレだったみたいね」
「な、なんだと……」
「ヘタレだから、怖くて契約出来ないんじゃないの?違うと言うなら、契約してみなさいよ」
「おう!契約してやんよ……って、なるかい!」
俺はニヤニヤ顔で俺を見るリリルの額にデコピンをくらわせた。
「いった……」
「挑発して契約させようなんて、そんな魂胆丸見えだからな!」
「バレてたかぁ、残念」
「そう言う割には残念そうには見えないけどな」
俺がそう言うと、リリルは悪魔的な、いや、悪魔なんだけど悪魔的な笑みを浮かべて言った。
「だって、あなたはどうせ契約することになるんだもの。悪魔と出会ってしまったら、その運命からは逃れられないのよ」
俺にはその赤い瞳の怪しさが、さらに増したようにみえた。
「って、なんで一緒に寝るんだよ!」
夜中、寝ようという所に楓が飛び込んできた。
「だって怖いし……」
「お前、いつも一人で寝てるんだろ!?」
「今日は違うじゃん!あの男が……」グスン
「あーもう、泣くなよ。一緒の部屋では寝てやる。でも、俺が布団で、お前がベッドだからな」
「ちぇ…昔は一緒に寝たって言うのに……」
「歳を考えろ、歳を」
「私はそんなの気にしないもん!というか、タロー相手だったら別に……」
「ん?何か言ったか?」
「な、なんでもない!おやすみ!」
「お、おう。電気消すぞ」
電気を消してからしばらくすると、楓が寝息を立て始めた。
俺はと言うと……。
『ちょっと、心臓ドクドクうるさくて眠れないじゃない』
し、仕方ないだろ!同じ部屋で寝るとか、予想外だったんだよ!
『本当にヘタレね。ここじゃ眠れないし、私も布団で寝ようかしらね』
そう言ってリリルが俺から出てこようとするが、俺はそれを必死に押さえつける。
やめろって!朝起きて知らない少女が俺と寝てたら、楓が勘違いするだろ!
『勘違いって、なんの事かしらね?どんな風に勘違い、するのかしら?』
も、もういいだろ!俺はもう寝る!
『つまらないわねぇ。まあ、心臓も落ち着いたみたいだし、私も寝るわ』
そう言ったすぐあと、リリルの寝息が聞こえ始めた。
あえて悪魔の睡眠について突っ込まなかったが、やっぱり意外だな。
そう思いながら、俺はまぶたを下ろした。
朝起きると、リリルではなく、楓が俺の布団の中にいたことをここに記しておこう。
本当に、心臓と貞操に悪いからやめてくれ……。
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