代償を払ってでも俺があいつを助ける理由

プル・メープル

非日常と契約 編

第1話 非日常への接触

4月7日。

学生の大半が迎えて欲しくないと思っているであろう、長期休み明けに行われる一年で一番初めの行事、それが始業式だ。

俺は今、その行事の真っ最中。俺の左側に並ぶ集団は1年生だ。

入学式も、つい先日終わったばかりの彼らは初々しい姿で、知り合ったばかりだがこれから3年間、場合によっては一生関わり続ける可能性のある仲間たちに少々、ぎこちない接し方をしている姿もまた、1年前の自分と重ねてしまい、懐かしい気持ちになる。

そして、右側に並ぶのは先輩である3年生。

こういう式の時は、普段ふざけている人でも、意外としっかりと背筋を伸ばすものだ。

現に、斜め前に見える日暮ひぐらし先輩も、普段とのギャップに驚かされるほど。

と思ったら、こっそり携帯触ってる。

あ、見つかって没収されてる。

あーあ、こんな所で触るからだよ。

いや、睨むな、先生を睨むな。

始業式で携帯なんか触ってたら、没収されるに決まってる。職務を全うしただけの先生が恨まれているのが、なんとも可哀想だ。

日暮先輩には、俺からしっかり言い聞かせておかなければ。


そんな使命感のような何かを胸に収めて、斜めを向いていた目線を正面に戻す。

話の流れからわかるように、俺は2年生だ。

去年まで上しかいなかったのに、今年から先輩と後輩にサンドイッチにされることに正直、心配な面もあるが(特にだめぐらし先輩のこととか)、新たなクラス、新たな環境にワクワクしている自分もいる。

始業式が終われば、一度、2年生階の仮の教室に戻って、それぞれの新たなクラスが発表されることになっている。

どんなクラスになるのか、今からとても楽しみだ。

仲良いやつが一緒だと安心なんだけど。

そんなことを思いながら、心を弾ませる俺。

だが、校長の話というのは実に長いもので、ほとんどの生徒が話の内容なんてすぐ忘れてしまうにも関わらず、『ある程度は覚えられる言葉の容量』を超えた無駄話をしてくる。

まあ、考えたり調べたりしてきたんだろうし、聞いてあげたい気持ちは山々なのだが、ずっとこの密集空間にいるのもなかなか厳しいものがある。

いくら体育座りしている状態でも、これだけ長時間になると、尾てい骨が痛む……。

そういえば、尾てい骨を刺激し続けると屁が出やすくなるのって、俺だけなのかな。

あ、でも、中学の同級生だった友田ともだも同じこと言ってたな。

なら、俺だけじゃないな、科学的根拠はないが、証言は取れていたみたいだ。こいつはノーベル賞レベルの発見かもしれないな。

そんな馬鹿げたことを考えているうちに、校長の話も終盤を迎えたようだ。話の締めに入ろうとしているらしく、「ということですから……」と言う言葉が耳に入った。

「ということですから、尾てい骨を刺激すると、オナラが出やすくなるという事で悩んでいる人は安心してください、私も同じですから」

「いや、あんたもその話してたんかい!」

ついツッコミを入れてしまった、しかも大阪弁で。

「どういう流れでそんな話になったんだよ!ていうか、考えたり調べたりなんかしてなさそうな話だよ!そもそも、校長と一緒じゃ、安心できないよ!」

怒涛どとうのツッコミを入れ終わってから、周りの視線が俺に集まっていることに気づいた。

「……あ、」

長らく封印していたツッコミキャラの魔人が蘇ろうとしているらしい。俺は、顔に若干の熱を感じながら、視線からのがれるようにうつむいた。


こうして、始業式の日、クラスもわかる前から俺には『ツッコミ大臣』のレッテルが貼られることになったのだった。



始業式が終わり、クラス分けもわかった後、短いホームルームを終えて、俺ともう一人は一緒に帰っていた。

「タローの声、すごかったね」

そう言ってクスクスと笑うのは、幼馴染のみぞれかえでだ。ちなみに、タローというのは、彼女が俺を呼ぶ時に使う愛称だ。


本名は佐藤さとう 太郎たろう


読み仮名もつける必要があるのか悩むほどに一般的、the普通、theナチュラルなお名前だ。

まあ、そんな名前のおかげで楓と仲良くなれたわけだし、名付けてくれた両親には感謝している。

一年前、俺に相談もなしに海外赴任に行ったことはまだ許してないけど。

一人暮らしって、憧れる人もいると思うけど、自分の意思でひとりになったのと、突然ひとりにされたのでは大違いなんだぞ?

仕送りがあるから生活費は大丈夫だけど、家族4人で暮らしていた家にひとりというのは物寂しいんだよ。家族4人というのは、俺の両親と俺と、あとは自らひとり暮しの環境に飛び込んで行った妹だ。

なんとも、俺と二人暮しは不安だということらしい。前々から分かっていたが、俺は妹に嫌われているらしい。

いくら血が繋がっていないと言っても、妹を異性としてみるほど、俺は野獣さんではないのにな。

一応、1週間に1回は連絡をとっているが、段々と電話の時間も短くなっている気がする。

もしかしたら、妹には男ができたのかもしれない。そして、一緒に住んでいるのかもしれない。そして、誰にも邪魔されない環境で、絶対領域を侵されているのかもしれない。

だから、連絡を減らしているのかもしれない。

なんだか心配になってきたぞ。

うちの妹は、正直すごい可愛い。

性格はともかく、見た目は上の中レベルと言っても過言ではない!(真剣な目)そしてその見た目で許される限界まで、頭が悪い!(真剣な顔)

だから、もしかしたら悪い男に騙されているのかもしれないし、体目当てにされているかもしれない。

このままでは、妹の将来が心配だ。

一昨日に連絡したばかりだが、また連絡しようか。いや、でも電話でわからなかったから心配しているんだ。これはもう、直接会いに行くか。


善は急げ、思い立ったが吉日。

その言葉を胸に、俺は妹の住むマンションに向かう準備を始めた。

リュックに財布やらタオルやらを詰めて、家を飛び出す。今日中には帰るつもりだから、特に重さはない。これなら、走れば5分くらいで駅に着くだろう。


「あ、タロー!」

その道の途中で名前を呼ばれて足を止める。

「あ、楓か」

「急いでるみたいだけど、どこか行くの?」

楓が外出用と思われる服装でこちらをむいて立っていた。

「ちょっと妹の所に」

美桜みおちゃんのとこに?何かあったの?」

「いや、何かあったかもしれないんだ」

「かもって、どういう?」

「あいつには男がいる!」

心配のし過ぎで俺の中の妄想メーターが振り切れてしまったらしい。妹には男がいることを確定条件にしてしまうまでに。

「お、男!?」

楓も驚いて大きな声を出してしまい、誰かに聞かれていないか辺りをキョロキョロしている。

そして、誰もいないのを確認すると、ほっと胸をなでおろした。

「男ってどういうこと?」

「わからないけど、あいつはきっと、男に騙されてるんだ!」

「だ、騙されて……それは大変だよ!」

「ああ!だから今急いで……」

「早く行ってあげて!美桜ちゃんを助けてあげて!」

『男』、そのワードに血相を変えた楓は、俺の背中を突き飛ばすように押す。その力を殺さないように、俺はスピードに乗って、駅に向かって走った。


既にホームに着いていた電車に飛び乗って、席に座る。普通電車ということもあり、俺の乗った車両には俺と、あとは眠っている女子高生しかいない。


電車に女子高生と2人、1〇禁ゲームならムフフなシチュエーションだなぁ〜♪


そんなことを思っているうちに隣駅に到着。

俺は、なかなか目を覚まさない女子高生を眺めていた。


それにしても、足を開すぎではないだろうか。目を閉じてはいるけど、顔立ちもいいみたいだし、制服を見た感じ、俺の通う学校のすぐ側にあるお嬢様学校の生徒らしいし。

お嬢様として、あるまじき行為ではないか。

かといって、俺も男だ。彼女のだらしなく開かれた脚の間から見えそうで見えない絶対領域パンツに興味が無いはずがない。

興味が無いとか言うやつは、一回、精神科医と眼科に通ってもらった方がいい。

こんな美少女の際どい姿を前に、落ち着いていられる自分を褒めてやりたいくらいだ。

美少女観察(意味深)を続けているうちに、2駅目に到着した。

美桜の住むマンションの最寄りはこの次、四角形駅と書かれた看板を下げた駅だ。

ちなみに、『しかっけいえき』ではなく、『スクエアステーション』と読むので注意だ。何故こんなわかりにくい名前にしたかと言うと、噂だが、駅長が大の四角形好きらしく、前の駅名を変更しようと言う会議で提案したら、他に代案がなく、その案が通ってしまったらしい。

四角形好きとは、変に変わった人だと思う。

ちなみにちなみに、俺はこの駅に何度か来ているが、駅長を見たことは無い。

出現確率の低いレアキャラらしいが、俺の中の死ぬまでに一度は会ってみたい人ランキングの第2位にランクインしている。

ちなみに1位は佐〇木希だ。

わ〇べさん、羨ましいぜ……。


話がそれてしまった。

俺は頭の中で話題を修正する。

よく見ると、目の前の女子高生のすぐ側に、何かの鍵が落ちている。おそらくポケットから落ちたのだろう。忘れないように膝の上に乗せておいてあげよう。

そう思って鍵を拾った、その瞬間。

「……!おっと……あ、」

俺は女子高生の太ももを掴んでいた。

ちょうど俺の降りる予定の四角形駅に到着したらしい。停車の揺れでバランスを崩した俺が慌てて手を着いたのが、女子高生の太ももだったわけだ。

「……!?」

そして次の瞬間、女子高生と目が合う。

さすがに太ももを鷲掴みされて起きないレベルの寝坊助ではなかったらしい。

状況を把握すると、顔を真っ赤にして、そして、俺の左頬目がけてビンタを食らわせた。

「へ、へんたい!!」

そう叫んだ彼女は、涙目で電車を飛び降りて行った。

「ほ、星が見えるって、こういう感じなんだなぁ……」

俺は、目の前をくるくる回っている存在しないはずの三角や四角、星を見ながら、こんなこと思い出した。

この駅の名前が昔は三角形駅トライアングルステーションであったということを。

正直、今も昔もネーミングセンス皆無だと思う。



「いてて……まだ痛む……」

女子高生にビンタされた所を擦りながら、妹の住むマンションへの道を歩く。

鏡がないからわからないが、かなり強い力で叩かれたのはわかるし、もしかしたら腫れているかもしれない。

まあ、痴漢で捕まらなかっただけまだマシか。

捕まったら、退学になるだろうし、人生というレールからも退散しなくてはならなくなる。

痴漢と言うのは、される側も、した側も、両方の人生を悪いものにしてしまう、最悪の犯罪行為なのだ。

そういえば、クラスメイトの、カッパこと河内くんは、痴漢したことがあると言っていたな。

よくよく聞いてみれば、上方置換、下方置換の事だったけど。

クラスメイトから犯罪者が出なくてよかった。

そう思ったチカンで逮捕されてもおかしくなかった俺であった。


「そ、それ、どうしたの!?」

妹の部屋に着いてから、彼女の第一声がそれだった。後で鏡で見てみると、よくこれで歩いてきたなというレベルで、頬に手形がついていた。

「兄さん、まさか女の子になにかしたんじゃ……」

「何かしたって、まあ、間違いではないが……」

「うわっ、最低……」

さげすむような目に、慌てて弁解する。

「あ、そういうことね。まあ、にわかには信じられないけど、兄さんならありえなく無いか」

そう、俺は先程の女子高生に対してと同じような経験を、妹の美桜にもしてしまったことがある。

まあ、安心してくれ、一線は超えてない。

ちょっと胸をぎゅっとやってしまっただけだ。故意じゃない、事故だ。恋じゃない。

「兄さん、なんか気持ち悪いよ」

「兄に向かって気持ち悪いって言うな、結構傷つくんだから」

ジト目で見てくる妹にそう言って、俺は続けて、ふと疑問に思ったことを口にする。

「そういえばお前、前はお兄ちゃんって呼んでたよな?」

「あ、気づいた?」

美桜はバレちゃったかぁ〜と可愛らしく言うと、いたずらっぽい笑顔を浮かべる。

「一人暮らし始めたし、少しは大人っぽくなりたいなって思ってね。呼び方変えてみたんだけど、どうかな?」

若干の上目遣いが俺の心をくすぐってくるが、相手は妹だ。優しく頭を撫でてやりながら言ってやる。

「美桜も背伸びがしたい年頃なんだな。でも、お兄ちゃんはお兄ちゃんって呼ばれる方が好きだな。ほら、なんか可愛いだろ?」

「そ、そう?じゃあ、お兄ちゃんに戻すけど……」

それとなく不服そうな表情を見せたような気もするが、美桜はまだ中学生だ。

無理して背伸びしなくても、これから十分大人らしくなれる。これから一人暮らしを続けて行くわけだし、これからいくらでも大人の階段を登っていけるはずだ。

ん?大人の階段……?

「そうだ、ここに来た目的を忘れるところだったよ」

「目的?」

首を傾げて聞き返してくる妹に向かい合って、真剣な表情を心がけながら、彼女に問う。

「お前、男がいるのか?」

「へ?おとこ?」

この反応は純粋に「どういうこと?」と言っているように見える。だが、それはこいつが単純に馬鹿すぎて、思考が追いついていないだけかもしれないという考えに変わる。

「お前、最近連絡する時間が短いだろ?それに素っ気ないし……。俺って嫌われてるのかなとか、男でもできたんじゃないかって……」

俺がそう言うと、あろう事か美桜は腹を抱えて大爆笑し始めた。

「あははは!な、何言ってるのお兄ちゃん!ぷっ、あはは!」

「そ、そんなにおかしいか?」

「おかしいよ!だって、お兄ちゃん、心配し過ぎだし!連絡が短いのも、素っ気ないのも、ただ単に忙しいからだよ!お兄ちゃんのこと、嫌ってなんかないんだからね?」

笑いすぎて涙目になっている妹は、それでもしっかりと俺の目を見て、はっきりとそう言った。

どうやら、俺は妹のことを見くびっていたらしい。

いくら馬鹿だと言っても、誰にでも懐くほどじゃない。ちゃんと、一般女子高生レベルの警戒心は持っているらしい。

「お兄ちゃんはそれを聞けて安心したよ」

「それを聞くためだけに来たの!?どれだけ過保護なの!?」

「ほっとけ!父さんたちに妹の面倒を見るように頼まれてるんだから、これくらいは心配させろよ!」

「ふふふ、わかりましたよ〜。心配してくれてありがとね、お兄ちゃん」

「お、おう!」

少し照れていることを悟られないように、美桜の目から視線を逸らす。

それを見てまた美桜が笑い、俺はさすがに恥ずかしくなって、「また来るからな!」と言い残して、美桜の部屋を出た。

「うん!また来てね〜!」

その声が、鉄製のドアの向こうから聞こえた。

つい、口角が緩んでしまったことは、あいつには内緒だ。


だが、正直、安心した。

妹に男がいた訳ではなく、ただ単に忙しかっただけで、俺への対応だって、いい妹と言った感じだった。これなら、一人暮らしさせても安心だな。

俺は心の中でうなづいた。

そして、マンションから出るべく回れ右……をした時だった。

「……ああっ!」

突然大声が聞こえて、反射的に体がビクッとする。

「あなたはさっきの変態さんですね!」

ヘン=タイさん?どこの国の人だろうか。少なくとも、俺はその名前の人を知らない。

「な、なんですか?その顔は!とぼけたって無駄ですよ!ちゃんと覚えてますから!」

顔の事を言われてもなぁ、俺の顔がぱっとしないのは昔からだからな……どうしようもないじゃないか。

「ちょっと?聞いてますか?おーい、変態さーん?」

ヘン=タイさん……ヘンタイさん……あ、そういうことか!変態さんってことね、やっと理解した。

「って、それ、俺の事?」

そういえば、数十分前に同じことを言われていた気がする。妹のことで安心しきっていたせいか、頭からすっかり飛んでいたみたいだ。

「そうに決まってます!私の太ももを触っておきながら、逃げるなんて!」

いや、逃げたのはそっちじゃ……。

そう言おうとしたが、俺はやめた。

なぜなら、彼女の目が本気だったから。

今、余計なことを言えば、間違いなく殺される。物理的にでなく、社会的に。

日本という国は、痴漢において、99%の確率で罰を受けると言われている、そんな話を聞いたことがある。

つまり、俺が助かる確率は1%。100人の俺がいたら、1人だけ助かる計算だ。まあ、俺は1人しかいないから、実質助からないという答えしか出ないわけで……。

ここで彼女が、「この人チカンです!」と叫べば、俺の人生は終わる。しかも、ここは妹の部屋の前だ。家族的にも終わる。今度こそ嫌われる。

俺は今、男に生まれたことを初めて悔やんだ。

「まて、あれは誤解なんだ」

「5階?何言ってるんですか?ここは4階ですよ」

お前こそ何言ってるんだよ……。

俺は心の底から、ため息をついた。どうやら、まともに話して通じる相手ではなさそうだ。ここは仕方ない、少々手荒な真似をするしかないか。

そう腹をくくり、一歩前に出た。

「な、なんですか?」

俺はそのまま拳をにぎりしめ、体勢を低くする。

「や、やる気ですか?」

ここまで来たら、あーだこーだ言ってる場合ではないのだ。俺の人生と、目の前の女子高生の一時の痛み。これを天秤にかけたら、俺の人生の方が大事に決まってる。

人間ってのはみんな、結局は自分が一番可愛いのだ。

俺は力を込めた右手を、全力で彼女に向かって突き出……。

「私、柔道黒帯ですけど……」

……すことはなく、その両手と両膝、額を同時に地面に叩きつける。

いわゆる『土下座』だ。

「申し訳ございませんでしたっ!」

「……えぇぇぇ!?」

まさかの展開に、普段は『やばい』『かわいい』『まじ卍』程度で会話を成り立たせているであろう女子高生である彼女も、驚いたようだ。

「女子高生に手を出すなど、暴力を振るったことの無い私にはできません!」

「いや、振るおうとしてましたよね!?黒帯って聞いて無理だなって思ったよね!?」

「いえいえ!滅相もございません!」

若干ザラザラしているマンションの廊下に額を擦り付けて、精一杯の誠意を示す。

だが、彼女は戸惑うばかりで、許すの声は聞こえない。ならば。

「お靴、お舐め致します!」

「や、やめてください!」

女子高生は、ものすごいスピードで後ずさる。

俺に靴を舐められることが、そんなに嫌か。

まあ、嫌だろうな。

俺でも嫌だし。

「では、どうすれば許していただけるのですかっ!」

もう、俺はヤケになっていた。

尊厳?そんなの知るか。社会的に死ぬよりマシだろ!

俺の心の中は、そんな感じだった。

「いや、何としなくていいから!別に、いいから!もう許すから!」

「あ、有り難き幸せ……」

なんと心の広いお方だろう。女子高生の新鮮で美しい太ももを、両太ももを(強調)、鷲掴みにしたと言うのに、許してくださるとは。

あの太ももの感触が、まだ手のひらに残っている気がする。

まるで、三日間水につけて放置していたお餅のような……例えが悪いか。

まるで、開封したばかりの紙粘土のような……イマイチ伝わりにくいな。

まるで、まるで……それはもう、良かったんだよ(説明放棄)。

「あの……」

幸せな瞬間を思い出していると、突然、女子高生が介入してきた。

「ん?なにかね?」

「キモいです」

本日2度目のキモいいただきました!

正確には一回目は気持ち悪いだったが、キモいはもっとタチが悪い!

でも、そんなことは気にするな!だって、キモイのは仕方ないことだもの。

そう、自己解決して、また女子高生の方を見る。

あ、これ、ガチで、本気で引いてるやつだ。俺、そんなにキモイ顔してたかな。表情筋鍛えとかないとだな……。


俺は両頬を軽く叩いて、表情をリセットする。これでキモイわけない、はずだ。

「ところで、どうしてこんな所でウロウロしてるんだ?」

「あなたに言う必要あります?ていうか、ウロウロしてる訳じゃありませんから」

若干、言葉が刺々しい気もするが、話は通じるようになった。

「あ、もしかしてこれ?」

俺はポケットから鍵を取り出した。

小さなすずのキーホルダーの付いた、可愛らしい鍵だ。

それを見せた途端、彼女は血相を変えて詰め寄ってきた。

「そ、それです!ど、どこでそれを……」

「電車の中で落としてたんだよ。太もも事件の時だって、これを拾ってあげようとして……」

「そ、そうだったん……ですか?」

やはり、にわには信じ難いのだろう。女子高生の頭の上にハテナが見える気がした。

「ですが、助かりました。家に入れなくて困ってたんです」

そう言って、彼女は俺の手から鍵を……取れなかった。なぜなら、俺が彼女の届かない位置に鍵を掲げたから。我ながら性格が悪いと思う。でも、これも交渉の手段なのだ。

「な、何するんですか!返してください!」

ぴょんぴょんと跳ねて、鍵を取り返そうとするも、彼女の身長では届かない。これでも俺、170以上はあるからな。

「こいつを返して欲しければ、言う通りにしろ!」

それはもう、悪役のように言い放った。

「な、何をすればいいんですか……」

彼女も、初めは首を横に降っていたが、家に入れないのはさすがに困ると思ったのか、最後には縦に振ってくれた。

「え、えっちなのはだめですからね!?」

「いや、そんなつもりないけど?」

いや、本当に。確かに、言う通りにできるとなれば、そういう方向に走るのもありだ。でも、考えてみてくれ。そんなことをしたら、せっかく帳消しにした痴漢の黒歴史を、上塗りするだけの行為にならないか?

俺は、せっかく助かった社会的立場を、自ら危険に晒すようなことはしたくない。

だが、彼女の反応を見て、少しだけ遊んでやりたくなってしまった。

「へぇ?俺にはそんな気、全然なかったんだけどなぁ?君にはそういう発想があったんだ?」

「そ、それは……」

彼女は顔を赤らめて俯いてしまう。

自分ではわからないが、俺は今、とても悪い顔をしているだろう。傍から見れば、不審者、変質者である。

「なんてな!」

「……は?」

俺は、秘技手のひら返しを発動し、笑顔で言った。

「俺からの頼みはそうだな、隣に住んでる俺の妹と仲良くしてやってくれ!それだけだ!」

彼女がたっている場所的に、彼女は、美桜の左隣の部屋の住人らしい。

なら、妹の安全の為にも、同じ位の年齢である女子高生さんに頼むのが1番安心だ。

「そ、それだけ?それだけでいいんですか?」

俺は深くうなづいて、その証拠のためにと、彼女に鍵を手渡した。

「……変わった人ですね」

「そうか?妹の安全のために兄が網を張るのは、普通だと思うけどな」

「……」

彼女は、少しの間俺を見つめると、そそくさと彼女の家の中に入っていってしまった。

あの様子だと、約束は守ってくれそうだ。

妹の生活も、俺の人生も、両方が守れたということで一件落着、めでたしめでたし。


静かになったマンションの廊下に少し、もの寂しさを感じながら、俺はマンションを後にした。

女子高生の家の前を通る時、ちらっと名前を確認したのだが、『天上院』という名前、どこかで聞き覚えがある気がした。

どこだっただろう、ずっと昔だった気がする。

「まあ、思い出す時が来たら思い出すだろ」

そう呟いて、その考え事はそっと、心の片隅に閉まっておいた。


帰りの電車は行きと違って、それなりに人がいた。

眠っているおじさん、化粧の濃いマダム、部活帰りと思われる近隣の中学の生徒etc...

少し傾き始めた太陽の光に照らされた、ほんのりオレンジ色の車両に揺られ、あっという間に最寄りに着いてしまった。

なかなか心地いい乗車だった。やはり、夕焼けには人を癒す効果があるんだろうな。自然と眠たくなってくるし。

そんなことを思いながら、改札を出る。

そして、行きは走った道を、ゆっくりと歩く。

商店街を抜けて、住宅街へ入る。すれ違う人はほとんど居ない。

しばらく住宅街を歩いた、その時、俺は背後に気配を感じた。

しかし、誰もいなかった。

変に思ったが、気の所為だろうと考えを流す。

ちょうど、市役所が流している、家に帰りましょうということを知らせるための曲が流れ始めた。

俺はこれを聞いて、帰ろうという気持ちになったことは一切ないんだけどな。

だが、俺は異変に気づく。

曲に混ざって、女の子の声が聞こえる気がする。とても小さいが、近くで、まるでないているかのような声だ。

辺りを見回すと、さっきまで気づかなかったが、路地裏に入れる道が、俺の左側にあった。

声はどうやら、ここから聞こえているらしい。

なぜたか分からないが、俺の体は自然と路地裏に向かって進んでいた。

これが好奇心なのか、善意なのかは自分にもわからない。

でも、本能が言っている。

『行かないと後悔する』と。

だから俺は、迷わず進めた。

そして、路地裏の突き当たり、光のあまり届かない薄暗い場所に、彼女はいた。


赤眼の彼女が。

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