第82話 報道委員石原笑美


 

 五日後の3月27日、マルーシャは首都キーフの臨時大統領府で与えられた仕事に、どう取り組むべきか悩んでいた。

「…うーーん……うーーーん……うーーーーーんぅぅ……」

 悩んでも、いい答えは出てこない。

「……ぅー……いきなりさぁ、ネットやマスメディアを使って世界に祖国の窮状を発信して、資金でも物資でも、援軍でもいいから、得られるよう、君の自由な発想で頑張ってくれって、言われてもぉぉ……私はホームズみたいに、いい考えが浮かぶ人じゃないんだよぉぉ……しかも、ワトソンさえ居ないし」

 助手もなく、予算もなく、与えられたのはインターネットができる中国製のパソコンとアメリカ製のスマフォ、日本製のビデオカメラだけ。

「あぁぁ……難しい。……だいたい、私はジャーナリスト志望でもなかったし、女優とかも目指してなかったから」

 マルーシャは金髪のアフロヘアを両手で揉むと、立ち上がって紅茶を淹れる。あまり広くない地下室も与えられたもので、机と給湯設備がある。あとは三食とお茶菓子ぐらいが与えられている。マルーシャは紅茶に蜂蜜をたっぷり入れると、ゆっくりと味わって飲み、糖分が脳に回ってからビデオカメラを録画状態で自分に向けた。

「こんにちは、私はウクライナのマルーシャ・コバレンコです。現在、ウクライナはご存じの通り、ロシア軍に加え、日本軍、ベラルーシ軍の攻撃を受け、今や首都キーフも包囲されつつあります。私たちは無力です。ですが、降伏はしません。逃げもしません。戦う力も残り少なくなっています。どうか、助けてください。いっしょに戦ってくれる人に来てほしい。物資や資金を援助してほしい。どうか、お願いします。………」

 そこで録画を止めた。

「うーーーん……こんなの発信しても、いまいちじゃないかなぁ……私は、ただ偶然、戦車の前に立ち塞がっただけの女の子なのに……。せめて、プロデューサーとかさ、何か教えてくれる人、つけてよ。……はぁぁ……やっぱり、私、試されてるのかな、使える子なら使ってみよう、そんな感じだよね」

 自分を客観視して大統領府の意向を察してみた。

「もしかして、この手段で使えなかったら女性兵士になってみないかコースが待ってたりして……うーーーぅ……そりゃ祖国のためなら、……でも、怖いし……。……降伏したら、どうなるんだろう……」

 なんとなくインターネットで投降したウクライナ人や避難先としてロシアを選んだ人々の様子を調べてみる。

「……けっこう、扱いはいいのかな……家と食料が与えられて、お金もルーブルだけどもらえるみたいだし……でも、これ自体がプロパガンダかもしれないし。インタビュー受けてる人も、ロシア訛りが強いし。もともと親ロシア系の人だろうし」

 捕虜になった兵士やロシアに避難した人々はカメラの前では幸福そうにしている。けれど逆に虐待された捕虜のニュースもある。ウクライナ語で検索するのと、ロシア語で検索するので、ほぼ真逆の情報が発信されていた。

「……ああ……何が真実なんだろう……なんか疲れて泣きたくなってきた……泣きながら、撮ってみようかな」

 再びマルーシャは録画ボタンを押した。

「ぐすっ…どうか、助けて。もう私たちは…ぐすっ…これ以上、どうしたらいいか、わからないの。……助けて。世界のみんながロシアと戦ってほしい。………」

 でも、そうなると第三次世界大戦に……、じゃあ、私たちは見捨てられるの? とマルーシャは思い至り、涙の量が増えた。

「ひぐっ…どうか、助けて! お願い! みんなの力がいるの! 私たちだけじゃ、どうにもできない! ああ、お願い、お願いです! うぅぅ…」

 しばらく泣いて、それから気持ちが落ち着くと録画を見返してみる。

「完全な泣き落としかぁ……効果あるかなぁ……我ながら女々しいなぁ。逆に、勇ましく撮ったら、どうかな?」

 マルーシャは気分を変えてみる。頑張って戦う気持ちになった。

「私たちは戦う!! 最後の一人まで! だから、…あ、録画ボタンを忘れた」

 忘れていたビデオカメラのボタンを押してから再開する。

「私たちは戦う!! 最後の一人まで!! なぜなら、ロシアとベラルーシ、モンゴル…じゃなくて、日本! ああ、もお! 撮り直し! だいたい、なんで日本人まで攻めてくるのよ! あいつら何考えてるか、わかんない!! 全員死ねばいいのに!!」

 苛立ってティーカップを投げたくなった。けれど、自分の所有物ではないので我慢して金髪アフロを揉むだけにした。

「……はぁぁ……そういえば、日本って、どんな国なんだろう、モンゴルと、どう違うのかな」

 マルーシャは日本について検索してみた。

「ふーん……やっぱり独裁体制なんだ。アユミ・セリザワの政権になって11年、来年で任期が切れる。でも、ルカシェンコみたいに再選させるのかな……直近の支持率62%で高いけど、統計の取り方とか操作してそうだし。どうせ、報道の自由もないだろうし……報道委員の選挙?」

 気になった制度を調べてみた。

「けっこう自由に報道はできるんだ。アユミのことを批判しても逮捕されない。あ、でも、レズビアンなんだ。気持ち悪い……、まあ、それも人それぞれの自由なんだろうけどさ。じゃあ、私たちウクライナの自由はどうなるのよ」

 一人言を続けているマルーシャへ、地下室のドアがノックされて大統領秘書が入ってきた。

「マルーシャさん、進捗は、どうですか?」

「あ、はい。いくつか、撮ってみたんですけど……」

 マルーシャが撮りためた動画を見せると、大統領秘書はデータをコピーしていく。

「まだ配信はしていないのですか?」

「はい、あんまり不用意にやると、どうなるか心配だし……」

「なるほど、あなたは聡明だ。引き続き頑張ってください。あと、大統領から依頼があります」

「ぅ、…どんなことですか?」

「大統領は世界各国の議会や元首に助けを求める動画を配信しているのですが、多忙さもあり、手の回らない国への演説をマルーシャさんにしてほしいそうです」

「…はい……どこの国でしょう?」

「モザンビーク、ザンビア、ジンバブエ、アンゴラ、ガボン、ガーナ、スリナム、ガイアナ、エクアドル、ニカラグア、グアテマラ、カンボジア、バングラディッシュ、ブータン、スリランカのうちで、マルーシャさんができそうな国を頼みます」

「……はい、…考えてみます」

 知らない国ばっかり……まあ、そりゃEUとか主要国は大統領が直接やるよね……私には残りが……でも、今言った国って、そこもそこで内戦とか、貧困とかあって、私たちのことどころじゃないんじゃないかな……親ロシアな国もあるだろうし、とマルーシャが考えているうちに大統領秘書は退室していった。

「はぁぁ……また宿題が増えた」

 机に突っ伏した。

「よその国に援助をお願いする演説って……当然、その国のこと調べて、失礼のないように、言葉も選んで……そこまでやっても、アフリカあたりの国が私たちを助けてくれる可能性なんてゼロなんじゃ……お金で傭兵を集めるぐらいしか……それも、ひどい話……私たちの代わりに戦え、ってさ」

 つぶやきながら途中だった日本についての情報を見た。

「……報道委員選挙……トップ当選………最年少で……エミ・イシハラ。アユミ批判の急先鋒か………軍拡、人殺しを続けるアユミを許さない……、この子、私と同じ歳なんだ」

 気になったので笑美の動画を見てみる。

「私は芹沢を許さない」

 小柄できゃしゃな女子が話している。日本人にしては薄い色の髪を肩の高さで小さなツインテールにしていて、髪は絹糸のようにサラサラとしていて癖毛なマルーシャから見ると羨ましい。そしてアジア人らしい子供っぽさがあって、とても18歳には見えない。まだ子供のように見えるあどけなさがあった。ただ、その瞳は決意というより殺意に近い意志を感じるほど、力強かった。

「芹沢のパートナーだった牧田詩織は完全なサイコパス。そして、芹沢も人殺しを好むサイコパス。私はこの目で見た。楽しそうに人殺しをする牧田を。芹沢も同じ。いくら殺しても足りない。日本人を、外国人を、今またウクライナ人を殺し、殺し、殺し、それを楽しんでいるサイコパス。芹沢は敵、私の敵、世界の敵、早くしないと、世界中の人を殺して遊ぶ。それをさせないために、私は報道委員として、芹沢の悪を証明します。力を貸してください。あの悪を、あの悪魔を、これ以上、のさばらせないために」

 笑美は画面の中で半袖だった黄色いブラウスの袖をめくり腕の傷痕を見せている。肌には一直線に切り裂かれた痕が筋となって残っていた。

「これは牧田に切られた傷。この傷を手当てしてくれた勇気くんも、他の友達も、みんなみんな殺された。何一つ悪いことなんてしてないのに殺された。あいつは楽しそうに人殺しを楽しんだ。絶対に許せない。人殺しを楽しむやつは生きていてはいけない人間。殺していいのは、人を殺すやつだけ。だから私は芹沢を処刑台にあげる。必ず罪を償わせる。そのためだけにやれることを、すべてやる。以上です」

「…………」

 動画は日本語でマルーシャはロシア語の字幕を読んで理解した。理解して、拍手していた。

「わぉ、なんて人……なんて、すごい目……。きっと、この人なら…」

 拍手を終えたマルーシャは内線電話で大統領秘書に笑美と連絡が取れるよう頼んでいた。

 

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