第81話 副総督美姫

 

 翌3月22日、黒海北部の港湾都市マリウーパリで鷹沢美姫は副総督として執務にあたっていた。

「ふぅ…」

 タメ息が出る。若い頃はワンコという芸名でローカルアイドルを目指していたけれど、大震災の直後に起こった日本と朝鮮半島との戦争で、在日という立場と本名だった李王娘(リーワンニャン)から帰化を選び、総理大臣秘書官という役職と今の氏名を授かっていた。そうして職務に精励して認められ、気がつけばロシア軍と日本軍が攻め取った地域の副総督という立場になっていて人生の流れの速さが津波のようだと感じていた。

「…この子も、かわいそう…」

 今は戦災孤児のファイルを一つ一つ丹念に見ながら、美姫は長く伸ばした黒髪をゴムで一つに束ねた。女としての色気を抑えたスーツ姿で、眼鏡もかけている。外見としては副総督などという仰々しい仕事ではなく、ただのオフィスレディに見えたし、もう30歳も過ぎているけれど、結婚指輪はしていない。

「…この子は、お母さんが生死不明…お父さんは2014年の戦闘で………この地域は本当に、人類の歴史全体で、いつも戦争、いつも民族が入れ替わる…」

 日露の親交が深くなって当然に総理大臣秘書官として黒海北部の歴史も勉強したし、今回の赴任にあたって再学習してきているけれど、学べば学ぶほど歴史が複雑で心から気の毒になる。美姫自身も日本で育ちながらも朝鮮民族の血統を持つということで複雑さに共感できるかと、自らも周囲も考えての人事で来ているもののマリウーパリやその周辺は数百年ごとに民族が入れ替わっている。紀元前8世紀からスキタイ人が500年あまり暮らし、次にサルマタイ人が700年あまり、その次がフン族が2世紀ほど、次のアラン人も2世紀ほど、9世紀からはペチュニーヒ人が11世紀まで、その次はモンゴロイドの遺伝子も濃いクマン人が13世紀まで、そしてモンゴル人がやってくるけれど、それも15世紀まで、次がモスクワ大公国やクリミア・ハン国、ザポロージャ・コサック軍、ドン・コサック軍との国境地帯になり、16世紀からウクライナ・コサックが植民するも18世紀には終わってロシア帝国の時代、それからは世界大戦と冷戦で翻弄され、ナチスドイツも来るし、スターリンによる飢餓もひどかった。やっと1991年にウクライナの独立によって組み込まれるも2014年からはドネツク人民共和国を名乗っている。そして、そのドネツク共和国の自治を見守るのが今月からの美姫の仕事だった。

「朝鮮半島は、いつも大国に翻弄されて、日本は島国でいいな、って思ってたけど、ぜんぜん朝鮮も幸せな地域かも。分断とか有ったけど、結局は朝鮮民族は朝鮮半島って共通認識はあったし。日本なんか縄文人と弥生人が異民族かもしれないぐらいで、あとはだいたい安定してた。ここは言語もロシア語7割、ウクライナ語3割で、一部で混ざって方言化してるし。………こんな地域の副総督……しかも、日露共同統治……とは名ばかりで実質はロシアさんが支配するのを、カモフラージュで私はお飾り副総督。はぁぁ…」

 タメ息をつきながらファイルを見終えたので、総督のところへ報告に行く。総督府はマリウーパリ中心街のセキュリティーが高いホテルを借りて置かれていた。美姫はホテルの廊下を歩いて総督の執務室をノックした。

「入れ」

 とロシア語で言われたので日本人らしく入って一礼する。

「戦災孤児についての報告に来ました」

 美姫も頑張って覚えたロシア語で話している。

「聴きましょう、美姫さん」

 頷いてくれたのは総督のマラート・パウリュークで男性としては身長は低めなものの、がっしりとした逞しい体つきをしていて、金髪の色が濃いので髪はハチミツ色に見える。マラートは美姫へ仕草でソファをすすめてくれたので、立ったまま報告するのではなく向かい合って座った。

「昨日までに把握された戦災孤児は1033人です。うち261人は親と連絡が取れないだけで、生きておられる可能性もあります。ただ、児童らの証言から約百人ほどは親が養育を放棄している可能性も高いです」

「うむ」

「次に1033人のうち、ロシア語を話す子が544人、ウクライナ語を話す子が482人、自分の母語がロシア語なのかウクライナ語なのか、わからないと回答した子が7人います」

「地域の人口比に比べて、ウクライナ系の孤児が多いな」

「はい、おそらくは避難する中で、はぐれたものと思われます。逆に避難しなかったロシア系住民の戦災孤児は育児放棄である率が高いようです」

「わかりました。それで美姫さんは、どう対策するのが良いと思われるかな?」

「すべての児童について顔写真と氏名をインターネットで公表し、親御さんが生きておられれば連絡が取れる状態を敷きたいと考えます」

「うん、なるほど。いいね、それはいいが、にせ親も出てくる」

「にせ親?」

「人身売買のために子供を得ようと、親をかたる輩だよ。とくに顔写真を公表すると、高値で売れそうな子が狙われる」

「それは…、そんな人までが出て……こんなときに…」

「よい案ではあるが、にせ親のことを考えると、まずは子を探している親に登録させ、身元や事情が確かな者のみ、データにアクセスできるようしてはどうだろう?」

「はい、いいと思います。…あ、でも…」

「なにかな、遠慮なく言ってくれたまえ」

「身元や事情と言っても、事情はウソをつく人でも、だいたいは戦災って言うでしょうし、身元を証明するのに身分証明書も無い、着の身着のままってこともありますから、登録するにつきDNA情報を提供させるのは、どうでしょう?」

「なるほど。…コストはかかるが……。あと、その人数だと時間も…」

「実際にDNAを分析するのは、怪しいケースにして、児童にもその親の写真を見せて、間違いなくパパ、ママだ、と言えば分析しない。言葉を話せない乳幼児は身元や事情が確かでも、分析できるまでは引き渡さないというのは、どうでしょう?」

「うん、それでいこう。美姫さん、昼食のご予定は?」

「決まっていません」

「19階のレストランで、ごいっしょしてくれるかな?」

「はい、喜んで」

 二人で19階に移動して昼食をともにする。ホテルレストランも総督府関係者しか利用できない状態で、社員食堂のような食事を提供していた。美姫は食べ飽きたロシア料理を礼儀として美味しそうに食べる。

「美味しい」

「それはよかった」

 二人とも笑顔で食べていて、それは周囲への一種のパフォーマンスでもある。ロシア人総督と日本人副総督が円満に協力しているということを総督府関係者に見せておく必要性からだった。そして実際に打ち解けているので美姫が言う。

「マラートさんが優しい人でよかった。赴任したとき、怖い人だったら、どうしようかと思ってましたから」

「女性には優しくしろ、というのは家訓でね。とはいえ、どんな人柄の副総督が来るか不安だったのは、こちらも同じだよ。美姫さんが話の通じる人でよかった」

「それほどでも」

 美姫は自分がお飾り副総督であることを自覚しているので出しゃばらないし、マラートは余計な口出しをしてこない美姫を副総督として尊重している。

「マラートさんのような人を総督にあててくる人事からして、ロシア側のこの地域への配慮がうかがえます。融和的な施策を敷こうという意図が」

「うん、だが、私もテロに対しては容赦しないつもりだ」

「はい、そういう剛柔の両面が取れる人だと感じてます」

「はっはっは、そこまで女性に誉められると、この身が痒いな」

「テロは……これからも起こるでしょうか?」

「ああ、起こるさ。徹底して取り締まる。……だが、私も曾祖父がウクライナ系だった人間だ」

「そうなんですか。実は私も…」

「朝鮮系らしいね」

「ご存じでしたか」

「先日、お会いする前に調べていたよ。失礼ながらね」

「いえ、むしろ私の方が勉強不足ですみません」

「勉強が足りないといえば、こちらも貴国の報道委員という制度への勉強が不足している。いい機会だから、教えてくれないか」

「はい、報道、マスコミは第四の権力とも言われていましたが、営利に縛られると内容に偏りが生じます。芹沢総理は、これを適正化するために相当の報酬と予算を国費でまかなうことで、より自由で多様な報道を目指しています」

「国営放送のようなものかね?」

「いいえ、まったく異質なものです。報道の内容や方向性は、すべて報道委員に任され、行政も司法も一部を除いて介入できません」

「一部とは?」

「たとえ報道委員であっても、誰かの結婚や恋愛、性的な指向や性行為、趣味嗜好について本人が認めている場合を除いて報道してはいけませんし、また公務員も公務についてのみ責任を追及され、公務員の私生活について報道することはできません」

「なるほど、くだらない情報が氾濫しなくてよいな。違反すると、どうなる?」

「生じた被害の3倍を賠償する義務を負います」

「では、金さえ払えば済むわけか?」

「いいえ、報道委員は選挙によって選ばれますから、国民の審判を受けることになります。まあ、それは5年に一度なのですが、報酬と予算も獲得票数に比例しますから、報道倫理は重視されています」

「任期が5年というわけか。報道委員しか報道ができない体制に?」

「いいえ、民間の報道を妨げません。誰でも何でも表現し発信できます。むしろ、次の選挙で当選するために、民間報道人はよりよい報道を心がける必要があります」

「たしかNHKという国営放送があったのでは?」

「はい、去年まで。今年からテレビを持っていることで課される税金のようなものが廃止され、いち報道委員として活動しています。他の報道委員は個人なので、唯一の法人としての報道委員という特殊性は存続していますが、過去の制度とは大きく変わっています」

「国営放送が選挙で審判されるのであれば、もはや風前の灯火といったところかね?」

「いえ、意外と、しぶと…いえ、意外と健全に教育関係や学術関係の報道、放送が高品質で根強い支持があって得票数も少なくないです。変わったのは肥大化していた関連子会社や役員報酬がスリム化されたことです」

「改革か。報道委員の定数は?」

「我が国の憲法にあたる範条で100以上と定められ、その100です。当選は得票数が多かった順で、国民一人につき3票を投じられます」

「一人3票か、それはバラバラの候補者に?」

「まとめて同じ人に投票してもいいですし、バラバラの候補者名を書いてもいいです。秘密選挙なので、誰が誰に入れたかわからないので、強く支持したい人がいれば3票とも入れるでしょうし、多様な報道を求めるなら分散していると思います」

「そうか。第四の権力の制度化か、東洋人は面白いことを考える。今朝、この総督府にも滞在する日本人に投票の機会を与えるべく在外選挙の要員が到着して挨拶に来ていた。おりあしくテロがあって忙しかったので、冷たくあしらったように感じたかもしれない。謝っておいてくれ」

「はい。もう、そんな時期に……月日が経つの、早いなぁ…」

 マラートとの昼食を終えて美姫が副総督執務室に戻ると、美姫のところにも外務省から報道委員選挙担当になった職員が挨拶に来た。

「ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません。鷹沢副総督」

「いえ、お気になさらず。パウリューク総督が冷たかったので、ショックを受けていませんか?」

「あ、…ま、まあ、…少し…」

「ちょうどテロの報告と重なったみたいで、丁寧な対応ができなくて悪かったと、お言葉をいただいておりますから、どうか、お気になさらず」

「そうですか。…テロ…、…多いですか?」

「日本の地震ぐらいに」

「それは、また…、ははは…。申し訳ないのですが、テロのこともありますし、在留邦人が少ないこともあって投票は本日17時で締め切らせていただき、私は帰国いたします」

「一日ですか…」

「逃げ帰るようで、すみません」

「いえ、ここに日本人は少ないですから」

「では、こちらが投票所整理券となります。鷹沢副総督におかれましても、ぜひお越しください。7階の722号室でございます」

「わかりました」

 美姫は受け取った整理券を見る。第3回報道委員選挙ドネツク共和国内在外選挙と印刷されているけれど、投票所の案内は手書きだった。

「忘れないうちに、行こう」

 あと3時間で締め切りなので美姫はすぐに移動する。ホテル内の大きな会議室などはロシア側の職員がドネツク共和国の行政援助のために使っているので、日本の在外選挙に与えられたのは7階のシングルルームだった。美姫がノックして入る。

「ご苦労様です」

「「ご苦労様です」」

 室内には、さきほどの外務省職員と選挙立ち会い人としての民間人がいた。何年も前からロシア人と結婚してドネツク共和国に住んでいる日本女性なので、副総督として美姫も把握している人物で、最近では個人でドネツク共和国内の情勢をインターネットを通じて報道してもいる。美姫は目を合わさないようにしつつ、軽い会釈だけした。整理券を外務省職員に渡すと、ひきかえに大きな冊子を手渡してくれる。

「こちらが立候補者の一覧となります」

「ぅ、今回も多いですね」

 定数100に対して、毎回1万人を超える立候補があり、冊子は一つの町の電話帳ぐらいになっている。美姫はパラパラとめくってみる。一覧はアイウエオ順になっていて美姫は今回も斉藤という名を見つけた。斉藤は11年前から鮎美のそばにいて報道を担当しているので、実質的に斉藤がロシアでいうような国営放送といっていい政権支持の内容を報道している。今回も3票とも斉藤にするつもりだった美姫へ、立ち会い人の女性が言ってくる。

「私も立候補してるの。池田伊智子をよろしく」

「……」

 そういえば、この人がドネツク共和国の日本人第1号になるって話もあったけど、報道委員立候補のために日本国籍を残してたんだ……っていうか、投票所内での選挙活動は禁止なのに…、と美姫は池田の良識を疑いつつも顔には出さない。すると池田は年配の女性らしく菜食主義や反戦平和など一人で勝手に喋っている。もう美姫は背中を向けて3枚の投票用紙に斉藤、斉藤、斉藤と続けて書き始めた。

「でも今回の選挙で私が一番注目してるのは、あの石原笑美なの。あの子、きっと最年少の報道委員になるんじゃないかしら。なんといっても、あの牧田詩織の犯行を目撃した唯一の生き証人でもあるんだから」

「………」

 この人、私が政府の中枢にいる人物だってこと知らないのかな……まあ、私は秘書官の中でも目立たない方だったから、しょーがないかな、これからもガンバロー、と美姫は淋しさと決意を新たに投票を終え、副総督の執務に戻った。

 

 

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