第79話 美紗子の恐れ


 美紗子はマルーシャの妨害により予定より15分遅れでボルズナー市の市庁舎に到着していた。市は非武装宣言しているので市庁舎も平時と変わらぬ姿でバリケードも無かった。日本軍の車列は正面に円陣を組んで停車し、美紗子は今泉ら20名の兵士を連れて市庁舎に入る。これ以上ないほど招かれざる客が来たという顔で市職員たちが顔を見合わせている。美紗子はウクライナ語ではなく、国防大学校で学び続けた流暢なロシア語で、しかもマルーシャに軟弱な対応をして、かえって失敗したことを省みて、ロシア語の中でもきつい言葉で告げる。

「我々は日本軍だ! 市長に会わせろ!」

「「「………」」」

 職員たちが応えないので、美紗子は勝手に奥へ入る。市庁舎のような建物は人類共通に奥部に偉い人がいることになっているゆえ、すぐに市長室らしき部屋を見つけ、今泉がドアを開けると、初老の男性市長が落ち着いた様子で椅子に座って待っていた。

「来たのか。招いてもいないのに」

 オレクサンドル・イヴァネンコ市長は若い頃に十年以上の軍務経験もあり、美紗子と目を合わせても、少しも怯えたところがなかった。むしろ美紗子は勘で相手に軍暦があると気づいた。

「日本陸軍中尉、森ノ宮美紗子だ。これより、この市は私の部隊の管理下に置く」

「ほォ、若いな、しかも女か」

「これらの事項を遵守するよう。破る者があれば射殺もありえる」

 軽いセクハラ発言に少しも反応せず美紗子は市長の机に書類を置いた。書類には全市民の夜間外出禁止や市域への車両の出入りに検問を行うこと、日本軍とロシア軍、ベラルーシ軍が往来すること、自軍に攻撃があったときは疑わしき者を排除すること、組織的な抵抗があったときは市の電気、水道、ガス設備などのインフラを報復として破壊すること等、兵站線としてボルズナー市の非武装宣言を守らせる内容があった。

「フ」

 鼻で嗤ったオレクサンドルは美紗子が机に置いた書類を眺めた後にやぶいてみせた。

「貴様ァ!!」

 美紗子が拳銃を抜いた。

「抵抗すれば、射殺する!!」

「抵抗などしておらんさ。ちょいと鼻紙が欲しかったものでな。まあ、しかし、これは硬いな」

 オレクサンドルは紙を丸めてゴミ箱に投げた。

「何が抵抗であったかはオレが決める!!」

「お前さん、男っぽいな。あれか、あの、トランスジェントルメンとかいうやつか。日本では変態ほど出世するらしいな」

「……。今泉伍長、骨折させない程度に、痛めつけろ」

 美紗子の流暢なロシア語を今泉は聞き取れなかった。

「……えっと……すいません。もう一度、できれば日本語で」

 ここまでの会話も美紗子はロシア語を話し、オレクサンドルはウクライナ語で応えているので、今泉ら兵士はついていけていない。

 バシっ!

 思わず美紗子は今泉の頭を叩いた。

「もういい!」

 日本語で言い放ち、次にオレクサンドルにロシア語で怒鳴る。

「お前には三つ道がある! 私に射殺されるか、逮捕されてロシア軍に引き渡されるか、この市の市長であり続けるか、だ!!」

 言い終えると同時に威嚇射撃もする。

 パンッ!

 拳銃弾が机に穴を穿った。

「さあ、どうする?!」

 パンッ!

 二つ目の穴もつくった。あいかわらずオレクサンドルは怯えもせず、豊かな顎髭を撫でて応える。

「そうさな、どうしたものかのう」

 パンッ!

「そうパンパンと罪もない机を撃ちなさんな。東洋では物に霊魂が宿るともいうのではなかったか。もう15年ほど前になるが、ワシも日本へ旅行したことがある。あの頃は、いい国じゃったな」

「……」

 それは否定できない。あの巨大津波が来るまでと今では、もう別世界といっていい。この老人が東京を観たのか、大阪を観たのか、いずれにしても消滅したに等しく、いまだ復興の途上は長い。

「それ以前からも立派な国だった。ワシの曾祖父は日露戦争に参加していてなぁ。しかも艦隊勤務だったらしい」

「思い出話はロシアの収容所でするといい」

「日本はモンゴルをもしりぞけたな」

「だから、なんだ?!」

「みなはフーチンのメス犬というが、あのアユミ・セリザワも強い指導者だな」

「……。我が君主への侮辱は許さない」

「フーチンはワシと同じく、もう歳じゃ。そう長くない。フーチン亡き後、アユミは何をする? メス犬に犬ぞりを引かせているつもりでロシア人は恐ろしい狼を再びヨーロッパに呼び込んだのではないか? モンゴル以上の」

「………」

「あの女王は、まだ29歳。これから世界帝国をつくるつもりか?」

「……皇后陛下のお考えは深い。我らは従うのみ」

「それでは犬だ。人ではない」

「お前は、その犬に監視される羊になるか、駆逐される狐になるか、選べ!」

 パンッ!

 また机を撃つ。オレクサンドルが撃たれた机を撫でながら言う。

「そう吠えるな。そんなに怖いかね? どうやら、これが初陣らしいな。怯えているのが丸わかりじゃぞ、お嬢ちゃん」

「………………」

 美紗子はセミロングの黒髪を左手で軽く梳いた。それから部下に命じる。

「小本兵長、もう私は日本語を話すから通訳しなさい」

「了解です」

 もともと風俗旅行が好きだった小本洋介(こもとようすけ)はウクライナ語に堪能で、美紗子は母語で考え、母語で話したいので、命令した。それから拳銃を納め、オレクサンドルの目を見つめて女性らしく言う。

「ねぇ、お爺さん」

 小本が通訳してくれるけれど、もともと風俗旅行好きが高じてのウクライナ語なので、かなり妖艶に訳された気がする。まあ、それでもいい、と続ける。

「私は怯えてるわ。とても、とても怯えてる。一昨夜、部下が戦死した。遠距離からスナイパーに撃たれた。少尉の階級章をつけていたからかもしれない。本当の狙いは、私だったのかも」

「それは怖かろうな。気の毒に。お国へ帰るといい、お嬢ちゃん」

「私は怖くて、怖くて、怪しい場所は全部、砲撃させたわ。たった一人のスナイパーを殺すのに、ビルを6つ、工場を2つ、鉄塔を10基も破壊させてしまった。巻き込んでしまったウクライナ人の数は数えてないの」

「………」

「怖かった。撃たれたことも、撃ったことも。砲撃の痕をドローンで見たわ。何もかも破壊されて、まるで津波みたいだった。そして、ああ、これは私の命令で起こった出来事なんだ、津波みたいな自然現象じゃない、私の意思で、私の命令で、これが実行されたんだ。そう実感して泣いた。立ち直るのに2時間かかった。私の父は津波で死んでるの。なのに私は津波みたいな破壊をした。ひどく後悔してる。でも、怖い。撃たれるのも怖いから、今度は撃たれる前に撃つかもしれない」

「………」

 オレクサンドルが無言なので美紗子が続ける。

「こんなに怖がってる私が、非武装宣言している市で攻撃を受けたら、どんな報復をするか、よーーく考えてみなさい」

「……フン、それで?」

「お爺さんは手強いわ。マニュアル通りの脅しが通じない。だから、私は本心で話すの。私は怖い、とても怯えてる。だから、撃つ。怪しい動きを見かけただけで撃つ。どこから撃たれたかわからなければ、どこもかしこも撃つ。脅す、怒鳴る、殴る、どれも怖いからやるのよ。そんな私が手強いお爺さんに何を求めると思う?」

「この年寄りにシベリアはつらかろうな」

「ここに居てちょうだい。ここにいて、市民を守りなさい。私から」

「………」

「ちゃーんと市民をおとなしくさせるの。刃向かったり、余計なこと、怪しいこと、私に疑いをもたれるようなこと、私の機嫌が悪くなるようなことをさせないように。あなたは手強い、それだけに優秀な市長さん。きっと私の期待に応えてくれるわ。だから、ここに居て。お願い、なるべく殺したくないの。市民と私の仲をとりもって」

「…………どうやら、選択の余地は無さそうじゃな」

「ありがとう。じゃあ、庁舎前のウクライナ国旗はそのままでいいから、日章旗もあげさせてもらいますね」

 そう言って美紗子が立ち去ると、オレクサンドルは秘書の前でタメ息をついた。

「はぁぁ……まったく、日本は魔女の国だな。武士の国と思っておったのに」

「市長、どうされますか?」

「すまんが、さっき捨てた紙を拡げて見せてくれ」

 オレクサンドルは美紗子に押しつけられた事項をさしあたって守るよう通達していく。その途中でセレンスキー大統領の秘書から連絡が入り、戦車の前に立ち塞がったマルーシャに勲章を贈るから仲介するよう言われて、またタメ息をついた。

「セレンスキーの小せがれはお調子者もいいところだ。ロシアを挑発し、この戦火を呼び込んだ。虎の尾を踏むどころか、虎の尾の上でダンスを踊ったようなものだ、しかもフルチンでな。まさに道化、その道化を大統領に選んだのは国民じゃから、案外と民主主義というのも考えものじゃな」

 オレクサンドルは市長室から見えるウクライナ国旗と並んで日章旗が掲げられた様を苦々しく見つめた。

 

 

 

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