第78話 マルーシャVS美紗子

 進軍を阻むマルーシャを、いよいよ拳銃で撃とうとしている今泉へ、後方から駆けてきた上官が止める。

「待て! 撃つな」

「了解です」

 嫌な任務から解放されて今泉は拳銃を納めた。上官はマルーシャに近寄りながらウクライナ語で名乗る。

「こんにちは。私は日本陸軍中尉、森ノ宮美紗子(もりのみやみさこ)です。あなたのお名前を聴くことはできますか?」

「………」

 マルーシャは逮捕されたりブラックリスト化される懸念を覚えたけれど、もうここまで抵抗したなら隠しても同じだと覚悟を決め、あえて堂々と名乗る。

「マルーシャ・コバレンコよ」

「マルーシャさん、はじめまして」

 美紗子のウクライナ語は短期間で学習したにしては日常会話程度はこなせそうなレベルになっている。女性軍人としては、やや長めのセミロングの髪は日本人らしい黒髪で、やはり瞳も黒い。肌は色白で鼻の小さい美人だったけれど、白人のマルーシャと対比すると肌の黄色さがわかる。マルーシャは雪のような白さ、美紗子は和紙のような白さだった。

「私たちは、ここを通らなければならない用事があるの、どうか道をあけてください」

「ロシア軍の手先が、何をする気なの?」

 マルーシャの敵意を美紗子はやわらげるように笑顔をつくる。

「少しの間、滞在するだけです」

「……ビザは持ってきた? ロシア製じゃダメよ」

「どうか道を開けてください。手荒なことはしたくないのです」

 そう言いながら美紗子はマルーシャの背中を押して道の中央から端へ導く。マルーシャは3歩ほど導かれて移動したけれど、すぐに美紗子の手を払う。

「私に触らないで! このモンゴリアン!!」

「どうか、暴れないでください」

 手を払われても美紗子は再びマルーシャを押そうとする。言葉は丁寧でも結局は軍隊の強引さが滲み出ていた。体格はマルーシャの方が頭一つ大きい。小柄な美紗子が軍服を着ていると子供が無理して着ているように見えて、しかも20代前半のアジア人女性はマルーシャの目には本当に子供のように見える。なので、ついマルーシャは押されて押し返し、揉み合いになり、マルーシャは美紗子を叩いてやろうとした。

 ぶんっ…

 マルーシャの視界が回り、まるで魔法でもかけられたように気がつけば路面に倒されていた。そのわりに、あまり痛くないので、まさに魔法かと感じるけれど、柔道という競技があることをマルーシャはオリンピックを見た記憶から思い出した。

「ごめんなさい。少しの間、我慢して。今泉伍長、手伝って」

「了解です」

 二人がマルーシャの身体を道路の端に運ぶ。

「くっ…離せ!!」

 暴れようとしても肩の関節を決められていて、ろくに動けない。悔しい。悔しくて二人を罵ったけれど、ウクライナ語での罵りは美紗子や今泉たちの心に響かなかった。こんな風に負けるのが悔しくてマルーシャは涙を流したけれど、援軍が来てくれた。ずっと遠巻きに見ていただけの同胞がマルーシャと同じように戦車の前に立ってくれている。一人、二人、三人と増える。近所のオバちゃん、たまに見かける少年、知らないお爺さん、みんなが勇気を出して戦車を阻んでくれる。

「森ノ宮中尉、どうします?」

「……。追い払います」

 美紗子は拳銃を手にし、空に向かって3連発した。

「警告します! 道を開けなさい!!」

 軍人らしく美紗子は声を張り上げた。

「「「………」」」

 三人のウクライナ人は黙って美紗子を睨むだけで動かない。

「道を開けなければ妨害行為とみなして、あなたたちを撃ちます」

 美紗子は銃口を三人の足元に向けた。老人が怒鳴ってくる。

「撃てるものなら、撃ってみろ! ワシらは丸腰じゃ!!」

「………」

 美紗子が黙ると、買い物帰りの中年女性と少年も言ってくる。

「ここは通さないわ!!」

「ボクらは国を守る!!」

「………」

「中尉、どうします? このままじゃ、もっと集まりますよ」

 すでに今泉たちが銃で周囲を威圧していないと、もっと参加者が増えそうな気配になっている。マルーシャも再び立ち上がって戦車の前に戻っていた。美紗子は短い考慮の後に拳銃を今泉へ預ける。

「今泉伍長、これを持っていて」

「…え? 了解です」

 美紗子は拳銃を手放すと老人に言う。

「私も丸腰です。道を開けてください」

「……。帰れ!! 猿め!!」

 老人を無視して美紗子は少年に向かう。

「道を開けてください」

「イヤだ!! お前たちが帰れ!!」

 少年は美紗子に肩を押されると手を払って、美紗子を突き飛ばした。それで1歩後退した美紗子は少年の手首を掴み、巴投げで投げた。

「うっ?!」

 さきほどマルーシャを投げたときと違い、相手の受け身を考えない投げっぱなしだったので少年は路面に背中を打って呻く。大きな怪我はしていないことを視界の端で確認してから美紗子は中年女性に向かった。

「道を開けてください」

「……。……私に触らないで、日本人!!」

 中年女性は2メートルほど離れてくれたので美紗子はマルーシャと対峙する。

「道を開けてください」

「帰れ!!」

 マルーシャが怒鳴る。

「道を開けてください」

 ロボットのように同じ語句を繰り返した美紗子はマルーシャの肩を押そうとする。その手をマルーシャが払おうとする。払われる前に美紗子の手は組み手争いの要領で回避すると、マルーシャの上着を掴み、ほぼ同時に足払いをかけてマルーシャを地面に倒した。

「ぅ、痛っ…」

「中尉! 後ろ!」

 今泉に言われなくても、美紗子は背後から老人が飛びかかってくるのを察知していた。老人といっても体格は美紗子より二回りも大きい。美紗子はサッと半身引いて回避しながら、また足払いをかける。骨折しないか心配だったけれど、老人も大きな怪我はしなかった。

「ううぅっ…、よくも…」

 老人は立ち上がれずにいるけれど、マルーシャは立ち上がった。

「うわあああ!」

 殴りかかるつもりなのか、体当たりのつもりなのか、何の格闘技経験もないマルーシャの突進は背負い投げで勢いそのまま路面に叩きつけられた。

「ゴホっ! ヒュッ…ゴホっ!」

 息がしにくいほど痛い。何度でも立ち上がってやるつもりなのに、身体に力が入らない。それでも立ち上がろうとするマルーシャの姿を見て、さらに援軍が集まってくれる。今度は15人はいる。

「「「帰れ!! 帰れ!!!」」」

「「「ここから消えろ!!」」」

「「「レズビアンめ!!!」」」

「「「変態国家が!!!」」」

「「「フーチンのメス犬!!!」」」

「……」

 美紗子が罵りに対して怒りを覚えた。敬愛する日本国の総理大臣への侮辱が混じっているのは許せない。美紗子は同性愛者ではなかったけれど、あの巨大な震災から日本国を建て直した偉人を心から尊敬している。あの11年前の震災時に美紗子は中学1年生だった。津波で父を亡くしたし、もう日本も終わりだと震えた。けれど、たった5歳年上なだけの芹沢鮎美が日本を建て直してくれた。その姿は光り輝いて見えたし、もう美紗子の中で信仰といっていい心酔がある。その役に立ちたいと新設された呉の国防大学校に入り軍人になったぐらいだった。

「我が国、我が君への侮辱は許しません! 伍長! 銃を!」

「…どうぞ。…どうか、穏便に」

 美紗子は拳銃を受け取り、すぐにマルーシャの額へ狙いをつけた。そして部下へ命令する。

「全員、構え! 狙え!」

「「「「「「「……」」」」」」

 命令なので今泉ら6名の陸軍兵士は従ったけれど、これでは虐殺になる気がする。ある程度の妨害行為はあったものの、丸腰の市民合計19名、皆殺しはまずい。罵っていた市民たちも銃口の列に対して沈黙した。小銃が連発されれば、ものの数秒で19人全員が死ぬ、緊張で顔が硬くなる。

「…………」

 美紗子が引き金に指をかけながらも、冷静さを取り戻した。

「道を開けなさい、最後の警告です」

「……わ、私たちは、負けない! ここは私たちの道、私たちの国よ!!」

 自分でもどうしてこれほど勇敢になれたのか、不思議なくらいマルーシャは銃口に向かって、はっきりと反論した。さきほどは今泉の銃口に恐怖して失禁したのに、今は膝も震えない。

「「………」」

 銃口を向けたままの美紗子と、両手を拡げたままのマルーシャの視線がぶつかり合う。絶対に引かない、殺されても、という意志を美紗子は感じた。それで美紗子は士官として考慮する。

 ここで強引に市民たちを排除することでの軍全体への影響と本国に与える影響、逆に美紗子たちが引くことで作戦行動に与える影響と国際的な影響も考える。すでに周辺の建物からスマートフォンなどで撮影されているのはわかっている。ビルの二階や駐車されている自家用車の影から撮られているし、マルーシャと並んで立ち塞がる市民の胸ポケットにもスマートフォンがあってカメラレンズが覗いている。

「全員、銃をおろせ。周辺警戒」

 最高潮だった緊張が少しゆるむ。美紗子がマルーシャたちに告げる。

「あなたたちの意志はわかりました。ですが、私たちは明日、また来るかもしれません。あまり抵抗しないでください」

「何度来ても同じよ!!」

「そうだ! そうだ!」

「……」

 美紗子は市民たちに背を向けずに後退すると今泉に日本語で告げる。

「ここは撤収する」

「いいんですか? 市庁舎の制圧は? 明日にするんすか?」

「今日するわ。明日と言ったのはブラフ。別に、この道を通らなくても通り二つ向こうから行けばいいわ。芹沢総理も、そういう柔軟な思考をする人よ。結果があればいい」

「まあ、そういう人でしたね」

 日本軍の車列が後退していくと、マルーシャたちは喝采をあげ、抱き合って喜んだ。その興奮が冷めないままマルーシャが自宅アパートに帰ると、妹のカトルーシャが言ってくる。

「お姉ちゃん! お姉ちゃんがテレビに出てるよ!」

「え?! もう?! 情報化社会、早過ぎ!」

 驚いてテレビとネットを見る。もうマルーシャの抵抗が一部始終、ネットに出回りテレビ報道もされていた。

「あ~!!! イヤぁぁぁ!」

 マルーシャは癖毛の金髪を抱えて悶えた。

「誰よ、撮ってたの?! なんでネットにあげるのぉ! もうダメ、もう死ぬ、ああ、恥ずかしい!」

「なんで恥ずかしいの? すごく立派で……あ、おしっこ漏らしてたね。あはは、よく見るとわかる。あははは! テレビだと配慮あってカットされてるけどネットだと丸わかり、あははは! ビクってしてジャー、あははは! 超ビビって漏らしてる」

「お願いよぉ、ネットに編集なしで載せるのやめてぇ!」

「きゃははは! テレビだと切り貼りで、もう英雄みたいにカッコいいのに、ネットだとガクブルでおもらし! あははは、すごいね、印象操作! きっとセレンスキーが勲章くれるよ、あははは!」

 カトルーシャの無邪気な笑い声と、マルーシャの悲鳴がしばらくは父親と兄のいないアパートを賑やかにしてくれた。

 

 

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