第67話 3月22日 パンツ大臣、核ミサイル
復和元年3月22日火曜朝、鮎美は小松基地の貴賓室で鷹姫と麻衣子に起こされて、泣き腫らした目を開けたけれど、自分で着替える気力もないので鷹姫たちに制服を着せてもらい、髪もすいてもらった。鷹姫が問う。
「芹沢総理、メイクはされますか?」
「……どうでも、ええよ……ぐすっ…」
「目の周りが赤いのでメイクします。目を閉じてください」
かなりメイクが巧くなってきた鷹姫が鮎美にメイクを施していく。まったく気力がない様子の鮎美を見ていると、里華は叱りたくなった。
「………」
しっかりしなさいよ、これから幹部自衛官がそろっての朝食会だっていうのに! でも、お母さんが亡くなって……私の母みたいに無関心な人じゃない優しいお母さんだったなら、そんなに、すぐに立ち直れないのも当然よね、と里華は言いたいことを飲み込んで貴賓室での朝食会を準備していく。今朝は他の基地司令や主要護衛艦の艦長まで集まっての朝食会で、これほどの最高幹部がそろうことに里華は尉官として強い緊張を覚えている。しかも里華と麻衣子は部屋を追い出される予定で、同席するのは鷹姫だけだった。広い貴賓室とはいえ、大勢の幹部自衛官が朝食会を開けるようにテーブルを並べると所狭しという状態になった。
「………」
この子が総理代理として防衛大臣といっしょに、幹部自衛官を激励する初顔合わせだって名目だけど、それなら広い食堂でやってもいいのに、わざわざ極秘会議みたいに私まで追い出すなんて、絶対に何かあるから……やっぱり尖閣諸島の件かしら、でも、それなら表立った会議でもいいのに、と里華は準備しながら窓から滑走路に並ぶ輸送機やヘリを見た。燃料を節約したい状態なのに、それをおして各基地や洋上の艦から幹部たちが集結している。それでいて激励の朝食会というだけで、他の閣僚たちとは顔を合わせずに解散する予定で、忙しい総理代理の日程を空けやすいのが朝食時とはいえ、やはり異常だった。
「「準備ができました。私たちは失礼します」」
里華と麻衣子が敬礼して出ていくと、ドアの前で待っていた畑母神と幹部自衛官たちが次々と入ってくる。鮎美と鷹姫、畑母神が前に座り、すでに米軍撤退の件を知っている鶴田たち三人も前に座って、他の自衛官たちは対面して並んだ。すでに鶴田は空将補から空将へと引き上げられ、新たな航空幕僚長を兼ねているし、他の二人もそれぞれに陸海の幕僚長を臨時に引き受けている。階級としては幕僚長は大将相当になるので、少将相当の空将補から一気に引き上げるのでは二階級特進になってしまうので空将のまま臨時の航空幕僚長を務めている。そして統合幕僚長は空席で、畑母神が兼ねているという非常体制であり、さらに石永兄妹が人選した防衛大臣副大臣と防衛大臣政務官は今は呼んでいないし、この朝食会のことも伝えていなかった。この場で女性は鮎美と鷹姫の他は、わずかに一人だけ艦長を務めている世々部迪子(よよべみちこ)という40代の2等海佐だけだったし、この場で純然たる文民といえるのは、鮎美と鷹姫だけでもある。いつもの鮎美なら礼儀の上からも立って彼らを迎えたのに、今は前を見ているものの何も見ていないような目で座っている。鷹姫は横に立って背筋を伸ばしていた。
「まあ、楽に座ってくれたまえ」
畑母神がなごやかな声をつくって言う。
「まずは、冷めないうちに、いただこう」
「「「「「いただきます」」」」」
朝食が始まり、畑母神が雑談してよい、と言ったので食べながら幹部たちは話し合っている。雑談といっても、やはり話題は津波被害と尖閣諸島のことになっている。鷹姫は食べながら、鮎美を見る。
「……。芹沢総理、少しでも召し上がってください」
「…うん…」
鮎美は味噌汁を少しだけ飲んだ。昨日も、ほとんど食べていないので顔色が悪い。
「あと、鷹姫が食べておいて」
「……こんなに、たくさんは…」
ほぼ二人前そのままを食べるのは可能であっても、気が引けるし、もう少し鮎美に食べさせておきたい。
「せめて、ご飯を半分まで、あとお味噌汁は、すべて召し上がってください」
「……うん…」
食欲を感じていない顔で鮎美が食べる。そんな内閣総理大臣臨時代理の様子を幹部自衛官たちは対面しているので目にしていた。
「…ぐすっ…」
味噌汁の味が美恋が作ってくれたものと違うと想うと泣けてきた。この一年、外食が多くて、家で過ごすことが少なかったのに、もう永遠に母親の味がなくなってしまった。いつかは花嫁となるために母から料理を学ぼうという気持ちは一切無かったけれど、いつかは母の味付けを学ぼうという気持ちはあったのに、もう不可能だった。
「ぅぅ…母さん…」
「鮎美……みなが見ています。しゃんとしてください。あなたは総理大臣です」
鷹姫が小声で耳元へ囁いたけれど、鮎美の涙は止まらない。横にいる畑母神も白身魚のフライを飲み込みながら、フォローを考える。
「諸君のうちにも知っている者もいるかもしれないが、芹沢さんは津波で母親が亡くなっていたことを、あえて父親が黙っていてくれたのだが、先日になって知ってしまい。一昨日、最期の別れをしたばかりなのだ。こう見えて元気なときは頼りになるし、もう数日で立ち直ってくれるだろう」
鶴田もフォローする。
「あとで、お伝えしますが、機密を要する話も彼女は慎重に取り扱ってくれます。慎重になるあまり、私を夜中に呼んでおいて盗聴機も心配だからとバスルームに連れ込まれましてね。水道の音で盗聴妨害をした上で話し出してくれるくらいです。ただ、そのとき彼女はバスローブ姿だったので、自分の方は目のやり場と邪心に困りましたよ。ははは!」
「「「ははははっ」」」
何人かの自衛官が空気を読んで、いっしょに笑ってくれる。暗い雰囲気とならずに朝食が進むけれど、鷹姫は斜め前に座っていた陸自の基地司令が大柄な男性で熊のような立派な体格が百色に似ている、と想っていたら、彼も一口で魚のフライを食べたので、その光景に強烈な既視感を覚えてしまった。東京でビジネスホテル暮らしをしていた頃、毎朝のように百色と朝食をともにした時期があった。そのときの百色が、そっくりそのまま帰ってきたような気がして泣けてきた。
「…っ…くっ…うっ…ぐすっ…」
彼が死んだということが唐突すぎて実感できていなかったのに、今の既視感で心に刺さってきたし、再び腹違いの3歳の妹が亡くなっていたことでも泣けてくる。六角市で父から聞いて30分あまり泣いたけれど、まだ足りなかった。上の妹が産まれたときは、まだ父が再婚したことに納得しきれず、あまり素直に妹を受け入れられなかったけれど、鷹姫が中学3年のときに二人目が産まれると、もう素直に抱き上げたり、お風呂に入れることもした。お風呂の中で抱いていると鷹姫の乳首を吸ってきたりして、母乳など出るはずがないのに一生懸命に吸う赤ちゃんの顔を見ていたら、男性に興味は無かったけれど、子育てはしてみたいと感じたりしていたのに、あの子が溺死したと想うと、涙が止まらなくなった。もう、いっしょに入浴することも、お年玉をあげることもできない、たった3歳だったのに3月の冷たい湖水に呑まれてしまった。実母と名前も決まっていなかった最初の妹と同じに。
「くうっ…ううっ…」
鷹姫まで泣き出してしまうと、畑母神もフォローに困る。
「宮本くん、君まで、どうした?」
「…すいません……」
それでも鷹姫は涙を拭いて、言い訳しておく。
「立派な体格をした男性を見ると、百色さんを想い出してしまいました。何度も、こうやって朝食をいっしょにホテルで食べたことがあったので」
「…そ……そうか…、……そういう……ことが、あったのか…」
「「「「「……………」」」」」
そういう関係だったのか、それは悲しいだろう、かわいそうに、と男性自衛官たちは畑母神と同じ誤解をした。いっしょにホテルで朝食を食べるイコール、いっしょに泊まった、という等式を考えている。鷹姫と百色には、かなり歳の差があるけれど、いつのまにか親密になっていたのだろうと、鷹姫の言葉を遠回しな肉体関係の告白と追悼だと考えた。横で聴いていた鮎美は母のことを想っていたし、鷹姫にそんな気配が無かったことは熟知しているので聞き流している。鷹姫と面識が無かった者のうちでは迪子だけが、単にビジネスホテルかどこかで相席しただけね、と女の勘で察したけれど、黙って食べる。鷹姫は涙を止めて謝る。
「女々しいことで、すみません。どうか、みなさんは気をつけてください。敵は卑劣きわまりない者たちです」
「「「「「…………」」」」」
はっきりと、敵、と言った鷹姫の言葉で余計に貴賓室が静かになった。畑母神は悔しそうに言う。
「置き土産のブービートラップを警戒させなかったのは、総司令官たる私の責任だ。百色くんたちには、申し訳ないことをした」
畑母神にしても戦友を亡くした気持ちでいる。潜水艦の艦長をしている水嶋幸輔(みずしまこうすけ)2等海佐が挙手して問う。
「政府は、すでに戦争に準じた状態とみなしておられますか?」
「うむ、よい質問だが、それに対して、よい答えがなくて、すまない。もう本題に入ろう。これから君たちに語ることは、臨時内閣の閣僚にも伏せている機密事項だ」
「「「「「…………」」」」」
幹部自衛官たちの顔つきが変わり、まだ食べていた者も箸を置いた。
「内閣では芹沢総理代理と私のみが知り、自衛官では臨時幕僚長ら3名のみであったが、今から諸君に告げる。在日米軍は当面、日本から撤退する、そう米大統領から総理代理へ通告があった。また、衛星写真などの情報を分析した様子では在麗米軍も撤退している」
「「「「「っ………」」」」」
やはり自衛官たちに驚きが走った。畑母神は粛々と続ける。
「これを受けて、今すぐ何か対策をということは検討中だが、いよいよ救助活動は終わりに近づき、陸上ではまだまだ道路の復旧などに陸自に頑張ってもらいたいが、海自、空自については米軍撤退ということを頭に入れて動いてほしい。ただし、動きによって外部に悟られぬように。過敏すぎず、慎重すぎず、今まで通りの我々でありつつ、もはや国を守るのは我々だけなのだ、と肝に銘じていてほしい」
「「「「「はっ!」」」」」
「今日、ここに来られなかった艦長、他の司令には今から言う者が直接、口頭で伝えておいてほしい。無線不可は当然、必ず二人きりで」
そう言って畑母神は氏名を読み上げ、各員が伝える相手を指定した。単純に僚艦との距離や基地間の距離で最短となる者を選んでいる。それが終わると、自由に意見を交わす場となる。鮎美と鷹姫が泣いた後なので、畑母神は自衛官たちの士気低下を心配したけれど、それは杞憂だった。具体的な命令をくだすのは畑母神以下の体制となっているし、むしろ鮎美たちを守りたいという気持ちになってくれた顔をしている。意見交換は津波で失われた戦力の立て直しや、米軍不在での行動方針など多岐にわたった。対外的には、やはり尖閣諸島が大きな議題となったけれど、水嶋が別の懸念を言う。
「今年は主体暦で、ちょうど100年となります。北朝鮮の立場で考えれば、この震災は千載一遇のチャンスであり、偶然の100周年は大きな行動を試みる動機になりかねません。また、最高指導者の金正陽(キムジョンヒン)は70歳、二代目として大きな業績を残す野心をもつかもしれません」
「主体暦で百年だったか……」
つぶやきつつ畑母神は鮎美と鷹姫がわかっていないので説明しておく。
「北朝鮮は、当たり前だが平成や復和などの元号は使っていないし、西暦を使うのもよしとせず独自に主体暦という建国者である金陽成(キムヒンソン)の生年を起源とする暦を使っているのだよ。まあ、普通は知らないことだから気にしなくていいが、敵を知り己を知れば百戦して危うからずだ。府中基地が津波でやられているが、ミサイル防衛に緊張感をもっていこう」
「建国者の誕生で暦を設定って……ある意味、政治的にも、宗教的にも、シンボルってことですか…」
「うむ、そう言っていい扱いだ。彼の巨大な像なども建設されているから」
「国ができてから、まだ100年、そういう意味では北朝鮮は、まだ神話の時代なんかも」
「そうも言えるが、戦後多くの日本人が意識しなくなったが、日本は今現在、世界最古の国家で、これが当たり前と感じて意識しないでいるが、とても稀なことだし、周りを見ても若い国々ばかりだ。仲国四千年の歴史といっても王朝ごとに途絶えているし、朝鮮半島、インドシナ半島、タイ王国がフランスからの侵略に耐えて独立を守っていたが、その王朝も1782年からと若い」
「229年間かぁ……江戸幕府くらい…」
少し食欲が出た鮎美は一口、白米を食べた。迪子が挙手して問う。
「防衛大臣と総理代理の意思疎通は、どのように、どの程度なされていますか?」
ヘタをすれば、かなり失礼な質問だったけれど、朝食会で泣き出すような女子高生がトップなので他の隊員も気になってはいる。男性自衛官は鮎美を責めるような質問は控えていたけれど、やはり同性の迪子は訊くべきことを突いてきた。
「うちは……知らないことが多すぎるので、ほぼ畑母神先生にお任せしている状態です。頼りなくて、すみません」
鮎美は正直に答え、畑母神はフォローに入る。
「彼女は自分の無知を自覚して、私に任せてくれている。独断専行するつもりはないが、こと防衛に関しては、ほぼ私の判断で行い、事後に総理代理へ報告という形が多い。くわえて、そばにいる空尉などが基礎を講義しているし、それを熱心に学んでくれる。もともと、私と彼女が懇意にしているのは石永官房長官の紹介があって、政治的パートナーとして近づいた面が大きいが、彼女の秘書官の宮本くんなども、しっかりした考えを持っているし、総理代理自身も防衛問題に積極的だ。ただ、防衛か経済かというと、ご存じの通り経済面の勉強を積んできた人だ。あと、今日は御母堂を亡くされたことで意気消沈されているが、いつもは、この状況でも立派に元気にやってくれているから安心してほしい」
いつになく畑母神は多弁に鮎美のフォローをした。その様子で自衛官たちは二人の関係が見えてきて、安心する。とくに畑母神が海自出身なので大先輩にあたることは大きかった。朝食会が終わって幹部自衛官たちが去り、畑母神は赤い目をしている鮎美に言う。
「そろそろ閣議に行こう」
「ぐすっ…はい…」
貴賓室を出たところで、鈴木が待っていた。
「畑母神大臣、激励会にしては出てきた皆さんの顔が険しかったですね」
「……。三名も殉職者を出していますから」
畑母神は親露的な政治家である鈴木を信用していなかった。自衛隊の発足そのものが冷戦下だったので、対露、対仲というのが基本姿勢になっている。鈴木が女性らしく柔和に微笑む。
「そんな風に、私のことをロシアのスパイみたいな目で見ないでくださいよ」
「そんなつもりはないのだが……」
「畑母神大臣は、素直に顔に出るタイプですよ」
「むぅ………鈴木大臣は、なぜ、ここに?」
「早朝から次々と着陸する飛行機やヘリがあって、いったい何事なのかと目が醒めまして。朝から幹部が大集結して、どんな会議をしていたのですか?」
「ただの激励会です」
「外務大臣の私も知っておいた方がよいことなのでは?」
「………。どの国に対しても慎重な対応をお願いしておきたい」
「わかりました。そうします」
鈴木が大会議室へ向かって歩くので、畑母神と鮎美たちも続く。閣議が始まる前にマナーモードにしておいたスマートフォンが振動したので鮎美は画面を見た。珍しく玄次郎からメールが来ている。
昼休みに報告したいことがあるので会ってほしい。会えそうか?
鮎美は少し考えて返信する。
いい報告なん? 悪い報告なん?
すぐに玄次郎が返してくる。
一応は一般的には、いい報告の部類に入る場合も多い。
もってまわった言い方だった。
「なんやの、それ。まあ、ええわ。おいで。できたら電車で」
ガソリンを節約するように送信してから、鷹姫にスマートフォンを預け、通用門を警備している部署へ、父が来るので通してほしい、と伝達するよう頼んだ。鷹姫は廊下にいる麻衣子に伝えて、すぐ戻る。石永が司会して閣議が始まった。
「今日は10時から富山県と福井県の関係者がプレゼンに来るので、それまでは尖閣諸島のことを。鈴木大臣、仲国側からの反応は?」
「あくまで爆弾を仕掛けたのは自然保護団体に潜入していたテロリストという回答でした。テロリストは逃亡し、行方不明とのことです」
「ふざけたことを……仲供め…」
石永が苦々しく言い、鷹姫は生麦事件で島津久光がイギリス人を切ったのは藩士ではなく、通りがかりの浪人とシラを切ったことを思い出し、その後、薩英戦争となったことも考えたけれど、古すぎる話なので黙って鮎美の様子を見る。鮎美は座って前を見ているけれど、ぼんやりとしていて議論を聴いていない。鈴木が言う。
「私の私見にすぎませんが、胡錦燈主席と対談したときの感じからすると、現場の独断専行であり、爆発物を仕掛けるところまでは彼の指示とは思えません」
「……」
また鷹姫は久光が直接に斬れと命じたわけではないことを思い出した。いつの時代も必ずしもトップが決めて戦争になるわけではないのかもしれないとも考える。けれど、起こってしまった事件に対しては、それぞれの立場で争うしか無いのも変わらない。鈴木と石永が話し合っていると、大会議室に鶴田の副官が入室してきて敬礼し、畑母神にだけ何かを報告した。すぐに畑母神が閣僚たちに言う。
「再び領海侵犯が発生している。仲国漁船ではなく海監の船が1隻、尖閣諸島の領海へ入ったり出たりを繰り返しているそうだ。とりあえず、こちらも1隻、さし向ける」
畑母神が対応を決めたので副官は敬礼して出ていき、石永が言う。
「いっそ、爆発の現場検証をしたまま、ずっと海保に滞在してもらっていれば……、余計にエスカレートするか……」
閣僚の誰もが事態の悪化は望んでいないので尖閣諸島の話は終了となり、道路復旧の話を久野がするけれど、あいかわらず鮎美は聴いていない様子だった。道路はもともと興味も知識もない分野で、ただ用地買収だけは社会主義国家を見習って、もう少し強制的に土地収用し、対価も多額とならないようすべきだと考えているくらいで、今現在は新たな建設ではなく復旧が課題なので、それこそ鮎美が発言しなくても、復旧作業は進むし、久野はベテランなので他の閣僚も、あまり意見しない。せいぜい自分の地元が被災している者が、状況を説明して早期の復旧を求めるくらいだったけれど、久野は主要道路の復旧を優先しつつ、全国公平に手配しているので地元優先の請願も遠慮がちで控え目なものに終わっている。とりあえずは閣議の場で訴えておいたと地元に報告できる手柄ができてはいたし、久野も記録はしてくれている。次の夏子も財務省の話を一人でして一人で決めて終わった。ある意味で順調に進む閣議の中で、今日一番注目されているのは新屋だった。学生時代に女性の下着を盗んだことが世間で話題になっていて、閣議の席でも何かあるかと思われていたけれど、本人は国家公安委員会委員長として治安の状態を報告するのみにとどめる。
「さきの尖閣諸島仲国漁船衝突事件で不法に動画をネットへアップされた百色さんは、その後に畑母神知事、いまは大臣ですが、畑母神先生のもとで都の職員として返り咲き、再び尖閣諸島へ出向かれていて、海保にとっても国民にとっても、いわば英雄であったわけで、その彼が卑劣な罠によって亡くなったことで国民感情の悪化はすさまじく。向けようのない怒りを、やはり再び在日仲国人へ向けるという形で17件の事件が発生し、うち2件で殺人もしくは傷害致死に至っています。この2件は右翼的な団体に所属していた日本人男性によるものですが、他に避難所にいた在日仲国人の16歳の女性が強姦される事件も発生しております。この犯人は国籍は日本ですが昨年帰化した元麗国籍の男性です。くわえて強姦を目撃した男性2名が女性を救出したのはよかったのですが、犯人へ過剰な暴行を加えており、罪に問われる可能性があるも、駆けつけた警察官が、それを見逃そうとする様子の一部始終を傍観していた者がスマートフォンのカメラで撮影しており、動画がインターネットに流れたため、犯人が元麗国籍であったから日本警察が過剰な暴行を見逃したと騒ぎになっております。この警察官は上司からの調べに対し、見過ごしたのは事実だが元麗国籍ということは、あとになってわかっただけで、総理代理令でも強姦への罰則は強化されたので、その影響を受けた市民の行動を過剰な暴行として逮捕するのに気が引けた、と言っております。この事件は一部に尾ひれがつく形でインターネットを流れております」
「ややこしいときに、ややこしいことを……はぁぁ……いっそ強姦犯への裁判権を放棄して、被害少女とともに仲国へ引き渡したくなるなぁ……」
石永がタメ息をついて天井をあおいで言う。
「これ以上、ややこしくしないでくれよ、頼むからさぁ」
「………すみません」
新屋は暗に下着泥棒のことを問われたのかと感じて謝り、石永の目を見た後に、鮎美の顔も見た。鮎美は何の興味ももっていないか、もしくは世間でパンツ大臣と騒がれていることさえ知らないような顔でいる。
「………」
「………」
鮎美へはゲイだと秘かに伝えているのに、こんな過去の事件が発覚してしまい、どう思われているか、気になるけれど何も言う機会がない。鮎美の無気力な様子には他の閣僚も気づいているけれど、あと数日は仕方ないだろうと誰もが目をつぶっている。むしろ、総理代理令を閣僚へ相談なしに発されるよりいいので、お飾りとして座ってもらっている形になる。その形のまま富山と福井の知事と県議、県職員、市長、市議、市職員が入室してきて、どちらの街が副都心にふさわしく利便性などが高いかのプレゼンテーションになった。県議と市議、職員はそれぞれ一番ベテランの者が来ているし、富山市からは中川市議が顔を出している。ずっと、中川は静江へ接待を続けていたので、これに応えて静江も閣僚たちに根回ししていた。司会も石永から引き継いで静江が行う。
「では、富山県からお願いします」
「はい! ハシカイのが富山っこの売りです。ノーベル賞の受賞が…」
まず知事が語り、次に県議と県職員がフォローし、さらに市長と中川、市職員も富山県と富山市を売り込む。副都心として提供できるビルや土地、その代金、交通の便、産業、人的資源、観光資源、名産品などを熱心に宣伝した。石永が腕組みしながら言う。
「なるほどなぁ、静江がイチオシなのもわかるけどなぁ……」
「美味しい物もたくさんありますよ、お兄ちゃ…いえ、官房長官」
「まあ、美味い物は、このさい関係ないとして……じゃあ、次、福井をお願いします」
「福井県、どうぞ」
静江が待機していた福井県関係者へ促す。福井県知事も熱心に地元を売り込む。
「芹沢総理が、ご自分のことをウチと関西弁で言われますが、福井ではウラと言います。まあ、そのくらい関西と福井は近いわけですよ」
石永と静江が選んだ閣僚たちは、やはり地理的に関西に偏っている。福井は関西に接しているので、そこをアピールしてきたし、新屋は敦賀市の人間だったので、どんなに静江が根回ししても福井への投票が鉄板だった。両県のアピールの間も、鮎美は実に興味なさそうにしていたので、初めて鮎美を間近に見た両県関係者は、やはりお飾りの女子高生だったのだと感じた。鮎美としては個人的には母親の死という悲しみから立ち直るのに今少し時間と気持ちの切り替えが必要だったし、公人としては尖閣諸島問題と米軍撤退という大問題の他にも治安や経済、そして公人としても秘密裏に進めている同性婚などの課題もあり、副都心が富山になるか、福井になるか、というのは鮎美の中で実に小さな問題に過ぎず、普段ならそれでも関心を寄せている顔をつくれたけれど、今は疲れた退屈そうな顔をしていて、まったく政治に興味がない女子高生が座っているだけ、という風に見えてしまっていた。たいして富山と福井の地方政治家にとっては一生に一度の大舞台という気合いで臨んでおり、県都の将来がかかった最大関心事であり、ときの知事市長となるかならぬかの問題でもあるし、県議市議においても副都心を獲得すれば自分が次期首長という皮算用がある。本来、副都心の決定などという大問題は数年かけて数十回の会合と、それに数倍する裏工作と根回しの後に、それでも決定できないかもしれない問題であり、実は1990年に衆参両院で国会等移転決議がされてから審議されており99年になって、ようやく栃木福島地域か、岐阜愛知地域もしくは三重畿央が候補に挙がり、一カ所に意見集約する予定だったけれど、結論が先送りされ、90年頃のバブル経済が崩壊したため都内の地価も下落し、さんざん時間と費用をかけて審議したのに決まらずじまい過程を経ているのを久野や鈴木などは当時から現役だったので知っている。あの三カ所のうち、いずれかに決まっていれば今頃には霞ヶ関機能も数割は残存していて、ずっと楽だったろうにと強く残念に思う気持ちもあったけれど、それを若い世代へ言っても仕方ないので黙っている。そして若い世代は、もはや首都が消失した後なので一回のプレゼンテーションの直後に一回の投票で決めることにしている。あまりに乱暴だったけれど、時間が無いのは誰もが理解しているので地方政治家たちも受け入れている。それだけに目の色が違う。富山と福井、同じ北陸人同士、熾烈な空気があった。その空気を鷹姫は感じていた。
「………」
やはり福井は一乗谷で栄えた朝倉氏の気風、富山は一向一揆の民情があるようです、お互いに目を合わせようとしない、彼らにとって今日は真剣勝負のようです、なのに鮎美はまだ気力を取り戻してくれない、と鷹姫は県民性をだいたいは戦国時代をベースに考えるので両者の緊迫した空気に気づいていた。ただ、そんな空気があるのは当然なので他の閣僚たちも気づいていて、仕方ないと理解し、なるべくなごやかな雰囲気を出すよう努めている。昼12時となったので静江が言う。
「では、みなさま、研修室に移りまして、立食形式の食事会をもちます。ご歓談、ご質疑等、交流をまじえながらおこなってください」
ぞろぞろと大会議室から研修室へ移動すると、さすがにアルコールは出ないものの、食事が用意されていて、両県の名産品も並んでいる。白エビや越前ガニなどもあった。
「……こんなときに……こんな豪華な……」
つぶやいた鮎美の声が批判的で、福井県知事の耳に入ったので、穏やかに言ってくる。
「当県では、たまにですが学校給食にもカニがでます。子供たちにも地元の売りを知ってもらう機会ですし、たしかに、おっしゃるとおり、この大災害のおりに豪華な食事など私も気が引けますが、カニ漁をしている漁師の生活や生鮮市場関係者の生活もありますから、どうか、美味しく召し上がってください」
「……そうですか……そうですね…」
「さっさ、どうぞ」
福井県議も勧めてくれるけれど、食欲がないので断って言う。
「うちにアピールしてもらっても、うちは投票には加わりませんよ」
「「……そうですか…」」
本当にこの子はお飾りで投票さえしないのか、と思った知事と県議は鮎美から離れて他の閣僚へ声をかける。鮎美には麻衣子と里華、長瀬、三井の四人が囲むように守りについているので近づきにくさもあって、もう誰もアピールに来なくなった。かわって新屋だけが来る。
「芹沢総理、あとで、二人でお話する時間をいただけませんか?」
「…あ……はい、テキトーにするよう鷹姫に、言っておいてください…」
スケジュールさえ、どうでもいい様子の鮎美へ鷹姫が言ってくる。
「芹沢総理のお父様がお見えになったそうです。貴賓室でお会いになりますか?」
「…うん……ほな、ここは、もうええよね」
鮎美がいなくても食事会に支障はないので研修室を出て貴賓室に向かった。ちょうど廊下で玄次郎と鐘留に出会う。
「…あ、カネちゃんまで来たんや」
「うん……ごめんね…」
やや後ろめたそうに鐘留が謝った。
「別に、ええよ。ここで、いっしょに生活する?」
「……う~ん……」
鐘留が戸惑うので鮎美は力なく微笑した。
「基地なんて嫌かもね。家の方がええよね。カネちゃんち広いし」
「……アタシの家は津波で流れたよ……それでママとパパが死んじゃったし……これ、言ったはずだけど…」
「あ………ごめん……うち、ぼんやりしてて…」
「ううん、気にしないで」
「……。とりあえず、入って。父さん、報告って何?」
「ああ、中で話そう」
貴賓室に入ろうとしたけれど、長瀬が謝りながら言う。
「すみませんが、お二人の身体検査をさせてください」
「あ、ああ、どうぞ」
玄次郎は軽く両手をあげた。玄次郎へは長瀬が、鐘留へは里華が、しっかりとポケットの中まで身体検査を行った。
「アタシたち、門のところでも身体検査されたよ? やん、エッチ♪」
鐘留はスカートのポケットにまで里華が手を入れてきたので、くすぐったくて身をよじった。長瀬と違い、里華は要人警護の経験もないし、研修も受けていないので、余計に厳重となる。本気で刃物を隠そうと思うなら、靴底や下着の中まで疑わしくなる。鐘留は衣服の上からとはいえ、お尻の割れ目や股間まで触られたので不快そうに文句を言う。
「アユミン、コイツもレズなの? めちゃ触ってくるんだけど」
「ちゃうよ。我慢したって。お互いに」
里華も不快そうに黙って鐘留の身体をチェックする。そして、ふと気になって長瀬に質問する。
「長瀬警部補、全身に触れましたが刃物のような物はありません。ですが、少量の毒物や爆薬なら体内、……肛門や膣に隠すことができると思うのですが、そういう検査は、しなくてよいのでしょうか?」
「それは………刑務所に入れるときなどは、やりますが……通常の警護では……」
長瀬が迷う。平時であれば行わないことだったけれど、今や鮎美は、たった一人の政治的代表であり、今までも刃物だけでなく毒物でも狙われている。玄次郎と鐘留の顔は長瀬も見知っているけれど、見知っていた桧田川は毒をもってきたし、詩織も両親を人質にされた。
「「………」」
玄次郎と鐘留が不安そうに、お尻を守った。
「ちょ、オレは鮎美の父親だし!」
「アタシも親友だし!」
二人とも他人に体内を探られるのは、とても嫌だった。里華が言う。
「以前、主治医や秘書が両親を人質にとられて暗殺におよぶ事件がありましたし、この二人は今朝になって急にアポイントを取ってきた外部から来た人間です。教えていただいた疑うべき項目に該当します」
廊下に立って待っているときなどに要人警護について長瀬と知念から教授を受けていた里華が言うと、ますます長瀬も迷う。富山県や福井県の関係者は公務で予定を立てて訪問してきているけれど、玄次郎と鐘留は私用で急なアポイントなので、怪しいと言われると怪しく感じる。
「オレの両親は、もう死んでるし! 鮎美は娘だ。この世に、鮎美と等価になる人質なんて存在しない!」
「アタシの両親も! アタシ天涯孤独になったから、ここにいる人以外、大事な人なんていないし!」
「……」
そろそろ里華はレズよばわりされた復讐もできたし、天涯孤独がつらいのはわかるので鐘留を許すことにした。
「長瀬警部補、この二人は大丈夫そうです」
「そうですね。では、お入りください」
貴賓室へは鮎美と鷹姫、玄次郎、鐘留、麻衣子、里華が入り長瀬と三井はドアの前を守った。
「そんで、父さんの報告って?」
「ああ……もし、オレが再婚するって言ったら、どう思う?」
「再婚………えらい早いね………隠してた愛人でもいたん? ………母さん、かわいそうに……っ…ぐすっ…」
鮎美が泣きそうになると、鷹姫が怒った。
「あんまりです! せめて数年! わずか数ヶ月でも待とうと思わないのですかっ?! 忌明けもまだなのに!」
父親に再婚された経験のある鷹姫は自分のことのように悔しかったし、いつになく感情的になった。里華と麻衣子は第三者的な目で見られるので、すぐに話の先が読めた。再婚話を、なぜ鐘留といっしょに来て言うのか、少し考えればわかることだった。ただ、鐘留は鮎美たちと同じ冬制服を着ているので、娘と同い年、もしくは年下と再婚ということになるし、娘の友達との再婚というのは、かなり乙女心にも微妙だった。変な誤解をされる前に玄次郎が慌てて言う。
「愛人じゃないぞ! 美恋が亡くなってから関係したんだ! つい、お互い、淋しくて!」
「ほな、相手は誰なんよ?! まさか、お手伝いしてもらってる陽湖ちゃんの母さんちゃうやろね?! 旦那いるんよ! 不倫やん!」
「アユミン、ごめん!!」
鐘留が大声で謝って両手を合わせた。それで鮎美と鷹姫も悟る。
「「まさか……」」
「ごめん……アタシ、本当に誰一人、家族いないし、親戚もいないし、すごく淋しくて……優しく泊めてくれてたから、つい……ごめん」
「カネちゃん……………けど……年齢が………そ、……そもそも、こんなスチャラカエロオヤジでええの?!」
「……頼りになる……感じだし……。…す…好きだよ」
「………………」
鮎美がよろめいてフラフラと椅子に座った。
「鮎美、急すぎる話で、すまない。けれど、黙っていてバレるより、いいかと思ったんだ」
「………ぐすっ……」
鮎美は椅子の背もたれに身体を預け、顔を天井に向けた。その目尻から涙が流れていく。
「…鮎美……」
「アユミン……ごめん……でも、パパを盗るわけじゃないよ。アタシがアユミンのママになるから」
「っ…クスっ……はは……」
かすれた声で鮎美が笑った。
「うちの……ママに? カネちゃんが……はは……」
「緑野………なんと、愚かな考えを……」
鷹姫もよろめいて机に手をつく。空笑いしていた鮎美が問う。
「ほな、うちのママになって、おっぱいでも吸わせてくれる?」
「…………うん……いいよ…」
「……。やめとくわ、そんな気持ち悪い関係」
同性愛指向はあっても、肉親が関わってくると性的嫌悪感があった。父親と同じ女性を性欲の対象にしたいとは想えない。
「はは……まあ……死んでしもた母さんには、わかることやないし……二人が、そんでええなら、ええんちゃう? うちには関係ないことやん」
「「…………」」
「鷹姫、公選法の範囲内で二人に祝儀、送っておいて」
「………ですが、……そんな、あっさり……」
あまりに鮎美が可哀想で、とっさに鷹姫は抱きしめて言う。
「どうか、お気をしっかりもってください」
「……鷹姫…」
鷹姫に抱いてもらうと、自棄になりかけていた気持ちが静まった。
「おおきに………」
鮎美は礼を言って目を閉じると、決めた。
「父さん、カネちゃん。おめでとうとは素直に言えんけど、二人で支え合って、やっていって」
「鮎美……」
「アユミン……」
「うちはうちで頑張るわ。いつまでも母さんが死んだこと、泣いててもしゃーないし。復活もせんし、せめて生まれ変わるなら、早めに日本を復興させておいてあげんとね」
「「「「「………」」」」」
玄次郎と鐘留、鷹姫、麻衣子、里華たちも生まれ変わりを本気では信じていないけれど、そう考えると死を永遠の終わりとして直視せずに済むので心が幾分か楽になる。
「そろそろ昼休みが終わるし。うちは研修室に戻るわ。父さんとカネちゃん、今日は、これから、どうするん?」
「鐘留の家の会社やオレの仕事が溜まってるから、実はすぐに帰りたい。言われた通り電車で来たら時間もかかったし」
「ほな、警護に知念はんをつけるわ。鷹姫、知念はんに伝えて」
「はい。なんと伝えますか?」
「父さんとカネちゃんを地元まで送って、それから県警に頼んで今後ずっと二人を警護してもらうよう手配して」
「オレたちは別に…」
「今までのこと考えたら用心は要るし。あと、知念はんに、せっかくやから二、三日、休んで桧田川先生に会ってきいぃ、とも言うておいて。長瀬はんには一人では無理あるし、もともと二人での24時間体制もきつかったと思うし、高木はんら自衛隊と交替シフト組むようにしてもらって」
「わかりました。伝えます」
鷹姫は伝えに行き、鮎美は研修室に戻った。少し食欲が湧いたので福井県の名物だというソースカツと富山県のブラックラーメンの小鉢を味わって食べた。もう麺はのびていたけれど美味しい。遅れて食べに来た鷹姫は食材に無駄がでないよう、わずかに残っている大皿からさらえて食べた。昼休みが終わり、いよいよ大会議室に戻って副都心を福井にするか、富山にするか、決める。ここまでの両県関係者の手応えでは、静江が推している富山に傾く閣僚もいれば、より関西に近い福井と考えている閣僚もいる感じだった。自由な討議の時間ということになり、閣僚だけでなく両県関係者も発言してよいし、秘書レベルでも発言可という風に静江が司会した。久野が国土交通大臣らしく言う。
「富山には空港、新幹線とそろい、高速道路も北陸道と東海北陸道があって名古屋へもアクセスはいい」
やはり久野も選挙で勝ってきている政治家なので、つい地元である愛知県のことが頭にあるし、鈴木も少しでも北海道に近い富山という気持ちでいる。
「私も富山がよいかと考えています」
夏子も地元優先で隣県の福井を推す。
「私は断然、福井! 経済的な発展の余地としても平野部の広さが魅力よね。富山は、うちの県庁がある阪本市が琵琶湖と山に囲まれて、もう開発する土地が無いのと同じに、山と海に囲まれてるから」
新屋も当然に福井寄りに発言する。
「中部縦貫道が通れば、富山より名古屋へ早いでしょうし、現状でも井伊市の関ヶ原ジャンクションで名古屋へ、京都大阪へも近い。何より首相官邸が置かれる小松基地と近いし、小松空港から東京へも飛べます」
新屋の発言の途中で中川が、パンツ大臣が、と小声で野次を飛ばした後、閣僚を前にして市議の立場で発言するには勇気が要るけれど、恐れずに一番言っておきたいことを言う。
「福井市は敦賀市に近すぎます。敦賀には全国最多の原発が集まっている。もう原発事故は懲り懲りというのは全国民の共通認識であると思いますが!」
福井県知事がすかさず反論する。
「すでに震災直後から関西便利電力は、すべての原発を安全に停止させており、今後も稼働の見込みは少ないようです。このさい、原発はリスクではありません」
「わからんでしょう、どんな事故、どんな巨大地震が、また来るか!」
「それを言ったら富山市は海に近い! 福井市は海岸から離れています!」
福井県知事と中川が白熱しているのを、鮎美は黙って見つめながら考える。
「…………」
火力発電所に燃料を喰われるくらいやったら、いっそ原発を動かしたいんやけどなぁ、いずれ廃炉にするにしても現況で使ってる核燃料は、もったいないし使い切るまで使った方がええし、と鮎美は再稼働の余地を選択肢に入れていたけれど、今は言わない。かわりに静かに挙手した。午前中では、ぼんやりしているだけだった女子高生総理が意欲的な目で挙手しているので福井県知事と中川が黙る。
「うちは両県に競ってもらうことを言い出した立場ですので投票はしませんが、一つだけ意見を言っておきます」
「「「「「…………」」」」」
両県関係者は、テレビや配信動画で見る通りしっかり喋る子だな、と感じたし、静江や石永ら付き合いの長い者は、立ち直ってくれたのだと安心した。
「臨時政府の立場としては、たとえ原発はチェリノブイリのような事故を起こしても数キロ離れれば安全、長期的な健康被害も無いということを国民に発信しています。その立場で、福井市は原発に近いので副都心にしない、という考え方をするのは国民への背信です。閣僚のみなさまには、投票のさい、原発銀座を福井市のマイナス要素にはしないでいただきたいと考えます。とくに敦賀一帯は経済的恩恵はあったとはいえ、北陸地方でありながら関西地方へ電力を送ってくれていたのですから、その恩も忘れずにいたいと感じます」
「「「おおっ…」」」
この鮎美の意見に、福井県関係者は涙が滲むほど嬉しかったし、お飾りと思っていた鮎美への印象を一変させてファンになった。この子はわかってくれている、と原発引き受け県民として心から感動した。
「くっ…」
小娘が余計なことを、と中川ら富山県関係者は顔をしかめ、静江の方を見た。こんなことを言わせる予定だったのか、あれだけ接待したのに、という詰問するような視線だった。静江はプルプルと首を横に振った。その後も自由な討議は続き、もう鮎美は黙って尖閣諸島のことや同性婚をいつ合憲的に発布施行するかに思考を巡らせ、投票も静かに見守った。投票は大臣クラスだけでなく副大臣や政務官クラスにも票を与えたので、今まで鮎美が独裁で決めていたときとは彼らの目の色も違い、意欲が増している。投票結果の集計は、静江ではなく鷹姫と斉藤が行い、鷹姫が首席秘書官として発表する。
「投票の結果、福井市を副都心とします」
まるで文化祭の出し物が決まった程度の言い方で淡々と述べた。制服姿な上、電子計票機などが無く、ホワイトボードに正の字を書いていくという集計方法だったので余計に文化祭の出し物という感じがするし鷹姫が淡々としているので、ますます学校行事程度のことという風だったけれど、決まったことは国と地方にとって、きわめて重大なことだった。
「「「おおおっ!!」」」
福井県関係者はオリンピックの誘致が決まった場合よりも大きな喜びに包まれる。
「「「バンザイ!! バンザイ!!」」」
田舎の政治家にありがちな激しい喜び方をしている一方、富山県関係者は苦々しく黙っている。鷹姫は予定を述べる。
「では、福井県関係者は移設される各省庁との打ち合わせがありますので研修室へご移動ください。富山県関係者はご苦労様でした。お帰りください」
すごずごと帰るのは悔しくて中川が新屋に怒鳴った。
「パンツ大臣が! 女子高生の小便パンツもらったかっ! やくちゃもない!」
「「「…………」」」
新屋は黙っているし、この場に女子高生は鮎美と鷹姫しかいないので、ひどく不快だった。鮎美は都知事選のときに失禁してしまったことを、それほど恥とは思っていないけれど、鷹姫は飛行機内で漏らした動画が仲国で出回っていること等を強く恥じているので顔を伏せて震えた。それが可哀想で一気に鮎美の頭に血が上る。
「誰がパンツ大臣やねん!! セクハラで逮捕させたろかっ?!」
たかが小娘と思っている総理代理に怒鳴られても中川は恐れもせず言い返す。
「逮捕するなら、パンツ大臣を捕まえい!! お前も盗まれるぞ!」
「はァ?! 意味わからんねん、ボケが!!」
鮎美は大学時代に新屋が下着泥棒で逮捕された件が世間で話題になっていることを、まったく知らなかったので齟齬が生じる。何より総理代理と市議が、柄の悪い女子高生と品のない中年のように閣議の場で言い争うのはやめてほしいので、石永や久野が鮎美を止め、富山県関係者は中川を止めて出て行った。
「意味わからんわ……ムカつく……誰がパンツ大臣やねん。いつまでパンチラの件、引き摺ってんねん、腹立つわぁ」
「「………」」
石永と久野は鮎美が下着泥棒の件を知らないことに気づいたし、他の閣僚たちの視線も自然と新屋に集まり、彼は深く頭をさげた。
「申し訳ありません」
「……なんで、新屋はんが謝るのん?」
「芹沢総理は、ご存じないようですが今、世間では自分のことをパンツ大臣と批判されています」
「そうなんや……なんで?」
「少しの間、二人だけで話し合わせてもらえませんか。お願いします」
「えっと……ほな、閣議は副都心も決定したし休憩ということで、新屋はんは貴賓室に来てもらえます?」
「はい」
鮎美と新屋は貴賓室に移動する。石永たちは過去に女性下着を盗んだことを二人きりで女子高生相手に、どう言い訳するのか、告げられた鮎美がどう反応するのか、とても興味があったけれど我慢して、するべき仕事をするために、福井市へ移設となる省庁の大臣などは研修室へ行った。鮎美は鷹姫さえ廊下に待たせて新屋と完全な二人きりになった。
「ほんで、新屋はんのお話っていうのは?」
「はい、ちまたで噂になっている通り、自分は大学時代に女性の下着を盗みました。父が政治家だったおかげで被害女性とは示談になっていますが、逮捕された事実はあります」
「……ゲイやなくてバイやったん? 下着フェチの」
「いえ、ゲイです。女性にも下着にも興味はありません」
「ほな、なんで?」
「あのころは自分が同性愛ということが認められず、なんとか異性に興味を持てないものかと、いろいろと間違ったことをしていたのです。風俗にも行きましたが、行為そのものができず、いっそ違法行為とわかっていて女性の下着でも盗めば興奮できるのではないかと考え……犯行におよびました」
「そうなんや………」
「この話は選挙のたびに地元に流れますが、今回は自分が大臣ということで全国的に広まってしまいました。週刊紙などが印刷されなくなったとはいえ、インターネットで拡がっています。これ以上、総理にご迷惑をかけることはできません。大臣は別の者に替えてください」
「…………けど、もう示談して、終わった件で、大学時代って10年以上前ですやんね。そやから再チャレンジして選挙で当選しはったこともあるんちゃいますの?」
「はい………それでも過去の罪が追いかけてくるのです……」
「…………自分が同性愛なんが認められず……か…」
鮎美は深い同情を覚えた。同じような試みは鮎美も経験している。中学の頃、次々と同級生が異性に恋をしていくのを見て、なぜ自分は同性のことばかり見ていたり、気になったりするのか、無理に男子へ興味をもとうと話しかけてみたりもしたけれど、少しも楽しくなかったし、逆に好きになられて困ったこともある。剣道が抜群に強かった鷹姫に恋をして、もしかしたらと剣道男子を見つめてみたりもしたけれど、無駄だった。それだけに新屋が風俗に行ったり、とうとう違法行為と知って下着を盗んでみたりしたのも理解できる。
「うちにとって新屋はんは、きわめて重要な政治的パートナーです。三島はんも、そうですけど、同性愛であることの苦悩、ノーマルとは違うことの苦しみ、これらマイノリティのことを、多数派は、まったく理解しようとせんでしょ。そんな中で閣僚に2名、うちも入れれば3名もマイノリティがいることは、歴史的快挙やし、最高のチャンスやと思います」
「………」
「同性婚のことも進めたいし。単純に、新屋はんが異性愛者やったとしても10年以上前の、もう示談したような話を引っ張り出してきて大臣をおろすのは、国政の安定にも問題あると思います。今は省庁の立て直しに、過去に痴漢とかで退職した人も再雇用してますから、むしろ新屋はんのことは、最大限にかばっていきたいと思います」
「……総理…」
「幸い、うちは女で、新屋はんが盗んだのは女性下着、うちが過去のことなんか、どうでもええと言えば、これ以上の追求もしにくいでしょう。すぐに演説して動画を配信しますわ。もちろん、新屋はんがゲイなことは隠したまま。……それとも、これを機会にカムアウトしはります?」
「……………」
新屋が激しく迷ったので鮎美は優しく言う。
「迷ううちは隠しておかはったらええですやん。敵を欺くには、まず味方から。うちに強力なパートナーがいること、他の閣僚にも隠しておくのは有利な場合もありますし。どのみち同性婚の発布施行は、かなり強引になるでしょうから。そのとき援護射撃をお願いします」
「はいっ! 必ず!」
二人は密談を終えて貴賓室を出ると、大会議室に戻り、他の閣僚たちには過去の解決済みの罪で進退を問うことはしないと宣言し、また全国に向けた演説動画を作成して、強姦など重い性犯罪を厳罰に処すことは当然だが、軽い性犯罪で犯人の人格を全否定するようなこともしないし、反省して再出発することを推奨すると流布した。配信が終わってからの夕食は鷹姫に手配してもらって、新屋と三島、それに高木と三井、今泉、泰治にもテーブルについてもらい、貴賓室でともにした。その間、ドアの前には長瀬と武装した麻衣子、里華に立ってもらった。鷹姫以外は同性愛指向のある者ばかりでの夕食をすすめ、三島はいよいよ救助活動が一段落したので中隊規模の男性同性愛者ばかりで構成された陸自隊員を集め、鮎美を護衛できる体制が明日から整うことを述べ、また新屋と協力して省庁内の同性愛者にもコンタクトをとってグループ化する計画をもった。泰治も民間のマイノリティで構成されたネット上の協力者が、どんどん増えていることを誇った。鷹姫にとっては本当に興味のない話題だったので、黙々と夕食だった福井県から小松基地へ提供された越前ガニを食べた。
「鷹姫が美味しそうに食べる顔って、ホンマに可愛いね」
不意に鮎美が声をかけてくれたのでカニ味噌を飲み込んでから応える。
「私からも一つ話題をふってもよいですか?」
「うん、ええよ」
「もうお元気に立ち直られたので一考していただきたいのですが、陛下のことです」
「………」
めちゃ空気読まへんね、あいかわらず、今思いっきり同性愛者同士で盛り上がってたのに、と鮎美は微妙な笑顔になる。鷹姫は淡々と続ける。
「夕刻、宮内庁の北房さんより私へ電話があり、陛下が芹沢総理を心配され、予定が許すのであれば、京都か、小松でお会いして慰めたいとのことです。玉体お運びあるは畏れ多きことにて京都が適切かと思います。お伝えするタイミングをみていたのですが、今まで言い出せませんでした。できれば、明日朝にでもお返事される方がよいかと思います」
「………」
タイミングみてて、このタイミングなんや、と鮎美は、さらに微妙な顔になる。その表情で泰治や新屋たち同性愛者には、やはり鮎美にはバイの指向は一切ないのだとわかる。
「……うん……まあ……失礼のない返事を考えておくわ…」
そうして、越前ガニを食べ終わって解散しようという頃に、複数のスマートフォンや携帯電話が、ほぼ同時に警告音を鳴らしてきた。
「Jアラート! Jアラート!」
本震以後、それほど強い余震はなかったのに、とうとう強い余震が来るのかと鮎美たちが覚悟したけれど、警告は別のメッセージを流してきた。
「外国より我が国へ向け、ミサイルが発射されました。東北、北陸、関西、九州に向かっている可能性があります。地下または頑丈な建物に避難してください」
「……ミサイルて……」
「芹沢総理、窓から離れてください」
窓のそばにいた鮎美を鷹姫が身体で押したとき、窓ガラスを割って金属片が飛び込んできた。
「っ?!」
「くっ…」
鮎美が驚き、鷹姫は飛び散ったガラス片が背中に刺さって呻いたけれど、それほど重傷ではなかったので、そのまま鮎美の身体を押し倒して床に伏せる。何が起こるか、とにかく身構え、鷹姫は全身で鮎美をかばったし、すぐに三井と高木の大きな身体が二人をかばってくれる。けれど、もう何も起こらず15分が経過したので鮎美は司令室へ行きたかったが、行っても役に立たないことを自覚しているので小松基地の構造をよく知っている里華に案内されて地下室で待機した。二時間が過ぎ、鶴田航空幕僚長が直接に鮎美へ報告に来た。
「核ミサイルが北朝鮮より、我が国と麗国へ向け、発射されました。合計10発」
「10発も……」
「日本へは、小松、京都、那須、札幌、福岡を目標として発射され、小松と京都を狙ったミサイルは迎撃しましたが、金属片などが飛散し、宮本秘書官のように負傷された人が少数ながらおられます。那須と札幌を狙ったと思われるミサイルは、30キロ以上離れた山中で核爆発を起こしましたが、死傷者は少数と思われます。ですが、福岡を狙ったミサイルは市街地で核爆発に至り、数千もしくは数万人の死傷が出ています」
「………津波で無事やった福岡を………」
鮎美がつぶやき、三島も苦々しく言う。
「陛下と妹宮様を京都と那須に分けているという欺瞞情報を信じてくれたのはよいが、両方を一挙に消そうとするとは……」
鶴田は報告を続ける。
「麗国を狙った核ミサイルと思われるミサイルは、ソウル、釜山、仁川、大邱、大田の市街地に命中し、仁川を狙ったミサイルのみ、不発だったのか核爆発は観測されていませんが、他の市では数万人規模の死傷者が出ているものと予測されます。また、麗国の他の都市や軍基地へは継続的な通常弾頭によるミサイル攻撃と遠距離砲による砲撃が続いており、北朝鮮陸軍も進軍しています」
「……戦争……する気なん………第二次朝鮮戦争でも……」
鮎美が寒気を覚え、三島が問う。
「日本を狙ったミサイルと麗国に落ちたものでは、ずいぶん命中率が違うが、理由はわかるか?」
「はい。小松、京都にはミサイル防衛を展開しておりましたのが奏功していますが、那須と札幌を狙ったものは、単純に距離が遠いので精度が落ちたのでしょう。逆に麗国は北朝鮮から至近ですから、命中させやすいものと思われます」
「そうか………金正陽、本気だな」
「………うちが、この状況で、すべきことは………自衛隊を………他には……」
鮎美は地下室で時間を過ごしながら、よく考えた。
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