第66話 3月20日 売春搾取、殉職、根本博陸軍中将、戸籍と身分確認
復和元年3月20日の日曜朝、台湾の一流ホテルで、ゆっくりと朝食をとった陽湖(ようこ)は台湾政府が用意してくれた部屋とは別に借りた客室へ出向いた。その客室には介式(かいしき)を監禁している。陽湖が客室に入ると全裸でベッドの上にいた介式は怯えて身震いした。
「んフフ、そんなに怖がらなくても、ただ様子を見に来ただけですよ」
「…も…もう許して…ください…」
「償い続けなさい。その身体で」
陽湖は介式に売春をさせていた。今も次の客が待っている。陽湖が介式を支配するのは手早かった。一度だけと言って自分の小便を飲ませた翌日からも飲ませ続けた。当然、介式は、一度だけと言ったはずだ、と拒否したけれど、あなたが私を芹沢鮎美の身代わりにした罪の意識はその程度なのですか、あの一度は部下一人分です、と言って部下の将来を人質にとる論法でゴールを動かし、介式を責め続けた。さらに平行して陽湖は前田たち男性部下を味方につけた。介式に言われて身代わりになったけれど、こんなことは警察のやり方として正しいのですか、素直に従ったけれど、当たり前という顔をしている介式に反省してほしい、と陽湖が彼らに囁くと、もっともなことだ、と反省会という名の糾弾と吊し上げが始まった。もともと介式はA321の機内会議室で陽湖が鮎美にした仕打ちを見ていたので、その代償という形もあって身代わりを依頼していたけれど、男性部下たちは機体の最後尾にいたため、せいぜい鷹姫がイジメまがいの教育的指導を受けていたことしか知らないゆえ、女性上司が迷い無く一人の女子高生を警護対象の身代わりにして外国へ差し出したことを、差し出された本人が苦情を言うのは当然という意識になって女性上司を批判した。その批判が高まってきたところで陽湖は以前に介式が銃弾を抜いた拳銃で鮎美を脅したことも彼らに言いつけ、より激しく批難するように仕向けた。これまで強圧的な態度で男性部下を従えてきた女性上司の弱みを握った男性心理は苛烈だった。
「あなたは身体で罪を償うのです」
激しい批難を受けて弱った介式に、また陽湖は自分の小便を飲ませ、さらに男たちにも介式へ小便を飲ませるように仕向け、何度も嘔吐しながら介式が泣く泣く飲み終わると、次は口内に白濁した男性の体液を注がれたし、それが一巡すると、もう輪姦が待っているのみだった。部下の将来を守るために陽湖の言いなりになっていたはずなのに、その部下たちに処女を奪われ輪姦されると、もう介式は何も考えたくなくなったし、死にたいと思ったけれど、陽湖は介式の姉がセクハラからの強姦を苦に自殺したことを引き合いに出して、あなたまで自分を捨ててはいけない、生きて償うのです、と自殺を予防する心理を植え付けた。男性部下たちも勢いで女性上司を輪姦したけれど、これが日本に帰ってから発覚すると困るので、より徹底的に介式を蹂躙した。本来、強靱な肉体と精神力を持つはずのSPたちが、こうも簡単に陽湖の口車に乗せられたのは、陽湖の経験からくる巧みさもあったけれど、彼らにしても日本で何千万という人間が死に、さらに原発事故といい、自分たちの所属していた警視庁の消失といい、大きな不安があったし、やはり家族は東京にいる者が多かったので妻子や両親と連絡が取れなくなっている。そして、台湾政府は多忙さから軟禁状態のまま放置してくるし、警護するはずの鮎美は日本にいて、もう仕事もない。そんな無意識にストレスが高まる状況で陽湖が嗾けてきたので、あっさりと女性上司をおとしめたし、いっそ陽湖に従っておけば日本に帰ってからも、悪い処遇は受けずにすむかもしれないという心理に傾いていた。そして、陽湖も輪姦されている介式を見ているうちに、これをお金に替えられないかと思いつき、男性信徒たちに売り出した。大人気だった。もとより台湾では日本人とウクライナ人の売春婦には高値がついていたし、陽湖は卒業したらヤホーオークションで売るつもりだった自分の学生服を介式に着せたので年齢的に無理があったけれど、なんちゃって女子高生にしている。もう完全に介式は言いなりになってくれる。気が強そうに見えて、性格のタイプ的には鷹姫と同じで一度崩れると砂上の楼閣のように脆かった。普段からの周囲を威圧するような言葉遣いも、やたらと肉体を鍛えていたのも、心の弱さを隠すための手段であって、姉が自殺で亡くなっているトラウマをつつき回して、さらに警察官としての正しさを崩せば、泣きながら強制売春させられるだけの女になってくれた。
「ブラザー愛也、夕べの寄付金は?」
「はい、こちらに」
さらに、台湾は売春が違法化されているので抜け道として介式の売春は償いの儀式という形をとっている。罪を犯した日本人女性を聖なる台湾の男性信徒が導くことで神に近づき従うようになるということで、従神慰安婦という名称をつけた。陽湖は自眠党教育を受けて日が浅いし、学んでいた学園は教師が信徒と供産党系が半々という構成だったので歴史教育において慰安婦問題は左翼寄りに記憶している。台湾では麗国ほど有名ではなかったけれど、親日感情と日中戦争が相まって複雑な感情をもっているし、麗国が頑張って宣伝しているので従軍慰安婦を聴いたことくらいはあったりして、似たような名称と何より介式の顔と学生服姿に盛り上がってくれた。一応、陽湖には監視役の台湾警察職員がついているけれど、それほど厳重でないのでホテル敷地内では自由にしているし、陽湖は寄付金の一部を抜き取って、差し入れとして渡したので売春行為ではなく宗教行為とみなしてくれている。介式にも、さすがに本名は晒さず、ホーリーネームという宗教設定をつくって慰安婦アカルという鮎美鷹姫鐘留から一字ずつ借りた源氏名を与えた。
「宗教って便利♪ お金って最高」
集まった寄付金も、あくまで寄付金であって売春の対価ではないし、このお金は介式が身代わりに陽湖を使ったことを償うために集めているので全額、陽湖のものという認識だった。介式には不眠不休で売春させているので、かなり売り上げていた。そして、他人の売春で得る金銭には内腿がゾクゾクするような快感があった。処女だった介式が女としての価値をどんどん失っているのに、自分は処女のまま、儲けられるだけ儲けようと想うと、お金が愛しくて股間が熱くなってくる。
「さてと、私も真面目に仕事してきます」
陽湖は男性客と入れ替わると、屋城とホテル内の借りている会議室に出向き、女性信徒も含めた現地信徒たちに祝福を施して集金し、お昼ご飯も美味しく食べると、再び祝福業で稼ぎ、15時になると休憩のため寝泊まりしている客室に戻ってルームサービスで紅茶を頼んだ。集まった金額を数えながらお茶を飲みたいので屋城も入れず、一人で台湾通貨と過ごしている。数え終わって蒋介石の絵にキスして満足すると、テレビをつけてNHKの海外放送を見ながら、かなり甘い台湾菓子を食べる。日本語でニュースが流れてきた。
「尖閣諸島へ不法に設置された機械を撤去しようとしたところ、仕掛けられていたとみられる爆発物が炸裂し、現場にいた海上保安庁の職員2名と、東京都の職員で元海上保安官の百色…」
「あの人………殉職……亡くなって……」
陽湖は、あまり知らない男の死を少しも悲しいとは思わなかったけれど、気の毒に、とは感じた。
「ご冥福を……………。でも、冥福を祈っても、どのみち洗礼を受けていない者は復活しない……これって、ただの欺瞞なんじゃ……」
直接には知らない男だったけれど、鷹姫や鮎美が面識をもっているらしいことは知っていたので冥福を祈ろうかと思い、両手を組んだけれど、途中でやめた。
「祈っても1円にも1元にも1ドルにもならないし……」
祈らずに紅茶を飲む。テレビのニュースが切り替わり、六角市の火葬場にいる鮎美が映った。
「次のニュースをお伝えします。日本各地で大震災により亡くなった方の葬儀が執り行われており、六角市でも芹沢鮎美総理代理の母、芹沢美恋さんの葬儀が行われております。臨時政府の広報から配信された画像をお届けします」
「シスター鮎美の…………シスター美恋が……」
今度は心底悲しかった。美恋とは長く同居した。いっしょに台所で食事をつくったことも多い。こんな母親がいる家に生まれていたらよかった、と想ったほど好きだったし、何より彼女へ受洗したのは陽湖なので親子や姉妹とは、また別の親近感があって肉親を失ったような悲しさがあった。陽湖は涙を流して、祈りの形に手を組む。
「…ぐすっ……けれど、シスター美恋、あなたとは再会できます……きっと、楽園で。アーメン」
永い別れではあるけれど、永遠の別れではないと考えている。テレビに映る鮎美は永遠の別れだと知っているので、ぽろぽろと涙を零し、亡骸となった母親の手を握り、頬に触れ、最期の別れをしている。そばにいる鷹姫も泣いていて、かつて実母が葬られたときも同じ火葬場だったものの立ち会った記憶はないけれど、深く同情している涙だった。なぜか陽湖の母親である陽梅(ひうめ)まで画面の端に映っていた。
「……うちの母まで……どうして……あ、お手伝いのパートを始めたってメールがあったからかな」
他に画面内に玄次郎がいるのは当然としても鐘留もそばに立っていた。鐘留の表情には悲しみもあったけれど、美恋の遺体が再び動き出さないか、怖がるような色合いもあった。そして、鮎美はずっと泣いている。鮎美と鷹姫は葬儀のために小松基地から六角市まで移動したようだった。高速道路で片道3時間もかからないので、日帰り可能だったけれど、泣き疲れた顔をしていて鮎美による発表や演説は無く、ニュースキャスターが伝えてくる。
「この葬儀へは天皇陛下から弔電が送られ、また仲華人民共和国の胡錦燈主席からも弔電があったとのことです」
「……天皇と皇帝から、弔意があった人って歴史上、なかなかいないかも……」
「次のニュースです。同じく臨時政府より配信された画像です。石永内閣官房長官臨時代理人が尖閣諸島で起きた爆弾テロに対して、強い抗議と殉職した犠牲者への…」
「こんな大震災のときまで……醜い人の争いがいつまで続くの………神よ、どうか、お救いください…………神、ちょっと、遅すぎますよ。やっぱり、この大震災をハルマゲドンの始まりにしませんか? もう、あと20年くらいで世界の終わりということで」
上の方に向かって一人言をこぼしてから陽湖は休憩終了ということで再び祝福業で稼ごうと腰をあげたけれど、屋城がドアをノックして伝えてきた。
「マザー陽湖、台湾の元総統、李登騎さんがお会いして話したいと連絡してきました。二時間後にということですが、よろしいでしょうか?」
「リトウキ? …………はい、わかりました。お会いします」
ようやく台湾側から何か反応があるようなので陽湖は紫ローブを脱いでシャワーを浴びる。祝福中に信徒から手や足にキスをされたので要人に会う前に、よく洗った。
「……総統って……総理とは違うのかな……」
シャワーを浴びながら陽湖は台湾の政治制度を、ほとんど知らないことに気づいた。
「総統って言えば、ヒットラーだけど……台湾の元総統って、どんな人……」
陽湖は秘書補佐として静江から多少の政治教育は受けていたけれど、それは地元で挨拶回りをするときに、ただのオジサンにしか見えない市議や町議を先生として扱う作法や、わけのわからない無理難題や、高校生にでも違法だと思えるようなことを要求して陳情してくる支持者へ笑顔で対応する心構えなどであって、国際政治のことなど一切習っていない。それでも最低限、会う前に相手のことを調べておく、できればお互いの共通点を見つけ出し連帯意識をはぐくむという基本中の基本は覚えているし、それは宗教勧誘活動でも共通なのでシャワーを浴び終えると、スマートフォンで李登騎のことを検索した。地元にいるような市議や町議のことを調べるのは苦労するけれど、さすがに元総統だけあってインターネット上に情報がのっていて、陽湖は自分との大きな共通点を見つけた。
「……キリスト教徒……へぇ……プロテスタント長老派……」
聖書は何度も読んでいるけれど、実は他宗派のことは、たいして知らない。それでも同じ神を信じているという意識はあるし、聖書も新共同訳と新世界訳で表現は違っていても、だいたい内容はいっしょだった。しっかりと李登騎のことを頭に入れ、約束の時間に屋城と見張り役の台湾警察職員とともにホテル内のレストラン個室に入った。すでに個室内には体格のいい高齢男性がいて、にこやかに笑んで迎えてくれる。
「やぁ、こんにちは」
「はじめまして、月谷陽湖です」
調べていた通り李登騎は流暢な日本語で挨拶してくれたので陽湖も安心して微笑んだ。日本の国会議員の秘書補佐という立場で接すると、元国家代表を相手にして萎縮してしまいそうなので、あえて世界的な教団の重要幹部マザーという心構えで、ゆったりと微笑む。李登騎には多数の護衛がついていたけれど、それも鮎美のそばにいて見慣れた光景だったので、陽湖は少しも緊張しなかった。李登騎は長身で年老いていても堂々たる姿勢で陽湖に笑みかけてニコニコとしている。
「月谷さんに、お会いできて、嬉しい」
「こちらこそ。きっと、神のお導きです」
「月谷さんもキリスト教の一宗派に属しているらしいね。どうぞ、座って」
李登騎が椅子を勧めてくれたので用意されていたテーブルを挟んで李登騎と対面する位置に座った。
「はい。聖書を研究し理解することを大切にしています」
「なるほど、すばらしい」
カルトや変な宗教とは言われず、テーブルに仲国茶が出された。やはり歓迎されているので陽湖は謝りたくなった。
「まずは、お詫びします。私を芹沢鮎美だと思って扱ってくださったのに、本当のことを黙っていて、すみません」
「いやいや、用心にこしたことはない。仲国供産党の連中には、ひどい扱いを受けたようで。若い君たちが、我々を同一視するのは、まあ、仕方ないことだ」
「………」
どう答えていいかわからないので、日本人らしく、とりあえず頭をさげた。
「芹沢さんは急に総理代理となったので、さぞや大変だろう。私たち仲華民国も彼女に注目している。彼女の人柄を知りたい。ご学友で秘書も務めている月谷さんから見て、彼女は、どんな人物だろう?」
「はい、彼女は…」
陽湖は素直に知っていることを李登騎に色々と話した。李登騎は頷きながら聴きつつ、ときおり陽湖の言葉の端々から、陽湖自身の家庭が貧しかったことで鮎美へ強い羨みをもっていることに気づいたけれど、そこには触れず18時近くなったので、そのまま陽湖と夕食をともにすることにした。
「美味しいです」
陽湖は李登騎が勧めてくれたビーフステーキを食べて喜ぶ。一流ホテルに泊めてもらいながらも遠慮して麺類ばかり食べていたし、多額の現金が手元にあっても、せいぜいルームサービスで紅茶や紹興酒を楽しむ程度だったので、しっかりとしたコース料理は食べ応えがあった。食事の間も李登騎は鮎美の思想傾向について色々と聞き出したし、とくに鮎美が言い出した連合インフレ税とマルクス主義の関連を問うてきたけれど、そもそも鮎美は供産主義へ対して否定的でも肯定的でもない現代っ子なので話しているうちに李登騎もそれに気づいた。李登騎の世代では供産主義は強烈に敵愾心を抱く嫌悪の対称であったり、逆に強烈に愛好し信奉するもはや無神論者にとっての新たな信仰のような対称であったりしたけれど、鮎美にとってはマルクスも過去の理論家の一人にすぎず、モンテスキューやアダム・スミスと変わらない存在とみているのが伝わった。
「なるほど、なるほど。月谷さんは、お酒は呑めるかな?」
より本音を聞き出しておきたいので李登騎が飲酒を陽湖へ勧めた。ここ数日で、すっかり紹興酒が気に入っている陽湖は黒砂糖を入れて呑む方法を李登騎に教えてもらい、しっかりと酔っぱらった。甘味とアルコールで陽湖の脳が歓喜する。
「あ~、美味しいぃ…」
「日本は北方領土、竹島、尖閣諸島と争う土地を抱えているが、芹沢さんは、どう考えているだろう?」
「えっと…ヒック…シスター鮎美は、よく領土問題をセクハラにたとえます。ちょっとを許したら、じわじわエスカレートするから、シバいとかなアカンと」
「はっはは、なるほど」
「そう言う自分も、じわじわ私へセクハラするから、やる側の気持ちもわかるみたいですよ」
「ははっ! 彼女が同性愛者なのは有名だけれど、月谷さんも、そうなのだろうか?」
「いえ、まさか。よく誤解されますけど、牧田さんがバイだった以外は他の秘書はノーマルです。そもそも同性愛は神が許していません」
「うむ、その通りだな。月谷さんが、いい影響を彼女に与えられるとよいね」
「はい………そうだと……いいんですけど……」
気持ちよく酔っていた陽湖の瞳が悲しげに彷徨ったので李登騎は追求する。
「なにか、あったのかな?」
「……シスター鮎美は本気で同性愛者同士で結婚が成立すると考えて、牧田さんとの結婚を発表したのは、ご存じですか?」
「ああ、聞いている」
「そのときの指輪を………私は叩き潰すように強制したんです。神の教えに背いているから……けれど、……そんなことをさせて、本当に良かったのか……ひどいことをした気もして……」
「そうか。………それで芹沢さんは同性愛を捨てたのだろうか?」
「口では、そう言いましたけれど、彼女はズルいところがあって、口先だけ合わせることは平気でしますから」
「はっはは、したたかだね。だが、人それぞれの自由は大切といっても、やはり夫婦は男女であるべきだろう。男女が子供を育てることも何より大事だ。そのあたりを彼女は、どう考えているのだろう? 個人としても政治家としても」
「シスター鮎美は、かなりダーウィンの進化論に影響を受けています。人も動物も、すべて神が創造されたという創世記を受け入れず、人も猿も共通の祖先から進化したと考えています」
「では、なおさら子供をつくることは重要だろうに」
「そこでズルいというか、狡猾というか、ひねった考え方をしていて、ハチやアリが一つの集団を形成していても、すべての個体が子を残すわけではないように、人の集団にも役割分担があって同性愛者が一定数、生まれ続けるのは働きアリのように子を残さない層がいる方が有益性があるからかもしれない、と」
「ほぉ、なるほど、種なしの果実にも存在意味はあると……なかなか手強い理屈を考えるものだ。生物学として見れば、そこそこに説得力はある。ネオネオ・ダーウィニズムといったところか。ほぼ唯物史観なのか……。では、芹沢さんは、どういう信仰をもっているだろうか?」
「えっと……今の日本の若い世代が、ほとんど信仰を失っているという感覚はわかりますか? 仏教も神道も、それほど否定しないけれど、信仰してもいない。とりあえず初詣には行くけれど、そこにいる神様の名前も知らなかったり、仏教の経典を読んだこともないのに、お葬式では手を合わせるという、いい加減な感覚」
「ああ、知っている。残念なことだ」
「彼女もその一人です。彼女の母親には私が受洗しましたが、そのことで余計に彼女はキリスト教に反感をもったようです。本音では、キリスト教は欧米人の侵略の道具などと思っているようです」
「侵略の道具か……悲しい受け止め方だな……歴史を振り返れば、そういう見方も成り立つが、それはキリスト教の副作用であって本質ではない。芹沢さんにも主の声が届く日がくればよいものだ」
「はい」
「今夜は、月谷さんと会えて本当によかった」
李登騎が盃を掲げてくるので、陽湖も倣った。かなり酔っているアルコールに慣れていない日本人女性を可愛らしく想いつつも、節度を保った李登騎は用意していた書類を陽湖に呈示する。
「私たち仲華民国から、今回の大震災で被害を受けた日本へ、この書類にある通りの援助をしたい」
「……食料………燃料……こんなに……。で、ですけど、台湾も東側の海岸が津波に遭って大変な被害があったはずではないですか?」
「それらとは比較にならない甚大な被害を日本が受けているからだよ。雪中に炭を送るという故事があるように、かつて根本博陸軍中将がやってくれた支援を、今度は返したい」
「……ねもとひろし?」
「やはり、知らないか。本当に日本の若い世代は戦後史が欠落しているなぁ」
「すいません……」
「いや、習わないものは知りようがない。せめて蒋介石くらいは知ってくれているだろうか?」
「はい。この国の建国者のような人だと……」
学校での成績はいい陽湖が自信なさそうに言う。実は蒋介石も毛沢東も東条英機も、とりあえず大勢の人を殺した悪人くらいの認識しかないけれど、さすがにそれを口に出すことはしない。基本的に陽湖は人間の政府による統治を信用していないので、ルーズベルトもトールマンも、いい印象をもっていないし、チャーチルもヒットラーも似たようなもの、という歴史観だったし、天皇も英国女王も存在そのものが間違っているけれど、まだ英国女王の方がキリスト教を大事にしているだけマシと考えている。李登騎は若年者へ教え諭す調子で語った。
「かの蒋介石の国民党軍は8月15日の終戦後、仲国大陸から引き上げる日本人を捕らえるようなことはせず、引き上げに協力的だったが、ソビエト軍と仲国供産党軍は違った。終戦降伏後も日本軍に攻撃を仕掛けたし、シベリア抑留が示すように不当な拘束も行った。これに根本中将は対抗して、降伏後の戦闘は責任を問われる可能性もあったが、切腹覚悟でソビエト軍に反撃し4万の民間人を逃がしている。このとき、輸送面で協力した蒋介石へ恩を感じていた根本中将は4年後、台湾へ渡り、供産党軍との戦いで不利となっていた国民党軍を支援、効果的な戦術指南を行い、金門島の防衛戦で供産党軍を全滅させる快勝に導いた。今日、仲華民国が存続しているのは、この勝利が実に大きい。これに大いに感謝した蒋介石は根本へ英国王室と日本皇室へ贈った物と同じ花瓶を贈っている。ただ、残念なことに私たち仲華民国の中でも、また日本の戦後の歴史においても、根本の義挙は長く黙殺されてきた。もともと日仲戦争は日本軍と国民党軍の戦いで、供産党軍などは逃げ隠れしておっただけで、今でこそ偉そうにしておるが日本と真正面で戦ったのは蒋介石である。だからこそ降伏後、追い撃つような卑怯はしなかったし、逆に供産党軍はソビエト軍と同様、火事場泥棒をした」
「………」
陽湖は相槌が思いつかなかった。卑怯も悪いけれど、戦争をすること自体が悪だと思っている。正々堂々戦えば、そこに美学がある等とも思わない。剣をとる者は剣によって滅びる、という言葉が思い浮かぶくらいで、そういう気配は李登騎も察した。
「女性から見れば戦争など愚かなことかもしれないな。まあ、こういった歴史があって、もともと日仲戦争は国民党軍と日本軍の戦いだったので、疲弊した国民党軍が供産党軍に台湾まで追われたところで根本が来援してくれても、諸手を挙げて英雄だと讃えにくい部分があった。かくゆう私も日本の陸軍少尉として名古屋で終戦を迎えているので、この国でも偉人とされたり売国奴とされたり論者によって評価が変わる。少尉の私から見れば中将は、まさしく英雄だが、大声で讃えにくかった。それでも一昨年、戦役60周年式典において、根本に縁のあった日本人を招き、馬総統が会見している。と、このような歴史があるので今回の大震災で日本へ雪中の炭を送りたいわけだよ。明日にも出発できるよう、もう船団を用意してある。日本とは正式な国交が無いので、断られると無念だし、またぞろ供産党の連中のように爆弾でも仕掛けているかと疑われるのも悲しい。そこで、いっそ、月谷さんといっしょに送り返せば、受け取ってくれるのではないかと思っている。どうだろう? それらの援助物資を芹沢さんに届けてほしい。神への信仰にかけて誓おう。これは策略などではない。純粋な支援であり、恩のやり取りだと」
「………。ハレルヤ。わかりました。ありがたくお受けします」
「おおっ」
李登騎と陽湖は握手を交わした。陽湖はホテルの玄関まで李登騎を見送り、見えなくなるまで手を振ると、熱いタメ息をついた。
「はぁぁ……李登騎さん、とても立派な人………昔の日本男性も、ああいう感じだったら……」
異性愛者として、かなり年齢は離れていたけれど、好ましく感じていた。
「私も、あんな立派な生き方ができたら……」
すでに日本で何人かの国会議員と会話したことくらいあったけれど、李登騎からは比べものにならない迫力と器の大きさを感じている。純粋な尊敬と、わずかでも模倣したいという欲求を覚えたけれど、寝泊まりしている客室で一人になって介式が昼間の売春で稼いでくれた金銭を見ると、そんな気持ちは雲散霧消した。
「んフフ♪ やっぱり、お金、最高」
日本人として長く福沢諭吉を愛してきたけれど、だんだん台湾紙幣に描かれている蒋介石へも愛を感じる。祝福で得た寄付も混ぜて、高額紙幣だけを束にして積む。数千枚ある紙幣の隅を指先で愛しくなぞった。
「お金、大好き」
紙幣の束を股間に挟んで悶えた。もう偉人を見習って生きようという気持ちは吹き飛んで、楽園に復活する前に、今の世界でも楽しめるだけ楽しみたかった。
「……子供の頃から、今まで、さんざん、神に尽くしてきたんだから……少しくらい……。だいたい、売春させてるわけじゃなくて、あれは償い……淫らな行為じゃない……それに彼女は受洗してないし、どうせ復活しないし…………。っていうか、カトリックの司祭の方が修道女を性奴隷にしたりして、よっぽど悪いことしてる……うん、大丈夫、まだ、大丈夫………カトリックって聖職者は結婚できない、とか不自然な制度にするから欲求不満が溜まって変なことになる……産めよ増えよ、って神も言ったし……お金も増えてほしいなぁ……」
他宗派の醜聞を批判して自己正当化し、また紹興酒を一杯あおった。
「ああ、神よ。お酒って、美味しいですね」
アルコールと金銭に酔っている。
「あ! そうだ、日本での震災義援金、どのくらい集まったかな?」
陽湖はスマートフォンで琵琶湖銀行の自分名義口座にアクセスして残高を見た。
「っ?! なっ……い、……いくら? これ、…えっと…」
見たこともない金額に桁が膨らんでいる。こんな数字は小学校の算数で演習問題として見たくらいで、すぐに認識できない。
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん」
画面を指さし、桁を下から一つずつ数える。
「じゅうまん、ひゃくまん、いっせんまん……いちおく……じゅうおく。………も、もう一回。いち、じゅう、ひゃぐッ、痛っ?!」
酔っていて、うっかり自分の舌を噛んでしまった。
「ううっ……痛いぃ……」
口の中に血の味がするけれど、傷より金額が気になる。
「いち、じゅう、ひゃく……せん…まん……じゅうまん…ひゃくまん…いっせんまん……いちおく……じゅうおく。……もう一回、いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん、ひゃくまん、いっせんまん、いちおく、じゅうおく!! 30億! 32億6472万円! すごい! すごい! 32億6472万円!」
日本中の信徒から善意の募金が集まっていた。とくに高齢の信徒などは、これが最期と全財産の大半を送金してくれている場合もあるし、陽湖の母親も玄次郎からもらった給料の半分を送っている。信徒個人から送金されたり地区教会で集めた上で送金されたりしていて、大災害だったので無事な県の信徒からの献金は、とても高額だった。
「……………32億円…………ん………んヒ! んヒヒっ!」
嗤えてきた。腹の底から嗤えてきて嬉しくて身体がゾクゾクする。
「んヒヒヒヒヒっ!」
嬉しすぎて床を転がって嗤い、嗤っているうちに小便を漏らしてしまい、それでも衝動が続き、スマートフォンの画面をベロベロと舐めた。
「はあぁぁ! お金、お金! お金!」
嬉しくて唄えてくる。
「お金、お金♪ お金ぇ、お金がほしいなぁ。お金、お金、お金ぇ♪ さあさあ、みんなでぇ、私のところへぇ。お金、お金、お金ぇ」
たまにスパーの鮮魚売場で聴く曲を替え歌にして踊り、さらに一人ツッコミする。
「それは魚やッちゅーねん!」
関西育ちなので、使おうと思えば鮎美と同じレベルで関西弁も使えたりする。また熱い吐息を漏らす。
「はぁぁ……32億円……」
やっぱり台湾通貨より、慣れ親しんだ日本円の方が実感がある。
「いっそ、これをもって、どこか遠い国に……どうせ、日本は放射能まみれで、なんか危なそうだし」
すでに一部の日本人は海外へ逃げているし、もともと海外にいた日本人の中にも帰国を遅らせたりして様子を見ている者もいた。陽湖には信仰心はあっても愛国心は自覚したことがないので、いっそ海外で暮らしたくなる。
「これは寄付金だから所得税はかからないはず……でも、追跡はされるかも……なんとか、琵琶湖銀行から、どこかのタックスヘブンに移して……」
無い知識で逃げる方法を考えてみる。
「っていうか、タックスヘブンって英語ができれば、申し込めるのかな……怪しいサイトとかありそう……信用できるタックスヘブンって、どこ……太平洋の島とか、全部、壊滅してそう……ケイマン諸島も、なんか怪しいし……やっぱり契約書は日本語でないと……いっそ、竹島とか北方領土に日本語のタックスヘブンを造ればいいのに………あ、米軍基地内の銀行とか、どうなのかな……っていうか、それぞれの国の大使館の敷地にATMを置くような体制にして、少しずつ預けられるようにしてくれたら……ううん、やっぱり外国は信用できない。小笠原諸島の一部をタックスヘブンにすればいいのに……あ! 琵琶湖の鬼々島! あれをタックスヘブンにすればいい! あそこに銀行を造って、どんどん送金………あれ? あ、主権が日本だからダメなのかな? じゃあ、いっそ鬼々島だけで独立宣言して民主的に過半数が独立に賛成したら、独立できるかも。一人百万円ずつくらい、あげたら賛成票をくれるかも。あ、でも、もったいない……10人で一千万……。それより信徒を島に移住させて、島民より多数になれば私の思うまま! ………あ、これはオウムが上九一色村でやろうとして失敗したパターンか……きっと、あの島も閉鎖的だから、信徒の住民票移動を受け付けなかったりするかも……う~ん、なんか、もっと手軽なタックスヘブンがあればいいのに…」
鮎美の方向性とは真逆なことを考えていて、連合インフレ税のことを思い出した。
「連合インフレ税って……この32億円が実質16億円の価値に……ありえない……そりゃ暗殺されるよ、世界中から殺しに来るかも……そんな、ふざけた税金、許せない……不確定拠出年金だって、そう、せっかく売春させて稼いでるのに、それをキッチリ把握されたら管理側は、いいところがない。ヤクザが殺しに来るのも当然」
取られる側の気持ちになると、鮎美へ殺意が湧いた。
「私ならSPがいても簡単に殺せるかも、紅茶にヒ素で。問題はヒ素をどこから……あ~、でも、結局、カレーにヒ素といっしょで、見つかるかな……殺せるだけじゃなくて見つからない方法……あと、殺人は罪だから、罪じゃない方法で殺す解釈を考えないと……」
考えながら、また紹興酒を呑むので酔いも回る。
「あ、普通に異端というか、不信心だし、殺してもいいのかな……そういう解釈で、さんざん十字軍やったし……だからってジャンヌダルクまで殺さなくても……どうして昔の聖職者たちは、自分の都合のいいように聖書を解釈したのかな……神の教えは明らかなのに……ポアしたらオウムと、いっしょ……ジャンヌダルクをポア………ダメすぎる……ガリレオガリレイはポアしなかったけど……なんかガリレオ狩り令みたいに地動説支持者を狩ってたし……異端審問でポアされたし……中世キリスト教、ポアしすぎ……キリスト教ポア派みたいになって……」
もう思考がまとまっていないし、自分も見えない。見上げると天井が回っていた。
「っていうか、シスター鮎美をポアするより、どこか遠い国へ、お金をもって………う~ん……結局、見つかるかな……横領かな……」
少し正常な思考ができた。このまま32億円を着服して逃げても、いずれ見つかる気がする。何年かして、国際手配され捕まって手錠をされて小松空港から護送されるときの写真が新聞に載って、それを見た鮎美と鷹姫が冷たい目で記事を読み、そばに鐘留がいれば大笑いするような想像ができた。
「やっぱり、これは義援金だから、ある程度は震災復興に使わないと。それに李登騎さんから託された支援物資もあるし。まずは支援物資を届けて32億円は、ゆっくり考えよう……私が会長の財団を造るとか……ユニセフ的な……」
眠れそうにないほど興奮しているのでグビグビと紹興酒を呑み、通帳残高を表示させたスマートフォンで濡れた股間を擦りながら眠りに落ちた。
復和元年3月21日の月曜朝、鐘留は芹沢家の2階、玄次郎の隣で目を覚ました。
「………やった………オネショしてない……とうとう治ったかも……」
シーツを濡らしていなかったので嬉しくて両手を握った。夕べは玄次郎が性交には応じてくれたけれど、一つの布団で寝るのは疲れるから隣の布団で寝てくれ、と言ってきて不安だったものの、夜尿せずに済んでいたようで嬉しい。
「やっと治った………あ、オシッコしたい、さっさと行こ」
朝起きてトイレに行きたいという感覚は新鮮だった。裸だったのでパジャマを羽織って1階のトイレに行き、勢いよく小水を便器に出すと同時に精液の一部が垂れてきた。
「君たちは生存競争に負けちゃったねぇ♪ 誰か辿り着いた子はいるのかな?」
妊娠したいと想っている。ずっと子供の頃から不安だった。もし、自分も障害児を産んだら、どうしよう、と悩み続けてきた。けれど、玄次郎はあっさりと男が責任を取って処分する、と言ってくれたので、とても気持ちが楽になった。そうなると一日でも早く妊娠したい気持ちになっていた。そして、愛していたけれど怖かった両親は死んでしまった。それらのおかげなのか、夜尿はしなくなっているし、悪夢も見ない。股間を拭いてトイレを出ると、台所で朝食を作っている陽梅と目が合った。
「……」
「……」
「おはようございます、鐘留様、って言いなよ。家政婦さん」
「……おはようございます。…鐘留さん」
「まあ、合格。おはよう、家政婦の月谷さん」
陽梅を家政婦として扱い、注文する。
「紅茶、ロシアンティーで。すぐに」
「はい」
陽梅は手を止めて紅茶を淹れて、苺ジャムを落とした。
「どうぞ」
「ありがとう。いただきます♪」
美味しそうに飲みながら鐘留は言っておく。
「家政婦には守秘義務があるからね。家の中のことを外で話したら、ものすごい金額の損害賠償を請求するよ」
「……はい…心得ておきます」
「わかってると思うけど、アタシが両親を亡くしたショックで何日かだけ、オネショしたことも外で言ったらマジ殺すから」
「はい、言いません」
もう陽梅は中年女性としての観察力で、鐘留が態度の大きさに反比例するような小心者で見栄と安楽さばかり求めている人間だと察してきていたので素直に返事している。
「あと汚したアユミンの布団は捨てて、新しいのを買っておいて。お金、渡すし」
「……御本人に相談してからの方がよくないですか? お気に入りかもしれませんし」
「………………」
アタシに意見する気? という目で鐘留は陽梅を睨んだけれど、陽梅が言うことはもっともなので、仕方なく鮎美へ電話をかける。まだ、この時間なら閣議は始まっていないはずだった。
「もしもし、アタシ」
「お電話ありがとうございます。芹沢総理の首席秘書官宮本鷹姫です」
「あれ? 宮ちゃんなの? アタシはアユミンにかけたつもりだったのに」
「芹沢総理は疲れておいでです。どのような用件ですか?」
昨日、鮎美は小松基地から六角市の公営火葬場まで来て、母美恋を送ったものの、そのまま小松基地に戻っているので、わずかしか鐘留とは会話していない上、会話というよりは、お互い泣いていた。もう鐘留の両親も遺骨になって、この家の床の間に美恋の骨と並んでいる。
「アユミンは、まだ泣いてる?」
「……母親を亡くされたのですよ。当然です」
「そっか……アタシたち3人ともママがいなくなったね……」
「………だから、どうだと言うのです?」
「お仲間だねぇ」
「…………あなたは父親も亡くされたそうですが、大丈夫ですか?」
「クスっ……初めて、宮ちゃんがアタシに優しいこと言ってくれた気がする」
「………」
電話の向こうで鷹姫が困っている気がしたので鐘留は本題に入る。
「アタシがアユミンの家に住ませてもらってるのは言ったよね」
「はい」
「それで、うっかりアユミンの布団にウインナーコーヒーとオレンジジュースをぶちまけたの。で、シミが取れないから捨てて新しいのをアタシのお金で買うから。アユミンが使ってた布団、捨てちゃっていいよね? って確認とってくれる?」
「愚かなことを………わかりました。訊いてみます」
少し待たされて、すぐに了解が返ってきた。鮎美は使っていた布団へ、とくに愛着はなかったようで、コーヒーとジュースだと言った鐘留の言葉を鷹姫は裏を考えずに伝えたようだったけれど、鮎美は夜尿で汚れた布団は使いたくない感じだった。
「じゃあ、アユミンに、ごめんね、って言っておいて」
「わかりました。忙しいので、もう、これで失礼します」
すぐに鷹姫が電話を切った。
「あいかわらず愛想悪いなぁ」
鐘留は肩をすくめ、そばにいた陽梅に言う。
「コーヒーで汚れた布団、汚れてる面が見えないようにして、ちゃんと捨てておいて」
「はい」
陽梅は朝食を仕上げ、玄次郎が降りてくると三人で食べる。
「「いただきます」」
玄次郎と鐘留は同時に食べ始めるけれど、陽梅は祈ってから箸を持った。鐘留が玄次郎に問う。
「アタシと今日、入籍してくれる?」
「けっこう急ぐなぁ……」
「うちの会社を継いでよ。何十億って財産あるよ。テキトーに働かなくても、お金が入ってくる感じに監視して整えて」
「やっぱり、それが狙いか」
「うん♪」
「テキトーに働かなくて監視だけって言ってもな、その監視が取締役の業務だったりするんだぞ」
「大好きだよ、玄次郎」
「わかった、わかった。けど、鮎美になんて言うか……」
昨日は美恋の火葬だけで、ろくに会話していない。鷹姫へも腹違いの妹だった姫湖が亡くなっていることを父親の衛が伝えに来たので、鷹姫も悲しみに沈んだ。まさか、そんな場で鐘留と結婚するつもりであることは言えず、まだ黙っている。
「アタシから一週間くらいしたら軽めに言うよ。とりあえずエッチしちゃった、とか、そんな感じで」
「……まあ、同居してるし、そういう可能性は察するか……エロオヤジって思われそうだが、事実だし」
「じゃ、決まりね。市役所いって、それから会社とか、いろいろ、なんとかして」
「了解」
「あと、姓は、どうする? 緑野、それとも芹沢?」
「芹沢で」
「変えたくないんだ?」
「総理大臣の家だからな、自慢できる」
「だね。あ! アタシ、総理大臣のママだ! ヤッタ、なんか、ちょっと嬉しい!」
はしゃいでいる鐘留を見かねて陽梅が言う。
「シスター美恋が亡くなったばかりだというのに、あんまりではないですか?」
「「…………」」
それは自覚しているので二人とも黙る。二人とも悲しみを直視せずに乗り切るという選択をしていて、亡くなった人間のことは考えないようにしていた。
「鮎美と美恋には悪いけれど、鐘留のご両親は安心してくれるだろう。このまま、彼女を独り身にさせておくのは可哀想だし、おそらく会社も役員なり部長なりが好きに動かして、まずいことになる。そこへオレが口出しするには、入籍が必要だから。養子という手もあるが、それは、いかにも金目当てという感じがして抵抗も起きるだろう」
「クスっ、養子とエッチしちゃマズイね。アタシはママになるのに娘とエッチしちゃったけど。クスクス、逆親子丼だね、父娘丼」
「………淫らすぎます……食卓で、そういう会話をしないでください」
「すまない。月谷さん、手数だが、いっしょに市役所へ来てほしい。婚姻届には証人が要るから。あと一人は仕事関係で口の堅い人に頼むけれど、二人要るから」
「……………わかりました。ただ、嘘の結婚の証人にはなりたくありません。お二人は本当に夫婦となって愛し合い、生活をともにしていくのですか?」
「ああ」
「アーメン♪」
「………。結婚式は、どうされるのです?」
「「………」」
玄次郎と鐘留が目を合わせ、玄次郎が言う。
「この状況で派手なことは無理だろう。そもそも鮎美に黙っておくわけだし」
「それでは緑野さんが、かわいそうです……」
「アタシ、別に平気だよ。裏切ってフタマタかけられたら殺すかもしれないけど。結婚式とか、いいや」
「……女の子としてドレスを着てみたいと思いませんか?」
「モデルやってたとき、さんざん着たし。そのうち、落ち着いたら写真だけ、撮りに行こ、玄次郎」
「大金持ちなのに、安上がりだなぁ」
「うちの会社の規模で派手婚やったら一千万じゃきかないよ。社員、多いはずだし。なのに親戚がいないから、なんか淋しいし」
「その社員たちをオレが、まとめるのかぁ……やっぱ一人社長がよかった」
タメ息をつきながら玄次郎は朝食を終え、陽梅が食器を片付けると、三人で連絡船に乗り、玄次郎が運転する自家用車で六角市の市役所へ出向いた。ロビーで玄次郎が呼んだ仕事関係の知人と合流し、婚姻届を出すため住民課の窓口に行くと、職員の説明を受けているうちに困ったことに気づいた。
「そうか、オレは本籍地が大阪のままだから戸籍が……」
大阪の区役所は津波で消失していた。市の職員が説明してくる。
「戸籍が入手できない人は、指10本の指紋と髪の毛を10グラム、提供してください。他に顔写真のついた身分証明書の確認と、こちらで顔写真の撮影も行います」
「ずいぶん厳重な身分確認だな」
「はい。臨時政府からの通達です」
「……わかった」
娘が関わって決めたことなので素直に玄次郎は指紋と頭髪を提供し、デジタルカメラによる撮影も受けた。さらに職員が問うてくる。
「ご結婚を新聞で公表されることを望みますか?」
「いや」
「わかりました。では、年金と健康保険の手続きがありますので保険年金課へ、行ってください」
職員はドンっと、婚姻届に日付印を押すと、コピーを玄次郎にくれた。もう証人は要らないので玄次郎は知人には車代を渡して帰ってもらい、保険年金課へ移動する。再び玄次郎は頭髪と指紋、顔写真を求められたし、さらに鐘留まで提出を要求された。
「え~……アタシまで……アタシの本籍地は六角市のはずだよ? 江戸時代くらいから」
「臨時政府からの通達です」
「人権侵害チックじゃない?」
「提供いただけない場合、3割負担の自己負担金が最大で6割負担となります。頭髪、指紋、顔写真、それぞれにつき1割ずつ負担が軽減されます。また、提出いただけない場合は戸籍が入手できていない芹沢玄次郎さんには、健康保険証の役割を果たす住民基本台帳カードを交付できません」
「……アユミン、えぐい……」
「鮎美……徹底してるなぁ…」
「どうか、ご理解ください。すでに津波で亡くなられた他人の身分証明書を拾って不正使用する例が発生しています。あなたが、あなたであることを証明していただく手段が指紋とDNA、顔写真になっています。不正に身分証明書を二重三重にえることを予防しているのです。とくに故意に二重にえた場合、懲役15年以下とする総理代理令が今朝、公布施行されました。また三重に身分証明書をえる行為は死刑を最高刑とされました」
「「「死刑……」」」
「悪質な不正を取り締まるためです。ご理解ください」
「……仕方ないか…」
玄次郎は再び頭髪の一部を諦めたけれど、鐘留は納得しない。
「ヤダ、アタシの髪、切りたくない」
「その場合、他の体毛でもかまいません。ただし、切り取るところを職員が目視しますので、女性の職員を呼びましょうか?」
「体毛って、どこの毛?」
「あなたの体毛であれば、どこでもかまいません。ただし10グラム以上です」
「アタシは腋とか、マンコの毛も一本も無いよ。完璧なレーザー脱毛したし」
「………」
職員の視線が鐘留の手を見てから、眉毛を見て、10グラムは無いかもしれないと考えているのが、わかった。
「いやいや、眉毛とか、ありえないし」
「後頭部の奥の頭髪などは、いかがでしょうか?」
「嫌! もういい! どうせ健康だし、健康保険証なんか要らない!」
「それは急病で困るぞ」
玄次郎が言っても鐘留は拒絶する。
「全額、払えばいいじゃん。うちはお金持ちだし!」
「全額お支払いいただいても医療費控除の対象となるのは3割のみです。また、所得に応じた保険料は、これまで通り徴収されます」
「……アユミン、ケチぃ……お金持ちに厳しいぃ……」
「提出をお願いします」
「………ヤダ! もういい、帰る!」
鐘留は席を立ったけれど、職員が言ってくる。
「提出手続きを途中で放棄された場合、ここまでの手続きで提出された指紋や筆跡などを公安当局に送付することになっております。あとあと問い合わせなどがあるかもしれません。放棄されない方が、よいです」
「……………アユミン……やり過ぎ……あ~! もおぉ!」
鐘留は髪の毛を手櫛で何度もすいて抜け毛を集め、なんとか10グラムにした。やっと、すべての手続きが終わり市役所を出ると、陽梅にタクシー代と昼食代を渡して玄次郎が経営している建築事務所での電話番を頼み、玄次郎と鐘留は、かねやの社屋ビルに移動する。津波で自宅と隣接していた本店は流れたけれど、牧場や精肉工場、菓子工場、各支店、ロープウェイを管理している社屋ビルは、まったく健在に残っていて、唯一の相続人である鐘留が結婚した上で現れると、従業員たちは驚いたものの、夫となった玄次郎に事業内容を説明した。
「状況はおおよそわかりました。まず、ロープウェイは運休を継続してください。肉屋と菓子屋は需要を見つつ継続ということで。飼料や原材料の値上がり分だけを、価格に転嫁する形で、大幅な値上げはさけるように」
「「「「「はい」」」」」
「あと、私は建築の専門家であって菓子や肉には、うとい。私の指示に対しての意見は、遠慮無く出してほしい。他に意見がある場合も、言ってくれていい。何かありますか?」
「では、社長…社長で、いいのでしょうか?」
専務が挙手して問うた。
「う~ん……鐘留、お前が女社長でオレが副社長とかにするか?」
「ううん、めんどいし、アタシは総理の秘書補佐だから。全部、玄次郎がやって。お小遣いだけ、ちょうだい」
もともと鐘留は進学するつもりも就職するつもりもなかった。お金に余裕があるので私立大学のお嬢様学園に入ることもできるけれど、上には上がいることはモデル時代に学んだし、見栄の張り合いは疲れる。田舎の金持ちとして田舎で生きていくつもりだった。ただ急に両親が亡くなったことで家族的な後ろ盾が無くなり、それを玄次郎に求めて結婚し、早めに子供を産んで秘書補佐という肩書きを楽しみつつ、田舎のセレブを目指している。母のように家政婦のいる専業主婦として生活しつつ、たまに経営者側の人間として店や会社に顔を出してみるという生き方がいい。ただ、ずっと隠していた夜尿を修学旅行でやってしまったので、しばらくは街に出ず島で暮らすつもりでいる。幸いにして島での同級生は仲間うちだけなので安心できそうだったし、そもそも巨大地震が起こったので、往路のバス内で一人の女子生徒が夜尿したことなど、とても小さな出来事になってくれていた。玄次郎は働く気のない鐘留の意図に気づいた。
「いいとこ取りだな。まあ、いい、では私が社長で。専務、それで?」
「はい。すでに震災後、物価が15%は上昇しています。あと4日で社員やパートさんたちの給料日ですが、物価の上昇に合わせて支給していただけないでしょうか? 実は、それを今日、話し合おうかと思っていたのですが、鐘留お嬢様が行方不明で、私たちだけで決めていいものか、ずっと迷っておりましたところです」
「物価か………かりに上昇した15%を、そのまま支給する財務的な余力はありますか?」
「あります」
「その人件費上昇分も、これからの商品価格に転嫁するとすれば、来月の価格は震災前と比べて、どの程度になるでしょう?」
「およそ……3割か、4割の上昇かと思われます。あくまで原材料や飼料、燃料が今の価格の場合で」
「逆に、支給しなかった場合、生活が苦しくなる社員やパートさんは全体の何割ですか?」
「食品を中心に値上がりしていますから、ほぼ全員が厳しいです」
「ちょっと人件費を詳しく見せてもらえますか。パートさん、若手社員、課長級、店長級など、階層別に」
玄次郎は2時間あまり帳簿や資料と格闘し、役員たちと相談して低所得層には15%、課長店長クラスには10%、役員クラスには5%の臨時給与を出すことにした。あくまで臨時であって物価の下降があれば減額があるという条件で、まとめた。おかげで従業員たちの士気は高まり、とりあえず会社は回りそうだった。それからも夜まで玄次郎は貸借対照表や資産、負債、製造原価などをチェックして、順調な会社であることを確かめた。鐘留も面倒と言いつつも、不安なのでチェックを見守り、自分が相続する会社を知った。
「明日からも大変そうだな。オレの本来の仕事、ぜんぜんできなかった。やっぱりロープウェイ部門の社員を回そう。この情勢下で観光なんて何年も無くなるだろう。逆に建築は大忙しだ。社員には転属か退職の希望をとるか」
「アタシ、相続税かなり払わないとダメっぽいね」
「そうだな。ご両親が同時に亡くなられたからな」
「なにか誤魔化す方法ないかな?」
「やめておけ。この規模の財産があって、それをすると逆に無一文になる」
「そうなんだ?」
「相続税は超怖い。明日は税理士も呼ぶかだな」
「アユミン、相続税まで値上げしそう」
「……しそうだな。あいつ、完全に為政者の側に立ってるから」
帰宅の途中で陽梅を拾い、最終便の連絡船で島に帰って夕食をとりながらテレビを見る。ニュースキャスターが険しい声でニュースを読んでいる。
「尖閣諸島での爆弾テロにより3名が亡くなったことの報復として、日本各地の避難所では在日仲国人が暴行などの被害を受ける事例が発生しています。また、仲国においても在留日本人が暴行を受けたという被害報告があり、両国の国民感情が悪化しています」
「アホね」
「神よ、どうか、お救いを」
「早く救ってやればいいのにね。きっとテレビ見ながら、タコ焼きでも食べてるんだよ」
「……」
陽梅が黙り玄次郎が言う。
「当然の結果とはいえ、また鮎美の仕事を増やしやがって………あいつ、押し潰されないと、いいが……」
「「………」」
「月谷さん、もう1本、ビールをもらえるかな?」
「はい」
すぐに陽梅がビールを注いでくれるので、玄次郎は一日1万円としていた家政婦の対価について考えた。
「明日から物価の上昇に合わせて、月谷さんへの給与も一日1万1000円としよう」
「っ、ありがとうございます!」
とても喜んでくれたので、二人でビールを呑み、つい鐘留にも勧めた。
「鐘留も呑むか?」
「いらない」
「そうか。まあ、秘書補佐の立場もあるしな。勧めて悪かった」
「そういうことじゃなくて、飲酒は妊娠に悪いから。ほら、ここに書いてあるよ。妊娠中や授乳期の飲酒は、胎児・乳児の発育に悪影響を与えるおそれがあります。って」
鐘留の態度に陽梅が感心する。
「素晴らしい心がけですね! 見直しました!」
とても性格の歪んだ子供だと思っていたのに、飲酒を避ける姿勢は立派だと思った。なのに鐘留は冷たく睨む。
「見直したって、じゃあ、どういう風にアタシを見てたわけ? アタシは見直されないといけない存在なんだ?」
「……そういう……意味では……」
「じゃあ、どういう意味?」
「………」
「鐘留、せっかく誉めてくれたんだから」
「はいはい。まあ、アタシは子育てが終わるまで呑まないよ。障害児とか産まれたらヤダし。どうせ捨てるとしても、産むだけで大変だし、中絶もヤダもん」
「そうだな。……悪かった」
「ビール会社の書き方も、もっと明確にすればいいのにね。女が呑むとガイ児が生まれるから呑むな、ってさ」
「それは企業倫理として痛すぎるだろ」
「でもタバコだと海外で、もっとエグいらしいよ。肺ガンになった黒い肺とかパッケージに印刷したりして。お酒もさ、ガイ児の写真でも貼ればいいんだよ。ほらほら、こんなキモい子が生まれてもいいの? ってさ」
「……そうだな……そういうのも必要かもな……」
もう玄次郎は、この件で鐘留の意見を否定するのはやめることにした。チビりと不味そうにビールを啜る。
「あんま酔わないでね。玄次郎、酔うと勃起しなくなるし」
「うっ……わかったよ」
テレビが次のニュースを流す。
「金沢市にてデモが行われ、金沢駅から片町にかけての一帯をデモ隊が行進しました。このデモは臨時政府の横暴を訴え。政府が身分証明に指紋や頭髪の提出を求めていること。総理代理が事実上の首相官邸としている小松基地周辺でのデモ等の民主的な請願が禁止されていること。国家公安委員会委員長の臨時代理人である新屋寛政氏が大学生だった頃に女性の下着を盗み出していたことを理由に臨時政権の姿勢を質している模様です」
映像が切り替わり、片町を歩くデモ隊が映った。それほど大きなデモではなく十数人程度の規模だったけれど、カメラが近づいて撮っているので規模が小さいことは視聴者にはわかりにくい。
「臨時政府の横暴を許すな!」
「法治国家を守れ!」
「パンツ大臣は辞めろ!」
「傀儡政権だ!」
「落選議員に大臣の資格なし!」
玄次郎がテレビに突っ込む。
「じゃあ誰が大臣やるんだよ」
「次のニュースをお伝えします。臨時政府が新たな発表をしました。映像を流します」
テレビに石永が映った。もう官房長官という風格が出てきている。
「臨時政府より、みなさまにお願いいたします。ガソリン、軽油の使用を可能な範囲で控えてください。不要不急な外出をさけ、公共交通機関の利用や、乗り合いなど、できる限りの工夫をしてください。すぐに燃料が枯渇することはありませんが、夏頃を目処に需給が厳しくなる可能性があります。みなさまのご協力があれば、危機は避けられます。また、ガス、灯油については安定供給できる予定ですが、やはり可能な範囲で控えてください。今、暖房の温度を1度、節約していただけると幸いです」
「…」
すぐに陽梅が手を伸ばして灯油ファンヒーターの温度設定を2度さげた。
「素直な性格してるね。きっと、天国に行けるよ」
「私たちは天国ではなく地上の楽園に復活するのです」
「もう喋んな、ババァ」
「………」
「鐘留、そういう言い方はよくないぞ」
「…………どっちの味方?」
「平和の味方だ」
石永が続けている。
「また、燃料の買い占め、過度な値上げに対しては罰金をかします。個人においては、これまでに所有していた自動車の燃料タンク以外にガソリン携行缶などで買い占める行為。法人や事業主については例年の仕入れ、消費量を20%以上超えての購入を買い占めとみなします。値上げについては前日比2%増を限度とします。つまりリッター100円の場合、翌日は高くても102円です。罰金は個人においては100万円以下、法人と事業主については3000万円以下とします」
暖房の温度をさげたので三人とも早めに入浴して布団に入る。今夜も鐘留が性交を求めたので、玄次郎は応じた。
「そんなに、早く子供が欲しいのか?」
「うん。なんかね、急にソワソワするの。ママもパパも死んじゃったし、うちは相続で財産が分割されるのをさけるために子供の数を調整してたら、親戚もいなくなって、ママも一人娘、お爺ちゃんも一人息子だったから、今現在、かねやの伝統を受け継げるのはアタシ一人だから。そう思うと、早く子供つくらなきゃって、血が騒ぐみたいな感じがする。こういう衝動には素直に従っておくのが、いいと思わない?」
「まあ、そうかもなぁ」
「アユミンとアタシに似た娘が欲しいなぁぁ」
「そうなると、いいな」
性交が終わったので玄次郎はウイスキーを呑んでから目を閉じる。脳裏に鮎美の顔が浮かんだ。
「なあ、鐘留」
「ん?」
鐘留は裸のまま隣の布団に入った。
「明日、車で小松に往復して鮎美にオレと鐘留が結婚したこと、報告しておかないか?」
「………アタシはいいけど……早過ぎて、アユミンがショック受けないかな?」
「だが、もしも、よそから知れば余計にダメージを受けるだろう。美恋のことも黙っていて、仲国の代表との会談中に知ったらしい。まあ、オレと鐘留の結婚は新聞に載せないから、すぐにはバレないとしても、変なところから聴くより、オレたちが報告に行った方がいいだろうと思って。鐘留が鮎美の立場だったら、どう思う? 乙女心的に」
「う~ん……アユミンはレズだから、レズの気持ちはアタシにも、わかんないけど、アタシとアユミンは恋愛関係じゃなくて、もろアユミンの性欲のお相手だったから失恋って感じはゼロだと思うけど……どうかなぁ……自分のママが死んで……パパが、友達と結婚する……たとえば、アタシのママが死んでパパが残っててくれて、宮ちゃんあたりと結婚するって言われたら…………すごい速攻だなぁ……ママのこと、嫌いだったのかな、って思うかな」
「そうか………」
「実際、どうなの? 玄次郎、前の奥さんのこと、どう想ってたの?」
「言ってもいいけど、本当に訊きたいか?」
「………………。聞きたい!」
「オレと美恋は恋愛結婚だったけど、あいつから告白してきて、じゃあ、まあ、付き合おうって感じで始まって。大学時代はオレは理系で他の女子が少なくて浮気する機会もなかったし、そもそも浮気するのが面倒だし、まあ続いていて。それからも、たいしてケンカもしなかったし同い歳で、そろそろ適齢期かって頃に美恋が結婚しようって言うから反対する理由もなかったし、素直に言うこと聞いてくれるし、料理もうまいし見た目も可愛いし、じゃあ、よろしくって。そんな感じの結婚だ」
「……玄次郎って、実はホモだったり?」
「お前なぁ、さっき、思いっきりチンポ刺したろ。ホモは、たぶん女で勃たないぞ」
「じゃあバイ?」
「男に感じたことは一度もない! 普通に女が好きだ」
「そっか。とくに女子の腋が好きでしょ?」
「…………否定はしない」
「アユミンも、そうだよ。ガン見するし、めちゃ舐めてくる」
「……そうか………そんなのが遺伝してるのか……」
「結局、玄次郎は奥さんを好きだったの?」
「そりゃ、それなりに」
「でも、亡くなったのに平気そう」
「真正面から考えると、つらいから、あんまり考えてない。ちょうど、お前が来てくれたし」
「………アタシのこと、好き?」
「愛している」
「っ……そういうこと、さっと言えちゃうんだ……バカ…」
鐘留は異性愛者として胸と頬が熱くなったので、布団の中で背中を向けた。
「………アタシも……玄次郎が好きだよ。アタシを守ってね」
「ああ」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
「………」
アタシは幸せになる、きっと明日の朝も大丈夫、もうオネショは治ってる、と鐘留は安心した心地で目を閉じられる幸せを感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます