第61話 3月15日 身分証明と健康保険、族議員、G8+2

 復和元年3月15日火曜7時、鮎美はまだ寝ていたかったけれど、起きなければという使命感でベッドから身体を起こした。ほぼ同時にドアがノックされ、鷹姫と麻衣子の声がする。

「「おはようございます」」

「どうぞ、入って」

「「失礼します」」

 鷹姫と麻衣子が朝食をもって入室してきた。鮎美はバスローブを着て、食べながら報告を聴く。夜間の領空侵犯と原発からの放射線漏れの状況報告だった。

「毎晩来るなぁ」

「鈴木外務大臣が正式に抗議する予定ですが、相手の反応も予想されるそうです」

「どんな?」

「日本政府が放射線漏れの状況を詳細に明かさないので独自に調査している、と言ってくるだろう、と鈴木大臣は予想されています」

「戦闘機とか爆撃機で放射線って計れるの?」

「……わかりません。空自に問い合わせてみます」

「いや、ええわ。どうせ、テキトー言うてるだけって話やろ。大阪のヤクザといっしょや」

 鮎美がトーストを食べながら言うと、石川県出身の麻衣子が問う。本来、従卒扱いなので気軽に質問してよい立場ではないけれど、鮎美と鷹姫は一つ年齢が下で、タメ口で話していいと言ってくれたので気安くしている。

「大阪って、そんな悪いとこなの?」

「うん、大阪は日本の伏魔殿や」

 鮎美も麻衣子と年齢の近さもあって同級生感覚になってきて寛いでいる。食べていたトーストを半分に裂いて鷹姫に分けた。もう鷹姫が朝食を済ませていることはわかっているけれど、単に鮎美の胃袋には自衛隊の高カロリー食は多すぎて、鷹姫に半分くらい食べてもらうのが流れになっている。

「ヤクザだと福岡も有名じゃない?」

「らしいね。けど、福岡のヤクザは九州男児で、スパっとしてそうやん。頭にきたら発砲する、みたいな感じに、いい悪いはおいて男らしいというか、動物的というか」

「頭の悪い犬くらいに思ってるね」

「一応、誉めたつもりよ。大阪のヤクザはネバっとしてんねん。喋り方も攻め方も…」

 鮎美が話している途中でドアがノックされ、鶴田の声がしたので入室を許可した。

「おはようございます」

「「「おはようございます」」」

「どうぞ、お食事は続けてください。ですが、二人で話せますか?」

「わかりました。鷹姫、大浦はん、ちょっと出てて」

「「はい」」

 鷹姫と麻衣子が出ていくと、鶴田は在日米軍の様子を報告する。通告通り、撤退の準備に入っているようだと、おおまかな状況とともに教えてくれた。

「そうですか。わかりました」

「失礼します」

 鶴田が出ていくと、鮎美は食べ終わったので洗顔して下着をつけ、制服を着る。鷹姫と麻衣子は再び入室してきて後片付けと、閣議への準備をしてくれた。鷹姫の顔を見て鮎美が言う。

「鷹姫、お化粧が上手になったね」

「はい。大浦さんに教えていただいております」

「もとがいいから教え甲斐があるよ。でも、基地内は男社会だから気をつけて」

「自衛隊に、そんな悪い人おらんやろ」

「いいイメージをもってくれてるのは嬉しいけど10万人男がいれば、一人二人、悪いのも混ざるんだよ。あと微妙なセクハラはあるよ。訓練のときとか支えてくれてるのか、お尻触ってるのか、文句言いにくい感じの」

「ああ、どこでもあるやんね、それ。まあ、うちの護衛はゲイで固めるし大丈夫よ」

「ゲイでか……すごい集団になりそう……あ、長瀬警部補と知念警部補もゲイ?」

「ううん、二人とも異性愛者。長瀬はんは既婚やし、知念はんは、うちの主治医をゲットしたって言うたやん」

「そうだったね」

「芹沢総理、定刻です」

 鷹姫が告げてくれたので貴賓室から大会議室へ移動する。知念と三井が左右を守ってくれ、鷹姫が前を歩き、麻衣子は背後に回る。

「あ、知念はんと三井はん、また警察と自衛隊で、うちの警護と護衛、どう役割分担するか話し合っておいてなぁ。……警護と護衛って、どうちゃうの?」

「「………わかりません」」

「まあ、ええわ。ほな、よろしゅう」

 大会議室の前で知念と三井、麻衣子は待機する。鷹姫といっしょに入室すると閣僚と官僚がそろっていた。各省庁の官僚は地震当日10%程度が地方や海外に仕事や留学、休暇で出ていて無事だった。そこに退職者と転職者を加えつつあるので、それなりの形になりつつあった。久野が鮎美に問うてくる。

「芹沢総理、当初の演説で復職を望む者のうち、家族の介護に悩む者にメールで相談するよう言われていますが、200件を超える相談がきています。どう対応されるつもりで言い出されたことですか?」

「特養に優先的に入れるよう取り計らってください」

「……ありていに言って順番抜かしですか?」

「緊急度が高い高齢者を保護する枠がありましたよね。あれに該当すると判断するよう健在な市町村の福祉課に通知してください。200件くらいの枠はあるでしょう。ただ…」

「ただ?」

「実務経験のない私が言うのもなんですけど、これは父から聞いた話、公務員というのは、ちゃんと頑張る人と、まったく役に立たない人に分かれるそうです。まったく役に立たん人を戻しても、しゃーないので分かる範囲で、その志望者の在職中の勤務態度なども調べ、それなりの面接もしてから三ヶ月の臨時雇い期間をへて本採用になると通知してください。それまでは要介護家族も特養でなく三ヶ月が期限の支援施設へ入れるということで」

「わかりました。……その年齢で、よく介護保険のことを理解されてますね。なにかご家族で経験でも?」

「はい、まあ…ちょっと…」

 鮎美は言いにくそうにしたけれど、久野たちは興味があるので問いたくなる。

「どのようなご経験が?」

「えっと……ちょっと議事録、止めたって」

 鮎美は速記を止めさせてから言う。

「うちの父さんが爺ちゃんが死ぬ前に、やっぱり介護が大変そうで、おばあちゃんが可哀想やってことで特養に入れようと思ったんやけど、いっぱいで順番待ちやったんですわ。けど、市役所の窓口でヤクザっぽく話してゴリ押しで入れようとしたんやけど、だいたいの大阪人は似たようなことするから市役所の窓口も慣れとって、なかなか進まんし、いっそ地方の市町村やったら、のんびりしとるやろ、ということで爺ちゃん連れて田舎の市町村にいってゴリ押しで入所させたんですわ。まあ、都市部と田舎で空き枠の違いもあったやろけど、ようする頑張り次第と攻め方次第、押してダメなら、別のとこ押してみよ、そんな経験ですわ」

「ははは、それは、総理のお父さんにも会ってみたくなる話ですな」

「やめたって。ふざけた人やし。次の議題、お願いします。議事録、再開で」

「では…」

 石永が次の議題を説明しようとし、速記も再開したのに鮎美が、また言う。

「ちょっ! ごめんなさい! さっきの議題に、もう一つ! で、議事録また止めて、すんません」

 再び記録に残らないようにしてから発言する。

「高い経験があったのに事情があって退職してた公務員に復帰してもらう件ですけど、軽い犯罪、たとえば痴漢とか、金額が多くない横領とかで懲戒免職か、依願退職になった人を再任用するのを、公表しないまでも水面下でリストアップして、高い能力がありそうな人は積極的に声かけしていく方針にしてもらえません?」

「……意外なことを言うなぁ…」

 石永がつぶやく。

「少額の横領は魔が差したということで、次から金銭を扱わない部署にすればいいわけだし、こんなときだから能力ある人は一度の失敗で切り捨てず、少しでも再利用したいのはわかるが、女性の芹沢先生が、痴漢くらいなら、また使おうというのは意外だよ。案としては、こんなときだから悪くないが」

「うちも大阪におったころはラッシュの電車とか乗ってましたけど、ああいうとこでの痴漢とか、ふらっと魔が差してもしゃーないですやん。たとえば、同じ霊長類で高い知能をもつゴリラやチンパンジーを満員電車のような環境に朝夕詰め込む実験をして、しかも条件付けとしてオスがメスに性的なタッチをしたら電撃とエサ抜きの罰を用意して、彼らの理性を試したら、その実験そのものが動物虐待やって言われるかもしれませんやん。やのに、ヒトでは懲戒免職は罰が厳しすぎますわ。こんな大震災が起こらんかったら提案しよ思てた法案で、軽い性犯罪を交通違反みたいに軽い取り締まりで処分していこいうのも考えてましたしね。正直、うちもラッシュの電車に同級生や後輩と乗ってるとき、密着してラッキー♪ みたいなこと、ようありましたし。ついつい、お尻の方まで手が伸びたり、とか。まあ、それで罰金2万3万ならともかく公務員クビちゅーのは、やりすぎですやん」

「まあ、たしかになぁ…」

 石永が頷き、夏子が言う。

「それ、思いっきりオジサンの視点だよね。そういえば、私も誰かさんにバストタッチされたかも。この総理、見た目は女子高生、中身はオジサンね。みなさん、18歳の女子高生が総理だと不安にならなくていいですよ、今までの総理と同じ、ただのスケベオヤジですから」

 夏子が茶化すと閣僚だけでなく官僚たちまで笑った。石永が次の議題に入る。久野が国土交通大臣として京都から神戸までの高速道路が一部区間で復旧しつつあることを報告し、次に新屋が国家公安委員会委員長として各地の避難所で発生している強姦事件18件について報告する。

「軽い痴漢ならともかく、こういった事案は今後、増加すると見込まれます。被害者の救済はもちろん、加害者の弁護をするわけではありませんが、避難生活でのストレス、一部ではいまだ世界の終わり、といった迷信からの自棄で犯行におよんでおり、どちらにも精神的ケアが必要かと思われますし、予防するのにも、このケアは重要ですが、そんな余力などないのが現状です」

 夏子が問う。

「この18件という数字にあがる以前の示談が成立しそうとか、被害はあったのに告訴してない件数は、どのくらいか見当がつきますか?」

「氷山の一角の氷山本体を推測するのは難しいですが、ざっと10倍20倍だと思われます。ひどい事案では父親が13歳の娘を強姦しています」

「避難所で?」

「この事案は学校のグラウンドに車中泊で避難していたケースです。母親は津波のために死体で発見され、父娘の二人きりで車中泊を続けていたようです」

「「「「………」」」」

 闊達な政治家であっても身体は女性である夏子、鮎美、鈴木、三島の四人が重く沈黙して、母親を突然に亡くしたのに父親に強姦された娘の気持ちを考える。虫酸が走って吐き気がした。新屋が報告を続ける。

「18件のうちで、もっとも悪質であったのは修学旅行中だった男性教諭と6人の女子高生のケースです。乗っていたバスごと津波に飲まれ、多くの生徒と教諭が亡くなりましたが、この7人は幸運にも流れてきたヨットに乗り移り命は助かりました。ただ、自衛隊の護衛艦が救助したときには2人の女子高生が男性教諭によって絞殺され、他の4人は抵抗せず強姦されていたため無傷でしたが、救助後、一人の生徒が兄と連絡を取り、両親が死亡していることを知った直後に、艦内のトイレで首を吊って自殺しています。警察であれば、この手の事件の被害者が自殺しないよう保護するマニュアルもあるのですが、自衛隊は、そのようなことに慣れていませんし、次々と救助にあたっているので忙しくて、とても、ということです。しかも、この事件のために一隻の護衛艦が帰港しての警察による現場検証をよぎなくされています」

「……修学旅行で……教師が生徒をって………せっかく助かりかけたのに……どんだけクズやねん」

「最悪中の最悪ね。きっと世界の終わりだと思って自分の欲望のままに行動した………胸くそ悪いを通り越して、この犯人に原発の後始末でもさせたいくらい」

「シベリアの代わりに択捉にでも送りますか。真冬に全裸で」

 夏子と鈴木も憤慨している。

「我の前へ連れてこい! 法務大臣として切って捨てよう!!」

 三島が言い、感情的には皆が賛成だったけれど、法治国家であることは忘れていないので賛成の声はあがらず、新屋が続ける。

「遺憾ながら正式な裁判をへての懲役刑と……いえ、2名を殺していますから死刑の可能性が大ですが、いずれにしても法的手続きが必要です。ただ、警察も手一杯、裁判所は最高裁判所が失われていますし、被災地の裁判所も機能停止しています。また、三島法務大臣の管轄ですが、刑務所も大変のようです」

「うむ、一部で食料が行き渡っていない。だが、犯罪者など、飢えさせておけばよい」

「まあまあ、犯罪者といっても色々ですよ。私も刑務所に入っていましたから体験したのですが、あの単調な生活の中では食事が一番の楽しみになる。これが無くなると、もともと粗暴な人もいますからね、暴動や自傷行為といった可能性も出てくるわけです。人道的には食料供給の努力をした方がよいでしょうし、軽微な犯罪での初犯の者は、私のように仮釈放も視野に入れた方がよいでしょうね。それで空いた枠に凶悪犯や、大震災後に新たに犯罪を犯した者を収監すればよいでしょう」

 だいたいの意見が出て、次の議題となる前に鮎美が言う。

「うちは亡き雄琴直樹先生の法案をこのさい、通すべきやと考えます。鷹姫、ネットにあげてはったやろ。探してきて。無かったら地元支部か、どっかにもあるはずやし」

「はい」

 鷹姫が大会議室を出て走る。鮎美は閣僚たちに直樹の法案を語った。ほぼ記憶しているので、鷹姫が資料にして配付する頃には説明し終えていた。石永も直樹との付き合いは鮎美より長かったので説明を受けるまでもなく知っていて、凶悪な性犯罪者に厳罰で臨むこと自体は賛成だったけれど、一番の問題を指摘する。

「だが、法案を通す議会が無いぞ」

「このさい、大統領令のような形、総理大臣臨時代理の権限による発令ということで通したいと思います」

「それは……かなり無茶だぞ」

「けど、先生方もわかってはると思いますけど、この先、他の必要ある法案も通せへんでしょ。法案どころか、来年度予算案かって、めちゃめちゃ変更が出てくるのに、議会を通せへん。おまけに、ちゃんとした国政選挙ができるまで6ヶ月、もしかしたら3年かかるかもしれませんよ。その間、ずっと空白ちゅーわけにいきませんやん」

「うーん……そうなんだよなぁ……さしあたって閣議決定にするか、だけど、そもそもの閣議決定が今これで閣議が成立しているのか、という疑問さえある。みんな着任したばかりだから官僚からの助けもいるし、秘書も入れてるし。あえて議事録を残してみてるが………やっぱり、平時から、もっと危機管理をして法整備しておくべきだった。巨大津波でなく核ミサイルでだって国会と首相官邸を吹っ飛ばせるんだから」

「雄琴先生の法案、法律という形では無理でも、総理代理令として出したいんですよ」

「まあ、待ってください。芹沢総理代理」

 久野が諫めてくる。

「予算などは仕方無しと、その総理代理令で通すのは緊急時につき、問題ないかもしれませんが、刑事罰を変更するとなると、相当の慎重さを要しますよ。とくに雄琴先生の案は憲法第36条を強引な解釈で抜けている。くわえて憲法第31条、何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、またはその他の刑罰を科されない。とある。これを、どうします?」

「それは、もう考えてあります。罪刑法定主義ですよね。むしろ、罪刑法定主義やからこそ、急いで、この雄琴先生の遺志を公布施行する必要があるんですよ。まず31条に対しては、こう考えます。法律の定める手続きによって私は総理代理になっています。その権限において、ある行為につき、ある刑罰が科されると、公布施行するのです。これなら字面の上では憲法9条ほど強引でない解釈で、一応は法律の定める手続きで刑罰が更新されますやん。憲法改正みたいに明文で議決や国民投票を31条は求めてません。法律の定める手続き、でいいんですよ」

「たしかに、字面では、そうですが。それでは総理代理が死刑といえば、誰でも死刑にできる。極端な話、あなたが気に入らない人間は皆、死刑とできますよ。ここにいる全員、今すぐ」

「それは極端な話で、たとえ、そんな公布施行をしても、誰も本気にせんし、ほな、ここにいてくれはる全員、逮捕せい! と、うちが命令しても廊下にいる警官も隊員も、気の狂った小娘が何か言うてると思って、むしろ、うちを取り押さえるでしょ。まったく道理にかなわん命令や規則は無視されるのがオチです。その意味で9条がいい例です。けど、雄琴先生の案はちゃいます。凶悪な性犯罪者、しかも冤罪の余地がなく、二人以上を殺した者、こんなヤツをどつき回して殺すのは、ごくごく道理にかなったことですやん。丁寧に苦しまんように絞首刑にする必要が、どこにあります?」

「言いたいことと気持ちはわかるけれど、法の安定を考えたとき、危険なことだよ」

「むしろ、法の安定を守るために、早く公布施行すべきなんですよ。罪刑法定主義、これは守る、このためには、憲法39条の何人も、実行の時に適法であった行為、では裁けへんのです。けど、雄琴先生の案を先に公布施行しておけば、明日から裁けます。すくなくとも起訴できます。法の安定を大事にするのは裁判官もいっしょですよ。うちが総理代理令を出して、道理にかなった厳罰を公布施行しておき、その後、凶悪な犯罪を犯した者に、裁判官が、その厳罰を科すか、再び憲法と法律と、この状況を比較考量して判決してくれはりますよ。どうせ、一審では決まらず十年かけて最高裁まで行くでしょう。その間に、新たな議会で雄琴案が追認されるかもしれんし。そうなれば、ますます法的根拠は増します。何より大事なんは、この混乱期に強姦は、まだまだ起こります。それに対して厳罰で臨むという臨時政府の意向を知らしめれば、未然に犯罪を防ぐことさえできます。たとえ、のちに無効であるとされても、普通の強姦殺人としては裁けますし、何より! 何より! さっきみたいな悲惨な事件を抑止できるかもしれんのですよ?! 被害者を生まない、事件を起こさせない、この効用は大きいですやん!!」

「……………うん……芹沢総理代理の熱意はわかるけれど……」

 久野が意見を求めるように夏子を見る。夏子は三十代であるけれど、久野からみれば、若い女性として鮎美と一括りでもあった。

「そうね。見た目は女子高生、中身はオジサン、でも芯の部分は、やっぱり女の子なのかもね」

「茶化さんといてください! うちは真剣に言うてるんです! もし夏子はん自身や、姉妹とか親友が、こんな被害に遭ったとき、どう思います?! うちが助かった方の4人やったら、殺された2人の同級生のためにも、こんな男、八つ裂きにしたいですやん! しかも教師やったんですよ! 本来なら6人の女生徒を助けて頑張るべきやのに!! 二人殺して全員強姦ってケダモノ以下の悪魔ですやん! 公立学校やったら、こいつの給料、税金ですよ?!」

「……うん……ごめん。じゃあ、賛成」

「我も賛成である!」

 夏子と三島が賛成してくれるけれど、鈴木が言う。

「私は反対しておきます。雄琴先生の遺志には賛成ですが、それを拙速な形で出すのは、いかがかと思いますから」

「私は賛成しよう。この件、艦長も嘆いていた」

 畑母神は味方してくれる。

「私も賛成します。男の風上にも置けない」

 新屋も賛成してくれた。石永は悩む。

「う~ん………他の、みんなは、どうだ?」

 問われて石永が推した閣僚たちは6対4で鮎美への賛成が多かったけれど、久野が言う。

「落ち着いてください。ともかくは、この話は継続審議としましょう」

「……………。………はい」

 渋々鮎美が頷いた。自分が呼び入れた久野と鈴木に反対されたので、勇み足だったと反省する。石永が議事を進める。

「では、次の件、厚生労働大臣から」

「はい、避難所での医療は無料としていますが、今後、無事な県でも医療に制度的な問題がでてきます。東京が壊滅したことで、多くの企業が提供していた医療保険を担う、健康保険組合が本社ごと消えています。けれど、無事な県にある支社や支店なりに勤めていた会社員とその家族は、本社が交付した健康保険証をもっています。これを病院の窓口で出されると、病院としては対応せざるをえず、結果、医療費の7割分を診療報酬請求書、いわゆるレセプトとして発送しても、受け取る先そのものが無く、病院としては取りはぐれてしまいます。また、これは市町村が交付していた国民健康保険の保険証にもいえることです。もはや市役所は庁舎ごと流れているのに、県外にいた住民は保険証を持っています。これを、どうするか? とりあえず避難先を住所地として全員、国保あつかいとするか、避難していない無事な県でも、本社が再生するか不明であるゆえ、とりあえず国保に入ってもらうか、けれど、前年度の所得証明も取り寄せられず困ります。はっきり言えば、かなりゴチャゴチャです。どうしたものでしょう? もっと困った例では、保険証や免許証などの身分証明書を本人が持っているケースは、まだ幸いです。命からがら、裸同然で助かった人は何も持っていません。田舎であれば近所の人や親戚が、氏名などを第三者証言として証明してくれますが、家族も親戚もいない、ただ本人だけがいて、自分は山田太郎だ、と名乗れば、それを信じて保険証なり戸籍なりを与えていくのか、もし嘘だったら、どうするのか、という問題があります。すでに、在日麗国人などの身分証明に手こずっていますし、まったく日本語が話せないアフリカ系にしか見えない黒人が鈴木次郎だの、田中三四郎だの言ってきております」

 夏子が意見を述べる。

「とりあえず国保にすると、ますます避難先の自治体の負担が増えるよね。積極的に受け入れる自治体と、そうでない自治体で差も生まれるし。いっそ、この災害を機会に健康保険、医療保険の制度そのものを見直して一元化しない? 前から思ってたし、私の持論でもあるんだけどさ。日本の医療制度は優秀なんて海外から誉められてるけど、ごちゃごちゃしすぎなのよ。健康保険って言っても、大企業の社員が入る企業健保、中小企業の社員が入る社会保険、そして自営業者や無職などが入る市町村運営の国民健康保険があって、さらに生活保護者の医療券もあって市町村が担当してるけど、健康保険課とは別の課になるし。あと公務員は公務員で共済組合から保険証を出すし、これがまた、省庁ごと、県ごと市町村ごとに分かれたりして、ややこしい。とくに、ややこしいのが自衛隊で基地ごとに健康保険証を出してるでしょ?」

 問いは元自衛隊所属だった畑母神に向けられている。

「うむ。ややこしい。いまだにカードでなく三つ折りの保険証、正確には自衛官診療証を出している。基地内で医官に診てもらうと無料なのはありがたいが、帰省中などに一般の医療機関にかかると、速やかに所属長の認印を受ける必要もあるし、医療機関からも印鑑を診療証に押してもらうことを指導されている、いや、私は今は防衛大臣なので指導している側だが、実質は事務方がやる。さらに医療機関から印鑑をもらった後、すみやかに医務室に呈示して部隊確認印欄に医官の認印をもらう必要がある。実にややこしいし、煩雑だ。一般の病院に行くのが嫌になる」

「私の友達で医療事務やってる子がいるんだけどさ。自衛隊の人がくると、ややこしくて嫌だって言ってたよ」

「ああ、基地のそばにある医院などは慣れていてくれるが、出先や実家などの付近で病院にかかると、窓口で戸惑われるよ」

「ここまで言っただけでも、ややこしいのに、さらに各市町村ごとに3割負担を軽減したりする福祉医療券、いわゆる丸福を出してるよね。これがまた母子家庭に出したり、単純に子供の年齢で小学校卒業まで、中学校卒業まで、と市町村ごとのサービスで区分するし、親の所得によって3割全額支給して無料になる世帯と、500円だけ毎月窓口で各医療機関ごとに払ってもらう世帯があったりと、ややこしいし、この助成を目当てで引っ越ししたり、家を買ったりしてくれるから、市町村が競争でサービスしたりする。さらに県の事業として里親制度で預かってる子とかにも別の福祉券を出すし。ハァ…」

 夏子は息継ぎしてから続ける。

「さらにさらに、労働中、通勤中の怪我だと、労災保険になるよね。あと交通事故だと公的医療制度じゃなくて、自動車保険で民間企業が受け持つし。場合によっては保険点数が違って、同じ医療を施してるのに、安かったり高かったりする。ひどいと、明らかに、ぼったくりって病院もあるし。だからさ、いっそ、一元化しちゃおうよ。いきなりはできないかもしれないけど、この災害を機に、まずさ、とりあえず市町村の国保に入れるんじゃなくて、保険証が無い人、会社ごと消えてる人、身分証明がない人、そんな人を先に入れる保険者を厚労省の中につくって、そこにレセプトを送ってもらう。で、審査して支払い。ぼったくりとか、患者側のドクターショッピングとか認めない感じに。もちろん、生活保護者が薬の転売のために何カ所も病院を回るのもさせないようにする。そんな保険者を用意して、じわじわと、そこに全国すべてのレセプトが集まるようにする。どう?」

 夏子の案に、医療制度を勉強したときからずっと複雑すぎるし隠れた不平等があると感じていた鮎美が賛同する。

「ええんちゃいますそれ! 賛成!」

「ですが…」

 厚労大臣が難色を示す。

「身分証明のない者の処理が困ります。徴収する保険料も所得から計算しますし」

「住民基本台帳カードがありますやん。いっそ、あれに所得情報も突っ込んで、保険証代わりになるようにしたらどうです? あのシステムもサーバーが安全なとこにあったし生きてますやん」

「あ、それいいね。あれを発行すれば顔写真もあるから、保険証の不正使用も防げるし。っていうか、顔写真のない保険証なんて簡単に不正使用できるし、病院の窓口は身分確認しないから、性別とだいたいの年齢が見た目で合ってれば、それで通すし。結果、外国人が同じ保険証を何人もで使い回して病院にいくし。偽名をカタるのも、氏名と生年月日が登録されてない人は疑えばいいし」

「ですが、不法滞在や離婚などで戸籍無く誕生した人もおられますし、一元化は拙速かと…」

「そういう人にも温情ってことで、とりあえずカードを交付したらええですやん。ただし、二重給付なんかを防ぐために、顔写真に加えて指10本の指紋と、髪の毛の一部を提出してもらうってことで」

「それは人権侵害です」

「ほな、いらんにゃね、出さんわ。保険証が欲しかったら指紋と髪の毛、出しぃ。そういう行政指導したらええですやん。うちは自分の指紋とDNA、行政に登録してもらうのに、何の抵抗もないよ。抵抗あるヤツは何か悪いこと考えてるか、隠してるんちゃう」

「指紋採取はともかく、この状況で一人一人をDNA登録するなど不可能です。いちいち検査機関に出すのですか?」

「ううん、髪の毛を提出してもらって保存しておくだけ。それだけで不正の抑止効果になるやん。あと、犯罪捜査に使える」

「それこそ人権侵害です!」

「いやいや、強姦された人は、もっと人権侵害されてるやん。精液あったら、すぐ犯人わかるんやで? めちゃ便利やん、警察の仕事も減るし、冤罪ものうなる」

「人権は憲法で保障されています!」

「憲法のどこにも、指紋の話は出てこんし、ましてDNAの話なんか1946年には想定してませんやん。昭和憲法の基本的人権の本旨は、表現や信仰、思想、学問の自由、貴族の禁止、人種、門地による差別の禁止であって、DNAの話は一切出てきませんやん。差別は禁止、そやけど犯罪捜査は当然、ごく簡単な話ですよ」

「…………」

「まあ、鮎美ちゃん総理が言うように犯罪捜査に使うのは行き過ぎかもしれないけどさ。身分証明書が一切ない人は、やっぱり保険証を渡すにつき、指紋と髪の毛、出してもらった方がいいよ。平時でも、オウム真理教の残党が社会保険のシステムを悪用して、偽名の保険証を造ってるって話もあるし」

 夏子に続けて畑母神が言う。

「戦後、食糧難のおり、政府が米を給付したが、これを純然たる日本人は正直に一度だけ受け取り満足した。だが、在日の外国人の一部は何度も受け取りに行き、窓口の役人を困らせた。役人が拒否すれば、わめきちらし、怒り狂う、しぶしぶ給付すると、その給付米で酒を造り、売って財をなした」

「えげつな……」

 鮎美が心底あきれた。畑母神は静かな怒りをもって言う。

「混乱期に不正をはたらく者は必ずいる。当時は不可能でも現代ならばDNA検査も容易だ。不正防止のため本人確認は厳格に行うべきだろう」

 だいたいの意見が出尽くして、夏子の提案した通り、医療保険は一元化を目指すことになったけれど、厚労大臣が不満そうなので夏子が問う。

「もしかして、あなたは医師会系の族議員?」

「っ、そ、そういう言い方は失礼じゃないか!」

「あ~……やっぱり…」

「族議員なんや……」

 鮎美も厚労大臣の経歴を思い出してみる。父親と兄は開業医で、耳鼻科と皮膚科をやっており、本人は医学部受験を2浪して諦め、関才大学の法学部を出て行政書士の資格をもっていて衆議院議員を2期こなしての落選中だったし、2期目の選挙では小選挙区で落ちて比例代表復活している。比例代表での順位が高かったのは医師会がバックにあったことが大きかった。そして、石永が厚生労働大臣の臨時代理人に推したのも、そのような理由が大きかった。

「ボクはですね! 族議員と言われればそうかもしれないけど! じゃあ、言わせてもらいますが! さっき加賀田先生は、ぼったくりなどと言われましたがねっ、今、全国の被災地で活躍してるのは外科、整形外科の先生方ですよ! ただね、近年は労働安全指導の効果もあって外傷的な労働災害は減り、スポーツや学校教育現場での安全配慮も高まり、交通事故も減って外傷全般が減ってるんですよ。これは、けっこうなことですよ。怪我をする人が少ない。いいことです。けれど、今回みたいに、ひとたび災害が起これば一気に多くの外科医整形外科医が必要とされる。となると、普段から、ある程度の数をやしなっておく必要があるじゃないですか。そのへん、自衛隊さんと、いっしょですよ。災害や戦争が無ければ、ある意味、給料泥棒なわけでしょ。けれど、今は大変にありがたい。本当に、あって良かった。そういう存在ですよ。そこにね、ぼったくりとか言われると現場は非常に悲しい思いをするわけです。赤字でやってる病院だって多い。そこのところをね、加賀田先生もね、よく理解してくださいよ、本当に。あとね、あと、芹沢総理代理の当初の美容整形外科医への脅しとも、営業妨害ともいえるような、あの発言、あれ、何ですかっ。かなりね、評判悪いですよ、はっきり言って」

「「それについては…」」

 鮎美と夏子が異口同音しかけ、鮎美が年長者に仕草で譲った。

「それについては開業医と勤務医の実体を分けて考える必要がありますよね。おっしゃった赤字の病院というのは、たいていが公立病院で、この赤字は自治体などが補填しています。そして、そこで働く勤務医の給料も多くはない。いえ、民間企業に比べると多いんですけど、せいぜい700万とか1500万くらい。それで夜通し、さらに翌朝まで働いたりされてますよね。これは頑張りすぎで改善すべきです。頑張らせすぎ、というのが正確ですね?」

「ええ、そうです」

「けれど、開業医になると平日9時から12時、16時から18時なんて医院が多い。日曜祝日お休みで、あと木曜日あたりに休むことも。週休二日以上というのも、けっこうなことですし、研修もあるでしょう。けれど夜勤はない。せいぜい休日診療所の持ち回り当番くらいのものです。それで申告所得が平均2500万円くらいあがってきます。平均ですよ、平均。ご存じでしょうが、個人の自営業みたいな一人開業医の所得申告なんて、かなり怪しい経費が多い。これはワンマン企業の社長にもいえることですが、別に高価なベンツに乗るのはいいとして、それを経費にするのは、いかがなのか、と。まして、医師は特例的な減税がありますよね。社会保険診療報酬が5000万以下、自由診療分を含めても7000万以下であれば、およそ収入の7割を経費化できる。売上の7割を自動的に経費なんて、ふざけた会計やってるのは医師だけですよ。しかも、この特例を利用するのに税務署への事前の届出なども一切不要なんて。また同じように医療保険収入のある助産師、あん摩師、鍼灸師、柔道整復師などには、この特例の適用は無しです。所得としては、はるかに低い他の医療資格業より、高収入な医師が極度に有利な節税制度の対象というのはノーブレスオブリージュは、どこに行ったのか、と思いますよ。まして上限5000万というのは、ちょうど一人開業医の売上くらいで、大きな病院は対象にならない。ふざけすぎた制度です」

「………」

「こんな風に開業医が極端に有利だから、公立病院で働いてくれる勤務医も経験をつむと、開業したがる。おかげで、せっかく育てたベテランは出ていき、労働環境は悪化するわ、患者つれて出ていくから病院の赤字もひどくなるわで県の財政も大変なんです。なのに、税金も納めない。医学部で一人育てるのに、いくら税金がかかったことか。いっそね、公的な医療保険での収入には上限を設けるべきなんですよ。参議院議員の報酬を660万円としたのは全労働者平均賃金の二倍という、ざっくりした基準でしたが、この三倍990万円の年収で満足してもらえませんか? さっき自衛隊を引き合いに出されましたが、自衛隊員で990万円の年収がある人は、どのくらいいますか? 畑母神先生」

「まあ……ほんの一握りだよ。幹部自衛官で、やっと一千万を超える。あと、階級が低いと定年が早い。このフォローも忘れないでほしいが、今は、その議論はよそう」

「自衛隊では、ほんの一握りなのに、開業医は平均で2500万円ですよ。これで、ぼったくりと言われて現場が悲しむって、ほくそ笑むの間違いじゃないですか?」

「………………」

「そりゃ医師免許をえるまでに努力をしたかもしれないけど、国家予算100兆円くらいなのに医療費30兆円に近づいてるって、ここまで経済を圧迫してくると、格差社会の問題も含めて、是正すべきときですよ。医師がたんまりもってるから、デパートの外商や証券会社の営業では医師専門の部隊がいるくらいなんですよ。いきすぎじゃないですかね? 自分たちの医療保険も自営業者の入る国保や、小規模企業として社会保険に入ったりせず、医師国保なんて独自の健康保険組合を用意して病院にかかったとき自分と家族が特別扱いされることを当然だと思ってるし。なのに、自分の医院で働く人には普通の社会保険しか用意しなかったりと、特権意識が芽生えすぎ。女性看護師にはナイチンゲールを引き合いに出して献身を求めるくせに、ヒポクラテスの誓いは、どこいったの? 医は仁術が、医は算術になってますよね。そのくせ、産休をとるからって女医には冷たいし、女性開業医は少ないっていう男社会。これで本当にいいの?」

「……………………。さきほど、芹沢総理代理が言われかけたことは?」

「え……あ、はい」

 夏子はんの言うたことに反論なかったら、思いっきり無視すんにゃ、ええ根性してるわ、と鮎美は急に振られたので、何を言いかけていたのか思い出してから喋る。

「えっと、美容整形外科医についてでしたよね。うちもお腹を刺されて高価な自由診療を受けてるんで、そういった治療を否定するつもりは、まったくありません。ただ、日本人って、あんまり顔の本格的な美容整形はせんでしょ。せいぜい脱毛とか、腋汗対策とか、二重まぶた、あと男の人はおチンチンを、どうこうするらしいですけど」

「鮎美ちゃん、そういう知識あるんだ? ビアンなのに」

「さんざんCM流しますやん。電車内の広告でも見かけるし」

「まあね。豊胸もあるよ。前から気になってたけど、鮎美ちゃんのおっぱい天然?」

 夏子は豊かな鮎美の乳房を指さした。男性閣僚であれば大問題になりそうだったけれど、鮎美は気さくに答える。

「もちろん本物ですよ。100%天然です」

「そりゃ羨ましいことで、顔にしても、日本人も影でやるよ、年齢と性格にもよるけど、あんまりあっさり、しないのが普通なんて言うと、やっかまれるから控えなさい。可愛い顔に産まれた幸運は鼻にかけないで」

「そんなつもりは……ないんですけど……。えっと、本題に戻ります。この大災害において、無事な県であっても、美容整形してる場合でしょうか? という人として根本的な問いですわ。あと、逆恨みされるのは覚悟してますけど、実質的には美容整形医院を倒産から救おうと言うてます」

「とは言っても最低限と条件をつけられている」

「そりゃそうですよ。この大震災で、いったい何千社の倒産が起こるか。やのに、一部の医師だけは倒産から救って、しかも被災地で活躍してくれたら国家公務員待遇、これで評判が悪いとしたら、求める側が求めすぎです」

「……………」

「もともとの話に戻りましょ。夏子はん、いえ、加賀田大臣が言われたように一元化するのに、うちも賛成です。そのうえで住民基本台帳カードそのものを新たな保険証として発行していきましょ」

「いや、あのカードには記号番号など、何もない。あれではレセプトができない」

「記号番号が必要なんは保険者が何千とあるからですよね。たった一つの保険者、便宜的に記号1もしくは0とか入力してもええかもしれんけど、氏名と生年月日だけで請求できるようにしたらええですやん。あとは同姓同名同一生年月日対策だけしたら」

「負担割合は、どうするのですか?」

「三割を基本として。福祉医療分は………指紋の登録をしてくれた人は二割、さらに髪の毛まで預けてくれた人は一割、母子家庭、中学校までの子供がいる家庭は、子供が一割で、どうです? もしくは、ゆくゆくは逆に指紋登録などをしない人は4割とか5割」

「…………」

「鮎美ちゃん総理って、福井と富山を天秤にかけるのも、そうだけど、人にエサを見せて食いつかせるよね」

「アメとムチは政治の基本ですやん。と、自眠党教育で習いましたよ。市町村合併のときの合併特例債とか、もろアメですやん。で、ムチは市町村議員の総数削減」

「たしかにねぇ。いい教育したね、石永先生」

「……。誉められたと思っておこう!」

 石永が開き直って次の議題に入ろうとするけれど、その前に久野が言ってくる。

「ちょっとね、さっき族議員という言葉が出たんで、気になって言っておきたいのですがね」

 さきほどの議論では厚労大臣の立場が無いのでフォローに入っている。

「私も族議員なんですよ。立派な。なにしろ道路公団出身で議員になって、当然、道路関係のことで働いてきたし、陳情も受け、阪神淡路大震災では、あの倒れた高速道路のイメージが皆さん強いと思いますが、道路復旧にも尽力しました。今だって、あの頃より伸びた高速道路が津波に洗われたのを、どこから、どう復旧していくか、指揮をしてるわけで、これは知識があって、経験があって、そこを見込んで芹沢総理代理が私を国土交通大臣にあててくれているわけですけど、厚労大臣も石永先生が見込んであててくれてるわけなんですよ。畑母神先生だって、防衛族と言われて否定できんでしょ?」

「むしろ、それを自負していますなぁ」

「というわけでね、それぞれの専門性という意味もあるので、あまり族議員という言葉だけで、それそのものが悪いとは思わないでほしいのです」

「はい、わかりました。気をつけます」

 鮎美が頭をさげ、夏子は別の方向性から厚労大臣へ穏やかに言う。

「一元化することで医療事務の負担も減ると思います。これは開業医も病院も、窓口や月初の事務作業を減らせるということで、人件費負担が楽になります。最近、公立病院では直接に雇用せず派遣の方を使っていますから、業務への習熟度が積み重ねられず、あまりに複雑な医療保険制度が、逆に仕事を増やして社会の負担を増しています。一元化は医師にとっても朗報ですよ。また、現状では転職したり無職になったりしたとき、保険証が変更になりますが、この手続きのタイムラグで、その間に本人や家族が病院へかかったとき、実は被保険者の資格が喪失していて、レセプトを送っても返戻になってきますよね。けれど、一元化すれば、返戻にならず、中央で処理し、医療機関の二度手間三度手間、場合によっては取りはぐれ防ぎます。さらに、労災保険とも一元化することで、当初は個人的な鬱として通院していたのに、のちに労災に切り替えたときの処理なども中央で行えますし、返金などの処理も中央で行い病院事務局がタッチしない形にすれば、ずいぶん楽になるでしょうし、そもそも厚生省と労働省が合併したことの、本来の意義を発揮できるはずです。どうでしょう? 厚労大臣、ご一考してもらえませんか?」

「……。そうですね、わかりました。ともかくも、保険証を出さないと、ますます混乱しますし、とはいえ簡単なものを出すと偽造のおそれもある。いっそ、すでに用意されたシステムである住民基本台帳システムを使うのが、よいでしょう。その方向にします」

 あまり険悪にならず議題が終わり、石永が次の議題に入る。結局、朝の閣議と言いつつ昼までかかり、昼食をとりながら話し合って、ようやく終わった。鮎美がタメ息をつく。

「はぁぁ……結局、会議、会議で震災前とやってること変わらんね」

「お疲れ様です」

 大会議室から貴賓室に戻り、鷹姫がお茶を淹れてくれる。一口飲んで鮎美がつぶやく。

「今も現場は大変やろに……会議室で、ご飯を食べながら、椅子に座って話し合うだけかぁ……前にドラマの再放送で見たシーンになぁ、事件は現場で起こってるんだ、会議室じゃない、みたいなセリフがあったような気がするけど、まさに、そうなんやけど、会議室は会議室で事件解決のための最重要決定をしてるんよなぁ……あ!」

 鮎美が声をあげたので鷹姫が問う。

「はい? どうか、されましたか?」

「会議の連続なんは、震災前といっしょやけど、決定的に違うこともあるわ」

「どのようなことですか?」

「のんびり審議したり根回しする時間なんて無く、まして座って聴いてるだけなんてダメで、どんどん決定していかなあかんことよ。省庁退職者の再任用、医療保険制度改革、副都心計画、これら一つ一つでも3年も5年も議論しそうなことポンポンと決めたし、元号も、ほんの数人の数分の話し合い、首都の位置なんか、うち一人の独裁やもん」

「たしかに……」

「そういう意味では、うち仕事してるんやな」

「はい、ご立派です。そして夜にも大仕事があります」

 鷹姫と麻衣子が窓のカーテンを閉めていく。照明も消したので貴賓室が暗くなった。

「では、お休みください」

「ご飯の後って眠くなるよね。おやすみ」

「……こんなときに昼寝なんかしてバチ当たらんやろか……」

 うしろめたそうに鮎美がつぶやくと、鷹姫は断言する。

「芹沢総理は夜になれば、G8の首脳らにオーストラリア、ニュージーランドの首脳を加えた10カ国の首脳とテレビ会議されるのです。休息は当然のこと、ごゆっくりお休みください。休むのも仕事です」

「うん、おおきに。鷹姫も休めたら、休んでおきな」

「はい」

 鷹姫と麻衣子が出ていき、鮎美は制服を脱いで下着姿になると素直にベッドへ入った。時差と相手国の都合もあり、夜になった21時からネット回線を通じて各国首脳と話し合うので、疲れがあっては、とても対応できない。何も考えないようにして眠ろうとすると、外国首脳と話し合うことへの追憶なのか、イスラエルの元大統領で鮎美を邸に招いてくれたエフラヒム・カシールのことを思い出した。

「……イスラエルは、震度1も揺れんと、平和なんかな……あ、医療団を派遣してくれてはるのに、ちゃんとお礼も言えてないわ……」

 今すぐ起きて国際電話でもかけようかと思ったけれど、それでは鷹姫の配慮と期待を裏切ることになるので、また目を閉じた。鮎美は眠ることができて、午前中の閣議だけでも、かなり頭が疲れていたので夢も見ずに16時になって起きた。わずかに余裕時間があったのでエフラヒムとイスラエル外相に国際電話をかけ、医療団派遣の礼を言った。そして、逆にニュージーランドから、大震災前の2月22日に発生した地震で日本人留学生が多数死亡したことの追悼と、このニュージーランド地震への救援として派遣した日本の国際緊急援助隊を3月11日以後も引き上げずに現地で援助活動を行ってくれていることに礼を言われた。実際的には、引き上げようにも、いまだ両国の空港も混乱しているし、いっそ人命救助できる能力があるなら現地で取り組んでもらう方が効率的だ、という鈴木と鮎美の判断で残留させている。とはいえ、日本の被害も甚大なのに援助してくれていることに深く感謝され、また夜の会議でも、これを讃えたいと言われて気恥ずかしかった。

「次の仕事は……」

「国友が会える時間があれば、芹沢総理にお会いしたいと申請しております」

「そんな同級生に会うのに申請とか……まあ、うち、めちゃ忙しいから、しゃーないけど。ほな、会うわ」

 鷹姫が呼びに行き、すぐに泰治と義隆が入室してきた。泰治は普通に鮎美の前に立ったけれど、義隆は自衛隊員たちがしているように敬礼してきた。明らかにノリでやっているのがわかるので、突っ込まずにスルーして問う。

「泰治はん、調子はどう?」

「デマと少数者への迫害を防げって言われたしさ。それなりに成果はあげてるつもりだよ」

「へぇ、すごいやん!」

「ネット上だけど、仲間も募ってさ。三島法務大臣が認証してくれたし。デマっぽい情報が流れたら、それはデマかもしれない、落ち着いて考えて、と流すようにしている」

「少数者への差別は?」

「同性愛者への差別は、地震前後で変わらないよ。むしろ減ったかな。やっぱり在日朝鮮人、在日仲国人への差別と警戒が多い」

「そっか……どの国でも起こる現象やな……。けど、同性愛者への差別は減ったん?」

「まあ、総理大臣が同性愛者だって自分で言ってるから。あと、ボクもネット上でデマを取り締まる部隊の隊長ってことでゲイだって公言してるし、募って集まってくれた仲間もLGBTが多いよ。ハンドルネームだけで参加できる手軽さもあるし。物価統制にも一役買ってる」

「そうなんや、どうやって?」

「やっぱり一部で買い占めする人や企業があってさ、そういうのを目撃した人が撮影したのをSNSにあげたり、買い占めする企業に勤めてる人が良心の呵責から密告してくれたりするから、それがネットで自然に拡散するし、そこへ抗議が殺到したりする」

「炎上かぁ…」

「ひどいと、その企業に脅迫電話とか、放火未遂まで出てきたから、それは警察が動くんだけど、ボクらは炎上されすぎて、買い占めた商品を手放したり定価で売ったりした場合は、もう許してあげよう、でないと、逆に差別というか、迫害になってるからって赦免宣言をすることにしてみたら、うまくいった。まあ、法務大臣認証でバックに総理もいるってのが大きいけど」

「うちの名前が役に立つんやったら、しっかり使こてやって」

「うん、認証を受けるとき、親衛隊っぽい名称にしたからさ」

「まさか、アイドルの親衛隊みたいにへんよね?」

「ははは、それは大丈夫。ちゃんとマジメに、芹沢少数者差別阻止部隊としたよ」

「ほな、ええわ」

 義隆が言ってくる。

「オレらにも何か装備くれよ。銃とか」

「明らかにダメな方向に走りそうやん」

「やっぱりダメか。せめて制服でもあればなぁ。ピシッと決まるのに」

「あんた軍隊的なこと好きやなぁ。戦闘機にも詳しかったし。二人とも学校の制服のままなんやし、そんでええんちゃう。主にネットで活動してるなら、姿形は関係ないやん」

「そうだけどさ。なんか連帯感的なものがほしいだろ? 芹沢がつけてるレインボーとかブルーのバッチみたいな」

「なるほどねぇ。ほな、デザインとかロゴを考えてみぃよ」

「よし。やってみる。にしても、芹沢のネームバリューすげよな、オレらが芹沢の同級生で友達だってわかると、めちゃ協力してくれるし」

「そうなんや?」

「オレにまでファンレター来るぞ。最初は男からだったけど、オレはホモじゃないって公開したら、女子からすげぇくる」

「まあ、世の中、異性愛者が大半やからね。あと、うちや鷹姫へ来るファンレターは党支部で対応してるから、定型的な返事しかせんし。直でメッセージやりとりできるのが、うれしいんやろ。あんまり期待させんときな、うちみたいに刺されるよ」

「「うっ……それは怖いな……」」

 義隆と泰治が異口同音し、義隆が言ってみる。

「オレが仁美と付き合ってるのは、ネットにあげてないんだけどさ。……芹沢、一つ言っていいか?」

「うん、何?」

「オレ、お前が好きになった」

「……ん~……うちがビアンやって覚えてる?」

 唐突な告白に対して鮎美は机に頬杖をついて問うた。あえて自分の顔が可愛くなくなるように頬杖で顔貌を崩し、背中を丸めて姿勢を悪くして胸を隠した。鷹姫は狼藉者から主君を守るように一歩前に出ている。麻衣子は、そんな軽い告白じゃあ女心は動かないよ、とばかり呆れているし、泰治は諦めた顔で肩をすくめている。そんな空気を義隆は読まずに言ってくる。

「覚えてるけどさァ、お前が好きだ」

「…はぁぁ……あんた自由人やな。たしかに、軽く発達障碍かもしれんね。空気読まんというか、相手のこと考えんというか、縛られへん性格してるわ」

「オレと付き合うのダメか? ネットで交流した同性愛者とか、けっこう異性と結婚してる人、ときどきいるぞ」

「あんた、仁美はんは?」

「別れる」

「やめたりぃ。そして、うちはお断りよ。ホンマ、男に、ぜんぜん、まっーーたく興味ないから」

「カモフラージュ彼氏でもいいからさ」

「もう、うちはカミングアウトしたのに、カモフラージュする意味ないやん」

「あ、そっか……」

「あと、うちは結婚してるんよ。不倫はせん!」

 鮎美が首にさげているリングを摘んで見せる。入浴するときも外さないので24時間、これだけは鮎美の身体から離れない。

「そういえば、そうだったなぁ」

「だいたいな、ガチに同性愛なもんに異性が告白しても無駄なんよ。逆に、あんたは泰治はんに好きって言われたやん? それ、受け入れの余地あるの?」

「………いや……ごめん……無理だ……」

「そんな感じなんよ。うちが、あんたに好きって言われても、マジいらんわぁ、ってのが本音」

「そうか………」

「仁美はんと別れんときや」

「ああ、そうする」

「あと! 今の告白、ここだけの話で忘れるし! みんな聴かんかったことにしよな!」

 聴いていた泰治と鷹姫に異存はなかったけれど、麻衣子が言う。

「え~、それヒトミさんって子が可哀想じゃないですか?」

「大浦はん、うちらのクラスの人間関係知らんやん」

「知らないけど、一般的に、ひどくない?」

「そうなん? うちは男女の恋愛、ようわからんけど。単に波風たてん方がええかと思ったんやけど、ちゃうの?」

「だって、もう気持ちが離れて他に告白してるのに、やっぱり付き合うってさ。とりあえずキープちゃんにされてるわけでしょ?」

「う~ん……けど、好きな人が相手にしてくれるんやし、そんでええやん」

「そりゃ、そうだけど……同性愛者って子供をつくらないからなのかなぁ……気持ちが離れてるのに、付き合ってくれても虚しいっていうの、わからない?」

「わかるけど、いてくれへんより、いてくれる方がええやん。あと同性愛者の恋愛感情は、けっこう人それぞれらしいんよ。そら独占欲っていうのはわかるし、一番ええのは相思相愛やけど、男女の結婚でも、三年目の浮気くらいおおめにみろよ、とか歌にあるやん」

「古っ! それ上官でカラオケする人いるんだけど、毎度、私にデュエットを求めてきて、めちゃウザい歌」

「芹沢総理、そろそろ準備してください」

 鷹姫が時刻を見て言ってくる。すでに次の仕事の資料を手に持っていた。その資料にはアメリカ、南米、オセアニア、東南アジア地域の震災被害状況が書いてあり、首脳らとの会議までに鮎美へ説明しておく必要があった。

「そやね。二人とも、引き続き頑張って」

「はっ!」

「頑張るよ。じゃ」

 義隆は敬礼して、泰治は普通に退室した。鷹姫は資料の説明を始める。やはりアメリカはハワイが360度方向からの津波で沿岸部が壊滅し、津波の到達までには時間があったので山などに逃げ延びた人間は多かったものの、今度は残った物資や施設の奪い合いによって多数の死傷者が出ていて、また津波到達前には脱出のための飛行機を奪い合っていた。ハワイへ旅行中で無事に日本へ帰国できた邦人は地震発生前に離陸していて、鮎美たちと同じような幸運によって空で一番の混乱時を過ごし、日本海側の空港へおりられた者だけだった。

「ハワイは、まさにハルマゲドンやね……これは世界の終わりやと、思ってしまうかも」

 タブレットで動画を見た鮎美はタメ息をついた。動画はハワイにいた人たちがスマートフォンなどで撮影したもので、ハワイは銃の所持率が低いので銃撃戦は少ないものの、多様な人種と言語の観光客が多く、やはり同じ人種、同じ言語でグループになり、他のグループと食料の奪い合いになり、素手や椅子、落ちていた石などで殺し合っている。

「……武器が原始人レベルやと、えぐいな……」

「言葉の壁を感じます」

「聖書にあったよね。バベルの塔を造ろうとして、神が人間の言葉を乱して通じんようにしたって話」

「はい、創世記だったと思います」

 陽湖がいないので詳しくはわからないものの、かなり最初の方に書いてあったことなので鮎美も鷹姫も読んだことがある気がするけれど、どうでもいいとしか脳が判断しなかったので覚えていなかった。

「悪魔が乱すならともかく、なんで神さまがやるねん。ホンマ意味わからん宗教やわ」

「神の意志は人に推し量れないそうですが……」

「世界観設定の矛盾を丸投げしただけやん、それ」

「はい、そう思います」

 もう二人ともキリスト教には、かなり反感を持っているので容赦ない。

「だいたい、ハルマゲドンって発想があるから、こんなときパニックになるんやん」

 鮎美は次の動画を見る。津波到達前、空港から離陸できる最後の便になった飛行機に無数の人々が群がり、離陸のために走り出しても翼下の主脚にしがみついて逃げようとする者までいた。

「…………うち……これと似たような映像を……どこかで見たかも……あ、そや、ベトナムから米軍が撤退するときの映像として見たわ。あの人も、この人も無事に到着できたんかなぁ……」

「これほど無理に乗り込む危険を冒すくらいなら、ハワイにも、それなりの標高の山はあるでしょうに……」

「ただ、ハワイは生き残っても食料の供給を、ほとんど外部に頼ってるやろ。あそこの農業とか知らんけど……船の往来も止まってるし………下手したら飢餓の島みたいになるかも……。きっと、まだハワイで生きてる日本人もいるやろに、救援にも行けへん……うちに総理としての責任あるやろに……」

「あまり気に病まないでください。すべてのことに対応することはできない状況です」

「……うん……そやね」

 鮎美はタブレットを置いて、資料をめくりアメリカの状況を確認していく。もう動画を見ると、気持ちが沈むので死傷者は数字として確認することにした。

「アメリカも日本と同じに原発が破損してんにゃ……」

 西海岸にあった原発が破損し放射能漏れや爆発を起こしており、さらに南部の州のいくつかが大統領が黒人であることに反発し、独立宣言をしたり、州兵を動かして西海岸から逃げてくる人々を州境で白人だけは通して有色人種は追い返すなどの差別をしていたり、逆に黒人たちが銃で武装して警察署や州行政府を占拠したりしている。より震源に近かったメキシコからも大量の避難民が押し寄せており、当初は受け入れていたものの、今は壁を築いて追い返すべきだという主張が拡がり、その中心的論者としてミクドナルド・トランプが台頭していた。もともと次期大統領候補として支持を集めていたミクドナルドは、やはり白人からの支持が強く、米軍の一部まで現大統領の命令から離れて彼女の支持に回り、さすがに同士討ちまではしないものの、さながら南北戦争のようになりかけている。

「ミクドはん……やっぱり、もろに白人主義なんや……ミクドナルドの創業一家かぁ……父さんはデブい人やけど、ミクドはんはスタイルよかったなぁ。ツインテールも、よう似合ってるわ」

 鮎美は資料にある写真を見ながら、関空で偶然に出会ったことも思い出している。金髪のツインテールは印象的だった。麻衣子が異議を唱えてくる。

「え~、この歳でツインテールは痛くない? たしか39歳でしょ?」

「ちょっと痛いのが、イタ可愛いねん。支持する気持ちわかるわぁ」

「たしか、あの一族って女性は代々ツインテールじゃなかった?」

「らしいね。創業者がそうやったから引き継いでるって。このミクドはんもツインテールな上、どんなに寒いときでも演説するのに肩も腋も出たデザインの服でアームカバー、下はミニスカートなんや」

 鮎美は興味が湧いたので自分のスマートフォンでミクドナルドについて英語で調べると、かなりの情報が出てきた。実名登録型のSNSに載っているミクドナルドの写真を見ている鮎美の目が彼女の顔や足より、腋ばかり見ているので麻衣子は感じた。

「………」

 うわぁ、やっぱり同性の腋が好きなんだ、こいつ腋フェチ総理だ、同性愛者の恋愛感情もそれぞれなんて言ってたけど、フェチもそれぞれなのかな、三井陸曹は絶対に自分の筋肉にフェチなんだろうなぁ、まあ、私も男の筋肉大好きだけど、男はやっぱり上腕二頭筋だよね、腋あたりの大胸筋もいいけど、きっと三井陸曹なら私を片手でヒョイと抱き上げてくれそう、なんで三井陸曹はゲイかなぁ、ノーマルだったら超好みなのに、と麻衣子は一目惚れしかけて忘れようとしている男を想った。

「にしても、アメリカの状況がここまで、ひどいやなんて……」

 そら日本から撤退するわ、よその国どころやのうて自国が分裂しかけてるやん、鷹姫にだけは米軍撤退のこと言うておきたいけど、やっぱり機密は守らなあかんし、と鮎美は迷いつつも次は南米の資料を見る。

「南米は予想通りやな。もともと通貨が安定してなかったし、米ドルに頼るわなぁ。さらに避難民で大混乱か……」

 さらにオセアニアの資料へ目を通した。

「オーストラリアは、軽い被害で済んでるんやね。シドニーは震源地から遠いし。けど、海軍のダメージが大きいんか……。ニュージーランドは二回も地震に遭ったわりには秩序を保ってはるわ。南洋諸島は、情報も入ってこんにゃね………津波が無くても地球温暖化の海面上昇で消失しかけてた国があるくらいやもんな……カヌーにでも乗ってはったら少しは生き残ってるかな……無理か、あの津波にカヌーなんて、笹舟同然……」

「東南アジアも大きく混乱しています。インドネシアなどでは伝染病が拡がっているそうです」

「日本も気温があがってきたら気をつけんとね」

 資料を見終えた鮎美はティーカップから一口ミルクティーを飲み、ソーサーにカップを戻してから気づいた。

「うちは冷たい人間やわ……日本人が1000万人単位で死んだって情報に接したときは、お腹が冷たくなって胸が苦しかったのに、他の民族やったら億単位が死んでるのに、優雅に紅茶を飲んで………この大震災前かって、アフリカで難民が100万人、死んでます、毎年、って情報を聴いても、美味しくミクドでミックシェーク飲んでたもん」

「「………」」

「きっと、この大震災に関係ない地域の人らは、のほほんとしてるやろね。まあ、それでええんやけど。人類全体で悲嘆してもしゃーないし」

「「…………」」

 鷹姫も麻衣子も答えるべき言葉が見つからず黙っている。鮎美は冷める前にミルクティーを飲み干した。資料を見ているうちに時刻は19時前になっていた。

「芹沢総理、ご夕食の時間になりました。準備いたします」

「鷹姫もいっしょに食べよ。ここで」

「はい」

「大浦はんも、いっしょに食べよ」

「私は……では、お言葉に甘えて」

 貴賓室で三人いっしょに食べることになり、すぐに鷹姫と麻衣子が準備した。今夜のメニューは加賀茄子と白エビの天ぷら、大根とニンジンの味噌汁、ホウレン草とジャガイモのサラダ、白米、オレンジだった。

「「「いただきます」」」

 手を合わせて食べ始めてから鮎美が思った。

「これだけ贅沢なご飯、うちらは食べられてありがたいもんやね。陽湖ちゃんやないけど、祈ってから食べてもええくらいやわ」

「………はい、そう思います」

「ヨウコさんって、どんな人?」

 オレンジから食べ始めている麻衣子が問うた。

「変な宗教やってる友達」

「うわぁ……」

「鷹姫、これと、これ。半分食べて」

 鮎美が天ぷらとサラダを鷹姫へ分ける。麻衣子は天ぷらを味噌汁につけてから食べた。

「あんた食べ方が変やなぁ」

「え? これ、美味しいよ」

「まあ人の好みは、それぞれやし、ええけど」

「誘われたし、いっしょに私も食べてるけど、これ見つかって怒られないかな?」

「なんで? もしかして、この食事、盗んできたん?」

「ううん。ちゃんと支給されてる分だよ。ただ、私の階級って自衛隊内で一番下なの。なのに総理と普通に、ご飯ってヤバくないかな? 防衛大臣とか司令と食べてる人なのに」

「ええんちゃう。被差別階級やあるまいし」

「だよね」

 三人で食事を終えた頃、夏子と鈴木が貴賓室を訪れてきた。二人とも首脳らとの会議に陪席する予定できている。鮎美は二人と事前の話し合いを行い、鷹姫と麻衣子はネット会議の準備のため机や椅子を並べ替え、多数のモニターやウェブカメラなども用意する。開始ギリギリになって静江が富山から戻ってきた。静江の口からアルコールの匂いがしたので夏子が眉をひそめる。

「まさか呑んだの?」

「すいません。断り切れなくて」

「まったく。まあ、三人とも英語ができるからいいけど、通訳が酔ってくるとか、ありえないし」

「はい、すいません」

 静江は富山市で生ビール2杯、日本酒1合ほど呑んでいてフラついてはいないけれど、かなり匂う。誤魔化すために香水をふっているので余計に臭い。夏子は同性らしい批判的な目を静江に向けて言っておく。

「カメラに映らないようにしなさい」

「はい」

 会議が始まった。フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ、ロシア、オーストラリア、ニュージーランドの首脳がネットを通じて会する。日本以外は陪席者はなく首相が一人でモニターに映っている。外務大臣と財務大臣である鈴木と夏子を鮎美が陪席させることは事前に通知してあったし、鮎美の18歳という年齢を考えれば、各国の首脳たちは当然と思っているようだったけれど、強い注目は感じる。まずはオパマ大統領が犠牲者への追悼を捧げる形でスタートした。

「…すべての犠牲者に対して心から哀悼の意を捧げます」

 次にニュージーランドの首相が口を開き、鮎美へ2月の地震で日本が派遣した国際緊急援助隊をニュージーランドから引き上げずにいてくれることの礼を言い、花をもたせてくれる。鮎美は在日米軍を撤退させるというオパマ大統領の表情が気になったけれど、鈴木から、なるべくカメラレンズを見て話すように言われていたので、それを守りつつ返答する。

「お礼を言われると恥ずかしくなります。正直にいえば、引き上げるだけの余裕がなく、そうであるなら、いっそ派遣先で一人でも多く救助していてもらう方が合理的ですし、人類皆兄弟と言いますから、ニュージーランドの方が助かるなら、それは私たちにとっても大きな喜びです。そして、私からお礼を言いたいのは、ヨーロッパの方々です。すでに表明いただいた義援金はもちろんですし、月曜から為替相場の固定に協力していただき、本当にありがとうございます」

 まだ為替相場は地震前から大きく動いておらず、わずかにドルと円が安くなり、ユーロが上がった後は固定され、固定に参加しなかったロシアのルーブルとブラジルのレアルが5%ほど上昇したものの災害の規模に比べれば微動と言えたし、複数の通貨に連動させた通貨バスケットによる管理変動相場をとる仲国の元も変動していない。もっとも値下がりしたニュージーランドドルでさえ7%以下の変動にとどまっていた。ドイツの女性首相が言ってくる。

「それこそ、お礼を言うのは私たちの方ですよ。アユミがIMFに素晴らしいマニュアルを与えていたおかげで、これほどの災害なのに大きな相場の混乱が起きていません。ありがとう」

「いえ、ご協力あってのことです。市場で金は大きく値上がりしていて、これは実質的な全通貨の通貨安です。その痛みを分かち合ってくださる諸国に感謝しております。また、あのマニュアルはニュージーランド地震のおりに私が言い出しただけのことを、ここにいてくださる財相の夏子さんとIMFのドミニク氏、それに今は行方不明の私の愛する人が作り上げてくれたものですから、功績は彼女、彼らにこそあります」

「ドイツは日本へ惜しみない支援をお約束します」

「ありがとうございます」

 ドイツに対抗意識が芽生えたのか、イギリスの首相が言ってくる。

「イギリスも日本へ惜しみない支援をします。アユミに一つ訊きたいのですが、いいかな?」

「はい、どうぞ」

「アユミは今回の大地震を予知していて、かつて日本に降臨したというヒミコのように人々を導いている気持ちなのだろうか?」

「え………」

 一瞬、鮎美の頭が真っ白になる。まさか、卑弥呼に並べられるとは思ってもみなかったし、自分に予知能力があるなどと考えたことは一度もない。冗談として問われているのか、どういう意図なのか読めず鮎美が固まっていると、ロシア大統領のドミトリー・フーチンが失笑して言う。

「フっ、あいかわらずイギリス人はファンタジーが好きのようだ。だが、訊いてみたい気持ちはわかるな。アユミ、どうだろう?」

「……あ、はい……いえ、……私は予想はしても予知はしません。地震の予知などできません」

「そうか。お互い忙しい身だ。時間を大切にしよう。日本の原発事故は、どうなっている? どの程度の被害だ?」

「……。正直に申し上げますが、マスコミや国民への周知は慎重になさってください」

 ネット回線なので100%の安全はないけれど、それなりには防諜対策されているはずなので鮎美は話すことにした。津波で海中に引き込まれた原子炉、地上に露呈してメルトスルーを起こした原子炉、水素爆発を起こした原子炉について、わかっている限りの情報を話した。

「とてつもない事態ですが、5キロ圏内ではレントゲンを数回浴びる程度の被害です。そう計測しています。長期の被害は予想できません。むしろ、チェリノブイリを経験されたロシアの方に問いたいのですが、どうなるでしょう、ここから事態は? 国民の健康は?」

 鮎美の率直な問いに、フーチンは表情を変えず少しだけ眉をあげると、答えてくれる。

「近づかなければ、どうということはない。国土の狭い日本には気の毒なことだが、我々が生きているうちに、そこへ近づくことはないよ。若いアユミが今から100年を生きても」

「………」

 鮎美は黙って指先で横髪を耳にかけた。

「アメリカ西海岸も原発事故を起こしているが、どうだろう? オパマ大統領」

 フーチンが素早くオパマに問いかけた。その質問を予想していたオパマは、ゆっくりと両目を閉じてから答える。

「いたましい事故で現場では、つらい思いをしている人たちがいます。事故の状況や様態は日本と同じです」

 それ以上の詳しい説明はしなかった。鮎美はチェリノブイリを参考にしたくて問う。

「フーチン大統領、近づかないことしか、ありませんか? これから自然環境の回復などは、どうなるでしょう? 人々の暮らしは?」

「近づかないのが一番だが、できるならコンクリートで固めてしまうことだ。自然環境は、むしろ活発なほどになる。人が入らないからな。奇形種もたいして産まれない。現場は緑に包まれている。人々には近づいて暮らすなと禁じたが、一部は帰郷している。その者たちにも目立った健康被害は見られない。ようするに、それほど心配するようなことではなかったのだ」

「……そうですか、ありがとうございます」

「ヒロシマやナガサキは66年を経って、どうだ? 自然環境は? 人々の暮らしは?」

「はい、自然環境に問題はありません。今、暮らしておられる方も大勢います。ただ、被爆された方は、やはり苦しんでおられます。今でも日本には、そのための健康保険制度があるくらいですから」

 午前中の閣議にあった資料で鮎美は初めて原子爆弾被爆者に対する特別な医療制度があることを知ったけれど、とっさに口をついて出ていた。さらにフーチンが問うてくる。

「この地震後、日米の協力関係は、どうだ?」

「あ、はい。いつも通り、協力してやっています」

 鮎美は自分でも驚くほど、さらりと嘘をついた。あえて不意をつくように問うてきたフーチンの質問に少しも動じなかった。陪席している夏子と鈴木へも在日米軍撤退の話はしていないので二人の様子も変わらない。フーチンは鈴木へ声をかける。

「ムネオ、久しぶりだな」

「はい、お久しぶりです。フーチン大統領」

 鈴木はニコニコと親しみを込めた笑顔で応じた。フーチンの青い瞳が鮎美と鈴木を見ている。

「アユミは賢いな。ムネオに助けをもとめたのは正解だ。彼女は私の知る限り、日本で、もっともすぐれた政治家だ。その手腕を恐れられて不当に逮捕されるほどな」

「「………」」

 鈴木は謙遜から、鮎美はどう答えていいかわからず、二人とも沈黙した。フーチンは少しだけ微笑んだ。

「ロシアも惜しみない支援を送りたいところだが、カムチャツカ半島の被害も大きい。さしあたってルーブルの変動をさけることで協力しよう」

「はい、ありがとうございます」

 その後はイタリアとフランスが被害国への支援を約束し、会議は終わった。終わった途端に夏子が鮎美へ抱きついてくる。

「鮎美ちゃん総理すっごいよ!」

「うわっ?!」

 押し倒されそうになって鈴木が支えてくれる。

「な、なんですか?」

「鮎美ちゃん、超すごい! 私ビビって一言も出なかったのに、なに普通にフーチンとまで話してるの?!」

「そら、話しかけられたら、答えなあかんし。チェリノブイリは絶対、訊きたかったから」

「いやいやいや、彼に向かってチェリノブイリとか言い出した瞬間、私は背中がゾクってしたよ。なに言い出すの、この子って。ぶちギレられたら、どうしようかと思ったよ」

 鈴木も頷いて言う。

「ええ、あれは私も肝が冷えました。フーチン大統領に向かってチェリノブイリという言葉を発した人間は、きっと数えるほどもいませんよ」

「そうなんや……」

「鮎美ちゃんがチェリノブイリって言った瞬間、各国みんなギョッとしてたもん!」

「してましたねぇ」

「あかんことやった?」

「ダメじゃなかったよ。結果的には。鮎美ちゃんが、あんまりあっさり訊くから彼も、かなり正直に答えてる感じだったし」

「ほな、よかったやん。めちゃ参考になったし。結局、コンクリかけて封印しかない。被害は、あんまり無い。超重要な情報やわ」

「まあね、一応、意趣返しにヒロシマナガサキの話を持ち出されたけど、あれは、どっちかというとアメリカへの嫌がらせだし」

「何にしても私も疲れました。ウォッカでも飲んで休みたいくらいです」

 そろそろ日付が変わるので、明日のために解散となり、鷹姫と麻衣子は風呂の用意をしてくれてから退室した。鮎美は一人になって入浴する。

「あ~疲れた。今日もハードやったわ」

 昼寝のおかげで体調は悪くないけれど、やはり疲労している。髪を洗ってからネックレスでさげている結婚指輪へ触れた。

「…………詩織はん……あんたのおかげで世界の通貨は安定したんよ……これは、ものすごいことなんよ……ノーベル賞10個くらい贈りたいわ。詩織はんは何億、何十億って人を助けたんよ……ぐすっ……」

 泣かないようにしてベッドに入ると、早く眠ることに努力した。

 

 

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