第49話 3月4日 行旅死亡人、葬式仏教、姉として
翌3月4日金曜午前5時、伴侶として議員宿舎のカードキーを持っている詩織は時差のある海外との調整業務を終えて、鮎美の部屋に入った。鮎美は裸で眠っていて一糸まとわぬ姿でありつつ結婚指輪だけはしてくれている。
「今、世界が一番注目している存在がこの手の中に。フフ」
鮎美の無防備な寝顔と、警戒厳重でSPも多数ついているのに、やすやすと自分は近づける状況に、詩織は背筋が沸き立つような快感を覚えた。
「フフ、最高にごきげんです」
今すぐ鮎美を殺しても大きな歴史的事件になるけれど、まだもったいない。まだまだ成長してくれると想っているし、大臣にもなってくれるはずで、どこが頂点か見極めてから盛大に殺すつもりだった。
「死は人の価値を最高の状態で高めるのです。ナユも都議として絶頂期に殺されて、きっと同性婚の母と呼ばれます。鮎美はジャンヌダルクや織田信長を超えてください」
学生時代からドイツにいたので、あまり日本の歴史を知らないけれど、さすがに信長秀吉家康くらいは知っていた。一人言を漏らしていたのと、午前5時には訪ねると予告していたので、鮎美が目を覚ました。微笑んで両手を伸ばして求めてくれる。
「おはよう、鮎美」
「お疲れ様です、詩織はん。進捗は、どう?」
「そんな話、あとでいいじゃないですか」
「うん、ごめん」
キスから性行為を始めて、服を着ている詩織を鮎美が脱がせる。
「鮎美のご要望通り、昨日からシャワーを浴びていません。こんな可愛い顔して匂いフェチなんて意外です」
「詩織はんの匂い、好きよ」
脱がせた詩織の腋を嗅いだ。汗の匂いがして鮎美は起き抜けの脳が興奮するのを自覚する。詩織は四分の一がドイツ人だからなのか、体臭も顔立ち同様に少し違う。美味しそうなチーズフォンデュのような匂いと、使っているシャネレの香水の香りがして、鮎美は舌で詩織の腋を舐めた。詩織も鐘留と同じようにレーザー脱毛していて毛穴一つ目立たない。その美しい腋を舐め続けていると、くすぐったがられた。
「フフ、くすぐったいですよ」
「詩織はん、けっこう鍛えてるんやね」
詩織の身体は女性らしくもあるけれど、腹筋や腋まわりの筋肉が発達していて優美な雰囲気と裏腹で意外だった。鷹姫や介式が逞しい筋肉をしているのは意外ではなく予想通りだけれど、腰まである明るい色の髪を整えている詩織が介式や鷹姫なみに鍛えているのは本当に予想外だった。鮎美は腋の前壁を形成している大胸筋を舐めながら、腹筋に指先で触れ、詩織のショーツも脱がせた。裸にされた詩織が問う。
「もうシャワーを浴びてきていいですか?」
「もう少し楽しませてよ」
「自分の匂い、イヤなんですよ」
「あと、ちょっとだけ。反対の腋も」
鮎美は抱きついて舐め続ける。
「本当に人の性癖って見た目ではわからないものですね」
「ハァ…詩織はん……男と付き合ったこと、何回くらいあるの?」
「過去は過去です」
「……。また、未来にも男に興味もつのん?」
「そんな可愛くて不安そうな顔をしてくれるうちは鮎美だけですよ」
お返しに詩織も鮎美の乳首を吸ってから腋を舐める。詩織が要望した通り鮎美は昨夜も毛を剃ってくれていて可愛らしい。陰部が無毛なのも18歳という年齢以上に幼く見えて14歳くらいに感じた。その陰部に舌を這わせて一度、鮎美に絶頂してもらい、詩織はシャワーを浴びる。シャワーの途中で鮎美が入ってきてバスルームでも抱き合った。揚がってからも髪を乾かす時間も惜しくて暖房の設定温度をあげてからベッドに二人で倒れ込む。舐め合って眼球以外の全身に舌を這わせ合い、絡まり合って2時間以上を過ごす。
「ハァハァっ…ぅあんっ…イクんっ…39」
「私もです、ぁあっ…40…」
ベッドに向かい合って横になり、お互いの右手を陰部に、左手を胸にやり、愛撫し合いながら鼻先と鼻先がくっつくほど顔も寄せ合って、相手の瞳を見ながら絶頂し、その数をカウントしていくという詩織が提案したプレイをしている。
「…んっ…88……もう…ギブ…」
「達成するか、死ぬまで続けます。あと12回ですよ。百回向(ひゃくえこう)まで」
「…ハァ…ぁぁ…ハァ…」
鮎美は息も絶え絶えになっている。お互いを絶頂させる回数の合計100回まで続けるというプレイだった。けれど、半分の50を過ぎたあたりからもう鮎美は快感に溺れてしまい、一人で何度も絶頂させられている。あまりに連続で絶頂させられると、本当に呼吸が数十秒ほど止まってしまうのだと実感していた。
「はひっ…ひあっ…」
「ほら、96です。あと4回ですよ。フフ、蕩けた顔して、だらしなくヨダレまで垂らして、芹沢鮎美のこんな顔を知っているのは私だけですね」
「んっ…98…ハァ…ハァ…」
やっと昇天地獄の終わりが見えてきたけれど、鷹姫が玄関から入ってきた気配がする。そろそろ出勤時刻なので、こちらに来る。
「ごめん、詩織はん、やめて」
「あと2回です」
「だって、鷹姫が…」
「宮本さんに見られながら、イってください」
「そんなの嫌よ」
「嫌なら、私をイかせてください。もう、ずっと鮎美だけでカウントしていますよ」
「……」
「おはようございます。芹沢先生、芹沢さん」
鷹姫が入室して挨拶してくれる。二人がベッドで裸になって抱き合っていても、それは昨日も見かけたことなので鷹姫は驚かず、鮎美の制服を準備し始める。詩織と鮎美が性行為をしている現場を見ても、ただ単に女子更衣室や女湯で二人を見たときと同じような反応の薄さで、気持ち悪いとも、微笑ましいとも想われていない感じだった。
「芹沢先生、お時間です。起きてください」
「…んっ…」
鮎美はベッドから起きようとしたけれど、詩織に捕まる。捕まえた詩織が指先と舌で愛撫してくる。
「ハァ…くっ…」
このまま鷹姫の前で絶頂させられるよりは、鷹姫の前で詩織を絶頂させてやろうと、鮎美も反撃した。二人が激しく攻め合う。
「「…んっく…ああっ!」」
ほぼ同時に絶頂し合った。
「「ハァ…ハァ…」」
「そろそろ顔を洗ってください」
「……鷹姫…」
鷹姫からは嫉妬も嫌悪感も感じない。ごく純粋に朝食会への遅刻を心配してくれていた。詩織は達成感に満たされつつ、ベッドに寝転がる。
「フフ、百回向、できましたね」
「…朝からハードやったわ……はぁぁ…」
鮎美は恥ずかしさを隠して下着をつける。鷹姫が興味をもって問うてくる。
「百回向というのは仏教用語だったと思いますが?」
「高校生なのに、よく知っているのですね」
「母が亡くなった後、法要が続きましたから。牧田…いえ、芹沢さんもご両親の供養を?」
「ええ、私たちは幸せです、ご安心して永眠くださいと百回向いたしました」
二人の会話が理解できず、鮎美はスマートフォンで百回向の意味を調べてみた。
「……成仏を祈って供養すること……その回数に応じて……って、めちゃバチ当たりやん。うちは、てっきりエロ系の言葉やと思ったのに……」
「フフ、私の用法です。でも、きっと供養になりますよ」
「「………」」
「鮎美は国会で頑張って来てください。私はお昼前まで、ここで休ませてもらいます」
詩織が鮎美の枕を使う。愛おしそうに匂いを嗅がれると、恥ずかしいけれど嬉しい。
「うん、ゆっくりしてな。週末やし、うちと鷹姫は夕方から地元に帰るけど、詩織はんも、いっしょに来る? うちの両親に……挨拶とかする? ……結婚したし」
鮎美が戸惑いつつ問い、詩織も閉じていた目を開いた。
「そういう風習も………同性婚だと、ご両親も、どういう顔で会うべきか迷われると思います。もうしばらく時間をおいてからの方がよいのではないですか。お義母さんも妊娠されているそうですから。あと、私はお昼から夏子とハワイに行きます」
「えっ?! なんで?!」
驚く鮎美へ、意地悪く詩織は微笑んだ。
「さあ、なぜ、でしょう?」
「なんで加賀田知事となんよ?! どういうこと?!」
「芹沢先生、そろそろお時間です」
「詩織はん! どういうことよ! 二人でハワイって何?!」
「フフ、そんなに慌てなくても不倫じゃないですよ。夏子はノーマルですし。単に土日にハワイでドミニク氏を中心として連合インフレ税についてフォーラムを行うので、そのコーディネーター役をしているだけです。参加表明した国々の調整と、鮎美が先日のニュージーランド地震のさいに言い出した大規模災害時の為替固定プランについて仮のマニュアルを作る。夏子は一応、日本代表の一人、あと畑母神知事も来てくれます。提唱元の日本からの参加が国政関係者や財務外務の官僚でなく自治体首長というのが残念ですが、畑母神知事は小笠原と尖閣諸島を視察する日程を遅らせて参加してくださりました」
「そうなんや……そんな大事そうな会議……うちも見てみたいわ。うちのレベルでは足りん?」
「私も参加してほしかったのですけれど、月曜になる帰国日程が国会遅刻になることと、石永さんが鮎美に週末は実家で過ごさせると言われるので諦めました」
「そうやったの……うん、今回の週末は地元日程なしで休暇にしてくれはるから、ホンマ久しぶりに家へ帰れそうやわ」
「次、抱き合えるのは火曜朝になりますね。それまで淋しいです」
そう言ってキスをして指を挿入してくるので鮎美もお返しする。
「芹沢先生、そろそろお時間です」
鷹姫は素早く制服を着られるように下着や荷物を並べてくれている。ギリギリになって朝食会と国会へ出席すると、眠主党政権には激震が走っていた。前原外務大臣が在日の麗国籍女性から献金を受けていたことが明らかになり、大臣の辞任を迫られていた。その紛糾した国会が終わると、鮎美は地元へ帰る予定だったけれど、鷹姫が極秘という顔で耳打ちしてきて、谷柿がいる部屋に呼ばれた。
「お呼びでしょうか」
「お互い忙しい身ですから単刀直入に言っておきますよ」
いつも穏やかな谷柿からも政権に走る激震を、どう利用するか、様々な手段を講じているという気配がした。
「はい」
「もし、鳩山総理が再び芹沢先生に、何らかの大臣などのポストを提示して勧誘してくることがあれば、即答せず谷柿に相談してから答えると、言ってください」
「はい」
「以上です」
「……。質問してもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ」
「即答を迫られると思うのですが、そのときは、どうすればよいですか? まして自眠党総裁に相談すると言うと……結局、断るのだと鳩山総理も予想すると思うのですが…」
「それも折り込み済みです。芹沢先生は一度目、最少不幸なにがし大臣という思いつき大臣を断っている。もしも鳩山総理が再び声をかけることがあるなら、本当に藁にもすがる思いで言ってくるはずです。即答で断らない限り、こちらの条件を飲ませることができるかもしれない。そういうことです」
「……さすが……わかりました。おっしゃる通りにいたします」
「芹沢先生は慎重な人ですね。それに賢い」
「……いえ…」
「何が、わずか18歳で君をそうしたのでしょう……」
「………」
「同性愛者として、それを隠して生きてきた苦悩が経験になっているのかもしれませんね」
「……………………」
鮎美が答えに困って黙っていると、谷柿は微笑した。
「詮無いことを言いました。忘れてください。以上です」
「はい、失礼します」
鮎美が背中を向けかけたとき、谷柿が呼び止めた。
「あ、あと」
「はい?」
素早く振り返ったので鮎美のスカートがあざやかに舞った。谷柿が心を込めて言ってくる。
「芹沢さん、ご結婚、おめでとうございます」
「っ…ありがとうございます」
鮎美は感激して頭をさげ、退室した。廊下で待っていた鷹姫が問うてくる。
「谷柿総裁から何と?」
「うん………仮定の話やし、鷹姫にも黙っておくわ」
「わかりました。一件終わった直後で、しかも帰郷前ですが、さらに一件、芹沢さんから連絡が入っています」
「…? ああ、詩織はんな。誰かと思たわ」
「奥様と言う方がよろしいですか?」
「う、う~ん、それやと、うちが旦那みたいやん?」
「では、あちらを旦那様にしますか?」
「……そういうのとも……ちゃうような……。夫婦同姓の真似すると、こういう文化的言語的な障壁があるんや……奥様と奥様も変やしなぁ……今後の課題やね。猫とかタチ、お姉様みたいに、役割を言葉にしてるの、わかった気がするわ」
「……姉の役割…」
鷹姫は腹違いの妹たちのことを想った。姉として、きちんと役割を果たせているか、考え込む。鮎美も、かりに詩織をお姉様とした場合、自分もそう呼び、さらに鷹姫などの周囲にも姉という風に呼んでもらうのか、考え込む。さきほどの場合でも、詩織お姉様から連絡が入っています、と鷹姫に言ってもらえば情報として理解はできるけれど、なんだか恥ずかしいし、あまり自分はお姉様と呼びかけるビアン文化とは親和しにくい気がする。それでも、鷹姫のことは呼び捨てているのに、詩織へは詩織はん、と訛った敬称をつけているのは、やっぱりお姉様扱いしているのかとも考え込む。
「「…………」」
鷹姫と鮎美は、それぞれに姉という言葉を別の意味で考え込み動かない。さらに二人の周囲にはSPもいるので、谷柿へ次の面会者が来ていて邪魔だったので、どいた。鮎美が鷹姫に問う。
「で、その、さらなる一件の内容は?」
「はい、水田元議員が危篤状態で芹沢先生に会いたいと呼ばれているそうです。芹沢詩織さんは会う必要はないが一応は伝えるので、ご判断ください、とのことです」
「……あの人が……危篤って、……なんで?」
「多発性潰瘍性大腸炎を発症し、どんどん悪化していたそうです。おそらくは激辛の香辛料を大量に摂取したことと、逮捕前後の精神的ストレスが原因ではないかと」
「…まさに……死のソースやん……」
「会われますか?」
「……会うわ」
鮎美と鷹姫はSPたちと都内の警察病院へ移動した。病院内の集中治療室に水田がいた。点滴や呼吸器につながれ、下痢か血便がひどいようでオムツを着けているし、カテーテルで尿も採られている。その尿はパックに貯められているけれど、鮎美が入院していたときのような薄黄色の透明な尿ではなくて、濁った尿で黄白濁(おうはくだく)していた。最後に見かけたときより痩せ細っていて一瞬、誰だかわからないほど顔貌も変わっていた。
「水田はん……」
「…ハァ…ハァ…来て…くれたの…ハァ…」
もう頭を上げる体力もないようで上を向いたまま水田が言った。
「水田はん……頑張ってください……まだ、若いんですし…」
今にも死にそうな人を、どう励ましていいか、鮎美は迷いつつ言ったけれど、水田は苦しそうに嗤った。それは自嘲だった。
「…フフ…私は…ハァ…もう…ハァ…終わりよ…ハァ…フフ…」
「そんな…」
「最期に、あなたに…ハァ…言っておきたい…ハァ…ことが…ハァ…あるの…」
息も絶え絶えに水田は語り始めた。それは身の上話から始まり、水田が二十代後半で交通事故によって両親を亡くし、そのとき入った多額の賠償金を選挙資金に日本一心党で活躍するも前回の総選挙で落選したこと、一人っ子で兄弟はおらず、親も一人っ子同士の結婚だったので危篤になっても駆けつけてくる親戚がいないこと、日本一心党も盗撮容疑で逮捕されると同時に除名処分になったので、このまま死ねば遺体の引き取り手もないことを、途切れ途切れに話した。
「…ハァ…言っておいてあげる…ハァ…あなただって…ハァ…今はチヤホヤされても…ハァ…すぐに、若い子が出て来て…ハァ…あっさり捨てられるのよ…ハァ…3年後…ハァ…6年後…また、どうせ十代のクジ引き議員…ハァ…が出るわ…ハァ…政治はね…ハァ…結局、男の…ハァ…世界なの…ハァ…女は飾り…ハァ…飾りの花は新鮮な…ハァ…方が…ハァ…いい…ハァ…フフ、私みたいに…ハァ…ならないことね…ハァ…」
「……ご忠告ありがとうございます」
「ハァ…あなたが…ハァ…同性愛者じゃなきゃ…ハァ…ちゃんと結婚しておきなさい…ハァ…とも言ってあげたいけど…ハァ…同性愛者じゃ…ハァ…余計なお世話よね…ハァ…ううん、同性愛者でも…ハァ…結婚しておくべきよ…ハァ…ちゃんと男と…ハァ…せっかく子宮あるんだから…ハァ…子供を産みなさい…ハァ…淋しいわよ…ハァ…一人は…」
「………」
「芹沢先生は先日、ご結婚されました」
「…へぇ…ハァ…男と?」
「鷹姫、余計なこと言わんでええよ」
「すみません」
「ハァ…男と結婚したの? ハァ…」
「女性同士ですけど、パートナーになる約束をしました。弁護士を介して水田はんと折衝していた牧田とです」
「…ああ…ハァ…あの……嫌な感じの女…」
「詩織はんは………いい人です。嫌な感じがするんは誤解です」
「フフ…ハァ…」
嘲笑した水田は、さらに何か言おうとしたけれど、そこで呼吸が止まった。集中治療室にいた看護師たちがバタバタと動き回り対処したけれど、息を吹き返すことなく亡くなった。看護師が鮎美に問うてくる。
「ご家族の方ですか?」
「いえ」
「ご家族は?」
「話を聴いた限り、おられないようです」
「……。遺体を引き取っていただけますか?」
「うちが……?」
「芹沢先生に、そのような義理はありません」
きっぱりと鷹姫が言った。なおも看護師は押しつけるように言ってきたけれど、もう地元へ帰る時間が無くなるので病院を出た。
「あの看護婦らの態度なんやねん!」
「実に非礼です」
鷹姫も憤慨している。急ぎ東京駅へ向かいつつも、鮎美は腹に据えかねる様子で文句を言う。
「すぐにでも遺体を病院から放り出したいみたいに言いながら! 治療費の支払いは、どうなるか、うちに訊くとか! お金取って遺体放り出したいの丸見えやん! っていうか、隠しもせんし! 病院の運営方針どうなってるねん!」
「おそらく面倒な手続きを、誰かに押しつけたかったのでしょう。私たちとて、あの水田の葬儀を行うなど、願い下げですから」
「……そやね……可哀想な最後やったけど、……あそこまで苦しむことも……」
「芹沢先生が議員であることはバッチを見ればわかったでしょうに、それに警護のSPも多いにも関わらず、あのような態度で押しつけようとするということは、他の市民であれば、かなりの圧力になるかと思います」
「たしかに……まあ、看護師さんの中には夜勤とか頑張りまくって、ほとんどテレビを見んから、うちが議員やって、いまだに知らん人いるよ」
「夜勤ですか……たしかに、睡眠不足で業務にあたっているのであれば、あのような態度も……」
二人とSPたちは東京駅から新幹線に乗った。疲れていたけれど、すぐに眠れず話題は遺体のことになった。
「あの人……行旅死亡人(こうりょしぼうにん)と同様の扱いになんのかな?」
「はい、おそらく。身元が判明していても遺体の引き受け手がありませんから」
「最近、行旅死亡人も増えて問題になってるらしいね」
普通の女子高生は知らない言葉だったけれど、静江から教え込まれたので鮎美も鷹姫も行き倒れの死体を行旅死亡人と言い、遺体を引き取る者がいない場合も同じ扱いになることを知っていた。
「市町村の費用で火葬するらしいやん」
「はい。所持していた財産があれば、それをあてるそうですから、元議員ですし十分にあるでしょう」
「それが、そうでもないらしいわ。詩織はんから示談の途中報告あがってたけど、財産らしいもんは無いって」
「……。では、公費での火葬になりますか……」
「公費いうても最低限で棺桶代と、読経代くらいらしいやん。その読経代も普通の葬式は30万から80万ぼるのに、行旅死亡人の場合は良心的な僧侶が1万円くらいで引き受けるらしいわ」
「ずいぶんと価格に開きがあるものなのですね」
「ぼったくり商法の典型やん。水商売より、ひどいわ。うちの父さんな、前から不満に思てて自分の父さん、つまり、うちの爺ちゃんが一昨年亡くなったとき、喪主やった兄さんと相談して、寺に電話かけるとき、うちは貧乏で5万円しか払えません、それでも来てくれはりますか、と頼んだらしいわ」
「それで読経してもらえたのですか?」
「定価のあるもんちゃうしな、坊主も断るに断れんやん。仕方なしに来よったよ。戒名も要らんいうたけど、なんか、それなりのがついてた」
「……鮎美の家は貧しくなかったと思いますが?」
「うん。普通よ。っていうか最近、感じるけど普通よりちょい上やね。父さん、それなりの建築士やし。けど、ケチるところはケチる人やから。自分と家族が楽しいことにはお金を使こても、どうでもいいことには、とことんケチらはるから」
「……どうでもいいことですか? 葬儀が……」
「葬儀て気持ちの問題やん。坊主に払うお金の大きさなんて関係ないし。葬儀自体も、小さなオ葬式っていう業者に頼んで安くあげはったよ。全部で40万とか言ってたかな」
「それでも、相当な金額ですね」
「欧米の平均は30万円台らしいよ。日本が高すぎるねん」
「キリスト教の場合、どうなるのでしょう? お通夜など」
「陽湖ちゃんから聞いたけど、お通夜そのものが無いねんて。七日七日(なのかなのか)もやらんらしいよ。まあ、当たり前ちゃー当たり前やけど、宗教が違うわけやし。けど、日本に入ってきたキリスト教の一部は、さすがにお通夜無しは淋しいていうて前夜式みたいなんがあるようになったらしいわ」
「キリスト教も日本に入ると変質するのですね」
「日本人の宗教観テキトーやからなぁ。とりあえず拝んでおけみたいな。けど、うちの父さん、お通夜無しのプランにしはったよ。おかげで疲れんで済んだし仕事に影響でんで良かったとか言うてた。まあ、爺ちゃんもサッパリした人やったし、その方が喜んではるかもね」
「…………宗教とは何なのでしょう……」
「そやね……………鷹姫は神様や仏さん信じる?」
「…いえ、…あまり…」
「うちもよ」
「……」
「人は死んだら、どうなると思う?」
「………。残された人たちの心の中にいます」
「そやね………」
「鮎美は、どう思いますか?」
「うちは自分が同性愛者のくせに、DNAが引き継がれるのが生きた証しやと思うわ」
「……そうですか…」
「けど、水田はんが言うた生産性の話やないけど、同性愛者にも生きた価値は、きっとあるよ。それは個体だけで見んと、種集団全体への貢献ってことで。うちは子育てせん分、しっかり社会に貢献せんとね」
「立派なお考えだと思います」
「寝よか」
「はい」
二人ともSPに守られている安心感もあって目を閉じて井伊駅まで眠った。井伊駅からは党の車両と警察車両で移動し、港に到着する頃には連絡船の最終便は終わっていたけれど、今回はSPたちが宿泊予約を入れている民宿の亭主が漁船を出してくれて島に渡れた。鮎美は夜間自宅前に立ってくれるSP2名と帰宅し、他の男性SPたちは民宿に、介式だけが民宿の部屋数に限りがあることから、鷹姫と剣道場に寝ることにしている。
「お疲れ様です。介式師範」
「君もな」
お互い、鮎美と別れると勤務が終わったという気持ちで肩の力が抜ける。二人だけで夜の島内を歩いていると静かさが身にしみた。
「まだわずか二ヶ月なのに、これほど議員の仕事、そして秘書の仕事が多忙かつ激動だとは思いませんでした」
「疲れたか?」
「弱音を吐くつもりはありませんが、予想以上だったことは確かです」
「だろうな……最年少というだけでも注目されるのに、芹沢議員は新しいことを始める上、まわりからの妨害や暗殺まであるのでは疲れない方がおかしい。この二日、ゆっくり休むといい」
「はい」
小さな島なので話ながら歩いても、すぐに鷹姫の家に着く。
「わああ♪ お姉ちゃんだ!」
「おかえりなさい、お姉ちゃん!」
鷹姫とは腹違いの5歳と3歳の妹が玄関で出迎えてくれた。鷹姫は東京駅で買った土産のバームクーヘンを姫花に渡すと、姫湖を抱き上げた。3歳児なので軽々と抱ける。
「姫湖、少し見ない間に大きくなりましたね。姫花も」
「お姉ちゃん、この人は?」
「この前も泊まってくださった介式師範です。今夜も泊まってくださいます」
「お世話になります」
介式は鷹姫の父親である衛と継母の郁子に挨拶する。すぐに6人での夕食となり衛を交えて剣道談義に花が咲き、食後に真剣を用いて巻藁を斬ることになった。後片付けをする郁子以外が剣道場に移動し、青竹に畳表を巻いた巻藁を設置すると、衛が鷹姫へ真剣を渡す。
「鷹姫、いろいろと疲れているだろう。そういうときこそ、真価を計れる。やってみなさい」
「はい」
これまでにも何度も真剣での据物斬(すえものぎ)りを鍛錬していた鷹姫は、もしも鮎美を守るために実戦があるのなら制服姿であることが考えられるので、脱いでいた上着を着て構える。議院記章と北朝鮮拉致問題のブルーリボンをつけた姿で、ゆっくりと鞘から刀身を抜くと、鞘は床に置き、巻藁に背中を向けた。そして振り返りざまに斬る。
ザッ…
見事に巻藁は両断された。そして油断無く次の敵を探すように周囲を睨む。それは介式が要人警護のイロハとして教えたことだった。
「了とします」
鷹姫が終了を告げ、刀を鞘に戻す。
「うむ、見事であった。斬り終わってから、油断せぬのも良い」
「はい。介式師範に教わりました。実戦においては、敵が一人とは限らない、と」
「「お姉ちゃん、すごーーい!!!」」
「練習すれば、姫花と姫湖にも、できるようになりますよ」
「「……」」
妹たちは、あまり女の子らしくないことは、したくない顔をしている。介式は素直に関心している。
「うまいものだな。私は居合道の経験はない」
「介式師範なら容易なことです」
「そうプレッシャーをかけるな」
介式は剣道の経験はあっても、居合いの経験はなく、立ち上がって鷹姫の切り口を見つめた。
「あざやかなものだな。芯の竹まで、すっぱりと斬れている」
「竹が人の骨、巻いた畳表が人の肉に相当するようです。うまく斬れれば、人の首を落とせると」
「なるほど」
「「……」」
ますます妹たちは、これを習いたいとは思わなくなる。普通の女の子として育ちたいなぁ、と感じていた。次に衛が刀を取った。巻藁は低い位置に立て、その巻藁と向かい合って正座する。まるで人と対談するような状況から、左脇に置いていた刀の鞘を、次の瞬間に後方へ払い飛ばすと、左手で逆手に刀を握り、斜め下から上へと巻藁を斬りつけた。
ザッ…
そんな斬り方でも見事に切断している。さらに、とどめを刺すように順手に持ち替え二度目の切断をも成功させた。
「了とする」
「「お見事です」」
「「お父さんも、すごーい!!」」
「うむ。お客人の手前、失敗せずよかった。鷹姫は背後にいた者を切り伏せることを想定したが、今のは向かい合って談議する相手を不意打ちする形(かた)である。どちらかといえば、暗殺する側となるが、技の美しさを求めず、より成功率をあげるのであれば、鞘など払わず、そのまま斬りつければ、より速く相手に打撃を与えられ、二太刀目で順手に持ち替え、仕留めることができるだろう。巻藁相手では、一太刀目で弾き飛ばしてしまうが、速さを求めるなら、鞘など気にしないことだ。介式警部、やってみませんか」
衛が介式へ刀を渡してくれる。受け取る前に介式は気になることを問うた。
「……大変、失礼ですが、こちらの刀……登録はされていますか?」
「「……」」
鷹姫と衛が目を合わせた。そして鷹姫が答える。
「はい、ご安心ください。私が芹沢先生の秘書となってから、当家の刀は、すべて登録しました」
それまでは、ずっと無登録で所有していた。もともと平氏に追われて逃げ込んだ源氏が追討を受けないほどの僻地であり、さらに源氏に追われた平氏が逃げ込んできて受け入れたときも源氏からの追討も無く、その後も主要な戦いに巻き込まれることも、水田の少なさから太閤検地や刀狩りさえ、およびにくい島であり、米軍による空爆も無く、戦後のGHQによる日本刀没収でさえ、目の届きにくいところであったため、島内に先祖伝来の刀を所有している家は多い。そして、大半が無登録だったけれど、さすがに鷹姫が秘書となってからは、静江の指導もあって宮本家は合法的に処理していた。警察職員として、やや心配だったことが払拭されたので介式も真剣を握ってみる。
「……重い…」
やはり竹刀とは違った。そして鷹姫と衛の技は他派の居合道とは、ずいぶんと違い。抜刀から納刀までの所作より、相手を斬り倒すことを重視している様子だったので、介式も純粋に巻藁を斬ることに徹してみる。
「……面や胴を狙うのとも……ずいぶんと変わる……宮本くん、イロハを教えてくれないか?」
「はい、初めてであれば、斜め45度に斬りおろす袈裟斬りが、よいです」
「袈裟斬りか……」
「そのさい、自分の脚を斬らないよう注意してください」
「了解した」
日本刀を持った暴漢を制圧する手段や、拳銃で無力化する演習はしたことがあっても、自分自身が日本刀を振るう機会は無かった介式が、数回の練習で空を斬った後、巻藁を斬った。
ザッ…
斜めに切断できている。
「「お見事!」」
「「警部さんも、すごーーい!」」
一巡したところで、郁子が呼びに来た。
「お風呂の用意ができました。お客さんから、どうぞ」
ここで終えることとなり、鷹姫は巻藁の後片付けをしてから、介式の後に妹たちと入浴する。鷹姫が3歳の姫湖の頭を洗ってやっていると、自分で洗える5歳の姫花が問うてくる。
「お姉ちゃんは、どうして、いつも頭を洗ってくれるとき、悲しそうな顔するの?」
「そんな顔をしていましたか……」
思わず頬に触れると、泡がついてしまった。姫湖も心配する。
「タカ姉ちゃん、なにか悲しいの?」
「気にしないでください」
「「……気になるよ」」
「そうですか……昔、悲しいことがあったからです。あなたたちが大きくなったら話してあげますね」
「タカ姉ちゃん……ヒメ姉ちゃんが何歳になったら、話してくれる?」
「そうですね………いくつくらいがよいか……」
鷹姫が迷っていると、姫花が問うてくる。
「悲しいことって……………お姉ちゃんの本当のお母さんが死んじゃったこと?」
「っ……隠しているわけではありませんから……、ええ、そうです。もう悲しいことが無いといいですね。ほら、早くお湯に浸かりなさい」
鷹姫は急かして姫湖に湯桶で頭から湯をかけると、次に慌てて自分の頭にもかけた。そうしないと、涙を妹たちに見られそうで何度も湯をかぶってから髪を洗った。
「「…………」」
「心配しなくても、私は大丈夫です」
髪を洗い終わって鷹姫は妹たちと湯船に入る。姫湖が抱きついてきた。
「姫湖……」
「タカお姉ちゃんは死なないでね。ずっと、いてね」
「お姉ちゃんは、悪い人に狙われてるアユ先生のそばにいて危なくないの?」
「………二人にまで、心配をかけていたのですね……気づかず、ごめんなさい。大丈夫です。強い警察の人が、いっぱい芹沢先生にはついていますから、大丈夫ですよ」
安心してくれるように妹たちを抱いたはずなのに、実母との最期の入浴を想い出してしまい、涙を誤魔化すのに、また鷹姫は苦労した。ここ最近は設備の整ったホテルのバスを使っていたけれど、この自宅の風呂場は幼児の頃と何一つ変わっていないのも、余計に胸を痛くする。そして、まだまだ幼児とあなどっていた二人が意外なほど物事を理解しているので、言っておくことにした。
「私を産んでくれた母が亡くなったのは悲しいことです。けれど、母が生きていたことの証は、私の命として、ここにあります。二人はDNAというものを知っていますか?」
「……知らない…」
「…聴いたことあるよ……命に入ってるもの?」
「そうです。命をつないでいくことで伝わるものです。ですから、母は事故で死んでしまいましたが、私の中で生きてもいるのです。そうやって人も動物も命を受け継いでいくのです」
「「……」」
二人が神妙に聴いてくれるので、鷹姫はもう少し続ける。
「けれど、男と女が結婚して、命を受け継ぐだけが、すべてではありません。そうしない人もいて、そうしない人にも、それぞれの役割があり、生きている価値はあるのです」
「……アユ先生のこと?」
「姫花、よくわかっていますね。さすが、お姉さん」
「うん。姫花も、いっぱい勉強してアユ先生みたいになるの。男の子って嫌い。いっぱい意地悪するし、お前んちボロいとか、お姉ちゃんはヘンタイの仲間って言うから!」
「それは……」
鷹姫が悩む。いろいろと教えておきたいけれど、誤解のないように伝えるのも難しい。そして伝えたことが、さらに島の子供たちの間で、どう拡がるか、わからない。
「姫花、姫湖、ヘンタイという言葉は、あまり使ってはいけない言葉です。言う人がいても愚か者だとみなして無視して放っておきなさい。そして、できるなら女と産まれたからには男と結婚し、子をなして命をつないでいくのがよいのです。だからといって女と女が結婚するのが悪いというわけではありません。わかりましたか?」
「「……はーい」」
そろそろ妹たちはのぼせているし、鷹姫も湯船で頭を激しく使ったので、かなりのぼせてくる。やや赤い顔で三人とも揚がる。脱衣所がないので父は年頃の娘に配慮して剣道場にいてくれているし、介式も剣道場にいるようなので郁子だけが待っていて、姫湖の髪と身体を拭き始める。鷹姫は気になって郁子に問う。
「……お先です。……私たちの話は聞こえていましたか?」
脱衣所がないどころか、風呂場と台所はカーテンで遮られているだけなので、声は響きやすい。
「難しい話でしたね。……」
郁子も言葉を選ぶあまり、黙ってしまう。鷹姫が謝る。
「すみません。……この子たちに余計な情報を与えたかもしれません……」
「いえ……気にしないで。姫花、姫湖、よくわからない話は、わからないまま、外でしてはいけませんよ」
「「はーい」」
「鷹姫さん、お父さんをお風呂に呼んでください」
「はい」
急いで寝間着を着た鷹姫は剣道場に入る。衛は使用した日本刀の手入れをしていた。
「お先に失礼しました。お風呂へ、どうぞ」
「姫花と姫湖も、大きくなったろう?」
「はい。少し会わないうちに、驚くほど」
「鷹姫も帰ってくるたびに成長している」
衛は手入れを終えた日本刀を置くと、風呂に向かった。鷹姫は自分と介式のために剣道場に布団を敷く。広い剣道場で二人並んで布団に入った。介式が眠る前に言う。
「この前、ここに泊めてもらったとき、男性の部下たちまで泊めてもらい、宮本くんに不安な思いをさせたかもしれないな。すまない」
「……不安? 何がですか?」
「やはり君は、こういうことにうといな。まあ、私もなのだが。一晩でも間違いが起きることがある。知念と桧田川医師のことで思い知った」
「私なら大丈夫です」
「たいていの男が相手なら、そうかもしれないが、私の部下は全員が君より強い」
「………」
「そんな男たちと寝させてしまって、すまなかった」
「いえ、お気になさらず、結果として何も無かったですから」
「これからは気をつける」
「本当に、お気になさらず、むしろ、強い護衛に囲まれて安心して眠れますから」
「そうか……」
「………難しいものです」
「何がだ?」
「男と女です。介式師範は性欲を覚えますか?」
「……いや、そういった劣情をもよおしたことはない」
「私もです」
「……そうか……良いことだ」
「そうでしょうか……食欲不振が、良いこととは言いがたいように、何か欠けているのでは……。小早川隆景(こばやかわたかかげ)は女人を近づけず、内室と接するときも着衣を整え、賓客をもてなすような態度で、戯れ言や睦言も少なかったそうです。結果、子はできず養子に迎えた小早川秀秋は関ヶ原で天下大事の裏切りをしています。また、上杉謙信も毘沙門天に身を捧げ、女人を近づけなかったそうで、謙信女性説まであるほどです。結果、死後に養子間で後継者争いの御館の乱が起こって家勢を弱めています」
「………君は戦国時代の話が好きだな………私は詳しくないが、あの時代、男たちの間では、男色が盛んではなかったか?」
「はい、宣教師ルイス・フロイスが驚くほど奔放に男色があったそうです」
「では、その小早川なになにと上杉謙信も男色が主だったのではないか?」
「そのような伝承もないのです。また、男色はあの時代の文化という面もありますが、戦場へ女子を伴いにくいゆえの機会的同性愛という面もあります。げんに信長も家康も男色をたしなみつつも女性との間に子をなしています。また、男色をよしとしなかった秀吉は女性のみを相手としたようです。大半の武将たちが男色を行ったそうですから、中には現代でいうゲイもおられたでしょうが、子をなすのも家の一大事ですから不本意ながら女性と性交し子をつくった武将もいたと思います。将軍家光がそうです。ですが、隆景と謙信は男色もなく女性との交わりもないようなのです。名将と名高い二人ですが、欠けていたものがあるのかもしれません」
「そうか………」
「…………介式師範は、男性のような言葉遣いをされますが、男と産まれたかったのですか?」
「はは…、今夜はよく喋るな、めずらしく」
「すみません……」
「いや、いい。私がこうなのは、姉の自死があったからだろう。セクハラで姉が追いつめられ、以来、性欲というものを嫌悪しているし、自分のことも周りから女という風に見られるのが、嫌だからだろう。あと、気がつけば男性の部下を多数もっていることも関係しているかもしれない。そういうことだ」
「そうですか。………いずれ、結婚されますか?」
「……率直だな……それを親は望むだろうが、考えたことがない。はは、君の言う通り、本当に難しいものだな、男と女は。劣情など催さぬよう生活空間を男と女で分け、男には強いルールで戒め、女にも余計な刺激を男に与えないよう、なるべく肌を見せない服装を指定すれば、問題は減るかもしれない」
「たしかに………ですが、それは……イスラームの文化が、そのような文化ではありませんでしたか?」
「そうだな。そうだった。意外に理があるのかもしれない」
「はい、合理的かもしれません。性欲はときとして人が変わったように、人を狂わせてしまいます。自動車教習所の教官も、芹沢先生でさえも、急に……お二人とも仕事をしているときは熱心な素晴らしい方だったのに……」
「本当に、やっかいだな。男と女、それに同性同士でも。いっそ、君のように許婚が決まっている方が、さっぱりしていいかもしれない」
「……」
「気を悪くしたか?」
「いえ……私こそ、いろいろ言って、すみません」
「いいさ。………いろいろついでに、さっきの君の日本刀の扱いは見事だったが、もしも、芹沢議員が何者かに襲われ、おりあしく我々SPがおらず、そんなとき、たまたま君の手に刀があれば、ためらわずに斬れると思うか?」
「はい」
「即答か……」
「すでに、あと一瞬早ければ無傷でお助けできたのに、深傷を負わせてしまいました。次があれば、何人であろうと容赦なく斬って捨てます」
「………それが、たとえ、あの牧田でもか?」
「あの人は………芹沢先生の奥様…いえ、性的パートナーですが…」
「性的パートナーか………あの二人の様子は、どうだ?」
「仲良くされておいでです」
「性行為を強制されている様子はないか?」
「………今朝は百回と頑張っておられましたが……あれは強制ではなくトレーニングのように……汗だくになって………よくわかりませんが二人で百回と頑張っておられました」
「百回………」
「やや多いような気がします………」
「劣情にとらわれる人間の考えることはわからんな」
「………劣情と言われますが、劣った情でしょうか? 性欲あってこその子作りなのですから、むしろ優れた情ではないでしょうか?」
「優れた……そういう……解釈もあるか………だが、あの二人は子供をつくれまい」
「はい………劣っているのでしょうか……同性愛者は……発達障碍や身体障碍などと同じに……」
「……どうだろうな……」
「………」
「……もう眠ろうか」
「はい」
そう言ったものの、二人とも考え込んでしまい、なかなか眠れない。しばらくして介式が問う。
「起きているか?」
「はい」
「妙に頭が冴えてしまった。疲れているといっても、私も君も身体は、さほど動かしていないからな」
「はい、据物斬りも集中力は要しても、運動量は一太刀のみですから」
「それに、少し身体も冷えた」
介式は身体を起こして周りを見る。広い道場に月明かりがさしている。そして寒い。鷹姫と布団をくっつけて一枚の電気毛布を二人で使っていた。
「宮本くん、身体が温まるよう寝技でもしないか?」
「はい、よいお考えです。ですが、道着ではないので破けないようプロレス式がよいと思います」
「いいだろう。こい」
「いきます」
二人は寝技を始め、つい熱中して汗だくになるまで続けてしまった。
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