第48話 3月1日 同性婚、陽湖の新しい趣味

 翌3月1日火曜朝、衆議院では平成23年度の予算が通過する予定だったけれど、鮎美は静岡県にある病院の個室病室で詩織とベッドの上にいた。他に本会議であるにもかかわらず欠席した国会議員は眠主党内部の抗争で16名もいるらしいので、毒殺されかけ、さらに秘書が両親を殺され、主治医の両親と賛同者である女性都議まで殺害された鮎美が欠席していても、少しの批判も起こらずに済んでいる。

「鮎美…」

「…詩織はん」

 そしてベッドの上で抱き合っていた。詩織は全裸、鮎美は制服姿でショーツだけは脱いでいる。夕べから、何度も抱き合っているしSPは病室の前にさがってもらっている。最初、両親を亡くした詩織を鮎美が慰める形で始まり、鮎美は手や舌を使って詩織を愛したし、何度か自分も裸になろうとしたけれど、詩織のこだわりで腋毛を処理していない鮎美を見たくないということが伝わってきたのと、ときおり静岡県警の刑事が訪ねてきて事情を訊きたいと言ってくるのに、裸で対応するわけにはいかないので鮎美は制服を脱いでいない。今もノックされて鮎美だけが病室を出て刑事たちと対面する。今度は静岡県警だけでなく、警視庁の刑事までいた。

「芹沢議員、少しだけでも牧田さんとお話できませんか?」

「今は、とても動揺してはりますから、もう少し待ってください」

「ですが、時間が経つほど記憶は不鮮明になるものです。彼女は唯一の生存者で、何があったのかは彼女しか知らないのです。どうか、10分、5分だけでもご協力ください」

「………」

「お願いします」

 お願いと言いつつ、刑事たちは強い圧力を発してくる。鮎美も常識的に考えて、これ以上の拒否は難しいとわかっていた。

「………少し、本人に訊いてきます。待っていてください」

 病室に戻って詩織に問うと、鮎美が困っているので詩織も応じるけれど、条件を出した。

「あとで鮎美の裸が見たいです。鮎美のキレイな身体が」

「……それは、いいけど…」

「どこか、コンビニでカミソリとご飯を二人分、買ってきてください」

「……ご飯は、詩織はんの分、来ると思うよ?」

「病院食は残しておく方が、ショックを受けていると思ってくれますから」

「…………。ほな、お米か、麺類、どっちがええの?」

「鮎美と同じで、お願いします」

「ほな、刑事さんらに入ってもらうよ」

「はい」

 詩織は刑事が入ってくる前に頭からシーツをかぶった。鮎美は注文された物を買いに出る。当然、SPたちは鮎美についてきた。ぞろぞろと多数のSPをつれて病院近くのコンビニに入った。コンビニの店員が一瞬、ボディーガード付きのヤクザの令嬢でも来たのか、という表情をしたけれど、鮎美の胸にある議員バッチと顔を見て、つぶやいた。

「…アユミだ…」

「どうも」

 軽く会釈しておく。いずれ6年後にある国民審査は都道府県単位なので静岡県民は無関係だけれど、自眠党としての顔もあるので誰にでも愛想良くするのは、もう習慣だった。コンビニ内の入って左側にある商品棚から女性向けカミソリを買う。

「………」

 やはり多くの男性SPに囲まれて買う物としては迷いもあったし、日常的な商品ではあるけれど、今買う物としては違和感が大きい、男性SPたちも鮎美が同性愛者であることは知っているし、夕べからずっと病室に二人きりで、ついてきていた鷹姫も東京へ向かわせている。カミソリの次に弁当を買う。サラダとパスタ、デザートという組み合わせにした。会計を済ませて病院に戻ると、玄関で介式と男性SP数名が向かってきた。交替時刻のようで互いに敬礼して、今まで鮎美についていたSPたちは空腹だったらしくコンビニの方へ雑談しながら歩いて行く。警護の交替は見慣れた光景だったけれど、鮎美は介式の様子に強い違和感を覚えた。いつも冷静沈着な彼女が、ひどく動揺しているようで顔色が悪い。

「介式はん、何かあったんですか?」

「……いや……何もない…」

 歯切れが悪く、足元さえおぼつかない。他の男性SPも心配している顔だった。

「どうしたんです? 何か、お悩みですか?」

「………なんでも……ない…」

「嘘は信じられるようにつくもんですよ」

 介式には鷹姫と似たところがあって、感情表現は乏しいけれど、ときに感情をコントロールできない場面もあるらしく、今は動揺が隠せていない。SPとして鮎美のそばについても、フラフラと頼りないし集中力に欠け、鮎美が足を止めるとぶつかりそうになったりする。

「体調が悪いんやったら無理せんといてください」

「私は…万全だ…」

「ちょっと見ただけで、様子がおかしいのわかりますよ?」

「「「…………」」」

 他の男性SPも上司を心配した目で見ている。代表して前田が問う。

「介式警部、我々としても心配です。どうかされたのですか?」

「………何でも……ない…」

「「「………」」」

「介式はん、ちょっとトイレ、ついてきて」

「…了解…」

 鮎美は病院1階の女子トイレに向かった。これで男性SPたちは入口で待つので介式と二人きりになる。

「話してもらえませんか? 何があって、そんなに動揺してはるのか」

「……」

「お願いします」

「……じ……実は……」

「………」

「…とても……困った………事態が……発生している……」

「また暗殺ですか?」

「いや………、……むしろ、それなら対処のしようもあるが……部下の不祥事なのだ……どう対処したものか……上への報告も……」

「不祥事ですか……それは困りますね。金銭ですか、性的なことですか?」

 もう鮎美も社会で発生するだいたいの不祥事は金銭か、性だと経験から理解している。

「……性的なことだ……。……知念が……」

「知念はんが……あの人、そんな男性には見えんかったけど……。……痴漢でもしはったんですか? それともセクハラ?」

 知念が介式のお尻に触るところを想像してみる。次の瞬間、蹴り飛ばされる気がする。けれど、実社会で発生するセクハラは、ときに腕力など関係なく、とても卑劣で抵抗不能の状態に相手を追い込んでから行われる。何か介式の弱みを握った上で性的要求をしたのかもしれない。そして部下の不祥事だけに、告発しにくい。自分さえ耐えれば問題ない、そういう風に考えてしまいそうなタイプに介式は見えるけれど、誰の目にも動揺は隠せていなかった。

「知念はんに、どういう問題が?」

「………」

「お一人で考え込むより、うちにも話してくださいよ。こういう問題は一人で抱え込むより、相談しはった方がええですよ?」

「…………ごく一時的に知念には桧田川医師の見張りを頼んだ。……そのとき、ホテルの部屋に宮本くんもいて、それから県警から応援も来る予定だったから、問題ないと思っていたが、宮本くんが帰り、県警の応援が来るまでの間は、知念と桧田川医師が二人きりだった。……県警から来るはずの応援も………付近のコンビニで強盗事件があり遅れた………結局……朝まで知念と桧田川医師は二人だけだった……それで性的な問題が生じた…」

「……それ、うちにも少し責任ありますね……」

「私の責任だ」

「何があったんですか? セクハラ……それとも、もっと、ひどいことまで…」

「性交したらしい」

「っ………知念はん、そんな男やと思えんけど……桧田川先生………めちゃ傷ついてる状況で、さらに追い込むみたいに……強姦とかありえんよ……」

「知念は暴力はふるっていない。同意はあったと主張している」

「………桧田川先生は、なんて?」

「彼女も同意の上だと言ってくれている」

「…………。ほな、問題ないんちゃいます? 二人とも未婚ですし」

「だが、警護対象と……いや、見張りの対象で、桧田川医師は被疑者という面もあり……知念は勤務中だった」

「………。介式はん、こういう分野苦手そうですし、うちにも責任あるし、ちょっと知念はんに電話してみますわ」

 鮎美は知念にかけてみた。

「もしもし、うちです」

「知念っす」

「桧田川先生とエッチしたってホンマなん?」

「ぅっ……た、単刀直入っすね」

「事実なん?」

「………はい……すみません…」

「どういう状況で?」

「宮本さんが帰ってから、自分が慰めてたんっす。あのときはご両親の生死は不明だったっすけど、外国人に拉致されてたから生存の可能性は低いって紀子も思ってて」

「で?」

「で、慰めてるうちにキスしたりしてしまって……あとは……ホテルの部屋でベッドもあったから……すみません」

「桧田川先生は嫌がったん? 警察官と被疑者って立場を利用して無理矢理?」

「いえ! 誓って、そんなことはないっす!」

「ふーん……桧田川先生にも訊いてみるわ。どっちにしても、ホテル代、あんた持ちな」

「…はいっす」

 知念との電話を終え、桧田川にもかけてみる。

「もしもし、うちです」

「私よ」

「知念はんとエッチしたってホンマですの?」

「………その話、そんなに広げないでよ……。知念くん、なんで上司に報告しちゃうかなぁ……あのバカ」

「どういう状況でやらはったんですか? 押し倒されて?」

「ううん。……あのさ、人の恋愛沙汰に首をつっこまないでくれる?」

「今、知念はんへの対処をどうするか、上司の介式はんが悩んではるんですよ。うちは同意の上なら放置がベストやと思うし。セクハラとか強姦なら、それなりに対処せな、と」

「………放置でお願い」

「同意あったんですね?」

「うん……どっちかというと、……私から誘った…。知念くんは悪くないし、処分とかやめてあげて」

「わかりました。そうします」

 鮎美は電話を終え、介式に言う。

「すべて二人のプライベートなことで、うちらは関知してないということにしましょ」

「……。だが……勤務中で…」

「見張りを放り出したわけちゃいますやん」

「………」

「ほな、こうしましょ。県警の応援が遅くなり、知念はんも疲れてきたので、被疑者が逃亡しないと誓ってくれたため、知念はんも注意力を保つために休憩した。たまたまホテルでベッドがあったので、休憩に使った。そして、たまたま自由恋愛で任意で桧田川先生と何らかの行為をしはった。けれど、何らかの行為が何であるかは、警察がソープランド内での行為に関わらないように、関わらないということで、終わり。ただの、ご休憩やったということで」

「………休憩………それで……済むのか……」

「介式はん、恋愛しはったことあります?」

「ない」

「…………鷹姫と似てるなぁ……男とか、女とかに性的興味ありますか? 抱かれたいとか、抱きつきたいって」

「そのような劣情を催したことはない」

「……そうですか。ほな、余計に関わらん方がええですよ。放置しておきましょ、むしろ、ハッピーエンドに向かってる感じなんで」

「…ハッピーエンド……」

「……一応、訊きますけど、知念はんのこと男として好きです?」

「いや」

「ほな、この話は終了ということで」

 鮎美と介式は女子トイレを出て、男性SPたちと詩織の病室へ向かう。病室内には鮎美と介式が入った。詩織はベッドに寝ていて、シーツから少しだけ顔を出して、ぼんやりとした表情をつくっている。刑事が質問しても、あまり答えず、世田谷のマンションに帰宅した直後から、何も覚えていない、気がついたら病室にいた、という回答はしつつも、犯行におよんだ二人はヤクザに雇われていて、鮎美を暗殺しようとした理由は連合インフレ税で国際的にも高額紙幣でありカード取引が少なくマネーロンダリングしやすい日本の一万円札の値打ちが落ちるのをさけたいからだと言っていた、と証言している。

「…鮎美…」

 詩織が手を伸ばして求めてくるので鮎美もベッドにあがって抱きしめ、背中を撫でた。それで詩織が泣き声をあげる。

「ううっ…ううっ…」

「刑事さん、そろそろ終わってあげてください」

「……しかし…」

 結局のところ廃工場で起こったことは具体的なことは何一つ語られず、警察として判明しているのは詩織以外の全員が銃で射殺された後に火災で死体が燃え、BMWのガソリン爆発で死亡時の状況もわかりにくく、あとは詩織の膣内から検出された精液のDNAが犯人の一人と一致しているというだけだった。

「せめて、なぜ、犯人が二人とも死亡したのか、その状況だけでも…」

「うううっ! うわああああ!」

「もう思い出させんといてあげてくださいよ! どんなつらいことがあったか! きっと必死に反撃して逃げたんですよ! そんなん、わかりますやん!」

 鮎美も涙を流しながら抗議するので刑事たちは引き下がった。順当に想像すれば、桧田川の両親を拉致して暗殺させようとしたものの、不完全に終わり鮎美が入院しているので次は秘書の中では唯一の一人暮らしだった詩織を狙い、まず愛知県にいた両親を掠い、それから世田谷のマンションに侵入したのだとわかる。けれど、そこからなぜ静岡県の犯人たちのアジトに行ったのか、そして犯人たちが射殺されたのかは不可解といえば不可解だった。朝槍の遺体は膣内に銃口を挿入されて発砲された残虐なもので焼けても痕跡は残っていた。先に拉致されていた母親二人からは強姦などの痕跡は見つかっていない。それは年齢的な好みだと理解できる。問題は殺された順番や状況だった。いつ詩織は銃で脅され強姦されたのか、朝槍は抵抗して殺されたのか、なのに犯人二人が射殺されたのは、なぜか、あえて桧田川の両親まで生かしていた犯人が急に人質を殺し、さらに朝槍も撃ち、そして詩織は強姦された後、隙を見て銃を奪い、無我夢中で犯人たちを撃ったのかもしれない。その生死を確認せず、流れ弾で起こった火災から逃げ、民家に辿り着いたのかもしれないし、そう理解するしかない。目の前で両親と友人を殺され、自分自身も強姦された女性が当時の状況を思い出せずに号泣するだけ、というのも理解できなくもない。そのわりに犯人の背景がヤクザであることを語り再発防止や、暗殺の理由を知った日本と世界の世論がますます連合インフレ税の実現に傾きそうな証言だけはしてくる。

「帰ってください! これ以上は無理です!」

「…わかりました。今日のところは、これで…」

 諦めた刑事たちが去ると、シーツから顔を出した詩織は鮎美にキスしてから頼む。

「二人きりになりたいです」

「詩織はん……。介式はん、しばらく外に出ててもらえませんか? 病室内は安全ですし」

「だが…」

「お願いします」

「……わかった」

 介式が出ていくと、もう一度、キスした後、詩織は涙に濡れた目で、まっすぐに鮎美を見つめて言う。

「私と結婚してください」

「………うん…」

 もう断るという選択肢は鮎美に無かった。どこか底知れず避けようとしていた詩織という人間からの求婚を、もう断ることができない。直接にではなくても、詩織の両親が殺されたのは鮎美の存在が原因だと思っているし、鷹姫や鐘留は同性愛の指向そのものが無い。たいして詩織からは強い欲望は感じる。自分を欲しいと想ってくれていることは感じられる。両親を亡くした代償に、どれだけなるかはわからないけれど、そして法整備はされていないけれど、鮎美は求婚を受諾した。

「やった! 嬉しいです!」

 欲しかった新しいオモチャを手に入れた子供のような笑顔で詩織が瞳を輝かせた。それに比べて、ときめくはずのプロポーズ受諾場面で、鮎美は寒気を覚えた。まるで実弾の入った銃口を向けられているような寒気だった。取り返しのつかない契約をしてしまったような気もする。

「私、シャワーを浴びてきます」

 そう言って詩織は病室のバストイレで入浴してきたし、次に鮎美へ入浴を勧める。

「鮎美も身体を洗ってきてください」

「…うん…」

 それが性行為の前準備だと理解している。どちらかというと鮎美は相手の匂いを感じたい方だったけれど、詩織や鐘留は清潔な方が好きなようで、詩織はコンビニの袋からカミソリを出して渡してくる。

「ちゃんとキレイにしてくださいね」

「…うん…」

「ここも剃ってください」

「……ここも? ……」

 鮎美は股間を撫でられて戸惑った。

「可愛い鮎美が見たいです」

「……わかったよ…」

 鮎美はバストイレに入り、裸になると鏡を見た。両腕をあげてみる。生えそろった腋毛が見える。

「………そろそろ春やし……」

 未練はあったけれど腋の毛を剃ることにした。

「こっちは、せっかく生えてきたのに…」

 下腹部の手術を受けてから1ヶ月半ばかり、ようやく1センチを超えてくれた股間の毛も求められたので剃ることにした。詩織は自分が入浴した後、お湯を流して新しく貯めてくれている。そういう細かい気遣いは嬉しいけれど、要求もはっきりしていて、鮎美は詩織との関係をどうしていくべきか悩みつつも、肌を整えた。再び鏡の前に立つ。

「………けっこう印象、変わるもんやね……子供みたいやわ……恥ずかし…」

 さきほどまであった腋毛と陰毛が無くなると、同じ自分なのに幼く見えるし、妙な羞恥心を覚える。

「…男っぽくしてたつもりもないけど、腋に毛が無いと、女の子って感じするわぁ…」

 自分の身体ながら印象の違いに戸惑いつつ、裸のまま病室に戻る。恥ずかしくて乳首と股間は両手で隠していた。

「お待たせです」

「フフ、可愛い」

 ソファに座って待っていた詩織が裸で抱きついてくる。ベッドに導かれ、舌を使われると、すぐに何度も絶頂した。鮎美も興奮すると羞恥心が無くなり、お互いの全身を舐め合ったし、しばらくは時間の経過も忘れた。時刻を意識したのは夕方になって空腹を覚えたときだった。朝から一食も摂っていなかったのに、性的な興奮と絶頂のおかげで、ずっと食事さえ忘れていた。冷蔵庫に入れていたパスタとサラダ、デザートを食べると、また性行為に耽った。いつ眠ったのか、記憶にないほど蕩けた夜を過ごした。

 

 

 

 翌3月2日水曜早朝、まだ眠っていたかったのに、詩織の舌が口に入ってきて、指が膣と肛門に入ってきて、強引に起こされ、鮎美は呻いた。

「う~……寝させて…」

「ダメです。もう出発しないと国会に間に合いません」

「……今日も休みたいわ……あかんやろか?」

 どうせ出席しても座っているだけなので、いっそ今日も抱き合って過ごしたいという自堕落なことを考えると、詩織は否定してくる。

「期待を裏切らないでください。鮎美は、私の鮎美、日本の鮎美、世界の鮎美、そして私の鮎美です」

「………。まあ、国会をサボるのは、ありえんよね……昨日は別として…行けるなら行くべきやね」

 眠気を訴える身体に鞭打って鮎美は制服を着たし、詩織は借り物の衣服を着て病室を出るとSPたちに声をかけ、静岡駅に向かい、新幹線に乗った。乗ってからスマートフォンをチェックすると何度も静江らから連絡が入っていたのに、詩織が勝手に電源を切っていたせいで無視している形になっている。鮎美の安否だけはSPを通じて確認されていたので大きく心配されてはいないものの、勝手に過ぎる。

「うちのスマフォ、勝手に触らんといてよ」

「ごめんなさい。でも、エッチの最中に電話が入ると冷めるじゃないですか。あの最高の時間にベルが鳴ったら、快感も興奮もゼロ、すっかり脳が切り替わってしまいます」

「……それは、そやけど……」

 鮎美はメールで静江に、これから国会に出席する、と伝えた。鷹姫たちにも同じような内容で送り安心してもらう。それから駅弁を朝食にしつつネットのニュースをチェックして状況を確認した。すでに桧田川と詩織の両親、都議の朝槍が死体で発見されたことはニュースになっているけれど、詩織が強姦されたと警察が判断していることはプライバシーの問題で伏せられ、単に無事だということしか世間に広まっていない。

「……ぐすっ……朝槍先生……」

 朝槍のことを想い出すと涙が滲んだ。鮎美と朝槍は、それほど接触時間があったわけではない。初めはビアンバーでの偶然の出会い、そのとき鮎美は変装していて朝槍は気づいていない。次が北朝鮮拉致問題で横畑夫妻と会談した直後、同性婚のことで会談した。そのときも鮎美は姿は偽らなくても本心は隠した。自分もレズビアンですと告白して握手したかった。そして三度目は賛同者を集めての記者会見、このとき、ようやく鮎美はカムアウトした。けれど、大人数が集まっていたので、ゆっくり朝槍と話し合うことはできなかった。その後は国会と都知事選に追われ、ろくに話していない。もっと、ゆっくり朝槍と話をしたかった。あのビアンバーに行って、実はここで年末にお会いしています、黙っていて、ごめんなさい、と謝りたかった。

「…ううっ…」

 鮎美が泣き出しかけると、詩織は手を握って言ってくる。

「気をしっかり持ってください。鮎美」

「……けど…」

「今は大切なときです。大切なとき、泣き暮らしてはいけません」

「…詩織はん……」

 朝槍と行動することが多く、しかも両親を亡くしている詩織が、はっきりした口調で諭してくる。

「ときに無神経という個性は政治家にとって重要です。心を切り分けて、置いておくのです。妨げになることは感じないように。酸いも甘いも噛み分ける、といいますが、口に入れ、飲み込んでも、感じないようにしてください。鮎美に嫌いな食べ物はありますか?」

「……嫌いというほどやないけど、郷土料理の鮒鮨(ふなずし)は苦手かな」

「フナのお寿司ですか?」

 海外生活が長い詩織は琵琶湖周辺ではフナの熟れ鮨を作るということを知らないようだったし、県外の人でも知らない人は多い。かなり特殊な料理だった。

「フナの鮨ではあるけど、長期間、米と塩に漬けて発酵させたフナなんよ。すごい臭いねん。苦手な匂いやわ」

「シュールストレミングのようなものですね」

「なんそれ? ドイツ料理?」

「主にスウェーデンで作られる塩漬けニシンですが、発酵しているので、とても臭いです」

「魚の発酵食品かぁ……人類って何千キロ、何百年を隔てても、似たようなことやってるなァ。どこにでも発酵食品もあれば、宗教もあるし」

「では、その鮒鮨であってもシュールストレミングでも食べられるようになってください。味と匂いを感じずに、ただ飲み込んで消化するのです。そういう無感覚、無神経が、きっと政治家にも必要な資質ですよ」

「………そうかも、しれんね……予算で、あっちを立てれば、こちらが立たず……立たぬところで人が死ぬこともあるんやし……それを決めたのが自分らであっても、いちいち泣いてられんわな………今は、朝槍先生のためにも、気持ちを強く持って前に進むときや」

「はい」

 気持ちを持ち直した鮎美は新幹線から東京駅に降り立った。鮎美が国会に出席してくる可能性を見込んでいた一部のマスコミは東京駅のホームに張り込んでいた。鮎美はSPを使って取材拒否することもできたけれど、マイクとカメラの前で足を止めた。

「芹沢議員! 体調は?!」

「うちは、まったく健康です。入院していたのは、桧田川先生のご両親が人質に取られていたからです。ご心配をおかけし申し訳ありません」

「ご両親は焼死体で見つかったそうですが?! どう思われますか?!」

「……言葉にならない悔しさ、そして申し訳なさを感じます」

 鮎美が答えている隣で詩織が泣き出したように両手で顔をおおっているので、その背中を撫でつつ、はっきり言っておく。

「桧田川先生は両親を人質に取られ、やもなく私へ指示された薬を飲ませようとされましたが、寸前に止めてくださり、ことなきをえています。ご…ご自分の両親…」

 泣くつもりは無かったのに涙が零れた。泣きそうになる。カメラのフラッシュがバシバシと焚かれて、余計に目が痛い。けれど、泣かないように努力して嗚咽を飲み込み、さきほど詩織に言われたことを思い出して、気持ちを強く持った。

「ご自分の両親を犠牲にしてまで、患者であった私を救ってくれはった先生には感謝してもしきれませんし。卑劣かつ非道な手口をもちいた犯人たちには強い憤りを覚えます。うちが直接、殺してやりたいくらいです! 秘書の牧田の両親まで殺され、朝槍先生まで犠牲になった…くっ…」

 また嗚咽を噛んで、涙を手で払った。鮎美は気合いを入れるように手のひらで胸を叩いた。詩織の方は嘘泣きしながら顔を両手で隠して、笑い出しそうなのを我慢して肩を震わせている。記者が叫ぶように問うてくる。

「犯人も死亡したとの情報がありますが?!」

「実行犯は日本国籍ほしさに操られていた南米の人のようです。黒幕は日本の反社会的勢力で、うちが言い出した連合インフレ税が都合悪いらしく、うちを消したいようです。今まで、さんざん脱税してきた人らが、これからも脱税したいがために、人を殺してまで金銭に執着する。言語道断悪逆非道にすぎる! うちは負けん!! 絶対に引かん! たくさんの人に迷惑かけて、こんなに申し訳ないことはないですけど! けど、ここで負けたら、もっと申し訳ない! この命ある限り! 前に進みます!!」

 涙は流したままだったけれど語調は強く、集まっていたマスコミは、いい映像が撮れたので、寒い中でも早朝から東京駅に張り込んだ自分たちの勘と、熱いコメントをしてくれた鮎美に感謝している。この映像は今日は世界中に流れるし、うまくすれば報道関係の賞も取れるかもしれない。鮎美は一礼して国会議事堂へ向かった。国会に出席してみると、国会も荒れ模様で前日に衆議院を通過した予算の受理日を、参議院では本日とするとして紛糾していて、慣例によれば予算の衆議院通過と参議院受理は同一日とするものらしかったけれど、その一日のズレが、どれほど問題なのかはクジ引きで選ばれている参議院議員たちには、あまり理解できなかった。ただ、野党が与党を叩きたいという空気感は伝わってきて、それぞれに所属政党がある議員たちは党の方針に従って野次を飛ばしていた。お昼休みになり、詩織が10分だけ時間が欲しいと言っていたので議員食堂前の廊下で会うと、多崎真珠の営業マンを連れていて、指輪のサイズを測られた。

「鮎美との結婚指輪を造りますね」

「……。うん……けど、詩織はんのお父さん、お母さんが亡くなってはるし……喪中とか……お葬式とかは大丈夫なん?」

「遺体は司法解剖に時間がかかるようですし、しばらくは警察で保管されそうです。お葬式は兄たちが考えると思います」

「そう……うちも行くようにするし、連絡してもらってな」

「国会を優先してください」

「……」

「それより私はプラチナリングがいいのですけど、鮎美の好みは? 金? 銀?」

「……任せるよ。でも金はやめよ。連合インフレ税のこともあるし」

「ではプラチナにしますね」

「うん。でも、地味なんにしよな」

「はい。日常的につけるので引っかからないよう石の無いものがよいと思います」

「そやね……」

「あと、姓はどうしますか? 私は結婚するなら、同じ姓を使いたいです」

「それは……そういう気持ちは理解できるけど、そんな法整備してないやん? そもそも、うちらの間の約束ってだけで、どこにも届出を出せるわけやないし」

「現状でも男女間の夫婦で夫婦別姓を行っている人たちもいるじゃないですか、あれの逆をやりたいです」

「逆…?」

「私はこれから芹沢詩織と名乗りたいです。戸籍では牧田のままでも日常的には芹沢姓を使いたいです」

「…………そういう考え方も……あるんや……」

「いいですか?」

「……。うん、どうぞ」

「嬉しいです。では、リングにも芹沢鮎美、芹沢詩織と彫ってもらいます」

 注文が決まり多崎真珠の営業マンは今日中に仕上げてほしいと言われているので走っていく。ずっと、そばで黙って聴いていた鷹姫が問う。

「芹沢先生は牧田さんと結婚されるのですか?」

「…うん……そうよ」

「はい、昨日、結婚しています。これからは芹沢詩織です、よろしく、宮本さん」

「………おめでとうございます。…と、言うべき場面ですか?」

「おおきに……同性婚は、まだ法整備も、……それを進めてはった朝槍先生も…うっ…ううっ…」

 また涙が溢れてきた。今度は嗚咽を耐えられず議員食堂前なのに泣き出してしまった。朝槍を喪ったことも同性婚の法整備の話で実感してしまうし、そして胸の痛みに失恋も混ざっている。もう、ずっと前から鷹姫のことは諦めると決めていたのに、それが確実になった実感があって悲しかった。

「…ううっ…」

 食堂前で泣いている鮎美を他の議員たちは気の毒そうに見てくれる。仲間だった都議や秘書の両親が殺された話は有名すぎるほど有名で、誰も甘ったれて泣いているとは批難しない。鮎美は食欲が無くなって昼食はミルクティーだけにした。紛糾した国会が終わり、遅い時間に議員宿舎に帰ると、まだ食欲が無いので一人で入浴だけしてベッドに寝転がった。

「……ぐすっ……こういうの……マリッジブルーっていうんかな……」

 頭と気持ちの整理がつかない。何をするべきで、どうすればいいのか、わからない。とりあえず、明日も国会に出席しよう、とだけ考え眠ろうとすると詩織からメールが入った。連合インフレ税がらみでの海外との連絡は再開しており順調ということと、そのために遅くなるけれど仕上がったリングを持って午前5時に議員宿舎を訪ねるので抱き合いたいことが打ってあった。

「………詩織はん……もう仕事して………あんたは超人なん……、しかも朝から……やる気で………どんだけ体力あんの……」

 わかったよ、とりあえず寝るわ、とだけ送った。

 

 

 

 翌3月3日木曜朝、また陽湖は悪夢を見ていた。夢の中で陽湖は風邪を引いた鮎美の代理で演説することになり選挙カーの上でマイクを握って話していたけれど、オシッコしたくなり必死に我慢していた。そばにいる静江や鐘留に目くばせしても気づいてくれず、どうにも我慢できなくなって聴衆たちの前で漏らしてしまう夢になり、さらに夢らしい脈絡の無さで場所が学園の体育館に変わる。マイクは握ったまま、生徒の代表として全校集会で壇上に立っているのに、おもらししている状況になっていて三年生だけでなく二年生、一年生にまで笑われるという展開になったかと思えば、全校生徒の顔が鐘留の顔になり笑ってくる。もうこんな世界はイヤだと叫ぶと、体育館に津波が流れ込んできた。波に飲まれるとお尻が温泉に入っているように温かくなり、また今夜もオムツの中にオネショしているのだと気づいたところで目が覚めた。

「っ……やっぱり夢……はぁ……いつも津波で終わり……」

 予想通りオネショしていたし、住ませてもらっている芹沢家の布団を汚していると申し訳ないので心配になって敷き布団を触ったけれど、オムツの中だけで済んでいる。まだオムツは温かいので濡らしたばかりのようだった。

「これで5日目………あと二日で一週間……」

 課せられた一週間のオムツ生活は後半に入っている。三日目まではオムツを濡らす度に鐘留がからかってくることもあって涙で目元も濡らしていたけれど、四日目になると、さすがに慣れたしオムツに漏らしても周囲の人に気づかれるわけではないので泣かなくなった。

「でもシスター鮎美ほど、開き直る気には……期間が長くなるとそうなるのかなぁ……生理でのナプキンとは、ぜんぜん違うと思うけど……」

 誰もいない自室なのでパジャマとオムツを脱いで、股間をよく拭いてから、新しいオムツを穿いて制服を着る。濡らしたオムツは丸めてビニール袋に入れ、しっかりと縛ってからゴミ箱に入れた。今朝はゴミの日なので家にあるゴミ箱を回収して、まとめる。いつもより重いのが自分の使用済みオムツのせいだとわかっていても考えないようにして島のゴミ捨て場に出した。見つからないかと不安になるけれど、よく見ると他の家から出ているゴミにもオムツがあって要介護老人などがいるのだと、初めて実感した。

「はぁぁ……」

 それでもタメ息をつきつつ芹沢家に戻り、朝食の用意をする。つわりが少し改善した美恋は申し訳なさそうに少し手伝ってくれた。

「シスター陽湖がいてくれて、本当に助かるわ。ありがとう」

「いえ、お母さんたちと生活できて楽しいです。もうすぐ卒業ですけど、そのあとも赤ちゃんが産まれてくるまで、いっしょにいたいくらいです。……」

 口約束では同居は卒業までとなっている。その後は家に戻らなくてはならないけれど、気が進まない。いっそ一人暮らしでも始めたいと思っている。陽湖の時給は1000円で9時から17時までの勤務が標準、週休二日で4週間だと16万円になるし、ときおり残業もあり、選挙などで土日出勤もありえる。十分に一人暮らしできる。親と同居する方が教会への寄付は多くできるし、親の家計も楽ではないはずなので助けにもなる。それでも、気持ちとしては一人暮らしするか、このまま芹沢家で住み込み秘書のような形の方が再び両親と暮らすより気持ちが楽だった。そんな陽湖の思考を感じたのか、美恋が言ってくれる。

「あなたさえよければ、いつまでいてくれてもいいのよ」

「お母さん……」

 同居が長くなったせいか、実の母親より美恋に親しみを覚える。美恋の方も実の娘が帰ってこないこともあって、陽湖の存在が心理面でも家事面でも大切になっていた。起きてきた玄次郎と三人で朝食を摂ると、連絡船で本土に渡り、玄次郎に支部まで送ってもらった。ほぼ同時に鐘留も出勤してくる。鐘留も運転免許を取ったので親に買ってもらったフェアレディーZで来ている。少しタイヤを鳴らして駐車場に入ってきた。日に日に調子に乗った運転をするようになっているので、鐘留を何度も実技検定で落としたセクハラ教官の判断は、ある意味で正しかったのではないかと思うほどだった。鐘留が降りてくる。春が近づき暖かくなってきたことと、車移動が基本になってきたことで、鐘留は完全防寒をやめ無改造の冬制服姿だった。

「ハーイ♪ 月ちゃん、おはよう」

「シスター鐘留、ちゃんと初心者マークを貼ってください」

「貼ってあるよ。ここに」

 鐘留は初心者マークを、かなり見えにくいところに貼っていた。

「そんなところじゃ後続車に見えませんよ」

「だって、見えるとこに貼るとさ、カッコ悪いじゃん。せっかくのフェアレディーZなのに。あと、信号で並ぶときとか、初心者のくせにZなんか乗りやがって、うわ、女かよ、って目で見てくるし。さらに、こいつ若けぇ、絶対に親に買ってもらったお嬢だ、って同乗者と笑ってるときあるしさ。ホントは羨ましいくせに」

「それは一面の真実なのでは……」

「真実でいえば、やっぱりフェアレディーは若い女の子が乗ってこそレディーじゃない? 中年のオッサンが乗る方がキモいよ。どこがレディーなわけ?」

「う~ん………ただのネーミングですから……。何にしても、初心者マークは見えるところに貼るべきです!」

「ふ~ん……じゃあ」

 鐘留がニヤリと笑って言ってくる。

「月ちゃんもお尻にオムツマーク貼りなよ。そしたら、アタシも初心者マークを、ちゃんと貼るよ」

「っ…」

 陽湖が恥ずかしそうにスカートを押さえる。見た目にはわからないはずでも、やっぱり不安だった。

「月ちゃん、ちゃんとオムツを今日も着けてきた?」

「………」

 陽湖は無視して支部に入る。支部の前にも県警の制服警官が2名いて鮎美が不在のときでも警備する体制になっていたし、鬼々島(おきしま)の港にも今日から2名の制服警官が常駐することになっている。主治医と秘書の両親が拉致殺害されたことから、鮎美の両親への襲撃も警戒した方がよいとなっていた。

「「おはようございます」」

 陽湖と鐘留が挨拶すると、党の職員たちもこころよく迎えてくれるし、斉藤も復帰していた。陽湖はセクハラ写真集団訴訟の事務仕事を、鐘留は連合インフレ税についての詩織の補助を始め、一時間して鐘留は持参した菓子箱を開き、全員分の紅茶を淹れた。可愛らしく全員に配って歩き、最後に陽湖にも提供する。

「どうぞ、粗茶ですが♪」

「…ありがとう、シスター鐘留」

「おかわりも淹れるよ?」

「……一杯で十分です」

「クスクス」

 楽しそうに鐘留も休憩して、お菓子を食べ、紅茶を飲むと、トイレに行ってから仕事を再開した。お昼休み前になって陽湖はセクハラ被害者の訴えを弁護士に指示された要点に振り分けてまとめながら、限界が来てオムツを濡らし始めた。

「…っ…はぁ…」

「あ、漏らしてる?」

「………」

 鐘留の問いを無視して顔を伏せる。どんどん生温かく股間が濡れ、ずっと我慢していたオシッコを解放する快感と仕事場で排泄している羞恥心が混ざり、陽湖のメイクしていない頬が赤くなった。

「きゃははっは!」

「……トイレで替えてきます」

「ダメダメ、アユミンは選挙活動中だったから、すぐ交換もできない環境に耐えてたんだよ。月ちゃんもお昼休みまで我慢しなよ」

「…………」

 腰を上げていた陽湖は黙って椅子へ腰をおろした。濡れたオムツの感触がお尻いっぱいに拡がる。またセクハラ被害者の訴えをまとめ始めた。

「月ちゃん、アソコ濡らしたまま、お仕事するの、どんな気分?」

「それもうセクハラ発言です」

「ごめん、ごめん」

 口先では謝ってくれるけれど、まったく反省していない。お尻が冷たくなる頃、やっと昼休みになった。トイレに入ってオムツを交換し、お弁当を食べる。

「どうぞ、粗茶ですが♪」

 また鐘留がお茶を淹れてくれた。

「…ありがとう…」

 口先では感謝したけれど、まったく感謝していない。鐘留は奥の執務室にいる石永へも秘書補佐として、お茶を淹れに行った。

「石永先生、お茶どうぞ」

「ああ、ありがとう」

 石永は妻に作ってもらった弁当を開いている。期待された二世議員の妻らしく栄養のバランスが取れた内容だった。鐘留は微笑みながら言う。

「お茶に毒は入ってませんから、ご安心を」

「君は冗談にならない冗談が好きだなぁ。ま、落選議員のオレを殺しても仕方ないだろう」

 石永はお茶を啜り、弁当を食べる。鐘留が執務室を出て行ったので食べながらパソコンを操作して詩織のデータを出した。詩織の履歴書やマンションで襲われたときの情報などだった。

「………彼女、ドイツ警察に勤めていた経歴もあるのだから……やすやすと犯人に強姦されるものだろうか……だが、両親が人質では、どうにも……ならないか……。けど、マンション床にあった血痕は犯人のもので、硝煙反応もあったということは、マンションで撃たれたのは犯人のうちの一人のはず……そこから朝槍先生もつれて静岡へ……そして、彼女以外は全員死亡……実に不可解だ」

 石永は弁当を食べ終えた。

「ま、オレは刑事でも探偵でもなく二世議員だからな、オレはオレの仕事をしよう」

 お茶のおかわりが欲しいので女性を呼びつけるのでなく、自分で茶碗をもって事務室に行った。鐘留たちがテレビを見ながら寛いでいる。

「お、また芹沢先生が映ってるな」

 鮎美のことが報道されない日はないくらいだったし、今も映っている。レポーターが鮎美に問う。

「芹沢議員、そのリングが結婚の証しということですか?」

「はい、そうです」

 鮎美が答え、そばにいる詩織も頷いている。

「ですが、同性愛者の結婚は法的に認められていません、そのところは、どうお考えですか?」

「二人の気持ちの問題やと、思ってます。憲法にも婚姻のもっとも大切な要件は合意であり、合意のみに基づいて成立する、とあります。気持ちが一番大切やということです。また、いずれ同性婚が法整備されたとき、それぞれの結婚記念日は遡って認められるようにしたいと考えます。法的な遡及適応は刑事的な処罰については憲法39条で厳に戒められていますが、婚姻のようなことなら遡及も認めていくべきと考えますから」

「そのリングに彫られている2011.03.01というのは、お二人の結婚記念日ですか?」

「はい、そうです」

「結婚されたという風に解釈すると、これからは他の同性と性的な関係をもつことは不倫となるとお考えですか?」

「…それは……そう…なる、と思います…」

 やや歯切れの悪い答えに、詩織が追加して言う。

「不倫したら殺します」

「……。だそうですから、やめときますわ」

「お二人には、すでに性的な関係があるのですか?」

「……その質問は、ちょっと…」

 答えようか迷っている鮎美へテレビカメラの前で詩織がキスをした。はじめ抵抗しようとした鮎美も途中で諦め、ディープキスになる。

「…ハァ……カメラの前で、アホなことさせんといてよ…」

「百聞は一見にしかずですよ。他に、まだ、ご質問はありますか?」

「牧田さんは、ご両親を亡くされていますよね?」

「私は芹沢詩織です」

「失礼しました。芹沢詩織さんは、ご両親を亡くされていますが、このタイミングでの結婚というのは、どうですか?」

「…………」

 詩織が黙って顔を伏せ、両手で顔をおおった。鮎美が肩を抱いてレポーターを睨む。

「このタイミングやからこそです。不謹慎やとは思いますし、新しい命を育める関係でもないですけど、慰め合っていきたいと想ってます」

 インタビューの放送が終わり、石永と静江は頭を抱え、鐘留と陽湖は驚いた。

「あいつら……」

「あの子はまた相談も無しに……」

「アユミン、電撃結婚だ!」

「シスター鮎美………法も……神も……認めていないのに……」

 支部内も騒然となり、すぐに各所から問い合わせの電話も入ってくる。それらへの対応が終わった頃、そっと陽湖はトイレに向かったけれど、鐘留が追ってきた。

「どこ行くのかな? 月ちゃん」

「トイレです」

「ダメだよ。ちゃんと、おもらししなよ」

「……大は行かせてもらえるはずです」

 さすがに大きい方は鮎美からの情けで許可が出ていた。

「おしっこはしちゃダメだよ。終わったら、そろそろ3時だし、お茶にするね」

「……」

 黙って陽湖は個室に入り、オムツをおろし、スカートをあげて便座に座った。息みつつ律儀に小便は我慢したけれど、我慢しきれるものでもなく両方が出た。

「はぁぁ……」

 すっきりとして陽湖は事務室に戻る。

「おしっこもしたの?」

「………」

 嘘はつきたくないので答えずに着席すると、鐘留が大きめのカップで紅茶を淹れてくれた。

「粗茶ですが、どうぞ♪」

「………」

 お礼を言う気になれない。美味しそうな高価なお菓子さえ憎らしく見えた。それでも食べると、やはり名店の菓子なので憎らしいほど美味しい。諦めて紅茶も飲むけれど、また鐘留が見ているうちに漏らすのはイヤなので17時まで我慢した。

「月ちゃん、残業しないの?」

「しません。お父さんが迎えに来てくださいますし、お先に失礼します」

 鐘留が割り当てられている連合インフレ税の仕事は対応が速ければ速いほどよいけれど、陽湖が取り組んでいる集団訴訟は、まだ初回の日時も決まっていないので余裕がある。裁判が始まっても月に一回程度のペースだと聞いていた。陽湖は立った拍子に漏らしそうになったので身震いして我慢する。

「きゃはははは! 漏らした?」

「漏らしてませんから」

「夜は、どうなの? やっぱり毎晩オネショしてるの?」

「………」

「きゃはっ♪ してるんだ。オネショ、恥ずかしい! ねぇ、ねぇ、どんな夢見て、オネショするの? 殺される夢? 捨てられる夢?」

「…………」

 津波の夢だと答えると、またろくでもないからかいを受けそうなので黙って支部を出た。すぐに玄次郎が車で拾ってくれる。

「夕飯の材料、サディで買うか?」

「お父さん、もうサディとシャスコは統一されてイオソになりましたよ」

「ああ、そうらしいな。で、どうする?」

 問いながら信号が青になったので玄次郎が車を前進させると、その加速が下腹部にこたえて陽湖は漏らしそうになる。

「っ…はぁ…」

 少し漏らしてしまった。万一にもオムツから漏れ出て玄次郎の車を汚すと申し訳ないのでギュッと両脚を閉じて、すべて出してしまうのは我慢した。

「…はぁ…」

「疲れてるなら、弁当にでもしよう。それか、二人で外食して美恋にはテイクアウトして帰るか」

「いえ、作ります。大丈夫です。料理は事務仕事ばかりより気分転換になりますし」

「そうか……ありがとう。無理はしないでくれよ。少し顔が赤い、大丈夫? 今週、ちょっと様子がおかしいぞ?」

 同居していても玄次郎は男性らしい鈍さで陽湖がオムツ生活をしていることに気づいていない。美恋も、つわりのために洗濯なども陽湖に任せているため、今週は一枚も陽湖のショーツが洗濯されていないことに気づいていなかった。

「私は大丈夫です、気にしないでください」

 少し漏らした直後なので、やや膀胱が楽になり陽湖は微笑みをつくった。二人でスーパーに入り、食料品を選ぶ。冷蔵庫が並ぶ食品コーナーで買い物をしていると脚が冷えて、また陽湖は漏らしそうになる。

「っ……はぁ…」

 他人が食品を買っているところで排泄するのは気が引けて、オムツの中とはいえ漏らさないように我慢するけれど、また少し漏らした。

「ぅ……小出しにすれば……家まで我慢できるかも……」

 スーパーや車内で、すべてを漏らすのはさけたい。内股にならないよう姿勢に気をつけながら、玄次郎と買い物を続けていると、よりによって屋城に出会った。キリスト教の指導者として、きっちりとしたスーツを着ているので持っている買い物カゴとの組み合わせには違和感があるけれど、それも好ましく感じてしまう。

「シスター陽湖、お買い物ですか?」

「っ、は、はい。ブラザー愛也も?」

「ええ、母が風邪を引いたので」

「それなら、お手伝いに…」

 行きたいと想う気持ちと、オムツを着けて屋城の家に行くのは避けたいと思う気持ちが拮抗した。屋城は断ってくる。

「いえ、たまには母がしてくれていることをなすのも勉強ですから」

「…そ…そうですか…」

 残念さと安堵が入り交じったとき、気が抜けて急に膀胱が収縮してきた。

「っ…んっハァ!」

 何度も我慢を強いられた括約筋がいうことをきいてくれず、おもらししてしまう。

 ジョジョ…ジョジョジョォ…

「…はっぁぁぁ…」

 せめて音を聴かれないよう勢いを抑えて漏らそうとするので余計に身震いし、顔が真っ赤になって目が潤んだ。

「シスター陽湖、どうしたのです?」

「月谷さん、どうした?」

 屋城と玄次郎が不思議そうに見てくる中、陽湖はオムツいっぱいに漏らしてしまい、震えた。

「ハァっ…ハァっ…ぐすっ…」

 泣きそうになった陽湖を心配した屋城が見つめてくる。オムツからの音は店内の音楽や雑踏に紛れて聴かれていなかった。

「どうしたのです? 大丈夫ですか?」

「やはり疲れているのか、それとも風邪でも引いたか?」

「っ…は、はい! 風邪を!」

 オムツを着けて、おもらししていましたとは、とても言えない陽湖は玄次郎の言葉にのったけれど、直後に後悔する。

「ぃ、いえ! 違います!」

 嘘をつくのは戒めるべきことで、とくに屋城に対して嘘があるのは一生後悔する。陽湖はその場の床に両膝をつくと、屋城に向かって祈りの形に手を組んだ。

「告白します。私は嘘を申しました。風邪ではありません。ただ、どうしてもブラザー愛也に隠しておきたいことがあって、嘘を申しました」

「そうですか……お立ちなさい」

 屋城は右手で涙に濡れた陽湖の頬を叩くような動作で撫で、さらに反対の頬も撫でた。見ていた玄次郎には、それが何か宗教的意味のある動作に思えたし、他の買い物客たちも同じだった。陽湖と屋城の周りだけ、神聖な空間が産まれたように人の流れが避けている。陽湖が立った。濡れて重くなったオムツがずり下がらないように気をつけながら言う。

「はい、ここに罪を悔い、反省いたします」

「よろしい。シスター陽湖、あなたの気持ちには私も以前から気づいていました」

「……え?」

「まなざしを受ける度、私を慕ってくれていることは伝わっています」

 普段からの視線と、今さきほどの赤面して涙ぐみ、息を乱した様子で屋城は自惚れでなく確信していた。とくに卒業を目前に控えて少女が不安定になるのも察するところだった。まさか隠しているのがオムツの着用と、そこへ放尿してしまったことだとは察せない屋城は陽湖が隠しているのは、自分への想いだと解釈している。そしてそれは、外れてもいない。

「………ブラザー愛也…」

「あなたのような心美しい人に想われ、私もあしからず感じ入っています」

「っ……」

 陽湖が驚きと嬉しさの混ざった表情になりかけたけれど、屋城は厳しい表情で言う。

「けれど、私は学園の指導者、教師でないにしても、教師と類似した立場であり、あなたは生徒です」

「…………はい…」

「卒業まで、隠し続けてください。では、失礼します」

 そう言って買い物カゴを持った屋城は立ち去った。陽湖はよろめき、玄次郎が押していた買い物カートに手をつく。

「…お父さん……今………あれは……どういうことだと思いますか? 私は……フラれてない、ですよね?」

 すがるように問われ、玄次郎は頷いて微笑む。

「ああ、彼が大人で、立場を忘れていないというだけだよ。あまり女子高生であるうちに言ってしまうのはよくないけれど、けっこう裏で教師と生徒が付き合っていることは少なくない。で、卒業後、すぐ結婚、という流れ。まあ、何しろ教師は公立校なら公務員だし、私立校でも不祥事がない限りクビになりにくい、それなりにモテる職業だが、在校中に交際がバレると、実に体裁が悪い。卒業式まで、あと9日、四月まで1ヶ月、鮎美に頼んで四月になったら休みを多くもらってデートを楽しめばいい」

「………ああ……神よ……ありがとうございます……」

 陽湖はイオソの売り場で神に祈りを捧げた。それからトイレに入って濡らしたオムツを替える。

「……なんだか、すっごい恥ずかしかったけど……おもらしして……よかったかも…」

 女子トイレ内のオムツ専用のゴミ箱に捨てつつ、怪我の功名という言葉を思い出していた。

「おもらしなんて最初はイヤだったけど……ずっと我慢してた状態から解放されるとき……とても気持ちいいし………これ癖になるかも………でも、おもらしは淫らなことじゃないはず……聖書にも禁止されてないから……」

 かつて僧侶が女人との交わりを禁止され、教義に規定が無い美少年との男色に走ったように、普段から自慰もしない陽湖は新しい趣味に目覚めつつあり、聖書的に問題がないと解釈していた。

 

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