第47話 2月27日 オムツ強制、二度目のターゲット
翌2月27日の日曜朝、各種の検査で異常なしだった鮎美は医師の判断では即日退院可能だったけれど、桧田川の両親が人質に取られているという状況もあり、県警からの判断で入院していた。そして、繰り返された暗殺未遂のためにSPは常時6名体制にまで増員され、さらに県警も10名を派遣して病院内外を見張っている。
「アユミン、超VIP待遇だね」
「嬉しいないよ。健康やのに入院してるのも、微妙な気分やし」
高価な個室の病室に、鐘留と鷹姫、陽湖も集まってくれている。静江と石永は鮎美が出席を取りやめた三上市で行われている新春大日本プロレス関西大会へ代理の来賓として顔を出していて、鮎美には他にも3つのスポーツ大会と2つの宴会への出席が地元日程として組まれていたけれど、毒殺されかけたという報道も流したので欠席している。おかげで、友人たちと、ゆっくり会話する時間ができていた。
「うちを暗殺しようとする手口、だんだん手が込んでくるよね」
「はい、今回は高度に計画的です。まさか主治医を巻き込んで毒殺を企てるなど、介式師範たちでさえ欺かれ、危ないところでした」
鷹姫が頷いて言った。
「単独犯やのうて少なくとも2名以上の組織やし。うちを殺したい組織っていうたら、やっぱりタックスヘブンに莫大な財産がある者のうちの誰かなんかなぁ」
「連合インフレ税が実現しては困るという…」
鷹姫の言葉を鐘留が切る。
「宮ちゃん、アユミン、そういう気分が暗くなるような話をしないようにってシズちゃんが言ってたじゃん。明るくいこうよ。そのためにアタシたち集まってるんだしさ」
「そやね」
気分が落ち込まないようにという静江の配慮もあって地元日程はキャンセルの上で病室での休養になっている。鐘留と陽湖が買い込んできたスナック菓子を開封してジュースを鮎美に渡した。
「じゃ、アユミンの強運を祝って、カンパイ♪」
ジュースを飲んで、お菓子を食べながら、テレビをつけた。高価な個室なので病人用ベッドの他に、ソファセットとコーヒーテーブルまであり、誰も病気ではないので鮎美たちはソファで寛いでいる。テレビがニュースを流してきた。
「こちらは芹沢議員が入院している六角市の病院です。容態について医師からの説明は無く…」
暗い話題を避けるため、陽湖がチャンネルを変える。
「目撃した婦人会の人によると、芹沢議員は救急車へ乗せられるとき、ぐったりとして自力では動けなかったそうです。現場の床には嘔吐した痕が拡がり…」
チャンネルを変えても、どのチャンネルも鮎美のことを流していたのでテレビを切った。
「月ちゃん、なんか面白い話題ない?」
「急に言われても……修学旅行の準備、そろそろできていますか? シスター鮎美の参加は可能ですか?」
「う~ん……一応、準備はしてるよ。パスポートも取ってあるし。けど、国会会期中になぁ……欠席してはなぁ……しかも、明日も、この病室に缶詰で国会は欠席するかもしれんし……」
「行こうよ! アユミン! アユミンには絶対、休暇が必要!」
「シスター鐘留、修学旅行は遊びじゃないですよ」
「信徒には、そうかもしれないけどさ、アタシたちにとっては、ただの海外旅行だよ。聖地のあるイスラエルっていってもさ。奈良の東大寺に行くのと変わんないし」
「そんなものと、いっしょに……ただ、大きいだけの偶像と…」
「陽湖ちゃん、イスラエルに鹿っておるの?」
「いません! ……たぶん」
「陽湖ちゃんも行ったことないの?」
「簡単に行けるような距離じゃないですから。一生に一度になるかもしれません」
「聖地巡礼なぁ……そらまあ、宗教学校なんやし。修学旅行の定番といえば、お寺の総本山、京都と奈良ってのが普通の感覚やとしたら、キリスト教やったら、その聖地に行きたいもんなんかもなぁ……うちはアメリカのディスニーランドが行きたかったかも。ま、千葉のでもええけど」
「アユミン、しょっちゅう東京に行ってるんだし、寄り道しないの?」
「無理無理。公費で行ってるわけやし、スケジュールに空きないし、なにより、今のうちが行ったら、あのネズミよりも囲まれて記念撮影もとめられるちゅーねん」
「きゃははは! 人気者だね。宮ちゃんさ、食べてばっかりいないで何か話なよ。アユミンを明るく励ますのも秘書の仕事だよ?」
「…………。……」
行儀良く一つずつスナック菓子を食べ続けていたところへ、急に話を振られて鷹姫が困った顔で考え込む。わいわいと女子同士が盛り上がって話しているときに入っていくのは、とくに苦手だった。そして、千葉やアメリカにある遊園地にも、イスラエルにある聖地にも興味がなく、黙って考えていたのは奈良の東大寺を焼失させた戦国武将松永久秀のことだったけれど、その話を三人へしても、鮎美は聴いてくれても、この場に合わないような予想はできた。どういう話題がいいか考え込み、そして気になることを問う。
「………鮎美、お身体に異常はありませんか?」
「うん、ないよ」
「本当に?」
「ぜんぜん平気よ。しいて言えば、指を突っ込まれた喉が少し痛いかな」
「すみません」
「ううん。鷹姫のせいやないよ。あとで突っ込まれた介式はんの指が、こたえたわ。指2本も入れてくるし、吐いても吐いても吐かされるし、死ぬか思たわ」
そう言いつつ、今も警護してくれている介式と知念を見る。
「「………」」
二人とも警護中なので黙っている。以前の入院では病室まで入ってこなかったけれど、主治医だった桧田川が手先に使われたことで、もはや医療従事者さえ警戒すべき対象となり病室まで入ってきている。
「ま、それも、うちを助けるためなんやし感謝してますよ。おおきに」
「……」
鮎美は微笑んで感謝したけれど、介式は無表情のまま答えない。ただ任務である警護のみを行い、鮎美の私生活には関与しないようにしている感じだった。知念は、一言くらい何か答えてあげればいいのに、という目で上司を見たけれど、余計なことを言って叱られたくないので黙っている。鐘留はスタイルの維持と摂取カロリーを考えているので、買ってきたわりに、ほとんど菓子を食べずノンシュガーの炭酸飲料を飲みながら言う。
「月ちゃんさぁ。今朝も日曜礼拝に行ってから、ここ来たよね。あのマスターブラザーとは、どうなの? 付き合ってくれそう?」
「っ…、そういう次元で見ていませんから!」
陽湖の顔がパッと赤くなるので、からかい甲斐がある。
「じゃ、どういう次元? 四次元? 五次元? きゃはっはは!」
「どうして、そう低次元というか……品位の低い…」
「じゃあ、月ちゃんは高い次元で頑張るんだね。超次元セックスとか」
「………」
「ある意味、同性愛が、そうかもね。アユミン」
「う~ん……超常識ではあるかもしれんけど、次元は……どうかなぁ」
「他に面白い話ないかなぁ? あ、クスクス、アユミンって東京で、ずっとオムツ着けてたらしいね? きゃははは♪」
「その話題、絶対からかってくると思てたわ。好きにして」
「きゃはは! ホントなんだ? ホントのホントにオムツ着けてたの?」
「そうよ。漏らすよりマシやし。雑誌に書かれた通り、選挙の初日に漏らしてしもたし」
「うわぁ♪ おもらしもホントなんだ。宮ちゃんの前で漏らしたんでしょ? 宮ちゃんどうだった?」
「……コメントを差し控えます」
「きゃははは! アユミン、よくオムツなんか着けて人前で演説できるね」
「東京はホンマにトイレないし。ま、自分でも笑えるよ。この歳で、おもらしとか情けないわぁ。ははは…」
「きゃははは! きゃはははは!」
「…ははは…」
からかわれても鮎美は受け流していたけれど、しつこく鐘留が20分以上も笑って、からかい続ける。
「アユミンちゃん、オムツ着けてるんでちゅね。かわいいでちゅね。ハイハイできまちゅか? もう歩けるのかな? アユミなだけに、ちゃんとオムツ着けて歩いてくだちゃいね」
「はい、はい」
「シスター鐘留、ちょっと、しつこいですよ」
「非礼です。黙りなさい」
「きゃはは! いいじゃん、面白い話題なんだしさ。アユミンも笑ってるし」
「どうとでも言うて」
「アユミンのオムツ姿、ちょっと見たい。着けてみてよ」
「嫌やし」
「おもらしアユミン、パンツだと漏らしちゃうよ?」
「こっちではトイレに行くし」
「きゃははは、トイレに入ってもパンツ脱ぐ前にジャーってしちゃうよ? 水たまりつくらないでね。あ、でも、鮎なだけに、そこでピチピチ泳げるかな。ピチピチの議員さん」
言いながら鐘留が魚の泳ぐ真似をして見せ、それが珍妙で可笑しくて、つい陽湖と鷹姫まで失笑してしまう。
「「クスッ…」」
「きゃははははは! ピチピチおもらしチャー♪」
「「クスクス…」」
「きゃははははは! ひーははははは!」
「……っ」
ずっと受け流していた鮎美が作り笑いから真顔になり、そして急に怒鳴る。単純に堪忍袋の緒が切れていた。
「いつまで笑ってんねん!!」
「っ…」
「「……」」
怒鳴られて鐘留はビクリとしたし、陽湖と鷹姫も黙って下を向く。鮎美は怒り続ける。
「しつこいんよ!! うちが好きでオムツ着けたとでも思うんっ?!」
「「「………」」」
「からかうにも程があるやろ!!」
「……ごめん……アユミン…」
「鷹姫と陽湖ちゃんまで笑うし!!!」
「っ…すみません……」
「ごめんなさい、シスター鮎美……」
「腹立つわァ!!」
鮎美がコーヒーテーブルを手のひらで叩いた。
「「「っ………」」」
秘書たちは小さくなっている。介式と知念は、SPは無関係とばかりの顔で鮎美のそばに立ったまま何も言わない。
「ちょっと、あんたらもオムツ着けてみいよ! どんな気持ちか思い知りぃ!」
「「「…………」」」
「鷹姫! 一応、東京からオムツ持って帰ってきたよね?! あれ、出して! 3枚!」
「……はい…」
鷹姫が叱られた子供のような顔でカバンから大人用オムツを3枚出した。それを受け取った鮎美は三人へ投げつける。
「着けてみ!」
「…………ヤダよ……セクハラだ……横暴だ…」
鐘留が小声で抗議した。
「セクハラちゃうし! うちが体験したことを、あんたらも秘書として学習しいぃ! 静江はんはな、ちゃんと選挙のとき、しっかり気を遣ってトイレのタイミング計ってくれてはったんよ! あんたら、そんな気遣い無いやん! この機会に学びぃ!」
「……ぅぅ…………ヤダよ……死んでもヤダ……」
「あんたが一番しつこく笑ったやん!」
「………ぅぅ…」
「緑野は非礼すぎましたが………私と月谷は………ご勘弁願えませんか?」
恐る恐る鷹姫が寛恕を乞うたけれど、睨まれる。
「鷹姫、後から考えたら、うちが選挙カーで帰ってくるのて事務所内の気配でわかったはずやんな。むしろ、わかったからこそ水田はトイレを塞ぎよったんやと思うわ。意地悪したろ思う水田は当然かもしれんけど、逆に秘書の鷹姫が何も考えんと、うちが我慢して帰ってくるの予想もせんとトイレ塞ぐって、どういうことなん?」
「っ………配慮が足りませんでした……お許しください」
「陽湖ちゃんも国会前でのインタビューのとき、お腹壊して持ち場を放棄したよね? あんなこと、うちの立場でできると思う?! うちがオムツ着けてでもやってること、少しでも体験してみぃよ!」
「………本当に、ごめんなさい…………わかりました。着けます」
投げつけられたオムツを持って陽湖は病室にあるバストイレに入る。スカートへ手を入れ、ショーツを脱いだ。ショーツはポケットに入れて、オムツを見つめる。
「………かなり嫌………こんな嫌なことにシスター鮎美は耐えて………」
いざオムツを身につけるとなると、激しい抵抗感があった。吸収体があるということでは毎月の月経で身につけるナプキンと大差ないのに、形のせいなのか、赤ちゃんや寝たきり老人が着けるモノというイメージがあるからなのか、脚を通すのに心理的な抵抗で時間がかかった。それでもお尻まで引き上げ、スカートの上から撫でてみた。
「……ぅぅ……モコモコする……見て、わからないかな…」
バストイレにあった鏡で自分の姿を確認する。制服のスカートのおかげで立っていればオムツの膨らみはわかりにくいけれど、前屈みになるとお尻が不自然に膨らんで見える。その不格好さが恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
「……やっぱり赤ちゃんみたい……もしスカートがめくれて、見えたら……」
鏡に向かって自分でスカートの裾をたくし上げてみると、ショーツと違い、ヒップラインは隠れ、代わりに赤ん坊のようにモコモコとした紙オムツが見えるし、赤ん坊と違うのはオムツから伸びる両脚で、そのラインは大人と変わらない。いかにも不似合いなモノを着けているという気がして顔が熱くて目が潤む。
「…こんな、いい歳で……」
なんだか泣きたくなるような切なさがあって、熱いタメ息が漏れた。
「……はぁぁ……シスター鐘留のせいなのに………どうして、私まで……」
ついつい愚痴をこぼしつつ、バストイレを出た。
「着けてきました」
そう言うだけでも陽湖は恥ずかしくて顔が再び真っ赤になるのを自覚した。ショーツと違い、妙に密着感が無いので股間がスカスカして頼りない。動くとガサガサするのも恥ずかしかった。
「鷹姫とカネちゃんも着けてきぃ!」
「「…………」」
「早う!」
「………」
落ち込んだ顔で鷹姫がオムツを持ってバストイレに入る。介式と知念は事務所内部の叱責だとみなしたようで、何も言わずにいる。鷹姫はバストイレの扉に鍵をかけた。
「…………」
ショーツを脱いだ。
「…………」
オムツを開いて見つめる。
「………ハァ…」
オムツを持つ手が震えた。そのまま3分以上も固まっていた鷹姫は外から鮎美が早くするよう言ってくるので、震える手でオムツを穿いた。
「…………ハァ……」
全身に鳥肌が立つ。立って歩こうとするのに平衡感覚がおかしくなったように、まっすぐ歩けずヨロヨロとバストイレを出た。
「………」
「着けたん?」
「………」
黙って頷いた。とても顔をあげることができないし、陽湖は赤面したけれど、鷹姫は赤面を通りこして羞恥心で青ざめている。長時間プールに入って身体が冷えた小学生のように唇まで青かった。よろめきながら、なんとかソファに座るとオムツのガサガサとした感触がお尻いっぱいに拡がり身震いする。
「っ………ハァ………」
「次! カネちゃん!」
「……ヤダ…」
駄々をこねる子供のように鐘留が抵抗する。
「嫌でも着けてきぃ!」
「…………ぅぅ……アユミン、許して…」
「許さんし!」
「………」
「早う!」
「…………オムツはヤダけど、アタシにエッチなことならしていいよ」
「………」
「また、アタシの腋とか舐めたり、アソコに触ってくれてもいいし」
鐘留が制服のスカートを手でつまんであげ、下着を見せる。鮎美の睨んでいた視線が鐘留の股間に落ちてとまる。知念は目をそらして壁へ視線を固定した。
「ほらほら、アユミン、アタシの身体、欲しいんでしょ?」
「……お母さんが怒ってはったやん」
「黙ってれば、わかんないよ」
「今は、そういう問題やなくて……うちと同じ体験を……」
「オムツは絶対イヤ! 死んでもイヤ! 着けさせたらママに言うし! ヘンタイ議員に強制されたって!」
「………そんなにイヤなんやったら……」
「やった♪ アユミン優しい!」
鐘留が鮎美に抱きついて言う。
「アユミン、愛してるよ、それなりに」
「もお、カネちゃんにはかなわんわ」
鮎美は肩をすくめて諦めた。陽湖が納得いかない気分になる。
「そんな……もとはといえば、シスター鐘留が悪いのに……」
「じゃ、月ちゃんもエッチさせてあげる権利にチェンジすれば?」
「……ありえません…」
「陽湖ちゃんと鷹姫は一週間、それで過ごしてな。うちは選挙期間中、ずっとやってんし」
「「一週間……」」
陽湖と鷹姫が異口同音し、鐘留が面白そうに言う。
「ねぇ、ねぇ、高3にもなって、オムツ着けてる気分どうなの? きゃははは!」
「……シスター鐘留……あなたって人は……いったい、誰のせいで私とシスター鷹姫が……こんな目に……」
「…ハァ……ハァ…」
鷹姫が肩で息をしている。青ざめていた顔が、ますます蒼白になり小刻みに全身を震わせていた。
「鷹姫? 大丈夫? 汗びっしょりやん」
「……ハァ………ハァ……」
鷹姫の顔色は、まるで冤罪なのに死刑が確定してしまった囚人か、これから輪姦されることが決まっている奴隷少女のような絶望しきったもので、鮎美は心配になってきた。
「なんか、このままオムツ着けさせてたら、ストレスで胃潰瘍にでもなりそうな顔してるやん」
「…ハァ……ハァ……」
「………鷹姫……、もうええよ。鷹姫、あんたに具合悪くなられると困るし、トイレ入ってパンツに替えてき」
「…ハァ……私は……ハァ……」
「ええから、早く! 命令よ! パンツに戻り!」
「…はい……」
鷹姫はバストイレで着替えてきたけれど、それでもフラついて出てきた。鐘留でさえ心配そうに鷹姫の背中を撫でる。
「宮ちゃん、死んでも嫌なことを、無理にやると死ぬよ?」
「……ハァ……」
「鷹姫、ちょっと、ベッドで横になっておきよ」
「…はい……ありがとうございます…」
ヨロヨロと鷹姫は本来は擬装入院中の鮎美のものであるベッドで横になった。陽湖が期待半分、不安半分で鮎美へ問う。
「シスター鮎美……私も……とてもイヤです。……私も、許してもらえませんか?」
「……………。せめて、一人くらい、うちと同じ体験してよ」
「うぅっ…」
「月ちゃん、頑張れ♪」
「……誰のせいで……」
陽湖が鐘留を恨んでいると、ずっと黙っていた介式がマナーモードにしていた携帯電話が胸ポケットの中で振動したので、警護を知念に任せて廊下で電話を受け、しばらくして戻ってきた。
「桧田川医師が芹沢議員に飲ませようとした粉の正体が判明した」
「なんやったんですか?」
「テトロドトキシンだったそうだ」
「「「「………」」」」
女子高生4人にとっては知らないものだったけれど、かなり危険そうな響きは感じた。完全犯罪に興味をもったことのある鐘留は毒殺についての書籍を読んだときに、見かけたような気もするけれど、もともと本気で人を毒殺しようなどと考えていないし、もしも自分が産んだ子供が障碍児だったら、やっぱり母親と同じうつ伏せに寝かせて自然な窒息死にみせるのが賢いと思っている。ただ、怖くて自分にはそれさえもできない気がしている。鮎美が介式に問う。
「それは毒なんですか?」
「致死率の高い猛毒だそうだ。少量でも死に至る上、多少の知識があれば入手は容易らしい。なにしろ、フグから抽出される」
「フグ……って、あの魚の?」
「そうだ」
「フグ毒やったんや……」
鮎美が大阪の繁華街では、よく見かけるフグの模型を思い出し、そして桧田川のことも考える。
「桧田川先生は、どうしてはるんですか?」
「逮捕の上、六角警察署に拘留中だ」
「………ご両親、人質やったのに、逮捕まで、せんでも……」
「殺人未遂の可能性もある。彼女は高い可能性で毒物だと認識して芹沢議員に飲ませようとした」
「……けど、寸前で止めてくれはったし……脅迫されて仕方なくやったことですやん。無罪で、ええんちゃいますの?」
「それは裁判官が決めることだ」
「…………。六角警察署ですよね! うち、桧田川先生に会いに行きます!」
「ダメだ」
「行きます!」
「芹沢議員が健康を害していないと知れれば、桧田川医師の両親が殺されるかもしれない。もっとも、すでに殺されている可能性もあるが、今は芹沢議員が外へ顔を出すべきでないことは確かだ」
「………」
鮎美は考え込み、陽湖に頼む。
「陽湖ちゃん、その髪ゴムを貸して」
「あ、はい」
陽湖はツインテールに結っていた髪ゴムを外して鮎美に渡した。受け取った鮎美は自分をツインテールに結う。
「あと陽湖ちゃんと制服の上着、交換しよ」
「なりすましですね。どうぞ」
もともと影武者計画まであった陽湖と鮎美なので髪型と制服を交換すれば、議員バッチが議院記章になり、ブルーリボンとレインボーブリッヂのバッチも無くなり、周囲を騙しやすくなる。知念が心配して問う。
「警護は、どうする気っすか? オレらは絶対に芹沢議員本人から離れませんよ」
「外の警護は置いて、介式はんと知念はんだけ、うちについてきてください。行くのは警察署ですやん。行くのもパトカーで行かせてもらえません? それなら警護が2人でも安全です」
「「………」」
「あと、鷹姫も来て」
「はい」
オムツを着けさせられたダメージから立ち直りつつあった鷹姫がベッドから出る。
「介式はん、知念はん、お願いします。協力してください」
「………わかった。県警に車両の手配を頼む。だが、なりすましは本当に大丈夫なのか? 外にはテレビカメラも多い」
「顔にハンカチあてて嘘泣きしながら行きますわ。大泣きしてたら、いかにも芹沢鮎美が死にそうに見えて、ええんちゃいますか」
「名案っすね! 芹沢議員、策士っすよ!」
「おおきに。ほな、鷹姫、いっしょに嘘泣きしよ。うちは泣いて知念はんに支えてもらうし、鷹姫は介式はんに支えてもらい。それでSPつきで移動しても不審に思われる可能性も減るし。他の警護は残って陽湖ちゃんを守っておいてもらお」
作戦が決まり、鮎美は気持ちを集中して涙を零して鼻を赤くしたけれど、鷹姫は戸惑い、泣くことができない。
「早う泣き。ぐすっ…」
「……泣けと言われましても……悲しくもないのに……」
もともと感情表現が苦手なのに、嘘泣きとなると余計に難しい。鮎美は泣きながら効果的な意地悪なことを言う。
「嘘泣きできんのやったら、またオムツを着けさせるよ」
「っ…」
鷹姫の顔色が悪くなった。
「うん、涙まで出んでも、その顔でええよ。あとはハンカチあてて、介式はんに抱きついておき」
「……はい……。あの…、鮎美は同性愛者なのに知念警部補とのペアで大丈夫なのですか? 私が知念警部補とでも…」
「うちは男が嫌いなわけやないよ。大きな犬みたいな気持ちで抱きつけるし」
「オレ……犬か……」
「逆に、介式はんに、うちが抱きついたらセクハラやし、嘘泣きどころか興奮しそうやし。あ、知念はん、うちとペア、イヤ?」
「大丈夫っす。どうせ、犬っすから」
「ごめん、ごめん、頼もしい番犬やと思てますよ」
そう言って鮎美が身を寄せると知念は赤面しないよう努力した。
「……ぐすっ……ほな、行こ…」
今にも友人が死にそうで泣いているという顔になった鮎美はハンカチをあてつつ、知念と病室を出る。介式と鷹姫も続いた。介式が病室前にいた部下たちに言う。
「しばらく離れる。室内は安全だ。誰が来ても入れるな。医師、看護師もだ」
「「「はっ!」」」
介式は手配したパトカーを病院の裏口に回させていたけれど、それでも数台のテレビカメラが敷地外から撮ってくる。
「あ、今、誰か出て来ました。あの制服は芹沢議員と同じ……あれは友人で秘書の宮本さんと月谷さんかもしれません。泣いています……芹沢議員の状態、かなり悪いのかもしれません。パトカーで移動するようです」
うまく取材はかわせた。六角警察署に着くと、すぐに取調室に案内してもらい、桧田川が連行されてくる。
「っ……桧田川先生……」
一目見て鮎美は気の毒で泣けてきた。女医として自信に満ちた颯爽とした人物だった桧田川が手錠をされ憔悴した顔でいるのは見るに忍びない。歩み寄って手を握った。
「桧田川先生、ごめんなさい、うちのせいで…」
「……芹沢さん……無事に生きて………よかった…」
「刑事さん! 手錠を外してあげてください!」
「で、…ですが…」
「うちの命の恩人です! 早うしてください!」
「……とは、いっても、殺人未遂という形も…」
「今さら逃亡のおそれも、証拠隠滅のおそれもないですやん! うちは被害者やし、参議院議員ですよ!」
今まで公務員に対して地位を誇示したことは、ほとんどない鮎美が叫び。刑事は迷いつつも応じてくれた。
「もう犯人グループの特徴なんかも桧田川先生から聞き出してはるんでしょ? いつまでも警察署に拘留なんかせんといてください! うちがホテルをとりますから、そこにいてもらいます!」
「それは……逃亡はともかく、被疑者の自殺のおそれもあり…」
「知念はん! 桧田川先生についてあげてください!」
「え……けど、それは……オレは芹沢議員の警護が任務で…」
「うちを一度は狙った人物を引き続き監視するのは警護になるでしょ」
「すごい理屈を思いつくっすね………介式警部、どうします?」
「仕方ない。私が芹沢議員を連れて帰る。お前は宮本くんと桧田川医師をホテルに保護しつつ監視しておけ。警察署長には見張りを手配してもらえるよう頼んでみる」
「わかりました」
「宮本くん、大丈夫か?」
「はい」
返事をした鷹姫は知念といっしょに桧田川を鮎美が予約した六角市で一番高価なホテルに連れていった。かつて天皇行幸のさいには宿泊されたこともあるホテルだったものの、六角市そのものが小さな街なので、一番高い部屋でも一泊10万円程度だった。その部屋で鷹姫は桧田川にお茶を淹れた。
「桧田川先生、どうぞ」
「ありがとう」
警察署に拘留されていることに比べれば、天と地ほど差があるので幾分か桧田川の顔色も良くなった。
「芹沢さんが元気そうで本当によかった……ぐすっ…」
「「………」」
鷹姫も知念も涙をぬぐう桧田川を見て胸が痛んだ。
「私が持たされたあの粉薬が何だったか、判明してる?」
「テトロドトキシンだったそうっす」
「……フグから……」
医師らしく瞬時に知識を思い出しているけれど、それを自分が手にして鮎美に飲ませようとしたのだとも思い出すと、また顔色が悪くなる。鷹姫がバスルームに入りつつ言う。
「お風呂の支度をいたします。どうぞ、ご入浴ください」
「……うん……ありがとう……」
思い返せば夜勤明けでシャワーを浴びようとして以来だった。桧田川は自分の体臭と、乱れきった髪を男性である知念がいるので恥じる。鷹姫が用意してくれた風呂に入って、やっと少しは気分が落ち着いた。知念は介式から連絡をうけ、鷹姫に言う。
「今夜中に六角署の方が人を手配してくれるそうっすから、宮本さんは、もう芹沢議員の方へ戻ってください」
「はい」
「一人で大丈夫っすか?」
「はい、問題ありません。………帰りも泣き真似をした方がよいでしょうか?」
「う、う~ん………俯いて歩くくらいでいいんじゃないっすかね」
「わかりました」
鷹姫は沈んだ表情をつくり、俯いて病院に戻った。徒歩で一人だったので病院前にいた報道陣にマイクとカメラを向けられたけれど、もともと普段から無口なので俯いたまま、何も答えず突っ切った。病院のエレベーターに乗り、鮎美が擬装入院している病室に入ると、鐘留が楽しそうに陽湖をいじめていた。
「そろそろ限界かな? オムツに漏らしそうだね」
「……ううっ…ハァ…」
ずっとトイレに行かせてもらえなかった陽湖が苦しそうに呻いている。もう陽湖はツインテールに戻っていて、介式と先に帰ってきていた鮎美は髪をおろしている。
「鷹姫、ご飯、どうする?」
擬装入院での鮎美の病状は、絶対安静なので病院食は出ないし、病室には4人もいる。
「何か買ってきましょうか?」
「ピザでも取ろうよ」
「カネちゃん、うちが死にかけてるときに、みんなベッドの周りでピザ食べんの?」
「あ、そっか」
「…ぅう……ハァ……ハァ……」
「陽湖ちゃん、あんまり我慢しすぎんと、もうオムツの中に済ませてしまいよ。楽になるよ」
「…ハァ……そう言われても……」
トイレ以外で排泄することに大きな心理的抵抗があって、出そうなのに出ないで苦しんでいる。
「きゃははは、月ちゃんの顔、必死すぎ」
「……あなたって人は……うくっ……うぅくぅ……もうダメ……」
座って我慢していた陽湖が立ち上がり、ほぼ条件反射でヨロヨロとバストイレに向かう。その進路上に鐘留が立ち塞がった。
「月ちゃん、どこ行くのかな?」
「…ど……どいて……もう、限界…」
「きゃはっはは!」
鐘留が陽湖の左手首を握って離さない。
「生徒会長さんが、おもらしなんてしないよね?」
「…うぅくぅ……ハァ……お願い……はなして……トイレに行かせて…」
「ダメダメ♪」
「カネちゃん、楽しそうやなぁ。これ学校でオムツ無しやったら、完全イジメやよ」
「し…シスター鮎美……お願いです…」
すがるように陽湖が右手を鮎美に向けた。もう両脚をしっかりと閉じてプルプルとお尻を震わせている。つま先立ちになって我慢しないと漏らしそうでバランスが悪くても足先だけで立っている。鮎美は支えるように肩を貸してやった。
「そんなに、ぴたっと脚を閉じてたら、漏らしたとき、ちゃんと吸収してくれんと横からハミ出てくるから、少しは脚を開きぃよ」
「…っ……ぅう…」
陽湖がフルフルと首を横に振った。
「…ハァ……ううっ……ハァ……うきゅぅう…」
「きゃははは! ウキュ~だって! 変な声出してる!」
「っ…わ、笑わないで…ひどい…」
陽湖が涙を零したので鮎美は気が変わる。
「そんなにイヤなんやったら、トイレでする?」
「…はい……お願いします」
「え~、このまま、おもらしさせようよ」
鐘留が陽湖の手首を握ったまま離さない。鮎美は肩を貸してバストイレの方へ連れて行こうとしたけれど、左右から引っ張られて陽湖は限界を迎える。
「っ…うきゅっ…うぎゅうぅぅ…ああああ!」
「「「………」」」
「きゅうあぁあぁぁ…」
とうとう我慢できなくなり、一気に漏れ出てくる。ずっと我慢していた膀胱が解放される快感と、股間のせつない生温かさに陽湖は浸った。着けているオムツから音が響いてくる。
ジュボボボボ…
オムツの中で水流がぶつかっている音だった。
「…ハァ……ああぁぁ…ハァ……あぁあ…ハァ…」
「もらした、もらした、生徒会長が、おもらしした!」
「カネちゃん、からかうの、やめてやりぃよ」
「きゃはっははは! 学校で言いふらしてやろうかなぁ!」
鐘留が笑うので陽湖は泣けてきた。その場に座り込みそうになるのは鮎美が支えてくれるけれど、涙は溢れて止まらない。
「…ハァ…ううっ…ぐすっ…ううっ…」
「きゃは、可笑しい! おもらしして泣いてるとか、超笑える! いい歳して超みじめ!」
「…ぐすっ……あなたは……あなたって人は……ううっ…」
悔しくて余計に泣けてきたのを鮎美が抱いてくれたので思わず胸に顔を埋めて泣いた。
「うううっ…うわああん!」
まるで幼児のように声をあげて泣いてしまう。陽湖は9歳の頃にしたおもらしの記憶を泣きながら思い出した。小学生もそこそこに大きくなってから、そんな失敗をしたのは両親が熱心に行っていた宗教勧誘に連れ回されていて、トイレに行きたかったのに行けず市内の戸別訪問を続け、招かれざる客として、知らない人の家のチャイムを鳴らして回り、出てきた人に冷たい目で見られるという作業を繰り返している日だった。親と街を歩いていてトイレへ行きたくなり、コンビニは見かけたけれど、親は貧しくても品行方正を心がけていたので、コンビニでトイレだけ借りるということはしてくれないし、そもそもコンビニで物を買うという経験が少なく、たいていは水筒を持ち歩いていたし、もしもお金に余裕があれば、すぐに日曜日の礼拝後に寄付していた。教団は信徒から、いつも寄付を募っていた。けれど、災害があれば被災地を支援したり、陽湖たち信徒の家庭が親の失業で困窮したりしたときも、ご飯を食べさせてくれたりするので、そういう助け合いだと信じている。ただ、小学校の他の子が日曜日に遊園地などへ行っていると聴くと、心が騒いだ。そんな風に節約していたので、トイレに行きたくなってもコンビニへ入れず、公園のトイレが見つかることを神に祈りながら戸別訪問していて、おもらししてしまった。たまたま訪問したアパートの女子大生が神学部の学生で、親と穏やかな討論になってしまい、長引いたからだった。女子大生はプロテスタントというキリスト教の一派だったけれど、陽湖はそのとき初めて自分たちが信じている神と同じような神なのに、やや解釈や信仰内容が違う神がいることを知った。他にもカトリックというものもあり、また自分たちがエホパと呼んでいる神もヤーベまたはヤハウェと呼んだりするとも聴いた。両親と女子大生はお互い礼儀正しく相手に気遣いながら話し合っていたけれど双方が、君たちの信仰は間違っている私たちの言葉を信じなさい、と遠回しに言い合っていたので子供だった陽湖には、とても気持ちの悪いやり取りに感じられた。そうして自分たちの教団、幸福のエホパは日系アメリカ人だったラッセル・大川・ヴォーリズという人が始めた比較的新しい宗教団体だとも知った。知りながら、パンツの中が生温かく濡れていくのも知った。神々についての大切な話をしている最中に、おもらしなんかしてしまい、もう楽園に復活することもできなくなると感じて、陽湖がシクシクと泣き出すと、女子大生は優しくアパートに入れてくれて洗濯してくれた。衣服が乾くまでの間も神と聖書についての話をしていたけれど、こんなに優しい人が信じている神なら、そっとしておけばいいのにと感じた。それで陽湖は帰り道、もう戸別訪問は嫌だと親に言ったら、叱られ諭され、そして慰めにミクドナルドでミックシェークを買ってもらえた。その緑色のシェークは今でも好きだった。
「…ぅぅ…ぐすっ…」
遠い記憶を思い出して泣いているうちに、鮎美が強く叱ってくれたのか、鐘留は病室の隅でおとなしくしている。鮎美は笑顔をつくって陽湖へ言ってくる。
「まあ、うちも車イス生活で漏らしたときは、国会の友達にも見られて、つい泣けたけど、おもらしも脅しも暗殺未遂でも2回目、3回目になると慣れてくるもんよ」
「ぐすっ……そんなものと、いっしょに……」
ようやく涙が止まってきた陽湖は生温かかった股間が冷たいのにも気づいた。
「…ぅぅ…」
ずっしりと濡れて重いオムツの感触もまたみじめでせつない。
「陽湖ちゃん、お風呂に入ってき」
「はい…ぐすっ…」
「鷹姫も、いっしょに入って慰めてあげてよ」
「わかりました」
陽湖と鷹姫が入浴し、鐘留が問う。
「アユミンが、いっしょに入りたがると思った。なんで、あの二人?」
「うちが入ったら絶対セクハラするし」
「きゃはっ、自覚があるんだねぇ」
「それに、うちは後でカネちゃんと入るつもりやし」
「きゃはは、絶対やる気だ。さてと、月ちゃんに2枚目を用意してあげよう」
鐘留は新しいオムツを入浴している陽湖の衣服の上に置き、ショーツは取り上げてきた。
「きゃはははは、いっそオムツで学校に行かせたら面白いね」
「鬼やなぁ…」
「にしても、アユミンも、よく耐えたよね。選挙中ずっとオムツでしょ?」
「慣れたら生理のときのナプキンと変わらんよ。それより、ご飯、どうしよ?」
「宅配ピザがダメなら誰かが買ってくるしかないよ。アユミンは出られないから…あ! 私と月ちゃんで行く!」
「それ道中でオムツ着けてること、さんざんからかって泣かす気やろ?」
「泣かさない程度にするから」
「あ、静江はんからメールや」
静江からメールが来て、食事を買っていくので何がいいか問われていて、可能ならピザと送信した。陽湖が悲しそうな顔で新しいオムツを着けて揚がってくる。鷹姫は気の毒そうに見ているけれど、あまり何も言わない。交替で鮎美と鐘留が入浴した。
「で、またアタシにエッチなことするのね」
全裸になった鐘留は元モデルらしくポーズを取って美しい肢体を鮎美へ見せつける。けれど、鮎美は少し見た後、興奮する前に目をそらした。
「ううん、カネちゃんのお母さんとの約束もあるし、何より桧田川先生のご両親が殺されるかもしれんってときに、そんなことできるほど、うちも無神経やないよ」
「アユミン……そういうこと考えないために、アタシたちと休養なんだよ?」
「うん、わかってるけど……」
鮎美は髪を洗い始めた。鐘留は身体を流して湯に浸かる。
「カネちゃん、陽湖ちゃんをいじめるの、ほどほどにしときや。でないと、わかってるやんね?」
「うん……絶対、アタシのこと誰にも言わないでよ」
さきほど陽湖が泣いている間も、あまりにも鐘留が笑い続けるので目線で、鐘留がいまだにオネショが治らず悩んでいることを公開する、と脅すとおとなしくなっている。髪を洗い終わった鮎美が湯に浸かると、バスタブの中で鐘留が鮎美へ抱きついて言う。
「ねぇ、アユミン、修学旅行、絶対来てよ」
「う~ん……国会があるのに…」
「お願いだよぉ、アタシにはアユミンしか友達いないもん」
「………」
オネショが治らない鐘留が修学旅行で不安なのは理解できる。きちんと就寝前にトイレへ行き、水分を控え目にしてナプキンをあてていれば、シーツを濡らすほどではないとしても、悪夢に魘されることもあって不安なのだろうとわかる。
「いっそ、カネちゃんも修学旅行を欠席するのは?」
「欠席したいけど、うちの学校、修学旅行に参加しないと、聖書研究科の単位をくれないよ。卒業できないし、修学旅行を病欠したりすると、聖書丸写しっていう、とんでもない課題がくるよ」
「……う~ん……高校中退でも議員資格は維持できるけど、さすがに高卒くらいは取りたいしなぁ……」
「ね、お願い。来てくれたら、キスさせてあげる」
「………キスはともかく、前向きに参加は検討しておくよ。けど、出発寸前に経済危機とか、大規模災害があったら、やっぱり国会議員やし、海外旅行なんてありえんから、そこはわかってな?」
「…うん………あ~あ……アユミンが男だったら、よかったのに」
そう言いながら鐘留は抱きついていた鮎美の身体へ跨り、まるで騎乗位で男女が結ばれるときのような体勢をとった。
「アユミンが男だったら、どんな顔なのかなぁ……けっこうハンサムかも」
「…………」
鮎美は複雑な気分で押し黙る。鐘留は指先で鮎美の頬を撫でた。
「アユミンの顔が男だったら……」
鐘留は玄次郎の面影を思い出した。
「…………」
「うちは男に生まれたかったとは、思ってへんから」
「ふーん……」
「そろそろ揚がろ。静江はんが来るやろ」
二人が揚がって髪を乾かす頃に、静江がピザを届けてくれた。遅い昼食なのか、早い夕食なのか、とてもハンパな時間に5人でピザを食べ始めた。静江が陽湖の顔を見て問う。
「浮かない顔してるわね。何かあったの?」
「…いえ……何も…」
「きゃは、月ちゃん、オムツ着けてるんだよ。アユミンが選挙中に苦労したのを体験させてるの」
「っ……言わないでください……」
陽湖は食べていたピザを投げつけたくなったけれど、宗教的理由で怒りを否定していることもあって我慢する。静江が一瞬だけ陽湖の股間を見て言う。
「体験もいいけど、イジメみたいにならないでよ」
「静江はん、外の様子は、どう? 政治的ニュースとかある?」
「あいかわらず病院の周りにはマスコミがいたわ。このピザはダンボール箱に隠して持ってきたから元気なのはバレてないはずだけど、明日の国会出席、どうするべきか迷いどころね」
「他には? うちのニュース以外で」
「あとは知っておくべき政治的動きはないけど、注目されてる裁判の判決が、そろそろ出ることくらいです」
「どんな?」
「大阪愛知岐阜連続リンチ殺人事件の。ご存じです?」
「ちらっと、この前、新聞で読んだような」
「この事件、未成年だった少年たちが無計画に仲間や無関係な人をリンチのあげく殺して捨てた大事件なんですけど、発生当時に阪神大震災やオウム真理教の事件と重なって、あまり人々の記憶に残っていません。主犯格の3人には死刑がくだり、近々それが確定しそうですけど、また、ちょうど芹沢鮎美連続暗殺未遂事件と重なって、重大性のわりに注目されずに終わってしまうかも」
静江もピザを食べつつ、話を続ける。
「ひどい事件だったそうですよ。少年たちには他者への共感性が欠落していて、ちょっとしたことがキッカケで仲間をリンチした直後に、のほほんとピザを食べていたりしたそうです」
「ふーん……ひどい話やね」
「私も今、リンチされてるような気分です……」
オムツを着けている陽湖が恨みつつ、美味しくピザを食べている鮎美や鐘留、鷹姫を見てから自分もピザを頬張った。いつも食事の前には祈りを捧げるのに、オヤツなのか食事なのか判然としない時刻だったことと、苛立って食欲が増しているので忘れていた。静江が話を続けていく。
「当時は18歳19歳が未成年で、ちょうど少年たちの年齢と芹沢先生たちの年齢も重なりますから、もしかしたらコメントを求められる機会があるかもしれません。まったく知らないというのは勉強不足の感がありますから、概要くらいはネットで見ておいてください」
食事が終わると、また病室に閉じこめられている時間が続き、静江が頭数を見て言う。
「このまま、この部屋に宿泊するのは誰と誰にします?」
「うちは当然として、鷹姫は? 島に戻る?」
「おそばにいさせてください」
「おおきに。陽湖ちゃんは?」
「…………」
「オムツ着けて帰れば? きゃははは! 替えのオムツも忘れずにね」
「……ここにいさせてください。ご迷惑でなければ」
「うちは賑やかな方が嬉しいよ。カネちゃんは?」
「アタシは………お泊まりはイヤかな。ベッドの数も足りないしさ。外泊するとママがうるさそう」
鐘留は時刻を確かめて言う。
「あと一回、月ちゃんがおもらしするとこ見たら帰るよ。月ちゃん、コーラ残ってるよ、どうぞ」
「要りません」
陽湖は飲み物を勧められても拒否して過ごしたけれど、夜になるとピザといっしょに飲んだ分が膀胱に溜まってくる。鐘留は母親が迎えに来たので残念そうに言った。
「また明日ね。月ちゃん頑張って我慢してね。クスクス。おもらし生徒会長さん」
「………」
陽湖は完全に無視して鐘留の方を見ようともしない。鮎美が言っておく。
「カネちゃん、そんなニヤニヤ笑ったまま、病院を出たら、あんたが毒をもった真犯人みたいに思われるよ」
「あ、そうだったね。泣きベソでいくよ」
鐘留は病室を出る前に嘘泣きを始めてから帰った。静江も帰り、残った三人で病室の病床と付き添い者用のベッドで眠る。制服から病人向けの寝間着に着替える頃、介式は交替時間になったので前田と長瀬に変わった。女子高生3人が眠る病室を男性SP2名が警護する形となる。鮎美は慣れてきていたし、もともと鷹姫は男性の視線も気にしないので平気だったけれど、陽湖は落ち着かない。それでもSPらしく、まるで彫像のように立っていてくれるので、だんだんと慣れさせられる。
「はぁ……」
再び尿意を覚えてきた陽湖は簡易ベッドで寝返りしてタメ息をついた。
「陽湖ちゃん、大丈夫?」
鮎美に問われ、陽湖は起き上がると、鷹姫やSPたちに聞こえないよう鮎美のベッドへあがって囁く。
「教義に反することだとわかっていても、私、さっき思いっきりシスター鐘留の顔を引っぱたきたくなりました。そうでなければ、熱いピザを投げつけてやりたいくらい」
「しつこいからかいやったもんなぁ。うちもキレたし」
「あのときは私まで笑ってしまって、ごめんなさい。でも、シスター鮎美のことを笑ったのではなく、シスター鐘留の変なダンスがあまりにも可笑しかったからです。きっと、シスター鷹姫も同じです」
「うん……陽湖ちゃん、もう嫌やったらオムツやめてトイレに行ってパンツで寝ていいよ」
「え……………」
陽湖が迷い、そして決めた。
「いえ、シスター鮎美が苦労したのと、同じ苦難を受けてみます。それでこそ痛みも理解できますから」
「そんなイエスの受難みたいな大袈裟な。慣れたらナプキンと変わらんよ」
「……。シスター鮎美のことは立派だと思いますけど、シスター鐘留は、ひどすぎます。前から、ひどい人とは思っていましたけれど、あそこまで、ひどいとは思いませんでした」
「…………」
「こんなことを言って何ですけど、私、あの人と同じ仕事場でやっていく自信がありません」
「……。陽湖ちゃん……」
今度は鮎美が迷い、ある程度は言っておくことにした。
「カネちゃんにも、うちが同性愛者やったのとは違うけど、他人に言えん深い事情があるんよ」
「え………どんな事情があるんですか?」
「それは絶対に言わん約束やから」
はじめて三島が鮎美へ陳情に来たとき、陽湖は同席していなかったので、鐘留が両親によって障碍のある弟2人が殺められていたことが心理的な傷になり、いまだに夜尿症が続いていることは知らなかった。それでも鮎美の口調から重いものを感じて陽湖も察する。
「……そうですか……、交際していた男子が下級生ともフタマタがけしていたことを悩んでいるのですか?」
「う~ん……それは、吹っ切れつつある感じよ。その話、有名なん?」
「シスター鮎美が転校してくる前は、かなり噂になってました。相手の男子はバスケ部で人気のある人でしたし、シスター鐘留も美人ですから」
「絵に描いたようなカップルやったんや?」
「はい、でも、シスター鐘留は、あの性格ですから、かなりワガママに彼氏を振り回して、あれして、これして、こういうのヤダと言いたい放題。そんなときに下級生の地味でも尽くしてくれる感じの女子が部のマネージャーとして、そばにいたら男の人としては、流れてしまいませんか?」
「うちには男の気持ちはわからんけど、まあ、カネちゃんを相手にして疲れるっていうのは理解できるわ。カネちゃんには、何でもいいなりになる年下タイプか、子猫が引っ掻いても平気なくらい大人なタイプか、どっちかでないと無理やろ」
「そうですね。それで、その彼氏さんは疲れていて、下級生を選んだみたいです」
「なるほどなぁ………わかる気ぃするわぁ…」
鮎美は男の気持ちを想像してみた。モデルになれるくらい可愛くて家も金持ちでワガママな一人娘と、地味でも尽くすタイプの下級生、先に鐘留と付き合い始め、あとになって下級生の良さと好意に気づいて、二人に悪いと想いつつもフタマタのような状態になったのは仕方ないかもしれない。そして、ある日、何かの偶然で発覚し、当然に修羅場になる。どちらを選ぶのか、選択を迫られる。
「……カネちゃんか……その子か……」
なぜか鮎美は見知らぬ下級生の顔を陽湖の顔で想像した。涙目で、私のせいでケンカになって、ごめんなさい先輩、と謝ってくれる下級生から感じる好意、そして冷たい目で、何その子、当然アタシを選ぶよね、と睨んでくれる鐘留から感じる将来の養子コース、鐘留の父親は鮎美も成人式のときに少し見かけたけれど、石永や玄次郎のような、オレが決めるからお前はついてこい、というタイプの男性ではなくて、君が決めていいよ、という感じの知念に近いような人だった。そういう風に自分もなるのか、と考えたのかもしれないし、単純にけなげな下級生に惹かれたのかもしれない、そして男子が下級生を選ぶと、鐘留は泣いたりせず、舌打ちして背中を向けたのだと想像した。
「カネちゃん………プライドは高いから……」
「あの人のは矜持ではなく驕慢です」
さんざん鐘留にからかわれた陽湖は根に持っている様子だった。鮎美は陽湖の背中を撫でて言う。
「カネちゃんて口は達者やけど、精神的には、すごい不安定なん、わかる?」
「…はい……それは……なんとなく……」
「ご両親のことも大好きやのに、大嫌いみたいなんよ」
「………」
陽湖も両親とは不仲ではないけれど、関係は微妙だった。いっしょに暮らしていると気持ちが重く、この半年、芹沢家で暮らしていて気持ちが軽くなっている。そういう言葉にできない何かが、鐘留と両親にもあるのかもしれない。
「はっきりとは教えられんけど、カネちゃんは陽湖ちゃんへ悪意をもってからかってるわけやのうて、うちに対してもオムツの件で、しつこいからかいをしはったやん?」
「…はい……」
「うちへも悪意があるわけやなくて、どっちかというと自己嫌悪の裏返しみたいなもんなんよ。腹立つやろけど、受け流してやって」
「……わかりました…」
納得まではいかなかったけれど、鐘留への反感を軽減させた陽湖は簡易ベッドに戻って眠った。おしっこをしたいのを我慢しながらだったので、かなり寝付きは悪かった。そして眠っているうちに悪夢を見た。
「ぅぅ…」
幼い頃から何度も読み聞かせられたノアの箱船のシーンから夢は始まり、大洪水で世界が沈む、そして夢の中なので時系列も無視で新約聖書の最後まで話が飛び、今度はハルマゲドンの世界終末になる。
「…ああ……ハレルヤ…」
大きな災いが起こり、洪水ではなく津波が襲ってきた。その津波は3メートル5メートルの大きさから、どんどん高くなり、世界のすべてを飲み込むような暗黒の津波になって陽湖へ襲ってきた。
ジュボボボボ…
そんな怒濤の流れに掠われながらも、水が冷たい海水ではなく温泉のように温かい水で、とくにお尻の周りばかりが生温かいので、陽湖は眠ったままでも夢の中で、十年ぶりくらいに自分がオネショしていることに気づいていた。
「…あぁ…」
「「……」」
前田と長瀬は安眠している鮎美と鷹姫に比べて、陽湖がときどき寝言を漏らすので気になったけれど、何も言わず警護を続ける。
「…はぁ…」
陽湖はせつない温かさに包まれ、悪夢が変化し、暗黒の津波はいつのまにか、腰まで浸す黄金の水になっていた。乳と蜜が流れる約束の地、楽園の河、陽湖は解放された心地で深い眠りについていった。
翌2月28日月曜午前2時50分、詩織は連合インフレ税の調整のために連絡を取る海外が、だいたいは時差の都合で日本より時刻が遅れているため、日付が変わっても仕事を続けた後、制服姿の朝槍と世田谷のマンションに帰ってきた。
「………」
「どうしたの? シオリン」
「………」
玄関から入り、わずかに男性の体臭を感じたので数秒ほど考え込んだものの、すぐに普段通りに奥へ進む。リビングからベランダに通じるガラス戸が小さく割られていて、外部から何者かが侵入した形跡があるけれど、カーテンで覆い隠されている。開けていたはずのカーテンが閉まっていることにも、ガラス戸が割られていることにも気づいていないフリをして、あえて大きな声で朝槍と会話する。
「疲れましたね。早くお風呂に入って休みましょう」
「え? エッチしないの?」
「ナユは盛りのついたメス猫みたいですね」
そう言いつつ詩織が脱衣して裸になっていくと、朝槍も入浴より性行為を期待して制服を脱ぎ、ウィッグも外した。二人でバスルームへ向かった。
「シズカニシロ!」
「「っ…」」
バスルームに隠れていた大男から拳銃を向けられて、朝槍は息を飲み、詩織も息を飲むフリをした。
「ナユ、私の後ろに。逆らってはダメですよ」
「ぅ、うん…」
怯えた朝槍は詩織の真似をして両手をあげた。二人とも全裸なので美しい乳首が丸見えだったけれど、大男の目は仕事をしている真剣さだった。大男は目出し帽をかぶっていて桧田川へ向けたのと同じ拳銃を詩織たちに向けている。
「コレヲミロ」
「……お父さん……お母さん…」
大男が見せつけてきたスマートフォンには詩織の両親が映っていた。ライブ通信しているようで、縛られた両親はうなだれているし、その背後に桧田川の両親も生きていた。画面の中に、目出し帽をかぶった男も映り、ナイフを見せながら言う。
「はじめまして。牧田さん」
向こうの男は発音が聞き取りやすい。
「我々の要求は簡単だ。パパとママを殺されるを望まないときは、お前はセリザワにナイフを刺せ!」
「コレダ!」
大男がスマートフォンを床に立てて置き、ポケットからナイフを出している。その隙に詩織は拳銃を奪って大男を蹴りつけたい反射的欲求にかられたけれど、まだ犯人たちから情報を得たいので我慢した。
「そのナイフをセリザワに刺せば、パパとママは元気で死なない。家族は幸せになる。失敗すれば、パパとママは死んでしまう。悲しい家族になる」
苛々するほど下手な日本語だったけれど、詩織は我慢し、朝槍は黙って怯えている。そして、見せられたナイフには刃に白っぽい粉薬が塗りつけてあった。
「すぐに刺しに行け。でなければ、パパとママは我々が殺される」
「………。我々に殺される、が正しい日本語です。が、と、に、では意味が大きく違います」
つい我慢できずに指摘すると、画面に映る男が怒った。
「ぉ、お前、オレの先生と違う! 黙る!」
「ワカッタ?!」
大男が拳銃を強調して向けてくる。
「ケイサツ、イウ、コロス!」
「……。お父さんと話をさせてください」
「Hermano?」
兄貴、と大男が問い、それがスペイン語で南米訛りがあることに詩織は気づいた。
「いいだろう。話せ」
「お父さん、詩織です。そちらにも映像は見えていますか?」
「…ああ…」
娘の全裸が見え、その背後には女性都議の全裸も見えたので、やや目をそらし気味に父親は頷いた。詩織は得たい情報を問う。
「お父さんたちを掠って監禁したのは二人組ですか? 他に犯人は?」
「……。二人だ…」
「わかりました」
と言った瞬間、詩織は大男が持っていた拳銃の銃口をつかみ、射線を自分からそらせると反対の手で人指し指と中指を突き出し、大男に目つぶしをくらわせた。帰宅してバスルームに全裸で入ってきた女性に銃口を向けて人質となった両親を見せれば、無抵抗に言いなりになると油断していたので対応できず大男は視界を奪われ呻く。
「Uuga?!」
さらに膝蹴りを股間に入れ、大男がうずくまると後頚部に肘打ちを落とし、手首を捻って拳銃を奪い、大男の膝を撃った。
バンっ!
「Agaa!!!」
悲鳴をあげた大男を蹴り倒して銃口を向けつつ、朝槍に頼む。
「ナユ、そのスマフォを拾って、こちらに向けて」
「……………」
あまりに一瞬の出来事に朝槍は硬直したまま動かない。画面の中にいる男も何が起こったのか、わかっていない様子だった。
「ナユ! しっかりしてください!」
「…あ……う……うん!」
朝槍はスマートフォンを拾い、詩織と大男に向けた。画面内の男と大男がスペイン語で何か会話した直後、画面内の男は詩織の父親をナイフで刺した。
「お前のパパ殺す! 殺す!」
「ぐうッ!!」
父親は太腿を深く刺され呻いた。
「銃を弟に返せ! でなければパパ殺す!!」
さらに3回、腿を刺している。
「ぐぐう…ハァ…ハァ…」
「Uugau…ha…ha…」
こちらでも向こうでも一人ずつ腿と膝の痛みで呻いているけれど、詩織は顔色を少しも変えない。
「テロリストの要求には屈しない。世界の警察の基本です」
「パパ殺す!!」
「弟さんを殺しましょうか?」
「や、やめろ!」
「人質交換しましょう。これから、そちらに行きます。警察には言いません。人質を交換したら3時間だけ、あなたたちに逃げる時間をあげます。父と母、あと桧田川先生の両親も無事なら」
「くっ……」
「大丈夫ですよ。日本の警察は極甘なので、人殺しさえしなければ、それほど本気で追ってきません。逃げ切れますよ、今なら」
詩織は甘い言葉で犯人たちに希望をもたせた。
「………わかった! 弟、殺すな! 殺したら殺す!」
「はい」
通信を終えると、詩織は大男を駐車場に連れて行き、自分のBMWの後席に乗せ、隣に座った。朝槍に運転してもらい、聞き出した静岡県内の下町にある廃工場に移動する。移動中に大男に車内でも可能な拷問方法をいくつか紹介すると、訊きたい情報を下手な日本語と英語で必死に喋ってくれた。鮎美を殺すよう依頼したのは日本のヤクザであること、バレンタインに洗剤入りチョコレートを地元事務所に送ったのもヤクザであること、南米から来ている実行犯となった自分たちの報酬は日本国籍がえられる擬装結婚であること、ヤクザが鮎美を殺そうとしたのは連合インフレ税ではなく不確定拠出年金制度が風俗産業に定着すると脱税が困難になることが理由だと突きとめた。
「なるほど、タックスヘブンの富豪がするにしては稚拙な手段ですしね。とはいえ、あの年金制度は、ほとんど進んでいなかったのですよ。ズルガ銀行が興味をもって事務所へコンタクトしてきたくらいで、私たちも連合インフレ税に手一杯でしたから。にしても、帰宅した女性がシャワーを浴びるため裸になった直後を狙うなんて手口、よくよく男として最低です」
「Uluu…uut…」
大男は膝を押さえて呻いている。かなり出血したので弱っていたし、詩織が目出し帽の前後を回転させて目隠し代わりにしたので、もう抵抗できずにいる。廃工場に到着すると、朝槍に車を中まで入れさせた。詩織は大男に銃を突きつけた状態で車を降りる。待っていた男も父親に銃を向け、叫ぶ。
「弟と交換しろ!」
「その前に、お顔を見せてください」
詩織が大男から男へと銃を向けると、男も詩織に向けてくる。
「我々を逃がす約束だ!」
「ええ、逃がしてあげますよ。ただ、せっかくの機会、こんなチャンス、めったに無いですから」
そう言いながら詩織は銃を構えたまま、片手でスカートを脱ぎ、フグ毒が塗られてあったナイフで自分の下着も切り落とした。下半身裸になって男に近づいていく。
「…な……なんだ……?」
「ハンサムなら、一回楽しみたいです」
「………く……狂った女だ…」
「そんなの昔からですよ、ね、パパ、ママ」
詩織が問うと両親は顔を伏せた。高校から海外に出した娘は小学中学でも異質だった。育てた親なので、知りたくなくても知っている。頭が良く社交的で何をやらせても優秀だったけれど、おそろしく冷たい面があり、小学校で一人、中学校で一人、それぞれ溺死と交通事故で仲の良かった友達が死んでいる。それを娘の犯行だとは思いたく無かったけれど、手元におくのが怖くて海外に出した。娘は友達が死んだ日も、葬式の日も、外では泣いてみせたけれど、家では平然としていて、きっちりと宿題も済ませたし、食事も普段通りに食べた。まるで友人の死など無かったことのように平穏に過ごしていて寒気がした。
「さ、顔を見せてください。銃は私に向けたまま、私も、あなたに銃を向けたまま」
「……」
「あなたは二丁拳銃なので有利ですよ」
そう言って詩織は片膝をあげ、男に性器を見せる。
「Perra」
メス犬め、と罵ったけれど、引き下がるのは男のメンツが許さなかったのでズボンのチャックをおろした。白人らしい勃起していない状態でも大きめの男根が見えた。詩織は目出し帽の上から見える顔を想像して微笑をつくった。
「あえて覆面のままというプレイも面白いかもしれませんね」
「銃をおろせ」
「いいえ、お互い、向けあったまま楽しみましょう。きっと、どちらかが撃てば、撃たれた方も指へ力が入り撃ってしまいますから撃つに撃てませんよ。でもスリルは最高です」
そう言って詩織は銃口を男の胸に密着させる。男の方も詩織の頭に向けている。
「そっちの椅子に座ってください」
「パパとママの前でファックする気か………とことん狂った女だ…」
あきれながら男が人質4人を見張りやすい位置に置いてあった椅子に座った。ストーブも近くにあるので温かい。
「ちゃんと勃ってくださいね」
「………」
銃口を向け合った状態では興奮しにくかったけれど、椅子に座った男へ詩織が跨り、何度も濡れた女性器を押しあててくると次第に興奮して合体した。ストーブで温かいので、お互いに空いている片手で上半身も裸になる。
「ああっ…ゾクゾクしますね…」
詩織は頭に銃口を向けられながら、男の心臓に狙いをつけている。自分の生命の危機でさえ興奮の糧になるようで、うっとりとしている。そして射精されると満足そうに離れた。
「ナユ、私の車のキーを、この人にあげてください。約束通り逃げてもらいます」
「……うん……」
茫然と見ていた朝槍がBMWのキーを渡そうとし、男が詩織から朝槍へ注意を移した瞬間、目出し帽の中央を撃った。
バンッ!
ドサリと男が倒れる。
「っ……シオリン……なんてことを…」
「あと一人は、どうしましょう」
考えつつ、詩織は射殺した男から拳銃を取り上げ、その銃で大男の胸を撃った。もともと出血して朦朧としていた大男は、すぐに絶命する。詩織は振り返って桧田川の両親を見た。監禁された日数が長くなっていたので、やっと解放されたという状況でも顔色が悪い。
「桧田川さん、娘さんに何か言い残しておきたいことはありますか?」
「「………?」」
夫婦は言われた意味がわからなかった。けれど、詩織の父親は娘の冷酷さを知っていた。
「やめるんだ! 詩織!」
「無理です、お父さん。一人目はともかく大男の方は、過剰防衛の殺人ですから目撃者は生かしておけません」
そう言って桧田川の両親を撃った。
「なんてことを……お前は……」
「詩織…、あなたは頭が、変よ……」
詩織の母親が絶望しきった顔で娘を見上げ、娘は微笑んだ。
「きっと生まれつきですよ。お父さん、お母さん、外れクジ、残念でしたね。でも、私は生きていて楽しいですよ。産んでくれて、ありがとう。育ててくれて、ありがとう」
「「………」」
それが自分たちへの弔辞であると両親は感じた。
「でも、どうして私がパパとママを殺すと思いますか?」
「「…………」」
「一昨年のお正月、私へ言いましたよね。兄さんたちの方が子供も数多くいるから遺産の分配は長男次男を優先するって」
「「………」」
「ひどいですよ。男女同権の時代なのに。だから、遺言書の無いうちに死んでもらいます」
「「……」」
「何か遺言はありますか? 聴くだけ聴いてあげますよ。お母さん?」
「……お前なんて……産むんじゃなかった……」
「はい、さようなら」
詩織が自分の母親を撃った。
「お父さん、何か遺言はありますか?」
「………せめて一馬と敬二郎は殺さないでやってくれ。あの子たちの子も、妻も」
「フフ、覚えておきます。さようなら」
詩織が自分の父親も撃った。
「これで6人、一晩に、こんなに殺したのは初めてです」
詩織が振り返って朝槍を見た。
「っ…、や、やだ! 殺さないで!!」
「ナユを殺すわけないですよ」
「っ、ほ、ホントに?! ホントに殺さない?!」
「はい。ちゃんと私の言うとおりにしてください」
「うん! する! 何でもする! 絶対に喋らない!!」
「では、服を脱いでください。そっちは寒いから、こっちに来て」
「……うん…」
殺されたくない一心で朝槍は恐る恐る詩織に近づくと、ストーブのそばで裸になった。
「ナユは強盗に絞め殺されるプレイが好きでしたよね?」
詩織が銃を片手に言う。
「も、もう、その趣味は飽きたから! 今はコスプレが好き!」
「そこに寝そべって両脚を大きく開いてください」
そこ、と詩織が指したのは最初に殺した男の上だった。死体を布団の代わりに考えている。
「こ……殺さないよね? 私を…」
「言うとおりにすれば、殺しません」
「……こ、こう?」
朝槍は死体の上に寝転がり、両脚を開いた。詩織は手にした銃を朝槍の股間に向ける。
「ゆっくり入れますから力を抜いて」
「…そ……そんなの怖いよ……お願い、やめて…」
「言うとおりにしない気ですか?」
銃を持った詩織に問われ、朝槍に逆らう選択肢は無かった。深く銃口を挿入され、その恐怖に身震いする。
「ナユ」
「………っ」
それが最期の呼びかけなのだと、朝槍が気づくと同時に発砲された。銃弾の破壊力だけでなく、火薬の爆圧まで体内で炸裂し、激痛を感じる間も無く朝槍は死んだ。
「………すべて終わった後の、この静けさ……いいです……」
もう、誰も生きていない。呻き声も呼吸の音もしない。
「………これだけ静かだと、考えもまとまって有り難いです」
少し考えた詩織は最初に撃った男の死体に銃を握らせると、いっしょに壁やBMWを残弾が無くなるまで撃って、自分からしか硝煙反応が出ないという状態をさけ、さらに廃工場にあった可燃物をまとめてストーブのそばに置き、二人の白人男性を重ねるようにしてストーブのために用意してあった灯油をかけ、BMWの燃料タンクも近くになるようバックさせ、ゆっくりとストーブを倒した。自動消火装置で消えてしまうけれど、男が持っていたライターで灯油に着火し、大きく燃え上がるまで炎を見つめてから、その場から裸のまま走り出る。廃工場から出ると、人気のない下町で、さんざん銃声を鳴らしたのに通報されなかったのは空き家ばかりだったからで、今度はそれが都合が悪い。裸なので寒さで震え上がりそうになる。走って、人がいそうな民家を探すと、大声で叫びながらドアを叩いた。
「助けて! 助けて!!」
すでに日が昇りかけている早朝に、女性の必死な声が響いて民家から徹夜でネットゲームをしていた青年が出て来た。
「何っすか?」
「助けてください! 助けて!」
寒さで震え、青ざめた詩織が泣きながら懇願すると、青年は中に入れてくれる。玄関で座り込み、詩織が顔をおおって泣くと、優しく声をかけてくれる。
「大丈夫ですか? 襲われたんっすか?」
「っ……」
思い出したくないという顔をつくって涙を零し、青年に頼む。
「…シャワーを貸して…ください……おねがい…します…」
「……。いいっすけど。……警察、呼んだ方がよくないっすか?」
「おねがい……シャワーを……」
「………。わかりました。どうぞ」
青年が浴室に案内してくれたのでシャワーを浴び、髪と身体を何度も洗った。そのうちに外から消防車の音が響いてくる。ずっと浴室に入っていると青年の母親らしき女性が声をかけてきた。
「大丈夫ですか? お嬢さん」
「…ううっ…ううっ…」
嘘泣きして返事はしない。
「警察、呼びますよ」
「ううっ…ううっ…」
イエスともノーとも言わず泣き続けた。母親は通報したらしく10分ほどで婦人警官が浴室の前に来た。
「警察です。何があったか説明してくれますか?」
「ううっ…うううっ…」
「どうして裸で外にいたんですか?」
「うああっ…あああっ…うわあああっ…」
「戸を開けますよ。落ち着いてください。女性の私しか、いませんから」
婦人警官が浴室の戸を開け、中を覗いてくる。詩織はシャワーで身体を温めながら嘘泣きを続けた。かすかに婦人警官は硝煙の匂いを感じた。それは錯覚くらいに少なかったけれど、警官として射撃術も訓練したことがあるので嗅覚が覚えている。
「……。近くで火事がありました。あなたは関係していますか?」
「うあああっ…うわあああっ…」
「落ち着いてください。あなたの名前は?」
「あああっ…うあああっ…」
何を訊かれても泣き続けてみせたけれど、警官も曖昧にはできないので根気よく問い、どうやら火事に関係があり、男に襲われたらしいというところまでは、ときおり頷く詩織からつかんだ。
「つらかったですね。そうやって身体を洗い流したい気持ちはわかります。けれど、もし本当に襲われたなら犯人逮捕のためにも、あなたの身体から犯人の痕跡を見つける必要があるの。とてもつらいと思うけれど、女性のお医者さんを探してあげますから、どうか我慢して」
「ううっ…うううっ…」
遠回しに膣内に精液があるか確認すると言われ、それが狙いだったので頷いた。もう硝煙反応は検出されてもわずかなはずで、精液が膣内にあれば強姦だと勘違いしてくれる。素直に婦人警官に案内され、青年の母親から衣服を借りて早朝にもかかわらず緊急の診察に応じてくれる女医がいる婦人科病院に行った。
「…ぐすっ…ううっ…」
なかなか嘘泣きを続けるのは疲れるけれど、常に顔をおおって泣きながら診察台にあがった。婦人科の内診用の診察台なので電動で変形し、下半身をM字開脚の形にしてくれる。
「うううっ…うわああっ…」
「つらかったね。落ち着いて。もう誰もあなたを襲わないから」
女医が優しく声をかけながら極薄のプラスティック手袋をして詩織の膣内を検査する。シャワーは浴びたけれど股間は洗わないようにしたので、しっかりと精液が検出された。女医は検出されたことは口に出して言わず、詩織の生理周期を訊き、アフターモーニングピルの説明をしてくれた。
「一応、飲んでおきますか?」
「…ぐすっ…うわああああ!」
これで妊娠するなら、それも一興と想っていたけれど、また大声で泣き出して誤魔化した。そして、泣き疲れた風に眠る。かなりの睡眠不足だったので心地よく眠れたし、とりあえず入院という扱いにしてくれた。しっかりと10時間あまり眠っていると、廃工場で燃えていたBMWのナンバーから牧田詩織という氏名に見当をつけた静岡県警から連絡が回ったようで鮎美がSPたちと病室を訪ねてくれた。
「詩織はん……」
もう鮎美は詩織と桧田川の両親が焼死体で見つかったことも、同じく朝槍が殺されていたことも知っている顔で涙を零しながら詩織に近づくと、抱きしめてくれた。
「ああっ…鮎美…」
抱き返しながら、すべてがうまくいったと確信した。
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