第46話 2月25日 暗殺と暗殺

 翌2月25日金曜夕方、久しぶりに地元へ帰る予定で国会を出た鮎美に、詩織から電話が入った。

「もしもし、うちよ」

「詩織です。東京事務所に変な物が届きました」

「また刃物? それとも銃弾?」

 もう脅しに慣れてきた鮎美が投げやりに問うた。

「ラーメン店の無料サービス券とオムツ1袋です」

「………誰からか、わかる気がするわ」

 鮎美は精液入りチョコを送ってきたラーメン店の店主を思い出した。

「送り主は村川いう人?」

「はい」

「やっぱり、あのオッサンか。詩織はん、それ東京駅前店でも使える無料券なん?」

「えっと………はい、チェーン店なら全店OKです」

「ほな、いっしょに夕飯、食べよか。せっかくの無料券やし」

「え~………ここで? 変な物が入ってるかもしれませんよ」

「東京駅前店なら大丈夫やろ」

 鮎美と鷹姫、SPたちが東京駅に着くと、詩織も朝槍と事務所から駅に出て来た。少し歩いてラーメン店に入る。店に村川はおらず流行っている普通のラーメン店だった。むしろ普通でないのは鮎美たちの方で、東京から地元へ移動するため、介式たちチームとなっているSP全員がついてきているため、当番となっている4名が店の内外で警戒し、非番である8名はついでなので自費でラーメンを食べる。みなSPだけあって体格もよく眼光も鋭いので、まるでヤクザのお嬢様がラーメン店に来たような雰囲気になっていた。

「うちは味噌ラーメン、味噌濃い目」

「「「………」」」

 鷹姫と詩織、朝槍は注文を迷っている。不安そうに厨房を見ると、ごく清潔な気配で精液を混入しているような雰囲気はない。他の客も鮎美たちの来店に一時は驚いていたものの、国会近所なので議員バッチは珍しくもなく気を取り直して美味しそうに食べている。鷹姫が決めた。

「私は味噌ラーメン大盛りチャーハンセットにします」

「「………」」

 詩織と朝槍も決める。

「味噌チャーシュー麺にします」

「私も」

 しばらくして、ごく普通に美味しい味噌ラーメンが提供された。鮎美は食べる前にスマートフォンで撮影し、少し味見して感想を静江に送る。静江が文章を練り、鐘留が管理する鮎美名義のSNSサイトへ日常生活として投稿される段取りだった。議員としての庶民的な日常生活を発信するのも重要ということで静江が企画し、初めての投稿になる予定だった。そうして、やっと一週間の仕事が終わった気分でラーメンを食べているとテレビがニュースを流した。

「京都大学の入試でインターネットサイト、ヤホー知恵袋より不正に回答を得た仙台市の受験生が逮捕されました」

「無理に京大へ行かんでも仙台にも大学あるやろに」

「愚かなことです」

 鷹姫が美味しそうにチャーハンを頬張った。

「次のニュースです。日本一心党の水田脈実元衆議院議員が芹沢鮎美参議院議員に対する盗撮容疑で逮捕されました」

「仕事早っ、日本の警察、優秀やわ。やっぱり、あの人やってんな」

「愚かなことです」

「鮎美先生、今回は和解しませんよね? 許すわけありませんよね」

 詩織が静かに怒っている目で言ってくる。連日の海外との調整で、かなりハードワークなはずなのに瞳は光っていた。

「うん、さすがに許せんよ」

「私にいい策があります。懲らしめるための」

「どんな?」

「弁護士を入れて、水田に示談をチラつかせます」

「そんで?」

「示談金をつり上げるだけ、つり上げ、全財産に匹敵するほど上げ、いよいよ示談かと思わせた上で、示談せず厳しい罰を求めると告訴します。ときおり私も面会して、鮎美先生はとても怒っていらっしゃるけれど、私が取りなしてあげます、と希望をもたせたり、全国で水田バッシングが激しいので示談は難しいと言って絶望させたりして遊びます」

 自ら死を選ぶほどに追いつめて、という言葉を詩織はチャーシューとともに飲み込む。水田に対しては以前のテレビ討論番組で鮎美との論争中に、同性愛者は生産性に欠ける、という発言がもとで水面下でバッシングは起こり始めていた。今回の逮捕を受けて一気に盛り上がる可能性もあり、詩織が鐘留へ指示すれば意図的な炎上も可能だった。言われた鮎美自身は無知な異性愛者の発言としか思っていないので、あまり気にとめていなかったけれど、鮎美を支持するネット上の同性愛者たちは強く不満に思っている。鮎美は麺を飲み込んで答える。

「……えぐいこと考えるわ……」

「鮎美先生を侮辱した罰、万死に匹敵します」

「牧田さんの言われる通りです。私もその策に賛成です。このさい徹底的に懲らしめておくべきです」

「鷹姫……詩織はん………まあ、そやね。トイレの盗撮とか、同じ女として許せんし。男が女のスカートの中を見たさに盗撮するのは同情の余地があるけど、女が女をおとしめるために盗撮って度し難いわ。この件、詩織はんに任せてええ?」

「はい」

 ラーメンを食べ終わると、鮎美と鷹姫はSPたちと新幹線へ乗り、それを見送った詩織と朝槍は新宿2丁目のビアンバーで軽く呑む。久しぶりにゴールドラクーンに来た朝槍へ、バーテンの天蛾がテキーラベースのカクテルを出しながら言う。

「アユミ様が総理大臣になってくれたら、同性婚の法案、通してくれそうね」

「うん、本当に。冗談じゃなく鳩山総理から大臣の一人にって誘いがあったらしいし」

「その噂、やっぱり本当なの? 前の何十億円で眠主党へ買収って話はアユミ様本人が否定してたけど? はい、牧田様、ご注文のスクリュードライバー、アルコール弱めです、どうぞ」

 天蛾は詩織へ、ほぼジュースに近いスクリュードライバーを出した。詩織は一口呑んで言う。

「そう期待したいですけれど、どこまでいっても多数派はノンケです。鮎美先生が総理大臣になっても、多数決するのは議員たち、水田のようなノンケがいる限り難しいですね」

「あいつ、さっき逮捕されてたわよ。アユミ様への盗撮容疑で! 死刑にすべき!」

 すでに新宿2丁目で水田の評判は悪かったので、さらに炎上している。詩織は呑みながら鐘留に電話をかけてみた。

「ハーイ♪ 未来の総理大臣秘書、鐘留デース」

「詩織です」

「シオちゃん、アホの水田が逮捕されたの知ってる?」

「ええ。その件で、つかんでいる情報と状況の報告を願います」

「やっぱ、そうくるよね。まず畑母神くんがアホを切り捨てたよ。党を除名処分。で、ネット上では、もうお祭り騒ぎ、アタシが炎上させなくても2丁目あたりのレズホモ軍団が燃え上がってる」

「そうですか。本人だけでなく親兄弟も追い込んでいますか?」

「う~ん、それがねぇ、SNSやリアルで水田の周りにいる人も、どうも親族の情報はつかめてないっていうか、本人のブログでも一人暮らしで家族の影は無いんだよね。まあ、引き続き特定班が頑張るだろうけど、うっかり日本中のたまたま水田姓な人を叩いちゃうのは、かわいそうだし、そこは慎重になるよう誘導しておくよ」

「よい判断です。引き続き、炎上を静観してください」

「バイル♪」

「……また、新しいアダ名ですか?」

「ううん、これは返事だよ。シオちゃん、ドイツ人だし、ハイルって総統とか上司に言う言葉だよね? サーイエッサーみたいな」

「おおむね万歳と同じ意味ですよ。あと私はクォーターです。75%が日本人の」

「でさ、シオちゃんはバイだし、だから、バイル。どう?」

「なるほど、面白いことを考えますね。ですが、日本へ戻ってきて感じるのですが、安易にヒトラーを連想させることを、みなさん、宴会などでやりすぎです。ヨーロッパでは逮捕されることですよ」

「へぇぇ…」

「まあ、ハイルは万歳なので、天皇陛下万歳と同じ感じに戦時中を連想させますが、一応は単語としては問題ありませんが、控えておいてください」

「レズる♪」

「フフ、今度、会うことがあったら、しっかり調教してあげます」

「それは、ごめんなさい。じゃ、バイバーイ♪ バイだけに」

 謝りつつ軽い調子で鐘留が電話を切った。詩織はカクテルを呑み、朝槍は2杯目を注文する。

「ブルーラグーンをお願い」

 ウォッカベースのカクテルを楽しみながら、同性愛をカミングアウトしている都議として当然に大嫌いだった水田がネットやテレビで叩かれているのを眺める。

「フフン、ザマぁ見ろ」

「とはいえ、彼女は日本一心党だったわけですし、鮎美先生は畑母神知事とも共同歩調なわけですから、いわば内輪もめ、ほどほどで終わってもらわないと、妙に類焼しては困ります」

「それは、そうだね。あと、ビアンの私が言うのもなんだけど、うっかり同性愛者は生産性が無い、って一言漏らしただけで叩きすぎ感はあったねぇ。ずっと前に、料亭に行きたい、って一言漏らしただけの男の子もフルボッコだったし。あと、芹沢先生と同じ地区の衆議院議員だった石永隆也先生も、日本も核ミサイルを持つべき、って言っただけなのにマスコミに叩かれてホモだとか言われて。あの人は普通に奥さんいるんでしょ?」

「普通に異性愛者ですよ。以前、春の会での活動で会食したとき、試しに胸元を見せてあげたら、ちゃんと見てから目をそらしましたから、可愛いものです」

「ああいう男も好み?」

「はい」

「………手を出したの?」

「出してみようかなぁ、と想っていたら鮎美に出会いましたから」

「危ないところだったんだね、隆也くん。でも、話を戻すとさ、私も都議だから危機感あるけど、ほんの一言、ちょい間違ったこと言っただけで、政治家を叩きすぎだよ。酔った勢いで言うことだってあるじゃん」

 天蛾が言ってくる。

「日本は神の国だとか?」

「あったねぇ。あと、集団レイプする人は、まだ元気があるからいい、正常に近いんじゃないか、とかさ。これ、明らかに私たち同性愛者を念頭に異性愛者が正常って言いたい感じじゃん」

「そうね。まあ、あと草食系男子を挑発したのかも」

 天蛾が頷き、詩織が付け加える。

「とはいえ、女性の下着を集めるのが趣味という人や、人を殺すのが楽しいという人に比べると、レイプは正常に近いと言いたいのかもしれませんね」

「う~ん……多様性って言っても、どこまで肯定するかは問題だよねぇ……天蛾、マティーニをちょうだい」

「朝槍先生、今夜、ペース早いわね」

「いいじゃん。ムカつく水田が逮捕されたし、祝杯だよ。消費拡大で生産性あげてやる」

「フフ、ナユが可愛いので今夜は私がおごってあげますよ」

「ヤッター♪」

 天蛾がマティーニを作りながら言う。

「とくにひどかったのは、女性は子供を産む機械、ね」

「あったねぇ。あと、金がねぇなら結婚しない方がいい、by麻生も。あ~……もしかして、芹沢先生、この両方を解決しようとしてない? お金あげるから産もうよ、って。自分はビアンなのに」

「鮎美は分析の仕方が生物学的ですから、女の子なのに情緒的なところは少ないですよ。女が産む機械なら、男は働く機械、どちらもうまく機能すればいい、そんな考え方なのです」

 そう言いながら詩織は酔っている朝槍の耳を指先で撫でた。

「あん♪ 耳が弱いの知っててそれするなら責任とってよぉ」

「マティーニを呑んだら、私のマンションに来ますか?」

「うん、いく、イク!」

「朝槍先生、また不倫するのね」

「まだ同性婚法案、成立してないもーん」

 酔った朝槍とシラフに近い詩織が店を出ると、多くの同性愛者たちが集まっていた。久しぶりに都議の朝槍と、鮎美の秘書がゴールドラクーンに来ているという目撃情報から集まり、二人が呑むのを邪魔する不粋は犯さずとも、どうにか声援を送りたいと集まってきた人々で数百人はいる。都知事選中も畑母神と鮎美が選挙カーで新宿2丁目へ演説に来ると、本音では同性愛者を蔑視しないまでも遺憾だと思っている畑母神の演説には反応は良くなかったけれど、鮎美へは熱狂的な声援が来たし、朝槍が応援演説に立ったときも盛り上がり、もしも同性婚法案が国会を通らないときは、都の条例でのパートナーシップにチャレンジすると、ついつい畑母神の政策に無いことを言ってしまったけれど、その場で畑母神も否定するわけにもいかず、都議会の判断にゆだねるという言質をもらっている。これで、どの程度の票が新宿2丁目界隈から畑母神へ入ったかは判然としないけれど、そもそも鮎美が参議院議員という立場でレズビアンをカムアウトした時点から、人気は鰻登りだった。

「朝槍先生、頑張って!」

「牧田様、愛してます!」

「「……」」

 突然の盛り上がりに朝槍と詩織は数秒ほど沈黙したけれど、すぐに朝槍は都議らしく声援へ手を振って応え、詩織も秘書らしく控え目な一礼をする。詩織としては、これから重要な予定があるので群衆に捕まらないよう歩き出し、朝槍も捕まると徹夜になるとわかっているので、手を振りつつ詩織についていく。群衆は道を譲りながら、気勢をあげる。

「同性婚に光を!」

「議会で輝いてください!」

 ゲイもビアンもいるし、性同一性障碍者もいる。朝槍は両手を挙げて手を振り、詩織は会釈を繰り返して歩く。

「朝槍先生万歳!」

「アユミ様万歳!」

「バイル・牧田!」

「……」

 誰が流行らそうとしているのか、なんとなく詩織の脳裏に浮かんだ。さきほどまでは冗談だったけれど、いよいよ本気で鐘留へ何らかの調教をしてやろうと考える。とくに一部の酔った男性同性愛者たちが、ふざけてナチ式の敬礼をしてくる。

「「バイル・マキタ! ジーク・シオリ!」」

「……」

 詩織は丁寧な無視で応えつつも、ふと自分が70年前のドイツに生まれていたら、とても楽しかったかもしれないと想った。合法的にユダヤ人で遊べて、とても楽しい日々だった気がする。時代と場所が変われば殺人も肯定される。うまく終戦前には南米へでも逃れて、今度は麻薬カルテルの拷問担当になるのもいい、そんな別の人生を想像しながらタクシーを拾って朝槍と乗った。

「ハァ…いよいよ世界が変わるね!」

 朝槍は声援に応えた余韻で心が躍っている。詩織は冷静に答える。

「この街を出れば、すぐに私たちは少数派ですよ。ほら」

 タクシーが走り出すと、もう群衆は見えなくなり、夜の冷たい東京だった。朝槍の興奮も冷める。

「そうだね。多数決じゃ勝てない。自分と違う他人がいるってことを、多数派に認知させないといけない。もっと人権が何かってことを深く啓蒙して、すでに同性婚が成立してる国々みたいに…ひゃん?! …んぅ…」

 朝槍は言葉の途中で耳を詩織に舐められて蕩けた。そのまま世田谷にある詩織のマンションまで耳への愛撫を続けられたので、降りる頃には下着も濡らしていた。マンションに連れ込まれ、好みであるやや乱暴にレイプされるように抱かれる感じで詩織から攻められ、すぐに何度も絶頂した。

「ナユ、喉が渇いたでしょう。何か作りますね」

「ハァ…ハァ…うん、…ありがとう……シオリン、今夜、優しいね」

「たまには、ご褒美をあげるのです。これからも鮎美のために、せっせと働きなさい」

「はーい」

 幸せそうに返事をした朝槍は強い睡眠薬入りのカクテルを呑まされると、ぐっすりと眠った。

「朝まで、おやすみなさい、ナユ」

 熟睡したのを確認して、詩織は地味なコートと帽子で変装すると大きなカバンを持ってマンションを出る。二つ離れた駅に行き、監視カメラの無い公園のトイレでカバンから男物の衣服を出して男装し、タクシーで大田区に移動すると、別のタクシーに乗り換え、川崎市まで行った。火力発電所が見える海辺、多摩川の河口付近で待ち合わせていた雑誌編集者と出会う。

「こんばんわ。ご連絡した田中太郎です」

 詩織が偽名を名乗ると、雑誌編集者は咥えていたタバコを捨てた。長髪で眼鏡をかけた中年男性で、まったく魅力を感じないけれど、殺すつもりだった。

「なんだ、女みてぇな声だな。ま、いい。で、芹沢鮎美が朝ナマの最中、ローターでイってた証拠ってのは?」

「はい、こちらです」

 パソコンにUSB端子でも差し込むかのような自然な手つきで詩織は、雑誌編集者の男根に千枚通しを突き立てた。男根を串刺しにされた痛みが編集者を襲う。

「っ……うわあああ?! なにしやがる?! ぐうう!!」

 男は蹲って苦しむ。それを楽しそうに詩織が見つめる。

「男性の悲鳴ってゾクっとします」

「うううぐううう! 痛てぇえぇえ! このクソアマ!」

 詩織の顔を殴りつけようとしたけれど、やすやすとかわされた。詩織は千枚通しを男の右わき腹に突き刺し、肺まで通した。

「ふぐうっ?! ぐはっ!」

 呼吸が苦しくなり藻掻き始め、血の混じった咳をしている。

「ぐうぅ! ゴホっ!! クソアマっ…ゴホっ!!」

「フフ、いいですね、男性を殺すのって独特の楽しさがあります。とくに、まだ軽傷のうちは、そうやって女を見下していられるけれど、いよいよ死にそうになったとき、ヒーヒー悲鳴をあげるように変化していくのが最高です。見ていて濡れますよ」

「ゴホっ…ううっ…く、…息が…」

 肺まで刺された男は股間とわき腹を押さえて膝を着いた。もう詩織へ殴りかかる体力はない。

「反対も刺しますね」

「ひぐっ?!」

 さらに左わき腹も刺される。また詩織は肺まで先端を通した。

「うぐぐうひぃ! ゴホっ!」

「苦しいでしょう? 出血量のわりに、これは、とても苦しむ殺し方です。外部から肺まで穴を空けられると、息を吸おうとしても吸えないのです。気胸(ききょう)といいますが、肺は風船のようなもので、それ自体は吸ったり吐いたりできません。横隔膜と胸郭の運動によって他動的に膨らまされるものなのです。だから胸郭に穴を空けられると、しぼんでしまう。フフ、いくら息を吸っても、吸えない、どうです? 地上で溺れる気分は?」

「ぐっ、ヒッ…ぐぐ…ゴホ!」

「そうそう、そうやって刺されたところを押さえると少しは息ができます」

 男は股間を押さえていた手もわき腹へやり、傷口を押さえている。そんな姿を見下ろしながら詩織は言う。

「けど、人間の手は2本しかありません。三つめの穴が空くと、どうなるんでしょうね?」

「ヒッ?!」

「そうそう、その顔、いいですよ、最高です」

 微笑みながら背中へ千枚通しを突き立てた。

「ぐはっ…ヒーっ…」

「今なら、まだ助かります。助けてほしいですか?」

「た…助け…」

 息苦しさと苦痛で男は汗と涙にまみれ、地面に転がり呻いている。

「では、クイズです。真実を報道し、権力の不正を曝くはずのマスコミが下劣な記事を書きます。どう対処すべきですか? A、発禁処分とする。B、検閲を行う。C、編集者を殺して、スッキリする。フフ」

「ゴホっ…ひぐ…ハァ…ゴホっ…」

 まったく助けてもらえる気がしない。

「地獄で会いましょう。ごきげんよう」

「…ごほ……ハァ……ぅぅ…」

 苦しくて、苦しくて、もう思考ができず、絶望しながら男が死んだ。

「ああ、楽しかった。久しぶりのプレイ、とても楽しめましたよ、ありがとう。でも、あなたが悪いのですよ、私の鮎美をおとしめるから」

 もう死んでいる男に、また詩織は千枚通しを突き立てる。ブスブスと胴体を穴だらけにしていく。海に沈めても浮いてこないようにする処置だった。念のため、耳の穴や眼球も刺しておく。

「フフ、楽しかったですけれど、自分の楽しみだけじゃなくて、誰かのために人を殺したのは、これが初めてです。これもいいものですね、人のために人を殺す、いいことをした気分です。その分、後片付けも大変ですけど」

 詩織は穴だらけにした死体から衣服を脱がせると、重りをつけて多摩川の河口に沈める。地面に残った血痕は凶器が千枚通しだったので、ほとんど目立たない。脱がせた衣服や靴はビニール袋に入れ、男が持っていたスマートフォンは破壊してからビニール袋に入れる。すべてをカバンに隠すと、最寄り駅まで歩いてタクシーを拾い、神奈川県の海にビニール袋を沈めると、また別のタクシーで三カ所を移動してから男装を解いて、男装に使った衣服も捨て、マンションに戻った。まだ、朝槍は眠っている。詩織はパソコンを開いて世界31カ国が連合インフレ税に賛同していること満足そうに見つめ、白ワインを呑み、シャワーを浴びてから、朝焼けの空を眩しそうに見て、カーテンを閉め、朝槍の隣で眠った。

 

 

 

 翌2月26日土曜朝、桧田川は医師としての夜勤明け、眠たそうに自宅アパートに帰ると、習慣でテレビをつけ、シャワーを浴びるために裸になる。

「今朝発売のニンデントー3DSを買うために量販店の前には行列が…」

 興味のないニュースが流れている。桧田川はココナツ味の缶酎ハイを半分まで呑み、バスルームに向かった。

「ああ、疲れた………あのお爺さん助けられなかったなぁ……まあ、88歳だし、しょーがないか……交通事故って、ある日、突然で…」

 一人暮らしの淋しさで一人言を漏らしながらバスルームの戸を開けて、驚愕する。

「っ、だ、誰っ?!」

 目出し帽をかぶった大柄な男がバスルームに隠れていて、桧田川に拳銃を向けてくる。

「シズカニシロ」

 日本語だったけれど、外国人の発音だった。目出し帽から見える瞳も青い。桧田川は腰が抜けて、その場に座り込んだ。

「お、お金なら、財布が、あ、あっちに! マネーある! My purse…」

 英語で財布の位置を教えようとしたけれど、大男は桧田川の頭に銃口を突きつけてくる。恐怖で桧田川は失禁し、裸だったので尿が飛び散って床に水たまりをつくった。まだ暖房の効いていなかった寒い室内に湯気がのぼり、すぐに冷え、桧田川はガタガタと震えた。お金でなければ、女性として狙われているのかもしれないけれど、大男からは性的な興奮も感じない。まるで仕事をしているような冷静さを感じる。

「コレヲミロ」

「っ…お父さん?! お母さん?!」

 大男が見せつけてきたスマートフォンには両親の映像が映っていた。ライブ通信しているようで、向こうの二人も怯えているし、そばに目出し帽をかぶった男がいてナイフを持っている。

「はじめまして。ドクター桧田川」

 向こうの男は日本語の発音が巧かった。両親は縛られていて、どこかの廃工場にでも監禁されている様子だった。

「我々の要求は簡単だ。パパとママを殺されるを望まないときは、お前はセリザワに薬を飲ませろ」

「コレダ!」

 大男がスマートフォンを床に立てて置き、ポケットから包装された粉薬を桧田川に見せる。

「その薬をセリザワに飲ませれば、パパとママは元気で死なない。家族は幸せになる。失敗すれば、パパとママは死んでしまう。悲しい家族になる」

 下手な日本語だったけれど、意味はわかる。下手なだけに、凄味があって怖かった。

「今日中に飲ませろ。でなければ、パパとママは我々が殺される」

 助詞は間違っていても、悪意は伝わってくる。映像の中の男がナイフで父親の腕を浅く斬った。もう70代の両親は怯えて震えているだけだった。

「ワカッタ?」

「…っ…こ、…この薬、なに?」

「お前には関係ない。飲ませろ。騙して飲ませろ、お前の薬、飲むはず。お前、セリザワのドクター」

「…っ…」

 相手は桧田川のことをよく調べているようだった。大男は桧田川の手に粉薬を握らせると、ゆっくりとアパートを出て行く。

「ケイサツ、イウ、コロス」

「っ…っ…」

「ノマセロ」

「…っ…」

「ヘンジ!」

「っ、はい!」

 返事をした桧田川は大男が去っても一時間以上もショック状態で一人で震えていた。やっと暖房が効いたのと、身体が震えることに疲れ果てたので、のろのろと這うと涙を流しながらベッドに潜り込んだ。

「……お父さん………お母さん……」

 今も両親を人質に取られていると思うと、気が気でない。どうするべきか、混乱する頭で3時間ほど考え、鮎美へ電話をかけていた。

「はい、芹沢鮎美です」

「もし…もし…ひ、桧田川…です」

「桧田川先生、お久しぶりです! おかげさまで、すっかり元気にやってますよ」

「そう…よかった…」

「どうされたんですか? 声が震えてますやん?」

「…ちょっと……疲れてるから…」

「そんなお疲れで、うちに何の用ですか?」

「ごめんなさい……あなたに最後に飲ませるべき薬を忘れていたの」

 悩みながら考えた嘘だった。

「薬? どんな薬です? もうバリバリ元気ですよ」

「それでも必要な薬なの」

「あ、雑誌に変なこと書かれて、気にしてくれてはります? あれは半日トイレに行けんかって漏らしただけですし。後遺症でも何でもないですよ」

「そういう薬じゃなくて……あなたのお腹を縫った糸を溶かす薬なの」

「え? 自然と溶けるんちゃいますの? そんな説明しはったと思うけど」

「……」

 桧田川は鮎美の記憶力のよさを思い知ったけれど、医師の立場があれば、どうとでも言いくるめることはできる。

「ごめんなさい、私の勘違いで、溶けない糸を使っていたの。でも、この薬を飲めば溶けるから」

「そうですか。わかりました。どうしましょ? 送ってくれはります?」

「ううん、今すぐ、持っていくから。どこにいるか教えて」

「今すぐって……」

「どこにいるの?」

「六角市の文化芸術会館で婦人会の新年芸能披露会を観覧してますけど……そんな急ぎなんですか?」

「ごめんなさい、私の手違いだから、一刻も早く飲んでおいてほしいの」

「わかりました。あと2時間は、ここにいますから来てください」

「六角市の美術館ね?」

「文化芸術会館です。大丈夫ですか? お声が変ですよ?」

「つ…疲れてるだけだから…」

「そうですか……お疲れ様です。お待ちしておりますわ」

 電話を終えると、桧田川は、また震えてきた手で包装された粉薬を取った。

「……これ、いったい……何なの……」

 粉薬は白っぽい不成形の顆粒状で、見たことがない。きちんとした工場で造った物ではなく手製という感じがして、包装もビニール袋を熱接合して閉じてある。何より、これを鮎美に飲ませると、彼女の身体に何が起こるか、ろくでもない想像しかできない。十中八九で毒だと思えるし、死なないにしても今後政治活動ができなくなるような重度の障害を残す劇物に違いないと感じる。

「……………どうしよう……ううっ…」

 また泣けてきたけれど、時間がないので桧田川はタクシーを呼び、勤務先の病院に戻った。病院の院内薬局に入ると、看護師が不思議そうに声をかけてくる。

「あれ? 桧田川先生、夜勤明けで休みなんじゃ? また、呼び出されたんですか?」

「…うん……ちょっとね…」

 ふらふらと桧田川は薬局内にある薬剤パッケージを造る機械に辿り着くと、渡された粉薬をパッケージし直した。渡されたままでは怪しくて誰も飲まないような包装だったのを薬らしく包装していく。

「……ぐすっ……」

「「………」」

 看護師と薬剤師が背後で不審の目で見ている。桧田川は疲れ果てた顔色で髪もボサボサのまま、うつろな目をして夜勤明けの汗臭さに加えて、小便の匂いまでする。

「あの…桧田川先生、それ、何の薬ですか?」

「…何でもないから………ごめん、この機械、洗浄しておいて。念入りに…」

「………はい…」

 桧田川は包装し直した粉薬を白衣のポケットに入れると、待たせておいたタクシーに乗り、六角市の文化芸術会館まで走ってもらう。阪本市にある病院からでは高速道路を使えば40分だった。運転手がバックミラー越しに桧田川を見て言う。

「お客さん、顔色が悪いですよ? 大丈夫ですか?」

「………………私には関係ない………私は知らなかった……」

 声をかけられても、桧田川はブツブツと一人言を漏らしているだけで、ろくな返答をしない。運転手は会話を諦め、桧田川の身体から嫌な匂いがするので気づかれないように少しだけ窓を開けた。タクシーは目的の文化芸術会館に着いた。

「着きましたよ」

「…カードで…」

 桧田川はカードでタクシー代を払うと、会館の玄関から鮎美に電話をかける。鮎美は演劇の鑑賞中だったので受話せず、鷹姫と介式、男性SP3名を連れてロビーに出て来た。玄関にいる桧田川を見つけて手を振ってくれる。

「わざわざ、おおきにです」

「…うん…これ、飲んで」

 桧田川は手を震わせないようにしたけれど、うまくポケットから出して渡すことができずに途中で落とした。落とした粉薬を鷹姫が拾って鮎美へ渡す。受け取った鮎美は桧田川を見て問う。

「桧田川先生、めちゃ顔色、悪いですやん。大丈夫ですか?」

「……夜勤明けだから……早く、飲んで」

「はい。………鷹姫、水か、お茶か買うてきて」

「はい」

 鷹姫が自動販売機へ走っていく。鮎美は粉薬の包装を破り、不味い薬だと嫌なので鷹姫がペットボトルを持って戻ってくるのを待った。桧田川は落ち着かない瞳で鮎美を見つつも、怪しまれないよう落ち着いた様子を装う。それでも嫌な汗が全身に、にじんだ。

「……ハァ……」

「桧田川先生、帰って休んだ方がええんとちゃいます?」

「……飲むのを……見たら……帰るから…」

「芹沢先生、どうぞ」

 鷹姫がペットボトルを開封して鮎美に渡した。鮎美が上を向いて粉薬を口へ入れる。

「…………っ!」

 ずっと迷っていた桧田川は鮎美に飛びかかって止めようとした。両親の命と、鮎美の命、ずっと天秤にかけていた。まだ18歳の鮎美と、もう70代の両親、けれど、育ててくれた恩は強い。鮎美は患者であっても究極、他人にすぎない。きっと、あの成人式の日に刺されて死んでいても、ああ、かわいそうに、とテレビニュースを見ながら思うか、思いもせず缶酎ハイを傾けたかもしれない。今でも賛同者であっても、肉親に比べれば、やっぱり他人だった。それでも両親からの忘れていない言葉があった。ずっと想っていた性同一性障碍だった恋人が死んだとき、親から言われた一言、これで紀子も解放された、その言葉を聴いてから両親と会う回数は極端に減った、正月でも当直を希望して同僚医師にありがたがられているくらい、親と会っていなかった。殺されて、もう二度と会えないとしても、鮎美を助けようと想ったのは、それが一つ。そして、あとは保身だった。もし鮎美が死んだら、医師として、その先にあるのは破滅でしかない、いくら脅迫されたからといっても患者からの信頼を逆手にとって暗殺に加担すれば、罪に問われなくても医師免許は剥奪されるかもしれない、きっと、剥奪される。うっかりミスや実力不足での医療過誤による患者の死があっても、医師免許への行政処分は甘いことが多い。審査に加わる他の医師が医師に甘いという身内根性もあるけれど、手術や薬剤には未知の反応もありえるし、疲れているときも完璧な判断がいつもできるわけではない、人体はバイクやクルマと違い人間による被造物ではなく完全に把握しているわけではないゆえ完全な修理などできない、そういう前提があってミスや過失への処分は甘いけれど、故意に医師が患者を傷つけたときの処分は重い。とくに性犯罪では免許剥奪が当然だったし、毒殺など、もっての他だった。たとえ両親を人質にされて脅迫されたにせよ、鮎美が死ねば、桧田川にも未来はない。刑事責任は軽くすんだとしても、医師免許は無くなる。そして、未来ある18歳の命を奪った女医として、永く人々に記憶されてしまう。そうなった後、自分に何が残るのか、両親も無事に解放されたとしても何が残るのか、そう考えて飛びかかった。

「やめて! 飲まないで!」

 飛びかかろうとした桧田川は視界が回った。鮎美が見えなくなり、文化芸術会館の天井画が見え、そして床に全身を叩きつけられた。介式に投げ技をかけられたのだと気づくこともできないほどの早技だった。介式が桧田川の身体を押さえつけながら叫ぶ。

「吐き出させろ!!」

「「「はいっ」」」

 男性SP3名が鮎美を囲む。

「芹沢議員! 吐いてください! 早く!」

「……」

 鮎美は口に含んだ粉薬を口を開いて、その場に出した。大理石製の床に鮎美の唾液と白っぽい粉が溶けた物が拡がる。介式が桧田川に手錠をかけながら詰問する。

「何を飲ませた?!」

「っ、わ、わからない! わからないんです! 私は脅されて!! 助けて!! 父と母が人質に取られてるの!! お願い!!」

 泣き出しながら桧田川が事情を話し始めるけれど、介式は鮎美への応急処置を優先する。

「芹沢議員! 少しでも飲んだのか?!」

「……全部、出したような……ちょっと、飲んだかも……しれんような…」

 当事者なのに鮎美は、痛くも痒くもないので緊迫感のない声で答えた。

「口を漱げ!!」

「……」

 鮎美はペットボトルの水を口に含み、この場に出すべきか、少し迷う。行儀悪く床へ吐き出すのに、やや抵抗があった。せめてトイレの洗面台に吐き出したい。そんな悠長さに介式が怒鳴る。

「早く出せ!! その場に吐け!! 宮本くん! あと3本、水を買ってくるんだ!」

「はい!」

 鷹姫は全力疾走で自動販売機から水を買って戻ってきた。その間に鮎美は何度も口を漱いで床に吐き出していた。介式は桧田川の頭を床に押さえつけ、泣きながら事情を語っているけれど一欠片も油断せず、他に武器や爆発物など持っていないか睨みつつ探し、そして鷹姫に命令する。

「宮本くん、芹沢議員の喉へ指を突っ込んで胃の中身を吐かせろ!」

「はい!」

「…え……そこまで、せんでも、うち、どこも痛くないし…」

「早くしろ!」

「口を開けてください!」

 鷹姫にも緊迫した声で言われて鮎美は口を開けた。鷹姫の指先が喉の奥に突っ込まれる。嘔吐反射が起こり、鮎美の胃から昼食だった幕の内弁当が登ってくる。

「…うっ! ううぇえ!! うええええ! ハァ…ハァ…」

 また鮎美は床に吐いた。

「芹沢議員、水を飲むんだ! 前田、こいつを拘束しておけ! あと、救急車だ!」

 介式は部下に桧田川の拘束と救急車の手配を指示して、鮎美には水を飲ませる。

「早く飲みきれ」

「…ハァ…ハァ…そんな水ばっかり飲めませんよ。胃がタプタプで…」

「口を開けろ!」

「ぅう……また、吐かせるんですか?」

「開けろ! 死にたいのかっ?!」

「……」

 諦めて鮎美が口を開くと、介式の指が喉の奥に入ってくる。鷹姫の突っ込み方は優しかったのだと思うほど、力強くて指も2本だった。

「うげええ! うげえええ! ヒュッ…うげえええ!」

 大量に飲まされた水が喉を逆流してくる。息苦しくて、あまりに苦しくて鮎美は涙を零しながら介式の腰を格闘技で降参を意味する2度連続して叩く動作で叩いて、やめてほしいと伝えたけれど、容赦なく続けられて何度も嘔吐させられるうちに下着を少量の尿失禁で濡らしてしまうほど苦しんだ。ぐったりと嘔吐で疲れきった鮎美は救急車に乗せられ、桧田川はパトカーに手錠をされて乗せられる。それぞれに六角市内の病院と警察署へ運ばれた。

 

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