第42話 2月8日 エステ、順調で少しの平和な日々

 翌2月8日火曜の朝、鮎美はキッチンから朝食を調理する音と匂いがくるのを感じて目を覚ましたので、自宅にいるのかと錯覚したけれど議員宿舎だった。起きてキッチンを見ると、静江がエプロン姿で料理している。

「あ、静江はん、おはようさんです」

「おはようございます」

「今何時……ヤバッ?! 朝食会が!」

 とっくに議員会館で朝食会が始まっている時間だった。静江が大根を切りながら言ってくる。

「朝食会は体調がすぐれないので欠席すると連絡しています」

「そ、そうなんや、おおきに」

「かなり睡眠不足でお疲れのようでしたから眠っていてもらいました。けれど、国会には出てください」

「はい……」

「顔を洗って着替えてください。朝食できますから」

「おおきに」

 鮎美は洗顔して制服に着替えた。静江が用意してくれた朝食は家庭的な和食で鮎美は美味しく食べ始める。

「ああ、美味し。こんな朝ご飯、久しぶりやわ」

「ずっと、ご実家にも帰れていませんね」

「そやね……何日帰ってないやろ……もう2月も一週間が過ぎたんや……そのうち何日、家にいたことか……月日が経つの、あっという間やったわ」

「今日は国会以外の予定はすべてキャンセルしておきました。勝手ながら都知事選の応援も疲労が溜まっていると言って」

「………お礼を言うべきか………勝手すぎると怒るべきか……」

 鮎美は左手で自分の右肩に触れた。知らず知らずのうちに疲れが溜まっていた。電マの表向きの使い方をしてみようかとも思う。

「芹沢先生、部屋にオムツがありましたけど、使ってるんですか?」

「あ、うん、まあ」

「完治したと聴きましたが、傷の具合が悪いのを隠していらっしゃるのですか?」

「ちゃうよ。選挙応援でトイレに行く間もないとき、漏らして大恥かくよりマシやなって」

「牧田さんのすすめで?」

「ううん、自分でベターな選択かと思て」

「………。自分でオムツを着けられるようになったんですか。大人になりましたね」

 静江が感動した顔で言ってくるので鮎美は眉をひそめる。

「は? ………どういう意味?」

「ここまで成長してくれて嬉しいです。ご自分でオムツを着けるなんて立派になって」

「………。うちのことオチョくってんの?」

 鮎美が睨む。

「違いますよ。本当に立派なことです。本当に一生懸命に仕事をしている人は、宇宙飛行士も長時間手術の外科医も、みんなオムツを着けています。仕事への姿勢、求められる頑張り、その必要性から着けるオムツは誇っていいことですよ」

「………誇らしくても……誰かに言わんといてな」

「ああ、ここまで成長してくれたなんて………まだ高校生なのに自分でオムツを着けてくれた」

「………誉められてんのか、オチョくられてんのかビミョーやわぁ……。けど、東京で選挙活動してみて、つくづく地元の選挙では静江はんらが、うちのこと気遣ってくれてたんやと思い知りましたわ。演説会場に入る前のコンビニでトイレに行かせてくれたり、移動中もこまめに気遣ってトイレの位置とか、うちがしたくなりそうな時間とか、考えてくれてたんやね」

「それにも気づかれましたか」

「静江はんらのバックアップがない選挙活動はつらいわ」

「もしかして、人前で漏らしてしまいました?」

「ううん、ギリギリ個室に駆け込んだとき、鷹姫に見られただけ」

「よかったですね。口の堅い彼女なら安心です」

「いっそ、もっと早くにオムツ着けてればよかったかも」

「それは芹沢先生が成長したから思えるだけで半年前や入党直後の自分を思い出してください。はじめての演説でガチガチに緊張して立てなくなるような、ただの女子高生だったんですよ。そんな子に漏らすよりマシだからオムツを着けなさいと言ったり、気遣いがなくて演説中や握手中に人前で漏らしたりなんかさせたら、離党どころか、議員を辞めたり、家から出ない引きこもりになったかもしれませんよ」

「うっ………たしかに、……当時のうちやったら、何の嫌がらせでオムツ着けさせられるねんとか……まして漏らしたりなんかしたら外に出られへんわ……」

「そんなメンタリティから、すっかりタフになってくれて嬉しいですよ。才能ありますよ。きっと、芹沢先生には、もって生まれた天賦の才があります」

「オムツから、そこまで言われても……。けど、もって生まれた才能かぁ……。カネちゃんは、すごい外見は可愛いし、お母さんも美人さんやけど、あの性格は、ちょっと気の毒やなぁ……よく子供の前で、子供を捨てるとか、口走れるもんやと思うわ……カネちゃん、めっちゃ傷ついてた……」

「緑野さんは協調性皆無なのに、依頼心は人一倍強いようです。芹沢先生の秘書補佐を続けたいのも、お役に立ちたいからではなく、どこかにすがっていたいからです。あまり彼女をアテにしない方がいいですよ」

「……うん…」

「その点、宮本さんは芹沢先生の役に立ちたい一心で動いてくれています。ただ、抜けているところも多く、まさか食生活も朝食会が無ければコンビニ弁当、夕食もコンビニ弁当なんてこと女性議員と女性秘書の組み合わせでやっていると思いませんでした。キッチンも料理ができない女子大生のアパートみたいにキレイでしたし。食事は大切ですよ。人間、食べるのと出すのが基本中の基本です」

「うん、それは入院中に思い知ったはずなんやけどね、つい忙しいとコンビニに頼ってしまうわ」

「休むヒマもないほど忙しいのに、ちゃんと栄養を摂ってないなんて危険です。心の休息だって取らないから、夜中に緑野さんの家に押しかけてお母様に拒否反応を出されたりするんですよ。あのときの芹沢先生、かなり危なかったです」

「……………自覚せんうちに……そうなんのかな……鷹姫にも、人が変わったみたいに、って言われるわ……」

「月谷さんにもセクハラを警戒されてますね。自動車学校の一件以来、彼女も嫌なことは嫌と言えるようになってよいですし、月谷さんが性格的にも能力的にも一番バランスの取れたご友人ですね。ちょっと信仰が特殊ですけど」

「そうやね」

「牧田さんは能力は抜群なのに、底知れない感じが……とはいえ、芹沢先生の事業に不可欠な人のようですし」

「……。そういう静江はんは、うちとの関係、どう想ってくれてる? うちが同性愛者やって知って、やっぱり嫌悪感ある?」

「あります」

「…そう…」

「けれど、私に何もしてこなければ、私としても、ちゃんと秘書を務めますよ」

「……お兄さんのために?」

「ええ。ちまたでは芹沢先生を総理になんて言ってますけど、20年後に総理になっているのは、お兄ちゃんです。まあ、30年後に芹沢先生が総理のバトンをお兄ちゃんから受け取るのは、いいかもしれませんけど」

 静江は食べ終わった食器を片付けてくれる。

「さ、もう国会へ行ってください。終わって6時から、いいところを予約しておきます」

「いいところって?」

「それは夕方のお楽しみということで」

 微笑む静江を部屋において、鮎美は国会に出席した。お昼休みは議員食堂で翔子たちと食べ、食べ終わった頃に鷹姫が他人へは聞こえないように問うてくる。

「昨日、石永さんから連絡のあった件は、どのようになっていますか?」

 鷹姫としては、悪い知らせで秘密にするよう言われたので、かなり気になっていたし、今朝は議員宿舎へ行く前に、静江から鮎美は疲れて眠っているので来なくてよい、と連絡され、しかも地元にいたはずの静江が新幹線の終電が終わってから東京に来ていて、余計に気になっていた。鷹姫に心配そうな顔をされたので鮎美は微笑む。

「うん、あれは無事に終わったよ」

「それは良かったです。……。一件落着したところで、すぐに次の用件で大変に申し訳ないのですが、再び三島さんから連絡が入っています」

「なんて?」

「今回は悪い知らせではないようですが、頼み事をしたいので芹沢先生とお話しされたいそうです。芹沢先生のご都合がよいときに連絡いたしますと返答いたしておりますが、ご対応可能でしょうか」

「うん、すぐかけてみるわ」

 すぐに連絡しないと、つい忙しくて忘れてしまいかねないので鮎美は即座に鷹姫がもっていたタブレットで対面通話してみる。

「もしもし、芹沢鮎美です」

「三島である」

 やや緊張した三島の端正な顔が映っている。肉体は女性で、かなり美人に生まれたのに一切の化粧をせず髪もスポーツ刈りなのもあいかわらずだった。

「お元気そうでよかったですわ」

「うむ。芹沢殿こそ、お元気そうでなによりである」

「襲われた件、どうですか?」

「あの件は我の勘では一度で終わるだろう。夫婦ともに遺伝的な要因のある疾病をもち、気の毒ではあるが、我を襲ったときも殺意が弱かった。伴侶あることが彼の歯止めとなれば、よいと思っておる。その件はよいとして、………別の件で連絡したのだ…」

「はい。頼み事って何ですか?」

「あ、…うむ…まずは、わざわざの、ご連絡、ありがたい」

「いえ、それで?」

「わ…我々は同じ方向性をもつ賛同者であり、すべてに一致しているわけではないとしても、今現在は同志でもある」

「……」

 いつもは単刀直入な三島が長い前置きをしてくるので、鮎美は頼み事の中身が気になるけれど、黙って待つ。

「その同志に、頼み事をするにあたって、あえて言っておくが、頼み事を受けてくれようと、断ろうと、我らの団結に変化は無いし、我は賛同者たる立場を利用して、頼み事の実行を迫るような卑劣漢ではない。この点、よくふまえていただきたい」

「はい。それで?」

「や…やや、恥ずかしい頼み事ではある」

「…どんなことですか?」

「我の故郷が福井県であることは、ご存じだろうか?」

「えっと…そうかも…」

 以前に静江から三島について調べたファイルを見せてもらったことがあるけれど、細かいことまでは覚えていない。元自衛隊員でクーデターを画策したことは印象に残っているものの、出身地までは興味をもっていなかった。

「その故郷の衆議院議員とも以前から障碍児教育について親交があったのだが、我らの記者会見を見て連絡があり、芹沢殿に頼んでほしいと頼まれ、頼むのだ」

「ああ、そういうことですか。ようありますよね、政治の世界では」

「我は人間関係を利用して頼み事を押しつけるようなことは美しくないと考える。だが、今は恥を忍んでお願いしたい」

「はい。とりあえず、内容を教えてもらえます? 協力できることなら頑張りますし」

「ああ、わかった。これが…、我田引水のようで恥ずかしくはあるのだが…、故郷にとって必要なことでもあるのでお願いする。福井県には北陸新幹線が通るという計画があるのだが、これが遅々として進まない。何度も陳情しているらしい。県民の悲願でもある。その陳情に、芹沢殿も列席してほしいのだ」

「そういうことですか」

 鮎美は平凡な頼み事で、しかも北陸新幹線については県内新駅の問題と同時に勉強したので、よく知っている。その陳情に付き合うのは、まったく問題ないのに、三島が恥じらって赤面しているのは意外だった。もとが美人なので男装していても、つい可愛く感じてしまうけれど、それを言ったら怒るか悲しむかしそうなので黙っておく。赤面した三島がまっすぐに言ってくる。

「貴殿の信条に合わぬなら断ってくれても、我らの団結に変わりはない。ただ、一考していただきたい」

「わかりました。都合をつけて陳情に参加できるようにします」

「………。よいのか?」

「はい」

「………無理なら断ってくれても、よいのだぞ。このような破廉恥な頼み、恥ずかしかろう」

「いえ、北陸新幹線は必要ですし。というか、なんで、そんなに恥ずかしいんです?」

「自らの故郷のみ繁栄すればよいと、我田引水の如く予算を引き込むなど、破廉恥の極みではないか。我らの陳情が実現すれば、その分、どこかの予算が削られ、その地が後回しにされるわけだ」

「う~ん……たしかに、そうですけど、その土地もその土地で、どうせ陳情してるでしょ。ある意味で陳情合戦の戦争ですやん」

「そういう解釈もあるか……たしかに戦いといえば、戦いだ。なるほど」

「ともかく北陸新幹線の福井県への早期延伸に協力させてもらいます。陳情の日程なんかは、その議員さんの秘書と、うちの秘書で擦り合わせますわ」

 鮎美は議員の氏名を聞き、通信を終えた。そして議員食堂を見回すと、すでに教えられた議員の秘書が待ちかまえていて、挨拶してくる。準備の良さは田舎の衆議院議員らしいと思いつつ笑顔で握手を交わし、日程の調整は鷹姫に任せた。

「はぁぁ……問題ない頼み事でよかったわ」

 タメ息をつきつつ午後の国会にも出席して座って過ごし、畑母神には悪いと思いつつも静江に言われたとおり、まっすぐ議員宿舎に戻った。

「芹沢先生、これに着替えて髪型も少し変えてください」

 静江が私服を出してくれた。

「変装させて、どこに連れて行く気? ビアンバーとか?」

「あの界隈で芹沢先生は超有名人ですよ。不用意に行ったりしたら、大騒ぎになります」

「うっ……そらそうやな」

「議員という身分では窮屈でリラックスしないでしょ。今日だけ、これからツキタニヨウコになってください。ヨウコと呼び捨てますね」

「影武者の逆パターンなんや」

 鮎美は制服を脱ぎ、私服に着替えて、おろしていた髪を簡単にまとめて低い位置のポニーテールにした。変装というほどではないけれど、その姿で歩道を歩くと、すれ違う人々は、他人のそら似と思ってくれるのか、それとも議員バッチと制服という組み合わせで鮎美を記憶しているのか、ほとんど気づかず通り過ぎてくれる。静江と徒歩で赤坂の一流ホテルへ入った。豪華なのに落ち着いた内装の廊下を進み、高画質液晶で春の中庭にいるような空間を演出したエステルームへ進む。

「予約していた石永とツキタニです」

「ようこそいらっしゃいませ。奥へどうぞ」

 受付が奥へ案内してくれる。

「こちらで裸になっていただき、そちらのペーパーショーツをおつけください」

 王宮をイメージさせるような薄い桃色のカーテンで仕切られた脱衣スペースで静江と鮎美は裸になる。手元に置かれてある紙製のTバックショーツを着けた。

「……ロイヤルエステコース……120分、一人45000円、税、サービス料別………」

 鮎美は予約票に書かれているコースと値段を見た。さらりと静江が言う。

「ワリカン、私費で払ってくださいね」

「払えるけど、すごい金額やね」

「すごく頑張ってる人には、すごいご褒美が必要なんですよ。でないと、土曜の夜みたいに爆発しちゃう」

「…………」

「石永様、ツキタニ様、こちらにお座りください」

 ゆったりとした大きな椅子に腰かけると電動で心地よい角度まで倒してくれる。

「まずは手足をオイルマッサージいたします」

 静江と鮎美の2人に対して8人のエステティシャンがついてくれ、両腕両脚を同時にオイルをつけて揉んでくれる。

「……うわっ……めちゃ気持ちええわ……」

「ヨウコ、その関西弁、恥ずかしいから、こっちではやめて」

「はーい」

「寝てしまうと、もったいないから、私もヨウコも寝たら起こしてください」

「承りました」

「たしかに気持ち良すぎて寝てしまいそうやわ。………ああ……気持ちいい…」

 鮎美は手足を揉んでくれる四人の顔を見下ろした。四人とも鮎美より年上だけれど、美しい化粧をした可愛らしいエステティシャンで鮎美は裸同然の姿で揉まれていることに、だんだんと興奮を覚えてきた。

「……ああ……ハァ……」

 可愛らしい8本もの同性の腕が自分を揉んでくれて、しかも指先から、だんだんと内腿や腋の方へ手があがってくるので、より興奮してくる。さらに背もたれが倒され、一人が首を、もう一人が胸を揉んでくれると、両内腿を揉んでくれている手に股間へ触ってほしくなってしまった。

「…ハァ………ハァ……ああぁん…」

「ヨウコ、変な声ださないの」

 そう言う静江も気持ちよさそうな声をときどき漏らすけれど、そこに性的興奮は一切ないので鮎美の声とは性質が違う。エステティシャンは股間と乳首以外のすべてを揉んでくれる。耳や顔、頭皮までほぐされ、さらにベッドへうつ伏せに寝かせてくれると、首と背中、お尻、脚を同時に揉んでくれる。とくに、お尻を揉んでくれる手には強く感じてしまい、もっと奥まで滑り込ませて中に入ってきてほしいとさえ感じてしまった。

「……ハァ……桧田川先生……元気にしてはるかなぁ…」

 毎日、お尻に入ってきた桧田川のゴム手袋をした指を思い出してしまった。つい、だらしなくヨダレを垂らしてしまうけれど、それも予想されていたようでペーパータオルが敷かれている。心地よい45分間のマッサージが終わると、温かい泥を塗られ、ビニールで全身をミイラのように巻かれた。

「しばらくお休みください」

 そう言われて静江はすぐに眠ったけれど、鮎美は興奮の余韻が冷めるまで眠れなかったものの10分もすれば眠っていた。そして睡眠が深くなりすぎないうちに、優しく起こしてくれた。

「シャワーで流します。その後、全身トリートメントいたしますが、ツキタニ様、いっしょに腋の処理もなさいますか?」

「え? ……ああ……ううん、このままで」

「では、流します」

 香りのいい泥を流してくれた後、また全身マッサージしながら乳液を塗り込んでくれる。眠った後だったので、より頭が冴えて8本の手が全身を撫でてくれる感触を鮮明に感じてしまう。

「…ハァ……ハァ…んぅ…」

 うつ伏せでお尻を揉まれているうちに、刷り込まれた習慣だったのか、お尻を突き出すようにあげ、お尻の穴で指先を受け入れようとするような動作をしてしまった。

「クスッ…」

「フフ…」

 頭上で4人のエステティシャンが静かに笑っている気がする。そしてマッサージのタッチの仕方が変わってくる。鮎美がリラックスではなく性的な興奮を覚えていることに気づいて、指使いが艶やかな動きに変わり、より鮎美を感じさせて遊んできた。両耳や首筋、両腋、背筋、お尻、内腿、膝の裏と、まるで性感帯を探るように8本の腕が動き、鮎美の反応と息づかいで感じるポイントを探し当てられてしまう。

「…ハァ…あぁっ…」

「シー」

 耳たぶを揉んでくれていたエステティシャンの指が鮎美の唇に押しあてられ、隣にいる静江へ喘ぎ声を聴かせないよう伝えてくる。鮎美と静江の間には薄いカーテンがあるし、室内は薄暗い。喘ぎ声をあげなければ、ただのマッサージと静江は思い続けるはずだった。

「ツキタニ様、仰向きになってくださいませ」

「…はい…」

 素直な声で鮎美は返事をして仰向きになる。また8本の手が鮎美を撫でてくれる。仰向きになったので胸に触られるし、今度は乳首も刺激してくれた。さらに紙ショーツの中まで指先が入ってきてくれるし、うつ伏せのときと違い、目を開けるとエステティシャンたちの微笑んだ顔が見えてしまい、恥ずかしくて余計に高まった。もう鮎美が興奮していて、絶頂を欲しがっていることが完全にバレている。欲望を見透かされてしまい、赤面する鮎美の頬や耳も撫でられた。

「……ハァ……ハァ……ああぁ…」

「シー」

 つい喘いでしまうとエステティシャンが清潔なタオルを口に咥えさせてくれた。これで喘ぎ声を漏らさずにすむようになり、より8本の手が妖艶に鮎美を高めてくる。さきほど探り当てた鮎美の性感帯を8カ所同時に攻めてくる。両耳、両腋、乳首、股間の前後、その感じやすいところを息を合わせて同時に攻められると鮎美は何度も絶頂してタオルに唾液を染み込ませたし、紙ショーツも濡らしてしまった。エステティシャンたちは余計なことは言わず、うやうやしくサービスを終えた。

「…ハァ…」

「本日はお越しいただきありがとうございました。どうぞ、またご利用ください」

「…うん…」

「ご指名いただければ、また私たちがサービスさせていただきます」

 にっこりと微笑むエステティシャンたちに、鮎美は目を合わせられず頭をさげて更衣スペースに戻った。服を着ると静江とホテル内のフレンチレストランに移動した。高層階の窓際で東京の夜景を見おろしながら、ゆっくりと夕食をとる。

「こんなゆっくり、ご飯たべるの、ホンマに久しぶりかも」

「どんな豪華なレストランや料亭でも接待だと味気ないですしね」

「うん、舌より頭を使ってるもんね」

「何より、あまり頑張りすぎると、どこかで燃え尽きてしまいますから」

「気を遣ってくれて、おおきにな」

 鮎美はデザートを食べながら眼下の道路を見おろした。選挙カーが走っていて候補者のミック赤崎が真冬なのにタンクトップ姿で元気に両手を大きく振っている。

「昨日も、そして明日も、うちもあそこにいるんやろうなぁ」

「日本一心党の他にも、眠主党の加賀田知事や雄琴先生とも共同歩調をとられていますね。自分が自眠党の議員だってこと、忘れないでくださいよ」

「それは大丈夫よ。うちらのグループは党とは無関係に、っていう連盟やし」

「最初はそうでも、そのうち新党を造ろうなんて話になって雨後の竹の子みたいに弱小政党が生まれては消えていくということが何度もありましたから」

「ご忠告ありがとうございます」

「さ、今日は何も考えず、よく眠って休んでください」

「おおきに」

 国会には出席したけれど、骨休めすることができた鮎美は早めに議員宿舎で眠った。

 

 

 

 翌2月9日の水曜朝、鷹姫は朝刊を握って議員宿舎に駆け込むと、鮎美に見せて言う。

「ドイツがアユミ・ナツコ体制への参加を検討すると表明しました!」

「見せて!」

 着替え途中だった鮎美はスカートを穿くのを中断して、新聞に目を通す。

「……メルゲル連邦首相が発表……」

「彼女はドイツ初の女性首相です」

「そやったね……参加検討に入った理由は……2010年欧州ソブリン危機なんや……ギリシャが国家財政の粉飾決算やったもんなぁ……会社ならともかく国家が粉飾とか、しかもユーロ圏やのに、っていう統一通貨の脆さがモロにでる事態やもんなぁ……」

「危機はスペイン、ポルトガル、ハンガリー、ラトビアと拡がっています。財政規律を重視するドイツとしては業を煮やしたのでしょう。場合によってはユーロを離脱し、マルクを復活させての参加を考えていると表明しています」

「ユーロ離脱かぁ……そこまで大胆に動くかなぁ……ドイツってユーロの中核国やん。そこが抜けるのは、ほぼ崩壊を意味するんちゃう……」

「芹沢先生が提示された連合インフレ税によってもたらされる財源の使途が各国の自由であるところに高い魅力があるとメルゲル首相は述べています」

「ユーロで縛られるのに、我慢できんようになったんやろ。ギリシャのツケをドイツ人が払ういうのは、割に合わんって」

 鷹姫と話ながら国会に登院すると、周囲の話題も同じだったし、ぶら下がり取材が鮎美へ集まってくる。今日は国会で党首討論が行われる日だというのに、各党の党首より注目されていた。

「芹沢議員、ドイツの参加表明を受けて、どう思われますか?」

「参加表明ではなく検討ですよ。ご質問は正確に」

「どう思われますか?」

「提唱した者としては嬉しい限りです」

「このまま各国が参加してくると思われますか?」

「そうしていただきたいと願っております」

「肝心の日本政府は何ら動きがありませんが?」

「慎重な検討をしていただいているのだと期待しております」

「都知事選への影響はあると思われますか?」

「…………。わかりません。都知事選は東京都の知事を選ぶものですから、影響はあっても限定的かと思います」

「都知事選の結果が、連合インフレ税の是非にかかってくると思われますか?」

「いえ、やはり都知事選は都知事を選ぶものですから、そう短絡的に何もかも、くっつくとは思えません。もう時間なので失礼します」

 鮎美は取材を切って移動する。やはりSPがいてくれるおかげで取材を切りやすい。鮎美は党首討論が行われる委員会には選ばれていないので、いつも通りに退屈な審議をまじめに座って過ごし、お昼休みになって議員食堂で木村に言われた。

「党首討論で連合インフレ税の話がでたよ。小沢党首が鳩山総理に問いかけた」

「どう言うてはりました?」

「検討してみる価値はあるかもしれないが、山積している問題の処理が先だ、と。先送り感のある返答に、眠主党内の小沢寄りの議員からも野次が飛んでいた」

「眠主党内の結束、だいぶ乱れてますね」

「支持率19%まで落ち込み、支持しないが65%だ。1月に内閣改造したばかりなのに」

 そう言った木村はラーメンを食べている直樹に声をかける。

「国民の総意とともにあるという雄琴先生におかれては、どうかな? 昨今の眠主党支持率の中で眠主党に所属しているのは?」

「一時の支持不支持より、総選挙の結果という大きな指標がありますから」

「そうだ! その通り!」

 隣の席にいた若い眠主党衆議院議員が野次のように飛ばしてきた。木村は肩をすくめて謝る。

「失礼。食事中によしましょうか」

 お昼休みが終わり、鮎美は午後の国会も静かに過ごすと、女子トイレで排泄を済ませ、ショーツからオムツに穿き替える。上からスパッツも着て見えないようにしてメイクも軽く直すと、国会議事堂前に走った。県知事選でしたように高校の校門から選挙カーに乗る姿が話題性があるように、国会前から選挙カーに乗るのも話題になってくれているので期待に応え、畑母神と握手してから周りに手を振る。

「東京から日本を変える! 畑母神をよろしくお願いします!」

 鮎美の応援演説は内容を変えたわけではないのに、聴衆の空気感は変わってきていた。都政に直接は関係ない連合インフレ税について聴きたがっている気配がする。わずかな休憩時間のうちに畑母神と確認し合ってから言及することにした。

「この都内でも格差は大きな問題です。先進国と最貧国の格差も大きいけれど、都民のうちでも差は開くばかりです。これを、なんとかせんとあかん!」

「どげんかせい!」

 誰かが野次を飛ばした。対立候補のキャッチフレーズを捻ってきている。鮎美は言い返さず、頭をさげて言う。

「どないかします!」

 切り返しの速さで拍手が起こり、演説は無事に終わった。それからも次々と寒風が吹く都内の各所を選挙カーで巡っては屋根の上から演説していると、カイロを着けていても身体が冷え、小便をしたくなる。

「みなさま、うちの話を寒い中、聴いてくださりありがとうございます!」

 演説に集中したいので我慢するのはやめ、話ながらオムツの中に済ませた。もう月経でナプキンが汚れても、人に見えていなければ、いちいち恥じらわないように数千人の前でオムツを濡らしても恥ずかしくなかった。そして議員宿舎に帰ると鷹姫がキッチンで夕食を作ってくれていたので感動する。

「わあ、鷹姫がつくってくれたん?」

「はい。石永さんが選挙応援を途中で抜けてでも、まともな食事をつくるよう言われましたので従いました」

 鷹姫がつくったのは焼き魚を中心とした和食で、とくに温かい味噌汁が冷えた身体に嬉しかった。

「鷹姫って、こんな女の子らしいことできたんやね」

「お褒めいただき、ありがとうございます」

「かわいいわぁ! キスしとうなる!」

「………」

「あ、ごめん。思わず」

 まだ演説していたときの興奮が残っていて、またセクハラしそうになり自重した。

 

 

 

 翌々日の2月11日金曜夕方、鮎美は前日を休養日として国会出席だけにして選挙応援は一日おきとしたので疲れのとれた声で演説していたけれど、途中で聴衆の変化に気づいた。なぜか、ざわついている。

「都政を刷新する男の中の男、畑母神をよろしくお願いします! ……」

 鮎美は不安になり数分前に演説しながらオムツを濡らしたことに気づかれた可能性も考えてみて、さりげなく脚を触ったりしたけれど、横漏れして濡らしたりはしていない。そして、聴衆は鮎美の話を聴かず、スマートフォンや情報端末ばかり見ている。畑母神の秘書が車上にあがってきて鮎美と畑母神に伝えてくる。

「今、イギリスがユーロ離脱を宣言しました。芹沢先生のプランに参加するという表明と合わせて」

「おお、そうか。英国が」

「………。検討やなくて?」

「はい! 参加表明です。IMFのドミニク氏と共同で発表しました」

 畑母神がしたり顔で頷く。

「英国人は世界の中心でありたがるからな。ドイツが検討しているうちに、追い越して自分たちが主導権を握ろうというのだろう」

「……うちの……言うたことが………世界で……」

 やや茫然としている鮎美に代わって畑母神がマイクを握る。

「みなさん! 今、英国が我らの計画に賛同すると発表したそうです!」

 聴衆から歓声があがる。その歓声で鮎美の実感も深まる。

「……とうとう……一国が……」

「みなさんは日英同盟を覚えておられるだろうか! この1902年に日本と英国が締結した同盟! これが再び形を変えて100年を経て蘇ったのです!」

 やや大雑把な解釈であり、当時のように対ロシアという計画ではないけれど、勢い流れるままに述べる演説なので、聴いた人々も意味解釈よりも盛り上がりを優先して拍手や歓声が起こった。そして、鮎美もマイクを握って何か言おうとしたけれど、言葉の前に涙が零れた。

「…ぐすっ……すいません……今は……言葉が……」

 感無量の涙だった。聴衆も言葉より少女の涙を喜んだ。また拍手と声援が起こり、鮎美は応えて述べる。

「鳩山総理、どうか、検討してください! 今、日本は対外的には債権国でも国債残高は1000兆円を超える勢いです! これを消費税で償還できますか?! 所得税でやりますか? もう無理な数字です! 歴史を振り返れば乱暴な徳政令があり、大きな経済的混乱を生みました! 国が乱れる前には財政の破綻があります! なぜ、財政が破綻するのか?! それは徴税システムが時代に合わず抜け穴だらけになるからです! 墾田永年私財法から律令制が崩れ、戦国時代へ移行したように! また米を中心とした徴税制度が経済の発展に合わず崩れていった江戸幕府しかりです! 結果、国にも個人にもお金が入らず、一部の豪商、今で言う富裕層だけにお金が集中します! けれど、現代のお金は突き詰めれば紙切れにすぎない不換銀行券です。もちろん乱造すればインフレが起き、それが一国であれば輸入品が決済できず大混乱に至ります。けれど、足並みをそろえたインフレならば! 多くが解決します! それにイギリスは気づいてくれた! ドイツも考えてくれてはります! 総理! お願いします、どうか考えてください。あなたが言われた最小不幸社会、この実現にも財源となりえます。お願いします!」

 聴衆というよりは総理と、今の総理を間接的には選んでいる国民の意識に訴えかける演説で20時を迎え、拡声器の使用時間が終わった。その後も金曜夜ということもあって聴衆との握手は長引き、選挙事務所に帰った頃には疲労困憊だった。

「………疲れた……」

 早く夕食を作って待っていてくれる鷹姫のところへ帰りたいのに、一度座った椅子から立ち上がれない。濡らしたオムツもそのままなので、そろそろ着替えたいのに気力がない。そんな鮎美に水田が言ってきた。

「今日の最後の演説、あれは、どうかと思いますよ」

「…は……はい……はあ…」

「本来、あなたは畑母神先生の応援をすべき要員であって、選挙活動は自説を述べる場ではないことを、自覚すべきです」

「……すんません……」

 ぼんやりと鮎美が謝り続け、水田が責め続けていると、畑母神が仲裁してくれる。

「まあまあ、お二人とも、よくやってくれていますよ。おい、二人にタクシーを! 二人ともお疲れだから」

 タクシー代を前払いしてもらって議員宿舎まで帰る途中、隣の知念が言ってくる。

「さっきの水田とかいう人が文句いってきたのに、よく素直に謝ってたっすね」

「…え? ……ああ、……あの人……うん……別に、どうでもええから…」

「あの人だって日本一心党なわけだから、いわば芹沢議員は客分じゃないっすか。かなり失礼な感じっす」

「はは……うちは、お客さんちゃうよ……。鷹姫からも、客将は幕内にあって幕僚にあらず、って教えてもらったし。日本一心党の内部のことは、党内で決めるべきやし、うちは畑母神先生の方針に従うよ」

「けど、あの水田さんは、めちゃ上から目線で芹沢議員へ…」

 言い続ける知念へ別の男性SPが諭す。

「自分たちSPは警護対象の活動に口を挟まない方がよいのでは?」

「長瀬警部補………そうっすけど、見てて、なんかムカっときて。芹沢議員は党外からの応援なのに夜中まで頑張ってヘトヘトに疲れてるとこ、グチグチ言いにきて芹沢議員が素直に謝ってるのに、いつまでもクドクドと」

「たしかに自分も見ていて、しつこくはありましたが、彼女の立場からすると、わからなくもないものもあります」

「どこがっすか?」

「芹沢議員がいなければ、日本一心党では彼女がアイドルでしたし、畑母神代表は党トップであっても、芹沢組のトップは芹沢議員です。そこに序列の混乱があり、このさい同性の年下なのだから、という目線で一言いいたかったのだと思います」

「芹沢組って正式名称ちゃいますしね、そこよろしゅう」

「長瀬警部補の言うこともわかるっすけど、組織内の序列でいったら芹沢議員の方が明らかに上じゃないっすか?」

「だからこそ、上から目線で言ったのだと思います。あと、彼女は同性愛者へ偏見をもっているようですから」

「偏見と序列っすか……偏見はともかく序列は決めといた方がいいかもしれないっすね。今のところ畑母神代表も芹沢議員も、性別も違うし年齢も違いすぎるから、お互いに遠慮して、それがうまく機能してるっすけど、そうじゃなくなったとき、分裂する元っすから」

「うちらは同志としてのグループなんやけど、序列って要ります?」

「今はいいかもしれないっすけど、たとえばオレらSPは非常事態に対応することをメインにしてるっすから介式警部がチームのトップで指揮系統がはっきりしてるっすけど、仲良しグループでリーダー不在だと、いちいち話し合う時間がないとき、あとで、誰かが勝手に決めた、とか問題が出てくるっすから」

「そやね。人は平等でも、組織に上下は要るわなぁ……とくに非常時。そやから、国会議員の中からでも総理大臣を選出するし、それをトップに各大臣を決める……ふぁぁ…」

 疲労感のあまり鮎美がアクビをした。

「芹沢議員、水田さんのこと、どうするっすか?」

「え? ……別に、ほっといたらええやん」

「あんなに感じ悪く上から目線だったのにっすか? ちょっとは怒らないっすか?」

「う~ん……」

 鮎美が疲れた声で言う。

「知念はんがもし大事な用事があるとき、小さな砂粒が目に入ったら、そのことで、いちいち怒る?」

「……いえ、どうでもいいっす。用事を急ぐっす」

「ほな、そういうことよ」

「………芹沢議員、ビックっすね」

「たんに面倒なだけよ。……うちが寝てしまっても………鷹姫のご飯、食べたいし、起こしてな……」

 そう言った鮎美は眠りに落ちた。

 

 

 

 翌2月12日の土曜朝、鮎美は眠気と疲労感との戦いに苦しみつつ起床したけれど、キッチンで朝食を準備してくれているエプロン姿の鷹姫を見ると、元気になれた。

「おはよう、鷹姫」

「おはようございます、鮎美」

 制服の上からエプロンをしている鷹姫は可愛かった。つい、見惚れるし、抱きしめたくなるし、スカートの中に手を入れたくなる。それを我慢して洗顔した。朝食前に新聞3紙へ軽く目を通した。

「「いただきます」」

 二人で朝食をとり再び新聞を読む鮎美の髪を鷹姫がといてくれる。

「お疲れではないですか?」

「大丈夫よ。鷹姫がご飯つくってくれるし、コンビニ弁当とは、ぜんぜんちゃうわ」

「お役に立てて幸いです」

「鷹姫も無理せんといてな」

「はい」

「ほな、いってきます」

「いってらっしゃいませ」

 鷹姫はSPたちと出発した鮎美の背中を見送ると、部屋の中を片付け、ビジネスホテルに戻った。もう9時前で食べ放題の朝食は終わりかけだったけれど、朝食チケットがもったいないのと、この時間になると皿に残っているハンパな料理は捨てられるのだと聞いているので、なるべく廃棄が少なくなるように、あと一切れ、二切れといった残っている料理を食べて早めの昼食として2時間ほど眠る。連泊しているのでチェックアウトの時間は気にしなくていい。お昼になって議員宿舎で鮎美のためにオニギリを中心とした弁当をつくる。

「石永さんが、わざわざお米を送ってくださいましたし」

 人間は食べ慣れた食材の方が頑張れるという理屈で静江は地元米を送ってくれたけれど、鮎美は大阪出身なので、はたして食べ慣れているだろうか、という疑問はあったものの、丹念にオニギリをつくっていく。海苔を使って歯に残ってしまうと街頭演説に見場が悪いので海苔無しのオニギリと卵焼きだった。その弁当をもって鮎美を探しに行くけれど、選挙カーで移動する鮎美に必ず渡せるわけでもなく、そして渡しても食べる時間がとれるとは限らなかったものの、今日は15時過ぎに食べてもらう時間ができた。鷹姫が介式に弁当を渡しておき、選挙カーで移動する間にカーテンを閉めて鮎美が食べた。

「ああ、美味しかった。ごちそうさま」

 鷹姫にお礼のメールを打っておき、歯磨きの替わりにガムを噛んでから、再びマイクを握ったけれど30分くらいで大便をしたくなった。さすがに大はオムツの中にしたくないし、すでに一回濡らしたので、そろそろ交換したい。夕方になると、さらに多忙になるので今のうちにトイレへ行っておきたかった。ちょうど17時で介式たちSPが交替する都合もあり、休憩として選挙事務所に戻った。

「……う~……一時間も我慢したし、もう出えへん」

 トイレに入ったけれど、便意がおさまり排便できなかった。オムツだけ交換して鷹姫が用意してくれたお茶とお菓子を少し食べて、また選挙カーに乗った。

「芹沢先生、お顔の色がすぐれないですが、どうかされましたか?」

 鷹姫に問われ、鮎美は微笑む。

「ううん、なんでもない、平気よ」

「そうですか、では、いってらっしゃいませ」

 鷹姫は鮎美を見送ると、しばらくは街頭演説の旗持ち要員として選挙カーの後続車で移動し20時を過ぎて拡声器の使用が終わり、鮎美と畑母神が聴衆と握手を始めると、先に議員宿舎へ帰って夕食の用意をする。食事の用意が終わって1時間ほど待っていると鮎美が帰ってきた。

「…ただいま…」

「お帰りなさいませ」

「…先、…お風呂…入るわ…」

 一日中声を出していた鮎美が小声でしか話さないのは、今までの選挙応援でもあったことなので鷹姫は気にしない。鮎美はバスルームに入ると、お尻をよく洗ってから湯船につかった。

「……凹むわぁ……」

 誰にもバレなかったけれどオムツを大便で汚したのは嫌な記憶だった。その記憶も鷹姫がつくってくれた夕食を前にすると消えた。

「美味しかったよ、ごちそうさん」

「お粗末様です。どうぞ、早くお休みください」

「うん、おおきにな」

 寝るのも仕事のうちと鮎美はベッドに入る。鷹姫は夕食の後片付けをすると、明日鮎美が着る制服などの準備をしてから議員宿舎を出て、ビジネスホテルで眠った。

 

 

 

 翌2月13日、日曜日の早朝、鷹姫は目を覚ますと、すぐに制服に着替え、議員宿舎に向かう。まだ眠っている鮎美を起こさないようにエプロンをして朝食の準備をする。もう起こしてもよい時間になると音を控えるのをやめ、朝食の仕上げをしていると鮎美がつらそうに起きてきた。

「…おはよう…鷹姫…」

「おはようございます、鮎美」

「……鷹姫かわいいなぁ……お嫁さんにしたいわ…」

 ぼんやりとしたまま鮎美が洗顔しに行き、二人で朝食を食べる。食べ終わった鮎美はしばらくトイレにこもり身支度が終わると、畑母神の選挙事務所へ駆けつけ、朝から応援演説を続ける。乾燥した冬の空気で喉を荒らさないよう、ときどきはお茶を飲むけれど、あまり飲むと小便をしたくなるし、うまくトイレ休憩のタイミングが取れれば、オムツを濡らさなくて済むものの、本当に都内はトイレが少なくて苦労した。そして、せっかく鷹姫が届けてくれた弁当を食べる間もなく夕方になり、日が暮れてから昼食を口にした。それもテレビ局の楽屋でだったし、これから畑母神といっしょにニュース番組に出演することになっている。食べ終わった鮎美に鷹姫が歯磨きセットを渡してくれた。

「おおきに」

 歯を磨いて時計を見る。

「5分だけ寝させて」

「はい。どうぞ、お休みください」

 鷹姫は楽屋内の照明を可能な範囲で暗くしたし、鮎美のスマートフォンも預かって廊下に出る。テレビ局のスタッフが駆けてきた。

「鮎美ちゃんはスタンバイOKっすか?」

「はい」

「じゃ、もうスタジオ入って」

「あと3分だけ、お待ちください」

「了解っす。急いでね」

 次にスタッフは畑母神が入室している楽屋をノックしている。鷹姫は時刻を確認しつつ、ギリギリになって鮎美を起こした。

「おおきに」

 鮎美は両頬を手で叩くと気合いを入れている。堂々と畑母神とならびスタジオに入っていく背中を見守った。番組が始まり、対立候補の元宮崎県知事と討論になっても、落ち着いて応える鮎美の姿をスタジオの隅からSPたちと見ていると、鷹姫は尊敬と喜びで胸が熱くなるのを感じた。

「……素晴らしい方……」

 鷹姫のつぶやきが聴こえていた知念も頷く。 

「あれで18歳っすからね……末恐ろしいっすよ」

 番組が終わり、議員宿舎に戻ると、鷹姫は作り置きしておいた夕食を温めて用意した。

「どうぞ」

「おおきに、いただきます」

「さきほどの情報では、フィンランドも参加を表明してくれました」

 鷹姫が告げると、鮎美は肉じゃがを頬張った頬をほころばせた。

「財政的に手堅い国ほど、タックスヘブンの弊害、わかってるんやろ」

「はい、そう思われます」

「けど、スイス、シンガポールあたりは、タックスヘブン的な性質があるから、参加は遅れるか、参加せんかもなぁ…」

「参加しなければ自国通貨高と外貨建て対外債権の実質的減少にみまわれますが、どう手を打つでしょう?」

「結局のとこ、自国通貨高の解消のため、うちらを後追いして軽いインフレにもっていくか、対外債権の保全のため相手国内で実体資産に変えるかやね。けど、実体資産には、それぞれの国で課税がしやすい。世界中どこにも逃げ場はないよ」

「………逃げ場を無くしたとき、思わぬ反撃をしてくるやもしれません」

「どんな?」

「それは………わかりません」

 夕食を終えると、鮎美は急激な眠気を覚えた。

「うち、もう寝るわ」

「お風呂に入ってください」

「もう疲れたし」

「入浴してお休みになる方が疲れがとれます。お背中流しますから、入ってください」

「……。ほな、そうしよかな」

 二人で脱衣所に入り、服を脱ぐ、鮎美はテレビ出演中も念のために穿いていたオムツを鷹姫に見られて、ふざけて言う。

「鷹姫お姉ちゃん、鮎美のオムツ脱がせてくだちゃい」

「………。……」

「お願いでちゅ」

「……そんな赤ん坊みたいに……。これが、さっきほどまでテレビに出て立派に………。全世界が注目する人の……」

 鷹姫は目まいを覚えたけれど、鮎美が疲れているので入浴を済ませるため、優しく脱がせた。

 

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