第40話 2月5日 刑法218条の抜け道、加害者両親

 翌2月5日土曜、午前2時過ぎ、鮎美が深く眠ってしまったので鐘留は抱きつかれていた腕をどけてベッドから立ち上がった。

「やりたいことやったら寝ちゃうとか、まさに勝手な男といっしょだね、アユミン」

「「………」」

 介式と知念はコメントせず、鐘留は唾液の匂いがする自分の身体を気持ち悪そうに触った。

「あ~キモかった。気持ち悪っ。指とか舌を使ってくれるのは気持ちいいんだけど、やっぱ根本的に無理あるよね、同性愛」

「「………」」

 鐘留の一人言なのか、返答を求められているのか、わからない言葉へ対して介式と知念は何も言わない。ずっと、性行為の最中も二人とも部屋にいた。知念は背中を向けていて気づいたことに、鐘留の部屋のドアには内側からかかる鍵が三つもあった。内側からしか開けられないタイプの鍵で、ドアも高級住宅らしく重厚なので、いざというとき介式と二人で体当たりしても開けられそうにないし、鍵も多いので破壊にも時間を要する。そういう観点から、たとえ鐘留と鮎美が性行為を始めても退出する気になれなかった。そして、鐘留に気づかれないよう室内を観察した結果、本棚には不穏な本が見られた。完全犯罪と銘打ったタイトルの本や、バレずに人を殺す方法、毒物、危険物についての書籍と、遺伝子や進化論、先天的障害についての本、インターネット関連の本、鮎美の秘書補佐として学ぶためなのか、法律の本があった。インターネットと法学はともかく完全犯罪や危険物に興味をもっている鐘留を、やたら厳重に鍵がかかる室内に警護すべき鮎美と二人きりにする気にはSPとしてなれないし、介式だけ残すにしても、不意を打たれないとも限らない。何のための二人組行動なのかを考えれば、介式も室内の異常さに気づいて、知念に退室を促さなかったので、四人が部屋にいた。鮎美はなぜ三つも鍵があるのか、だいたい察している。両親が障碍をもって産まれてきた弟2人を殺したことで悪夢をみるようになった鐘留が自宅で安眠するためには、それが必要なのだろうとわかる。眠っている間に殺されるかもしれない、という恐怖が、たとえ鐘留は健常者なので大丈夫なはずだとしても、相当なものなのだろうと同情している。鐘留は熟睡している鮎美の裸体へ羽毛布団をかけた。

「アタシは、やっぱり男がいいよ。アユミンに、おチンチンがあったら、よかったのに。えっと、君、男だよね。名前は?」

 ずっと背中を向けていた知念が問われ、まだ鐘留も鮎美も裸のはずなので背中を向けたまま答える。

「知念っす」

「チンね?」

「チネン!」

「きゃはっはは! いいね、チンネ、きゃはは♪ 番犬警部とチンチン警部」

「………オレは警部補っす。あと、知念っす」

「チンネ警部補ね」

「違うっす!」

「知念、こいつの相手は本気でするな。子猫の鳴き声だと思っておけ」

「………す………。けど…」

「アタシ、もう一回、お風呂に入るよ。チンネも来る?」

「い、いえ! 任務中っすから!」

「クスクス、ずっと真面目に背中を向けてたけどさ、チンチンはガチガチにしてたでしょ。アタシとアユミンがからんでる間さ。アタシたちのエロい声と、エッチな音を聴いてさ」

「っ…そ、そんなことは…」

「部下へのセクハラはやめろ」

「はいはい」

 鐘留は裸のまま部屋を出て行く。

「「……………」」

 介式と知念は午前1時で、他のSPと交代する予定だったけれど、女性SPは介式しかおらず状況的に、このまま交代せずに連続勤務すると、ビジネスホテルで休んでいるチームへ伝えている。しばらくして鐘留がバスルームから裸で揚がってきた。ポタポタと水滴が床に滴っている。外は真冬で零度以下だったけれど、鐘留の家は全館暖房されていて、設定温度は高かった。

「アタシ、裸だから、引き続き、こっち見ないでね」

「は、はい!」

「服を着ろ」

「アタシの部屋だしぃ」

 鐘留は椅子に座ると机に向かい、パソコンを開いた。昼間十分に眠ったので、まったく眠くない。

「ずっと寝込んでたから、いくつか依頼が入ってる」

 殺さない正しい子供の捨て方と親の捨て方、という個人サイトを副業で運営し始めている鐘留は代金の振込が確認できた案件から、手を着けていく。かなりの速さでキーボードを叩き、3件の仕事を終えると、両肩をグルグルと回した。

「はぁぁ……お仕事、終了」

 午前4時なっているけれど、まだ外は暗い。鐘留は裸で眠っている鮎美の布団をかけ直してやり、自分はTバックのショーツを穿いた。ピンクゴールドの生地が、ごくわずかに股間だけを隠す。

「ずっと背中を向けてるのも可哀想だし、アタシも服を着たから、こっち向いていいよ、チンネ」

「知念っす。うおっ…」

 振り返った知念は鐘留の乳首を見て驚く。

「ふ、服、着てないじゃないっすか!」

「きゃはは、パンツは穿いたよ。そのうち見慣れるって。慣れといえば同性愛も3度目になればキモさも減るかなぁ。キスしたそうな顔されたけど、やっぱ無理だったし」

「「…………」」

「チンネは、どう? 男とキスできる?」

「無理っす」

「だよね」

「「………………」」

「アタシ、お腹が空いたしトーストでも食べるよ。君たちは?」

「けっこうだ」

「遠慮するっす」

「ふーん♪ やっぱ、盲導犬みたいにシツケられてるんだね」

 そう言った鐘留はキッチンからトーストと目玉焼き、コーヒー、洋菓子を3人分もってきた。

「一人で食べるのは気が引けるしさ。どうぞ」

「けっこうだと言ったはずだ」

「お気遣いは、どうもっすけど、オレら、こういうの食べちゃダメなんすよ」

「お手♪」

「……しないっす」

「チンチン♪」

「………」

「君の名は?」

「チンネっす! あ、違う! 知念っす!」

「きゃはっは! 君、可愛いね。うちの番犬にしたいかも。ご褒美に、ほら食べていいよ」

「だから、食べられないっすよ」

 そう答える知念の胃が鳴った。連続勤務しているために、かなり空腹になっている。

「せっかくアタシが用意してあげたんだよ。食べなよ」

「遠慮するっす」

「ただのトーストだと思ってる? うちのママが買ってきてるパンは美味しいよ。卵もいいし、コーヒー豆も自家焙煎のお店。そして、お菓子は自家製でございますよ、チンネ様」

「だから、知念っす」

「はい、どうぞ」

 鐘留が洋菓子を開封して渡すけれど、知念は食べない。

「…………」

「………遠慮するっす、お気持ちだけで」

「あ、もしかして毒とか、入れてると思った? それか睡眠薬」

 鐘留が自分の本棚を知念たちが見ている可能性に気づいた。

「クス、大丈夫だよ。タリウムとか、農薬とか、入れてないよ」

「規則なんすよ。ダメなんす」

「ふーん……ちなみに、毒物で人を始末するのは、下策だよね。たいていバレる。証拠が残りまくる。入手ルート、保管場所、使用時の痕跡、使用後の廃棄、そもそも死体に毒物が残るし、死体から故意の殺人であると判明してしまう」

「まあ、そうっすね」

「アタシのと、交換してあげるね」

 鐘留は自分の皿と交換して、トーストを食べ始める。

「いただきまーす」

「「………」」

「やっぱ、君たちは食べないんだね。一人で食べると不味いよ。淋しいなァァ。知念さんだけでも、いっしょに食べてくれないかなぁ…クスン…知念さん、お願い」

「……すいません、規則っすから……」

「あっそ、国家の犬め」

「「………」」

 鐘留は淋しそうに食べ終えると、二人の目前で残ったトーストをゴミ箱に入れようとするのを見せつける。

「「…………」」

「もったいないね。もったいない夏子が化けてでるよ」

「何も捨てなくても、誰か他に食べるんじゃないっすか…」

「え? なにそれ、君たちのおさがりを食べろってこと?」

「………そういう意味じゃ…」

「じゃ、食べなよ。まだ、温かいよ、美味しいよ」

 鐘留は皿を胸の前で持って知念に迫る。裸同然のTバック姿なので知念は食欲と性欲を喚起されて目をそらした。

「ち、近づかないでくださいっす!」

「フフ♪ アタシのおっぱいに触りたい? それともトーストを食べたい? かわいそうに、お預けされちゃって。いいよ、触るくらいなら。それともヤらせてあげようか、アタシも欲求不満だし。アユミンにはおチンチン無かったし。どんなに気持ちよくしてくれても、エッチが終わったって感じがないよね」

「じょ、冗談はやめてくださいっす!」

「う~ん、半分、本気だよ。どうせ、アタシは進学しないし、就職もしない。テキトーに親が用意してくる婿養子と結婚して、のんびり生きる予定だから、どうせなら自分で見つけた男もいいよね。チンネ、なかなか可愛い顔してるし、どうよ? 婿養子。逆タマだよ?」

「それ以上、知念に近づくな!」

 介式が厳しい声で警告したので、鐘留は引き下がる。

「はいはい、ちょっと、からかっただけだよ」

「「…………」」

「それにしても君たちヒマそうだね。ずっとアユミンを見守ってるんだから、仕方ないかな。そうだ、アタシがやりだした副業の話、お巡りさんにしてあげるよ。保護責任者遺棄等の罪って知ってる? チンネ」

「当然知ってるっすよ! あと、知念っす!」

「じゃあ、条文を暗唱して」

「うっ、たしか…老人、子供、病人を保護する者が、これらを遺棄したとき……五年以下の懲役…」

 曖昧なのが警察の恥なので介式が、はっきりと言う。

「第218条、老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の懲役に処する」

「さすが、狼警部。でも、世の中、子供を捨てたい、親を捨てたい、って人、多いよね?」

「「………」」

「ボケ老人になった親もいらないし、障害のある赤ちゃんとかさ、いらないゴミは、ちゃんと分別して正しい捨て方をしたいよね?」

「ひどい言い方っすね。緑野さん、どういう人格してんすか?」

「ひどい人格だよ」

「………す…」

「どんなゴミでも間違った捨て方は罰されるよね。不法投棄は罪。テレビでも冷蔵庫でも生ゴミでも、ちゃんと正しい出し方がある。それは市役所が教えてくれる。なのに、ゴミのような人間の正しい出し方は秘密にされてる。そこにアタシは目をつけて、代金を取って教えてあげてるの。刑法218条に触れない、人の捨て方」

「んなものあるっすか?」

「一番、みんなが知ってる捨て場、ほら、熊本県にあるじゃん、赤ちゃんダストポスト」

「赤ちゃんポストっすよ」

「コウノトリのゆりかごだ」

 知念も介式も冷静でいようと努めているけれど、知念は食欲と性欲を喚起され、介式も強い空腹時にトーストや目玉焼きの香りを嗅がされたので、いつもほどには冷静でなくなりつつあり、黙って無視することができず鐘留との会話にのってしまっていた。

「あれ便利だよね。赤ちゃんに障害があって捨てたいとき、超便利」

「「………」」

「けど、全国にない。あんな不便な田舎、捨てに行くだけで、ここからだと往復かなり大変」

「「………」」

「あと、あれの年寄りバージョン無いよね。爺ちゃんポストとか、ババァのゆりかごが無い」

「そんなのあったら、すぐいっぱいっすよ。でなくても、老人施設は順番待ちなんすから」

「みんな捨てたいんだね。けど、捨て方を間違うと逮捕。どこに、どう捨てると逮捕されないのか、そういうノウハウって売れそうでしょ?」

「……たしかに……」

「今夜は特別にタダで教えてあげよう。君たちお巡りさんの忌憚ない意見も聴きたいしね」

「「………」」

「でも、蓋を開ければ簡単だよ。捨てたいお爺ちゃんといっしょに市役所なんかに行くの。で、介護課とか福祉課のカウンターで職員に相談するの」

「……それじゃあ、結局、施設の順番待ちになるんじゃないっすか?」

「ううん、ならない。その場にポイするから」

「…その場に…」

「いろいろ相談して、どうして面倒を見られないのか、このあたりの訴え方にもコツはあるけど、だいたい相談が終わったら、あとは私ちょっとトイレに行きます、って言って離れる。お爺ちゃんは置いてね」

「「………」」

「で、自分はオシッコした後、カウンターには戻らない。そのまま市役所の外に出て、はい、さようなら。ちょっと親切心があるなら市役所に電話して、もう介護無理です、私は旅に出ます、と言ってあげればいいよ。あとは市役所がなんとかするから。ほら、これなら刑法218条に触れない。捨てられた人が保護される高い蓋然性を期待して行動しているから、大丈夫」

「「…………」」

「ダメな捨て方としては遠くの高速道路サービスエリアに捨てるとか、山に捨てるとか、そういうの。危険があるからね。事故に遭うかもしれないし、凍え死ぬかもしれない。アタシが教える捨て方は、あくまで次の保護者を見つけるやり方だよ。それを、それぞれの依頼者の情報を判断して、教えてあげて、お金をもらうの。どう?」

「……どうもこうも……」

 げんなりとした知念に替わり、介式が狼のように鋭く鐘留を睨む。

「たしかに実行者が刑法218条に触れる可能性は低いだろう。だが、お前は行政書士法違反もしくは弁護士法違反に問われる」

「その程度のこと、アタシが考えなかったと思う? 行政書士は官公庁への書類作成の助言や代理、法律相談が業務だよね。弁護士は法律相談と法廷代理人になることとか、けど、アタシがしてるのは、あくまで人生相談、その範疇で終わるように気をつけてる。それに、そのうち行政書士なら取得してもいいし。けど、テストは難しくないんだけど、登録すると会費を取られるのが、うざいよね。あと、この捨て方、そのうち広まって価値が無くなりそうだし、やっぱり片手間の副業かな」

「………勝手にするがいい」

「きゃはっはは!」

「介式警部! オレは、こいつに一言いいたいっす! 警護対象の友人を罵倒するのはSP失格でも!」

「言いたければ言え」

「言ってみなよ、チンネ君」

「お前は絶対ロクな死に方をしないっ!!」

「きゃは♪ それ、よく言われる。で、いつも言い返すんだけどさ、あまりに失礼じゃない?」

「お前にはちょうどいいくらいだ!」

「ちゃうちゃう。今現在までのロクな死に方をしなかった人たちに失礼すぎるよ、ってこと。ほら、たとえば広島長崎で被爆して焼かれて藻掻き苦しんで死んだ人たちは、ロクな死に方をしないような人生を送ったからなの? シベリアに抑留されて餓死した人は? 北朝鮮に拉致られて拷問とかで死んだ人は? 富山県で痛い痛いって泣きながら死んだイタイイタイ病の人は? 熊本県で水銀入りのお魚定食で水俣病になった人は? 沖縄で米兵に強姦殺人された女の子は? 米兵だって中東で地雷ふんで、おチンチン吹っ飛んで大量出血で死んだら? まあ、その米兵が強姦殺人したのに日米地位協定のおかげで無罪になってたなら、地雷グッジョブ♪ 神さま、いい仕事してるね、ってなるけど、どうよ、お巡りさん? 今までひどい殺され方した被害者は? ひどい轢かれ方だった交通事故で死んだ人は? ロクな死に方しないようなヤツらだ、って、お巡りさんは思ってるの? だから、アタシに言ったの?」

「「…………」」

「あ、こいつには何を言っても無駄だって、思った? きゃはは!」

「…ん~……うるさい……静かにしてよぉ……ん~……」

 寝惚けた鮎美が、つらそうに呻ったので鐘留は静かに美容と健康のためにストレッチを始めた。なるべく知念の視界に入る位置でストレッチを続けて身体を見せつけて遊んだ。知念と介式はもう鮎美の睡眠のために黙ることにして、鐘留は眠らずに朝を迎えて、朝食前に鮎美を起こした。

「かわいそうだけど、起きて。アユミン、お仕事の時間だよ」

「う~……う~……チューしてくれたら起きるぅ」

「そのまま永眠してる?」

「……。……チューしたい」

「脳が幼児化してるね。アタシの足にならチューしていいよ、ほら」

 ふざけて鐘留は足を前へ出したのに、鮎美はキスをしてから舐めてきた。

「きゃは、くすぐったい」

 鐘留は毎日のようにテレビへ出ている鮎美が今は足元にいて言いなりになることに背筋がゾクゾクするような快感を覚えた。元モデルとして少しは芸能界にいたので、口に出さないものの衆目を浴びている鮎美へ対抗心もあった。かといって再び努力して、何かを成し遂げようというのは面倒臭いし、成功率が低いとわかっている上、努力しなくても実家の事業さえ継続して次代へ継承すれば、セレブとしての人生が続くので、もう楽しいことだけして生きるつもりだった。そして今は楽しい。世間で話題の鮎美が足元に這い蹲って自分の脚を舐めている。自分の身体を欲してくれている。これで本当に鮎美が男だったら最高なのに、と思いつつ高慢に言う。

「コラコラ、誰が、そこまで舐めていいって言ったの?」

「…ハァ…」

 鮎美は足から股間まで舐めあげて鐘留の下腹部にあるタトゥーにキスをしている。金色の鐘を描いたタトゥーが鮎美の唾液で湿った。

「あんっ、またクリまで吸う……ぅっ…ぅぅ…ハァ…キモちいい…」

「ハァ…ハァ…」

 鮎美は鐘留をベッドに押し倒して身体を合わせた。

「アユミン、もう時間だよ」

「ずっとカネちゃんといたい」

「このエロ魔神め」

「カネちゃんも東京に、いっしょに来てよ」

「う~ん……それ、エロ要員として?」

「……。秘書補佐から秘書に昇格で。時給から月給制で」

「どうしようかなぁ……アタシの経歴、すでにゲスい週刊紙が調べてるし。チンネ、そこの本棚から、噂の真実、っていう週刊紙を取って」

 背中を向けていた知念は本棚から週刊紙を取って、背中を向けたまま鐘留に差し出した。受け取った鐘留は可愛らしく礼を言う。

「ありがとう、知念さん」

「……いえ…」

「ほら、これ見てよ、アユミン。芹沢鮎美嬢王が囲う6人の恋人候補か?! 美人秘書軍団とレズ都議ってタイトルの記事でさ、アタシが元モデルだったこととか、宮ちゃんの剣道経歴とかアユミンとの中学での対戦とか、月ちゃんの宗教が同性愛厳禁なこととか、シズちゃんが未婚でお兄ちゃんがホモなこととか、シオちゃんがドイツで女性とも付き合ってたこととか、朝ヤル先生が彼女とうまくいってないこととかアユミンのコスプレで秋葉にいたこととか、いろいろ書いてあるよ。で、誰がアユミンの恋人なのか、探ってる。すごいよね、この週刊紙、訴えられるかもしれないのにさ、根性あるよ」

「……………。これ、借りていっていい? 買うのシャクやし」

「どうぞ」

「朝ご飯、せっかくやけど、時間無いし、もう行くわ」

 鮎美は興奮が冷めた顔で制服を着ると、部屋を出て鐘留の母親に謝る。

「昨夜は急に泊まって、すみません。せっかく朝食まで用意していただきましたけれど、もう時間がないので失礼します」

「どうぞ、また来てください」

「じゃあね、アユミン」

 玄関で鐘留と別れて扉を閉めた。扉を閉めてから歩きだそうとして背後から鐘留の怒鳴り声が響いてきた。

「アタシが誰と何しようが自由でしょ?!」

「あなただけは、まともに育ってほしいの! お願いよ!」

「じゃあ、アタシも殺せよ、殺害ババァ!」

「「「……」」」

 親子ゲンカしているようで声が外まで響いていることに気づいていない。鮎美は歩き出した。介式と知念も黙ってついていく。道路に出ると、党の車とSP6名が待っていて、介式と知念は長い勤務を終えて交代確認した。緊張が解けた知念が鮎美へ言う。

「ご友人のことを悪く言うのはSPとしてなんですが、ちょっと危険な感じもするんで報告するっすけど…」

 そう前置きした知念は鐘留の本棚にある本に危険そうなものがあることと、鐘留が副業で刑法218条を逃れて弱者を捨てる方法を紹介していることを告げた。

「カネちゃん……そんなことを……」

「あと、それだけに留まらず、いつか、あの子は誰かを殺してみたい、そんな快楽殺人みたいなことを始めそうで怖いっすよ。今のうちに何とかした方がいいかも……」

「カネちゃんは、そんなことまでは、せんと思うよ。たぶん……かなり臆病な性格やもん、ああ見えて、すごいビビりやし」

「え~……オレの前で裸同然で平気そうでしたよ…」

「介式はんがいるやん。絶対に間違いがおこらんから、からかっただけやん」

「ぐっ……けど、殺人に興味をもってるのは警戒した方がいいっす」

「う~ん……どうかな……」

 鮎美は鐘留が集めている本の一部は両親へのあてつけだと判断していた。あの性格で殺人ができるとは思えないし、動機もない。もしも鐘留が人殺しをするとしたら、母親と同じように産んだ子が障碍をもっていたときくらいだろうと想う。あの性格と精神力で障碍児の母親はつとまらないと、わかるし、さらに秘密裏に殺すこともできずパニックになって泣き喚くだけのような気がする。

「介式はん、どう思う?」

「臆病というのは確かだろう。人を試すようなことをして相手の出方を探ったり、何を恐れているのか知らないが、あれほど部屋に鍵をつけているのも、その証拠だ。わざわざ警察の人間に、自分の悪行を告白したのも、これは大丈夫なはず、と確認したかったから。万一、罪を問われそうになっても議員芹沢鮎美との肉体関係があれば逃れられるという計算もあるだろう。そして、殺人関連の書籍を隠しもせずに置いているのは、本気でない証拠だ」

 そう語った介式のお腹が空腹で鳴る。

「……」

 介式は真顔で無かったことにしているし、知念は肩を落としてつぶやく。

「あ~……腹減ったぁ……どっか、いい店ないっすか? 飯喰って寝たい」

「うちのために、すんません。カネちゃんちの店がやってるステーキ、めちゃ美味しいですよ。おごりますわ」

「やった!」

「知念」

「あ、オレら公務員っすから! 議員からの饗応は断るっす!」

「そうやったね。ごめん、糠喜びさせて。ほな、せめて、これ貸してあげるわ」

 鮎美は財布からポイントカードを出した。かねやでの購入額が多いのでプラチナカードになっていて30%オフで飲食できる。

「今のところ、こういうのまでは法で取り締まられてないしね」

「やった! 介式警部、いいっすよね?」

「………」

 違法行為ではないので介式も反対しなかった。鮎美は他の男性SPたちと防弾車に乗り、三上市にある県立体育館に向かった。途中のコンビニで牛乳とパンを買って車内で食べながら、鐘留から借りた週刊紙を読んだ。

「はぁぁ…………うちは、ともかく、陽湖ちゃんなんかが可哀想やん。さすがに顔写真は目元を隠して、美少女Yやけど、カネちゃんは元モデルやから、容赦なく顔出しして芸名やったKANENEで載せてるし……マスメディアのあり方も問題やなぁ……民間は売上と広告費が欲しいから、興味本位と捏造に走るし……公共放送のNHKは職員の高額報酬と集金トラブルを起こすし……」

 鮎美は今までに受けた陳情の中でNHKに関わるものがあったことを思い出した。

「スクランブルかけて、見る人だけ払うてか……それは、それで離島とか民間では採算がとれん地域の問題もあるんよな。郵便や携帯電話事業と同じで。けど、もう衛星放送とインターネットがあるし、NHKはマジで要らんかも……かといって、一度できた巨大な組織は、それそのものが巨大な利権やし、雇用先でもあるから、そう簡単には……。民間と公共放送か……そもそもマスコミは司法立法行政につぐ第4の権力と言われるまでになったのに、ほぼ野放しや。これが問題なんちゃうやろか、もっと国民の方を向くとか、国民の審判を受けるとか、そういう洗練が必要なんちゃうやろか……」

 鮎美がマスコミのあり方を考えているうちに、県立体育館が近づいたので両手で頬を叩いて気分を入れ替えた。体育館前に車が到着すると、剣道連盟の役員たちがスーツ姿で、鷹姫が剣道着姿で出迎えてくれた。

「「「「「おはようございます。お越しいただき、ありがとうございます」」」」」

「こちらこそ、お招きいただき、ありがとうございます。少し遅くなって、すみません」

 遅刻したのは2分ほどだったので問題なく予定は進み、鮎美は来賓席に座り、鷹姫も今日は来賓の一人として剣道着姿で着座している。大会が始まると、鮎美からの挨拶もあり、もう原稿も無しで、ごく無難な挨拶をして拍手をもらい、次に鷹姫が見事な演武を披露し、それからトーナメント形式で小学中学の子供たちが試合を行い、鮎美は入賞者へトロフィーを渡す役割を果たした。さらに、鷹姫が子供たちへの剣道指南を行う。ずっと試合中にそれぞれの子供たちの悪い癖や弱点を観察していた鷹姫は良い助言をして名声を高めた。大会が終わると、鮎美も鷹姫もすがすがしい気分で連盟役員たちと握手を交わした。たいていの政治家来賓は挨拶や表彰を終えれば試合の一部だけ観戦して引き上げるし、今まで鮎美も他のスポーツ大会では例にならって一部しか列席してこなかったけれど、今回は朝から終わりまでいたので役員たちや保護者、子供たちの好感度も高い。

「ほな、これで失礼いたします」

「ありがとうございました。芹沢先生のご活躍、期待しています。宮本さんも頑張ってください」

「はい、ありがとうございます。精進いたします」

 制服に着替えた鷹姫も笑顔で応え、党の車に乗った。発車して役員や子供たちが見えなくなるまで手を振り、見えなくなると鮎美が真顔になって問う。

「鷹姫、次の予定は、あの事件のご両親との面談やったよね?」

「はい」

 すがすがしい気分だった二人は重い心持ちに変わり、六角市の支部に戻る。夕方からの予定は鮎美を刺殺しようとした大津田の両親との面談だった。

「…………」

「…………」

 また車内が重い沈黙に包まれるので鮎美が言ってみる。

「鷹姫、気分を変えたいし、何か別の話題ある?」

「はい………では、昨日お叱りを受けました対露政策ですが、北方四島を取り戻す手段を私なりに考えましたので述べさせていただきます」

「あ、……ああ……あれ…」

 鮎美としてはラジオニュースを聴いた流れで反射的に言ったにすぎないことを、鷹姫は真面目に考えてくれたようで、申し訳なく思いつつ聴いてみる。

「言うてみて」

「はい、そもアメリカが沖縄を日本へ返還したのは、対供産勢力という冷戦下で日本の協力をえることが不可欠であり、ハワイのように併合するのは不可能と判断し、フィリピンのように手放して利用する方が得策としたからと分析すると、同じようにロシアへも北方四島を手放す方が得策、と思わせる必要があります」

「なるほど、相手の立場で考えるんやね」

「はい。そこで過去の歴史の常套手段なのですが、北方四島の代わりにロシアへ別の領土を与えるか、ロシアがウクライナやフィンランド、アフガニスタンなどへ侵攻するのを手伝う、もしくは正当な奪還であると日本が公言するなどの見返りが用意できれば、我々のもとへ北方四島が返ってくる可能性はあります」

「たしかに………ただで返してちょうだいは、無理やわな……」

「ですが、私の案は稚拙です。そもそも日米同盟がありますし、日本には9条もあります。ただ単純に対露というだけで四島返還を考えてみたにすぎません。すみません、これが私の限界です」

「ううん、発想の転換にはなるよ。まあ、今後数十年、まだまだ解決しそうにない問題やね」

「はい」

 二人は和解した気持ちになったけれど、黙って聴いていた運転手と男性SPたちは、ずいぶん大胆なことを考える女子高生だ、と思っていた。車が支部に到着し二人がSPたちと入ると、すでに大津田の両親が待っていた。母親は青白いやつれた顔をしていて50代なのに70歳くらいの老婆に見える女性で、父親も60代だったけれど年齢以上に老けて見えた。息子が鮎美を刺傷したことを謝罪に来たので、明るい表情になれるはずもなかった。もともと、事件後すぐにも鮎美の両親へは詫びに来ているけれど、鮎美本人への謝罪は傷の回復を待ってからと言っておいたので今日になったのだった。しかも、それほど時間があるわけではなく今日中に新幹線で東京へ行くことを考えると、大津田の両親との面談は30分以下になると伝えてある。

「この度は息子が、とんでもないことをしてしまい、本当に申し訳ありませんでした!」

「申し訳ありません! ごめんなさい!」

 大津田の両親は鮎美の顔を見ると、すぐに頭をさげ、母親が土下座し、父親も続いて土下座してくる。

「…………」

 鮎美は困った顔で両親を見下ろし、それから答えを求めるように支部内にいる仲間を見た。石永と静江、陽湖、鮎美の両親である玄次郎と美恋、党の職員たち、誰もが判断するのは鮎美だという顔をしていて、どこにも答えはない。鷹姫も同じだった。そして明らかにトラブルを起こす可能性が高い鐘留へは謝罪訪問のスケジュール自体を静江の判断で伝えていない。鮎美は判断に迷い、困る。

「………」

 まだ両親は土下座を続けている。母親の方は嗚咽していて小さい背中が震えていた。

「……………」

 加害者の両親って、どんな気持ちなんやろ……自分が直接に悪いことしたわけやないのに、世間からも責められて……こんな風に土下座に来るって……うちが悪いことしたら、うちの父さん母さんが謝るんかな……うちが鷹姫を襲ってたら、鷹姫の家に、うちの父さん母さんが、こんな可哀想な姿で謝りに行くんかも……罪は、本人だけでええのに……、と鮎美は悲しく考え、これ以上の土下座をやめさせる。

「顔をあげてください。陽湖ちゃん、二人に椅子を」

「はい」

 陽湖が用意した椅子に両親は頭をさげながら座った。鮎美も向かい合って座り、自然と鷹姫も隣りに座した。SPたちは、いつでも鮎美を守れるように間近の背後に立っている。まだ母親は嗚咽していて、鮎美も胸が痛かった。あまり長く面談していたくないので、鮎美から切り出す。

「まず、すでに記者会見でも言うてましたように、私個人の大津田くん本人への懲罰感情は強いわけではありません。それは、この通り、傷が完治したこともありますし。けど、あのとき、この鷹姫が守ってくれんかったら、うちは殺されてたと思うし、一時は死ぬんやないかと思うほど痛くもありました」

 言っているうちに、鮎美は鷹姫の手を握っていた。鷹姫も握りかえしてくれる。

「私どもの息子が……、本当に申し訳ありません」

「ぅ、ぅぅ、申し訳ありません…ぅぅ…」

「………。一部の報道で、大津田くんが発達障碍やったと言われてますけど、それは本当ですか?」

 鮎美の問いに、母親が答えようとして泣き崩れたので、父親が答える。

「事実です」

「そうですか………その発達障碍と、今回の事件との因果関係は?」

「申し訳ありません。わかりかねます。正直、私たちも知りたいくらいです。ただ、息子の知能が低いことは確かです。それが善悪の判断にも、大きく関わってるとは感じます」

「ううっ…うううっ…」

 泣き続ける母親の背中を父親が撫でながら語る。

「すべて私たちの責任です。末っ子で障碍があり、甘やかしすぎた」

「………」

「責めるなら、どうか父親である私を責めてください」

「……………責めたところで……どうにも……。………うちが同性愛者なのを知ってはりますか?」

「…はい。……報道で…」

「うちが同性愛者になったんは、両親のせいやと思います?」

「……。いえ」

「ほな、発達障碍も、お二人のせいやないでしょう」

「「………」」

「お二人の謝罪の気持ちは、よく伝わってきました。大津田くん本人については家裁の判断に任せます。うちへの慰謝料と治療費については弁護士をたてますんで、その弁護士と話し合ってください。傷も治ったし、多くを請求するつもりはありませんけど、治療費は高くつきました。……鷹姫、桧田川先生から、いくら請求されてた?」

「441万1980円です」

「だそうです。大丈夫ですか?」

 問いながら鮎美は、この父親が関西便利電力の株主であり、電気技術者でもあることを思い出した。上の息子たちも頭が良く、同じく電気技術者を勤めているらしい。末っ子が障碍をもって生まれるということさえなければ、どれほど幸せな一家だったろうかと想う。まだ嗚咽している母親も、やつれ老いることなく子育ての終わりが近づいたことで、元気に夫と旅行へ出かけたりしたかもしれない。なのに、全国的に注目されている鮎美を息子が刺してしまったことで、まるで大逆罪を犯した者の両親のように扱われていた。それでも父親は、ハッキリとした口調で答える。

「はい、すぐに振込みます」

「では、うちは、もう東京へ発ちますんで、失礼します」

 まだ時間に余裕はあったけれど、鮎美は支部を出る。鷹姫とSPがついてきた。鷹姫に言う。

「とても言えんかった……うちは生きてるけど、殴られた傷が原因で自殺した女の子のこと、どう思ってる、どう償う、って………訊きたかったけど、とても言えんかった」

「芹沢先生……………社会の問題、すべてを背負おうと、考えようとするのは、いっそ、お諦めください。あまりに、すべてを考えては、お心が疲れ果ててしまいます」

「…………うん……ありがとう……。ちょっとだけ……抱きついていい?」

「はい」

 駐車場で抱き合う二人の姿をSP6名は完全に包囲して隠した。

 

 

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