第14話 十一月 解散総選挙、裏切りと告白

 11月、鮎美は授業中に医療費の増加傾向に関する資料を読んでいたけれど、他の生徒も授業とは関係ない受験勉強をしたりしている。それでも静かな古典の授業が続いていたが、鮎美の机上にあったスマートフォンが速報ニュースを表示した。

「……解散……とうとう…」

 隣席にいる鷹姫に教えようかと思っていると、スマートフォンに着信があり静江からの電話だった。鮎美は立ち上がって教師へ一礼すると鷹姫の肩を叩いて廊下に出る。

「もしもし、うちです。解散しましたね」

「ニュースを見たのね」

「タイトルだけ」

「これから、めちゃくちゃ忙しくなるから」

「また応援回りですね」

「ええ、また頑張ってね。これから支部に来れる? すぐに予定が、たくさん入ると思うから、いっしょに調整したいの」

「わかりました。タクシーで行きますわ」

「助かるわ」

「ほな、あとで」

 電話を終え、学園前にタクシーを呼んで鮎美と鷹姫は早退した。支部に入ると静江が忙しそうに電話を受けていた。衆議院の解散によって、すぐに総選挙が行われるし、その日程は発表前でも、これまでの経験から投票日までのスケジュールは組まれていく。鮎美へも、いくつもの応援依頼が舞い込み、その調整に夜までかかった。

「出陣式は、お兄ちゃんのところをお願いね。住所的に、これはガチだから」

「了解です」

「石永さん、同じ自眠党の候補者でも芹沢先生へ応援依頼のある先生方と、無い先生方には、どういう違いがあるのでしょうか?」

「そうね……」

 鷹姫に問われ、静江も気になっていたことを考えてみる。県内に15区ある衆議院選挙区のうち9区9人の自眠党候補から依頼があり、残り6区6人からは連絡が無い。

「……県知事選の影響かしら……」

「たしかに阪本市、井伊市など県知事選で得票率の悪かった地区からの依頼が無い傾向にあります」

「井伊市は現役の雄琴先生がいるからフタマタがけないだけかもしれないけど、たしか、井伊市の衆議院議員で4期目になる応野先生と、雄琴先生は仲が悪かったはずだから、むしろ鮎美ちゃんにお願いしてきてもよさそうなものだけど……ちょっと電話してみるわ」

 静江は直樹に電話をかけた。

「出てくれない。忙しいのかな」

「応野先生と雄琴はんは、なんで仲が悪いんですか?」

「まだ雄琴先生が一年目か、二年目だった頃にね。雄琴先生が一番、願ってる法案があるでしょ?」

「あの性犯罪者に厳罰を、ってやつですか?」

「そうそれ。それを応野先生が鼻で笑って無理だって。まあ、憲法を強引に解釈しての法案だから無理そうなのは、わかるけど。今でこそ丸くなった雄琴先生だって駆け出しの時期だし、妹さんのこともあるわけだから、ものすごく怒っちゃって。対して応野先生は市議から県議、県議から衆議院って地道に国政まで下積みしてきた古い人だから、クジ引きで当たったなんて議員が根本で気に入らないわけで。パーティー会場で乱闘寸前って感じよ」

「そんなことがあったんや」

「だから、本来は住所的に協力し合うはずの二人が犬猿の仲ってわけ。演説会とかパーティーとかでも、できるだけ会わせないように別々にしたり、同じ会場でも遠い席にしたりって工夫が要るのよ。だから、今回の選挙でも応野先生の出陣式に雄琴先生が呼ばれるとは思えないし、呼ばれても行くとは思えないの。応野先生の事務所に電話してみるわ。こっちから電話すると、応援を売り込むみたいだけど、待ってるよりスッキリするし」

 静江は応野の秘書と電話で長く話し込むと、戸惑った顔で電話を終えた。

「どないしはったんですか?」

「顔色がすぐれませんよ」

 鮎美と鷹姫が心配するほど、静江は狼狽していた。

「…え……ええ……ちょっとトラブルというか……予想外……謀反……」

「ムホンって……」

「何者かが裏切ったのですか?」

 鮎美は聞き慣れない単語だったけれど、鷹姫は読み慣れていたので、すぐに問うた。

「……落ち着いて……聴いてね……」

「「はい」」

 静江が話そうとする前に、石永が東京から戻ってきて支部に入ってきた。

「静江、その顔色は雄琴のことを知っているな?」

「お兄ちゃん、本当なの?! 雄琴先生が裏切ったって!」

「まだ事実確認の段階だが、おそらく本当だろう。電話をかけても雄琴は出ない。それが何よりの証拠だ」

 石永の顔も見たことがないほど厳しい。鮎美も焦燥を覚えた。

「雄琴はんが裏切ったって、何をどう?! どうなってるんですか?」

「確認できている情報では、雄琴は応野先生の出陣式には出ない。逆に対立候補である眠主党の細野太志を応援するようだ」

「細野……」

 鮎美は何度か出会った眠主党の議員を思い出した。鮎美が自眠党に所属してからは接点が無くなっていたけれど、それまでには竹村との会談をつないだりしてくれたし、最近では女性キャスターと不倫していたことが週刊紙で報じられていたので忘れずにいる。

「あの路上チューの?」

「そうだ」

「そんなん応援しても、応野先生の方が余裕で勝つんちゃいますの?」

「それが、そうでもないのよ。世論調査での自眠党と眠主党の支持率と、あと応野先生も25年前に不倫していたことがあるから」

「25年前って……めちゃ時効ですやん。除斥期間さえすぎてる」

「月日は経っても覚えている人はいるし、女として腹が立つ話でもあるでしょ?」

「「………」」

 鮎美と鷹姫には、あまりわからない感覚だった。静江も二人が彼氏がいたこともないような女子高生であることを思い出して補足する。

「とにかく、先月の不倫と25年前の不倫で、どっちが悪いってことも無いし、眠主党としては、どっちもどっちに持っていきたいから、噂を広げまくってるわけ」

「そこにきて雄琴はんの裏切りか………。けど、そんなことして党からの処分は無いんですか? 子供のケンカちゃうでしょ」

「当然そうなる……はずよね、お兄ちゃん?」

「ああ。だが、時期が時期だ。雄琴が応野先生への個人的な気持ちだけで動いているのか、それとも本気で眠主党へ行くのか、そのあたりで処分は変わるし、そもそも、今のタイミングでは処分を決めにくい。すべては選挙が終わってからになるだろう。……あのバカめ!」

 これまで二世議員らしく感情を表に出さなかった石永が苦々しく吐き捨てたので、それだけ深刻な事態なのだと鮎美と鷹姫にも伝わった。

 

 

 

 総選挙開始の日、少し肌寒い11月の風を受けながら新品の冬制服を着た鮎美は石永の出陣式で壇上に立ち、演説していた。

「二世議員に対する批判は理解できます。けれど、二世議員の長所は世間に十分伝わっていません! クジ引き議員の私が言うから確かです! 二世三世の議員さんというのは、子供の頃からお父さんの背中を見て育ちます!」

 今回は演説の原稿をおこす段階から鮎美が考え、静江に推敲してもらい、石永が承諾し、そして暗記して原稿を読まずにマイク一本を持って話していた。

「道場三代という言葉があります。剣道でも柔道でも、その世界で一番になるような選手はたいてい道場の子です。二代目は子供の頃から修業し、三代目は生まれる前から道が決まっていて! それで、やっと一番です! あそこに立ってる私の秘書、宮本鷹姫が良い例ですわ」

 鮎美が壇上から会場の隅にスタッフたちと立っている鷹姫を指すと、そこに注目が集まる。

「…」

 原稿の内容を知っている鷹姫は多くの視線を受けても動じず、軽い会釈をしただけで、そこに恥じらいや照れは無かった。むしろ選挙期間だけのアルバイトで来ている鐘留と陽湖の方が衆目を浴びて動じている。

「鷹姫が連続優勝してるんは地方ニュースで皆さんもご存じかと思いますが、代々続く道場の子です。それこそ生まれる前から道場を継ぐ、そんな道に立っておった者です。そういう者と、にわかに始めた者では大きな差がある! うちも実は中学までは剣道をやっており、これでも大阪代表でした。ところが準々決勝まで行ったところで鷹姫と対戦して実力の差というものを思い知ったわけです。どうにも敵わん、あと何年修業しようと埋まらん差というものを肌で感じた。同じことが政治の世界にも言えます。石永先生は子供の頃からお父さんの背中を見て育った。陳情に来る方々への対応、東京との往復生活、選挙、それらすべてを見て育った人材というのは日本にとって貴重な宝です。この地域の子宝を再び国会へ押し上げ! いずれは総理を私たちの町から、県から、押し出していきましょう!」

 鮎美の演説には、これまで以上の拍手が集まり、出陣式は無事に終わった。取材も無難に終え、次の応援先に行く前に事務所へ入って休憩する。静江がお茶のペットボトルをくれた。

「どうぞ」

「おおきに。それで…」

 鮎美は自分の演説の成否より気になっていることを小声で静江に問う。

「雄琴はんは結局、向こうの応援に?」

「はい、偵察に出てもらった井伊市の人によると、雄琴先生が細野候補の応援演説を務めたそうです」

「………うちを自眠に誘った人が……なんで今さら裏切るんよ……」

「謀反人のことは今考えても仕方のないことです。芹沢先生、今は、できることをいたしましょう」

 演説のネタにされた鷹姫はそのことが無かったように平然と正論を言ってくる。鮎美も気持ちを切り替える。

「そうやね。次の応援先は、どこ?」

「三上市の新駅予定地です」

「新駅か……県知事が凍結した以上、難しいやろに……。自眠党候補は苦しい戦いになるやろね。うちは新駅についてはノーコメントでいくわ。そんでええやろ? 静江はん」

「はい、それが無難かと思われます。芹沢先生、そろそろお車へ」

 鮎美は車に乗る前に、アルバイトとして働いている陽湖と鐘留に近づき、パイプ椅子を片付けている二人のお尻をポンポンと叩いた。

「おおきに。頑張ってな」

「時給950円でアタシを使えるなんてラッキーだね」

「はいはい。陽湖ちゃん、お尻、ずいぶん治ってきたんちゃう?」

 鮎美は制服の上から触れた感触で言ってみた。

「はい、おかげさまで調子がいいです」

「良かったね。ほな、うちは別のところに移動するけど、頑張ってな。あとセクハラされたら言うてよ。やめさせるし」

 鮎美は後半の言葉をまわりに聞こえるように大きめの声で言ったけれど、陽湖は拗ねた目で鮎美を見つめる。

「今、されてます。いつまでもお尻を撫でないでください」

 鮎美が同性愛者だと唯一知っている陽湖は、これはスキンシップではなくセクハラです、と抗議している。

「ごめんごめん」

「アユミンってエロいよね。そんなにアタシのお尻が好き?」

 鐘留は触られても気にしていない。

「可愛らしいから、つい触りとうなるねん」

「芹沢先生! もうお時間です!」

 静江が時計を見ながら急かしてくるので車に乗った。出発して、すぐに鮎美は鷹姫の膝枕に甘えて囁く。

「今夜から、またしばらくホテル暮らしやね」

「はい。必要な物は、すべて用意してあります」

 もう慣れてきたので着替えなどは、すでに静江の車に載せてあったし、手頃なビジネスホテルを投票日まで連泊で予約もしていた。静江は安全運転を心がけて前を見ている。

「鷹姫」

「はい?」

「呼んでみただけ」

「……」

 黙った鷹姫の膝を撫でる。膝を撫でながらスカートを少しめくって、膝にキスをした。

「………」

「………」

 抗議されないので、さらにキスを繰り返して膝から内腿へ登る。内腿の半ばまで登ると、キスだけで飽き足りなくて舌先で舐めた。

「くすぐったいです。仮眠されないのですか?」

「う~ん……」

 血が騒いで眠るどころではなかった。昨夜は今朝に備えて、よく眠ったし今は演説を一回こなしただけなので疲労も軽い。何より自分でも不思議なほど興奮していて、鷹姫と一線は越えないという想いさえ消えてしまいそうなほど強い衝動を覚えて鷹姫のスカートを完全にめくりあげて、その股間に顔を埋めた。

「ぅっ…くすぐったいです」

「ええから、ジッとして」

「……」

 鷹姫が言われたとおり動かずにいると、ますます衝動が滾り、鮎美は立場も状況も忘れて鷹姫のショーツをおろそうと両手を伸ばしてサイド部分を掴み、ズルズルと引き下げていく。

「芹沢先生……何をするのですか……」

 車内で下着を脱がされかけて鷹姫は困惑している。もう鮎美は自分を止められなかったけれど、静江が目的地に到着して車を駐めた。

「着きました。……何してるんですか?」

「あ……いや……これは…」

 やっと自分の立場と状況を思い出した鮎美は言い訳を考えた。

「ちょっとした……実験というか、体験というか……ほ、ほら! 障碍者の着替えを手伝うみたいな?」

「「………」」

「し、しかも、本人が言うことを聞かない心神喪失状態の障碍者を着替えさすときの練習というか、体験みたいな、大変さを知ろうとか!」

「「………」」

 鷹姫は膝まで下着をおろされていて、きわどい姿にされている。静江がタメ息をついた。

「はぁぁ……介護というより、普通に襲われてるようにしか見えませんから。どこかの府知事じゃあるまいし選挙中に変なことしないでください」

「すんません。ごめんな、鷹姫」

「いえ……。たとえ目的が正しくとも、このような行為は芹沢先生の名誉にかかわるかもしれません。なさるなら人目のないところでされる方が良いでしょう」

「「………」」

「もう出番が近い時刻です。降りましょう」

 下着を直した鷹姫は車を降りる。幸いにして誰にも見られていなかったけれど、鮎美は自分の行為と衝動が空恐ろしくなって身震いした。

「あかん……鷹姫と泊まったら……絶対やる……」

 人目のない室内なら、うまく言いくるめれば鷹姫は身体を許してくれそうだった。でっち上げた意味不明な理由で目隠しして手足も縛って、あとは衝動のままに蹂躙できそうだった。それどころか、同性愛者の体験をしようと提案すれば、それさえ実直に受け入れてくれそうな気もする。

「……ハァ………ハァ……」

 愛し合う同性愛者が、どんな行為をするのか、体験してみよう、と言うだけでキスはおろか、最後までさせてくれるかもしれない。今夜、同じ部屋に泊まって、あとは鮎美の思うままにできるかもしれない。

「「芹沢先生、時間が迫っています」」

「………………」

 あかん! あかんよ! 鷹姫には許嫁がいて、ちゃんと普通に結婚したいって願ってるのに、うちが傷物にしたらあかん、けど、女同士での行為で傷物になるんやろか、妊娠は絶対にせんし、何をしても傷物ってことにはカウントされんのちゃうやろか、処女は処女のままやろ、鮎美は汗を浮かべ、生唾を飲み込んだ。そんな様子を見て静江は鷹姫へ視線を送り、鷹姫も頷いた。

 ベシッ!

 鋭い手刀が鮎美の脳天に決まった。

「うぐっ?! ぅぅ……痛いぃ…」

「しっかりしてください。さきほど見事な演説をされたではないですか」

「そうよ。すごく良かった。もう大丈夫って思ったから、今度も緊張しないでやってください。新駅のことは芹沢先生一人で、どうこうなるものではありませんから」

「痛ぅ……」

 叩かれて、ようやく鮎美は応援演説をしなければならないことを思い出した。すぐに選挙カーの天井へ登る。勢いよくハシゴを登ったのでスカートの中が一部の聴衆には見えてしまったかもしれないし、来ていたマスコミのカメラマンなどは大きなカメラを持っている。それでも、まさか報道機関が女子高生のパンチラを記事にすることはないだろうと考え、表情は明るくつくって、マイクを受け取った。

「こんにちは! みなさん、一度の県知事選で新駅構想を捨てるのが民主主義でしょうか?! 否! 断じて否! ここまで造ったものを全部捨ててしまうつもりですか?! 自眠党が日本を造ってきた! 新幹線も! 高速道路も! ダムも!  ここに至るまでの過程も民意であり、民主主義でした! ならば今一度、この選挙で自眠党が大勝し! 県内全区で勝ったとあれば、いかな県知事といえど、その民意は無視できんはずです! どうか、自眠党に力添えください! お願いします!」

 原稿はあったのに、マイクを握ると立て板に水で言葉が出てきて鮎美は演説を成功させた。

「ご立派です」

「安心したわ。次も頼みますね」

 鷹姫と静江も誉めてくれる。再び車に戻ったけれど、鮎美は膝枕に甘えることはしなかった。甘えると、もう一度、同じ失敗をしそうな気がする。鮎美はシートにもたれて休憩し、五カ所での演説を終えると石永の選挙事務所に戻って、遅めの昼食を鐘留たちと合流して食べた。鐘留と陽湖は他の運動員と同じ事務所内の雑用係として雇われていたけれど、鮎美と同じ制服を着ているために、訪ねてきた支持者たちから記念撮影を頼まれ、不在であった鮎美の身代わりになっていた。モデル経験のある鐘留は問題なく撮影時に表情をつくったし、陽湖も宗教勧誘の経験があるので初対面の大人を相手にしても礼儀正しく応じていた。さすがに昼食時は訪問者から見えない奥に入って石永も混じって食べる。

「お兄ちゃん、雄琴先生の追加情報ってあるの?」

「いや。だから、お兄ちゃんはやめろ。とくに選挙中は」

「ごめんなさい。で、無いの?」

「うむ、出陣式のあとは、お互い選挙カーで動くからな。つかみにくい。だが、わずかながらも自眠党候補で仲の良かった青木先生のところには顔を出したそうだ」

「フタマタかける男は信用できないよ。さっさと捨てた方がいい。これアタシの経験」

 鐘留が言った。

「カネちゃん、あんまり食べてへんやん。食欲ないん?」

「アタシ、他人が握ったオニギリ嫌いだから。あと安っぽい御菓子も」

「そういうこと大声で言わんとき」

 あえて鮎美は美味しそうにオニギリを食べながら、奥で調理を担当している運動員に頭を下げておく。運動員も、たいていは選挙区内に住所があるので一票を入れてくれる可能性があるし、今回は総選挙なので、どこに住所があろうと有権者であることにはかわりがない。

「カネちゃんは顔が可愛いのに、口が悪いから気をつけいよ」

「もっと誉めて♪」

「誉めてない! 口が悪い言うたんや」

「性格も悪いよ。育ちはいいけど」

「その口、塞いだろか」

「きゃはは、どうやって?」

「チューで」

「フフン、やってみなよ」

 鐘留が挑発的に唇を舐めると、鮎美も立ち上がって対峙する。

「したろか、マジで」

「さ、どうぞ」

「ホンマにするしな」

「いいよ、どうぞ」

 鐘留は引っ込みがつかないのと、単にしてもいい気分だったので挑発している。鮎美も引っ込みがつかないのと、実はしてみたいので鐘留の肩をつかんでキスの体勢に入る。いよいよキスされそうになっても鐘留は逃げないし、鮎美も引かない。

「……」

「……」

「いくで」

「まだなの?」

 鐘留の挑発で、もう鮎美は進むことにしたけれど、静江が二人の唇の間にオニギリを突っ込んで止めた。

「やめてください。写真でも撮られてバラ撒かれたら事後処理が大変なんだから」

「すんません。つい…」

 鮎美は潰れかけたオニギリを食べながら謝る。鐘留は食べないので一人で食べきり、鐘留と間接キスになることは考えたけれど、顔には出さない。静江の説教が続いた。

「世の中には望遠カメラってものもあってビックリするぐらい遠くから撮られるんですからね。あの路上チューだって暗い夜道で、かなりの遠くから撮ってるらしいですよ。芹沢先生は、誰とキスしたって不倫にはなりませんけど、話題性たっぷりなんですから、やめてください」

「はい」

「はぁぁ……あれが眠主で良かったわ。でも、男って困った生き物ね。どうして議員なのに不倫したり、選挙カーの中でセクハラしたりするのかな」

「…はは……なんで、でしょうね…」

「シズちゃんは大人なのに、そんなことも知らないの?」

「大人にチャン付けはやめましょうね、緑野さん」

「教えてほしい?」

「……一応、聴いてあげるわ」

「血中テストステロンの影響だよ」

「ホルモンの?」

「そのくらいは知ってるんだね」

「院卒よ、私」

 思わず学歴をひけらかすようなことを言ってしまった静江の袖を鮎美が軽く引いた。それで鐘留の挑発の巧さが怖くなり自重する。

「で、カネちゃん、続きは?」

「でね、集団の中でリーダーになるような猿とかヒトは、やっぱりテストステロン分泌が多いわけ。議員もリーダーの一種だから調べれば、きっと平均のヒトより多いよ。ヒトの行動においてリーダーシップに影響するテストステロンは性欲にも影響する。ボス猿のことを考えれば、すぐわかるよね。お嫁さんが一人では足りない。やりまくる。ヒトと猿は、ほとんど遺伝子が変わらないのに、ヒトは気取って性道徳とか意味不明なことを言い出してるから路上でチューしたくらいで大騒ぎ。アホな種に進化してきましたね。というわけで頑張るリーダーほど性欲は強いし、戦場で勇敢な兵士がベッドでも果敢に行動するように、きっと選挙中も血が騒ぐんだよ」

「カネちゃん…………。遺伝子関係の話、好きやね」

 そう言う鮎美も鐘留から借りた本を読んでいたので、今の説明と、さきほどの自分の激しい興奮が理解できていた。鐘留は脱力気味に人指し指をクルクルと回して言う。

「ヒトなんて塩基配列が決めたプログラムだよ」

「その考え方は間違っています! 人は自由意志によって、より良い選択ができる神が造られた最愛の被造物です」

「塵は塵に、人はゴミに。カネル第一の1章39節にあるよ」

「っ、聖書を侮辱する気ですかっ?!」

 いつもは怒らない陽湖が顔を赤くしている。単に挑発の矛先が鮎美から静江、静江から陽湖へ移っただけだったけれど、信仰にかかわることだったので聞き捨てならなかった。

「ううん、でも人は塵だって書いてあるよね。どっかに」

「人の肉体は塵から造られていても霊は霊です! 神はすべてを把握しておられ、塵となった人も記念の墓より蘇るのです!」

「うん、もう言ってること意味わかんないから、チョコでも食べなよ」

「カネちゃん、陽湖ちゃん、バイト中やってこと忘れんといてな」

 鮎美と石永が腰をあげた。そろそろ石永は選挙カーへ、鮎美も別の応援先へ行かなければならない。静江の車に戻った鮎美はつぶやいた。

「血中テストステロンか……」

 同性愛者の性欲って、どういう仕組みなんやろ、うちは性自認は女で、女の子が好き、けど、相手を妊娠させられるわけやない、それは男性同性愛者かて同じやん、男同士で妊娠するわけない、生物学で考えたら性欲の目的は当然、妊娠させることやん、いや違う、もうこのことについては考えんことにしたはずやん、今考えようとしたのは、うちの性欲にも波があるかもしれんってことや、さっきとんでもなく鷹姫に迫ったし、その前も陽湖ちゃんがモロに嫌がってるのにお尻撫で回したし、あれ男やったら事件もんや、うちはズルいな、陽湖ちゃんが我慢するの見越してセクハラするんやもん、結局はオジサンらがやってるセクハラといっしょやん、相手が本気で怒る手前までやる、実に卑怯や、それがわかっても、またやってしまう気ぃするわ、つくづく愚かやな、人間は、いっそテストステロンでも抜いてもらえたらええかも、と鮎美は総選挙と無関係なことを考えながら仮眠し次の会場でも立派に演説を成功させ、夜になって屋内での個人演説会でも安定してきた弁舌で女子高生にして議員たる期待に応える姿を見せた。そして、宿泊するビジネスホテルに着いたとき静江と鷹姫に言う。

「うち、今夜は一人で寝たいわ。静江はんと鷹姫が同室でもええ?」

「ええ、いいわよ」

「はい、かまいません」

「…うん………おおきに……急に、ごめんな」

 二人は何とも思っていない。むしろ、残念でならないのは鮎美だったけれど、鷹姫と二人で密室になると、もう自分を制御する自信が無かった。客室に入り、一人でシャワーを浴びて、ベッドに寝転がる。

「……鷹姫……あんたを、うちのものに……したいわ……」

 欲しいのに手を出せない苦しさで鮎美はすぐに眠れず、キャリーバックの中から電気マッサージ器を出してきた。

「………リーダーは性欲が強いかぁ……英雄色を好む、っていうもんな。うちは雄ちゃうけど……きっとレズビアンとしても、かなり性欲が強い方かも……」

 つぶやきながらスイッチを入れた。陽湖と同居するようになってから、モーター音が出るために使える機会が減っていた電気マッサージ器で自慰を繰り返してから眠った。

 

 

 

 投票日の夜、鮎美たちは石永の選挙事務所で開票速報を見ていたけれど、その雰囲気は重苦しかった。選挙戦の中盤では鐘留と陽湖も表舞台に加わったことでJK軍団と言われて、もてはやされたりもしたものの、票に繋がったかは不明であり、そして全国的な自眠党の大敗傾向が明らかになりつつあった。テレビでニュースキャスターが興奮気味に語っている。

「これで眠主党は100議席を超えました。まだ伸びそうです。自眠は、いまだ伸び悩んでいます。これは政権交代ということでしょうか?」

「明らかに、そうなるでしょうね。あ、また当確が出たようです。供産党からですか」

 字幕で当確が表示され、西沢光一だったので事務所内の空気が凍りつく。その凍りついた空気とは無関係にテレビは解説を続けている。

「前回は比例で復活だった西沢氏が今回は小選挙区であがってきましたね。ひょっとすると供産党と眠主党の連立政権という可能性もあるのでしょうか?」

「そうですね。眠主党が単独で過半数に至らなかった場合、どこかと組むことになるでしょうから、その可能性もあるでしょう」

 石永と西沢、それに眠主党の新人だった奥田が出ていた小選挙区は1人区なので、これで石永の小選挙区での当選は無くなり、あとは比例代表による復活当選しかなくなる。重苦しい空気に、鐘留でさえ余計なことを言わずに黙っていると、石永がマイクを握った。

「すべて自分の至らぬ点が招いた結果です。ですが、一度の敗戦に心折れることはありません。一から出直す気持ちで頑張りますので今後とも応援のほど宜しくお願いします」

 模範的な敗戦の弁に、それなりの拍手が起こり、またテレビが眠主党候補の当確を告げている。テレビ画面には東京にある眠主党の本部が映し出され、党代表の鳩山直人が満面の笑みでバラの造花を選挙区が描かれた大きな日本地図に貼りつけていた。

「……あの人が………総理になるんやろか……」

 鮎美の疑問を誰も否定しなかった。静江は兄の比例復活を祈るように目を閉じている。石永自身も落ち着いた態度を保って待っていたけれど、深夜になっても当確は出なかった。そして、眠主党の単独での過半数獲得が決定的となり総選挙は終わった。

 

 

 

 日付が変わって午前2時を過ぎ、支持者たちへの敗戦の弁と謝罪を繰り返し述べた石永が鮎美へも言葉をかける。

「芹沢さん、応援ありがとう。また、頼むよ」

「はい、石永先生も、お疲れ様でした」

 苦い笑顔で二人は握手して、お互いを労った。もう事務所内に残っている支持者は少ない。鐘留と陽湖は帰りそびれて残っていた。

「静江、四人を送ってやってくれ」

「…はい…」

 立ち上がった静江の顔色が悪くてフラついているので鮎美は遠慮する。

「いえ、タクシーで帰ります。あと一時間もしたら漁に出る船もありますさかい。それに連絡つけて島へ送ってもらいますし」

「そうか。すまないな。静江、お前は車を置いて、オレの方の車に乗れ。かなり疲れた顔をしているぞ。すまなかったな、そんな顔をしないでくれ、次は勝つさ」

「…うん……お兄ちゃんなら、きっと勝つよ」

 兄妹が抱き合っているのに背中を向けて鮎美たちはタクシーで帰る。選挙事務所は駅前に近かったので深夜でも、すぐにタクシーが来た。

「かねや本店までお願いします。その後、港の方に」

「はい、承りました。…あ、もしかして、議員の芹沢さんですか?」

 タクシーの運転手がありふれた反応をしてくれた。

「はい、そうですよ。どうも、こんにちわ、いえ、こんばんわ。もう、おはようかもしれませんね」

 鮎美は疲れていたけれど笑顔で応対する。タクシーの運転手は車を発進させながら、言ってくる。

「今回は残念だったね。芹沢さん、自眠党ですよね?」

「ええ。ありがとうございます」

「次、眠主党政権になるんですかね?」

「おそらくは、そうなるでしょう」

「なら、いっそ眠主党に移られては、どうですか? たしか、雄琴とかいう若いのも、移ったとか、そんな話も噂で聞きましたよ」

「はは……お耳が早いですね」

「いろんな人を乗せますから」

「アユミンも眠主党に行ったりするの?」

「さてね」

 鮎美は曖昧に流そうとしたけれど、鐘留が食いついてくる。

「行けばいいじゃん。別に自眠じゃなきゃいけない理由ってあるの?」

「カネちゃん………」

 身内だけの会話ならいいけれど、今はタクシーの運転手が聴いていて、明らかに拡がる可能性が大きいので鮎美は慎重に答える。

「うちはコロコロ変わるのは嫌かな。けど、民意が眠主党を選んだことは、考えんといかんね」

「県内で自眠、全敗だったじゃん。比例復活もゼロでさ」

「カネちゃん、ほら、もう家に着くよ」

 鐘留の自宅前に駐まってもらい、深夜なので鮎美も降りた。

「遅うなったし、ご両親に挨拶しとくわ。鷹姫と陽湖ちゃんは車内で待ってて」

「「はい」」

「別に、いいのに」

「うちの評判にかかわるやろ」

「議員って大変だね」

 大きな玄関に入ると、まだ両親は起きていて、事情もわかっているので一言挨拶を交わして鮎美はタクシーに戻った。

「次、港にお願いします」

「鬼々島へ渡る連絡船の港ですよね?」

「はい」

 タクシーは10分ほど走り、鮎美たちを港に降ろそうとしたけれど、まったく人気がないので運転手が戸惑う。

「若い女の子ばっかりで、ここで大丈夫ですか?」

「はい。すぐに漁も始まりますし、うちは、そこらの男やったら一人二人いても負けませんし、そっちの鷹姫は5人いても勝ちますさかい」

「芹沢先生、これで50人いても勝ちます」

 先にタクシーを降りていた鷹姫は港の待合室にある竹刀を取り出していた。

「前から気になってたんやけど、なんで待合室に、そんなもんあるねん!」

「誰かが置いたのでしょう。待ち時間が長いですから退屈しないように」

「ホンマに武士の島やな……ま、鬼に金棒で安心やけど。ってことやし、心配せんと行ってください、運転手さん、おおきに」

 タクシーが去り、鷹姫が漁協に電話をかけるタイミングを計る。あと30分ほどで漁が始まるので迷惑にならないように、その5分前にかけるつもりだった。

 ビュッ!

 鷹姫が竹刀で素振りを始めた。選挙期間中の練習不足を取り戻すためなのはわかるので鮎美と陽湖は放っておく。二人は待合室のベンチに座った。

「負けてしまいましたね……」

「そうやね……ごめんな、せっかく手伝ってくれたのに」

「いえ、シスター鮎美が謝ることではないですよ」

 そう言ってくれる陽湖が可愛いので鮎美は肩を抱いた。

「セクハラはやめてください」

「ちょっと慰めただけやん。しかも肩だけやん」

「黙ってると、すぐお尻まで触るから」

「ごめん、ごめん。けど、ホンマに負けてしもて、ごめんな。うちが議員になっても野党議員ってことやから、大学の設置も、どのくらい力になれるのか、そもそも与党議員やっても一年生に何ができるのか、わからんかったけど、野党やと余計に難しいと思うわ」

「シスター鮎美、ありがとうございます。そこまでお気にかけてくださり十分です。ブラザー愛也や学園の理事方も、そう簡単に進むとは思っていませんから、どうぞお気に病まないでください」

 ビュッ!

 いつもより鷹姫の素振りに力が入っている気がした鮎美は問うてみる。

「鷹姫! いつもより荒れてん?」

「…」

 ビュッ!

 鷹姫が振り返った。もう額に汗を滲ませている。

「負けて気が立つのは仕方ないでしょう。三方原を思い出します」

「……え~っと……徳川家康が、武田信玄に負けたときの?」

 もう鷹姫との付き合いも長くなってきたので、だいたい言いたいことはわかった。

「はい。負けたときこそ、おのれの姿と対峙すべきです」

「……そうやね……石永先生、立派やったね」

 ビュッ!

「鷹姫は…」

 問いかけて鮎美は周囲に誰もいないか、確認してから再び問う。

「鷹姫は、うちが眠主党に移るって言うたら、どう思う?」

「………。それが、ご判断であれば従います」

「今、めちゃ残念そうな顔したやん」

「…………」

「鷹姫の本心では、どう思うの?」

「お給料が二倍だからといって、すぐに主君を変える秘書を芹沢先生は、どう思いますか?」

「うっ……愚問やったね、ごめん」

「でも、シスター鷹姫、今の場合は民意の大半が眠主党を選び、そしてシスター鮎美は自眠党支持者によって選び出された議員ではなくて公平なクジ引きで選ばれているのですから、民意を反映するのも一つの役割ではないですか?」

「「…………」」

 ビュッ!

「鷹姫は、その理屈より人としての、あり方に重きを置いてるんやろ、たぶん。もうちょい単純に考えると、武士道っぽくないみたいな。たとえば、陽湖ちゃんかて別の神さまが来て、私を信じなさい、って言うてきたらホイホイ信仰を変える?」

「変えません。そもそも神は唯一絶対です」

「そのはずやったのに、空から別の神さまが降りてきて、海を割ったり、死んだ人を蘇らせたりして、ほら、信じろ、奇跡おこしたぞ、って言うてきたら?」

「人知を超える事象があっても、それこそサタンの仕業です」

「つまりは信仰は変えん?」

「はい」

「そういうのと同じようなことちゃうん?」

「…………同じか、どうかは……でも、お気持ちはわかります」

「うちも正直なところ、数の論理とか、民意っていうよりは、気持ちの問題やわ。関ヶ原で負けました、ほな、すぐ家康に仕えますか、そんな感じ。大阪城を舐めんなや、最後の最後まで抵抗したるわ」

 鮎美がベンチから立ち上がって、傘立てに入っていた竹刀を握った。

「今度こそ負けたままでいるもんか!」

 鮎美が夜明けの空に竹刀を向けた。

「えいえい、オーっ!!」

「「……」」

「えいえい、オーっ!!」

「応っ!!」

「……」

 鷹姫が掛け声に応じ、陽湖は驚いている。それでも夜中に大声をあげても問題ないほど港のまわりは人がおらず、山で眠っているカワウが迷惑している程度だと思われた。

「えいえい、オーっ!!」

「応っ!!」

「神よ、シスター鮎美の進む道に、どうぞ祝福をください」

 陽湖は祈ることで、掛け声に応じた。そして迎えに来てくれた漁船に乗ると、漁師たちの労いに、不屈の笑顔で応え、島に戻ると自宅で深い眠りに落ちた。学校は欠席するつもりだったので昼過ぎまで眠り、起きた鮎美がシャワーを浴びて脱衣所に出ると、陽湖も顔を洗っていた。

「おはようさん」

「おはようございます」

「陽湖ちゃんもシャワー浴びる?」

「そうさせていただこうかな、ご迷惑でなければ」

「遠慮せんでええよ。身体、洗ってあげよか?」

「それは遠慮します」

 なんとなく鮎美の前で裸になるのも抵抗があるけれど、陽湖もパジャマを脱いでシャワーを浴びた。鮎美は髪を乾かしてから新聞を眺めるものの、新聞が発行された時刻の問題で当確が出ている議席数については深夜のテレビ放送と違いは少ない。どのみち、これから支部に行くつもりなので朝食兼昼食を優先した。

「うちは、これから支部に行くわ」

「そうですか………私も行ってもいいですか?」

「ええよ。どうせ今から学校に行っても、すぐ放課後やもんな。選挙結果を気にしてくれてるんやね、おおきに」

 鮎美は鷹姫へもメールを送り、いっしょに乗る連絡船の便を決めた。

「カネちゃんも起きてるかな」

 メールを送ると、今起きた、と返事が来た。鮎美たちが支部に行くと伝えると、気が向いたら行く、という返事も来る。学校には行かないけれど、鮎美も陽湖も制服を着て港に出た。鷹姫も制服で現れた。

「鷹姫、ちゃんと寝れた?」

「はい」

「そら良かった」

「芹沢先生は?」

「気がついたら昼やったわ」

「私もです」

 三人が話していると、漁を終えていた自治会の役員が声をかけてくる。

「自眠が負けて、これから、どうなるんじゃ?」

「それを、これから支部で話し合いに行きます」

 うちが訊きたいくらいやわ、と鮎美は煩わしく感じたけれど、それは顔に出さない。今回の選挙でも鬼々島は自眠を応援してくれたし、多くの島民が石永に入れてくれたはずだった。けれど、市街地の有権者の多くが供産党と眠主党に入れたことで負けている。結局は人口の差がものを言った形だった。

「ワシら島のもんのうちにも、眠主が勝ったんやったら、眠主にシッポ振ろう言うもんもおるで、なんとか自眠さんには頑張ってほしいんじゃ。そこんとこ、よう伝えて来てくれや、芹沢先生」

「はい、わかりました。頑張ります」

「頑張ってくれても結果につながらんと意味ないでの」

「はい、それも頑張ります」

 言っている自分でも変な日本語だと思いながらも、石永たちも言っていたので真似をして役員を納得させ、連絡船に乗った。連絡船の船長も似たようなことを訊いてきたので、同じような応答をして路線バスに乗った。路線バスにいた乗客まで同じこと訊いてきたけれど、鮎美は丁寧に応答して納得してもらった。

「……はぁぁ…次からタクシーにしよ……うざいわ」

 バスを降りた後、鷹姫と陽湖にしか聞こえない声で鮎美は愚痴った。支部に入ると、いつもいてくれる静江がいないので違和感を覚えた。

「静江はんは?」

 鮎美の問いに職員の一人が、静江は過労で熱を出したので休んでいると教えてくれた。

「そっか、静江はんもお疲れやったもんな」

「芹沢先生、確定議席の資料です」

 代わりに鷹姫が党本部から送られてきた資料を見せてくれる。

「……1200議席中、眠主が782議席……過半数どころか、あと18議席で3分の2やから、少数政党と連立したら参議院を無視してやれる……自眠は213議席、供産が181って、自眠と供産が並ぶくらいやん……どんだけボロ負けやねん。畑母神先生の日本一心党は0って……核武装するとか、従軍慰安婦問題で不穏当なことばっかり言うから……眠主党を離脱した小沢六郎の活力党が20議席も………これで連立したら3分の2や。あとは無所属が4議席か……」

「自眠党が議席を確保したのは、やはり九州、四国、中国地方です。ほぼ明治政府の元勲輩出県ばかり」

 鷹姫の分析に鮎美も頷く。

「薩長土肥か。同じ地方でも東北は小沢先生が強いなぁ。自眠の流れから微妙に外れるのは会津戦争の影響なんかなぁ」

「新潟や岩手は結束が強いですし、やはり奥羽越列藩同盟の気運も残っているのでしょう。田中元総理の娘も無所属で当選されています」

「田中角美かぁ……伏魔殿いうた人やね」

「シスター鮎美、明治時代は100年も昔のことですよ。戊辰戦争なんて150年くらい前のことなのに関係あるのですか?」

「傾向としては影響を感じるわ。もちろん、人口の多い福岡なんかは眠主が増えたけど、島津の鹿児島なんか、ばっちり自眠やん」

「島津氏は関ヶ原の雪辱を250年かけて晴らしました。今でも島津の剣士は手強いです」

「そやね、薩摩と十津川は強い選手が多かったわ」

「十津川の民は、いざというとき剣を握り天皇家に貢献しています。中央から租税免除を受けるほど」

「……なんだか……シスター鷹姫の話だと、選挙ではなく戦争で決着をつけそうで怖いですよ」

「………」

「鷹姫は、ちょっと極端やけど、選挙は戦争の代替手段やからね。そういう側面もあるよ」

「それにしても150年前のことは、もういいのではないでしょうか?」

「イスラエルあたりは2000年以上前のことで頑張ってはるやん」

「ぅっ…」

 陽湖は痛いところをつかれたけれど、それでも考える。

「そういった過去のしがらみや因縁にとらわれず、新しい政治を目指すのが良いのではないですか? 眠主党が伸びてきたのは、そういう新しい思いの結果ではないですか?」

「「…………」」

 今度は鮎美と鷹姫が痛いところをつかれた。そのタイミングで鐘留と詩織が同時に支部へ入ってきた。

「来たよ」

「お久しぶりです。アポイントもなく来てしまって、すみません」

 詩織は菓子折をもっていたけれど、かねやの糸切りクッキーだったので鐘留が礼を言う。

「お買い上げ、ありがとうございます」

「え?」

「それ、アタシんちの商品だもん」

「そうだったのですか。私、ここのクッキー大好きですよ」

「ありがとう。これからも買ってください」

 鐘留たちと詩織は初対面だったけれど、鐘留たちが鮎美と同じ制服を着ているので友人だろうことは詩織にも簡単にわかる。詩織は菓子折を渡すと、鮎美と握手をした。

「こういってはなんですが、少し前と比べて、とても成長されましたね。同じ身体なのに大きく見えますよ」

「おおきに。素直に喜んでおきますわ」

 鮎美は微笑んだけれど、詩織が握手をしながら小指を小指にからめてきたので手を引いた。

「そ、それで、ご用件はなんですか?」

「はい、フタマタをかけることになりました」

「っ…、だ、…誰に?!」

「フフ、そんなに慌てなくても」

 詩織は怪しく微笑んだけれど、すぐに真面目な顔に戻った。

「私たち春の会は、ずっと自眠党に陳情いたしておりましたが、今回の選挙を受けて眠主党にもアプローチしていきます。それを言いに来ました」

「そ…そうですか…」

 なんと答えていいか、わからない鮎美に詩織は優しく微笑んだ。

「普通、わざわざ正直に言いに来ないものですよ。ですが、私は黙って進めるのが嫌いな性格なのです。黙っていてバレるくらいなら、先に言ってしまう方がスッキリしますし」

「………」

「そんな淋しそうな顔をしないでください。きっと同じようなことは、これから多くありますよ。しかも黙って進めるところが、ほとんどでしょう」

「……そうですね。……むしろ、言うてもらってる方が、うちもスッキリしますし。わざわざ、どうも」

「もう一つ用件があります。どちらかといえば、こちらが本題なのですが、もう少しお時間よろしいですか?」

「はい、どうぞ」

「芹沢鮎美さん、あなたのことが好きです。私と交際してください」

「なっ…」

「え? この人、女の人だよね?」

 鐘留が確かめるように詩織を足元から頭まで見ている。どう見ても完全に女性で女装している男性には見えなかったし、そもそも女装して告白する意味がない。

「鮎美さんは気づいてくれませんでしたが、これでも選挙中、あなたと2回も握手したのですよ。やや追っかけ気味に演説会を見に行ったりして」

「…そ……それは……すんません…」

 選挙中の聴衆との握手はアイドルとファンの握手よりせわしなく、きちんと場所や時間が区切られているわけではないので相手の顔も認識せずに握手していることが多かった。そして、石永と鮎美が並んで握手を求めると、だいたいの男性は鮎美の方に来るし、女性の有権者でも最年少という珍しさもあって鮎美へ来るので相手の顔を認識する間もなく次々と握手していた。それは石永だけでなく他の自眠党候補の応援をしていたときも同じなので、申し訳ないと思いつつも一人一人の顔を見ている時間は無かったし、見たとしても脳に認識しておくことができなかった。

「歳の差が気になりますか?」

「………そ……そういうわけ……では……」

「歳の差っていうかさ、女と女だよ? もしかして、そっち系の人?」

 鐘留の遠慮無い問いに詩織は穏やかに答える。

「ええ、私はバイです。でも、フタマタはかけませんよ。彼氏とは別れましたし」

「………」

「バイなんだ。へぇ……いるんだ、そういう人……ふーん……」

 また鐘留が遠慮無く足元から頭まで観察すると、詩織も鐘留を足元から頭まで見つめる。

「可愛い子ですね」

「ありがとう」

「……性格には問題がありそうですね」

「うん、あるよ」

「それはおいて、鮎美さん、どうでしょう? 私と交際してくれませんか?」

「……う……うちは………」

「歳はいくつなの?」

「秘密です」

「う~ん……見た目で歳がわかりにくい……ちょっと外人っぽくない?」

「母がドイツ人とのハーフでしたから、私はクォーターです」

「言われてみると、そんな感じだね。髪とか」

「鮎美さん、ダメですか?」

「……、うちには他に………」

「好きな人がいても、その人が振り返ってくれるまで付き合ってくれませんか?」

 どうせ永遠に振り返ってはくれませんよ、と詩織の表情が語っている気がして鮎美は悔しかった。その悔しさと切なさが、詩織に対して反発と親愛を同時に等量、覚えさせてくるので、ますます困惑する。受け入れて抱きつきたい衝動と、バカにするなと叫んで追い出したい怒気、同じだけ覚えている。

「面白いかもよ、アユミンって前から思ってたけど、その気がありそうだし。実はアユミンもバイなんじゃない?」

「っ……」

「やたらとアタシの身体に触るしさ。あれセクハラ一歩手前だよ」

 十分にセクハラです、と陽湖は言いたかったけれど、ここは鮎美に助け船を出すことにした。

「シスター鮎美、党から交際を禁止されていませんでしたか? 男女問わず」

「あ…そ、そやった。党から交際は控えるよう言われてますから」

「控えるようにですか………」

 詩織は陽湖を足元から頭まで観察し、さらに鷹姫も観察すると、つぶやいた。

「可愛い子ばかり集めて」

「も…もう用件は終わりですやんね?」

「あと一つ」

「何ですか?」

「交際がダメなら私を秘書にしてくれませんか? 英語は日常会話レベル、ドイツ語はビジネス実用レベルです」

「秘書に……」

「体力もあります。ドイツ警察に2年、勤務していました」

「………」

「考えておいてくださいね。また来ます」

 詩織は欧州貴婦人のように優雅に礼をすると、立ち去った。

「……はぁぁ…」

 鮎美がタメ息をつきながら椅子の背に身体をもたれさせる。鐘留が可笑しそうにクスクスと笑った。

「アユミン、かなりビビってたね。きゃははは」

「…ぁ……当たり前やん、あんなこと……いきなり……しかも、党支部で……」

「少し非常識な人ですね。春の会って何ですか?」

 陽湖の問いに、仕方なく答える。

「売春を合法化させたい団体やよ」

「っ…ありえません!! なんて人なの?! 女性なのに!!」

「そういう反応する団体が怒りに来たこともあったわ……あの人ら、石永先生が落選して、どんなこと言うてるやろ……」

 鮎美は疲れを感じて目を閉じた。明け方から昼まで眠ったけれど、まだ疲れが残っている。その疲労感を悪化させるような着信が鮎美のスマートフォンに入った。

「……雄琴はん……今さら…」

 直樹からの電話だった。

「アユミン、出ないの?」

「…………。無視すんのも、癪やな。出たろやないか」

 鮎美は受話した。

「うちや」

「怖い声だね」

「今さら何や? 裏切りもんが」

「一度、会って話したいんだ」

「うちは暴行罪で捕まりとうない。まだ不逮捕特権もないことやし」

「特権があっても現行犯は捕まるよ。まあ、落ち着いて。ゆっくり話をしたいんだ」

「断る」

「……わかったよ、もう少し君が頭を冷やしてから話すことにする。じゃあ、また」

 直樹が電話を切った。

「……顔も見たないわ……ボケが……」

「アユミンって前は眠主党に入っても良さそうなこと言ってなかった? 供産党もアリかなぁ、みたいな。すっかり自眠に洗脳されてる?」

「っ! 仁義ってもんがあるやん!」

 鮎美が怒鳴ったので鐘留は驚いて引く。

「ごめん、そんな怒ると思わなかった。軽いジョークだよ、ジョーク」

「………。うちも怒鳴って、ごめん。苛ついてるねん、いろいろ」

「そっか。でも、仁義ってヤクザじゃないんだからさ」

「カネちゃん、ちょっと黙っててくれへん?」

「はい」

 鐘留は黙ると、詩織が持ってきた菓子折を開封し、党の職員たちにも配ってから自分たちの前に広げた。その間に鷹姫が紅茶を淹れている。

「……はぁぁ……」

 鮎美が深いタメ息をついた。

「「「……………」」」

 鷹姫と陽湖、鐘留は静かに紅茶を飲む。

「鷹姫、石永先生は?」

「はい、今日は主要な支持者のところへ敗戦のお詫びに回るとのことです」

「えらいな……うちは、どうしよ………静江はんが来てくれんと、やることさえ、わからんとは、情けない」

「まだ、ご自分が一人前でないことを悔やむ時期ではないと考えます。何かあるに備え、お休みになることも重要です」

「そうやね、おおきに、鷹姫」

 そう言った鮎美は愛おしそうに鷹姫のポニーテールを撫でた。再び会話が無くなると、支部にある固定電話が鳴り、職員が応対している声が聞こえてきた。

「はい、はい。……。いえ、石永先生はお詫び回りに出ておられます。………。国会議員では、芹沢先生が来ておられます。…………、はい、すぐに」

 職員が子機を持って、鮎美のところへ来た。

「谷柿幹事長から、お電話です。支部にいる国会議員は、と問われましたので」

「谷柿…幹事長……」

 その役職と名前は聴いてはいたけれど、面識はない。それでも党内で高い地位にある人だとはわかるので鮎美は緊張して電話を受ける。

「はい、芹沢鮎美です」

「はじめまして。谷柿弘文(たにがきひろふみ)です」

「はい、はじめまして、芹沢鮎美です」

 緊張して鮎美は二度名乗ったけれど、谷柿は笑わなかった。

「そう緊張しなくてもいいですよ。今回の選挙も一生懸命に応援してくれたそうですね。ありがとう、芹沢先生」

「ぃ、いえ……うちなんか何の役にも立ってません」

 礼を言われて鮎美は目を潤ませた。電話で話しているだけなのに、相手の懐の深さを感じる。

「昨日の今日で支部につめていてくれる芹沢先生の存在に、私も勇気づけられます。これから困難な時期を迎えますが、いっしょに頑張っていきましょう」

「はい!」

「それを伝えたくて電話しました。芹沢先生に会える日を楽しみにしていますよ」

「はい!」

 谷柿との短い電話が終わり、鮎美は潤んでいた目を拭いた。

「クヨクヨ迷ってもしゃーない! 勉強の続きでもしとこ!」

 鮎美は選挙前までしていた民法と民法改正案についての勉強を再開して一日を終えた。

 

 

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