第15話 十二月 空港、再びお金、県知事・夏子

 総選挙から二週間が過ぎた12月の上旬、鮎美と石永、畑母神の三人は和食系ファミリーレストランの個室で会談していた。一人当たりの客単価は1500円程度の庶民的な価格でありつつも個室があるので人気があり、会談にも使いやすかった。石永が申し訳なさそうに言う。

「畑母神先生を迎えて、このような店で申し訳ありません」

「石永くん、そんなことは気にしないようになさい。お互い、下野した身。君は二世議員だったから、在野の生活は初めてかな?」

「恥ずかしながら、庶民感覚を持つように心がけていますが、ボンボンと言われれば否定できません」

「君の年齢なら、いい経験にもなるだろう」

 二人とも総選挙で落選し、衆議院議員ではなくなったので現在は無職同然だった。畑母神が、これから来月には参議院議員となる鮎美へ問う。

「芹沢さんのご家庭は? ぶしつけな質問で非礼だが、君の家は貧富でいえば、どちらになるかな?」

「中間やと思います。別に貧しくもないし、金持ちでもないし、せやから、今まで何回か料亭やらで会談してましたけど、ちょっと敷居が高いというか、正直、こういうお店が気楽でええです」

「うん、私もそうだ。何より子供の頃、私の家は貧しくてね。米はあったが魚は自前で捕まえていたものだ」

「どこかの島の出身なんですか?」

「いやいや、福島県の山奥だよ。平凡だが豊かではない農家の三男でね、喰うために自衛隊に入ったのだよ」

「福島県……東北でしたよね。そういえば、一昨日ニュースで、とうとう東北新幹線が全通したって聴きましたわ」

「うむ、八戸新青森間だね。東北にとっては待望の新幹線全通だよ」

「東北の人らから見たら、うちらの県は、どう見えますやろ? 新幹線の新駅を要らんて言うて現職知事を落とすような県民」

「率直に言わせてもらうと、変わった県民性をしているな、と感じるよ。ケチも度を超せば変人であるように。建設費をもったいないと言って用地買収まで済んだ新駅計画を蹴るというのは、なかなか変わった行動だよ」

「ケチちゅーか、自分とこが直接に儲からんのやったら、よその商売邪魔したれ、みたいな根性を感じますわ。ま、大阪人にも、そういうとこあるけど、琵琶商人の通った後には草も生えんて言葉が生まれた理由、なんとなくわかります」

 鮎美の肩を石永が軽く叩いた。茶谷の触れ方と違い、セクハラ的な嫌な感じは受けないので鮎美は舌鋒を止めた。石永が言っておく。

「芹沢さん、それ誰かが聴いているところで言わないでくれよ」

「はい、すんません。つい」

 まだ鮎美が県知事選の敗北を忘れられない様子でいるので、畑母神は県政について問うてみる。

「そういえば、この県には空港も無かったかな?」

「「はい」」

 鮎美と石永が異口同音し、事情に詳しい石永が答える。

「四半世紀前に計画が頓挫しています。父が関わっていたので覚えているのですが、やはり経済的な損得勘定が大きかったようです」

「なるほど、たしかに当時、多く造られた地方空港の大半は赤字だ」

「よその県は新幹線を待ちきれんで造らはった感じがしますわ」

「そう、県が自前で土地を用意すれば、線である新幹線と違い、点である空港は造れる。ついつい、おらが田舎にも空港を、となったのだろう。それを損得勘定優先で自制する県民性は慧眼にも感じるけれど、大きなものを見落としてもいる」

「「……」」

 すぐに答えを見つけられたかった二人に畑母神が解答してくれる。

「非常事態、戦争とまでは言わないまでも、きわめて大きな災害が起こったとき、線である新幹線や高速道路は、きわめて脆い。どこか一カ所でも損傷すれば、大きく迂回せねばならなくなったりして、その機能は一気に低下する。けれどね、空港は、もともと点であるために寸断されることがない。かりに損傷したとしても応急処置で滑走路さえ整備すれば、すぐに使える。これは空母の飛行甲板にも言えることだがね。そして、点と点をいくつも結べば面として機能する。近視眼的には地方の赤字空港は悪口を言われるかもしれないが、いざというとき食料、燃料、医薬品、技術者、機械、車両、医師、要人、あらゆるものを運べるわけだ」

「そっか……無駄に見えても無駄やないんや」

「まあ、いささか建設費と用地買収が高くつきすぎているのが日本らしい欠点という気はするがね。実際、滑走路さえ整備すればよいのだから、土地が無料に近い価格で手に入り、ターミナルビルなど造らず、頑丈なアスファルトだけ敷設していたなら、多くの地方空港は今頃黒字だったろう。この点、自眠党政治とゼネコン、そして個人の権利意識の濫用による土地収用の難しさが招いた弊害と言えなくもないね」

 畑母神が過去の自眠党政治を軽く批判すると、石永は受け入れた。

「おっしゃる通りです。ゼネコンの技術力は素晴らしいが、いささか高くつきすぎる」

「きっちり党も寄付金もらうからですやん。表と裏で二重に」

「「………」」

 やや沈黙した畑母神は失笑し、石永は苦笑いする。

「ははは。言いたいことを言うね、君は」

「芹沢さん、正直が常に美徳ではないと、知ってほしいな」

「はい、気ぃつけます」

 新幹線と空港の話が終わると、三人は会談の目的だった総選挙についての反省や、今後の自眠党と日本一心党のあり方などを話し合い、再会を約束して別れた。静江が車で鷹姫と迎えに来てくれたけれど、今までの車と違い、軽自動車だったので鮎美は違和感を覚えた。

「静江はん、いつもの車は?」

「……。売ったわ」

 やや不機嫌そうに静江が答えた。県知事選の後に兄へねだって買ってもらった目立たないもののフランス製だった普通車を売り、どこにでもあるような軽自動車が今の静江のマイカーになっていた。

「気に入ってはったのに?」

「お金が無くなるからよ。政党交付金が何億円減らされるか、知らないわけじゃないでしょう」

「あ……はい…」

 総選挙で議席数が激減したことにより自眠党の会計は見通しが悪くなっている。すぐに枯渇するほどではないけれど、谷柿幹事長からの引き締めもあり、各支部に配分される予算も大きく削減され、党の経費で大半をまかなっていた静江の車も経費削減の対象になっていたし、畑母神との会談場所が招福亭やタカ井などの一流店でなく、ただのファミリーレストランになっていたのも同じ理由だった。鮎美は車に乗り込み、再び違和感を覚えた。

「鷹姫?」

 鷹姫の表情が、いつもと変わらないように見えるものの、どことなく硬く暗いようにも感じる。

「どないかしたん?」

「いえ、何もありません」

「そやったら、ええけど…」

「会談の中身は、どうなりましたか?」

「あ、うん」

 鮎美は会談の内容を要約して二人に話した。その話が終わると、静江が運転したまま切り出してくる。

「一応、鮎美ちゃんにも言っておくけど、宮本さんのお給料、10万円にするから」

「10万円って、何のお給料ですか?」

「秘書の給料に決まってるでしょ」

「え……、いや、あれ30万ちゃいますの?」

「だから、それを30万円から10万円にするの。来年四月からフルタイムで出勤してくるまでは学校終わって放課後だけなんだから10万円でも多い方でしょ」

「そ……それは……そうかも、しれんけど……土日とかは丸一日……選挙んときなんか24時間拘束して……」

「本人は納得してくれたから」

「鷹姫が……」

「そうよね? 宮本さん」

「はい」

「鷹姫……け、けど、鷹姫の家の家計もあるし、そんな急に三分の一なんて……」

「大丈夫です、芹沢先生」

 珍しく鷹姫から鮎美の肩に手をおいて頷いてみせている。

「もともと予期せず入ったお金ですから、妹たちに衣服を買ったりした以外は残しておりますし、10万円になっても大丈夫です、本当に」

「鷹姫……」

 もともと鷹姫の家は車も所持していないし、マイホームローンなども無い。テレビも置いていないのでNHK料金も発生せず、固定電話さえ設置していないし、鷹姫が所持するようになった携帯電話も党からの貸与で必要なのは食費と剣道具くらいで、その食費も最近でこそ継母が本土のスーパーへ出かけて肉類や海の魚を買ってくるけれど、以前は琵琶湖で獲れる魚のうちで売り物にならないものを漁師から分けてもらっていた。その生活に戻せば剣道場の収入でまかなえ、10万円でも余るくらいだった。

「……けど……ちゃんと毎月もらえたら、家を建て直すやとか……妹さんらに、それぞれの部屋を造ってあげるとか……何より鷹姫が道場で寝てるのに……」

「どうぞ、お気になさらず」

「あんた、ちゃんと結婚したいんやろ? 花嫁衣装とか、ドレスとか、先立つもんがないと、どうにもならんことも多いんよ?」

「着飾る必要などありませんから」

「………女の子やのに……。許嫁の岡崎くんの家は金持ちなん?」

「いえ、普通の漁師の家庭です」

「漁師って、ぜんぜん儲からんやん」

「……。お金目当てで結婚するわけではありませんから。大丈夫です、どうぞ、ご心配なく」

「……鷹姫……あんたは、何でもホイホイ受け入れて……30万やった給料が10万にされるって、どんだけ、ひどいことか……。静江はん! うちは自分の秘書の給料も自分で決められんの?!」

「……。いえ……それは……」

 静江が運転しながら視線を彷徨わせる。それが嘘をつこうとしている人間独特の様子だったので鮎美は追求する。

「政党交付金って議席数で国から配分されるやんな? うちはカウントされるはずやん」

「……任期前の来年1月までは、半額なんですよ……」

「秘書の給料は党から出るって話やったやん!」

「………その党が苦しくて……」

「そもそも変更前に、うちが関われんのが、おかしいやん!」

「…そ……それは……ですから、今、ご承諾をいただきたいと……相談いたしております」

「芹沢先生、私はかまいませんから」

「鷹姫は黙っておき! お金の問題は大事なんや! 武士だけで国は治まらん! 堺の商人あっての戦国やったやろ?!」

「……はい…」

「静江はん、鷹姫の給料を減らすって誰が決めたんよ?!」

「……わ……私からの……提案です」

「あんたの………」

「党支部の会計も私が管理して、事後にお兄ちゃんの承諾を得ていますから」

「………」

「本当に会計が苦しくなるんです。どうか、ご理解ください」

「………そんで静江はんの給料は、どうなるん? あんたも減給なん?」

「ぃ………いえ……わ、私はフルタイムで働いていますから……現状のままの予定です…」

「ちょっ……それは、ひどすぎん? 鷹姫だけ20万も減らして、自分そのままって、えげついやん」

「い…いろいろと……事情がありまして…」

 運転している静江の額に玉のような汗が浮かび、上着の腋の下も汗で濡れていく。鮎美は同性の体臭を不快に感じることは少なかったけれど、今は不快だった。

「どんな事情やねん! 支部の会計いうても秘書の給与は基準があるやろ?! 50万は党から、もらえるはずちゃうん?!」

「は……はい……」

「ほな、なんで鷹姫の分が減るんよ?!」

 もう鮎美も色々と勉強してきたので細かな仕組みも記憶しつつあった。その鮎美に追求されて静江は白状する。

「じ……事情がございまして……宮本さんに支給された一部は、党支部への……寄付ということで処理させて……いただいて……おりまして……。これは……今までも多少は、あったことなのです、どの支部でも……」

「一部を寄付って……50万もろて40万を寄付させる気ぃやったん?」

「……お…お忘れかもしれませんが……も、もしくは言い忘れたかもしれませんが……今まで30万円だったのも、実は20万円は寄付ということで……納得していただいたと……思っておりますし……他の支部でも、同様ですし、うちの支部の他の議員の秘書でも勤続年数などによって、一部を寄付していたりするのが慣例ですから……。宮本さんにも最初に説明しましたよね? ね?」

「………いえ、……記憶にございません」

「最初の頃は、いろいろ覚えることが多くて忘れたのかもしれませんよ…」

「鷹姫は記憶力ええ方やし! うちも聴いたこと無いわ!」

「い、いずれ、言おうと……そ、それに高校生には30万円でも十分ですよね? 残りをフルタイムになるまでは寄付ということにしても、不服はないかと……」

「本人が知らんとそうされるのと、知ってそうされるのは、ぜんぜん違うやろ! 何より10万円に下げといて40万も寄付さすって、どやねん?!」

「す……すみません……言葉足らずな部分があり…」

 運転しながら話している静江は信号が赤から青に変わったのに発進せずにいたので後ろからクラクションを鳴らされ、慌ててアクセルを踏んだ。急加速の不快感が鮎美と鷹姫に訪れるけれど、話の内容はより不快だった。

「しかも自分は50万もらうんやろ?! どんな神経してるねん!」

「い…いえ……私の給料も、もらうのは、もらうけど、お兄ちゃんを援助しなきゃいけないから」

「石永先生を?」

「はい、そのために、支部じゃなくて、お兄ちゃんの後援会に寄付するから」

「………。いくら?」

「できるだけ……たくさん」

「えらい抽象的やん……」

「これから、どれだけ大変になるか、わからなくて………とにかく、お金が要るんです。衆議院議員の歳費は知ってますよね? あれがゼロになったんですよ」

「いろいろ合わせて三千万は超えて…、わっ?! ちょ! 危ないから車を止めい!」

 鮎美はフラフラと運転する静江がサイドミラーを電柱に擦ったので驚いて停車させた。

「ビビったぁ」

「ハァ…ハァ…す、すみません」

「衆議院議員の歳費が多いのは選挙があるから、うちらと違って必要なんはわかるけど……」

「それがゼロなったんです。他にも支持者や企業、団体からの献金も、きっと激減するから。なのに4年後の選挙に備えて、要るものは前より多くなるから」

 もう静江は半泣きの顔で言い募っている。だんだん鮎美は気の毒になってきたし、鷹姫には最初から責めるつもりはなかった。

「お願いします、どうか理解してください」

「「………」」

「いっそ宮本さんの勤務を二日に一度、いえ、三分の一だから三日に一度でもいいです。それなら拘束時間との比率は今までのままで。宮本さんは剣道の稽古がたくさんできますよね?」

「鷹姫を三日に一度に……」

 それは淋しかった。

「今までのままで大丈夫です。いえ、むしろ学ぶことが多いのですから減らされると困ります。芹沢先生、石永さん、私は10万円でかまいません。いっそ、しばらく無給でも大丈夫です」

「鷹姫……」

「宮本さん……」

「お家の危機とあれば、致し方ないでしょう。できる限り協力します」

「……ごめんなさい……ありがとう……」

「鷹姫、そうは言うても……、親は大臣まで務めはった家やで。うちらの家とは比べもんにならん豪邸やったやん」

 今までに何度か招かれたことがあって鮎美も鷹姫も石永の家を知っていた。

「カネちゃんの家の2倍くらいある屋敷に住んで、それを売り払うでもなく、道場で寝てる鷹姫から40万も取るんやで? 不条理やと思わん?」

「………」

「あの実家は見た目は立派だけど、土地は安い田舎なのよ。田んぼを潰して建てたから広くても値打ちは無いの。かねやさんの屋敷の方が市街地にあって何倍もするくらい。そ、それに、私もマンションを引き払って、少し遠くなるけど実家で暮らして節約するつもりなの」

「芹沢先生、今の私の奉公では10万円でも過分かと思います。もう、よいではないですか」

「鷹姫………あんたが、そう言うんやったら……。ほな、うちも毎日の勉強に出てる手当とか、支部に寄付するわ。鷹姫と同じだけ」

「それは難しいの。議員予定者による寄付行為は原則禁止だから」

「あ、そやった……ほな、もともとの支給額を減額したら?」

「それで潤うのは党の本部だけで支部には関係なくなるから。むしろ、ちゃんと受け取っていただいて……それで裏金として宮本さんに手渡したりするなら、いい、というか、よくないけど、絶対にバレないように手渡しで、しかもATMからおろした日に手渡しして、宮本さんが同じ日にATMに入れたりすると、記録が残って面倒だから、ちゃんと日もずらすとか、自宅の金庫に入れるとか、そういう方法で動かすならいいです」

「「…………」」

 二人とも、そんなやり取りはしたくなかった。

「……鷹姫……ごめんな…」

「いえ、芹沢先生が謝ることではありません」

「私と宮本さんは、まだ幸運な方です。お兄ちゃんの秘書は全員、国からの支給が無くなるから、どうしようか困っていて……。芹沢先生の東京での秘書にしていただけると、ありがたいのですが……男性秘書って嫌ですよね?」

「男性か……どうしてもというなら……気の毒やし……受け入れても……ええかなぁ…」

 鮎美が嫌そうに、それでも受け入れの意向を口にしたけれど、静江は思い止まる。

「やっぱり危ないので、やめておきます。東京でホテルや車内で二人っきりという状況も多々発生しますし。中年男性と18歳の芹沢先生……あまりに危険です」

「そういえば、他の女性議員も秘書は、やっぱり女性なん?」

「男性であることもありますよ。芹沢先生の若さが例外的なだけで、お互い既婚者なら危険は少なくなりますし、あとは田中角美先生のような女性議員だと、まあ……ほら……なんというか……年齢とか、いろいろ……」

「あ~……なるほど、言いたいことは、わかるわ」

「元総理の娘さんは相当に強いのですか?」

「鷹姫………」

「芹沢先生も弱くないと思います」

「うん、おおきに。けど、鷹姫ほど強くないし、うちは柔道の技量なんて、ほとんど無いから、きっとベッドに押し倒されたら、自分より大きな男には勝てんよ。静江はん、もう落ち着いたなら、車を出して」

「はい、さきほどは失礼しました」

 静江は車を発進させ、気分転換と情報収集のためにラジオをつけた。ちょうどニュースの時刻で男性キャスターの声が響いてくる。

「12月6日のニュースをお伝えします。昨日行われました亜久音市の解職請求・リコールを問う住民投票で、賛成が有効投票の過半数を上回り、市議会を開会せず専決処分を繰り返すなどした武原新一市長が即日失職となりました」

「地方自治も荒れてるなぁ……」

 疲れてきた鮎美が目を閉じると、鷹姫のお腹が空腹で鳴った。

 キュゥゥ…

 若い胃が食欲を訴えて鳴いている。

「鷹姫、何も食べてへんの?」

「……何でもありません」

 鷹姫が恥ずかしそうに赤面して顔を背けた。こういう表情は珍しいので鮎美は抱きついてキスをしたくなったものの、それは自重した。

「うちらが会談してる間、静江はんら、どこかで食べてなかったん?」

「そういう経費が一番、削減しやすいんですよ」

「そやからって……」

 鮎美は自分だけ満腹で二人の秘書がお腹を空かせていることが、人として恥ずかしくなった。

「気がつかんで、ごめんな。静江はん、うちが自分の秘書に夕ご飯をおごるのは問題ある?」

「秘書も有権者ではありますが、問題になった例を聴いたことがないです♪」

 静江の声が嬉しそうだったので鮎美は肩をすくめた。

「鷹姫、お寿司と焼肉、どっちがええ?」

「………。焼肉です」

 赤面していた鷹姫は恥じらいながら、小さな声で後者を選んだ。

 

 

 

 翌々日の放課後、鮎美は昇降口の下駄箱付近で、直樹が待っていたので可愛らしい眉を不快そうに歪めた。そして不審者から要人を守るように鷹姫が前に出る。

「おいおい、そんな斬りかかってきそうな顔をしないでくれよ。どうしても、芹沢さんに会ってほしい人がいてさ」

「……。鷹姫、そんなヤツは放っておき」

 鮎美は無視して靴を履き替え、昇降口を出ようとしたけれど、直樹は言ってくる。

「県知事の加賀田夏子さんが君に会いたいって言ってるんだ。頼むよ」

「………加賀田……夏子…」

 鮎美が足を止めて振り返った。県知事選で苦杯をなめさせられた女性知事に興味はあった。

「条件は?」

「会って話すだけさ。それ以上でも、それ以下でもなく」

「話の内容は?」

「それは会っての、お楽しみ」

「…………。ええやろ、会うわ」

 鮎美は会うことにして直樹の車に乗った。学園の駐車場から直樹の車が出ると、すぐに迎えに来た静江の軽自動車とすれちがった。

「鷹姫、静江はんに加賀田知事に会うってメールして」

「はい。雄琴直樹の紹介であることを伝えますか?」

「まあ、伝えんと脈絡が不明やろし、伝えといて」

「わかりました」

 鷹姫がメールを打ち、直樹は高速道路に入ると六角市から阪本市まで移動し、県庁まで鮎美を連れてきた。エレベーターで5階にある知事室前まで三人で訪れると、知事室の室長が案内してくれる。

「こちらへ、どうぞ」

「おおきに」

 鮎美と直樹、鷹姫が知事室に入った。

「ようこそ」

 待っていた夏子が椅子から立ち上がり、鮎美へ握手を求めてくる。鮎美は落ち着いて握手に応じ、夏子の目を見て問う。

「うちにお話っていうのはなんですか?」

「できれば二人きりで話したいのですが、よろしいですか?」

「………。ええ、鷹姫、ちょっと待っておって」

「はい」

 鷹姫と直樹が退室し、室長が扉を閉めると二人きりになった。その瞬間、夏子が鮎美へ抱きついてくる。

「わーっ♪ 本物だぁ、本物の鮎美ちゃんだぁ!」

「なっ?!」

 抱きつかれて鮎美が驚く。

「何するんですか?!」

「ごめん、ごめん、思わずね」

「県知事ともあろう人が…」

「二人きりなんだし、気楽にしてよ。高校生にして議員なんて大変だと思うけど、今は素の鮎美ちゃんが見たいな。ね、お願い。敬語もいらないよ」

「……。あんた、ビアンなん?」

「クスっ…、面白い疑問を持つね」

 抱きついていた夏子が離れる。

「私は未婚だけどノーマルだよ。いい男がいなくてさ。紹介してくれる?」

「雄琴直樹とかは?」

「う~ん……年下かぁ…」

「御蘇松善行さんは?」

「年上すぎ! しかも既婚!」

「いやいや、路上チューしたら全国ニュースになって、おもろいで」

「言うねぇ。知事に向かって平然と」

「あんたが気楽に言うたやん」

「そうだったね」

「ほんで、話っていうのは?」

「私と協力して日本と、この県を人々が住みやすい最高の場所にしようよ」

「………。各論には是々非々であたりますから」

「つまんない! そんな政治家っぽい答えヤダ!」

「あんた……」

 やや鮎美が怒りかけると、夏子は軽い雰囲気から理知的な表情に変わった。

「あなたは今までの戦後政治を、どう感じてる?」

「現状、あの敗戦からなら、考え得る限り最高の結果ちゃいますか。焼け跡からの経済成長、今世紀に入って、やや失速しているものの、この豊かさ。少子高齢化も、他の先進国でも見られる現象や。世界で日本ほど、ええ国は少ない、そう思いますけど」

「そして、それを築いてきたのが自眠党って言いたい?」

「……。そやね、そう勉強してきたわ」

「けどさ、経済学的な分析をすると、総力戦によって国民の中で富の偏在が減少し、平準化しつつあったところへ、さらにGHQによる強制的な財閥の解体、税制の平等化、小作農の解放、経済の自由化がもたらされ、この好条件によって経済は成長。経済の成長が与党支持を続けさせ、今世紀に入っての低迷が古い与党を捨てさせ、新たな与党を求めさせただけで、どこの政党が与党であれ、たいして経済成長は変わらず、これからも、そうだとしたら?」

「……………。政治が経済に与える影響が限定的なら、それは、それ、諦めて、治安の維持、国防、社会保障の充実を行っていくしかないんちゃいますか」

「うん、鮎美ちゃん、よく勉強してるね。勉強させられた、のかな?」

「与えられた役割を、果たしたいと思うだけです」

 とっさに鷹姫が言っていたことが、口から出ていた。夏子は楽しそうに微笑む。

「なら私たちは協力し合うべきだよね?」

「是々非々で」

「また、戻っちゃったね。頭の硬い人たちから、しっかり勉強させられて。もう硬くなってる?」

「本題は?」

「せっかちだね」

「せっかちやし、帰るわ」

 からかわれている気がした鮎美は背中を向けたけれど、夏子は穏やかに言ってくる。

「お茶くらい飲もうよ」

「……」

 来年から参議院議員として県政についても間接的には関わるはずの夏子とは党が違っても敵対姿勢のままでいることが損だとはわかるし、総選挙の前後で与野党が逆転している。本来、下手に出るべきは自分なのだともわかるのに、夏子は鮎美の感情を計るような言動をしてくる。

「私流の美味しいミルクティーの淹れ方を見て欲しいな。まあ、座ってよ」

「…………」

 鮎美は深呼吸して感情を落ち着けた。

「ほな、ごちそうになろかな。会談の前に、相手のことを調べて知る。竹村先生が言ってはったなぁ…」

 鮎美が紅茶、とくにミルクティーが好きなことを夏子は知っていた様子だった。

「うん、竹村先生ほどの人はなかなかいないね。会談前に相手のことを調べるのは基本だけど、その基本を実行し続けられる人は少ない」

 夏子は珍しい手順で紅茶を淹れている。知事室に用意していた茶器とIHヒーターで基本の手順通りに淹れた紅茶と、インド流にミルクで煮立てたミルクティーを混ぜるという手法だった。

「どうぞ」

「いただきます」

 鮎美は飲んでみて、微笑んだ。

「美味しいですわ。初めてみた淹れ方やったし」

「カレーと同じでね、インド式と英国式を混ぜてみたの。これが日本式、というか、私流よ」

「面白い人ですね。女で知事選に勝つだけのことはある」

「鮎美ちゃんが自眠の御蘇松さんを応援してくれたせいで、私もヒヤヒヤしたよ。もっと楽勝だったはずなのに、もし落ちてたら今頃は私、破産してたかも」

「借金してまで出馬してはったんですか?」

「まあね。あのときは憎らしい顔だったのに、今見ると可愛いね」

 夏子に見つめられて鮎美は視線をそらした。人としての魅力がある夏子に見つめられると、鮎美は性欲を刺激されそうで困る。

「……。選挙中と、終わってからでは感情が変わるのは理解できますけど…」

「総選挙も眠主の勝ちで終わったね」

「………」

「この民意、どう思う?」

「……。自眠にも反省すべき点が多いということやと思います。とくに、金銭の面で」

「それもあるけど、結局は経済に引っぱられただけだよ」

「経済に……」

「同じことは89年にバブル経済が崩壊した後にも起こった。経済の失速によって55年体制は崩れ、竹村先生の魁け男子党と村山智一の人民社会党が自眠と連立して、社会党の首相が誕生した。鮎美ちゃんが赤ちゃんだった頃の話だけど、知ってる?」

「最近になって勉強しましたよ。学校では、教えんあたりやし」

「長く続いた自眠党政治に対して有権者は変革を求めた。けれど、ヨチヨチ歩きだった村山政権に、きつい災難が襲いかかる。それは経済の変化ではなくて、大地震だった」

「阪神淡路大震災ですか」

「そう。これが95年の1月17日。さらに、きつい危機も襲ってくる、3月のサリンも知ってる?」

「はい。宗教テロの事件ですやんね」

「それが3月20日、さらに社会党として国防に対する姿勢が難しくて大地震でも自衛隊派遣を悩んだ首相に、沖縄での米海兵隊員による女子小学生暴行事件まで発生。新しい風で政治の変革を行うどころか、ヨチヨチ歩きの内閣に地震毒ガス幼女強姦、もう一気にヨボヨボ歩きに。そして翌年1月、首相は突如退陣を表明、内閣総辞職」

「……どれも連立政権の責任とはちゃうのに……タイミング悪い、気の毒な話や……」

「せっかくの新風は三連コンボでメタメタだったの。せめて地震だけでも数年ズレていてくれれば、竹村先生も頑張れたかもしれないのに。宗教テロなんて自眠の復活を狙う警視庁の陰謀かと穿ちたくなるくらいのタイミング」

「…………」

「逆に自眠党の立場から見れば、地震は神風だったのかもね。って、こんなこと言うと久野先生に怒られそうだけど、新風を神風が吹き飛ばしたのは、確かよ」

「地震……天災は、人には、どうにも……」

「人の行う政治なんて経済失速も動かせない。せいぜい、経済を自由に生かせてあげるくらい。むしろ、経済の波で与党も浮沈する。さて、15年前の新風への苦難を私はリアルタイムで女子高生として見ていた。そして今、女子高生の鮎美ちゃんが目の前にいる。さらに、さらに、今ここに再び新風が吹いてきた。しかも今回は眠主党での単独政権」

「………」

「さあ、私といっしょに日本を変えよう」

「………」

「今度こそ新しい風で」

「………うちに、どうせいと?」

「協力して」

「………。具体的には?」

「自眠党を離党して眠主党に入って」

 予想していた要求だったので鮎美は即答する。

「お断りします」

「お願い」

「………断ります」

「お願いします」

 今度は夏子が頭を下げて願ってくる。鮎美は戸惑いつつも断る。

「な…なんべん言われても断りますって」

「どうか、お願い。なにとぞお願い」

 夏子が手を握って見つめてくる。女性に懇願されると鮎美は照れて困った。その反応を夏子は男性のようで珍しいと感じたけれど、今は鮎美を勧誘する方が重要なので続ける。

「本当にお願い。鮎美ちゃんの協力がほしいの」

「………」

「喉から手が出るほど、手から触手が出るほど」

 そう言って夏子が背中に手を回して抱いてくる。胸と胸があたり鮎美は心拍数が高まるのを自覚した。鮎美の手が抱き返したいと訴えてくるし、鮎美の唇が無防備な夏子の唇へ吸いつきたいと熱望してくる。けれど、あくまで夏子は同性として勧誘しているだけだ、ともわかっていた。鮎美は手で夏子の肩を撫でてから押し離した。

「自眠を裏切る気はありませんから。……雄琴はんにも、こんなことして口説いたんですか?」

「まさか。ねぇ、お願い、こっちに来てよ、鮎美ちゃん」

「まだ言いますか……うち一人くらい最年少ってだけで、そこまで価値ないでしょ」

「眠主党は単独で過半数ではあっても三分の二は無い。この意味、当然わかるよね?」

「……わかりますけど……」

「そしてクジ引きで選ばれてる参議院は無所属が多い。採決の度に、どう転ぶかわからない」

「………」

「あと20人、私たち眠主についてくれれば安定した政策を実施できる。逆に足りないと、小沢先生の活力党と組むか、供産党にお願いするか、どっちにしても不安定になる」

「………」

「どうして、そんなに自眠に拘るの? 雄琴先生は自分の法案を真剣に検討してくれるなら、ときどきの与党に所属する方が合理的だって。選挙前に眠主党の支持率を見て動いてくれた。同じような判断をしてくれた参議院議員も多い。無所属のままで協力を約束してくれた人もいる。だから、あと20人で衆参両院で過半数となるの。鮎美ちゃんが自眠でいる理由は何?」

「仁義の問題です」

「……仁義?」

 夏子が首を傾げた。

「うちには形勢不利やからって昨日までの仲間を裏切ることはできません。それが人としての仁義やと思ってますから」

「……。理由は、それだけ?」

「…………いろいろ教えてもらって恩義もありますし」

「それは、どこの党に入っても教育はするわよ。仁義、それだけの話なの?」

「……はい、そうです」

「………」

 夏子はタメ息をつきかけて、それを飲み込み、鮎美を真っ直ぐに見て、叱るような口調で言ってくる。

「そんな子供っぽい感情は捨てなさい」

「っ…なっ…」

「仁義より民意。総選挙で国民が選んだのは眠主党」

「……やとしても、うちは自眠を選んで応援演説もしました。自眠への投票もあった。うちはクジ引きで選ばれてても、もう自眠を応援する立場で動きました」

「最初に自眠を選んだ理由は何?」

「え…………」

 鮎美は思い出してみる。自眠、眠主、供産、その他少数政党から自眠を選んだのは最終的には住居地だった鬼々島が長年与党の自眠一色だったからで、両親のことを考えて選んだ。別に政治的信念でも政策でも無い。もし、住居地が都市部だったら今でも無所属でいたかもしれない。

「あなたが自眠を選んだ理由は?」

「………」

「与党だったから? 安定していたから? 民意が自眠にあると思ったから?」

「………そんなところ……です…」

 実は自治会の役員に脅しまで受けたとは言いにくい。あのようなことがなければ、自分でも眠主にしたか自眠にしたか、わからない。やはり無所属でいたかもしれない。多くのクジ引き議員が、そうであるように無所属が中立的な気もする。

「もう今は眠主党が与党で、民意も眠主党にあるのよ」

「………やとしても、今さら…」

「そんな手芸部に入ったから、興味があっても今さら吹奏楽部には入れませんみたいな次元で政治を考えないで」

「うっ…」

「あなた一人の一議席で、どれだけのことが動くか、考えてみて」

「………」

「あなたの議席は、あなたのものじゃない、国民みんなのものよ」

「………」

「このままでは最悪、衆参でねじれが生じるかもしれない。それを防ぐために連立すれば、それも、また不協和音の始まりになるかもしれない。今さら裏切れない? 仁義? 日本の将来は仲間ごっこのレベルで語っていいものじゃない。どうあるべきが国民全体の利益か、よく考えなさい」

「…………」

「お願い、こっちに来て」

「………」

「即答できないなら、密約でもいい」

「密約?」

「いざ参院で採決が危ういときだけ、こちらに協力してくれる。その後、もし自眠から追い出されたら、眠主で必ず拾う。相当の地位と立場で」

「………それこそ、もっとも仁義に反しますやん!」

「仁義は忘れて。大局を見て」

「うちは小早川秀秋やない! 堺の商人みたいにも振る舞えん! いっそ薩摩隼人でありたいわ!」

「あ……あなた、どれだけ頭が古いの……」

「古うて、けっこう! 神風は博多と知覧の専売特許や!! 次の選挙では必ず勝つ!! 今に見ておれ!!」

「…………。あなたとは、また冷静にお話がしたいわ」

 夏子が会談の目的を達し得ないことに気づき、残念そうに微笑んだ。

「鮎美ちゃん、今日は来てくれて、ありがとう」

「………」

 鮎美も高ぶっていた感情が静まってくる。自分でも鷹姫の影響で武士道精神に感化されつつあるのが、古臭いとはわかっているけれど、もう好きになっている。鷹姫が好きなものは好きになりたい。鷹姫に嫌われるような裏切りは絶対にしたくない。けれど夏子が言ったことが正論だともわかる。

「………」

「また会ってね」

「……失礼します」

 鮎美は一礼して知事室を出た。出たところにある控え室で直樹と鷹姫だけでなく静江もいて、さらに4人の自眠党県議と3人の眠主党県議が睨み合うように対峙していて、鮎美は驚いた。全員の氏名までは覚えていないけれど、とくに自眠党県議とは応援演説などで出会うこともあるので彼らが県議であることくらいは知っている。

「なにをして…」

「芹沢先生!!」

 鮎美が問う前に、静江が這い蹲るように駆け寄ってきて、そして這って土下座してくる。

「どうか残ってください! すみませんでした! 私が間違っていました! 許してください!」

「何を言うて……」

「芹沢先生、石永さんも駆けつけて…」

 鷹姫が状況報告しようとしたけれど、自眠党の県議4人が鮎美に詰め寄ってきて問うてくる。

「君は裏切らないだろう?!」

「知事に何を言われたんだ?!」

「こちらは、それ以上の条件を出そう!」

「とにかく会派室へ!!」

 鮎美は両肩をつかまれて知事室と同じ階にある自眠党会派の部屋へ連れ込まれる。途中で直樹と眠主党県議たちが何か言っていたけれど、聞き取るどころではなかった。監禁されるように会派室へ入れられると、詰問される。

「どうなんだ?!」

「知事に、どう答えた?!」

「自眠を捨てる気か?!」

「加賀田に何を言われた?!」

 今日まで、どの県議も落ち着いた壮年の男性だと感じていたのに、今は激しく動揺していて額に脂汗を滲ませている。足元では静江が、また土下座をしていて鷹姫の給料を減らしたことを涙ながらに謝っていた。そんな騒ぎを見て鮎美は自分が離党することが、どれだけ一大事なのか、わかった。総選挙で全敗し比例復活も無かった県内では、参議院の直樹も党を離れたことで自眠党の国会議員となるのは鮎美だけという状態で、その鮎美が眠主党へ流れると、まったく県内に国会議員が存在しないことになる。それが県議たちを焦らせ、静江に恥も外聞もなく他人もいる中で土下座させているのだと実感した。

「落ち着いてください! うちは雄琴はんとは違う! 今さら自眠を裏切るようなことはしません!」

「本当だろうな?!」

「何か密約を交わしたのか?!」

「金を積まれたか?! その倍、いや三倍! どうにか党にかけあう!」

「いくらだ?!」

「っ…」

 鮎美は強い怒りを覚えた。少なくとも夏子は金銭で鮎美の心を釣ろうとはしなかった。短い時間に友情を築こうと画策していたのは伝わってきたけれど、それは不快なものではなかった。なのに今は不快で苛立たしい。

「やかましいわ!! うちは金で人を裏切ったりせん!! 仁義は通す!! 密約もないし、加賀田はんには是々非々であたる言うただけや!」

「「「「………」」」」

 女子高生が大まじめに仁義と言い、その目に偽りは感じられなかったので県議たちは落ち着き、そして年齢的にも性格的にも純粋で単純そうな鮎美に金銭の話をしたのは間違いだったと気づき、向けられている嫌悪感を拭おうと謝る。

「それならいい。いや、すまなかった」

「芹沢さんを疑ったわけではないんだよ」

「そうそう。芹沢先生は我々の星だ」

「けれど、これからは知事や眠主の者と密談をするのは控えてほしいな」

「密談って……うちは加賀田はんから話があるって雄琴はんが言うから会っただけや」

「それを密談というのだよ。今回は静江さんが報告してくれたから、たまたま県庁に我々もいて駆けつけたが、これからは控えてほしい。いや、雄琴が君を呼び出した時点で、罠だと思ってほしかった」

「………そういうもんですか……」

「そういうものだ。あ、静江さんといえば、さっきから秘書の給料が、どうとか、どういうことなのかな?」

 県議たちに問われ、静江は慣例的に存在していた秘書給与の一部を支部会計に入れることを大幅に引き上げ、鷹姫の給料を8割まで寄付させていることを恐る恐る白状した。

「バカもん!!」

「宮本さんは芹沢先生のご友人だろう?!」

「2割3割なら、まだしも!!」

「なぜ、そんなことをした?!」

「…六角市の……支部会計が…苦しくて…」

「そんなことが理由になるか!!」

「今は、どこの支部も同じだ!!」

「やるにも程がある!!」

「兄の石永先生の意向か?!」

「いえ……私の独断で……み…宮本さんには納得してもらって…」

「うちらを騙そうとしたやんね。鷹姫は減給には納得したけど、知らんうちに寄付されてるとは思ってなかったんよ」

「すみませんでした!! 申し訳ありません!!」

 また静江が土下座をする。

「いや、もう土下座はええですから。寄付の話も済んだ件やし。高校生のバイトとしては10万でも多いし、それはそれ、もう、ええです」

「芹沢先生が寛大な方でよかった」

「まったくだ!」

「厚遇すべきところを冷遇してどうする?!」

「これで加賀田の口説きに乗らなかった芹沢先生は、本当に立派だ!」

「うちは仁義を守っただけですから」

「そこが素晴らしい」

「やはり県の支部長は我々県議からでなく芹沢先生にしよう」

「うむ、それがいい」

「それで党本部に上申しますよ」

「え……いや、でも、……うち、女子高生ですよ? 県の支部長は他にも適任が……」

「それがいなくて困っているんだ」

「落選中の先生方というのもな……」

「さりとて県議の我々からというのも……」

「たしかに若すぎるが、慣例では国会議員にあてるものだし」

「うちは、まだ勉強することも多いし……支部長の業務までは…」

「大丈夫、業務というよりは飾りだから」

「副幹事長なんかと同じシンボル的な地位だよ」

「とはいえ報酬も出る」

「それほど六角市の支部が苦しいなら、県支部長の権限で多少の融通もできる」

「………。静江はん、どう思う?」

「ぜひお願いします!」

「……………静江はんって、お金を積まれたら眠主に行きそうやね…」

「私はお兄ちゃんを裏切ったりしないから!」

「石永先生は……プライドありそうやもんな……」

 県議たちが念押ししてくる。

「ともかく芹沢先生、くれぐれも自眠で頼みますよ」

「はい、誓って」

 つい陽湖ちゃんみたいに答えたけど、うちは何に誓うんやろ、神やないのは確かやし、仁義に誓う? いや、ちゃうな、鷹姫からの信頼に誓うんかな、うん、そうやね、と鮎美は気持ちを整理して微笑んだ。

 

 

 

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